『それで、引っ越し先にはもう慣れたの?』
「まあな、今日やっと学校の見学も終わったところだ。なかなか綺麗だったぜ」
クラスへの転入を控えた前日の夜、コナンは中野家のベランダで蘭へ電話をしていた。
『そうなんだ。じゃあいよいよ明日から新一も別の学校の人かあ……何だか寂しいね……』
「悪いなぁ、蘭。ようやく会えるようになったってのに、俺の事情のせいでまた離れ離れになっちまって」
『ううん、大丈夫。だって今は会おうと思えば会いに行けるんだもん。今までに比べれば全然マシよ』
「そうだな」
コナンが黒の組織との決着をつけていることは蘭も知っていた。
小学生の江戸川コナンの正体が工藤新一であると明かされた後、当然だがそれまで一緒に暮らしてきた様々な出来事によって蘭は怒髪天を衝き、まだ新一と名乗っていたころのコナンは組織との最終決戦以上の命の危機を感じることとなった。
しかし、最終的には許してもらえることになり、とうとうコナンは蘭に対して一切の嘘をつくことはなくなった……はずだった。
『ねえ、今度遊びに行ってあげよっか? どうせ体に悪いもんばっかり食べてるんでしょ? 新一ったら一人の時はろくなもの食べてないんだから』
「い、いやぁそれには及ばねえよ! 姿を隠している身なんだ、体調を崩すわけにもいかないからな。ちゃんと飯は食ってるよ」
『そう?』
そう、コナンは引っ越しをするにあたって新たな嘘をついていた。引っ越し先では一人暮らしをしているということだ。
蘭のような新一の事情に詳しいものの一般人であることに変わりのない人物に対しては『警察によって厳重に警護されている指定の物件に住んでいる』というカバーストーリーが流布されていた。これは新一を狙う者たちへの情報漏洩の防止や、カモフラージュのためであった。
しかし、そのせいでコナンは潜伏先が中野家という民間人の家への居候であり、しかも一つ年の下の女の子と同居するという事実を伝えられないでいた。
(もしこっちから打ち明ける前にバレでもすれば、今度こそ命の危機だっていうのに、おまけ五人だぞ……どう説明すんだよこれ)
この前の窃盗事件で中野姉妹と知り合った後、姉妹達に連れられて引っ越し先のマンションにたどり着くと、話には聞いていたものの本当に五つ子全員が住んでいた。
部屋も姉妹達の寝室の隣を割り当てられ、やむなくそこであらかじめ郵送していた荷物の荷解きをした。
本心で言えば全て打ち明けてしまいたいと考えているが、まだ東京にいる頃に蘭と会った時、蘭は平然のように振舞っていたが遠距離となることに明らかに動揺していた。
ただでさえ遠距離恋愛で不安にさせているというのに、今真実を告げようものなら最悪の未来も想像できた。
(すまねえ、蘭)
だからコナンはいずれは真実を告げるにしても、タイミングと伝え方を見定めることとしたのだった。
『でも、困ったら何でも相談してね。ご飯だって本当に面倒だったら、たまには作って送ってあげたっていいわよ。その……彼女……なんだから』
「お、おう……ありがとよ……」
思わず返事を言い淀み、しばらく微妙な空気が流れた後、言い出した側の蘭が気を使ったのか明るい口調でいった。
『それにしても、新一が新しい学校ではまさか二年生として転入するって言われた時は笑っちゃったわよ』
「ああ、それな。オヤジのやつこんなこと言ってたんだぜ、『お前は貴重な青春時代を一年無駄にしたんだから、これを気に二年生からやり直すといい』ってな」
蘭に伝えた留年の理由もちろん冗談だ。蘭も知っている。
実際のところはせっかく潜伏先を用意したというのに、予定期間である一年半の間で進学でもして遠くの学校に通うようになっては意味がないということから、辻褄合わせとして潜伏期間と高校の在学期間を合わせることとなった。
だが、コナンは小学生時代の間も留年だけはしないよう休学手続きを優作にしてもらったり、課題や自習で遅れが出ないようにしていたといのに、その努力が全て水の泡になったのだった。
『来年、新一が三年生になったら勉強教えてあげようか?』
「バーロー、今更おめえに教わることなんかねぇよ」
『何よその言い草!』
(やべ、怒らせた!)
