新年の年越しをコナンは元日に遅い目覚めをしていた。
昨日、というより日付が変わった後の話だから実際には今日なのだが、便宜上昨日の晩として扱うカウントダウンの時、テレビでは他愛もないカウントダウンの番組を流しながら蘭と通話をして年越しを迎えた。
『新一は新年の抱負とかあるの?』
「そうだなぁ、今年こそは平和な一年を送れることだなぁ。結局今の生活を始めてからも、なんやかんや事件に巻き込まれちまったからなぁ」
『なんだ、てっきり新一の事だからもっと面白い謎に出会いたいとか言うのかと思った』
「バーロ、謎があるってことは事件が起きるってことだろ。事件なんて本当は起きねえほうがいいんだよ」
それに、と続けて言った後、コナンはしばらく黙った。
不意に音声が途切れたことに心配した蘭が『新一?』と呼びかけをする。
そんな蘭に向かって、電話越しだというのに鼻先まで赤くしたコナンはやや上擦った声で言った。
「お、おめえっていう難事件にこれからずっと取り掛かっていくんだ。余計な事件に関わってる暇なんて本当はないんだよ」
『新一……何よ! 私ったらそんなに気難しい性格してないわよ!?』
(なんでそうなるんだよ!?)
ロンドンでの告白にかけた言い回しをしたつもりだったが、普段から素直に気持ちを言わないコナンのせいもあってか上手く伝わらなかったらしい。
そこそこ勇気を出して言った言葉が空ぶったことに虚しさを覚えながら、この流れも蘭らしいと思うと自然と笑みが漏れた。
テレビを見ると、若手俳優がとうとうカウントダウンを始めていた。
「そんなつもりで言ったんじゃねえよ! ……ほら、カウントダウンが始まるぞ。準備はいいか? さーん」
『にーい』
「『いーち! ……ハッピーニューイヤー!』」
それからもしばらく雑談をしているうちに大分夜更かしをしてしまったため、コナンが次に目を覚ましたのは正午も過ぎて元旦が終わり、ただの元日となるころであった。
一月一日とはいえ特に予定もなかったコナンは、アラームをセットすることもなく一日を寝正月にするつもりだったのだが、その時目を覚ましたのは隣がやけに騒がしいからであった。
『その代わりちゃんと書いておけよ! 一人一日五千円! 一円たりとも負けねえからな!』
(……今の声、風太郎か……?)
その後もワイワイとした声が定期的に聞こえてくるのをBGMにしながらのそのそと布団から出る。
少しくらい顔を見せるかと目ざめの支度をしばらくしていると、その途中に扉がノックされた。
『コナンくーん。私たち初詣から帰ってきたから、一緒におせち食べましょー』
二乃の声だった。
元々五つ子達にはおせちをごちそうしてもらう話になっていた。余り物でいいくらいに考えていたから、いつ食べさせてもらうかは決めてなかったが、呼びに来てくれるのはありがたかった。
「おーう、ちょうど今起きたところだ。今行くぜー」
そう言って出かけの服にも着替え終わったコナンはその足で外へと出た。
外廊下では二乃が待ってくれており、後を付いて行くようにして隣の部屋へと上がり込んだ。
「お、私以上の寝坊助君がようやく来たねー」
「おはようコナン」
「あけましておめでとうございまーす!」
「今年も一年、よろしくお願いしますね。江戸川君」
「お前、正月だからってもう少し規則正しい生活を送れよ」
「コナンさん! お久しぶりです! 今年もよろしくお願いします!」
いつもの五つ子コールに加えて、コナンの予想通り来ていた風太郎とらいはまで加わって一斉にコナンへと話しかけてくる。
コナンは軽く片手をあげた。
「おっす。あけましておめでとう」
もともと五人でもきつい炬燵に風太郎まで入っているせいで空きスペースなど無かったのだが、コナンが近くまで来ると一花が場所を空けてくれた。
「おせち食べに来たんでしょ。なら炬燵の前にいないと辛いよね。ちょっと準備してくるから待ってて」
コナンと入れ替わって炬燵から出た一花が立ち上がるとキッチンの方へと歩いて行く。すでに二乃が準備を進めてくれていたようだが、合流してくる一花に対して「珍しいじゃない。あんたが家でこういうのに協力してくれるなんて」などと嫌味を言っていた。
対して一花も「お、お姉さんだからね。こういう世話だってたまには焼きたいんだよ」などと返していた。
コナンは机の上を見ると、そこには福笑いが広げられていた。
正月らしい遊びだな、と考えていると、机の上に広げられた福笑いのパーツをみて市販のものではないことに気が付いた。
「お、ちょうどいいコナン。お前これやってみろよ」
けしかけてきたのは風太郎だ。
「これ五つ子バージョンか? 写真からパーツ作ったみたいだが、よく自分の顔が映った写真にハサミいれられんな」
「結構難しいんですよー。さっきまで私とお兄ちゃんがやってたけど、結局できなかったし」
試しに目元のパーツを二つ手に取ってみるが、なるほど全くわからない。人間の構造上の観点から右目か左目か、ぐらいは識別できるが個人の特定の方が難しいあたり流石五つ子といったところだ。
福笑いの土台の方を見ると、すでに一組が完成している。髪型的に一花を作ろうとしていたらしい。
隣にいたらいはに訊いた。
「これは完成じゃないのか?」
「五月さんに見てもらったら違うって言われました。でもどこの部分が違うかまで教えてくれないんですよ」
「それを言ってしまったら、違ってる部分だけ総当たりしてすぐに正解されてしまいますからね」
五月が補足をいれてくれた。
試しにコナンもやってみようかと思った瞬間、風太郎が土台を取り上げると組み立て途中だったパーツを机の上にぶちまけた。
「何すんだよ!?」
「途中からなんてやったら生ぬるいだろう。お前は五つ子ではないが、あいつらと一緒に住んでたんだ。一から作って正解してみろ」
そういう風太郎は意地の悪い顔をしていた。最近、風太郎には何かと問題を出すようにして考えさせる機会を多くしていたから、もしかして恨まれているのだろうか。
とりあえず取り掛かり三玖を作ろうと始めて見ると、風太郎も口出しはしてこないが先ほどまでの悪い笑みは消えて一緒に考えているようだった。
(こいつ、純粋に楽しんでやがるな)
そこでようやくコナンも福笑いに真剣に考えを向けてみる。
キーパーツである髪型とアクセサリーは当たり前だがすぐに出来た。問題はこの後で目・鼻・口、そしてご丁寧に目とはセットじゃなく眉がパーツとして用意されている。
(わかるわけねえだろ!?)
