旭高校の昼休憩の時間だった。
食堂は学生で賑わっており、一人の青年もその喧噪に紛れながら昼食を済ましていた。
けれども、ふと顔を上げた時に一部の生徒の視線が、一様に同じ方向を向いており、喧噪の中にはどよめきも入り混じっていることに気が付いた。
青年も一同が見ていた方向へと目を向けると、そこには一組の男女が食事をしている光景があった。
ちょうどその時、男子の方が大声を出した。
「あ、おい! 見るな!」
そう言って立ち上がった彼が手を伸ばした先には反対側に座っている女子が一枚の紙をまるで掲げるようにしながら紙面を見ていた。
青年はその女子の姿に見覚えがあった。
「ええー……上杉風太郎君、得点は……百点」
「あーめっちゃ恥ずかしい!」
そう言うとわざとらしく頭を抱える上杉と呼ばれた男子。
(何やってんだあいつは……)
その光景を見て青年は内心で思った。
その後もしばらく揉め続けていたが、上杉の方は食事を終えたらしく席を立ちあがると、出口側であるこちらの方へと歩いてきた。
青年の近くまで上杉が通りがかった時、青年は一言呟いた。
「お節介を承知で言うけど、今のうちに謝っておいた方がいいんじゃないか?」
上杉は足を止めると、視線だけを青年へ向けた。
「なんだ、あんた」
「別に? ただの転校生だぜ?」
上杉の視線が青年の顔から衣服へと移動する。
青年の服装は青いブレザーで学生が着る服としては何も問題はないのだが、一点だけ気にすべき点があるとすれば彼が今いる学校、旭高校の指定制服ではないということだった。
「確かに、転校生のようだな。だが、そんなことはどうでもいい。お前にそんなことを言われる筋合いはない」
そう言って上杉は再び歩き始めようとするがお構いなしに青年は話す。
「焼肉定食焼肉抜き」
上杉が再び足を止めた。
「この食堂で最も安い価格で、かつ最低額メニューのライス単品よりも多くの品数を食べられる裏メニュー的な注文の仕方だ。そんな変な注文の仕方をするってことはお前、金に困ってんじゃないか?」
「……他人の懐事情を詮索するのは感心しないな」
「悪いな、さっき話してた女子は俺の知り合いでよ……デリカシーに欠けた発言をしたお前に対する、ちょっとした仕返しだよ」
「回りくどい嫌がらせしやがって、だったらさっき止めに来ればよかっただろ」
「結果的に言えばお前の言う通りだったよ」
青年は先ほどの会話の内容を脳裏で反芻する。
あれではどう考えても女子側の上杉に対する印象は最悪、意外にはあり得ないだろう。
「だけど、お前のこの先のことを考えたら、親交を深めてくれればと思って眺めてたんだよ」
「どういうことだ」
「知らないならきっと、この後すぐにでも家族から連絡があると思うぜ。お前に仕事があるってな」
「……なんなんだ、あんた」
上杉も無暗につっかかられているだけではないとようやく察したのか、振り返るだけだった体を青年へと向けた。
対して青年は、不敵な笑みを浮かべながら上杉の問いに答えた。
「だから言ったろ、江戸川コナン。転校生だよ」
話は上杉風太郎と江戸川コナンが出会う数週間前に遡る。
工藤家の家にはその日、工藤家の人間だけではなく多くの人々が集まっていた。
一同の視線は高校生探偵である工藤新一の父、優作へと集中していた。
「全員が揃ったようなので始めます。皆さんの貴重なお時間を奪ってしまってもいけませんので、単刀直入に本題のみを申し上げます」
優作は隣にポツンと置かれた椅子に座っていた新一を手のひらで指し示す。
「先日の一件によって、ついに我々は例の組織を壊滅に追い込むことに成功しました。しかしあの時、一つだけ問題も発生してしまいました。表向きには警察の活躍による事件の解決と見せかけるはずであったが、事件の解決の表舞台に私の息子の新一が身を晒してしまいました。幸いにもマスコミによる報道は各方面のご協力によって防がれましたが、それはあくまで表の話。すでに動き始めている、組織の後釜を狙う者たちには知れ渡ってしまっています」
新一は表情を暗くし、頷いた。
「そして、FBIの調査によって分かったのが、彼らは次に界隈を牛耳る権利を手にするため、組織を壊滅へと導いた立役者である新一を障害として認識していることが判明しました。そうですね、赤井さん」
壁に寄りかかっているFBI捜査官、赤井秀一に同意を求めると、少しだけ首を縦に振って同意してきた。
「ああ。奴らはすでに、少年を抹殺すべく部隊を動かしているという情報をリークしている」
「そして今こうしている間にも奴らは新一を見つけ次第殺さんとして、至る所に人目を張っているようなのです。無論、ここもその一つではありますが」
