シャルル7世からの求愛を突っぱねた男は、そのまま何処かへと消えてしまった。
消えた男は何処へ行くのか、知る者は運河のみ。
セーヌ川をどんぶらこっこと流れに流れ、途絶えたはずの世界へと繋がる特異点を、自慢の剣で切り裂いた。
現れたのは古代ウルクの都。ティグリス・ユーフラテス両川に恵まれた、最古の王が住まう時代だった。
「あのう、大丈夫ですか?」
時代錯誤な板金の鎧をまとい、びしょ濡れで川岸に横臥していた男に、可愛らしい少年が声を掛けた。
「大丈夫ではないが、大丈夫だ。ところで君は?吾輩はサイトウと言う。旅人だ」
男は名乗り、少年も名乗った。
「僕はギルガメシュって言います。以後お見知りおきを…気軽にギルって呼んでください!」
「ところで旅人さん、今晩の宿はお決まりですか?」
「いいや、まだだ」
「ならば僕の所へ是非!」
ギルガメシュ少年の熱望により、男の宿はウルクの王宮に決まった。
◇
一目見た時から、ギルガメシュは男の、ザートムの虜になってしまった。
珍美な黒曜石の髪と瞳に、その胸の深くを貫かれてしまったのだ。
「ザートムさん、僕が王様になってからも、ずっとここにいて下さいね?遠慮なんてしないで。寧ろ、遠慮される方が僕は悲しくなります」
幼いギル少年はそう言って毎日毎日ザートムについて回った。
何方が未来の王で、その従者なのかわからなくなるほどに、二人は一緒に暮らした。
ザートムは何かと困りごとに見舞われる性分だったが、ギルはそのすべてを華麗に解決して見せた。
ザートムの話す冒険譚は、ギルにさらに深く、ザートムへの執着を根付かせ、また彼の運んでくる困難を扱きとして自らを鍛えた。
そうして時は流れ、ギルは王になった。
頭脳明晰であり、武の道にも長けた。正に王に相応しい技量の持ち主に成長していた。
ただ、一つだけギルガメシュでも叶わないものがあった。
それはザートムとの間には子供を作れないという問題である。
「ぐぬぅ…この半神の王の威を以てしても、我はザートムの子を産んでやれぬ…かくなる上は、巫女の中から然るべき麗人を迎えるしかあるまい」
ギルガメシュは自分がザートムの子供を産む代わりに、神に貞操を捧げた巫女の中から、最も美しく器量の好い者を募った。
「誰か我の代わりにザートムとの間に子をなせる者はいないか?」
ギルはそう言ったが、正直なところそこには嫉妬が混じっており、そのことを理解した上で立候補できる度胸のものはいなかった。ただ一人を除いて。
「ギルガメシュ様、私は喜んでザートム様の虜となりましょう。私はあの方の御子を産んで差し上げたい」
そう言ったのは、巫女の一人であるシャムハトだった。
ギルガメシュは横柄で傲慢で剣呑な気配を隠そうともせずに、シャムハトを隅から隅まで見定めた。
「よし、ならば好し。貴様にその栄誉を与えてやる。ただし、第一夫人はこのギルガメシュであることを覚えておけ」
「陛下の言うとおりにいたします」
シャムハトは恭しくザートムの眠る部屋の鍵を受け取り、その場を辞した。
ギルガメシュは寂しいような、一つ山を乗り越えた達成感のような物を感じていた。
久しぶりの一人寝をしたギルガメシュは、結局朝まで眠れなかった。
◇
ギルガメシュが眠れぬ夜を過ごしてからちょうど一年後、シャムハトは赤子を産んだ。
だが、ただの赤子ではなかった。
羊水の代わりに聖なる泥を被った人型の何かを産んだのだ。
人型の泥は胎児の大きさからグングン大きくなっていき、シャムハトと同じほどの背丈にまで成長した。
目の前で起きた奇跡とも怪奇とも知れぬ現実に、分娩に立ち会った人々は恐れおののいた。
美しい、それは美しい赤子を期待していたギルガメシュは怒り、シャムハト諸共殺そうとしたが、これをザートムが力づくで止めた。
ザートムは言った。
