林間学校三日目。
風太郎はぼんやりとした意識のまま布団から身を起こした。
すぐさま思い出されるのは昨日の出来事。一花との話だ。
元々断るつもりであったというのに、一花から断られた理由を考えていた。
『うん……いるよ』
踊りたい相手がいるのかという問いに対して、一花はそう答えた。
一花本人にも言った通り、このことは風太郎が深く考えるべきことではない。それは理解していた。
しかし、同時に懸念しないといけないこともある。一花がダンスを踊りたいと言っていた相手のことを好きなのかは分からないが、もしも本当に好きで、しかも交際を始めるようなことがあったとしたら、それは風太郎にとっても問題であった。
「あいつ……今より勉強しない方向に拍車かかるよな……」
だとしたら家庭教師としては見過ごせない。つい先日、中間テストの結果を偽ってマルオに報告しているのだ。二乃が言っていた通り次は通用しない。
一花だけがドロップアウトするなら収入は二割減で済むが、それが原因でクビという可能性も十分にありえる。というよりあの父親であれば、そう言い出す可能性の方が高いだろう。
流石の風太郎とはいえ、もし一花と相手の人間が付き合う可能性が出てきたとしても、それを邪魔しようなどという考えは微塵もない。あくまでも自分は家庭教師として、一花の学力向上に影響が出ない方法を考える必要があった。
そのためにもせめて相手が誰かという点だけは知っておきたいが、一花にこれ以上聞かないと言ったのは誰でもない自分であり、それ以外の方法も思いついていなかった。
「……最終日か」
いきなり重たい話を考えてしまったものだと思い、思考を無理やり林間学校へと切り替える。
とはいえ、妙に体も重い。
「だるいし寝よう」
「上杉さん!」
再び布団の中へと戻ろうとした、その時、部屋の扉が勢いよく開かれるととも四葉のハツラツとした声が響いてきた。
突然の大声に反射で風太郎の体が跳ねた。
「うおっ! 四葉!?」
「自由参加だからって逃しませんよ! スキー行きましょう、スキー!」
結局、布団をはがされた風太郎は四葉に無理やり引きずられながら外へ出ることとなった。
スキー場へと出ると空は快晴だった。
大勢の生徒がすでに賑わっており、各々がスキーを滑り始めていた。
「さあ! 滑り倒しますよーっ!」
「寒いし寝かせてくれ……というか俺滑れねーし」
「寝るなんてもったいない! どうしても無理なら私が手を引いて滑ってあげます」
「よーし練習するぞ!」
手を握ってきた四葉はどうやら本気らしく、風太郎は慌ててスキーを滑ることとした。
スキーを始めようとしたところで、風太郎は気が付いた。
「つーか、四馬鹿はどうした?」
「みんなだったらもう滑り始めてると思うけど」
四葉が言った直後、二人の傍に人影が立った。
振り返るとニット帽にサングラスをかけた女性が立っていた。
「誰だ!」
「三玖」
「み、三玖か……顔だけだと本当にわからないな」
「!」
言いながら三玖の顔を凝視するように顔を近づけてきた風太郎に、ぎょっとした三玖は後ろへと倒れ込んだ。
鈍い音がしたが雪がクッションになったおかげ三玖は平気そうにしていた。そんな様子の三玖に風太郎は思わず笑った。
「派手に転んだな」
「……」
「平気か?」
黙って転んだ体制のままでいる三玖に、もしかしたらどこか痛めたのかもとふと考えた風太郎は手を差し伸べた。
三玖はその手を取ると、立ち上がった。
「うん、大丈夫」
「よーし! 普段教わってばかりの私ですが、今日は教えまくりますよ!」
二人の様子を眺めていた四葉も、三玖が大丈夫そうであることを確認すると、先ほどの勢いを取り戻して再び先導をし始めた。
しばらくスキーの練習が続き、風太郎もようやく一人で滑り始められたころだった。
「わー、ぎこちないなー」
後ろから声がした。
振り返った先のはフード付きコートに身を包み、マスクとサングラスをした女性がいた。
先ほどのデジャブだった。
「寒いねー」
「ほんとに誰だ!」
「一花だよ」
一花はそう言いながらサングラスとマスクを取った。
一花の後ろには他にも二人いた。
「私達もいますよ」
「おめーやっと起きてきたのかよ」
五月とコナンであった。
二乃以外の面々を見るなり、四葉が声を上げた。
「みんなー!! この二人全然言ったこと覚えてくれない!」
「それは俺がいつもお前に思ってることだよ」
「じゃあ、楽しく覚えようよ」
そう言って一花は後ろを向くと、コナンの方へと歩み寄った。
「フータロー君、後で私と勝負しようよ。私もコナン君からスノーボードを教えてもらってるところでさ、四葉にスキーを教わった君と、コナン君にスノーボードを教わった私でどっちが上手く滑れるようになったかみんなに決めてもらおう」
それと、と言って一花は三玖を見た。
「もちろん三玖もスキーできないんだから、フータロー君チームの方ね。五月ちゃんはこっち」
一花は五月の手を取った。
「お前、勝手に決めんな!」
「いいじゃないですか上杉さん! テストだと思って頑張りましょうよ! 一花も、望むところだよ!」
風太郎の抗議も空しく、話が勝手に決まり溜息をついた。