『だって来年私は大学生よ!? そうでもしないと……そうでもしないと、会えないじゃない』
話しながら、蘭の言葉はどんどんと勢いをなくし、最後は震えてすらいた。
高校最後の一年。おそらく蘭と同じ学校に通える最後の一年が失われたのは、コナンとしても憤りを感じざるを得なかった。
「休みの時で許可が貰えた時には帰るからよ。そしたら……そこで思い出作りにでも行こうぜ」
『……本当よね……?』
「ああ、約束する」
電話の向こうでは鼻をすする音まで聞こえ始めていたが、コナンが言ったのを最後に聞こえなくなった。
「じゃあ蘭、そろそろ冷えてきたから部屋に戻る。また連絡する」
『うん、わかった。風邪ひかないようにね』
「お前もな。じゃあな」
コナンはスマホを耳から話して通話終了ボタンを押した。
通話が切れた後の画面を見たまま、先ほどまでの会話を脳裏で反芻する。
(小学生のコナンだった時は邪魔が入って慌てて電話を切ってばっかだったが、こうやってちゃんと切れる日が来るなんてな)
何もしてなくても自然と笑みが浮かぶような幸せな気持ちでいると、後ろの窓扉が開く音がした。
「コナン君、電話終わった? そろそろ二乃のご飯ができるけど」
「一花か。わかった、今入るよ」
「おや? なになにその笑顔、もしかして彼女とのお電話でした?」
部屋の方へと振り返った時まだ笑みが消え切っていなかったらしく、それを見た一花までニヤニヤと笑みを浮かべ始めた。
「うっせぇ! そんなんじゃ……あるけど……おめえが考えてるようなことは話してねえよ」
「わ、本当に彼女だったんだ! 君もなかなか隅におけませんなぁ」
「いいから! さっさと戻るぞ!」
コナンは一花の脇をすり抜けて部屋の中へ入った。
中では四葉が配膳をしていた。
キッチンでは二乃がシンクに立っており、先に洗っておいた方がいい調理器具の後始末をしていた。
「あ、コナンさん戻ってきたね! ちょうど今、ごはんの準備ができたところだよ!」
「ああ、一花にも聞いた。三玖と五月を呼んでくればいいか?」
「お願いします!」
そう言って四葉はわざとらしく敬礼のポーズをした。
コナンは二階に上がる階段を上り始め、二人の部屋へと向かった。
(あんなことを蘭と話してすぐ後にこの状況……望んでなったわけじゃないにしても罪悪感がわくぜ……)
一階に揃った一同はリビングのダイニングテーブルを囲んでいた。
「それじゃ、いただきまーす」
一花の号令と共に、各々いただきます、というと夕飯を食べ始めた。
コナンがこの家で夕飯を食べるようになってから数日が経つが、今日の料理はバランスが取れている日ごろから食事と比べても豪華であった。
明日の転入に向けて活をいれるつもりだろう。
「そういえば、みんな今日の学校見学はどうだったのかしら」
二乃が食事を摂りながら話す。
それぞれ敷地内の一通りの場所を回ったうえで、気になった場所などを言い合っていたが、その中で一人だけしかめっ面をした奴がいた。
五月だ。
「五月、どうしたの?」
気が付いた三玖が話を振る。
「学校自体は良くも悪くも普通という印象でした。良かったところを強いて挙げれば、食堂のメニューが充実していたことでしょうか」
「へー! じゃあ明日はみんなでお昼ご飯食べようよ!」
「いいねー、私も明日はちゃんと頼んでみようかな」
「一花はサラダばっかり食べてる……もっと食べないと、体に毒」
「三玖の言う通りよ、もっと食べなさい。それで? 五月はなんでそんな不機嫌な顔をしてるのかしら?」
二乃の問いかけに五月は目を伏せると、ふるふると震えていた。
コナンは何を考えているのか想像はついていた。例の食堂での一件だろう。
(ま、風太郎だっけか。初対面のやつからあんなこと言われりゃ、こういう反応にもなるだろうな)
当の五月も一息つくと、二乃に答えた。