内心ですでにギブアップをしているが、一応取り掛かる。目は性格を表現する部分としてよく人間観察にも使用されるから何となくこれだろうというものを見つけられた。口元もパーツごとに微妙に開き具合などが異なっており、そこから撮影時の背景などを推測してこれもそれっぽいものが分かった。
後は鼻と眉だが……正直もうまったく分からなかった。推理する材料もなく完全にお手上げだったため、堪で適当に選んだ。
「出来たぞ」
「はいはーい! 私がチェックしまーす!」
そう言ってコナンの前に割り込んできたのは四葉だ。
「ふむふむ、なるほど……おお! これは!」
「お、正解か!?」
「残念ながら外れだねー。結構惜しかったんだけどね」
(……だよな)
惜しいと言ってもらえたからにはおそらく推理で選んだ部分は当たっていたのだろう。
四葉が「コンテニューしますか?」などとゲーム脳っぽいことを聞いてきたが丁重に断った。
「というか、福笑いってこういう遊びじゃねえだろ。パーツは一種類しかなくて、目隠しでどこに置くか決める空間把握能力を養うゲームでだな」
「コナン、そういう難しい話はしない」
「そうですよ。せっかくのお正月なんですから、こういうのも有ってことで」
三玖と五月に不満を諫められ、コナンはそれ以上は言わなかった。
代わりに一つ気になったことがある。
「そういえば、お前らはこれちゃんとクリアできるんだよな?」
「もちろんです!」
コナンの質問に五月が胸を張って答えた。が、少し間をおいた後。
「三回に一回くらいは」
「出来てねえじゃねえか!?」
ごまかすように言った五月に間髪入れず叫んだ。
考えて見ればこんな手間のかかる遊びをわざわざ風太郎とコナン、事前に来ると読んでいたとしてらいはを勘定に入れたとしても三人のためだけに作ったとは考えにくい。
普通に考えて自分たちが遊ぶように作ったのだろうが、それなら最初から全部答えが分かっている遊びなんてつまらないにもほどがあるだろう。
目と眉が分かれている異様に難しいパーツ構成も、姉妹達ですら混乱するようにという思惑があるのなら納得できる。
(ていうか、こいつらで判らねえなら俺と風太郎が分かるわけねえだろう!?)
本日二回目の文句を内心で吐きながら、更にもう一つのことに気づく。
「まて、お前らも失敗するなら答えは誰が知ってるんだ?」
そう訊くと四葉が非常に気まずそうな顔をして、頬を掻きながら言った。
「姉妹がやる時は出来上がったのを見て多数決で……」
「お前の今の採点は?」
「……勘ですっ!」
「お前もかよ!」
舌をペロリと出して誤魔化そうとした四葉にコナンは二度目の叫びを入れた。
その後、一花がおせち持ってきたので机の上は片づけられコナンは食事を始めたのだが、そこでも三玖が作ったバージョンと二乃が作ったバージョンを選ぶという二択のデスゲームが始まったのだった。
翌日、風太郎が再び五つ子の家を訪れていた。
今日は家庭教師として来ているらしく、しばらくは正月気分が抜けない(といっても実際まだ三が日の最中なのだが)姉妹達は寝ぼけていたが、コナンが合流したころには通常運転に戻っていた。
前の家であればテレビ前のリビングテーブルに陣取る姉妹達を、少し後ろのダイニングテーブルから眺めていたが、今の部屋ではそんな余分なテーブルなどないため、部屋の隅でぼんやりと眺めていた。
(ていうか、別に俺がここにいる理由ってないんだよな。なんでこいつらの勉強の時間に付き合ってんだ? 俺)
元を辿るとまだ風太郎と上手く打ち解けられていないころ、向こうから自分の家に来てくれるなら好都合と、どちらかと言えば風太郎を目当てに勉強会に参会していたわけだが、その必要ももうないのだ。
次ぐらいからは参加しなくてもいいかとも思ったが、そこまで考えてむしろ好都合なんじゃないかと思った。
と、いうのも
「ふん、赤点なんて低いハードルにこれほど苦しめられるとは思わなかった。しかし三学期末こそ正真正銘のラストチャンス。早速始めよう!」
今風太郎が姉妹達へ言った通り、時期としてはもう高校二年も三学期に入っている。
この期末試験が終われば自分たちは高校三年生だ。
裏でこっそり勉強に遅れが出ないようにと自習をしていたのも小学生コナンをしていた時代、つまり高校二年の話だ。
そろそろコナンが事前にやっていた自習の貯金も底が見え始めているのだった。
(高校三年になったら、またちゃんと勉強しねえといけねえんだよな……)
予習をまったくしていないわけではないのだが、それでも未来に備えての予習と、目の前で遅れが出ないようにと必死でやる自習では気合の入り方も違う。
高校三年の勉強範囲を網羅できているわけなど到底なく、この勉強会に自分も参加するのも有なのではとすら考え始めていた。
(……いや、普通に授業受けりゃいいだけか)
そこまで考えて、なんだか自分がこの集まりに参加する理由を探しているような気がしてすぐに却下した。
