早めの昼食を済ませ、共用執務室へ取って返した。気付けば快晴だった空にはうろこ雲が掛かっている。
スマートホンにLANEの通知がある。バナーに表示された名前は……パーマー?
特に逡巡もなくメッセージ画面を起こす。
すると、そこには。
[パーマーがメッセージの送信を取り消しました]
[パーマーがメッセージの送信を取り消しました]
[パーマーがメッセージの送信を取り消しました]
[パーマーがメッセージの送信を取り消しました]
[パーマーがメッセージの送信を取り消しました]
[パーマーがメッセージの送信を取り消しました]
[パーマーがメッセージの送信を取り消しました]
[パーマーがメッセージの送信を取り消しました]
[パーマーがメッセージの送信を取り消しました]
[ごめーん!めっちゃ誤タップしてたっぽい!なんでもないから気にしないで!]
[そういえばトレーナー今日も出勤してるでしょ?]
[お疲れ!あんまり無理しちゃダメだよ]
[外食だからって味付けの濃いものばっかはダメだぞー]
[脂ものもほどほどに。暑くなってきたし酢の物とかどう?]
[魚はビタミンぱないんだって!特にサバ!]
[なので私的には和食屋さんがいいと思うな]
[でももう遅いかな]
[パーマーがメッセージの送信を取り消しました]
[パーマーがメッセージの送信を取り消しました]
[ごめんまた誤タップ]
[何度もごめんなさい]
[ごめんなさい]
[目障りだったら通知切っていいから]
[トレーナーの好きなもの食べさせてもらいなよ]
[当たり前なこと言ってるね笑]
[バカ言っててハズいねごめんね]
[パーマーがメッセージの送信を取り消しました]
[また明日学校でね]
手招きする猫のスタンプで締め括り、メッセージは終わっていた。
「…………」
何度かメッセージを読み返す。何の変哲もない日常会話である。
だから、こんな違和感を覚える理由はない筈だが。
しかし俺が文面から受けた印象は必ずしも好ましいものではなかった。
文章それ自体に
こちらの様子を。
────外食でも
────食べさせてもらいなよ
まるで、どころか明らかに、彼女は俺の先刻までの動向を把握していた。なんて言い方をすると実に人聞きが悪い。
ほとんどスナック菓子も同然の食事内容に至極真っ当な苦言を呈してくれたのは誰あろうパーマーだ。俺がそれに懲りて外食という安易な方法を取ったと察するのは、聡い彼女なら容易なことだろう。
あるいはもっと単純に、俺の姿を目撃したのかもしれない。街で、店で、それとも学園を出るところを。
駿川先輩と同道する様を。
「……」
どうしてか、バツの悪さが胸に湧く。後ろめたさと言い換えてもいい。
何を莫迦な。心中に浮かんだ自らの想像を嗤う。
疚しい心当たり云々以前に、彼女が、パーマーが俺にそのような疑いや懸念を持つ……という妄想がいかにも恥知らずで。
いや、いや、それはいい。俺の自己嫌悪など無意義だ。
今問題なのは、パーマーに変調が現れているというその一事。
俺は迷いなくアプロ画面に表示されたパーマーのアカウントアイコンをタップし、通話画面を起ち上げた。
しかし呼出音は鳴らなかった。
『お掛けになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が────』
終話を叩く。
今度は登録された番号に直接掛ける。無論のこと、それで結果が変わる訳もない。
『お掛けになった電話は────』
自動音声が物分かりの悪い男に繰り返す。
早くも俺の胸奥には焦燥が燻っていた。
楓の木陰のベンチに座って、その枝葉を見上げた。青々とした葉がまるで赤ん坊の掌みたい。無数の手が日を遮る。掌を太陽に空かす。
揺れる五葉の隙間から時折ちかちかと白んだ陽光が瞬いた。
綺麗だ。
風が吹く。尾がそよぎ、少し蒸れた首筋を洗う。
気持ちがいい。
ぼんやりとそう思う。
思っている気がする。
考えはまとまらなかった。頭はまったく働いてなんかいなかった。
実際、今はなんにも考えたくないし、なにかを想いたくなんかなかった。
厄介なことに、考えないようにすると脳ミソってやつはむしろ躍起になって考えを巡らせる。そうして手始めに、私は膝の上に置いた小さなバッグの存在を思い出した。底に敷いた保冷剤の冷たさが太腿にまで伝わってくる。
その中身、プラスチックの四角い小箱、朝から張り切って作ったミニハンバーグ、卵焼き、シメジとほうれん草の和え物、アスパラガスのベーコン巻き、他いろいろ。ちょっと欲張ったかな。