「一言でいえば、最悪なことがあっただけです。思い出すだけで腹が立ちます」
「だから何があったのよ」
「言いたくありません! プライバシーです!」
「五つ子相手にプライバシーと来たかー、それともコナン君がお邪魔かな?」
そう言って一花がコナンを横目で見た。
面倒な話を振りやがる、と内心で面倒くさく思った。
ここで見ていた、などと言えば火に油を注ぐのは明白だった。蘭と付き合い始めてから、我ながら乙女心というやつにも多少の理解が出てきたかなと思った。
「別に無理して聞く必要ないだろ。それより早く食っちまおうぜ。飯が冷めちまうぞ」
「そうね、よく考えたら、そんなに気にすることでもなかったわ」
四葉も五月の気分を変えてあげたかったようで話始めた。
「ねえねえ、話変わるけどさ、明日来る家庭教師ってどんな人なんだろうね!」
(おいおい、変わってねえよ)
と言っても、風太郎が家庭教師だということを知っているのはコナンだけであったから、姉妹達は気にせず話続ける。
コナンは話を聞きながら、昼間であった青年、上杉風太郎のことを思い出した。
風太郎が家庭教師であるということは警察からの電話で知ったことだった。
正確には、家庭教師を雇うから新しい人間が家を出入りするようになると、マルオから警察へ人物の情報も含めて申告があったことを聞いたというわけだ。
マルオ本人からも家庭教師を雇うという連絡は姉妹達とまとめて受け取っていたが、そこにはどのような人物であるかの説明はなく、結果的にコナンだけが知る情報となった。
昼間の五月の会話を聞いた限り、コナンの風太郎に対する第一印象は”冷たい奴”だった。
頭が良いのは事実だろうが、初対面である五月に対して社交性の欠片もない物言いと、いささか自分勝手と言える振る舞いからは性格というより、その性分から培うことが出来なかった対人関係の少なさが彼をあのようにさせているのだろうと分析した。
総合的な評価で言うと家庭教師にするにはやや人格に難ありといったところで、それも姉妹達の持ち前の明るさと仲の良さで何とかなるかと思ったが、寄りにもよって最も勉強に対して意欲的な姿勢を見せてくれそうだった五月と衝突してくれたのが痛いところだった。
(こりゃ荒れるな……)
次の日、コナンは五月、風太郎と同じクラスに割り当てられ転入の挨拶をした。
挨拶をした時、それとなく視線を風太郎の方へと目を向けると『この人達知ってる!』といった様子の物凄く具合が悪そうな顔をしていた。
挨拶を終えた後、席に着こうとした際には作り笑顔を浮かべてまで五月に挨拶をしたところを見ると、どうやら自分が家庭教師を任されたことを知った後らしい。
(だから仲良くしとけっつったのに)
今更になって頭を抱え始める風太郎をしり目にコナンは内心で思った。
しかし、それ以上は教師と生徒の問題であるため、別に風太郎から家庭教師の授業を受けるわけでもないコナンはそれ以上関わらないことにした。
した、つもりだった。
「どういうことだ」
休み時間のことだった。
風太郎に呼び出されると開口一番にそう言われた。
「どういうことって?」
「とぼけるな。お前、昨日の時には俺があいつらの家庭教師になること知ってただろ」
「まあな」
「なんで教えなかった!」
「教えたところで信じたのかよ?」
ぐっ、と風太郎は詰まった。
どうせ言ったとしても「そんなわけないだろ、ばかばかしい」などといって取り合わなかった自分の姿が容易に想像できたのだろう。
「では質問を変えよう。なぜお前は俺が家庭教師になることを、俺やあいつより先に知ってたんだ」
あいつとは五月のことだろう。
「昨日のことだ。あいつは答案に書かれている俺の名前を見た上で家庭教師としてではなく、個人的に勉強を教えるよう言ってきた。つまりは知らなかったというわけだ」
「なるほど、いい推理だ」
