シャーレの居候は動かない 作:宇沢心経百面曼荼羅
ここ最近、先生の顔を直視する事ができない。
別に、先生の事が異性として気になっている……という訳では無い、はずだ。しかし、先生の顔を見ると動悸が止まらなくなる。
私とてそこまで鈍くはない。この動悸が、単なる病気ではない事など分かっている。
きっとこれは、感情の起伏からくるナニカ。
決して先生の事が好きとか、そういうのではない。絶対違う。あんな人を好きになるはずがない。
人の足を舐めるような人だ。好きになるわけが────いや、それを言えば私もミカ様の足の指を舐めさせられて、それを受け入れたのだから同じ穴のムジナだが。
「………にしたって!納得できない!」
「………何がですか?」
私は自分の胸の中で渦巻くこの気持ちについて相談するため、サクラコちゃんの元へ訪れていた。
以前サクラコちゃんと邂逅してから、日をおかずに度々会っていた私たちは、すっかり仲良くなっていた。
お互いによく勘違いされる者同士、分かり合える部分が多かったのもある。
「私が先生を気にしているって事実が、だよ。あんなダメ大人、嫌いなはずなのに……」
「私はその先生という人にまだ会った事が無いので分かりませんが、ユリさんは先生のどこかに惹かれたのでは?」
「ユリ
「あっそうでした。ユリ」
私だけサクラコちゃんの事をちゃん付けで呼ぶのは不公平なので、お互いが対等な友達であるために呼び方を砕けたものに変えてもらっている。
まだ慣れない様子ではあるが、そのうち慣れるだろう。
「しっかし………確かに、たまにかっこいいんだよな……」
「ユリはそこにやられてしまったのでは。弱っている時に支えて貰ったのでしょう?それもあると思いますが……」
「かもね。でもアレは無いかな……」
「………ところで、先程からユリのスマホが光っていますが。仕様ですか?」
「え……?んなっ!?し、しまっ!」
スマホを見ると、先生とのモモトークで音声入力モードが起動していた。いつの間に、いつから聞かせていた?
そんな事を考える暇もなく、既読のついたメッセージを消していく。
「ふふっ、ユリのそんなに焦る顔は初めて見ました。浦和ハナコさんが『泣かせてみたい』と言っていた気持ちが少しだけ理解できたような気がします」
「先生、勘違いしないでくださいね!あくまで、ビジネスライクですから!ビ、ジ、ネ、ス、ライクですので!では!」
音声入力を切り、テーブルに顔を突っ伏す。
顔が熱い。優しく頭をサクラコちゃんに撫でられるが、それ以上に羞恥心で死にそうだ。
口から勝手に呻き声が漏れる。翼が意志を無視してバサバサと羽ばたいてしまう。翼は口ほどに物を言う、とはこの事らしい。
「うぐぅぅうぅぅ……!」
「落ち込んでいられませんよ、返信が来ています……読み上げますね。『"ユリ!私も好きだよ!"』……との事です。どうしました、そんなに悶えて……」
先生は本当に、コミュニケーションが上手い。というより、躱すのが上手い。ここで下手に思わせぶりな態度を取らずに、直接まっすぐな好意を伝えてくるとは。
流石はシャーレの先生。生徒とのコミュニケーション能力はパーフェクトと言っていいだろう。
しかし、この私にその手は効かない。
何故なら私は先生にこれっぽっっっちも!興味を抱いていないからだ。………いや、やめよう。これ以上は見苦しいだけだ。
「………サクラコちゃん、私……先生に会ってくる」
「行ってらっしゃい。お気をつけて」
先生の居る場所を道ゆく人々に尋ね、訪れた先では私のよく知る人たちが楽しそうに授業を受けていた。
その内容は初歩的なもので、私が3年前に終わらせたような所をやっていた。
間違えて中等部の校舎に迷い込んだか………?
