パーマーと連絡がつかない。三回電話を鳴らして応答がないことを確認し、俺は執務室を出た。
休日である。自主練習の予定等は報されていない。私用ならなおのこと報せる義務がない。
彼女にだって自身のプライベートというものがあるのだから、常日頃連絡が疎通するとは限らない。当然だ。
そしてその自由時間にまで干渉するのは明らかに分を超えている。一トレーナーの分際を忘れている。
映画館にいるのかもしれない。混雑した電車内にいるのかもしれない。近くに中継基地局のない地下に入ったのやもしれない。あるいは単に、出先で充電切れを起こしていたなんてことも間々あるだろう。
それでも逸るように彼女を探そうとする俺は異常だろうか? 過保護だろうか?
そう思う。他人にそう指摘されれば神妙に納得さえしたろう。
そう承知して、俺は学園を早足に回った。捜索の出発点としては無難な筈だ。
歩きながら、スマホで女子寮の管理室に電話を掛ける。彼女が実は部屋で休んでいたというオチならそれに越したことはないのだが。
寮監である中年の女性職員は、俺がパーマーのトレーナーであることを告げると一層愛想が増した。まるで親戚と話すような馴れ馴れしさ。
ひとえにパーマーの人徳だろう。寮監の女性は、寮長を務めるウマ娘にも話を通してくれ、パーマーの自室だけでなく各寮に彼女の所在を問い合わせてくれた。
程なく、電話口に現れたのはダイタクヘリオスだった。
『んもートレぴ! 用あんなら直電よろっつったっしょー! 寮ちょからのいきなし呼び出しピピリンゲボーボーなんすけど!?』
相変わらずのエキセントリックなワードセンスは受け手側に相応のインスピレーションを要求した。とりあえず無闇矢鱈に元気なんだということだけは伝わって来るので良し。
さて置き、今はなにより。
『え? パマちん? いやいやトレぴっぴに愛バ弁当あげみざわで今夜はLOVEだっち……え? あれ?? なんで??』
次第次第、事情を飲み込む内にヘリオスが怒り出す。その特殊な語彙の限りに彼女は俺にこんこんと説教をした。要約すれば、かの乙女心の純なるを何と心得よう、大人の男として恥を知れ、ばかちんが等等。
しかしお蔭でとりあえず、俺がパーマーの厚意を無為にしてしまったということだけは過不足なく理解できた。いや、重々に。
トレセン学園は広大だ。
ターフ、ダートに加えタータントラックまで、用途別の長距離コースを楽々内包する敷地面積に、校舎や寮舎、教職員用社屋に始まり各種トレーニング施設が犇めいている。
恥ずかしながら、俺にはパーマーの行方の検討すらつかなかった。
ゆえに心当たりを全て探す。教室、体育館、プール、トレーニングルーム、食堂、学内カフェ、購買部、裏庭の大樹のウロ、学内随所に点在する占い小屋。とにかく手あたり次第。
職員棟の裏手にその姿を見付けたのは、空に茜色の兆しが見え始めた頃。ヘリオスとの通話から既に数時間。
どうやら俺に人探しの才能はないらしい。
楓の木の下のベンチに腰掛けたパーマーは、呆然と俺を見上げていた。
彼の姿を目にして最初に浮かんだのは、やっぱりというか、案の定というか、自己嫌悪だけだった。
「ご、ごめん」
謝罪を口にしてから、それが何に対して発したものなのかを考えてなかったことに気付く。申し訳ないっていう気持ちだけが独り空中を虚しく漂う。
「あの、変なLANE送っちゃって……ひ、引いたよね? どんだけ誤タップしまくってんだよって、あは、ははは」
笑って誤魔化し。自分の乾いた笑い声が間抜けで、白々しくて、嘘臭くて、嫌だ。
「……トレーナー、仕事は? って、もうこんな時間。今帰り? お疲れ様。休日まで大変だー。や、私の所為だもんね。ごめんね。ホント、いつもいつも、迷惑ばっか掛けて……」
トレーナーはそっと歩み寄ってきて私の隣に座った。
「君に迷惑を掛けられたことなんて一度もない。それが少し、残念に思えるくらい。出来ればもっとワガママを言ってくれ、パーマー。そうでないと俺が君から貰うばかりだ」
