鈍として青く   作:ヤン・デ・レェ

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ネチェルカラーとニトクリス

紀元前2000年位前のエジプトでの話である!

 

そこには最古の被りっ子女子がいた。名をニトクリス!アヌビス神を崇拝するファラオの娘にして!結構強火な黒犬推し娘である!

 

ニトクリスはファラオの娘として幸せに暮らしていた。満ち足りた生活には文句などなく、自身がファラオになりたいなどと考えたことは一度としてなかった。忠実な召使に囲まれ、優しい家族に囲まれ、手を振れば親し気に歓声を上げる民に囲まれて、彼女は不幸など知らずに育ったのである!

 

しかし、彼女の父が死に、彼女の兄弟がファラオになる時が来たその瞬間に、彼女の人生はその色を失い始めた。

 

兄弟が謀殺され、別の男がファラオとなったのだ!

 

ニトクリスは激怒した!かの邪な偽ファラオと、偽ファラオを仕立て上げた者どもに懲罰を与えなければならないと!

 

だが、できなかった。彼女は、権力を失って初めて、その自身の無力を知ったのである。

 

権力闘争に敗北した彼女には何一つ残らなかった。父や兄弟からの遺産も何もかも、偽ファラオに奪われてしまったのである。奪われたのみならず、偽ファラオは先王の娘であり、絶世の美女であったニトクリスに自身と結婚し、子供を産むことと引き換えにその復権を迫ったのである!

 

ニトクリスは困ってしまった。本当の本当に、何もできなかったからである。

 

信頼していた召使たちは彼女に助けの手を差し伸べてはくれない。優秀な官僚たちも軍人たちも財産に目がくらんで「兄弟殺し」や「売女」と罵倒してくる始末。民衆は宮廷の権力闘争になど興味がないらしく、誰もニトクリスを覚えていない。

 

ニトクリスは絶望した。絶望した彼女は唯一自身に遺されたアヌビスの神殿に引き籠り、心から願った。願い続けたのだ。

 

「アヌビス様どうか私に力を下さい。この理不尽な現実を突き破り、未来へと進む力を。私に力を。兄弟の仇を討ち、私が好きだったエジプトに戻す力を。どうか私に…貴方様の断罪の力をお与えください!」

 

ニトクリスは何日も何日も祈り続けた。祈る事しか出来なかったのかもしれない。だが、食も排泄すらも忘れて彼女は祈りを捧げたのだ。

 

常軌を逸したニトクリスに恐怖を抱いた見張りが、偽ファラオに報告したことで、彼女の祈願は頓挫した。

 

宮廷から追放されることになったニトクリスは、既に自身の今生に別れを告げる覚悟を決めていた。

 

そして、彼女は追放されるとともにナイル川に身を投げるために、餞別に渡された金銭で川船を雇い、これに乗り込んだ。

 

ニトクリスは川の最も流れの激しい場所にくるや、自身の後悔、そして来世での希望を語った。

 

「願わくば、何もできなかった私の後悔を受け止め、私を蔑ろにした運命と全ての悪徳の者どもに報いが与えられますように。私はこの身を神に今こそ捧げる。来世には行けないかもしれないけれど、それでも彼奴らに懲罰が下るというならば。」

 

そう言って身を投げようとしたその時!

 

「お嬢さん!お嬢さんお待ちなさい!早まるのはお止しなさい!吾輩が力になれるかもしれない!!」

 

そう言って、川上から爆速で近づいてくる上裸の男が現れたのだ!!

 

ニトクリスは唖然とした!

 

「な、何者なのだ貴方はッ!!」

 

よっく見れば男は無数のワニの口に馬に噛ませるような手綱を付けて、丸太で出来た船を曳かせていた。まるっきりサーファーのようである。

 

ザバザバと川らしからぬ迸る波しぶきと共に爽やかに登場し、颯爽と川船に横づけした男が乗り込んできた。

 

「お嬢さん!溺死は辛いぞお止めなさい!吾輩の名はサイトウ!旅人さ!」

 

ズキューン!余りの美貌にニトクリスは一瞬自分が死のうと考えていたことも忘れていた。

 

ドカーン!余りの奇怪さにニトクリスは男が変質者であることすら忘れていた。

 

そして、二番目に関しては二度と思い出さなかったのである。

 

 

 

 

川から上がった二人は船頭と別れて、真っ直ぐメンフィスへと向かっていた。

 

「一度追放された身です。最早戻れるとは思いませんが…。」

 

突然現れた男に、しかし熱心に自殺を止めようとしてくる男に圧倒されたニトクリスは事情を話し、協力できるものなら協力してみろと強気に出た。すると男は「協力は喜んでしよう。ところで腹が減った。何か食べさせてくれまいか。あと上に着る服も。」と言って、ニトクリスの手を引いて歩き始めたのである。

 

方向も分からないのに本能だけでメンフィスに到達した男と、彼に手を引かれて為されるがままだったニトクリス。二人が町に入ると、出て行ったばかりの元王女の姿に町の民は驚いた。

 

しかし!漢に彼らの事情など関係ないのである!