「真面目に聞け。そしてお前はこう言ったな、『俺はあいつの知り合い』だと」
言い回しは違うが確かに言ったなと、コナンは昨日の会話を思い出した。
「いくらあいつとお前が知り合いだとしても、家庭教師と生徒の関係はビジネスだ。第三者のお前が知っているのはおかしいんだ」
「そこまで考えたんだ。最後まで自分で考えたらどうだ?」
「教えるつもりはないってことか」
「人の話を素直に聞かないとこういうことになるって教えてやってるんだぜ? 感謝しろよ」
「ちっ!」
心底不愉快といった顔で風太郎は踵を返すと、別れの挨拶もせずに立ち去ろうとした。
その背中に向けてコナンは言葉を投げかける。
「答えを考えるなら早めに結論を出すことをオススメするぜ。そうだな、今日の放課後がタイムリミットだ」
すでにかなり遠ざかっている風太郎は振り返らないまま一言、「うるさいっ!」と怒鳴ると教室な中へと戻っていった。
放課後になった。
二乃、三玖、五月はすでに帰り始めているらしく、一花と四葉の二人と一緒に帰ることとなった。
マンションの前まで行くとエレベーターホールの前で二乃と三玖の二人がいた。
「あれ、五月ちゃんとは一緒じゃないの?」
「あんた達も帰ってきたのね! 聞いてよ! 今五月のストーカーを追いかけてたのよ!」
「ええ! ストーカー!?」
四葉がリボンをピンと伸ばして驚いた。
「帰り道、ずっと着いてきてた。マンションの前で二乃が追い返そうとしたら、自動ドアが中から開いたスキに入っていった。多分今は階段を上ってる」
「マンションの中に入っちゃったの!? ……ちょっと待って、それ本当にマズイんじゃないかな……!」
三玖の補足により、事態が想像以上に深刻であると考えた一花は見る見る顔を青くしていくとポケットからスマホを取り出した。
「とにかく私、警察に電話を」
「待て、一花。大丈夫だ」
すでに110番を押し終えている一花をコナンが静止した。
「そいつは多分、ストーカーじゃない」
「なんでコナン君に分かるのよ! 私達は帰りの間、後をつけられたのよ!」
淡々と話すコナンに二乃が詰め寄って言ってきた。
「それは、上に上がって見れば分かるぜ。心配だったら一花、スマホは110番を入力した状態のまま、通話ボタンを押せるようにしておけばいいさ」
「……わかった、君を信じてみるよ」
一花も理解はしていない様子だが、渋々頷くと言われた通りダイヤル画面に110番を入力した状態のまま画面を閉じてポケットに入れた。
ちょうどその時、エレベーターの扉が開いたので、一同は乗り込むと三十階を押した。
他に乗客はおらず、エレベーターは一気に上まで登りきる。
三十階に到着したエレベーターの扉が開くなり、早足で降りたその直後、視線の横にへたり込んだ五月と風太郎が見えた。
五月以外の全員が振り返り、風太郎とそれ以外で顔が向き合った。
「あれ? 優等生くん! 五月ちゃんと二人で何してるの?」
「いたー!! こいつがストーカーよ!!」
「ええっ上杉さんストーカーだったんですか?」
「二乃、早とちりしすぎ」
最後の三玖は二乃以外の反応から、おおよそコナンの言っていた通りだと理解したようで、まるで自分は最初から分かっていたというような素振りだった。
(おめえも通報する気まんまんだったじゃねえか)
実は一階にいる時、一花が通報する準備をしていた後ろで三玖も同じことしていたのをコナンは見逃していなかった。
おそらく、一花が真っ先に襲われて通報に失敗した時の保険のつもりだったんだろう。
それに、四人の反応からして二乃と三玖の反応から察するに、やはり昼休憩の時に風太郎と会っていたことを覚えていないらしい。
コナンも五つ子の昼休憩に同席していたから様子を見ていたが、確かにあの時、風太郎と会話したのは風太郎の呼びかけを五月へのアプローチと勘違いした一花と、彼の答案用紙を拾った四葉だけだった。