「────もういやっ!分かんない!相対性理論って何なのよ!核分裂反応って何!?そんな技術キヴォトスで聞いたことないわよ!」
「コハルちゃん……古典化学の基本ですよ、それ」
「何よ!じゃあアンタは分かる訳!?大体なんで千年難題のうちの一つが出題されてるのよ!?これ作った奴は頭おかしいんじゃないの!?」
「あはは……。それは数十年前に解かれてるのでもう難題ではないですよ……」
「"はい、静かにね。それじゃあ次は歴史の授業をするから────あれ、ユリ?どうしたの"」
「………!」
私が授業内容の低レベルさに唖然としていると、珍しく教鞭を執っていた先生が私に気づいてやってきた。
先生と顔を合わせられない、が、問題ない。
顔を見れないならおでこを見れば良い。ただ、それをするには私の身長が足りないが。
「いえ、先生に少し話があったのですが……何ですか?これは」
「"うん、実は補習授業部っていう部活の担任になってね。私に教えられる範囲は教えて、あとは教え合いでって感じでやってるんだけど……ユリも参加する?"」
「いえ……テストは満点以外取ったこと無いですが。正義実現委員という重労……もとい、大切な役割を全うするために学業を疎かにしてはいけませんから」
正義実現委員会がエリート集団扱いされるのは、基本的に試験で一定のボーダーラインを越えなければ実働部隊に入ることはできないからだ。
ツルギ先輩やハスミ先輩は勿論、マシロちゃんやイチカ先輩は試験で高得点を取った上で活躍しているのだ。
それは当然、私もだ。
正義実現委員会の実働部隊に入り、正義を実現するために初等部の見習い以下の丁稚奉公状態の時から勉強は本気でやってきた。
暗算の女王と言われるユウカさん程ではないが、安全に立体機動できるだけの計算能力はある。当然、光学迷彩だって自分で数値を入力している。
つまり、それくらい出来なければ特殊部隊員として成り立たないと言うことだ。
「"なら、ユリには副担任の先生として頑張って貰おうかな。チョークとか板書とかをやってもらう係"」
「え、嫌です。なんで私が手伝う流れになってるんですか。私は先生の部下では………いや、そういえばそうでしたね……」
すっかり忘れていたが、私はシャーレ所属の生徒だ。つまり、先生は私に命令権がある。私は正義実現委員会の所属だと思っていたが、実のところ色々な組織からの雇われだ。
正義実現委員会は勿論のこと、シャーレ……即ち連邦生徒会、リオさんの組織、それにアビドスからも呼び出せば駆けつけてくれる戦力としてカウントされている。
おかしい。私はいつの間にこんな勢力のど真ん中に来てしまっていたのだろう。
内心焦っていると、何かを勘違いした先生が「"無理にとは言わないよ"」とか言い出した。
「………鬼灯ユリ、作戦行動を開始します。ミッション概要、この場にいる者の学力改善。承りました」
「"ユリさん?その、目がマジだよ……?"」
私の置かれている状況がどうであれ、私が本気を出して事に当たらないのとは関係のない話だ。
全力で走り抜けて、戦って、足掻いて、その先にある物が何であれ。私は止まらない。止まらない限り、道は続く。
「ではこれより授業を始めるぞバカども!言っておくが、私の指導は厳しいぞ!以上!質問はあるか!」
「は、はい……」
「下江コハル押収品管理官!何だ!?」
「そ、その……私、ホントはこの場所にいるはずじゃないの!間違えて二年生用の試験を受けちゃっただけで!」
嘘だ。上学年の試験を受ける資格を持っているのはそれまでの課程を修了したと認められた生徒だけだ。
相対性理論程度で躓いていた程度の学力しかないコハルちゃんには無理だ。
「言い訳無用!教科書334ページを開け!」
「ユリ、私からも質問がある。この記述だが、実際は─────」
「テストとは自分の表現の場ではない!書かれてある通り書け!」
……と、こんな感じで指導をしていてふと気がついたことがある。浦和ハナコの違和感だ。
言わずもがな、浦和ハナコは頭がいい。私など霞んでしまうほどの頭脳を持っていながら、頭が悪いクラスにいるのは不自然だ。