風太郎が渋々納得したのを確認すると、一花もスノーボードを抱え直す。それを見て風太郎は疑問に思った。
「というか、今日はスキーだけじゃなかったのか? 林間学校のしおりにも書いてなかったぞ」
「教えられる先生がいないらしいからな」
答えたのはコナンだった。
「教えられる人間がいないんじゃ、好きな方を選べとも言えねえだろ。レンタルのスノボー自体はあったみたいだから、滑れるんだったら借りてもいいかって聞いたらOKをもらえたよ。ついでに、一人までだったら人に教えてもいいってのもな」
「それで私もこっちにしたってわけ」
確かに、一花達と一緒にいた五月はスキー道具を装備していた。素人に複数人の面倒は見させられないという先生の判断なのだろう。
「ま、元々俺は一花に教えてたしどっちでもいいけどな。集合はどうする? 適当に時間決めっか?」
「うーん、暗くなっちゃう前にはお披露目したいけど、この辺って時計もないしわかんないよねぇ」
コナンの確認に四葉は頬をかいた。
「携帯繋がるし、普通に電話すればいいんじゃないかな」
「それもそうですね。江戸川君も持ってきてますよね?」
三玖の提案に同意した五月の確認に対して、コナンはポケットからスマホを見せつけるように取りだした。
「なら大丈夫だね! それじゃあ早速始めようか!」
「あ、四葉ちょっと待て」
コナンは四葉へ歩み寄ると、ポケットから一枚の紙を取り出した。直剣三センチくらいの円形の紙だった。
受け取った四葉はそれを掲げて見た。
「なにこれ」
「GPSみたいなもんだよ。おめえは初心者を二人抱えるからな、万が一ってこともある。なんかあった時にはすぐ電話をしてほしいが、そいつがあればすぐに場所はわかっから、余計な会話は省けるってわけだ」
林間学校に来る数日前、博士から探偵グッズの荷物の第二便が到着していた。その中の一つ、追跡メガネの発信機だった。
「へー! 祭りの時もだけど、コナンさんってすごい道具色々持ってるんだね!」
「お前、変なことに使ってねえだろうな?」
「使ってねえよ!」
目を輝かせている四葉とは対照的に、普通なら持っていないような代物を持っているコナンに対して疑わしそうに風太郎が見てきた。
四葉はコナンに言われた通りシールを襟元に貼ると、今度こそ解散となった。
去り際、風太郎の元に一花が一度だけ走り寄ってくると耳打ちをしてきた。
「私と君のキャンプファイヤーのことは三玖に話しておいたから、昨日言った通り後で誘ってあげるんだよ。せっかく話す時間作れるようにしてあげたんだから」
「勝負なんて急に言い出したのはそれが狙いか……」
「一花、フータロー、どうしたの?」
「ううん、なんでもないよ三玖。じゃ、お互い頑張ろうね!」
「うん」
既に少し遠くを歩いている五月達の方へ一花も走り出した。
コナン達も少し離れて滑り始めたころだった。
五月は一花の奮闘を見守りながらしばらく滑っていたが、近くに食堂があったこともあって途中で「ちょっと小腹が空きましたので……」といって消えていった。
コナンと一花の二人だけになった時、それまで真面目に練習をしていた一花がコナンの前で止まった。
「どうした、一花。疲れたか?」
「ううん、そうじゃないんだけどさ」
そうして一花は一度、サングラスとマスクを取って顔を見えるようにした。
コナンを上目遣いで見る。
「コナン君って、今日のキャンプファイヤーは予定ある?」
「急になんだよ。特にねえけど」
話の流れを読めていないコナンがぶっきらぼうに答えると、一花の表情がパッと明るくなる。
一歩、一花が詰め寄って詰め寄ってきた。
「じゃ、じゃあさ。良かったら私と踊らない……!」
「おいちけえって! ほんとになんなんだよ!」
思わず後ずさりすると、一花も我に返ったようで一歩下がった。
俯いた顔は妙に赤らんでいる気がする。
「ご、ごめん。それで、どうかな?」
「……別にいいけどよ。俺じゃなくてもいんじゃねえのか?」
「え?」
途中まで聞いていた時に嬉しそうにしていた一花は固まった。
コナンは一花の変化に気づかず話し続ける。
「一日目の旅館での話は聞いてたさ。おめえら姉妹全員、踊る相手いねえんだってな。最終日のこのタイミングで、今までずっと一緒にいた俺に話を持ち掛けるあたり焦ってきてんだろ? ああいう浮いたイベントで一人は寂しいからな。でも誘うなら風太郎でもいいはずだ。おめえは知ってんだろ、俺には蘭が」
「もういい!」
コナンの言葉は一花の怒鳴り声によって遮られた。
ようやくそこで、コナンも顔色を変え、それまでそっぽを向いていたのを一花へと向いた。
一花の顔は依然として赤らんでいたが、先ほどまでとは様子が違った。口を強く結ばれ、肩はわずかに震えていた。
「そうだよね。君には大切な彼女さんがいるもんね……でも、でもちょっとくらい思い出を作らせてくれたっていいじゃん」
尻すぼみに小さくなっていく一花の声は、途中からコナンには聞こえていなかった。
「コナン君、悪いけどここからは私一人で練習するよ。集まる時になったら戻るから、電話して」
「おい一花!」
「ついてこないで!」
コナンの前から立ち去ろうとする一花を呼び止めようと手を伸ばしたが、一花の強い拒絶に思わず止まった。