「大丈夫ですよ工藤さん」
優作の言葉にフォローを入れたのは公安所属、降谷零であった。
「今日に限っては公安によってこの家の周辺は厳重に警備されています。万に一つも賊が押し寄せてくる心配はありません」
「降谷さん、感謝します。次に現時点で確認されている奴らの監視網ですが、この家の他に毛利さん、阿笠さん、服部さんのお宅など、これまで新一が関わってきた多数の場所で監視の目が光らされているとのことです。間違いありませんね」
優作の確認にそれぞれが同意した。
「ああ、オレの家の周りにはぎょーさん変な奴らがうろつくようになったわ。それにアイツら、隠れる気があるんかっちゅうくらいバレバレな監視をするさかい、こら後釜を狙ってるっちゅう連中の質もかなり下がっとんのやろ」
「わしのところもじゃ。といっても、新一がおらんから連中は何もしてこんし、組織の連中というわけでもないから哀君も平然としておるがの」
「うちもだよ……たく、何もしてこねえからいいものを、探偵坊主のためになんで巻き込まれなきゃならねえんだ」
三者三様の同意に対して、全て共通している『監視の目はあるが程度が低い』という回答に対して優作は満足げに頷いた。
「今聞いた通り、奴らのレベルはたかが知れています。行動を予測することは難しくないでしょう……そこで、新一には最低限の自衛として一人で生活することを避けてもらおうと考えました。この家は私と妻の有希子、そして新一の三人暮らしですが私達夫婦はほとんど家におらず、実質新一の一人暮らしのようなものです。そこで新一には一度、最も組織と縁遠く、そして警視庁の目が届く毛利さんのお宅へ匿っていただこうと考えました。すでに毛利さんとご家族の蘭さんには承諾いただいております」
嫌々だけどな、と吐き捨てるように小声で小五郎が呟いた。
「おい工藤のおっさん。あんたアホちゃうか?」
そこで口を挟んだのは西の高校生探偵、服部平次だった。
「あんたさっき言うとったよな? 毛利のおっさんの家も監視されてるって。なんでわざわざ監視されてるところから、同じ連中に監視されてるところへ移すんや。意味ないやろ」
「服部君の言うことは最もだ。だが、奴らの監視の目があることを差し引いても、最も新一を匿うことに適していると考えることができたのが、毛利さんの家だったんだよ」
「だからなぁ! もっと選択肢があるはず言うとるんや! あんたが考えた選択肢の中じゃ一番だったかもしれへんけど、危険なことに変わりはないんやで!?」
平次の怒鳴り声に続いて、それまで黙って話を聞いているだけであった警視庁警部、目暮十三が同意した。
「優作君。すまないがワシも彼に同意する。新一君は我々警察が警護するが、守るにしたって限度がある。今聞いた話だけでは彼の安全を保証するとは言い切れんよ」
ですがね目暮警部、と言ってから優作は顎に手を当てて考える。
実際問題として、新一の匿う場所の候補は優作一人ではなく、何人かの知恵者を集って出した結論だった。
優作としても服部や目暮の言い分には同意するが、現状で毛利宅以上に最善の隠れ蓑はないとしか思えなかったのだ。
それからしばらく黙ってしまった優作に対して、一同は辛抱強く更なる回答がでてくることを期待したが、答えは出なかった。
そうして答えに困窮し、議論が滞り始めたころ、降谷の内線に一本の連絡が入った。
「なんだ……なに? ……わかった。工藤さん、この家に近づく男がいるとのことです。職務質問をかけたところ、中野マルオと名乗ったそうです」
「中野……ああ、彼か。彼は一般の医者だ。この話を聞かせるわけには」
「いや、通した方がいいだろう」
優作の言葉を遮ったのは赤井だった。
赤いは自身の頭の中にあるプロファイリングから情報を引き出して話す。
「中野という名前の医師で工藤優作と関係のあるものと言えば、過去にあった傷害事件で工藤優作によって助けられた経歴があったはずだ。彼ならば、工藤優作の頼みも無下にはできまい。それに彼の住所は関東でも関西でもなく、その中間だ。隠れ蓑にするならもってこいじゃないのか?」
「流石FBIだな、そんなことまで警察から情報を引き抜いているのか」
「調査の賜物といってもらいたい」
嫌味ったらしく言う降谷をどこ吹く風といった赤井は流した。
赤井の言葉を聞いて更に思案を重ねた優作は頷くと、助言通り中野を招き入れることとした。
数分後、優作たちのいる部屋の扉がノックされる。
「どうぞ」
「失礼します、工藤さん……ずいぶんとお客様が多いようですが、お邪魔してよかったんですか?」