勉強会がしばらく進んだころ、一花が眠りこけ始めていることに風太郎が気が付いた。
「おい、一花起きろ」
「あ……いやーごめん……寝て……ない、よぉ……」
「この野郎……何がギャフンと言わせる打……」
若干キレ気味の表情を浮かべて一花をたたき起こそうとした風太郎を、隣に座っていた二乃が制した。
「少しは寝せてあげなさい」
「は?」
「一花さっきはあんな風に言ってたけど、本当は前より仕事を増やしてるみたいなの」
話を聞くとこの家の生活費は現在、一花の収入によって全て賄われているらしい。
確かに前の家では食費などの生活費は全てマルオのクレジットカードから賄われていた。とはいえ、明細はマルオもチェックしているので余計なことに使用すれば即座に使用者へ連絡と、次月のお小遣いから差し引かれたのだが。
コナンもその恩恵にあやかっており、芳醇な食材と器量のよい二乃の調理によって前の家ではかなり贅沢な食事を取らせてもらっていた。
対して今の自分と言えば、食料調達から調理まで全て自力……最近では総菜や出来合いの弁当で済ます日も増えていた。
(いつだったか蘭に不健康な食事してるんじゃないかって疑われたけど……見事に言い当てられちまったな)
確かあの時、頼めば作り置きした料理をタッパーで送るなんて提案も貰っていた気がするし、頼んでもよいかもしれない。
話を一花へと戻すと、事情はわかったもののそれで勉強に身が入らないのでは本末転倒だと、やはり一花を起こそうとする風太郎に対して、五月が手をあげた。
「あの、私たちも働きませんか?」
「え?」
「も、もちろん勉強の邪魔にならないように。少しでも……一花の負担を減らせたらと思いまして……」
そう申し出た五月に対して、風太郎の五月に送る視線にこもった温度が急低下していった。
「今まで働いた経験は?」
「あ、ありません……」
「勉強と両立できるのか? 赤点回避で必死なお前らが」
「うっ……」
(まあ、この点に関しては風太郎の言うことが最もだな)
風太郎からの質問攻め答えられない五月だったが、一応どういう仕事をするのかも案があったらしく、五月を皮切りに姉妹達が次々と自分の仕事の案を出していく。
家庭教師、スーパーの店員、メイド喫茶、女王様……後半の二つはなんだそれ。というか二乃だけ自分からの発案じゃないし。
「二乃はやっぱりお料理関係だよね」
「ふん、やるとしたらね」
四葉がフォローをすると、外れていないようで二乃は頬杖を付いてやや気恥ずかし気にしながら肯定した。
「だって二乃は自分のお店を出すのが夢だもん」
「へぇ、初めて聞いたな」
「こ、子供のころの戯言よ。本気にしないで」
「私、おいしいケーキ屋さんを知ってますよ」
(!?)
五月からの提案に何を想像したのか二乃が部屋の隅で蹲り始めた。
それと同時に、風太郎がこちらへと目を向けてきた。
「そういえば、お前もこの前俺んところの店でバイトし始めたよな」
「え!?」
「江戸川君が!?」
風太郎の言葉に反応したのは四葉と五月だった。初耳という顔をしている。
突如振られた話にややギクシャクしながらコナンは説明した。
「俺もほほら、隣に住むようになったろ。けいさ……親から仕送りは貰ってるけど少しは自力でもなんとかしろって言われててよ。たまたま募集してたところに応募したら風太郎がいたんだよ」
「フータローの働いてるところもケーキ屋だよね」
「ああ、それで二乃はさっき吐く真似なんかしてたんですか」
「こいつとおんなじところなんてゴメンよ! ……でもコナン君と一緒に働けるなら……いやでもそこには上杉もいるし……」
「どういう感情なのかなそれ」
五つ子達にも告げずに始めたバイトだったが、思わぬ情報に二乃がやたら混乱しており、四葉がツッコんでいた。
その後も五つ子達からコナンのバイト先(風太郎野でもある)が始まりそうになるも、コナンは迫る姉妹達を抑えるよう手を前にした。
「俺の話は別にいいだろ! それよりお前らが働けるかどうかだろ!?」
すると風太郎が少し思い出すような素振りをしてから言った。端的に言えば、風太郎は様々なバイトを経験しているからこそ、いずれも容易くこなせるようなものではないという話であった。
それと同時に、一花以外の姉妹達が無理に始めるよりも、学力を向上させて胸を張って前の家に戻れるようにした方が本来の目的にも沿った最良の解決策だと風太郎は力説した。
その後、話の方向は風太郎の意見に賛成する空気になりつつあるところで、完全に寝入ってしまった一花が服を脱ぎ始めるトラブルも起こり、その場はお開きとなった。
別の日、正月シーズンも終わりを迎えたころ、風太郎とコナンはバイト先のケーキ屋へ出勤していた。
厨房では風太郎が自作のパイを店長へ披露して給料の値上げ交渉をしていた。
(確かに見た目はいいが……)
遠巻きに見る限り風太郎の作ったものは中々きれいに出来ていた。しかし、
「食べてごらん」