瞬間、一花は駆け出し始めると林の中へと消えていった。
「んだよ……ちょっと言い方まずったか?」
結局見送る形になってしまったコナンはポケットからスマホを取り出すと、四葉へとダイアルした。
「あ、四葉か。わりい、俺の方がトラブっちまった。ちょっと集まれるか」
練習を中断して食堂の前に集まったコナン達。その場に一花はおらず、二乃はまだ別の友達と遊び中。五月も食事中でいなかった。
「ってことがあって、あいつどっか行っちまったんだよ」
「どう考えてもそれはコナンが悪い」
経緯を説明し終えたところで、三玖がそう言って一刀両断にコナンを非難した。
「なんでだよ!?」
「普通、誘ってもらえたら苦し紛れだなんて思うより、もっと気づくべきことがあるんじゃないのかな……」
四葉も弁護のしようなしという声色だった。
その横で、風太郎がもの凄く気まずそうな顔をしていた。
風太郎としては、コナンの代わりに自分がやり玉に挙がったのも一花の怒りに火を注いだ要因の一つだと考えていた。
「それは、そうだけどよ……だって俺が彼女いるってことはあいつだって知ってんだぞ!?」
そう言った直後、コナン以外の全員がフリーズした。
コナンもそう言えば、経緯の説明の中で蘭の名前を出したことまでは話し切ってなかったな、と思い出した途端だった。
「えーっ!?」
「コ、コナン付き合ってる人いるの……!」
「初耳だぞそれは!」
三者三様の驚きようだった。そういえばそもそも彼女がいること自体説明をしていなかったかと思い出した。
三玖は以前の事件の時に、蘭の存在だけは聞かせていたかもしれないが、あれも結局事件の捜査が忙しくなり、補足できずじまいだった。
とにかく、一花を探すことにしようと話がまとまり始めた時、食堂の入り口からは五月が出てきた。
「はあ、幸せでしたぁ……あれ、みんな揃ってどうしたんですか?」
「一花を見失っちまったから、これから探すんだよ」
「ええっ!?」
コナンの話に幸せそうな表情から一変した。
当然五月も一花捜索に加わることになり、役割は次の分担となった。
三玖は宿泊施設へと戻り、もしも一花が戻ることがあればみんなに連絡する係。
四葉は念のため、先生への連絡と周辺の捜索。
コナンと五月は一花が消えていった方向の捜索となった。
「待て、俺も行く」
風太郎の分担を決めようとしたところで、風太郎本人がコナン達に同行すると言い出した。
「多分だが、俺も行った方が話が出来ると思う」
「……どういうことか知らねえが、わかった」
それからしばらくは一花の捜索にスキー場を駆け回ることになった。
けれど見つかることはなく、快晴だった空も今は雪が降り、風が吹き始めていた。
「くそ、吹雪いてきやがったな」
おもわずコナンの口から悪態が漏れた。
「このまま無暗に歩き回っても埒が空かない……はあ、少し状況を整理しよう」
風太郎が立ち止まると、懐からA4サイズの地図を取り出した。
振り返ったコナンも地図を覗き込もうとして、それより先に気が付いたことがあった。
風太郎の様子が変だった。かじかんでいるだけでは説明がつかないほど顔が赤く、呼吸も乱れ脂汗が浮かんでいたのだ。
「おい、お前大丈夫か!?」
「何言ってやがる、このくらい大したことない」
「嘘つくんじゃねえ、ちょっとデコ貸せ」
手袋を外すと風太郎の額に手を当てた。明らかに熱がある熱さだった。
「すげえ熱じゃねえか……おめえいつから具合悪かった!?」
「……今朝ぐらいからだな。その時はちょっとダルいぐらいんだったんだが……多分らいはから貰ってたんだろ」
そう言いながら地図から目を離さない風太郎。探すのを辞めるつもりがないのが見て取れた。
「戻れ、おめえがいたら足手まといだ」
「江戸川君、何もそんな言い方しなくても」
「すでにこの辺は吹雪いて視界も悪くなり始めている。こっから更に無理して風太郎が動けなくなってみろ、いくら俺達でもコイツを抱えながら下山なんてできねえぞ」
「それは……そうですが」
「待て、俺はまだ戻るなんて言ってないぞ」
風太郎も反論をしようとした時、遠くから声が聞こえた。
四葉の声だ。
「みんなー! おーい!」
目を向けると、自分たちが歩いてきた方向から四葉が駆け寄ってきた。
コナン達の傍まで近寄ると立ち止まった。
「よかった、追い付いた! 先生に言ったら一応、施設の人たちからも探す人を出してくれるってことになったからお願いしたんだ。私もこっちに合流するよ!」
「それなら四葉、来たところ悪いけど風太郎を学校まで連れてってくれねえか?」
「え、上杉さんがどうし……わっ! 凄い具合悪そうじゃないですか!? 大丈夫なんですか!?」
「大丈夫じゃねえからお願いしてんだ。頼めるか?」
「わかったよ! ……上杉さん、支えましょうか?」
風太郎の前後に手を回そうと四葉はしたが、風太郎はそれを手のひらを差し出して止めた。
代わりに風太郎は持っていた地図をコナンへと差し出す。
「これ以上は俺がわがままを言う側になりそうだから、戻る前に俺の考えを伝えておく」
「……聞かせろ」
風太郎は地図に対して指さす。
「俺たちは今まで、この地図に沿って今まで自分たちが行動してきた場所を探してきた。だが、この地図に載っている場所の中で、まだ探していないところが一か所だけある」