おそらくナギサ様の奸計が多分に含まれた人選だろう。トリニティの裏切り者候補を成績不振という理由で纏めて処分するための装置。
それが補習授業部なのだろう。だが、私の方でトリニティの裏切り者を告発してしまえば四人は無事だ。
しかし、その見積もりは甘かった──────。
「"第一回試験の結果発表……ヒフミ以外全員不合格!"」
「う、嘘だろう………?」
まさかの、全員本当に頭が悪いだけという可能性が出てきてしまった。浦和ハナコに関しては2点だ。
答案を見ても、意図的に間違ったような痕跡はない。バカがやりそうなミスをして点を落としている。
「あうう……これで合宿は確定ですね……」
「"合宿?というと……"」
「はい、ナギサ様からの指示で、第一回試験で不合格者が出た場合は強制的に合宿をするようにと言われていまして」
「合宿……楽しそうですね。ユリさんは参加するんですか?」
「………一度、確認したいことがあるので私はひとまずこれで失礼します。合宿所にはちょくちょく顔を出しますので、サボらないように」
急いでナギサ様と私の密会場に行く。ナギサ様は案の定待っていてくれて、私の用件を大体把握している様子だった。
ナギサ様は紅茶を一口飲むと、落ち着いた様子で話し始めた。
「ユリさん、補習授業部はどうですか、何か手がかりなどは見つかりましたか?」
「ええ、まぁ……大体の犯人は掴めたのですが、その奥の黒幕を探しているところです。やるなら一網打尽にした方が賢明かと思いまして」
「もう掴んだのですか!流石は私のユリさんですね。それで……例のテストの事ですよね?アレについては私の方では一切関与しておりませんよ」
「……………そう、ですか。」
「ええ。私としても、あそこまで学力レベルが低いとは……正直、思いませんでした。1回目で突破されるようなら、難癖をつけて続けさせる気ではいましたが」
困った。これでは私がいくら頑張って犯人を見つけたとしても、あの四人は退学確定だ。先生なら何とかしてくれるだろうか?
いや、学力は本人の能力に作用する割合が殆どだから先生にも何とも出来ないだろう。
「そう落ち込まないでください、ユリさん。トリニティの裏切り者………いえ、トリニティの敵を倒すことさえできれば、安心して彼女達の退学措置も無かったことに出来ますから」
トリニティの敵か。そういえば、サオリ達に秘密でトリニティの地下に広がっている巨大地下墓地の入り口を見つけたので、そこを探索してみてもいいかもしれない。
私とて、毎日を無為に過ごしているわけではないのだ。ちゃんと斥候としてアリウスへと近づいていっている。
「…………ナギサ様。仮にもし、この先の未来で私が敵対するような状況になったとしても。私の忠義は貴女の為にあると、私の心は正義の為にあると、信じてくださいますか?」
「勿論です。私の騎士であり、弟子であるユリさんが考え無しに私を裏切ることなどあり得ませんから」
「………本当、いい主人を持ちました。では、これにて失礼します」
ナギサ様と別れた私は、予めマークをつけておいた場所───
見張り役のガスマスクをつけた生徒を襲って道順を吐かせるとするか。
「おい、【死神】。そんな所で何をして……ぬわっ!」
「てっ、敵しゅ……もがっ!」
一人は完全に気を失わせ、もう一人は掌底で声を上げられない状態にする。気を失った方はエンジニア部の新作装置で拘束する。
狙いを定めてボタンを押すだけで勝手に対象を亀甲縛りにしてくれる優れものだ。拘束するスピードが速いので、基本的に避けられないのが良い。
「ゔ……げほっ、な、何だ貴様……私達を、裏切るのか……!」
「裏切る?私は初めからトリニティの正義実現委員会ですよ。さぁ、お前の根城まで案内をしろ。さもなくば最新式の道具がお前の心を折る」
ウラワー博士とかいう人が作ったとかいう『優しい拷問48手』という発明品をエンジニア部から押し付けられた時は、とんでもないド変態が世に蔓延っているものだと思ったが、こういう時に限っては使いやすい。
「くっ……殺せ!」
「仕方ない……理解させてやろう、自分の置かれている状況を……」