店長に差し出された、自分が作ったパイを口に運んだ瞬間風太郎はシンクへ駆けこんでいた。
「おえぇ……なんか生っぽい……これは三玖のこと馬鹿にできねぇな……」
(三玖以下ってお前の料理どんだけだよ……)
そう心の中で思いつつ、コナンも人のことは言えないので口には出さない。
「厨房に入れるのはまだまだ先だね……自分の片づけといて」
そう言って厨房から立ち去ろうとした店長が「あ、そうそう」と言いながら足を止めた。
そのまま後ろを見ずに風太郎に向かって
「上杉君、それと江戸川君ももう帰っていいから。お疲れ」
「は? 俺もですか?」
「え、なぜ……」
今日は二人とも一日シフトの予定だったのが急な変更に、思わずコナンも首を傾げた。
店長はそこでようやく後ろを振り返ると、親指を立てながら言った。
「今日は午後から休みだから。映画の撮影に店を貸すことになってるからね」
(そういうことは早く言えよ)
「早く言ってくださいよ」
コナンが思ったことと同じことを風太郎が店長に言っていた。
店長からはどんな役者が来るのかという話もあったが、どの名前も聞いたことがあるくらいで気になる人ではなった。基本的に若手の女優ばかりだった。
風太郎に至ってはまったく知りもしないようで、見学可とも言われたが帰ると即答していた。
自分も興味がないし、帰った方がいいだろうとコナンも思った。
すると、タイミングよく店の扉が開きたった今話に出ていた撮影のスタッフが入ってきた。
「失礼します。今日はよろしくお願いします」
男性スタッフの後には続々と先ほど店長が言っていた女優たちが入ってくる。やはりどれも一応テレビで見たことある顔だったが、それほど売れっ子という役者でもなかった。
そんな一行の最後だった。
「よろしくお願いしまーすぅ……」
挨拶をしながら入ってきた、元々短い髪を無理やりツインテールにし、この真冬の時期にばかみたいに短いスカート丈にしたセーラー服を着た女優は知っている顔だった。
一花だ。
気づくと同時、目が合った。
向こうも風太郎とコナンに気が付いたようで、その直後驚きの表情を浮かべた。
間髪入れず風太郎が、赤面して俯く一花に顔を近づけながら……もとい圧をかけながら言った。
「店長、やっぱ見学していきます。よく知ってる女優がいましたわ」
撮影風景を遠巻きに見学している間、店長と風太郎が冬休みの繁忙期シーズンによく店を貸したものだと、その経緯を話していた
どうやら向かいに出来たパン屋が原因らしい。
「確かにこの前行ってみましたけど、向こうは女性が店長ということもあって菓子パンに結構力入れてましたね。そりゃうちとは客の取り合いになるわけですわ」
「何!? 君もあのクソパン屋に行ったのか!? この裏切者め!」
「敵情視察ですよ」
実際には興味本位で立ち寄っただけだが、呪殺できるんじゃないかと思うほど念のこもった店長の睨みつける視線に対して思わず嘘が出た。
というかこの店長は元々目つきが悪い。目の下はクマが出来てるし、なんかの病気なのではと初めて会った時は不安になったのを思い出した。
「それではシーン37の4」
話しているうちに撮影が始まるようだった。
「アクション!」
「ここのケーキ屋さん、一度来てみたかったのです~」
シーンの最初の台詞を飾ったのは一花だった。
「誰だあいつ」
思わず出た言葉だった。
そしてそれは風太郎達や店長も同意見だったようで、口々に「何の映画だ……」「ホラーって聞いてたけど……」とぼやいていた。
しばらく撮影の様子を眺めていると、どうやら現代風にアレンジされたチェーンメール系の話であった。
いや、もっと源流をたどると井戸から和装の女が出てくるビデオテープが題材のあれだろう。
「う~ん、タマコには難しくてよくわからないのです~」
今も演技を続けている一花の様子はまさに別人のようであった。
先日、自分の変装をしてきた時も妙にキザったらしい言い方はともかく、繰り出される雰囲気はまさしく自分自身を見ているようであった。
コナンの母親の有希子から変装のための演技指導も軽く受けたとは聞いていたが、あの自然にふるまえる様を見れば、元から才能があったのだろうと感じさせられる。
が、それを差し引いてもだった。
「配役間違えてるだろ……」
(だよな……)
風太郎の呟きには同意だった。
一花に割り当てられてる役はどうみても可愛さを前面に押し出したキャラクターなのはすぐに分かった。一花の元々の外見からしてアンバランスさが際立っていた。
一花の適役はもっと大人びた、ガールというよりはレディというキャラだろう。
途中、撮影の様子をコナン達とは別の離れた場所で見ていた社長の織田が会いに来たりもしつつ、しばらく撮影が続いていると一花が突然撮影の中断を申し出てきた。
要望通りいったん休憩になると、一花がこちらへと歩いてくる。
「フータロー君ちょっとこっち来て」
「なんだよ」
「いいから」
(なんだ……?)