風太郎は説明しながら地図の上をなぞるが、その中で一か所だけ示されていない場所があった。
本流である一般のルートとは違う、曲がりくねった細長い道だ。
「未整備のルートか」
「ああ、あいつがお前と顔を合わせたくないと考えているなら、そもそも人が立ち入らないようにされてるこの場所はうってつけだ」
「……分かった。俺と五月は行ってみる。四葉、風太郎を送った後でいいから、今の話をレスキューの人たちに伝えておいてくれ。最悪の場合、倒れてる一花を運ぶことになるかもしれねえ」
「わかったよ」
四葉は頷き、風太郎の腕を引くと下山していった。
その様子を見届けてからコナンと五月は林の方へと目を向けた。
今コナン達がいる場所から一花がいる可能性がある未整備のルートに入るには大きく迂回する必要がある。そんなことをしている時間を考えれば、間にある林を突っ切った方が早いという考えだった。
「五月、この先は結構あぶねえかもしれねえ。おめえもここに来るまでに結構体力使っちまってんだったら四葉達と一緒に」
「戻りません。貴方にここまで体を張ってもらっているのに、姉妹である私達が誰も危険を冒さないわけにはいかないです」
「……元々この騒動を起こした原因は俺みたいなもんだ。そんなこと気にしなくてもいいんだぜ」
「お願いします。私だって一花が心配なんですから……それに、姉妹である私なら向こうのルートについてから一花が行きそうな場所を予想することだってできるかもしれません」
そう言って五月はコナンの顔をじっと見つめた。譲る気はないという覚悟があると分かると、コナンもそれ以上は聞かないことにした。
対して、五月がコナンへと問いかける。
「江戸川君こそ、どうしてそこまで私たちのためにここまでしてくれるのですか? 貴方の正義感の強さや優しさは理解しています。それでもレスキュー隊が動き出してくれた今、普通の人なら自分の身の危険を冒したりまではしないと思うのですが」
コナンの中で二つの記憶が呼び起こされる。
一つ目は先日の夏祭りの出来事だ。探偵団バッチ越しに一花が風太郎に同じように問いかけられていた気がする。あの時は危険などなかったし、結局風太郎がなんて返したのかも、途中で無線を切ってしまったため聞いていなかった。
二つ目は大分昔の話だ。かつて、アメリカ旅行に行った時に出会った通り魔を命からがら助けた時、自分に対して問われた。
コナンの考えは、五月への回答は、あの時から変わっていなかった。
「わけなんているのかよ。人が人を助ける理由に論理的な思考は存在しねえだろ」
「……!! ……そう、ですね」
コナンの答えを聞いた五月は、慌てて林の方へと向くと歩き出した。
急に会話を打ち切ってのその行動に、コナンも慌ててついて行く。
「おい、先行くとあぶねえぞ!」
後を追うコナンから見た五月の長い髪から覗かせた耳は、先の方まで赤くなっていた。
林を抜け、未整備のルートへと出ると、そのルートは地図で記載されている以上に狭かった。
本の二十メートルほど先にはもう道の反対側の林が見えている。
「あれ! 江戸川君、あそこ! いました!」
「なに!」
突然五月が声を上げた。
指さす方を見ると見慣れたショートカットの後ろ姿が見えた。
「一花!」
その場でコナンが大声を上げると、聞こえたらしい一花が振り返った。驚いた様子だったがすぐに前を向くと、反対側の林の方へと入っていく。
(やべえ、あの先は地図にも書いてない場所だ。何があっかわかんねえぞ……!)
「追うぞ五月!」
「もちろんです!」
コナン達は再び走り出した。足元は分厚い雪が積もっており、足を取られて思うようには上手く進めなかったが、それは向こうも同じだ。
それに林が入り組んでいる分、向こうは直線で進めないのだから追い付けると考えた。
反対側の林に到着し中に入ると、想像以上に荒れていた。地面からは分厚い雪を割くように草木が茂っており、折れた木の枝などもそこらに落ちている。
先ほどまで通ってきた林よりも一段と人の手が入っていない、そんな一目で歩けば危険だとわかるような有様だった。
「マズイですよ江戸川君、早く追い付かないと、もしもここで一花が転んだりでもしたら」
「いや五月、追うのはここまでだ」
「え?」
予想外だったのだろう。五月が戸惑った顔をした。
コナンはその周囲を見渡してから、ある方向へ視線を定めた。
視線の先には他の林の部分とは明確に違う部分があった。
「よく見て見ろ。これだけ荒れ放題の場所だ。雪も積もってるし、人なんかが通れば跡ができる。俺たちが今横断してきたルートはおそらく一花がぐるぐる回ってたんだろう。そこら中に足跡があった。それが今はどうだ、俺たちの前にある足跡と言えば」
「……! 一つしかありません!」
「そして、その足跡はすぐ先の木の陰まで伸びて、反対側には続いていない。そうだろ一花、そこにいるんだろ」
コナンが呼びかけた先、気の影からは予想通り、一花が姿を現した。
一花の顔はうつむき気味で、どこか気まずそうに口を結んでいる。
姿を見せてくれたのはいいものの、こちらに来るでも、何かを言うでもない様子の一花に五月がしびれを切らした。