二乃と三玖からしたら、興味すらなかったといったところなのだろう。
「は……? なんでここにこいつらがいるんだ……」
状況を把握できていない風太郎だけが、やや茫然気味に呟く。
風太郎の後ろでは五月が立ち上がり始める。
「なんでって……住んでるからに決まってるじゃないですか」
コナンと姉妹は部屋の前まで移動する。
後に続いてきた風太郎も扉の前まで来ると、『中野』の表札を見て再び固まった。
「へ、へぇー……同級生の友達五人でシェアハウスか。仲が良いんだな」
「違います。私たち、五つ子の姉妹です」
そして風太郎はそこで、完全にフリーズした。
「はっ!」
風太郎のフリーズが解消した時、五つ子はすでに部屋の中へと入っていた。
一応、事情を説明するためにコナンだけが残っていた。
「ようやく帰ってきやがったか」
「あ、あいつらは!?」
「もう部屋の中だよ」
「っていうか、お前はなんでここにいるんだよ!」
「俺もここに住んでるからな」
「は……?」
再び風太郎の顔が固まる。
「お、おい! もうフリーズするな! ちゃんと説明してやっから!」
「ああ……」
まだ完全には帰ってきていないらしい。
「本当に五つ子かどうかはあいつらの父親、つまりお前の雇用主に電話して確認してみることだな。それで、俺は中野家とは完全に関係のない部外者なんだが、訳あって居候をしてるってわけだ」
「どんな理由があれば、五つ子で同い年の女子高生が住んでる家に居候することになるんだ」
「そこを説明すると長くなるから、割愛させてくれ」
(本当、シャレにならないくらい長くなるからな……)
風太郎は納得をしていない顔だったが、流石にコナンが居候している理由と家庭教師の仕事が密接な因果関係にあるとは思えたようで「わかった」と返事をした。
「じゃ、じゃあ別の質問をするが、お前も俺の生徒なのか?」
「仕事の内容も詳しくは中野さんに確認してくれ。お前の質問にだけ答えると、俺は違うよ」
「そうか……」
露骨に胸を撫で下ろす様が見えた。
昼間の会話で、風太郎の中でのコナンの印象はかなり悪くなっているのだろう。
そろそろ中に入ってもいいとは思ったが、コナンは最後に聞くことにした。
「それで、昼間にお前の方から聞いてきた謎、答えはわかったか?」
「俺やあいつらより先にお前が家庭教師の事情を知ってた理由の話か……今となってはどうでもいいが……お、俺っていう別の男が家に入り込むことで、お前と変な諍いを起こさないように、お父さんから聞いてた、とかか?」
最後、自分の推理を言う風太郎の顔はかなり赤くなっていた。
その様子を見ていたコナンは思わず噴き出した。
「ぷっ、ははは! お前が中野さんをお父さんって呼ぶ筋合いないだろ! それに、その推理が正しいとしたら、昼間に俺はお前を挑発するようなこたしねえよ! 経緯は正解だが、残念ながら動機が外れだ」
「っくそ! もういい! お前と話してるとムカついてくるぜ! 俺はここに家庭教師をしに来たんだ、入らせてもらうぞ!」
そう言って風太郎も部屋へと入っていった。
残されたコナンは一人で呟いた。
「どうもあいつの前だと嫌なやつになっちまうな……からかい甲斐があるせいなのかもしれねえけど。あいつの仕事とは直接関係ないとはいえ、俺も仲直りしておかねえとな」
風太郎が昨日、食堂で五月に話した内容と似たようなことをしてるあたり、自分もあいつと大差ないとコナンは思ったのだった。
風太郎はベランダでマルオから詳しい家庭教師としての業務内容を電話で聞いていた。
一階を見下ろせる二階の吹き抜けの廊下にある手すりに肘をつきながら、コナンは電話している風太郎の様子を見ていた。
『娘さん全員を無事、卒業させてみせます!!』
ガラス越しだというのに風太郎の気合が入った声が聞こえる。