「わ、私はなんにもしてないよ。ただ、トレーナーのお蔭で好きに走ってるだけ……都合よく逃げてるだけ……」
心の中の鬱屈を見て見ぬふりして平気な顔して、そんなもんだって悟ったように振る舞ってた。
この人が私の逃げ道になってくれた。あの日から、今もずっと。
それがどんなに。どんなにか、救いだったか。
だから、少しでも、恩返しになればって。
「弁当、作ってくれたんだって?」
「っ!」
私は咄嗟に、膝の上のバッグを両手で覆った。それでなにが隠れる訳でもないけど、そうしないと恥ずかしくて死にそうだった。情けなくて、惨めで。
「……お、重いよね。はしゃいでさ。ヘリオスと! そうノリでね! やー柄にもないことしちゃったよー。パーマーさんのやらかしだ。ホントに、よ、余計なことして。私バカみたいだよね? あはははは!」
「どうして?」
「ど、どうしてって」
「なにがバカなもんか。なんでパーマーがそんな顔するんだ」
「だって……」
自分の表情が今どんな形かなんて、鏡もないから確かめられない。確かめたくもない。きっと酷い顔してる。
トレーナーの優しくて、それでいて少し寂しそうな顔を見ればそれがわかる。私がレースで無理をした時も、不意に弱音を吐いた時も、苦しさを誤魔化して笑う時も、この人は私以上に痛んで、苦しんで、それを全部優しさに代えて私に与えようとする。
それを知っている。知ってるから、私も何かをしたかった。
貰ってばかりなのは、私の方なのに。
こんなくだらないことで動揺して、勝手に落ち込んで気後れして自己嫌悪。その上まだ、こんな作り笑いに必死で。
私どうしようもないバカじゃん。
「食べてもいいかな?」
「ダっ、ダメ! ずっとこうして、抱えてたから……悪くなってるよ。お腹壊しちゃう」
「保冷剤を入れてるなら問題ないさ。今日は幸い、日差しのわりに風が涼しかった」
「……あぁそっか、ヘリオスだね」
「怒られたよ。パマちんの努力の結晶だぞ、って」
「ッ~~! もう、ズッ友ぉ……!」
夕陽を遮る楓の葉が今だけは憎らしい。これじゃどんどん熱くなってく顔を誤魔化せない。
しばらくの間、無言の押し問答。
トレーナーが差し出した両手をくっと睨んで、微笑むその顔を伏し目がちに盗み見る。
そして結局、私が根負け。そっぽを向いて突き出した手提げバックを、トレーナーはいやに恭しい所作で受け取ってくれた。
トレーナーが包みを解き、遂にその蓋を開ける。
最後の抵抗に鼻を近付けて匂いを嗅いだ。異臭らしいものはせず、それにホッとしたような、それが残念だったような。
目の前で特別手馴れてもいない自作の料理を食べられるのって、実際ものすごい羞恥プレイなのではないだろうか。
卵焼きを頬張って、彼は子供みたいに笑った。
「うまい」
「っ……もう、もうっ……」
それがもっとわかりやすいお世辞だったとしても、私はこうやって同じように喜びを噛み締めるんだろう。
ちょろいな、私。
惨めさも、悲しさも、この人がこうして隣に来てくれれば、私を見てくれてさえいれば簡単に忘れられた。
「俺はやっぱりパーマーの味付けが好きみたいだ。だからそう、君が、君さえよければ……また作って欲しい」
「……いいよ。作るよ。明日も明後日もその後も……トレーナーが、食べたいって言ってくれるなら……」
違う。嘘だ。本当は私が食べて欲しい。
……これも、ちょっと違う。
本当の望みは違う。違うって気付いた。どうしようもないことを望んだ。
あの時、たづなさんに腕を引かれるトレーナーを見た時。
食べて欲しくないって思った。
私が作ったもの以外、なにも、なにも。
嘘吐き。そうじゃないだろ。
私だけを見て。
見て。
「トレーナー」
「ん?」
ハンバーグに噛り付いたままトレーナーが私を見た。
私は微笑んでいた。ソースで口の端を汚す姿が、掻き毟るほど、体の底から震えがくるくらい、無性に愛らしい。
だから、私は思う。願う。欲する。その欲望を明確に自覚する。
貴方を独占するには、どうしたらいいのかな。