「コナン君も!」
「俺もか!?」
二人の手を引いてホールの裏まで来るなり、二人を壁に押し付けてきた。
「なんだよ、タマコちゃん」
(おいバカ挑発するな)
「二人とも……恥ずかしいから見ないでくれるかな?」
そういう一花の顔はかなり赤かった。これは分かる、単なる羞恥心によるものだ。
「恥ずかしがるような役やんなよ」
「みんなには誤魔化してるけど、貯金が心もとなくてね……いやー、食費やら光熱費やら思ったよりかかるんだもん」
「そりゃ五人分ともなれば結構な額になるだろうよ」
そう相槌を打つコナンだが、内心では食費に関しては特に足を引っ張ってるであろう奴が一人いるだろう、という考えまでは口には出さない。
「だからどんな小さな仕事でも引き受けるって決めたんだ。あの子達のために私が頑張んなきゃ」
おそらく一花としては先日の家庭教師の時間中の居眠りなんかも気にして、風太郎が女優業に反対していると思っていたのだろう。
だから自分の覚悟を伝えることで、何を言われたところで意見を変えるつもりはないと示すつもりだったのだろうが、対する風太郎からは意外にも肯定的な反応が帰って来ていた。
「その努力を否定するつもりはない。それに家庭教師を続けるチャンスを作ってくれたお前には感謝してる」
だが、と風太郎は続ける。
「お前ならもっと器用に出来るだろ。この仕事、まだ高速の割に実入りは少ないんじゃないか? 今だけは女優にこだわらなくても……」
そういう風太郎の言葉にはコナンも全く同意見であった。要領のいい一花ならば、歩合制の別の仕事も女優のようにこなせるだろうし、時給制の仕事でも多少難易度の高いものだってこなせるだろう。
一花がチラリとこちらを見てきて風太郎の言葉を遮るつもりがないのだと確認すると、おもむろに自分のスマホを取り出した。
そしてコナンの眼前へと突き出してくる。
画面に映っているのはボイスレコーダーに録音されたファイルで、タイトルは『灰原さんから聞いたAPTX4869について』と書かれていた。
「フータロー君を説得してよコナン君。でないとこれをみんなにバラまくよ」
「おま、それを脅迫材料にするのは卑怯だろう!?」
「なんとでも言って! 私にだって自分のやりたいことがあるんだもん!」
「だもんじゃねえよ!?」
「おい、なんの話だ?」
一花が上手い具合に角度を操作してくれたらしいから風太郎にはタイトルの文字が見えていないようだが、これが見られるのはまずい。
仕方ないから正月中は休めていた脳をフル回転させて言い訳を考える。
「ま、まあ無理にやめさせる必要なんてねえだろ。今無理やり転職させて失敗でもしたら、その時点であいつらの収入源はなくなって五人揃って元の家に強制送還だ。俺やお前だって援助出来るわけじゃないし、こぎ出した船なんだからもう進むしかねえんじゃねえのか?」
「……どうかんがえても一花に言わされてるのはわかるが……まあ、コナンの言うことも一理あるな」
「だろ?」
というわけで、なんとか風太郎も黙らせることに成功したことを確認すると一花は撮影に戻っていった。
撮影再開後、途中で風太郎が作った失敗作を食べさせてしまうなどのトラブルもあったが、コナン達が見守る中で一花は自分の役をやり切っていた。
一通りの出番が終わったのか、撮影現場から一花の姿も消えたころ、コナンと風太郎もシフトを上がることにした。
着替えを終えて、店の外へ退勤しようとした時、出入り口前、テイクアウト用のショーケースの横に設けられているフリースペースのベンチに一花は座っていた。
近くによっても気が付かず、風太郎が傍に立つと問題集を解いているようだった。
「問五、間違えてるぞ」
ホールを横切る途中で拾っていた一花の台本を頭に乗せながら風太郎が言った。
話を聞いていると、どうやら一花の出番は思った以上に短いらしく本当に全ての出番を取り終えているらしかった。
「あはは。私は序盤で呪い殺されるから出番が短いんだ」
「お前はよく死ぬな」
そういう風太郎が「よく」、と言ってるのは先日四葉とのデートで見た一花が出演しているゾンビ映画のことを思い出しているのだろう。
勤労感謝の日、出先から帰ってきた四葉に話を聞いた後で三玖と見に行ったことがあった。二乃と五月も誘おうとしたのだが、どうやら二人とも先に見ていたようで誘った時には「あんな詰まんない映画一度見たら十分だわ」と、自分の姉が出ている作品だというのにもかかわらず二乃からは一蹴されてしまった。
その映画でも序盤で一花は死んでいた気がする。
その後、話は風太郎が作ったパイの味の話になったが、そこでも一花からは「三玖の料理のようだ」という評価を風太郎は貰っていた。だから三玖並みの料理ってなんだ。
「しかし助かった。大した嘘だ。驚かされたぜ」
そう風太郎が評価しているのは、風太郎のパイを食べたにも関わらず顔色一つ変えずに「美味い」と言い切った一花の演技のことだ。
「もう! 演技って言って!」
そう言ってプンスカという擬音が似合いそうな顔を浮かべる一花。
「だが、おどろされたのは本当だ。なんというか……そうだな……じょ、女優らしくなったんじゃないか」
「おめえ褒めるの下手だな」
「うるせぇ!」
どもりつつ顔を赤くしながら言う風太郎にコナンが言った。
いつぞやか家庭教師をうまくやるために褒めて伸ばす作戦を慣行しようとした時もそうだが、どうやら風太郎は人を褒めるのが苦手らしい。
そんな普段聞きなれない誉め言葉に一花も先ほどのような羞恥心の色が強い赤面をしながら「なんだよー、急にどうした?」と風太郎の脇腹を小突いていた。
端から見ているとつくづく風太郎と一花は互いにスキを見せるとからかうのが好きだなと眺めていると、そこで一花がこちらを見ているのに気が付いた。
「ねえ、コナン君はどうだった?」
「どうだったって?」
「決まってるじゃん。私の演技」
「あ、ああ。良かったと思うぜ」
なあ? と風太郎に同意を求めると、散々小突かれた後だからかちょっと警戒しながらも風太郎がまたぎこちなく「ああ」と同意した。
一花が一層顔の距離を縮めてくる。
「君のお母さんとどっちが上手だった?」
「うん? コナンの母親?」
事情を知らない風太郎は疑問符を頭に浮かべているが、お構いなしに一花は聞いてくる。
説明しなければせいぜい役者関係の人だと思われる程度だって計算づくて聞いてきてるのだろう。
だから直接的な名前は避けつつ、コナンも素直に答えた。
「俺は演技なんて下手かどうかぐらいしか見分けはつかねえよ。レベルの高い世界になると違いなんてわかんねえさ。ま、それでもあえて言うなら、おんなじくらい良かったんじゃねえの?」
ややぶっきらぼうにそうコナンが言った後、しばらく一花からの反応がなかった。
(?)