「まっ、待て!その埴輪は何だ!?何に使うつもりだ!やめろ!やめ………わかった!案内するから!案内するから衣服を切り裂こうとするのをやめろ!」
「ご協力、感謝する」
見張り役の生徒の首根っこを掴んで
歩くこと約数時間。ついに私は目的地に辿り着いた。
「さ、さぁ解放しろ!もう良いだ、ろ゛っ!?」
「悪いな、ここで眠っていてくれ」
案内役を気絶させ、地上へと抜ける。こっそりと周りの人達の様子を伺うと、生活レベルの低そうな衣服に造りの古い建物が立ち並んでいた。
スラムや貧民街という訳でもない、ここは大昔から時間が止まっているのだ。
襤褸のマントを纏い、目深にフードを被る。これでここの住民達と同程度の見た目にはなれた。道を堂々と歩いていても、誰も声をかけてこないし見向きもしない。
暫くはここの実地調査と行くとしよう。
「……失礼、そのリンゴを一ついただけるか」
「…………5000円だよ」
おやつでも食べながら調査をしようとした矢先にコレだ。だが、市場調査も立派な調査のうちの一つだ。
それに、請求書は全てシャーレに持って貰えばいい。先生が無駄遣いをするなら、私が調査経費を請求するのも許されるだろう。
「まいど。アンタ……気をつけなよ、この辺はスラムのガキ共が物を強請ってくるからね」
「盗られたらまた買えばいい。在庫は残しておくといい、店主。上客が生まれたな?」
「ハン、言ってろ……」
店主さんは少し機嫌を良くした様子だ。スパイ活動というのは、こういう小さな根回しから成るものだ。
リンゴを齧りつつ、道の端で物乞いをしている二人の子供達を見つける。彼女達に干し肉をいくつか分けてあげる。彼女達を懐けて、いい斥候として育ててやる。
「それ、くれるの?ありがと………」
「おねーさ、いいひと?」
「おいっ!勝手に餌を与えるなよ!」
何やら恰幅のいい犬みたいな奴が鞭を持ってやってくる。汚らしい。消し飛ばしてやるとしよう……この子達を無料で勝ち取る為にだ。
「お、おい……?何だ、どうした……?ぎゃっ!?う、撃ってきた!?私は、マダムから許可をっ!」
「マダム、ね。なるほど。
「ひっ、いっ、いぎゃあああああっ!!!」
さて。戸籍もないような性格最悪のダニ野郎を始末したので子供達を連れていくとしよう。子供達の世界にこんな汚い世界はいらない。
ひとまず、持っていた金で空き家を買い取りそこに住むことにする。
一通り屋内を綺麗にしたら、必要なインテリアを手作りで作る。テーブルに椅子、ベッドは適当にあったものを繕っておく。
「あの、えっと……わたし、なに、すれば……」
「おねーさ、やく、たちたい……」
「言葉を覚えろ。そうしたら使えるように教育してやる。まずは飯を食え、そして寝ろ」
健康な兵士は健全な心身から。いくら強い戦士とて、寝不足や栄養失調では凡夫に劣る。で、あるからして今この子達に必要なのは健康な生活だ。
しかし困った。この子達に名前を用意してあげなくては。喋れないんじゃ、自分の名前も理解できないだろう。
「お前達に名をやる。大きい方がハウンド01、小さい方がハウンド02だ。覚えやすいだろ」
「はうんど、あいんす。おぼえた!」
「つばい。おぼえた……」
こうして、私のアリウスでの生活が始まった。
子供達の世話は存外楽だった。元々がスラム暮らしなのだろう、何もしていなくても勝手に食事以外の諸々はやってくれた。
私がやる事と言えば、言葉を教えるのと飯を買ってくることぐらいだ。
「ハウンド01、バシリカを発見しました!」
「ハウンド02……侵入経路もバッチリ。あとは突入だけ」
ハウンド達を世話し始めてから、約一週間ほどで完璧とは言えないが、実践投入出来るだけの戦力になった。
これで目的は果たした。あとは私が一人で頑張れば良い。それに、コハルちゃんの顔も見ておきたいし。
「………ハウンド01、02に命令する。自由に生きろ。以上だ、今後は私の前に顔を出すことを許さん。この家の家賃は既に50年近くの分は払っておいた」
「ま、待ってよ!ご主人様はどこに行くつもりなの!?」
「……01、やめて。
「そういう事だ。お前達とはここでお別れだ。短い間だったが、楽しかった。ではな」