食べてくれたら、よかったな。食べて欲しかったな。
美味しいって言ってくれるかはわかんないけど、喜んでくれたら嬉しい。
喜んで、欲しかった。
たづなさんに腕を抱かれて行くトレーナーの背中を私は隠れて見送った。物陰に息を潜めてやり過ごした。
最悪。
蹲って存在を消そうと必死な自分は、惨めだった。
なにがキモイって、回れ右で逃げ出したことが。尻尾を巻いて逃げ出したことが。
勝手にびびって、勝手にショックを受けて、勝手に落ち込んでる。
なんか、勘違いしてたくさい。
舞い上がって調子に乗ってせっせとお弁当作りしてた自分が天にも昇るような間抜けに思えた。
なに良い子ちゃんやってんだろ。トレーナーに手作り弁当あげて、褒めて欲しかったの? 流石パーマー気が利いてる。行き届いてる。なんて気遣いのできるやつなんだ。俺は君のようなウマ娘を担当できて誇りに思うよ結婚してくれ。
とか言ってもらえるとでも思ったか。
「うぅわガチのバカじゃん私」
気分が悪かった。
ひゅるりひゅるり胸の中心を風が吹き抜けていく。心地よかった筈の涼風は今、むやみやたらに寒々しくて虚しい。
やるんじゃなかった。
「あー」
なにしてんだろ。なーにしてんだろ。
あんな程度で。
綺麗な
「あーあ」
その程度で及び腰になるくらいなら、最初からやらなければいいのに。欲を掻いてさ、色気出しちゃってさ。
あわよくば、トレーナーと……トレーナーとなに?
トレーナーとウマ娘、言っちゃえば学校の先生と生徒。それがなに?
どうなるっていうのさ。
どうなりたいっていうの、私。
「あーーーーあ」
やだな。
ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ脳ミソがミキサーされてく。ぐだぐだぐだぐだ言葉が、声が、私を責める私の声が響く。
うるさい、うるさい、うるさいって。わかってるから。
私がバカだってことは私が一番わかってるから。
だから、もう言わないで。
もう喋るな。
考えるな。
「あーーーーーーーあーーーーーーーーー」
壊れたスピーカーみたいに私は後悔と自己嫌悪を「あ」に固めて口から吐く。吐瀉物の代わりに、腹の中の黒いものの代わりに。
木陰の下に
膝の上に乗った弁当箱が重かった。
自分の行為が重かった。
重い自分が、嫌だった。嫌だ。ホント無理。嫌、嫌、こんなん重いに決まってるってなんで気付かない。どうして。もっと早く。部屋を出る前。違う。そもそも作ろうとしたことが間違い。偉そうにトレーナーの食生活心配してる風にさ。ただ構って欲しかっただけじゃん。口実が欲しかった。大人の貴方の隙を虎視眈々と狙ってて大チャンスが来たって無邪気にはしゃいだ。これでトレーナーの世話を焼いて、近付いて、もっと近く、近しい親しい位置に、心地いいポジション、私だけの居場所にする。
トレーナーの隣。トレーナーの懐。
トレーナーが見て、触れて、声を交わしてくれる。私だけを見て触れてそっと囁いてくれる。
私こんなに頑張ったよ。
だからトレーナー。
私が、必要だって言ってよ
私を求めてよ
私を……
キモイ、キモイキモイキモイ無理無理無理無理無理無理!
私がキモ過ぎる。こんな、こんなんじゃダメだ。
私このままじゃトレーナーに嫌われる。重いって思われる。面倒臭い女だって。
いや。やだ、やだやだやだやだ!
「うるさい……うるさいったら……!」
トレーナーごめん。トレーナー、トレーナー、ごめんなさい、ごめんなさい。要領悪くて、ネガティブで、こんなことでメンヘラ入ってる女、嫌だよね?
ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめん。ごめん……謝るから、だからお願い。お願いします。
「あぁ、もうっ……最悪……なんで私、泣いてんのさ……」
私を────見捨てないで
一際強く風が吹き抜けていく。私の情けない泣き言を吹き晒して、揶揄うみたいに。
いつの間にか季節まで巡ってしまったのだろう。楓はまるで紅葉したように茜色で染まっていた。
頬に流れた涙がひやり冷たい。私は仰いでいた頭上の楓の葉からようやく地上に視線を下ろした。
裏庭へ続く校舎脇の石畳、その壁際に手を突いて人影が佇んでいた。
「……ここにいたか。探したぞ、パーマー」
今一番会いたくない人がそこにいる。
私のトレーナーが、そっと歩み寄って来る。