面と向かって人を褒めるのはどうやらコナンも得意じゃないらしく、風太郎のことを言えないな、などと考えていたのだが、一花へと視線を戻すと俯いていた。
「お、おい。急に黙ってどうし」
「あはは! ごめんねやっぱり何でもないや!」
「!?」
「ちょっと現場に忘れ物思い出したから行ってくるね! あ、待ってなくて大丈夫だから!」
急に顔を上げたかと思うと早口でそう言って去っていった一花に、取り残された風太郎とコナンの二人だけがその場に取り残された。
「なんだったんだ、あいつ」
撮影現場へ戻る途中、一花は口元を抑えるのに必死だった。
ニヤケ顔が止まらない。
工藤有希子と同じぐらい上手かった。その言葉の裏には判断が付かないからという意味があるのも十分理解しているが、それでも一花にとっては十分だった。
(やばっ……現場に入る前に戻して行いと……!!)
シフト上がり、風太郎と一緒に歩いていたコナンのスマホに二乃から連絡があった。
『買い出しに行くから荷物係おねがい』
(なんで俺に言ってくんだよ)
内心でぼやいたコナンであったが、何の連絡か気にしている風太郎を見ていいことを思いついたのだった。
食材を一品プレゼントすることを条件に風太郎を連行して二乃と、自分達と同じく荷物係として呼ばれたと思われる四葉の二人に合流した。
計四人で最寄りのスーパーに訪れた一行の手には、二乃はカートを、四葉とコナンは十キロの米袋を、風太郎はチラシを持っていた。
コナンが風太郎と見た。
「なんだよ、その目は」
「……フッ」
「言いたいことがあるならはっきり言え!?」
普通四葉と持つもの逆だろうと思ったが、鼻で笑うだけにしてやった。
その後も五人分ともなるとかなりの食材が必要のようで、しかも今日は特売日らしいからどんどんとカゴの中に物が放り込まれていった。
そうしながら一行が魚売り場へと通りがかったころだった。
「本当はお魚も買い置きしておきたいけど、肉以上に足が早いから買っても腐らせちゃうのよねぇ」
そうぼやいたのは二乃だった。それに風太郎が反応する。
「俺んちだったら冷凍して一週間はもたせるな」
「あんたんちと一緒にしないで! そんなことしたら鮮度なんて合ってないようなものじゃない! 娘ちゃんがおいしくして料理してくれることに感謝することね!」
「無論だ。俺はらいはには常に感謝しているぞ」
「はいはい」
言いながら二乃が魚のパックを食べきれる分だけ手に取るとカゴへ入れた。
四葉もそれを見て、「そういえば!」と声を上げた。
「お魚を食べると頭が良くなるってよく言いますよね! あれって何でなんでしょう?」
「ああ、それはだな」
「DHA、ドコサヘキサエン酸のおかげだよ」
風太郎と被るようにして答えてしまったのはコナンだった。前フリを言っている間に単刀直入で答えだけ言ってしまったコナンは、風太郎にきまずさを感じつつ話を進めた。
「DHAっていうのは脂肪酸の一種なんだけど、牛や豚にはほとんど含まれていない栄養なんだ。そのDHAが脳の記憶や学習といった脳の機能に重要な役割を担ってるって言われてるんだよ。まあ、このくらいは二乃だって知ってるだろうけどな」
そう言って視線を二乃へ向けると、まあね、という顔をした。
この場で唯一回答を知らなかった四葉だけが「へーそうなんだー!」と感心している。
だが確かに、ここ最近コナンも一人暮らしを始めてから魚を食べる機会がぐっと減っているのは感じていた。足の早い魚は総菜や弁当では中々取り扱われないからであった。
以前であれば栄養バランスを考えて献立を決めてくれていた二乃のおかげで定期的に食べていたのだが、その機会も今となってはもうない。
「俺も風太郎とこみたく、冷凍でいいから買い置きしておくかな……まず上手く料理出来るか自体怪しいけどよ。二乃の料理が恋しいぜ」
それは思わず出た言葉であった。
一瞬、こんなことを言ったらまた浮気だなんだと茶化されるかと思い慌てて名前を出してしまった二乃の方を見ると、こちらに固まっていた。なんだその顔。
「な、なら今度作ってあげるわよ……! 五人分も六人分も対して変わらないし……!」
止まっていた時がうごきだしたかのように早口でまくし立てる二乃。
それに便乗するように四葉が言った。
「そうだよ! せっかくお隣になったのに一緒にご飯食べたのまだお正月だけだよ! コナンさんも食べにおいでよ!」
「いや、この前一花が生活費のために頑張ってくれてるって聞いたばっかりだからちょっと気が引けるな……お邪魔する時は余分にかかった分の食費はちゃんと出すぜ」
「そんなこと全然気にしないでいいのに!」
そうして次第にいつ夕飯会をやるかなどの話へと移り変わっていく中、その輪の中に含まれてないチラシだけ持った男がぼそりと呟いた。
「俺、本当に今日必要だったか?」
食材が一通りそろった頃だった。
「さっ、会計しちゃいましょ」
二乃がそう言ってカートをレジへと運ぼうとした時だった。
「えっと、二乃ちょっと……持ってて!」
四葉がそう言うと、立ち止まって振り返った二乃におもむろに自分が持っていた米袋を押し付けた。
「ごめんおトイレ!」
そう言って四葉はどこかへと走り去っていく。
「あ、また我慢してたでしょ!? っと、重……っ!?」
「あぶねぇ!?」
全く構えていなかった二乃は米袋をキャッチ出来はしたものの、重さに耐えきれず前のめりに転びそうになる。
瞬間、二乃が転ぶ先に手を回したのは風太郎であった。
「だから言ったろ! しっかり掴んでろよ!」
「!!」
コナンも手を伸ばそうとしたが、流石に十キロの米袋をすでに持っている最中では反応が遅れた。
風太郎のおかげでなんとか助かったのを見て、一つ安堵の息を吐いた。