 

「パンを寄越せ!金だ!受け取れ!あと水もくれ!金だ!受け取れ!さらばだ!」

 

男は類まれなコミュニケーションのーりょくで他を圧倒。無事に衛兵に捕まることもなく平和的交渉により食料と水を手に入れた。

 

お金を払ったニトクリスはと言えば、男の巧みな交渉術に呆然としていた。

 

「この男、実は凄い奴かもしれない」と思い始めた矢先だった。

 

「貴様ぁ!怪しいヤツめ!ひっ捕らえろ!」

 

男はあっさり捕まってしまったのである。

 

「ニトクリス!美味しかったぜ!また後でな!」

 

そう言って男は従容と兵隊に囲まれながら連行されていったのであった。

 

 

 

 

それから三年が経った。ニトクリスは男の話術と美貌に騙された町娘達に匿われて飢えることなく暮らしていた。謎の男の登場で色々と調子が狂ってしまった彼女は、復讐のことも半ば忘れて、ふわふわとした日々を過ごしていた。中身のない感覚に苛まれそうになるころだった。男が再び彼女の目の前に現れたのだ。

 

男は現れるなりニトクリスを抱き上げて言った。

 

「吾輩は将軍になった!今こそ一飯の恩を返そう!」

 

立派な装飾を纏ったラクダにニトクリスを抱えたまま騎乗した男は、腰からその特徴的な剣…ハンニバルのファルカタ…を引き抜くや、町中の者に向けて、また自分に付き従う兵士たちに向けて宣言した。

 

「こちらに坐すお方を何方と心得る!先のファラオ、メルエンラー2世の真の後継者!ニトクリス様であらせられるぞ!者ども!控えおろう!!」

 

あらかじめ仕込まれたサクラが「控い!控い!」と叫んだことで、人々は「よくわからんが凄い熱量」を感じて跪きはじめたのである。

 

「これより正統なる王位を継承する!いざ行かん!江戸城へ!」

 

「エ!?エドジョー!?」

 

聞きなれない言葉にニトクリスは困惑。

 

「間違えた!」

 

「間違えた!?」

 

ニトクリス更に困惑。

 

「いざ行かん!王の神殿へ!!」

 

ともかく、こうして大反乱が始まった。美貌と実戦での功績が抜群だったことによって男が新将軍に就任してから僅か一週間後の出来事であった。

 

首謀者はサイードことサイトウ。担いだ神輿はニトクリスだった。

 

 

 

 

反乱は成功した。王位はニトクリスのモノに。

 

ニトクリスは思った。まるで神の御業だと。

 

彼女の手には、今や全てがあった。

 

復讐もできる。誰にだって出来る。

 

偽ファラオにも、官僚や軍人にも、召使にも、民にも。

 

彼らはニトクリスの好奇を買おうと必死に互いを傷めつけ合うだろう。罵り合うだろう。

 

だが、結局ニトクリスは復讐を果たさなかった。

 

ナイルの川を呼び込んだ部屋を造り、男に命じて偽ファラオの一味を集めるまでは出来たのだ。

 

だが、いざ殺す時になってニトクリスは怖くなった。

 

何時か自分も殺されるのではないかと…だが、復讐はしたかった。自分の全てを奪った偽ファラオが憎い。

 

ニトクリスのそんな迷いに気付き、その迷いを元から絶ってしまったのもやはりあの男…サイードだった。

 

サイードは「奸臣討つべし慈悲はない!」と叫ぶや酒宴で酔っていた偽ファラオの一味を、一人で鏖にしたのだ。

 

そしてこう言った。

 

「逆賊はこの吾輩!サイードが討ち取った!文句があるなら吾輩の元まで上申せよ!」

 

ニトクリスは、いつか願ったアヌビスへの祈りが、アヌビスの手ではなく男の手により成し遂げられたことで、初めて深い『救い』と間違いなく最も敬虔な愛情を抱いた。

 

間もなく表向きニトクリスは火に身を投げ死んだことになった。

 

彼女は彼に、ニトクリスはネチェルカラーとして王位を引き継いだ。

 

 

 

 

平和を取り戻した宮廷だったが、権力闘争の騒めきなど民草には関係がなかった。彼らの生活はいつも通り。そして、宮廷での生活は新しいいつも通りを手に入れた。

 

男のファラオを称したニトクリスは、自身の後宮を手に入れた。

 

彼女はサイードを宝物殿と軍事と後宮の全権を掌握する大神官兼将軍兼家宰に命じた。そして、生涯他の女を一人たりとも後宮に招くことはなかった。

 

 

 

 

ニトクリスとの時間が終わりを迎えたのはピラミッドの造営中だった。

 

ピラミッドの巨大な石材が滑り落ち、サイードをひき潰してしまったのだ。

 

「あぁ!?危ない!サイーーーーーードッ!?そんな!あぁッ!?あ、あぁぁあぁぁッ!?サイード!サイーーーード!私のラー!私のアヌビス!貴方、そんなッ!こんな別れ方ッ…嘘ッ!嘘ッ!!」

 

それがニトクリスがサイードを見た最後の瞬間だった。

 

石材をどかしても、血一滴すら見つからなかった。

 

ニトクリスはその後、自身が死ぬまで国中の人間が『サイード』と名乗ることを禁じた。またピラミッドは可能な範囲で徹底的に破壊した上で、今日まで造営途中の状態で放置されている。

 

伝説によれば、死を迎える数日前に『サイード』が宮廷に現れて、ニトクリスをナイル川に連れて行ってしまったという。彼女のミイラは残されておらず、また記録にも彼女の死は記されていない。

 

 

 

 

 

 

 

 




やっと短編らしくなってきた。
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