鈍として青く   作:ヤン・デ・レェ

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燃える男と燃えない女

 

 

 

男が切り拓いた新たな時代は中世であった。

 

「早速であるが、職を探さねば」

 

そう言うが早いか、男は剣を腰に下げ、凱旋将軍の身形のまま、中世の大地を踏みしめた。

 

黄金の麦穂が逆巻く波のようにみえる、豊かな季節に召喚されたことは、男にとっての幸いであった。

 

男の仕事は案外直ぐに見つかった。訪れた最初の村、ドンレミの村で、用心棒兼家庭教師として遇されることが決まったのだ。

 

男を住まわせてくれたのは、一女を子に持つ夫婦だった。少女の名はジャンヌ。後のジャンヌ・ダルクである。

 

しかし、この時はまだ彼女の運命など互いに知る事もなく、探るきっかけも訪れなかった。

 

「シャトレー様。シャトレー様。今日も貴方の冒険のお話を聞かせてくださいな」

 

そう言って、少女ジャンヌはこの美丈夫を敬愛し、また心の深い所で尊崇していた。

 

多彩と言うより、乱雑なほどに冒険の話に事欠かない経験値を有するサイトウことシャトレーにとって、ジャンヌの様に日がな一日、暇さえあれば話を聞きたがられたのは初めてだった。

 

だからシャトレーもまた、一つ得意な心地で、朗々と自身の体験した数々の冒険を語って聞かせた。

 

エジプトでは実は将軍にまでなった話。ファラオと結ばれたが事故で離れ離れになった話。ハンニバルと言う最強の妻が今もどこかにいて、きっと自分を探してくれている話。日ノ本と言う東方の島国で、美しくも強い少女の参謀として、また時には師匠として共に長い年月を暮らした話。

 

語ればキリがなかった。男の人生に悠久の安息はなく、常に次の嵐を待つ身だった。

 

そのことを、語り部である男が知らぬはずもなかったが、それでも今の平穏にとっぷりと浸かる心地に水を差すようなことは考えたくなかった。

 

これから訪れる嵐が何なのか、それは男の知るところではない。

 

 

 

 

 

 

ジャンヌはシャトレーが来てからと言うもの、毎日が楽しかった。

 

異国の者らしいが、言葉も流暢であり、何より美しく、強く、それでいてユーモアに溢れていた。

 

だから、シャトレーが村の誰しもに愛されるのは時間の問題だった。

 

シャトレーが村に受け入れられる様に、ジャンヌは満足と安堵を感じていたが、一方で自分だけのものではなくなるということに強い落胆と悲しみを覚えた。

 

だが、ジャンヌは敬虔であるという自負があった。だから、決して口にも態度にも出すことはなかった。

 

それでもやはり、ジャンヌはシャトレーに少しでも気にして欲しいと、頻繁に甘えたり、本来の彼女ならば考えもしなかった、とりとめのないおねだりをした。

 

「シャトレー様、森に行きましょう。今日はきっとおいしい木の実がなっているはずです」

 

そう言って誘い、二人きりになってから、ジャンヌは蹲り、こう言った。

 

「シャトレー様、私は疲れてしまいました、おんぶしてくださいませんか?」

 

ジャンヌの要望に、シャトレーは決まってうむうむと頷いて、二つ返事で背負ってやり、また抱き上げてやった。

 

青少年にとっては、余り望ましくないと思われるほどに、二人の距離は近く、それはジャンヌの成長と共に顕著になった。

 

ジャンヌは背も伸び、村一番の美人になった。相手もより取り見取りだった。

 

豪商や名主の元へ嫁入りだって出来たはずだ。

 

しかし、ジャンヌはシャトレーから離れなかった。離れようとしなかった。

 

ジャンヌは言った。

 

「神のほかに、私を動かせるものがいるとしたら、それは神に選ばれた代行者か、或いはシャトレー様だけです」と。

 

ジャンヌはその言葉通り、神に敬虔な村娘であると同時に、村一番の人望を持つシャトレーに、中でも一番に忠実だった。一種、主従関係をそこに錯覚してしまうほどに。

 