ハウンド達が集めてきた情報を頼りにバシリカに辿り着く。当然のことながら、大量に兵士が待機している。
私の役割はマダムとか言う奴の情報を集めに集めて帰ること。帰れない斥候など、無能以下だ。
「お前は……あの襤褸犬どもの飼い主か。何用だ!ここは貴様のような低俗な屑が来る場所ではない!」
「………通せ。私は貴様らと志を同じにする同志だ。トリニティを滅ぼす算段が付いた。マダムに会わせろ」
「なんと……それは有り難い!案内します、着いてきてください」
兵士についていくと、中央礼拝堂のような所に案内された。そこには赤い肌の異形。大量の目が付いた化け物がいた。
このゲテモノがマダムという奴か。トリニティを滅ぼさんとする屑め、決して生かしてはおかない。
「やっと来たようですね。鬼灯ユリ」
「ええ。サオリ達から話は聞いて────」
「お前たち。そのネズミを捕えなさい」
やっぱりな。性根が腐っている奴だからそんなんだろうと思っていた。即座に光学迷彩を起動し、不可視の攻撃を加えて飛び込んできた二、三人を伸す。
マダムのような不思議な身体をした人はブラックスーツさんくらいしか知らないが、あの人とは全然違う。
この淑女もどきは淑女らしさのカケラもない。
「きっ、消えた!?どこだあっ!」
「使えませんね……!上です!」
マダムはどうやら空間知覚能力があるらしい。残りの光学迷彩の起動時間は2分55秒。ここから全滅させるのは余裕だ。
数十人単位で出てきたとしても一人ずつ倒せば問題ない。それに、見えなければ負けるわけがない。
「こんなもの……!見えてなくとも!ぼはっ!」
「せめて何か言えよ!アタシらを蹴散らすだけ蹴散らしてぇっ!遊びでやってるんじゃ無いんだよ!」
「コンナハズジャナイノニィ!」
光学迷彩の効果時間が切れる頃には、襲いかかってきた大量の兵士たちは全滅していた。戦いに戦いを重ね、一日たりとも訓練を怠らなかった。
この程度の雑兵に負ける私では無い。
「ま、待て……待ってくれ!その人を、倒さないでくれ……!」
「………何?」
「その人は、私たちの希望だ……トリニティを、私たちの敵を……打ち倒してくれる、希望なんだ!」
「隙を、見せましたねェェエエエ!!!!喰らいなさい、『ヘイロー破壊爆弾』っ!」
マダムが私に何かを投げ────私の目の前で炸裂した。ズン、と身体を貫通して響くダメージ。頭の奥底が沸騰するような感覚に襲われ、私の意識は深い奥底へ…………行くことはなく、そのギリギリで踏みとどまった。
「な、バカな……!これは、ヘイロー破壊爆弾で……」
「ボロボロだけどな………!今回は引かせてもらおう。だが覚えておけ、貴様は必ず【死神】が殺す!生徒の希望を利用し、子供を虐げる世界を作った貴様を……シャーレは許さん!」
襤褸のマントを翻しながら光学迷彩を起動し、帰路へ着く。後ろからは追撃を命じる声が響いていたが、結局追撃は一度も来なかった。
◆
私───錠前サオリにとって、鬼灯ユリという人間は不思議な人間だった。
トリニティの桐藤ナギサを恨んでいるという話で、日夜奴隷のようにこき使われ、死を望むほどの苦痛に苛まれている……という事をアズサから聞いた。
しかし、実際に会ったユリは全くの別人だった。
「一緒に、トリニティを滅ぼそう!」
「あ、ああ!共にトリニティへの復讐を成そう」
常に貼り付けたような笑みを浮かべ、時折のぞかせる真っ黒な表情。初めは、きっとトリニティへの憎悪だと思っていた。
しかし、その赤い瞳が私の視線と交錯した時……はっきりと、私は恐怖を感じた。
「ッ……!?」
「………どうしましたか、サオリ」
その日は、暗い夜のことだった。珍しく赤い月が昇り、皆が月を見に出払っている時に私はユリと出くわした。
ユリは私たちのアジトへ物資を運び込んでいる最中で、特に不審な点は見当たらなかった。しかし、胸のざわつきを抑えきれずに確認しにきたら、ふと目があったのだ。
「いや、何でもない……。それよりユリは、こんな所で何を?」
「見ての通り、物資を運んでいました。」
あの時見たユリの瞳に宿っていた何かを忘れられない。