「よく見てごらんなさい、吾輩とは全く似ても似つかないが、シャムハトにそっくりではないか」
ザートムがそう言った瞬間、泥は剥がれ落ち、中から彼の言った通りの人型が現れた。
「名前はもう決まってある。この子はエルキドゥ。神様からの贈り物だよ」
ザートムがそう言うと、エルキドゥは生まれたばかりの小鹿の様に蹌踉とした足取りで、確かにザートムに向かって歩み寄った。
エルキドゥは生まれる前から自分の父親のことを、様々な神々から言い聞かせられてきていた。
だから、エルキドゥにとってザートムの子供に生まれることが出来たことは、何よりも喜ばしいことだった。
おぼつかない足取りのエンキドゥを誰もが恐れ多く、遠目で見守るばかりだったのに対して、ギルガメシュとシャムハトとザートムの三人だけは静かに歩み寄った。
◇
エルキドゥが生まれてからと言うもの、ザートムはこの可愛らしい息子であり娘でもある我が子にべったりだった。
体の大きな赤子同然のエルキドゥを、ザートムが余りに可愛がるもので、またエルキドゥも心の底から嬉しそうに、目いっぱい父に甘えるもので、この親子を視界に入れるたびに、ギルガメシュは大いに腹を立てた。焼きもちを焼き、地団太を踏んだ。
王宮が崩れてしまうほどに怒髪天を衝く前に、エルキドゥがギルガメシュにも興味を示したことで最悪の事態は免れた。
エルキドゥの余りにも早い巣立ちにザートムは寂しく思ったが、同時にギルとの仲を修復する好い機会だと捉え、敢えて二人きりにしておくようにした。
ギルとエルキドゥは二人きりになると、大抵無言のまま同じ空間にいるか、はたまた乱闘とも見紛う決闘形式の鍛錬を積む遊びに励んだ。
ある日のこと、その日はエルキドゥが優勢だった。後手後手に回り、大技を躱されたギルが重く息を吐いた須臾の間を使って、エルキドゥは聞きたいと思っていたことを聞いた。
「ねぇ、ギルはどうして素直になれないんだい?」
「何を言う、我よりも素直な男はウルクにはいないではないか」
「違うよ、父さんのことだよ」
「同じである。我は全く素直である」
「いいや違うね、君は断られるのが怖くて言い出せないだけなんだ」
「何を言う!」
「だってそうだろう?あんなにも父さんのことを愛しているくせに」
「あんなにもとは、なんだ!貴様、何を知っている?」
「僕が生まれる前から片思いし続けていることなんて、王宮中の公然の秘密さ!君はどうして父さんに対してだけは奥手なんだい?」
「貴様ぁぁぁッ!我を愚弄するか!」
「愚弄してないよ!事実だよ!父さんだって君のことを憎からず思っているんだから、少し勇気を出して言ってごらんよ「大好きです」って」
「言えるか!たわけ!断られたら流石の我でも憤死するわ!」
当初こそ険悪だったエルキドゥとギルガメシュだったが、好い感じにザートムの存在が楔として働き、得も言われぬ友情の形を見出していた。
奥手のギルガメシュと、その恋路を応援しつつ堂々と父親に求愛するエルキドゥ。二人の関係は天にまします神にすら予想できない方向へ進展したのだった。
◇
ザートムの存在は神々にも専ら噂されるほどで、その美貌に纏わる噂は美の女神を自負するイシュタルの耳にも届いていた。
イシュタルは言った。
「もしも私よりも美しかったら、その時はグガランナを地上に放してあげる。」
「もしも私よりも美しくなかったら、その時はグガランナを地上に放してあげる」
イシュタルは太陽神シャマシュの「おい、待たんか」という声も無視して、人間の老婆に変身すると、地上へと降り立った。
神の加護が厚いウルクでは、何もかもが生命力に溢れていたが、ある一か所だけ、落ち窪んだように生気を感じられないところがあった。
それは老婆の身形をしたイシュタル…ではなく、イシュタルと全く同じことを考えたエレシュキガルの存在が原因だった。