落ち着いた後、さっきの一瞬の出来事を思い出す。風太郎が二乃を支えた瞬間、妙な目で二乃は風太郎を見ていたような気がしたが……
風太郎と二乃の二人は何とか体勢を整えると、カートの空きスペースに無理やり乗せた。カートは上下両方ともカゴを乗っけているため、カゴの更に上に乗せる不安定な形だったが、コナンも流石に持ってやることはできなかった。
結局その後、会計まで四葉は戻ってこず、三人は四葉がまさか迷子になったのではと不安になったころだった。
風太郎が五月の姿を見つけた。
角から顔を覗かせるようにしてみると、カフェエリアの二人用席には五月とマルオが座っていた。
二乃もそれに気が付いたらしい。
「え? 向かいの席に座ってるの……パパだわ」
三人は五月達に気づかれないように声が聞こえる距離のバーカウンターを陣取る。
背中越しにマルオの声がちょうどした。
「君たちのしでかしたことには目をつぶろう。江戸川君との接触禁止だけを解いて、あの家には近寄らせないつもりだったが、まさか君たちの方から彼の家に近づくとは流石に想定外だったよ。すぐさま全員で帰りなさい。姉妹全員にも伝えておいてください」
「……それは彼も含まれるのでしょうか?」
「それは江戸川君のことかい? それとも上杉君のことかい? どちらにせよ、これは僕達家族の問題だ」
その後もマルオの説得は続いた。特に五月が答えあぐねていたのは、コナンも気になっていた部分だ。
光熱費や食費と言った生活費、一応固定費の中では家賃もどうにか一花が賄っているが、そもそも学費や通信費といった他の固定費もある。それらはおそらく、今もマルオが支払い続けているのだろう。
その状況で自立した一人の人間だと主張するのは、あまりにも虫が良い話だ。
「ではこうしよう。江戸川君の件はさておき、上杉君の立ち入り禁止を解除し、家庭教師を続けてもらう」
その話には風太郎も驚きの表情を浮かべた。コナンは風太郎が家庭教師を一度はやめようとした時、どういうやり取りがマルオとあったかは知らないが、それでもこの顔を見る限りかなり以外だったのだろう。
しかし、マルオの提案はそれだけではなかった。風太郎の他にももう一人家庭教師をあてがう。風太郎はそのもう一人の方の補佐にするということだった。
深読みするのであれば、プロの家庭教師を雇った脇で素人の風太郎が出来ることなどないという様を見せつけるつもりなのかもしれない。しかし、続けて話すマルオの話もやはり最もなもので、そもそも五人の生徒を一人の教師で全て回すというのは土台が無理な話なのだ。
プロであればなおさら難色を示すであろう条件に、風太郎という先任を補助として付けるという話は、マルオの中で「彼女」という呼び方をしているからには既に挙がっているのであろう候補の家庭教師からしても、非常に合理的な話だろう。
「しかし、皆この状況で頑張って……」
五月はなんとか、現状の変革ということに対する抵抗感を武器に反論をしようとするが、マルオはそれを一刀両断する。
四葉の成績についてだった。
既に風太郎は二学期の中間試験、期末試験という二度のチャンスで赤点回避という一般的には最低限のノルマですたこなすことは出来ず、チャンスを不意にしている。
がけっぷちの状態なのは風太郎だけではない。実際に成績が上がっていない四葉を筆頭にした姉妹達も同じなのだ。
だからこそ、今この場にいる人間でマルオに返せる言葉はなかった。
横では風太郎がとにかく何かを言おうと立ち上がろうとするが、二乃に静止されていた。
「ダメよ。あんたが行ったところで状況が悪くなるだけだわ」
それはコナンにも刺さる言葉だった。
その時であった。
「やれます。私たちと上杉さんならやれます」
五月達の元へ、どこから戻ってきていたのか四葉が隣に立っていた。
「四葉」
驚いているのは五月も同じようで、呟いた。
「七人で成し遂げたいんです。だから信じてください。もう同じ失敗は繰り返しません」
四葉の風太郎への想いを考えれば、このまま風太郎との距離を自然な形で遠ざけられるのは本意ではないだろう。
そう言い切る四葉には強い想いも感じた。けれど、そのまっすぐ過ぎる言葉にはコナンで合っても容易に反論が思いつく。発言を裏付ける根拠が何一つないのだ。
そしてコナンの考えを裏付けるようにしてマルオが言った。
「では失敗したら?」
そして続けて条件を出してくる。もし次の試験で落ちたら東京の高校へ転校させるというものだ。
この条件は現状を維持しようが、マルオの言う通り二人体制の家庭教師にしようが変えないというものだった。
「それでもやりたいようにやるのなら、後は自己責任だ。分かってくれるね?」
一通りの話を終えた後、最後の判断を委ねるように会話のボールを五月と四葉へと渡す。
しばらくの沈黙が流れる中で、コナンは現状を整理する。
正月明けの勉強会にも直接ではないものの参加していたコナンは、現状の姉妹達の学力と、風太郎が家庭教師をした場合の点数の伸びしろを知っている。
次の試験というのは、三学期の場合は期間が短いこともあり中間試験が無く、三月にある学年末試験が最も直近の試験ということになる。つまりまだ二か月強の期間があるということになる。
けれど、これは風太郎だけじゃない、顔を青くしている四葉ですら分かっていることだろうが、その期間をもってしても想定できる判定は「難しい」だった。
条件は現状維持でも二名体制を受け入れても変わらない、どちらにしても変わらないのであれば試験に落ちて東京へ転校することになり、完全に風太郎との関係が途絶えるよりは二名体制を受け入れた方が損切りという考え方でいうと最善策だろう。
それにこれは単純に五つ子と風太郎、という単純な問題でもない。東京の高校ともなれば遥か遠くへの引っ越しも必須だ。そうなれば一花の今いるプロダクションへの所属はどうなる。