招き入れられたスーツを着て、髪をセンター分けにしているおよそ感情というものが欠落したかのような顔をした男性は、部屋に入るなり室内に流れる異様な空気と予想外の大人数に視線を巡らせた。
「久しぶりだね中野君。問題ないよ、彼らとも話した上で君を招き入れたのだよ」
「どういうことでしょうか。僕はただ、たまたま近くを通りがかったから、以前助けていただいた件のお礼を言いにきただけなのですが」
「中野君。恩に着せるつもりではないが、君に頼みがあるんだ」
「なんでしょう」
優作は新一の肩に手を置いた。
「この子は私の息子の新一だ。彼を預かってはくれないだろうか」
「……本当にどういうことですか」
「実は少し面倒な事件にこの子は巻き込まれていてね。危険はないのだが、この地域に住まわせるのは少し都合が悪いんだ。そこで君の家で預かってほしいんだよ」
中野は目を伏せる。
「すみませんが、そんなことを急に言われて分かりましたという方が珍しいでしょう。それに、ご存じだと思いますが僕の家には年頃の娘が住んでいます。彼を同じ屋根の下に住まわせるわけにはいきません」
「それなら安心してほしい。こう見えてもコイツには見ている我々の方が恥ずかしくなるほど溺愛しているパートナーがいます。君の娘さん達に万に一つもありませんよ」
「オヤジ! 何言ってんだ!?」
「いいから、お前は黙っていなさい」
それまで借りてきた猫のように大人しく話の行く末を見守っていた新一であったが、流石に看過できずにいたようだ。
表情はいささか高揚しているようにも見える。
「中野君、もう一度お願いする。君の娘さんには誓って迷惑をかけない。だからどうか頼めないだろうか」
そう言って優作は頭を下げた。
その様子を中野はしばらく黙って見た後、一つ息をついた。
「おかしいですね。頭を下げるのは礼を言いに来た僕のはずだったのですが……わかりました、工藤さん。あなたたっての願いだ。聞き入れさせていただきます」
ただし、と中野は続ける。
「条件があります。一つ目は期間を決めさせてください。娘たちの将来もあります。いつまでもというわけにはいきません。そして二つ目に、事情をキチンとお聞かせください。どうも工藤さんらしからぬ物言いに何か隠し事の気配を感じます」
「わかった」
そうして優作は事情の全てを打ち明けた。
組織のこと。その後の派閥争いのこと。優作なりの誠意として全てを話した。
「……流石に想像以上でした。今の話を信じるとなると、匿うだけでは足りないのではないですか?」
「それならご心配には及びません。我々警察が陰ながら警護を担当します」
中野の心配に対して最初に答えたのは目暮だった。
次に降谷が続く。
「あなたの元へ新一君が行くというのであれば、公安が隠蔽用に偽造の戸籍を用意しましょう」
更に赤井が続ける。
「海外で問題があれば、FBIが対処しよう」
そして最後に優作がまとめた。
「と、いうわけだ。それに期間だが、公安や各組織がすでに鎮圧に動いている。見立てでは一年半程度で落ち着く予定とのことだ」
「……わかりました。ですが、どうか約束は守っていただけるよう、そして娘たちに危険が及ばないように二重の意味でお願いしますね」
そうして新一は、降谷によって偽造された戸籍、江戸川コナンとして中野の家に厄介になることとなった。
中野家に厄介になることが決まってからしばらくした頃だった。まだ風太郎とコナンが出会う少し前でもある。
東京から引っ越し先の町へ移動してきた新一、もとい再びコナンと名乗るようになった彼は引っ越し先の家へと向かっていた。
(それにしても、せっかく元の姿に戻ったっていうのに、またコナンと名乗って学生生活を送ることになるとはな……)
違いがあるとすれば今度は小学生ではなく高校生ということだが、優作に言われて念のための変装として渡された伊達メガネと髪型を変えた後だと、どうにもコナンだった頃の方に気持ちが引っ張られそうになる。
奴らの目を欺くためということはコナンも十分理解しているからこそ全て受け入れている。
とはいえだ。足を止め脇へと視線を向けると、道沿いにある店の窓ガラスを鏡にして自分の姿を見た。
(これじゃあ本当にコナンの生活パート2って感じだな)
そうして考えていると、窓ガラスの奥に気になるものが見えた。
閑散としたファミレスの風景だったが、その中で一点、異様な客の光景があったのだ。
席の一つに五人の女子が座っているが、全員が同じ顔をしていたのだった。
(すっげぇ、五つ子ってやつか? ほんとにいるんだな、あんなの)
ついまじまじと見てしまったコナンだったが、五つ子達の内の四人が立ち上がった。
(やべ、見てたのバレたか?)