その正体が分かったのは、ユリと連絡がつかなくなってから一週間後のことだった。
「………リーダー。表で野良犬二匹を見つけた。どうする?」
「ミサキ、その子供たちは……アリウスの」
ミサキが両脇に抱えているのは、小汚い格好をしたアリウスの子供だった。アリウスの子供は発育が悪い。だが……この子達は少しだけ血色がいい。
最近まで食べ物を食べていたのだろう。
「あ、あんたら……トリニティの人か!?頼む!ご主人様がヤバいんだ!マダムにひとりで喧嘩を!」
「お願い……私たちの
「マ、マダムに喧嘩をぉ……?つ、辛いことですよね……きっと、苦しいですよね……その人は、死んでしまったのでしょうか……」
「死んでるでしょ。確かめなくてもわかる話、ヘイロー破壊爆弾なんてものを渡してくるような人だよ?」
「……………(スッスッ)」
皆は死んだと言っているが、私はそう思わない。あの日見たあの目。何もかもを射殺さんとする目は、きっと─────再び私の前に戻ってくる。
ひとまず、私がすべきこと。それは捕えてきたユリの猟犬を上手く使ってやる事だ。
「聞け、ユリの猟犬。お前達に名前はあるのか?」
「ハウンド01と、ハウンド02。私たちはあの人の猟犬。あなたは……
まったく、ユリもひどい事をする。孤児を拾っておいて、マトモな名前も付けずに番号で呼ぶとは。
いや、それほど本気だったということか。あの方……マダムを倒すのなら、理性も道徳も、かなぐり捨てなければならない。
私たちも覚悟を決めなければ。
来たるXデー、エデン条約締結の日は近い。
そういえばこの時間は……アズサが定例報告に来る頃合いだろう。
「……サオリ、実行だけど。あと一日だけ、遅らせてくれないか」
「それは出来ない。ユリの覚悟に、応えなくてはならない。トリニティを潰す。エデン条約を奪い、私たちは……私たちは………」
マダムの期待に応える────?いや、違う。もっと私たちはやりたかった事があったはずだ。姫を解放してもらう?その先は?
分からない、分からないが……私たちは闘わなければならない。
「サオリ?」
「聞け、ハウンド達もだ。これよりミカの提示した場所へと攻撃を掛ける。既に本拠地からも戦闘員が複個分隊送られてきているはずだ」
「………その、リーダー。ごめん、助けに来た兵士はたった3個分隊しかいない。みんな、口々に『死神にやられた』って言ってる……これって、鬼灯ユリのことなんじゃ……」
「そんなはずないだろう。ユリは私たちの同志だ。きっと……ユリの計画にマダムが邪魔になったんだ。恐らくはそれでハウンド達のいうようにマダムに襲撃をかけたのだろう」
「ユリがマダムを……?どういう事だ、説明しろサオリっ!なんでユリがアリウス自治区にいるんだ!」
「………見張りを脅すかして行ったのだろう。ユリの計画……トリニティを滅ぼす計画とは、まさか!?姫の代わりに生贄に……」
そうか。そういう事なら話がつく。しかしどこから私たちの秘密を知ったんだ?いや、知る機会はある。
アリウスの人達に聞けば、生贄というワードは簡単に出てくるはずだ。正義実現委員会に入るような正義感の持ち主なら……自分を犠牲にする事もしかねない。
ユリが本物の正義の徒なら、歪んだトリニティの現状を知り、改善してくれようとしているのかもしれない。
だとしたら、だと言うのなら。私は。
「ユリの正義を果たす。あいつこそが私たちを……真のトリニティを憂う、正義実現の執行人そのものだ。作戦は予定通り実行する!良いな!」
待っていろ、鬼灯ユリ。必ずや私たちアリウススクワッドがお前の正義を果たしてみせる。
死んでいたら、どこかにあると言う天国で会おう。生きていたら、その時は──────。
気が早いな、今は目の前の課題を何とかしなくては。
◆
「………んーっ!うまい!」
一週間ぶりにトリニティに帰ってきた私は、好きなステーキ屋に訪れていた。勿論、マダムの襲撃計画を練りながらだ。
恐るべきは、マダムの所持していた妙な武器だ。アレは私の根幹そのものに攻撃してきている感触もあった。