「一花、どうしてこんな危ない真似をしたんですか。私が食堂に行く前はあんなに楽しそうに」
「五月、俺に任せてくれ」
五月の言葉を止めた後、一歩前に出た。
「一花」
「……」
「一花、聞いてくれ。俺は」
「大丈夫だよ、コナン君。だから、言わないで」
誠実に、真正面から話そうとしたコナンに対して、答えるように一花も言った。
しかし、その言葉を受け止める覚悟までは出来ていなかったのだろう。だからコナンの言葉を一花は遮ったのだろう。
次の瞬間、一花は顔を上げると、そこには薄い苦笑いが浮かんでいた。
風太郎ですら気づく、コナンや五月ならばよく見ている本心を隠す笑い方だ。
「迷惑かけてごめんね。流石のお姉さんも、流石にこれ以上は危なくて先にはいけなかったよ」
「一花……」
「戻ろう。みんなにも謝らなくちゃ」
「分かった。レスキューの人たちだって動いてくれてるんだ、今は一花の言う通り戻ろう」
二人を連れて、林間学校へと戻ろうと後ろを振り返った時だった。
ずん、っという地響きが鳴った。その直後、続けて地面が揺れ始める。
「なに!?」
「じ、地震ですか!?」
一花と五月の二人はその場にしゃがみ込んだ。コナンも近くの気に手をついてバランスを取る。
揺れは少しの間続いた後、徐々に静まっていった。
完全に揺れが収まった後、二人は立ち上がるとコナンの方へと歩み寄ってくる。
先ほどまでの気まずい雰囲気とは違う、別の不安げな顔だった。
「ずいぶんと大きかったですね」
「うん、ちょっと怖かったかも……」
「待て、しばらくここで待機だ」
そのまま林の外へと出ようとした二人の前に手を伸ばして止める。
どういうことかと問いかける目をする二人に、今度は自分の口元に人差し指を当てて静かにするようにジェスチャーする。
「こんな雪山ででかい地震だ。しかもここは山道のど真ん中、こんな状況だったらすぐにでも来るはずだ」
「来るって、何が?」
再び地響きがし始める。しかし先ほどの地震とは違い、小刻みに揺れるような感じと、音も遠くから聞こえてくる。
やっぱり、そう確信してコナンは言った。
「雪崩だよ……! おめえら、伏せろ!」
二人の肩を抱くようにして、スキーエリアから自分を盾にするようにして道に背を向けた。
そのすぐ後、轟音がどんどんと迫ってきたと思ったすぐ後にスキーエリアを埋めつくような雪崩が通り過ぎていった。
一花と五月の二人が悲鳴を上げる。
二人を抱く手により力を入れると、腰を落として踏ん張った。
コナン達のいる林の中までは、流れる雪に押された暴風が届いてはいたものの、雪そのものまでは入ってこなかった。
大量の木々と、整備されずに起伏が激しいままになっている地面が雪崩の来た方向にもずっと続いていたため、コナン達に届く前のどこかで、コナン達がいる列にまでとどかず雪崩はどこかで止まっているのだろう。
二人を林の中に留まらせたのは、そこまで読んでのことだった。
そうしてしばらくじっとした後、ようやく雪崩は収まった。
いつの間にかぎゅっと閉じていた目を恐る恐る開けると、スキーエリアの方へと目を向けた。
先ほどまでの深さとは非ににならないほどの大量の雪が積みあがっていた。
「危なかったな。後少し早く林を出てたら、俺たちもあの中だったかもしれねえ」
「こ、怖かったです……!」
「五月ちゃん、大丈夫だよ……もう終わったみたいだから……」
目じりに涙を浮かべ震える五月の手を一花が握ると、そう言って元気づけようとした。しかし、流石の一花も平静を保ちきれず、言葉は五月と同じように震えていた。
すると、コナンは二人を守るために抱いていた手を置いたまま、一花の代わりとなるように不敵に笑って言った。
「安心しろ。もう終わったし、これから何かあったとしても、ぜってえ俺が守ってやっから」
「江戸川君……」
五月の表情は一変して、安心しているのが見て取れた。そして安心以外にも、コナンの顔を見つめる五月の、そんな姿を一花は見てしまった。
一花は目を見開いた。まさか、そんなことがあるのかという考えが脳内を埋め尽くし思考が凍り付いている間に、コナンの手が離れる。
気が付けばずいぶんと同じ姿勢のままじっとしていたようだ。
我に返った時、一花の足にじんとしびれた感覚が沸いてきた。
「もうそろそろいいだろ。気を付けながら戻ろうぜ」
立ち上がったコナンがスキーエリアを見ると、反対側の林から四葉が現れるのが見えた。
向こうもこちらに気が付いたようで手を振ってくる。
「おーい! コナンさん! 一花! 五月!」
四葉がこちらへ走ってくる。
おそらく、風太郎を送った後で自分も合流すべく追ってきたのだろう。
その表情に焦りのようなものは一切ない当たり、雪崩が起きたことなど知りもしないのだろう。
通常、スキー施設は営業前に雪崩発生の危険性を確認している。可能性がある場合には人為的に雪崩を発生させておき、今回のような地震が起きても簡単には営業時間中に雪崩へと発展しないようにしているのだ。
しかし、コナン達がいる未整備のエリアは最初から立ち入り禁止にしており人が入ってこないだろうと踏んでいたのだろう。人為的な雪崩の発生にはコストもかかるため、その処置がされていなかったのだろう。