その後すぐに、通話を続けたままリビングへと戻ってきたがリビングには四葉一人しかおらず、それが想定外であったようで顔を強張らせていた。
「ま、全く問題ありません。おいおい押すんじゃないよ。全く困った生徒たちだ!」
風太郎の様子は電話先のマルオにも伝わり何か言われたのだろう、風太郎はおもむろに一人芝居を始めた。
(何やってんだ……アホらしい)
通話が終わったのか、受話器から耳を話した風太郎はそのままソファへと座り込んだ。
あの様子からして幸先に不安しか感じていないのだろう。
風太郎の後ろへ四葉が近づいていった。四葉が風太郎と話していると、何か話していたが細かくまでは聞こえなかった。
しばらく話した後、二人は階段を上り始めた。なんとなく顔を合わせずらかったコナンも一度自室に戻ることとした。
自室のベッドに腰かけると、すぐに扉の先で二人の足音が聞こえて四葉の声がした。
『手前からコナンさん、五月、私、三玖、二乃、そして一花の順ですね』
『五人集めるところから始めるとはな……』
『大丈夫ですって。クラスが一緒なら知ってると思いますが、五月は凄く真面目な子です。余程のことが無い限り協力してくれますよ!』
(その『余程のこと』があったんだよ……)
これから先の展開が容易に想像できたコナンは苦笑いをした。
ノックと扉が開いた音がした。
『五月! 上杉さんの授業受けようよ!』
『嫌です』
『あれー!』
『そもそもなぜ同級生のあなたなのですか? この町にはまともな家庭教師は一人もいないのでしょうか』
『なんだよ、昨日は勉強教えてほしいって言ってたじゃん』
それはコナンも聞いていた。
『気の迷いです! 忘れてください!』
直後、勢いよく扉が閉まる音がした。
『あはは、五人いれば一人くらいこうなりますよ』
離れていく足音がした。三玖の部屋へ移動していったのだろう。流石にそこまで離れると声も聞こえなくなった。
コナンはさっきまでの廊下の出来事を思い出した。
(あの様子だと、二乃と三玖の協力も絶望的だろうな……一花は……いや、あいつも微妙か)
廊下で風太郎を見て開口一番に言った一花の言葉を思い返すと、一花はそれほど風太郎に悪い印象は持っていないのだろうがストーカーのくだりもあったわけだしプラスマイナスゼロになっているかもしれない。
それからしばらくして、クッキーを焼いたらしい二乃が食べるか聞きに来たが、ただでさえ四面楚歌の風太郎に自分という向かい風を追加することは憚られたため断った。
姉妹達がにぎわやかにオヤツタイムを満喫している声が続いた後のことだった。
『上杉さん! どうしたんですか!?』
人一倍に声の大きい四葉の更に上擦った声が聞こえた。
(なんだ……?)
妙な様子だったがまだベッドに寝っ転がっていた体を起こさないでいた。
『上杉さん急に倒れちゃった!』
(なに……!?)
ベッドから跳ね起きると部屋を飛び出た。
手すりからリビングを見下ろすと、リビングテーブルの上に風太郎が突っ伏すしていた。
コナンは急いで階段を駆け下りると風太郎へと駆け寄った。
「どけ四葉!」
風太郎の手首を触り、呼吸を確認する。
すると、幸いにもどちらも正常の反応だった。
「よかった、眠ってるだけだ……お前ら、いったい何があったんだ?」
姉妹達の方を見ると、全員が茫然としていた。ただ一人を除いて。
「二乃、お前何か知ってんのか?」
「その、それは……」
「人間がこんな風にいきなり倒れるなんて、余程のことが無い限りあり得ないんだよ。頼む、教えてくれ」
「──! そ、そいつが悪いんだからね!」
二乃はしばらく唸った後でそう言ってから、ポケットからものを取り出した。錠剤が梱包されているアルミケースだった。
コナンはそれを手に取ると、裏面に印字されてる薬品名を見た。
(睡眠薬……!)