思わず目を逸らすと再び歩き始めた。
店沿いにそのまましばらく歩き続けると、そのファミレスの入り口の前を通り過ぎたすぐ後だった。
扉が開く鐘の音がした。
コナンはそっと後ろを振り返ると、例の席を立った四人の女子が出てきたところで、自分の後ろへと続いていた。
(まさか本当に見られてたことに気が付いて文句言いにきたんじゃねえだろうな)
しかし、そんなコナンの考えは杞憂であったようで四人の話が後ろから聞こえ始める。
「パフェすっごく美味しかったね!」
「今月の新作は当たりね。また来ようかしら」
「二乃、食べ過ぎ」
「五月ちゃんみたいになっちゃうよー?」
「一花、あんた今言ったこと店に残ってるあの子に言いに戻ってあげようかしら?」
「あはは、せっかく美味しそうに二杯目を食べてるあの子に悪いよー」
「一人で残って食べ続けるなんてよっぽど気に入ったみたいだねー!」
(なぁんだ、食い終わって出てきただけかよ)
胸を撫で下ろして気にすることをやめたコナンは、記憶の中の地図を頼りに一つ、二つと角を曲がる。その間、後ろの四人もずっとついてきていた。
ずいぶん道が被るもんだと目線だけを後ろに回しながら思っていると、コナンの前の方から別の女性の叫びが聞こえた。
「ひったくりよー! 誰か捕まえてー!」
「何!?」
前を見ると、眼前からは季節外れのトレンチコートに帽子、サングラスとマスクを付けた男が迫ってきていた。
流石に距離が近くなりすぎていたということもあり、コナンは反射で仰け反ってしまうと男は脇をすり抜けて言った。
直後だ。
「きゃっ!」
「三玖!」
横並びだった四人は避けず、強引に押しのけられたようで一人が転んでいた。
コナンは慌てて駆け寄る。
「おい、大丈夫かあんた!?」
「え、うん。大丈夫、です」
見たところ尻もちをついただけらしく、返事確認すると再び逃げた犯人へと目を向けた。
すでに後ろ姿は遠くなり始め、曲がり角に差し掛かろうとしていた。
「逃がすかっ!」
コナンは視線を巡らせると、すぐ傍の電柱脇に設置されているごみ捨て場にバイクヘルメットがあるのを見つけた。
拾い上げると上へと放り投げ、シュートの体勢を取る。そして地面に落ちる直前に蹴りぬいた。
ヘルメットは一直線に飛んでいくと、犯人の腰に命中し抱えるようにしてもっていた被害者のカバンが落とした。
落ちたカバンからは中身が散乱した。
犯人はよろめいたがすぐに体勢を立て直すと、散乱した中身から財布だけを拾い再び走りだす。
「待てっ!」
コナンも後を追って走りだそうとした瞬間、右足に痛みが走り、思わず蹲った
(いってぇー……! そりゃそうだ、キック力増強シューズを履いてるわけでもないのにヘルメットなんて蹴ったらこうなるに決まってる! コナンの癖が抜けきってねえ証拠だな……でもよ!)
痛みの程度からして怪我をしている様子はなかった。コナンは痛みを我慢すると、立ち上がる。
再び走りだす前に振り返ると、四人の女子たちの方を見た。
「あんたら、悪いが荷物を被害者の女性に渡してやってくれ!」
「え、何よ急に」
「頼んだぞ!」
返事を待たずにコナンは走り出し、犯人が曲がっていった角を曲がる。
その先では犯人が再び別の曲がり角を曲がるところが見えた。
更にその後を追うと、二つ目の角を曲がる直前、鐘の音が聞こえた。
コナンが角を曲がり、レストランのある通りに出ると、通りには誰一人として人の姿はなかった。
「くそっ、見失ったか……!?」
レストラン通りには店の影となる曲がり角が複数存在していた。
コナンは次に犯人が曲がるとしたらどこの角かを推理しようとした時、直前のことを思い出した。
今日だけでも二度聞いた、レストランの鐘の音だ。
(そうか!)