実際、アレを受けてからと言うもの身体の調子が悪い。ヘイローが欠けた様子や砕けた様子は無いが、やや薄くなっている。
古い伝承には、ヘイローは深い絶望が無ければ破壊されないらしいが……実際のところは分からない。
「しばらくは戦えないな……エデン条約調印式前には元に戻ると良いんだが」
エデン条約調印式。黒幕が動くとしたらこの日だろう。必ずこの日までに調子を戻し、ナギサ様の悲願である平和をなす。
「あら?そのお声は……ユリさんではありませんか、ごきげんよう」
「ユリ、アンタもこの店の噂を聞いて来たの?秘密のレシピがあるって噂!」
最悪だ。私の幸せな食事を美食研究部なんかに邪魔されてたまるか。というか、良い加減フウカさんを離してあげて欲しい。
しかし、今美食研究部と事を構えるのは難しい。普通に戦うことはおろか、歩くことすらままならないのだ。
「………ご馳走様でした。お代はここに」
「お待ちになられて。ユリさん……もしや弱っているのでは?歩き方に芯がありませんわよ」
くそ、ハルナめ。なんで食に関すること以外も鋭いんだ。やめろ、ニコニコするなアカリ。キラキラした目で見るな、イズミ。
ジュンコ、ぽけっとしている君だけが私の癒しだ。
「なら、たくさん食べないとですね☆皆さ〜ん、今日は奮発してたくさん食べさせましょう!」
「ねぇ!?毎度思うけど、あんた達美食研究部って怪我人とか体調不良者に厳しくない!?」
「フウカさん、以前もそうでしたが……料理は人の命を救うのですわ!さぁ、食べますわよ!」
「普通に休ませてあげよう?」
首根っこをハルナに掴まれ、ズルズルと引きずられる。力が抜けているので全く抵抗できない。
食べやすいように切り分けられた食べ物が私の口にどんどんと運ばれていく。スタミナを付ける、という点では確かに有用かもしれないが。
「でもアツアツのおでんは嫌だ!卵とか、殺す気か!少し冷ましてくれ!フーフーするか何かしてよ!」
「はい、あ〜ん♪」
「んっ!ぐっ、もがっ……んんんんん!!!」
暴力的な熱さの後にやってくる卵の旨み。美味しいんだが、熱い。口の中を火傷したのでもうやめてほしい。
誰か助けて、と言おうとした途端に突っ込まれるコンニャク。半ば涙目になりながらジタバタもがく。
「………ふふっ、楽しくなってきました」
「ねぇ、なんか囲まれてない?あれって……正義実現委員長じゃない?」
「うーん、マズイですわね!逃げますわよ!」
「え!?ちょ、まだ食べてる途中で……置いてかないでぇ!」
フウカーに乗せられ、ハルナが驚異的なドリフト技術を見せて逃げるも……やはり、ツルギ先輩にダッシュだけで追いつかれてしまう。
しかし、ハルナはゲヘナ生の鏡だった。
「人質のユリさんはとても弱っている状態!この状態で引き金を引いたらどうなることやら!」
「ブッ殺すぞクソがぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「どうすんのよハルナ!怒らせちゃったじゃない!」
「ツルギ先輩、私は大丈夫ですので……うわっ!ハルナお前、何をするつもり……みぎゃーっ!」
あろうことか、ハルナは私を投げてツルギ先輩にキャッチさせた。ツルギ先輩は優しく受け止めてくれるが、その顔は怒りでめちゃくちゃだ。
「ユリ、無事か?私はあのクソどもを殺す!」
「ご、ご武運を……」
後でハスミ先輩から聞いた話だが、先生と補習授業部の活躍のおかげで事なきを得ることが出来たそうだ。
私が歩くのも辛いと言うと、ミレニアムから最新式の車椅子『デストロイヤー』を持って来てくれるとのことだった。
「車椅子でデストロイヤーって……どんなセンスかと思えば!まんま巨大ロボットじゃないですか!」
私の目の前にあるのは、逆関節の脚部に軽量化が重ねられたコア部分、機関銃を撃つのに適した腕部にモノアイが光る頭部の巨大ロボットだった。
これでは車椅子ではなく機動戦士だ。
「ユリ、しばらくはこれで代用してください。出撃時は空輸ヘリからになりますが、ユリの能力ならなんとでもなるでしょう!」
「………やってみせますよ!ハスミ先輩!」
虚しい言葉がガレージに木霊した。