社長がわざわざマネージャーも兼務しているところを見ると、おそらくあのプロダクションは零細企業の一つだろう。支店のようなものが関東にあるとも考えづらい。つまり引っ越しすれば今のプロダクションへの在籍も難しくなり、最悪、一花の夢を潰すことにもなりかねない。
そんな決断を、末妹である五月や四女の四葉にさせるのはいささか酷と言わざる得なかった。
五月の性格や、最も成績で足を引っ張っている四葉ならば、ここでリスクのある決断をする方がはるかに難しいだろう。単純な二択に見えて、実質一択しか選ぶ余地がないと思うと、もしもマルオがそこまで考えているのだとすれば娘を相手にあまりにも情というものが欠けた容赦のない交渉だとコナンは思った。
そこまで考えた時、五月も決めたらしい。
「……わかりました」
ぽつりとつぶやいた。
その言葉をマルオの提案、つまり二名体制を飲むという意味で受け取ったマルオが席を立とうとする。
「ではこちらで話を進めておこう。五月君ならわかってくれると思ってたよ」
他の姉妹にも合意を取ってくれ、ではなく五月の回答だけで姉妹の総意として話を進めようとするところにもマルオの狡猾さがうかがい知れる。
しかし、そんな頭の切れる人間の裏をかくのはいつだって計算だけで動くような人間ではなく、
「いいえ、もしだめなら転校という条件で構いません。素直で物分かりが良くて、賢い子じゃなくてすみません」
五月のような馬鹿(純粋な子)なのだろう。
今度はマルオが黙る番であった。しかしそれも一瞬の事、五月がそう決断したのなら、それを尊重するとでも捨て台詞を残すと、その場を去っていった。
マルオの姿が完全に見えなくなったころ、コナン達も五月と四葉に合流した。
「想像通りの手強そうな親父だったな」
その言い様から、風太郎がマルオを見るのは初めてのようであった。
(なんだ、てっきり家庭教師を辞める時に話したことがあると思ったが)
「そうね、あの人が言ってることは正しい。だってあんた一人じゃ不安に決まってるもん。あーあ、プロの家庭教師がいてくれたらな~」
そうわざとらしく言うのは二乃だ。対して風太郎は気まずそうにし、五月は勝手に決めたことに対して「すみません」と謝罪する。
コナンはといえばこういういかにも演技ったらしい物言いをする時には、大体後に続く言葉があるのを知っているので大人しく見ていたが、それにしても
(ほんと性格わりぃなこいつ……)
とは内心で思った。
コナンの予想通り、二乃は話しを続ける。
「私たちがここまで成長できたのもパパのおかげ。当然感謝してるわ……けど、あの人は正しさしかみてないんだわ」
その評価にはコナンも同意だ。しかし、
「まあ、あの人も正しさが全部ってわけじゃねえだろうがな」
「何よ、コナン君はパパの肩を持つつもり?」
コナンの横やりに、やや強い口調で二乃がかみついてくる。
「ちげえよ。俺はお前たちの学業については、風太郎ともマルオとも同じで向上してほしいって思いはあるけど、それ以外は部外者のつもりだよ。ただ今の話を聞いて、もしも二乃、お前があの父親が一ミリも自分たちのことを見ていないと思ってるなら、そこだけは違うって言っておくぜ」
「……どういうことよ」
「あの人は不器用なだけなんだよ。本当に正しさしか見てないんだったら、五月の提案なんて無視してプロの家庭教師を二人か、何だったらマンツーマンで教えられるような体勢を用意すればいいだけだろ。あの人にはそれだけの金だってあるんだ」
それでも、
「風太郎を中途半端に残そうとしたり、そんな譲歩をしてでも今の家から連れ戻したかったのは……俺の傍に娘を置くのが危険だと思ってるからなんだろ」
「それは、以前にも言いましたが江戸川君だって被害者じゃ」
「親から見たらそんなの関係ねんだよ、五月。自分の娘に危険を呼び込んだ疫病神。そんな風に思われてたって仕方ねえって話だ」
だからな二乃。そう言ってコナンは二乃の肩に手を置いた。
「今は言われたって納得できねえかもしれねえが、あの人はあの人なりに、お前たちの将来や、お前たちの気持ちも考えた上で父親としてどうやって振舞うべきか考えてんだよ。去り際に行ってた親の仕事、なんて言い方してたのがその証拠じゃねえか」
だからきっと、今回のことはマルオを言い負かしたのではない。ただ単純に、向こうが折れてくれただけだとコナンは考える。
「もう少し、あの父親のことを信じたっていいんじゃねえか?」
「何よ……話がまとまろうとしてたのに、結局あんたの言うことはパパは悪くないって話じゃない」
「その通りだよ。この話に最初から悪者なんていねえんだ。だからそんな目の仇にするんじゃなくて、もし赤点回避出来たらよ、あの人にだって笑顔で答案突き付けてやろうぜ」
そう言ってお手本でも見せるかのように、コナンは笑ってみせた。
対して風太郎達は、まるで目から鱗が落ちるような顔をしてこちらを凝視した後、二乃がそっぽを向いて言った。
「……考えておくわ。ありがと」
その後、風太郎も自分の目的は五つ子の進級、そして卒業以外眼中にないことを改めて姉妹達の前で決意表明すると、その場は解散となり一同は帰路へとついた。
帰り道の最中。二乃はずっとあることを考えていた。
自分の気持ちだった。今日の出来事でまた考えさせられている。
もしかしたら私は彼のことを好きかもしれない。
そういう自覚が定期的に胸の中で問いかけるように沸き立つと、そのたびに自分を不安にさせた。
(そんなわけがない。私があいつのことを好きになるなんて……)
帰り道の途中で分かれた風太郎は約束通り買ってもらったお肉のパックをはだかで持ったまま、家までしばらく歩いたらしい
探偵に休みはないけど今日は黒の組織の話はおやすみ