コナンはレストランの前まで移動すると、勢いよく扉を開けた。
「すみません!」
「い、いらっしゃいませ……!」
ちょうどトレーを持っていたウェイトレスがいたが、およそ食事をしに来たようには見えない剣幕の客の入店に引き気味だった。
(いない……どういうことだ)
コナンが店内を見まわすと、閑散とした店内はさっきガラス越しに見た時より更に拍車がかかり、例の五つ子の最後の一人と思われる女子がパンケーキを頬張っているだけだった。
「驚かせてすみません。実は今、ひったくり犯を追いかけてまして、もしかしたらこの店に逃げ込んだかもしれないんです」
「ええ!? ひったくり!?」
「入店の鐘の音は聞こえてましたよね? どんな人が入ってきたか見てませんか?」
「すみません、私はホールに出ていなくて見ませんでした。それに他の子達も夜のピークタイムに向けて休憩に入っていたので、その時ホールにいたのは多分……」
ウェイトレスはそう言って女子の方を見た。
コナンも頷くと、ウェイトレスに警察へ連絡するようにだけ伝えて女子の座る席へと移動した。
「わりぃ、ちょっといいか?」
「なんでしょうか?」
女子は呼ばれてようやく食事の手を止めた。
「あんた、ついさっきこの店に誰かが入ったところを見なかったか?」
「……すみませんが、食事に夢中でしたので見ていません。急になんですか、変なことを聞いてきて……もしかしてナンパ……」
「ち、違う違う! ここにひったくりの犯人が逃げ込んだから探してるんだよ! 今入り口で話してただろ!」
「ええ!? ひったくり!?」
ウェイトレスと全く同じ反応をした女子に、コナンは本当に夢中で飯を食ってたのかと内心で呆れた。
しかし、そうなると困ったことになった。
店内には女子以外の客は誰もおらず、犯人どころか容疑者すら上げられない状況だ。
もしかしたら、さっき聞いた鐘の音は人が出た時の音かとも思い始めていた。
(いや、だがそれだと辻褄が合わない。俺は鐘の音を聞いたすぐに後に通りを出た。そしてその時通りには誰一人として通行人はいなかった。つまりあの鐘は入店の音で間違いない。だとしたら犯人はどこに……)
その時だった。店の奥にあるトイレの扉が開かれると、男が出てきた。
(そうか、トイレか! ってことは……)
コナンは再び店内を見渡す。しかし今度探すのは人ではなく、テーブルの上に置かれた料理だ。
トイレに入っている人が全員客で、複数人今も入っているとしたら、その人数分の料理がテーブルに置かれていると考えたのだ。
しかし、一通り見渡した後でその考えは空ぶったことを知る。どのテーブルにも料理は置かれていなかったのだ。
(ということは、今出てきた男が……)
再びトイレから出てきた男を見ると、ちょうど席の一つに座った直後のようだった。
今度は男性へと近づき話しかける。
「すみません、ちょっとよろしいですか」
男性はスーツを着た若い社会人だった。
「あなた、料理がテーブルに置かれてませんが、今店を入ってこられましたか?」
「藪から棒になんだ急に! 料理だったら食べ終わった後だよ! 伝票もある!」
そう言って男性はテーブルの隅に置かれた伝票置きを指さした。
確かにそこには一枚の感熱紙が差し込まれており、この店の注文票と思われる内容が書かれていた。
「そうですか……」
食事をさっきまでしていたという証拠を前に、引き下がった時だ。再びトイレの扉が開いた。
次に出てきたのも男性で、私服を着ていた。
「ちょっとあんた!」
「な、なんだよ」
コナンは急いで呼び止める。
男は驚いたような顔をした。
「あんた、今この店に入ったばかりだろう!?」
「そうだけどよ、だから何だってんだ?」
「悪いが、所持品を確認させてもらう!」
「ふざけんな! なんでいきなり現れたガキに私物を見せなきゃなんねえんだよ!」
コナンの剣幕に呼応するように怒鳴り返す。
やむを得なくなり、コナンは一度息を整えると淡々とした口調でひったくりの経緯を男性に最初に出てきた男にも聞こえるように話した。
一通り話し終えた後、二番目の男性を見ると事情を理解したらしく多少落ち着きを取り戻したようだった。
「……だったらさっさとやってくれ。店に入ったってだけで疑われちゃたまったもんじゃない」
「では、失礼します」
コナンは服の上から男性のポケットなど、記憶の財布のサイズが収まりそうな場所を触る。
しかし、出てきたのは記憶のものとは違う、元々男性が持っていたと思われるものしか見つからなかった。
念のため身分証を見せてもらうと、中には運転免許証が入っており、顔写真と本人の顔が一致した。名前は白石真というそうだ。
「ちょっと失礼。このまま待っていてください」
するとコナンは、次に男性を待たせたままトイレの中へと入っていった。
男性トイレと多目的トイレの中を捜索するも、財布は見つからなかった。
念のため、通報を終えたウェイトレスに頼んで女性トイレも探してもらったが、やはり見つからなかったそうだ。
(どういうことだ。白石さんが店に入ってから俺が続けて入るまで、そんなに時間は空いてないぞ。その短時間で隠せそうな場所にはないし、まだ見てない天井裏みたいな場所に隠すには時間が足りない。第一、もう一人の男の人もトイレにいたんだ。そんな大胆な行動をすれば不審がられるはずだ……!)