二乃へと再び目を向ける。
「お前、まさかこれを飲ませたのか」
「ちょっとだけよ、お水に混ぜて」
「馬鹿野郎! てめぇ自分が何やったかわかってんのか!!」
姉妹の前ではこれまで出したことがないほどの怒鳴り声をあげたコナンに、二乃は体を跳ねさせて小さく悲鳴を漏らした。
様子が急変したコナンを流石に見かねた一花が仲裁に入ろうとする。
「ちょ、ちょっとコナン君、そんなに怒鳴らなくても」
「いいかよく聞け! 薬ってのはな、用量を守らきゃ簡単に毒に変わっちまうんだ! 睡眠薬を使った自殺のニュースだってあんだろ! つまり睡眠薬だって過剰に摂取したら人は死ぬんだぞ!」
それにだ、と言いコナンは続ける。
「上杉の手はまだグラスを握っている。それに縁にはまだ雫が付いたままだ。つまりこいつは飲んですぐに意識を失ったことになる。そんな急に意識を失うようなことが起きるってことは、普通の用量以上に飲んだってことだ。違うか!?」
コナンは二乃を睨む。
「そ、そりゃちょっと多めには入れたかもしれないけど……」
「馬鹿野郎が……! さっさと救急に電話を」
「なんの騒ぎだね、これは」
部屋の出口の方から男性の声がした。
皆の視線がその方向へと集まると、そこにはマルオが立っていた。
「お父さん、なんでここに……」
三玖が言った。
「上杉君の初出勤だからね。それにまだ直接会ったこともなかったから、様子を見に来たんだよ。それで、もう一度聞くがなんの騒ぎだね、これは」
コナンが経緯を説明した。
マルオはすぐに風太郎の傍によると、コナンがしたことと同じことに加えて、他にもいくつか確認する素振りを見せた。
一通りの確認を終えた後、一同の中で最も深刻そうな顔をしていたコナンへとマルオは向いた。
「安心したまえ。簡易的な確認だが、薬が強く効きすぎているだけのようだ。しばらくすれば目を覚ますと思うよ」
「そうですか……良かった……」
「それと、二乃君」
次にマルオは二乃を見た。
「な、なによ」
「さっき江戸川君が言っていた通りだ。これはあまり褒められた行いではないよ」
「……いっつも放置してて、いきなり帰ってきたと思ったら説教? ……何よ! パパが守ってくれないから私が姉妹達を守ろうとしたんじゃない!」
「二乃! おめえまだ分かってねえのか!」
再びコナンが怒鳴った。
「うるさい! 部屋に戻るわ!」
机を強く叩いて勢いよく立ち上がると、二乃は走るように部屋へ戻っていった。
扉が勢いよく閉まる音がしてからもしばらくは沈黙が続いた後、気まずい雰囲気を断ち切らんと口を開いたのは一花だった。
「と、とにかく。フータロー君をこのままにしておくのもよくないよね。どうしよっか」
「救急車を呼ぶ必要もないだろう。このまま休ませてあげてもいいが、もう遅い。上杉……彼の父親も心配するだろう。家まで送ってあげなさい」
「え、でも私達、彼の住所は知らないよ」
「住所なら分かるぜ」
コナンは手を上げた。その先には旭高校の生徒手帳が握られている。
「上杉のだ。中に住所もちゃんと書いてあった。こいつが几帳面で助かったぜ」
「では、一花はタクシーを呼んでくること、それと四葉は上から五月君を呼び事情を説明しておきなさい。あの子に送らせる」
「え、何で五月に……?」
「僕が帰ってきた時、ここには五月君以外がいた。つまり五月君はこのことをまだ知らないわけだろう。こんな騒ぎを君たちが起こした以上、僕は父親として話を聞かなければならない。ならば無関係な五月君に送らせるのが筋だと思うがね」
マルオの言うことは最もで、コナンも異論はなかった。
その後、マルオの指示通り風太郎は五月に送られていき、コナン達は個別に事情を話した。
中でもマルオが難色を示したのは風太郎が一切授業を行えておらず、しかも嫌々やろうとしたこと、それとコナンと風太郎の間にもトラブルがあったことだった。
「江戸川君、話を聞いた限りだと上杉君はこのままだと家庭教師を辞めると言い出しかねないと僕は思う。正直に言うと僕は上杉君が辞めても構わないし、むしろ嬉しくすら思う。とはいえ、彼が家庭教師に選ばれたのは僕の個人的なツテによるものでもあってね、初日から辞められたとなれば面目が立たなくなる。少しは続けてもらうためにも、もう少し処世術を学んでくれたまえ」
「……はい、すみません」
(あんたもずいぶんと大人げない理由をはっきりというもんだ)
内心ではそう思ったコナンであったが、居候の身として素直に受け入れた。
翌日、風太郎は再び中野家を訪れていた。