無論、実際は主従関係などなく、寧ろ誰よりも親しい者同士の距離感だったが。

 

 

 

 

 

 

シャトレーが村に来てから十数年の経ったある日の朝、ジャンヌはシャトレーを呼び起こし、こう告げた。

 

「神の声を聴きました。私はどうやら、祖国を救わねばならぬようです」

 

ジャンヌの言葉を、シャトレーは黙って聴いていた。

 

ジャンヌは続けて言った。

 

「もしも叶うのなら、私は貴方と共に史に名前を刻みたいのです。どうか、私と生死を共にしてくださいませんか?」

 

それは最早、告白に違いなかった。だが、ここで終わらないのがジャンヌと言う少女だった。

 

「私は貴方のもつすべてを求めました。ですから、私も当然、私の持つすべてを貴方に捧げることを誓います。喜んで誓います」

 

ジャンヌの告白を、果たしてシャトレーは受け入れ、その頼みを快諾した。

 

神の声を聴いた日の夜、ジャンヌは生まれて初めて神から最も遠い場所で眠った。シャトレーの腕に抱かれて眠った。

 

ジャンヌはこの日、覚悟を決めた。戦乙女として、神の意志を遂げるために。一人の女として、愛した男と共に生き共に死ぬために。

 

 

 

 

 

 

明朝、ジャンヌは旅立った。供には男が一人。無論シャトレーその人である。

 

村娘のままの服装のジャンヌに対して、シャトレーの格好は奇抜だった。

 

ローマ以来の磨き抜かれたロリカセグメンタータで胴を巻き、ローマの敵国であったカルタゴの分厚いファルカタ剣を佩き、身を包むのは凱旋将軍にのみ許される紫金のトーガである。

 

中世の道化師の道にあってさえ、これほどの奇抜さはありえなかろう。

 

その背丈から放つ覇気には人を調服させ、或いは忠誠させるようなカリスマがにじみ出ていた。

 

その美貌は、到底表現できるものではなく、言語であれ絵画であれ己の無力さに枕を濡らすことであろう。

 

二人は抜群の奇特さで、街道を抜けてシャルル7世の宮廷が置かれるシノンへと向かった。

 

 

 

 

 

 

宮廷での出来事は余りにも簡潔であった。

 

シャルル7世はなんとシャトレーに一目ぼれしたのだ。

 

王の恋慕の結果、ジャンヌの話は流し聞きにされてしまったものの、結果的に従軍と、また軍の象徴として旗手を務めることが許された。

 

異端審問官からの陳情を押しのけて、ジャンヌは聖女として戦場に向かった。

 

 

 

 

 

 

戦場は過酷の一言であった。一週間に一度であれ湯で身を清められば上等なほどであった。

 

当初こそ、乙女ジャンヌはシャトレーの傍に居ることが憚られてならなかったが、戦場の暮らしに慣れる頃には、互いに身を寄せ合い、暖をとれるまでに戦場での二人の関係は進展した。

 

ジャンヌは決して剣術の天才でも、軍略の鬼才でも無かった。だが、誰よりも勇敢だった。ジャンヌの盾を持つことは最高の栄誉とされるようになり、そして盾を持ち続けて斃れることのなかったシャトレーにも憧憬と尊崇の念が集中した。

 

戦局は爆発的な展開こそ見せなかったが、決して負けてはいなかった。

 

その証拠に、ジャンヌが現れ、旗を振り、シャトレーが彼女の盾を掲げて彼女を守った戦いは、最終的にはそのすべてに勝利を収めていた。

 

このことは宮廷を含めて広く噂され、ジャンヌとシャトレーの放つ聖なる力を、以前にもまして多くの人々が信じるようになっていった。

 

 

 

 

 

 

高潔で美しいジャンヌとシャトレーという精神的支柱に支えられて、フランス軍は大いに奮戦した。二人の名が噂としてフランス全土に広がる頃には、イングランド軍の撤退や敗走が相次いだ。

 

シャルル7世も気持ちよく勝利の美酒に酔い、二人に資金援助を行い、またシャトレーには個人的な贈り物まで寄越した。

 