四葉と合流するため、自分達も林から出ようとした。その時だった。
再び遠くから轟音がした。
コナンは慌てて雪山の方へと見た。白い霧のようなものが立っている。二度目の雪崩が起きていること示していた。
対して四葉は気づいておらず、いまだにこちらへと来ようと向かってきており丁度エリアの真ん中のあたりにいた。
「四葉、来るな! 戻れ!」
叫んだコナンの声を聞いて四葉が立ち止まった。どういうことか理解が出来ないようだった。
四葉に見せつけるように雪山の方を指さす。
「雪崩だ!」
コナンの動作につられて見て、ようやく気付いたように目を見張った。
四葉は踵を返して走り始める。
しかし、一度目の雪崩で四葉の体は膝下あたりまで雪で埋まっている。
足を高く上げては雪を踏み込む、まるで関取が四股を踏むような大ぶりな歩き方でしか四葉は走ることが出来ず、その速度は遅かった。
先ほどまでとは違う、目の前で姉妹が巻き込まれようとする様を見ていられず走り出そうとしている一花と五月の手をコナンは掴んで引き留める。
「離してください江戸川君! 四葉が!」
「私のせいでこんなことになったんだよ!? お願い行かせて!」
「馬鹿野郎! お前らまで巻き込まれちまうだろ! じっとしてろ!」
コナンの手を振り払おうと二人はするが、絶対に離さなかった。
それに例え二人を止められたとしても、自分がいったところで結果は同じ、雪崩という大自然の力の前に人間一人ができることなど何もなかった。
だからこそ、四葉にはなんとか対岸の林へ逃げ込んでほしく願っていた。
しかし、その願いも空しく三人の目の前で大雪が四葉を飲み込んだ。
「四葉ー!!」
一花の絶叫が響き渡った。
雪崩が終わり、舞い上がっていた雪も落ち着いてきて視界が開けたころ、先ほどまで四葉がいた場所には人影一つなかった。
「うそっ……ほんとに巻き込まれてしまったのですか……」
目の前の光景が信じられない五月が茫然として言う。
その五月の横をコナンが飛び出した。
一直線に四葉がいた場所まで向かう。
「お前らも探せ! 時間がねえ!」
目標地点に到着したコナンはその場に蹲ると地面の雪をかき分け始める。
二度目の雪崩もあり雪の深さは尋常なものではなかったが、二度目の雪崩に巻き込まれたのでないならそれほど深い場所にはいないだろう。
コナンの号令にはっとした一花が続けて林から出ると、コナンの近くで同じく雪を掘り始める。
「コナン君! あんな雪崩に巻き込まれたのに、四葉大丈夫なの!? 時間がないってどういうこと!?」
手を止めることなく、一花が疑問をぶつけてくる。
「無事かどうかは掘り出してみないとわかんねえけど、巻き込まれただけだったら生きてる可能性は十分にある……だがそれもさっさと見つけられた場合だ! 人間が雪崩に巻き込まれて雪に埋まっちまった場合、十五分を超えるとほぼ助からねえ。素手で掘ってる俺たちじゃ掘り出すのにも時間がかかるから、四葉を探す時間として俺たちに許されているのは十分かそこらだ!」
「そんな……四葉っ!」
コナンの説明に絶望的な顔を浮かべたか、一瞬の沈黙の後で一花は再び地面と向き合った。
とにかく時間がないということを理解できたのだろう。
その後ろで、未だに林の中にいる五月が震える手でスマホを操作していた。
「救急……警察、と、とにかく助けを呼ばないと」
「そんなの呼んだって間に合うわけねえだろ! いいからさっさとおめえも手伝……いや、五月それだ! 四葉に電話しろ!」
「コナン君! 雪の下にいるんだから、電話したって出れるわけないじゃん!」
「いいから、一花も静かにしてろ! 五月、はやく!」
「は、はい!」
五月はスマホで四葉へとダイアルする。
発信音がスピーカーからなり始めた。
「かけました!」
「よし! 耳をすませろ、着信音かバイブレーションの音が聞こえないか注意するんだ」
「そういう……わかったよコナン君」
一花が目を閉じ、耳に手を当てた。
沈黙が流れ、一同の耳に届くのは林の間を駆け抜ける風切り音だけだった。
そのまま少しの間じっと待つが、一向に着信音らしき音は聞こえない。
「くそっダメか……サイレントマナーモードにでもしてんのかあいつ……」
「どうしましょう江戸川君、もうすぐ十分経ってしまいますよ……!」
スマホを操作していた五月には時計が見えていた。
雪崩が終わり、コナン達が駆け出して行ったすぐ後に取り出したから経過時間も正確なはずだ。
先ほどのコナンの話が五月の脳内で再生される。十五分を過ぎればアウト、自分達に残されていた時間は十分がせいぜい、そして今、その十分が経過しようとしている。
「……っ!!」
早く助けなければ、そのためにも解決策を考えなければならないというのに、この時五月の脳内で再生されていたのはどういうわけか四葉との思いでばかりだった。
もうダメだと諦めているのかと、自分で自分に対して叱咤する。けれど頭の中の四葉の顔は消えることはなく、五月の目からはとめどなく溢れる四葉への感情が零れるように涙が流れた。
一花も同様に、目じりに涙を浮かべ始めているが、五月ほど絶望をしているわけでもなく下唇を噛みながら懸命に手を動かしていた。
(何か、何か手はないのか……!)
