巨大な門扉だった。
古風な石造りの門柱にシンプルなアーチ状の金属扉。自動車三台ほどが楽々通行可能な幅がある。
ゆっくりと開かれたゲートを送迎車のレクサスが静かに、まるで滑るようにくぐる。運転手を務める女性は頭頂部の耳や背もたれの
彼女は所謂お抱えの運転手だと言う。しかも運転代行サービス業といった外部委託ではなく直接雇用、それも祖父の代から延々とメジロ家に仕え続けているのだと。
「ごめんね、六車さん。私もトレーナーもバスでいいって言ってたんだけど」
「……お手数を掛けます」
「なんの。お嬢様方の送迎が私共の仕事です。そしてパーマーお嬢様のトレーナー殿におかれてもそれは同じです。どうかゆるりと、お寛ぎください」
六車運転手はそう言って、バックミラー越しにこちらへ微笑んだ。
彼女は人当たりの良いヒト、もといウマである。学園で車に拾われ、郊外の山道を行く最中も彼女はずっとにこやかに話を振ってくれた。
しかし、どうしてか。
俺はその微笑に、視線の中に、注意深い観察眼というか、値踏みのような気配を覚えていた。
「……」
「? トレーナー? どうかした?」
「いや……本当に広い敷地だ。今横切ったのはターフか? すごいな」
とりあえず知らぬふりで俺は能無しに徹した。仮にこの印象が勘違いでなかったとして、現状俺に為す術などないからだ。
大家メジロの所有する保養施設。思えば何故、俺とパーマーはこんなところを訪れているのだろう。
それは誰あろう、隣に座る少女がそれを所望したからだ。
茹だるような酷暑の夏。
先の六月のレースを制し、次なる大目標に向かって少女が研鑽を積む日々。
アスリート、ウマ娘たる少女達に実質安息日などなかった。彼女らは一人の例外もなく常に重圧の中にいる。走力の粋を極め、勝利するという。
たった一人にのみ与えられる、たった一つの栄冠の為に。
重い。重くない筈がない。
だからこそ。
彼女にほんの僅かにでも安らげる時間を持って欲しい。そう願い、可能な限りのメンタルケアを彼女に対して試みてきた。それが果たして実際に功を奏しているのか、情けないことに俺は実感を持てずにいた。
今の彼女の心は、平穏と言えるのか。
数日前の少女の惑乱を忘れられる筈もない。
彼女は不安がっていた。自嘲に肩身を縮めて、苦しんでいたのだ。
どうして。
……わからない。
この不理解はどうしようもなく罪深いことなんだと思う。トレーナーでありながら担当ウマ娘の心情を汲んでやれない不甲斐なさ。誇張ではなくそれは万死に値するのだろう。職責においても、一人の大人としても。
無力感など一丁前に噛み締めて、パーマーの厚意に日々浴している。
そんな折だった。
日課のトレーニングを終えて、学内の休憩スペースで談笑しながらパーマーと日暮れを眺めていた時、不意に。
「トレーナー、その……提案なんだけど」
「うん」
「今年の夏って気温やばみざわじゃん? や、ホンットに洒落になんないレベルで」
「そうだね。パーマーも、外出するなとは流石に俺の立場からは言えない。ただ本当に気を付けて欲しい。遊びに行く時も移動は日陰や冷房の利いた屋内に入るよう意識してくれ」
「あ、うん」
「体調に少しでも異常を感じたら落ち着ける場所で動かないこと。救急車を呼ぶのを躊躇しないこと。必要だと感じたら深夜でも早朝でも、何時だろうと構わないから連絡をくれ。飛んで行く」
「わ、わかった。わかったから。困ったらトレーナーに連絡ね。たぶん私、救急車呼ぶより先にトレーナーに電話すると思うから……ふふ、案外心配性なんだ」
「当たり前だろ……大事なんだ。君が」
「ふえっ!? あ、へ、ひゃい、そ、そう……ですか……」
今年の酷暑はあらゆる生物に対して苛烈を極める。人間を遥かに超えた身体能力を誇るウマ娘においてもそれは変わらない。
心配するのは当然だ。俺には競技者としての、そして一学生である彼女の身柄を預かる責任がある。
しかし、そうした常識と義務感を抜きにしても、俺はこの少女の身を案じずには居れなかった。
それは徹頭徹尾私心で……私欲だ。
パーマーは尻すぼみに語気を弱め、カップに刺さったストローを吹いた。暫時、ぶくぶくと泡立つはちみつの水音が休憩スペースの一角に響く。
「んんん゛! じゃなくって! 私が言いたいのは! ……その、ね? 今年は、あ、ああ暑いから」
「? うん、暑いな」
「こう極端な気候だと、どんなに体調管理してたって体はやっぱりバテちゃうもんじゃん? そうでしょ? トレーナーもそうだよね? そうだって言って!」
「そ、そうだな」
格別否定する理由もなかったのだが、俺は何故か肯定することを強要された。
パーマーはこちらの返答を聞いて息を吐く。それは安堵のようでもあり、なにかしらの決心のようにも見えた。
「だから、さ……」
「……」
「だから、トレーナー、わ、私と……私と……夏から逃げよう!」
「うん……うん?」
そうして訳も分からぬ内に、俺達は避暑と休養を目的とした小旅行に赴く運びとなった。
パーマーからメジロ所有の保養所の存在を知らされたのがつい昨日の夕刻。その時は日程の相談を含めて次の日に持ち越そうという話になった。なった筈だ。
しかして朝目覚めたその時、既に荷造りは済んでいた。
六車運転手始め幾人かの使用人の方々が職員寮の俺の自室に殺到し、瞬きの内に荷物を纏め上げついでとばかり起き抜けの俺に寄って集って身支度をさせ学園前に荷物共々運び出された。
「ご、ごめんね~トレーナー。なんていうかいろいろと……急で」
「ああ、うん、急だったな。本当に」
生気に満ちた緑の中を黒塗りの車に乗せられ、突き抜けていく。
気分は旅行というより誘拐に遭った人質といった感じだが。
「パーマーと一緒なら、どこへだって行くさ。君が同道を許してくれるならね」
「……ホントに、どこへでも? それが……それがどんなに
「ああ」
それがどんなに遠い距離、遠い世界でも。
そこに君が行くなら躊躇う理由はない。
今自分の立脚する居場所と世界を捨てても。
「……そっか」
パーマーは吐息するように、囁いた。