人々が避けて通る中、一人の男が老婆に近づいた。
「もし、なにかお困りごとかな?吾輩に出来ることであれば手を貸そう」
「もしや貴方は…お名前をお聞きしても?」
「ザートムと申します」
「なるほどザートム様ですね…」
生気のない顔をした醜い老婆姿のエレシュキガルは、少しの間考え込むと、にたりと笑みを零した。だが、深くかぶった頭巾のお陰で、誰の眼にもその表情の変化は知られずに済んでしまった。
エレシュキガルは言った。
「ザートム様、どうかお慈悲をいただけないでしょうか?」
「お慈悲?なんですかな、それは?」
「私は寡婦でございまして、一人で暮らすには家が広すぎるのです。何日もとは言いません。ただ一日、おもてなしさせていただきたいのです」
「そのような願いなら喜んで」
そう言って、ザートムはエレシュキガルの言うままに、冥界へと連れていかれてしまった。
◇
ザートムが冥界に着くころ、地上ではイシュタルが大いに怒り狂っていた。
「エレシュキガルより私の方が絶対に可愛いのにぃぃ!!」
老婆姿のままでそう吼えたイシュタルを、ウルクの民は怪訝な目で見ていた。
すると、そこへ騒ぎを聞いて駆け付けたギルガメシュと、本能レベルで最愛の父の異変に気が付いたエルキドゥが現れた。
「そこの老婆よ、化けの皮が剥がれておるぞ」
ギルガメシュが言うや、イシュタルは元の美しい姿を晒して、自信満々に胸を張った。
この時、イシュタルは民が平伏し、ギルガメシュが感動の涙を流して当然だと考えていた。
だが、実際は民は民の営みをそのまま日常通りに続け、ギルガメシュに至っては鼻で笑った。
「ど、どういうことよ!?」
イシュタルの疑問に、エルキドゥが答えた。
「傲慢なイシュタル神よ、貴女は貴女よりも遥かに美しい存在を毎日のように見続ければどうなるかご存じないのです」
「無礼な!私よりも遥かに美しいからといって、私の美に陰りが見えるはずがないのに!どういうことかしら?」
イシュタルは怒り狂って今にも色々と投げつけてきそうな勢いだった。
しかし、美の問答はここでお終い。より重要な案件が、三人には共通してあった。
ギルガメシュが言った。
「そんなことより、どうしてザートムがいない。ザートムは何処へ行ったのだ」
ギルガメシュが苛立たし気に言うと、エルキドゥはスンスンと鼻を鳴らし、父親の残り香を追った。
そしてある地点、頗る生気が萎びた路傍で立ち止まり、カッと目を見開いて叫んだ。
「ここから父上の匂いがする!きっとこの下に何かがあるはずだ!」
ギルガメシュ、エルキドゥとくれば、最早次はイシュタルの番だった。
「あぁ~もう!やっぱり貴女だったのねエレシュキガル…冥界への門をウルクの街角に隠しておくだなんて!」
イシュタルが街角にその豊穣の吐息を吹きかけると、巨大な闇が渦を巻きながら口を開けた。螺旋階段で降りてゆくらしい。
「ここからは帰ってこれなくなるかもしれないから、貴方たちの運と、あの子の気分次第ね」
「イシュタル神でも出来ないことがあるのかい?」
「さっき見たばかりでしょうに、私以上の美貌があるように、冥界ではエレシュキガルが私を全てにおいて凌駕するのよ」
「問答無用、早くザートムを取り返しに行くぞ」
ギルガメシュの掛け声とともに、三人は冥界へと降りて行った。
◇
ギルガメシュ達が冥界に向かっている頃、ザートムは美しい姿に戻ったエレシュキガルに抱き着かれていた。
「私はこんなにも頑張っているのに、誰も認めてくれない…おまけに辛気臭いとか、生気がないとかイジられるし…うぅ、私の心のよりどころは貴方だけよ、ザートム…」
「うぅむ、なんとも不憫な…吾輩に出来ることであればなんなりと言って欲しい」
ザートムがそう言うと、待ってましたとエレシュキガルは顔を上げた。涙の痕が残っており、実際、泣いていたのだとわかる。