その時だった。店の入り口が開くと、外であった五つ子の四人と、警官服を身に纏った高年の警官が中へ入ってきた。
警官は店内に入るなり、一同の視線を一身に受けて敬礼した。
「失礼いたします! 私、駐在の長谷部と申します! こちらのお嬢さん方が交番にいらしたのと、本部よりこの店から通報があったと連絡を受け参りました! 本部からの応援はまだしばらくかかるため、それまでは本官がこの場を取り仕切らせていただきます!」
続けて、姉妹の四人達が店内に残っていた一人の元へと駆け寄っていった。
「あんた大丈夫!? ひったくり犯になにもされてない!?」
「ええ。大丈夫です。今のところは特に何もありませんでしたから」
言いながらパンケーキの女子はコナン達の方へと振り返る。
コナンは警官の方へと歩み寄った。
「お巡りさん、僕がここまでで確認したことをお伝えしておきます」
「君は?」
「そちらの方々と一緒に引ったくりの現場に遭遇した者です。犯人を追いかけてこの店に入ったのですが、僕が入る直前に店に入った男性の所持品からは盗まれた財布はなく、店内からも見つかっていません」
「ふむ、本部からの連絡でも店内に突然入ってきた少年の指示で店は通報をしたと言っていた。それが君だね?」
「ええ、そうです」
「ということは、君の勘違いということはないかい? 犯人はここに逃げ込んだのではなく、君が見失っただけという可能性は?」
「否定できません。ですが、犯人を追跡中にこの店の鐘が鳴ったのは間違いありません。状況が出来すぎています」
「そうかい……わかった、一応確認しよう」
警官は二人の男性達の方へと近寄った。
「すみませんが、お名前とご職業、それからこの店に入ってからのことを教えていただけますか?」
最初に話したのはスーツの男性だった。
「私は田代啓介と申します。会社員です。店に入ったのは三十分くらい前で、食事を摂って店を出る前にトイレに寄ったところで、この少年に声をかけられました」
次に白石が話す。
「白石真、フリーターだよ。坊主が入ってくる少し前に店に来て、行きたかったからまっすぐトイレに入った。それだけだ」
「ありがとうございます。店員さん、田代さんの方はお店に結構いたとのことですが、間違いないですか?」
ウェイトレスは頷いた。
「はい、間違いありません。お食事も私が運びました」
「となると、田代さんに犯行は不可能ですな。それで、白石さんの方はすでに所持品検査を済ましているとのことですね……念のため、本官の方でも確認させていただきます」
長谷部警官が白石の身体検査を行ったが、結果は同じだった。
現状、白石がひったくり犯であることを示しているのはコナンの前に店に入ったという状況証拠だけだ。
コナン自身、純粋に見逃したという可能性も否定出来なかった。
「やはり、君の勘違いだったんじゃないのかね?」
「……」
長谷部警官の言葉に反論が出来なかった。
(白石さんが店に入ったのは本当に偶然だったのか?)
白石の方を睨みながら考えていると、その白石が思い出したように口を開いた。
「そういえばだけどよ、俺が店に入った時に怪しい男が店の外を走っていくのを、この店のでかいガラス越しに見たぜ」
「本当ですか?」
「ああ、思い出すのに時間がかかっちまった、悪いな。でも嘘はついてないぜ、そこの妹さんも見てただろう?」
「すみません、私は食事に夢中だったもので……」
そう言ってパンケーキ女子は申し訳なさそうに俯いた。
長谷部警官は田代にも目撃していないか確認をしたが、田代はその時すでにトイレに入っていて見てないと証言した。
(あれ……? 今、この人なんて言った?)