気持ちはコナンも同じだった。最後の一瞬まで絶対に諦めるつもりはない。どうにかして四葉の場所を割り出せないか周囲を見渡し、わずかな痕跡も見逃さないように目を凝らしていた。
その時、一花が呟いた。
「流されちゃったんだとしたら、せめて四葉のいる位置だけでも分かればいいんだけど……」
「位置……そうか!」
一花の言葉から着想を得たコナンは、自分のメガネへと手を伸ばした。
メガネのつるについている突起のない押し込みボタンを押した。
直後、レンズの端の部分からアンテナが伸びだし、左目のレンズにはレーダーが表示される。
「コナン君、何してるの?」
「思い出したんだよ。勝負を始める時に、念のためあいつに渡しておいた発信機をな」
コナンはレーダーから位置を確認すると、立ち上がり下流の方へと走り始めた。
「こっちだ! お前たちも手伝え!」
レンズに映し出されたレーダーには、しっかりと赤いポインターが浮かんでいた。
自分の位置を中心として、相対的に表示される赤いポインターがレーダーの中央と重なったところで再び掘り始めた。
後を追ってきた一花と五月もコナンに続く。
しばらく掘り進めていくと、緑色のニット帽が見えた。
「見えた! ここだ! ここを掘れ!」
三人でニット帽が見えた位置を掘り進めると、四葉が見つかった。
全身が雪の中から出されたのはちょうど十五分が過ぎようとしていた時だった。
四葉の体を一花が抱きしめる。雪に横たえるより、そうして少しでも温まればという思いであった。
五月も四葉の手を握っている。
「四葉、四葉! お願い目を覚まして!!」
一花が声をかけながら何度も四葉の体を揺する。
初めは反応がなかったが、二度、三度と繰り返していくと、その途中で四葉の体にわずかな変化があった。
五月が握っていた手の中で、ぴくりと四葉の指が動いたのだ。
「……! 一花! 四葉の指が動きました!」
「ほんと!? ……四葉、起きて!」
「……あ……いち、か?」
うっすらと、四葉の目が開かれる。
意識がまだぼんやりしているようで反応が鈍い。けれど、反応があること自体に対して、コナンも含めた三人が安堵の吐息を漏らした。
五月が一花の上から覆いかぶさるように四葉に抱き着いた。
「よつばぁ、よかった……よかっただすぅ!! 私、四葉が死んでしまったかと!!」
「いつき、苦しいよ……私は大丈夫だから……」
それでも四葉を離さない五月が落ち着いたのはそれからしばらくしてだった。
その後、四人は後を追ってきたレスキュー隊と合流し、雪崩に巻き込まれた四葉は念のため担架で運ばれた。
しかし、林間学校に到着した時にはいつもの調子でピンピンとしており、四葉の自由行動は許されたのだった。
それよりもまずいのは風太郎の方であった。
四葉に連れられて林間学校に戻った時には風邪をかなりこじらせていたらしく、林間学校の一室を病室として風太郎を寝かせることになっていた。
キャンプファイヤーはすでに始まっており、広場には明かりのまわりを多くの生徒たちが賑わっていた。
生徒たちの関心はこの後に控えているダンスをどうするかということでもちきりであったが、その光景を少し外れた位置から見ていた二人がいた。
一花とコナンだ。
「また君には助けられちゃったね。しかも今度は、妹の命の恩人だ」
「ま、助かってよかったよ」
キャンプファイヤーを眺めながら、広場の外れの石階段に腰かけていた。
二人の目線はキャンプファイヤーのまま、ぼんやりとしていた。
一花は膝に肘を載せて頬杖を着いており、コナンは両手を頭に当てて後ろの階段に背を預けている。
「今日のことは反省してる。あの程度のことで君と言い合いになっちゃっただけなのに、それが原因で四葉をあんな目に合わせちゃったんだもん。私のせいだ」
「んなことねえよ。地震が原因で雪崩が起きるだなんて、誰が予測できんだよ。むしろ逆だ」
「え?」
「おめえが勝負しようなんて言い出さなかったら、俺は四葉にGPSの発信機なんて渡してなかった。あれが無かったらマジで危なかったかもしれねえ。だから、四葉が助かったのはおめえのおかげなんだぜ」
「……そっか、そうなんだ……良かった」
一花はうつむくと、両手で顔を覆った。
四葉が雪崩に巻き込まれてからというもの、茫然自失としていた五月とは対照的に五月は率先してコナンに協力をしていた。それは長女だからという責任感によって出来たことだと思ったが、どうやら違ったらしい。
自分が原因という罪悪感によるものだったようで、それが今、報われた思いだった。
「……なあ一花、それでよ。この後のダンスのことなんだけど」
「大丈夫だよ、コナン君。大丈夫、もう迷惑かけるようなこと言わないから」
「そうか……別にダンスの相手をしてやるくらいならって思ったんだけどよ」
一花が驚いた表情で顔を上げた。
隣に座るコナンを見ると、相変わらずぼーっとして焚火を眺めている。
その様子からして、コナンは自分が何を言っているのか分かっていないことに一花は気が付いた。おそらく結びの伝説のことを知らないのだろう。
だとしたら、コナンには自分の気持ちはまだ伝わっていないということになるだろう。
一花自身、まだ自分が本当にコナンに対して”そういう気持ち”を持っているのか自信が持てていなかった。あの夏祭りの日から持つようになった微熱のような感情だった。
「ううん、コナン君には大事な人がいるんだもん。不安にさせるようなことしちゃダメだよ」
「この前地元のダチに電話した時も、似たようなこと言われたな……ま、そうだよな。あいつには、蘭にはずっと心配をかけてきたんだ、もう同じことは繰り返さねえと俺も俺自身に誓ってる」
「本当に、大事に思ってるんだね」
ああ、とコナンが短く同意した。
そのコナンの様子を見て、一花は決めた。自分の感情は、気の迷いにすることにしようと。今ならまだ引き返せる。目の前で燃え上がるキャンプファイヤーのような熱は自分にはない。だから消してしまおうと、そう決めた。
その時、遠くから五月が歩いてくるのが見えた。
さっきの雪山のことを思い出した。五月にも話しておかないといけないだろう。
「ねえコナン君。お願いがあるんだけど、飲み物を買ってきてくれないかな」
「急になんだよ。自分で行ったらいいじゃねえか」
「ダンスを断ったお詫びとして、ね?」
「ったく、しゃあねえな」