だが、ジャンヌとシャトレーは与えられた褒美には全くと言って好いほど手をつけなかった。かわりに、そのまま全てを共に戦った戦士たちにばら撒いた。

 

兵士たちは勇敢で気前のいいジャンヌとシャトレーを信頼し、忠実に二人に従った。

 

ジャンヌとシャトレーの名は次第に、単なる言葉以上の価値を帯び始め、敵国イングランドにとっては恐怖と敗北の代名詞となるほどだった。

 

全ては順調に運んでいた。

 

全ては順調だった。ジャンヌの落馬と、それに伴う二人の捕縛に至るまでは。

 

 

 

 

 

 

ジャンヌは勇敢な旗手だった。だが、余りにも勇敢すぎたことが致命的な悲劇を生んだ。

 

攻城戦中のことである。流矢が彼女の愛馬の首に刺さり、驚いた騎が跳びあがったのだ。

 

この際、ジャンヌは受身をとる事すら出来ずに背中から転げ落ちた。体を強かに打ち、そのまま気を失ってしまったのだ。

 

シャトレーはすぐさま盾を背負い、ジャンヌを横抱きにして戦線離脱を図った。

 

だが、敵兵の方が早かった。数十の重騎兵に囲まれて、遂に二人ともに虜囚となったのだ。

 

虜囚になってから、ジャンヌの聖性を否定する審問会が開かれるまであっという間の出来事であった。

 

審問官はジャンヌを異端であり、邪な魔女であると断定し、拷問こそ与えなかったが、劣悪な環境下の独房へ閉じ込めた。

 

シャトレーはと言うと、なんと驚くべきことに、シャルル7世による身代金の支払いのお陰で一週間とかからずに自由の身となっており、ジル・ド・レ将軍に丁重に保護されていた。

 

離れ離れとなった二人が再会するのは、ジャンヌが魔女として裁かれる、ルーアンでのことである。

 

 

 

 

 

 

その男はルーアンの広場に突然現れるや、身を拘束され、高く積まれた薪にの上に佇むジャンヌに向かって言った。

 

「吾輩の名はシャトレー!其処にいるジャンヌの半身である!もしも心の底から神に敬虔であると言い切れる者がこの場にいれば、まずは吾輩を火にかけて見せよ」

 

シャトレーの登場に、ジャンヌは歓喜と絶望を同時に味わった。

 

ジャンヌは叫んだ。

 

「シャトレー様、シャトレー様、どうか遠くへ。私から離れて遠くへ。私のいない何処かでお幸せに穏やかにお過ごしください。何も自ら進んで死を抱き寄せないでください。」

 

「私はあらゆる苦痛に耐えられるかもしれない。けれど、貴方の死にだけは耐えられないと、昔から変わらず存じ上げているのです。ですからどうか、私から遠くへ。きっと、ジルが世話を焼いてくれます。ですから、早く!」

 

ジャンヌの悲痛な訴えに、シャトレーをここまで送り届けたジル・ド・レは静かに慟哭した。

 

しかし、慟哭するジルを励ますように、シャトレーはまた一歩、今にも火を生まんとする薪の山に近づいて見せた。

 

シャトレーは言った。

 

「さぁ、今こそ約束の時だ!吾輩に縄を打ち、ジャンヌに替えて焼くが好い!!」

 

シャトレーの迫力に押されて、遂に警吏が動いた。

 

まずジャンヌの縄を解き、ジルの元へと押しやった。そうしてから、シャトレーを大の男数人で連行して、縄を打ち、そうして薪の山に立たせた。

 

「さぁ、燃やせるものなら燃やしてみろ」

 

シャトレーが言うが早いか、警吏によって火が放たれた。

 

「嗚呼!シャトレー様!我が君!我が最愛!」

 

ジャンヌは煉獄に包まれたシャトレーに追い縋るように走り出そうとして、ジルに制止された。

 

「放してください!ジル!放してくれないと、でないと私は貴方を恨むことになります!」

 

ジャンヌが言った。

 

だが、ジルはびくともしない。男泣きに泣きながら、首を振った。

 