そこまでの会話を聞いた時、コナンは一つの違和感に気が付いた。
「白石さん。あなた今、この子のことを”妹”と呼びましたよね?」
「それがどうしたってんだ。そこに姉妹がいるだろ」
「ええ、そうです。でもおかしいんですよ。この人たちは店に入ってから一度も、ご姉妹のことを妹とは呼んでいないんです」
「!!」
一同の間に驚きの空気が流れた。
「確かに、私この子のことを名前でも呼んでないわ!」
店に入るなり姉妹に駆け寄った方の子が証言した。
「だからそれがどうしたって言ってるんだよ! 確かに見た目もそっくりだが、姉でも妹でもどうでもいいだろうが!」
「いえ、どうでもよくなんかありません。これは重要なことです。もしかしてですが、白石さん、あなたは初めから知ってたんじゃないですか? 店に入った時にはまだ一人だった彼女が姉妹で、そして妹だっていうことを」
うぐ、っと言葉に詰まった白石だったが、絞り出すような声で答える。
「……そ、そうだ。店に入る前にすれ違ったんだよ。この子と同じ顔をしたそっちの嬢ちゃんたちをな。そういえば、お前の顔も見た気がするぜ。四人の前を歩いていたっけな」
「本当ですか?」
長谷部警官の確認に、姉妹とコナンは四人で歩いていたこと、そしてその前にコナンがいたことを認めた。けれど白石とすれ違ったかどうかについては覚えていなかった。
それでも、コナンは追撃の弾をまだ持っていた。
「それでも辻褄が合いません。僕は彼女たちの前を歩いていたからこそ、知っているんです。勝手に聞こえてきただけですが、彼女たちは一度も店内に残った子のことを妹だとは言っていないんですよ」
「ええ!」
長谷部警官が驚く。
コナンは話を続けた。
「もしかして、誰かから聞いていたんじゃないですか? 例えばあなたが店に入るずっと前から店にいて、店内の人が少なくなることをずっと見張っており、だからこそ五人そろっていた姉妹の会話も聞いていた人。そう、例えば田代さん、あなたからね」
「!!」
それまで他人事のように様子を見ていた田代の顔が引きつった。
「これはあくまで仮説ですが、お二人は共犯なんじゃないですか? もともとこのレストランは盗難品の受け渡し場所として決めていて、先に店に入っていた田代さんは店内の客が少なくなり、ウェイトレスさんも奥へ引っ込むタイミングを伺っていた。そして、都合のいいタイミングになった瞬間、店の近くで盗む相手の目星をつけていた白石さんに電話をした。おそらく電話では『姉妹で来ていた客も妹一人を残して出ていったから、やるなら今だ』とか言ってね。そして白石さんは犯行を犯し、店に入る前に店の脇に変装に使った衣服を脱ぎ捨てると店へ入った」
「店の外! 本官が確認してきます!」
長谷部警官が駆け足で出ていった。
「で、デタラメだ!」
残された田代が立ち上がり、手を振りかぶりながら叫んだ。
コナンな淡々とした口調のまま話し続ける。
「デタラメかどうかは、あなたの携帯の通話記録の確認と、所持品検査をすればわかります。あなたが本当に事件と無関係だというなら、ご協力いただけますね?」
「……くそっ!」
「あ、おい白石!」
これ以上の言い逃れはできないと判断したらしい白石が店の外へ出ようと駆け出す。その後ろ姿へ名前で呼んだのは田代であった。
しまった、とコナンは内心で舌打ちした。
これで逃がしては先ほどの失敗した追跡の二の舞だ。
急ぎ後を追おうとしたところ、白石が扉に手をかけるより先に、外から扉は開かれた。
店の外には大柄の男性が複数人立っていた。
中央のもじゃもじゃ頭の男が口を開く。
「失礼いたします。県警の横溝です。さっそくですが、おたく、そんなに慌てた様子でどちらへ行かれるおつもりですか」
「……! ち、ちくしょう……!!」
白石はそこで観念したように、その場に崩れ落ちた。
「いやあ、君のおかげで事件が早急に解決した! 助かりましたよ!」
「いえ、お役に立てたようで何よりです」
二人の犯人が連行された後、横溝は事件解決の立役者であるコナンのもとへあいさつに来ていた。
「そういえば横溝刑事、あなた確か静岡県警だったはずでは?」
「ええ? どうして君がそれを知ってるんですか?」
(やべ……!)