コナンが立ち上がると、階段を上って少し行った先にある自販機へと歩いて行った。
入れ替わるように五月が到着する。
コナンが自販機の方へと歩いているのを見ていた。
「や、五月ちゃん。どうしたの?」
「四葉を助けてくれたお礼を彼に言いに来たのですが、彼は行ってしまったのですか?」
「ううん、飲み物を買いに行っただけだから。すぐに戻ってくるよ」
そうですか、そう言って今後は五月がコナンが座っていた位置に腰かけた。
一花は五月を見る。
コナンが戻ってくるまで時間はそれほどない。単刀直入に切り出すことにした。
「ねえ五月ちゃん。コナン君のことは好き?」
「え……ええ!? い、一花、急にいったい何を!?」
五月は立ち上がると挙動不審に手をわたわたさせた。
「雪山で一緒にいる時、何となくそう思ったんだ。ねえ、どうかな」
じっと覗き込むように見る視線に、五月は徐々に大人しくなると、目線だけは逸らして言った。
「……おそらく、そうなのだと思います。私は、江戸川君のことが好きなんだと」
「ダメだよ」
「え」
「コナン君のことを好きになっちゃ、ダメ」
先ほどから変わらず、まっすぐと五月を見ながら真顔で言う一花につられて五月も冷静さを取り戻し始めたようだった。
五月は胸に手を寄せた。
「どうして、一花がそんなことを言うんですか。まさか、貴女まで江戸川君のことを」
「違うってそういうんじゃないよ。コナン君自身に理由があるの」
「理由……なんです、それ?」
「知らないみたいだから教えてあげるね。コナン君にはさ、大事な」
「お、五月もいるじゃねえか!」
その瞬間、コナンの声が一花の言葉を遮った。
慌てて振り向くと、階段の上では二本の缶を持ったコナンが立っていた。
コナンは階段を下りてくる。
「わりいな、おめえも来てんならもう一本買っておけばよかったぜ。俺の分のつもりだったけど、コーヒーいるか?」
「え、ええ。いただきます」
五月が目線だけをこちらに向けてくる。話はまた今度、ということだろう。
まるでドラマのようなタイミングで割って入ってきたコナンに、一花は買ってきてくれた飲み物を受け取りながら内心で舌打ちをした。
もう一本買いに行かせるかとも考えたが、また五月のことを考えると、コナンに彼女がいることを伝えた五月が落ち込むことは目に見えていた。すでに一度、五月と会話をしてしまったコナンならば五月の変化に気づくだろう。
完全に気を逃した。一花はそう判断した。
「それで、五月は何しに来たんだ?」
「ああ、四葉のことでお礼を言おうとしまして——」
五月にはいずれ話をすることにした。
四葉は風太郎が眠っている部屋へと忍び込んでいた。
自室へ戻った時、四葉はひどく落ち込んでいた。まさか風太郎の容態がここまで悪くなっているとは思わなかったからだ。
風太郎のしおりには大量の付箋やメモが張られており、それを見るたびに自分が無理やりベッドから引き釣り出さなければこんなことにならなかったと、台無しにしてしまったと考えた。
けれど、その時部屋に入ってきた三玖のおかげで考えが変わったのだった。
初めは四葉の話に同意し、寂しい終わり方をした風太郎が可哀そうと言っていたが、四葉から風太郎のしおりを渡してもらった時にあることに気が付いたのだった。
『四葉、これみて』
『これ……上杉さんのメモ? 楽しかった話とか、驚いた話とか、私たちのことばっかり書いてる……』
『残念な話とかは書いてない……フータロー、ちゃんと楽しんでたのかも』
『本当かな』
『本当かどうかは、フータローにしか分からないけど……』
『私、上杉さんに聞いてみる!』
そうして部屋の中にこっそりと忍び込んだのだった。
部屋の明かりは消されていたため、てっきり風太郎一人が眠っているのだと思っていたが、暗闇で目が慣れたころになるとベッドの隣では社会の先生がパイプ椅子に座って眠っていることに気が付いた。
咄嗟に隠れたため見つかることはなかったものの、それからしばらく動けなった。
風太郎が咳をした。それに驚かされて先生も目を覚ました。
「おっと……寝てしまった。すっかり暗くなったな」
どうやら明るいうちから部屋にいたが、眠りこけてる間に日が落ちたしまったから電気が消えていたのだと理解した。
先生は入り口の近くまで寄ると、手探りで壁のスイッチを探す。
「電気、電気」
入り口の扉が開いた。別の先生が廊下から顔を覗かせる。
「主任、キャンプファイヤーも終盤です。手伝って貰えますか?」
「ああ、今行こう」
「どうせ寝てたんでしょ」
先生は二人はそう言いながら廊下へ出ると、扉は閉じられ再び部屋は真っ暗になった。
せっかく目が慣れていたというのに、廊下の光が目に入ったせいで部屋の中が再び真っ暗に見えた。
(電気を点けられてたら気付かれてたよ……)
今度こそ風太郎に話しかけるべく、四葉は立ち上がると自分も手探りでスイッチを探し始めた。
とはいえ、先ほどの廊下から光が差し込んだ時におおよその位置は把握している。
手を伸ばすと予想通りスイッチに触れた感触があり、そのまま切り替えた。
部屋の明かりが点いた瞬間、自分の隣にもう一人人影が立っているのが見えた。
三玖だった。
「ええーっ!? 三玖も来てたの!?」
「私も、四葉みたいに出来るかなって思って……」
どうやら同じことを考えていたらしい二人は、互いに見合って笑った。
そして、風太郎の方へと歩いていく。
「上杉さん。私も三玖も、ここにいないみんなも、上杉さんに元気になってほしいと思ってます。目を覚ましたら、今回の林間学校がどうだったか、教えてください」
キャンプファイヤーが終わるころ、生徒全員が思い思いの場所にいた。
カウントダウンが、焚火の周りにいる生徒によって数えられる。
「3!」
一花と五月はコナンの横に座っていた。
その両手にはホットの缶が握られている。
「2!」
二乃は一人、昨日の約束のために待っていた。
「1!」
三玖と四葉は、眠る風太郎の左右に立っていた。
風太郎の両手はそれぞれ、三玖と四葉が手を取っていた。
「0!」
カウントダウンと同時に、キャンプファイヤーの終わりを告げる打ち上げ花火が、空に咲いた。
今回の話を書くためだけに、コナン映画の「沈黙の15分」を借りに近くのレンタルビデオ屋を数年ぶりに利用しました。
コナンって今サブスク動画サイトだと映画は見れなくなってるんですね・・・