「あの、千川さん。ちょっといいですか?」
第三芸能課のメンバーとの顔合わせの翌日、プロデューサーは事務室で仕事をしていた千川ちひろを訪ねていた。ノートパソコンのキーボードをリズミカルに叩いていたちひろは、その声に視線を彼に移す。
「ああ、プロデューサーさん。お疲れ様です、どうしました?」
「あの……ですね、第三芸能課のことなんですけど」
言いにくそうにそう告げたプロデューサーに、ちひろはハッと顔をこわばらせた。もしや小学生アイドルの相手は嫌だと、プロデュースの辞退を申し出にきたのだろうか。
しかしそれをこちらから言えば、プロデューサーに話を切り出すきっかけを与えてしまうことになる。ただでさえ代わりのプロデューサーはいないのだ、彼を逃がすわけにはいかない。
「あ、昨日顔合わせしたんですよね。どうでしたか? みんな素直でかわいい子たちばかりでしょう?」
「す、素直? まぁ、龍崎さんや市原さんはそうでしたが……」
最年少の9歳である仁奈ちゃんと薫ちゃんは、どうやら彼にとって扱いやすい存在だと認識されているようだ。多分ありすちゃんや梨沙ちゃんに手ひどくやられたんだろうなぁと、ちひろは苦笑する。
「橘さんや的場さんは生意気なところもありますが、まだ子供の範疇です。でも、あの子はちょっと異常じゃないですか?」
「なるほど、ふみのちゃんの事ですか」
ちひろがプロデューサーの言いたいことを先回りして口に出すと、プロデューサーはこくりと頷いた。どうやら昨日彼は盛大にやらかして、ありすちゃんや梨沙ちゃんにプロデューサーとして認められなかった可能性もあったらしい。それをふみのちゃんがうまく取りなして、ひとまず彼女たちはプロデューサーのことを様子見することにしたらしい。
さらには空気を変えるためにふみのちゃんがアー写の撮影を提案し、着ぐるみを着られないことを告げられた仁奈ちゃんが撮影を拒否したそうだ。それを彼女の気持ちに寄り添う形で撮影に前向きな気持ちにさせたのも、ふみのちゃんらしい。異常なぐらい大人びているのは彼女の仕事に付き従っているちひろはよく知っているが、個性豊かな子どもたちの中でうまく関係を取り持つ能力まで長けているなんて。
本当に規格外な子だとちひろはため息をついた。自分があのくらいの年齢だった頃はどんなだっただろうか、比較しようとしたが勝てる要素がどこにもないので考えることをやめた。
「赤ちゃんの頃から芸能界にいると、あんな感じのすごい子に育つんでしょうか? 俺、自信無くなっちゃって……」
「……一朝一夕で身についたものではないと思いますよ」
なんとなくプロデューサーの言葉の裏に『あの子は特別だから自分より優れていて仕方がない』という気持ちが感じられて、思わず声がワントーン下がった。それは怒りだったのか、それとも哀れみだったのか。自分の感情なのに、ちひろには判別がつかなかった。
「多分、とある経験から急いで大人にならざるを得なかったんでしょう」
そこでちひろは一度言葉を切って、それから『ふみのちゃんのご両親、離婚されているんです』と告げた。それを聞いたプロデューサーは、驚いて目を見開く。
「なるほど、そんなことが……」
「それが、ただの離婚ではなかったんです」
両親の離婚なんて重大な出来事があったなら、精神的に大人にならざるを得ないこともあるのかもしれない。そうプロデューサーは思ったが、続いたちひろの言葉に愕然とした。
なんとふみのの両親は双方ともに不倫をし、さらにふみのが子役業で稼いだお金を両親が使い込んでいたという救いようのない話だった。それを知った彼女はまだ小学生なのに、自ら両親との関係を絶って存在を切り捨てたのだという。プロデューサー自身は両親揃っているし、頼りになる姉もいる可愛い姪もいる。しかしもうふみのには一番身近な家族がいないことを知って、なりたくてあんな風に精神的に自立したわけではないのだなと感じた。
「だから夏野さんの現住所、うちのプロダクションの女子寮だったんですね」
義憤に駆られそうになる精神を深呼吸することで落ち着けてから、プロデューサーは呟いた。両親に対する怒りも恨みも、彼女にだけ許された感情だ。自分に許されるのは、彼女の両親を同じ人間として軽蔑することだけであると。
そして小学生ながら大人である自分よりも気が回り能力も高い彼女のことを羨む気持ちは、すっかりと消え失せていた。もしかしたら早晩、彼女が精神的に落ち込んで立ち直れないなんてことがあるかもしれない。そんな時に一番近くにいる大人として、ふみのを支えられたらとプロデューサーは決意した。
「もう大丈夫みたいですね」
「……えっ?」
「私に話を切り出してきたプロデューサーさん、すごく落ち込んでいるみたいでしたから」
目の輝きが違うと言われて、プロデューサーは自分の精神的な未熟さに苦笑を浮かべた。プロデューサーに抜擢されて、そこで大人顔負けの調整能力を小学生に魅せられて凹まされたのは事実だ。だが、大人としてそれではあまりに情けない。自分なりにふみのに負担をかけないように自分が第三芸能課のみんなを引っ張っていかなければ。
「千川さん。まだまだ未熟な俺ですけど、頑張りますのでよろしくお願いします!」
「ええ、もちろん私もサポートさせていただきます。一緒に頑張りましょう」
勢いよく頭を下げながらのプロデューサーの宣言に、ちひろは嬉しそうに笑ってそう返事をした。アイドルを支える縁の下の力持ちである彼らは主役にはなれないが、彼女たちを輝かせるためにそれぞれの仕事に戻っていった。
後からそれを聞いたプロデューサーの元上司である第一芸能課の課長は、『また激励ついでに飲みに連れて行ってやるか』と嬉しそうにしていたのをちひろが目撃したらしい。