思わず小学生時代に得た知識で話してしまい口をつぐんだ。
対して横溝は対して気にしてないといった風に笑った。
「まあいいです。つい最近、愛知県警へ異動になったんですよ」
「そ、そうなんですね……」
「それで、よければ君の名前を教えてくれますかね。良ければ今度、署から感謝状を送らせていただきたい」
「それは……!」
言いよどむコナンに「んんっ!?」と横溝は唸って顔を近づける。
「どうしたんですか? 言えないのですか?」
これ以上変に避けようとすると、余計な疑いを持たれかねないと判断したコナンは、後で目暮警部経由で横溝には事情を伝えてもらうよう依頼することを決めてから答えた。
「江戸川コナンです」
「え、江戸川コナン君だってぇ!? ……そういえば確かに似ているような……まさか」
(そりゃその反応にもなるよな……事情を知らない人間からしたら、いきなり小学生がでかくなっているんだから)
後で事情を伝えるにしても話せば長くなるし、外で言うような内容でもない今、どうこの場を切り抜けるべきか考えていると横溝は急に笑顔へと変わった。
「まさかそんな珍しい名前の同姓同名で、しかもそっくりさんがいるだなんてなぁ! 世の中、広いものですなぁ!」
そう言って豪快に笑い飛ばした。
急激に肩の力が抜ける思いがした。
(ま、いっか……)
これ以上は話を広げまいと、コナンもツッコまないことにして連絡先の住所などを教えた。
「それじゃあコナンさん、今度色々と郵送しますから、そしたら署までお越しくださいね」
そう言い残して横溝も立ち去って行った。
その背中を見送りながら、コナンは町に来て早々に変な事件に巻き込まれたものだと溜息をついた。
その時だった。コナンの後ろに人が立つ気配を感じた。
「あの、江戸川君」
振り返るとそこには例の姉妹達が立っていた。
「ああ、あんたらも大変だったな。事件に巻き込まれちまって」
「いえ、何事もなかったですしそれはいいんですが……」
女子の一人がそう言った後、少し言い淀むと覚悟を決めたように続けて言った。
「もしかしてあなたが、私たちの家に居候する方ですか?」
「え?」
今度固まったのはコナンの方であった。
(今、居候すると言った? 俺が? こいつの家に?)
すると、コナンは中野マルオと引っ越しの手続きをしていた時に、一つの話を聞いたことを思い出した。
『工藤さんの前でも話したことだが、うちには年頃の娘がいてね。くれぐれも、節度のある行動をこころがけてくれたまえ』
そして目の前に立つ五人の少女達。
コナンもまさかと思いながら確認する。
「まさか、中野さん?」
「……! やはりですね!」
コナンが姉妹達の名字を言い当てると、ぱあっと花が咲くように笑みが浮かんだ。
そして次々と姉妹達はコナンへ詰め寄った。
「さっきの推理凄かったです! まるで名探偵! あの毛利小五郎みたいですよ!」
「四葉、あんまり詰め寄るんじゃないわよ! でも、三玖を突き飛ばした仇をうってくれて胸がすく気分だったわ。ありがとうね」
「うんうん、二乃もちゃんとお礼が言えて偉いですなあ。でもお姉さんも感心しちゃったよ。まるでドラマのワンシーンを見てるみたいだったし」
「うん、凄かった。一花なんて推理を見てた時からドラマみたいって言ってたし」
「そういう三玖も目を輝かせてましたね。でも気持ちは私も同じです。私なんて、事件の真相を解き明かす登場人物になれましたからね。誇らしいです」
「五月、あんたはいただけで役に立つことは何もしゃべってないじゃない」、などなどそれ以降も姉妹達で話が続ける様子を見守る中、コナンは頭痛がほのかにしてくる気配を感じた。
(つまりあれか、確かにあの人、娘が一人だとは言ってなかったけど、まさか五人の女子と同じ家に放り込まれたってことか俺は……!! 恨むぜ……!!)
すでにコナンの脳内では、この状況を蘭にどう説明するかという、さっきの事件以上に難解な問題の回答を導くべくフル回転させながら頭を抱えていると、五つ子たちの方がコナンへと向き直った。
「とにかく、男の子が家に来ると言われた時は不安でしたが、あなたのような方でしたら歓迎します。私たちの家へようこそ!」
そう言って、五月は手をコナンへ差し出した。
今回の話最大の謎は、五月以外の四人が店を出た時は二杯目のパフェを食べていたのに、コナンが店に入った時はパンケーキを食べていたことです。
もしかして二杯目のパフェとパンケーキの間にも・・・?