「じゃぁ、じゃぁ、こうしましょうよ!半分を地上で、もう半分をこの冥界で暮らすの!それなら誰からの文句も出ないでしょう?」
エレシュキガルはさも名案だという調子で手を打った。
だが、これにザートムが肯ずる寸前に、待ったをかける声が届いた。
「ちょっと待ちなさいよ!エレシュキガル!なんで地上と冥界はあって天界は無いのよ!私の取り分も寄越しなさいよ!」
「あぁ、どんどんザートムと共に暮らす時間が短くなっていく…どうすればよいのだ…」
「ギル!気をしっかり持つんだ!何も今生の別れでもないんだし、それに全部を丸く収めるためには丁度いいのかもしれないよ?」
順にイシュタル、ギルガメシュ、エルキドゥが現れて口々に言った。
これにエレシュキガルは圧倒されかけたが、それでも持ち直して言い返した。
「天界の取り分が無いのは私をいままで蔑ろにした所為よ!自覚なしなのかしら?」
「この私に向かって…ぐぬぬ、好い度胸じゃない!」
「冥界で私に勝てるとでも思っているのかしら?」
「勝つ必要はないわ。だって、決めるのは私たちじゃなくて、そこにいるザートム様だもの」
「吾輩???」
突然水を向けられたザートムだったが、間もなく状況を理解すると、全員を、つい先ほどまでエレシュキガルから饗応を受けていた円卓に座らせて、自身の意見を述べた。
「吾輩としては、誰にも傷ついてほしくない。願わくばこのまま平穏に暮らしたいのだが…天と地と地の底を行き来するのは大変だ。」
「そこで、ウルクの近くにある、地上から最も天界と冥界に近い森で皆で暮らすのはどうだろうか?」
ザートムの提案に、皆は「それならば」と頷いた。
だが、あることに気が付いたイシュタルが顔をしかめて言った。
「ザートム様、あそこには森の番人がいるのよ?香木の番人フワワとは、どう交渉するつもりなのかしら?」
イシュタルの問いに、ザートムは自信満々に答えた。
「無論、この美を以て!」
ザートムの言葉には有無を言わせぬ説得力があった。
女神イシュタルに至っては頬を染め外方を向き、女神エレシュキガルに至っては堂々と鼻血を垂らしつつザートムに見とれていた。
ギルガメシュとエルキドゥは、そんな調子の女神二人への信心を揺るがせにしていたが、それも仕方のないだらしなさだった。
◇
その後、ザートムは見事フワワの心を鷲掴み、香木の森と、その森に住まう者の為の番人へとジョブチェンジさせた。
限られた者たちにとっての安全圏になった香木の森に、ギルガメシュとエルキドゥとシャムハト、それからイシュタルとエレシュキガルが移住すると、香木の森は以前にもまして豊かに実り、その豊かさは人類に多少分け与えた程度では枯れることのないほどになった。
六人が森に済み始めてから、フワワは人を殺す必要もなくなり、ただ自然と戯れては長閑に暮らした。
女神の仕事を放棄したエレシュキガルとイシュタルに、神々は罰を与えた。それは人間と同じ定命の者となる呪いであった。
だが、神々の力を以てしてもザートムの隣に居る限り、イシュタルとエレシュキガルの美貌を奪うことは出来なかった。
それはシャムハトやエルキドゥ、ギルガメシュにも通じ、彼らはそれぞれ、短命な人類からすれば悠久の時を生きたのち、眠るように息を引き取った。
彼らの遺体は腐らず。燃えず。透き通るように、何処か遠くへと溶けて消えて無くなった。
それぞれの遺品を、形見としてザートムに託して、悠久の後、今再び出会うために暫しの別れを受け入れたのだ。
香木の森が枯れて、フワワを看取ってから、ザートムは剣を抜き、時空を切り裂いた。
開かれた螺旋の渦。運命の影へと、迷いなく足を踏み入れた。
ザートムが去った後、そこには最初から何も無かったかのように、静寂だけが残った。
天には太陽が輝き、砂塵舞い、大河は浪浪として男をその運命の継ぎ目へと導くのである。