五つ子をリビングへ集めるとソファへと並べさせていた。コナンも、昨日のマルオの注意もあって一階に降りてきており、五つ子とは少し離れてダイニングテーブルの方へ腰かけて様子を見ていた。
風太郎は五つ子を前にして立っている。
「昨日の悪行は心優しい俺がギリギリ許すとしよう。今日はよく集まってくれた」
「まあ私たちの家ですし」
「ZZZ」
「まだ諦めてなかったんだ」
「……」
「友達と遊ぶ予定だったんだけどー?」
最後に言った二乃がスマホから顔を上げる。
「家庭教師はいらないって言わなかったっけ?」
「だったらそれを証明してくれ」
「証明?」
(上杉のやつ、何か作戦を練ってきたな……)
コナンの予想通り、風太郎は自分のカバンに手を入れると中から複数枚のプリントを取り出し、テーブルに広げた。
「昨日できなかったテストだ。合格ラインを超えた奴には金輪際近づかないと約束しよう」
(……おい)
なんとなく風太郎の考えは読めた。おそらく五人全員を相手にするのは手に余ると考えて、五つ子の中でも特に落ちこぼれているやつにフォーカスして授業を行おうという魂胆なのだろう。
確かに合理的ではあるが、マルオに聞いた話では風太郎は五人分の家庭教師代を受け取る契約になっている。だというのに生徒の数を絞ろうとしているということはだ。
(逃げやがった……こいつ)
だが、コナンもテストの結果は気になるところであった。
コナンが旭高校へ転入した理由はすでに説明した通りであったが、なぜ元々この家に住んでいる五つ子まで同じタイミングで転校したのかまでは聞いていなかった。
姉妹達と話した時、前の学校は黒薔薇女子高等学校という、この辺りでは名門の学校に通っていたことまでは聞いていた。
しかし転校の理由にそれとなく探りを入れると、全員が神妙な面持ちで言い淀んで聞けずじまいだった。
といっても、住んでるところが同じなのに転校をする理由なんて学力が追い付かなくなったか人間関係で問題が起きたのだろう。わざわざ家庭教師を雇おうとしたことや、転校先の旭高校には何の抵抗もなく通い始めた五つ子たちの様子も加味すると、前者の可能性が高い。
無神経なことは承知しているが、向こうからその理由を探る機会が来るというなら聞いてもいいだろうとコナンは考えた。
「合格ラインは?」
「60……いや50点あればそれでいい」
その間にも話は進んでおり、どうやらテストを受けることは決まったようだ。
五つ子たちがテストを受け始めると、風太郎は腕を組んでその様子を監視し始める。
(なら俺も)
コナンは立ち上がると風太郎の前に置いてある、予備のものと思われるプリントを手に取った。
「俺も受けていいか、このテスト?」
「何故だ?」
「お前の学校のレベルを知っておきたいんだよ」
「……転校するにしても同じ学力の学校に入るだろう」
「細かいこと言うんじゃねえよ。んで、貰っていいのか?」
「好きにしろ」
それ以上はコナンを見ることが無くなった風太郎を後に、コナンも自分のテーブルへ戻るとテストを受け始めた。
テスト後、風太郎は五つ子の採点をすべくプリントを回収した。
そして、コナンの元にも歩み寄ってくると手を差し出した。
「ん?」
「ん、じゃない。答案用紙を出せ。お前のも採点してやる」
「どういう風の吹き回しだよ」
「お前の頭の悪さも把握しておいて、俺以下の学力であることを笑ってやろうと思ってな」
「そうかい。ほらよ」
コナンのプリントも風太郎へと渡した。
採点の時間が過ぎた後のころだった。風太郎が顔を上げた。
まずは五つ子の結果発表だ。
「採点終わったぞ! 凄ぇ100点だ!!」
(マジか!)
「全員合わせてな!!」
(……マジか)
予想通りであったが、予想以上の点数の低さだった。
それは風太郎も同様だったようで、震える声で言う。
「お前ら……まさか……」
「逃げろ!」
「あ!! 待て!」
誰かの合図と同時に二階へと五つ子は駆け出しはじめ、風太郎もその後を追っていった。
残されたコナンは風太郎が座っていた席まで行くと、自分のテストも含めた採点結果を確認した。
五人とも風太郎の合格ラインを下回っており、赤点である30点を超えているのも三玖だけであった。
おそらく風太郎も今、コナンと同じことを考えているだろう。
(五人揃って赤点候補かよ、あいつら)
部屋にいた時も思ったことだが、これはあいつも大変だな、っと考えてから自分のプリントだけ持って部屋へと戻った。
コナンのプリントの右上には、96の数字が書かれていた。
どの口で新一は睡眠薬の説教をしてるんでしょうね。