「どうぞお恨み下さい。貴女様に恨まれるということは、シャトレー様の望みが適ったということ。なら、私はそれで好いのです」

 

ジャンヌは暴れたが、次第に大人しくなり、さめざめと泣きだした。

 

 

 

 

 

 

火刑が始まってから数十分。シャトレーの姿は火と煙に巻かれていてよく見えなかった。

 

だが、異端審問官が悪しき遺灰に振りかけるための聖水の用意を始める頃になって、ようやく動きがあった。

 

「シャトレー様!シャトレー様だ!」

 

ジャンヌの声を皮切りに、歓声が轟いた。

 

そうだ、確かに誰かが火の中から現れようとしていた。

 

衆人環視の元、現れたのは、全身に火を纏わり付かせながらも、あの鎧姿でファルカタを佩いた、シャトレーその人だった。

 

黒いすす塗れではあったが、シャトレーは何故か無傷であった。

 

シャトレーは叫んだ。

 

「見よ!吾輩はこの通り貴様らの言う神からも大いに愛されている!異端などとは片腹痛し!ジャンヌは吾輩が貰っていく!さらばだ!」

 

燃えている。男が燃えに燃えていた。その全身から立ち昇る熱気を、誰もが避けて通るほどだった。

 

ただ、ジャンヌ一人を除いて。

 

ジャンヌは火傷など顧みずに、シャトレーの胸の中に飛び込んだ。

 

「よかった。よかった。シャトレー様がご無事で」

 

ジャンヌが泣きながら、燃える男に頬ずりした。

 

その頬が見る間に爛れはしないかと、衆人は目を隠したり、怖いもの見たさに刮目したりしていた。

 

だが、燃えない。ジャンヌには傷一つなかった。美しいままだった。

 

「さぁ、帰ろう」

 

ジャンヌを横抱きにして、シャトレーが言うと、ジルが馬を連れてきた。

 

三人はそれぞれ馬にまたがると、ルーアンを後にした。

 

 

 

 

 

 

その後、宮廷に戻ったジャンヌだったが、シャルル7世との恋愛戦争に発展したことで事なきを得られず、シャトレーを宮廷に遺したまま、ドンレミ村へと凱旋することになった。

 

村を上げて大いに歓迎されたが、しかし、ジャンヌの心境は静かに荒ぶり立ち、シャトレーを求めて止まなかった。

 

シャトレーと離れ離れになってから数日後、シャルル7世の使者が遥々シノンからドンレミ村にやってきた。

 

内容はこうだ。

 

『シャトレー様が失踪された』

 

ジャンヌは笑った。そして、幼いころに聞いたシャトレーの不思議な旅の物語に想いを馳せたのだった。

 

ドンレミ村中探しても見つからなかったことで、遂に諦めた使者。

 

シャルル7世ご執心の男を一人見つけることもできなかったと、懲罰を受けかねない気の毒な使者に、ジャンヌは餞別代りに言ってやった。

 

「シャトレー様は時を切り拓き、今再び旅立たれたのです」

 

使者は首を傾げていたが、ジャンヌは満足げだった。

 

 

 

 

 

それからのフランスは、聖女パワーを充填したジル・ド・レ大元帥の大活躍によって、いくつかの会戦に大勝利をおさめ、見事に領土をイングランドから奪還。シャルル7世の存命中に、百年戦争は終結した。

 

ジャンヌはと言うと、旗を置き、鎧兜を脱ぎ、再び村娘のジャンヌに戻っていた。

 

爵位もチラついたが、ジャンヌに迷いなどなかった。ジル・ド・レとの個人的な交流を除けば、ほとんどドンレミ村から出ることなく生涯過ごした。

 

ジャンヌは常々、ジルにこのように語って聞かせた。

 

「シャトレー様。ジャンヌは今一度貴方様に会える日を心待ちにして、これからの日々を生きてまいります」

 

「次に会う時は、是非とも私の操を受け取ってくださいね」

 

ジルは聞く度「破廉恥な!」と言いつつも、「えぇ、えぇ、確かにお似合いですとも」と納得するのだった。

 

 

 

 

 

 

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