鈍として青く   作:ヤン・デ・レェ

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初陣

愛妻ハンニバルと別れてからは、転々とエジプトでファラオの側近になったり、ローマで凱旋将軍になったりしていた吾輩だったが、この度なんと無職となった。

 

驚くなかれ、最も驚いているのは何を隠そう吾輩である。なんでも此度は時勢が悪く、どこもかしこも不況なのだ。吾輩のような剣のほかには旅と冒険の話しかできぬものなど…娯楽が少なく危険なご時世ならば需要があるのでは?とも思ったが、やんぬるかなこの時代には吟遊詩人なる専門職があるのだ。口下手な吾輩ではとてもとても勤まるものではなかった。そもそも楽器すら弾けぬ上に歌も下手なのだから致し方なし。

 

然はあれ、無職となった吾輩は言うなれば旅の流浪人。不殺の誓いなど立てていないので、道中はばっさばっさと夜盗の類を切り捨てては金子を頂き、そうして己の糧としていた。いやはやどちらが夜盗の類か分かったものではない。早いところ安定が欲しかった。

 

かくして訪れた田舎の村で出会ったのが彼女であった。名をアルトリア・ペンドラゴン。きな臭いので尋ねてみたが、

 

「おぬしはアーサー王か?」とも聞いたが「私はアルトリア。従士の位を授けられる予定だ。」と答えていたので、間違いなく人違いであろう。

 

して、重要なのは食い扶持を手に入れたことだ。おまけに真剣な剣の弟子まで手に入れた。人に教えることでより深く学べるとはよく言ったもので、アルトリアに教えれば教えるごとに吾輩の腕もぐんぐん、それはもうグングン上がっていった。

 

新たな寝床はアルトリア宅の厩であったが、なぁに悪くない。屋根があって二食付きであるからして、吾輩は大満足であった。

 

剣術の弟子として育てるのは実は彼女が初めてであった、これまでにも何人かに物を教えたり縁あって育てることはあったものの。これは中々に新鮮で、吾輩はいつの間にかアルトリアのことが気に入っていた。だからだろうか、彼女が兄ケイとともに初陣に出ると聞いて、吾輩も従者として共にいくと言い出してしまったのは。

 

ピクト人が攻勢に出たのだ。それはアルトリアが運命の剣を抜く日の一月前のこと、良いか悪いかはさておき、戦禍にその肉体と精神を浸して、その上で王道に入ったことは全ブリテンにとっても、そして彼女自身にとっても幸運であったことは間違いないだろう。しかし、それはあくまで王としての彼女にとってであって、人間としての彼女が後戻りのできない不完全なる者として生まれ変わってしまう現実に対しては、例え打ち殺す相手が幻想の魔物であっても、吾輩が自責の念を忘れることはないのだ。

 

 

 

 

初陣の戦場は深い森の奥だった。偵察中の敵部隊との遭遇戦だった。敵は寡勢でこちらは多勢。敵本軍の陣地を先に発見していたから可能だった。圧倒的多勢の本軍によって、終始優位に戦局は動いた。戦いには勝利した。だが、私は実戦というものが何なのか知らなかった。戦場が何なのか、今日この時まで知らなかったのだ。

 

私は三度、死にかけた。一度目は初戦で躓き敵陣に取り残され、二度目は撤退中に泥の中に頭から突っ込んだ先が敵の足元だった。この時は二度とも、真っ先に師が駆けつけてくれた。師は私を背に守りながら、その愛刀ファルカタで襲い掛かってくる敵を順に切り捨てていった。

 

この時の私はまだ他人事で済んでいたのだ。戦い、守ってくれる師の背中の広さ、抱きかかえられ逃げる時の温もりに身を任せ、ときめいていられれば幸せだった。

 

だが三度目は違った。三度目は乱戦の中でのことだった。私は兄と父を見失い、師は人の波に阻まれて未だ遠かった。呼吸が早くなり、背筋が風邪をひいた時のように冷たかった。体は発熱し始め、目が回るようだった。

 

あぁ、逃げなくちゃ。本能で悟った時だった、私を乱戦の渦が呑み込んだのだ。剣戟が耳を傷めるような音量で展開されていた。反響する悲鳴、喘鳴、雄叫び。時折視界の端々で煌く剣と剣がかち合い起つ火花。雨のように降る矢が突き立ち倒れる敵味方。矢は次々に突き立ち、一矢で或いは十を超える数が刺さり命を奪っていった。首に、腰に、腹に、腕に、肩に、足に、太ももに。倒れればおしまいだった、死体に群がるカラスのごとく、鳥葬のごとく兵が群がり不運の人を屠った。

 

私は自分が地獄にいるのだと思った。気が動転して、ついに兜を脱ぎ去ってしまった。あまりにも苦しくて、苦々しくて。

 

それから私は二度、立て続けに嘔吐した。

 

「お"え"ぇッ……ぅぶぉ、お"え"ぇ…ッ…。」

 

次に私は鎧を脱いだ。もう重くて臭くて仕方がなかった。吐しゃ物と、それから…失禁した自身の糞尿と汗で汚れていた。もう自暴自棄にすらなっていたかもしれない。それでも逃げられないで、突っ立っていても生きていたのは幸運に過ぎなかった。一時の幸運はすぐに終わる。直に、私の隣で戦っていた兵士が兜ごと頭を踏みつぶされた。彼はまだ若い従士で、今回が初陣だったと話していたのを覚えていた。

 

首から上が赤い肉片に粉砕され、潰され、引き伸ばされていた。私はまた吐いた。

 

「ぅぐ…ぉごぼ…ッげぇ"ぇぇッッ…」

 

死んだ若い青年に、その青年に備わっていた未来に、それが失われてしまった恐怖と、その恐ろしい現実が私にも迫っているという緊張が私をおかしくした。私を歪めてしまった。でも、まだ私は壊れてはいなかった。私にとどめを刺したのは、やっぱりあの人だった。

 

「アルトリアっ!剣を抜け!練習通りに受け流せ!」

 

遠くで師の声が聞こえた。

 

そこからだ、記憶が曖昧になっている。だが、これだけは言える。私は生き残った。

 

師の声を聴いてから、私はすっかり壊れてしまった。あれから師は心を痛めているが、私にとっては寧ろ福音に近かった。何故か?理由など語るまでもない。「だから」、だ。師が、私のことを忘れることも、私以外に後悔と自責の念で縛られることがなくなったからだ。彼はあれ以来、以前にもまして私のそばを離れなくなったからだ。だからだ。彼は私の騎士になった。我が悲願の騎士になった。私だけの、私だけのナイトになったのだ。

 

 

 

 

剣を抜き、落ち着いて呼吸をした。呼気は酸っぱくて苦くて甘くて重かったが、一突きにするには十分すぎた。何を?私が私の殻を破り、選り良い運命へと進む切欠を与えてくれた殊勝な敵を、である。

 

一息に、私は踏み込んだ。敵がその巨体に任せて私の脳天に振り下ろそうと、その大剣を振り上げた瞬間に懐に入って、奴の心の臓腑に切っ先を深々と突き入れ、間髪入れずに二度、三度と繰り返した。だが死なない。

 

私は右へ飛びのいたが、一拍遅れて風をまといながら振り下ろされた大剣が頬を裂いた。人間の赤い血と、ピクト人の青とも緑とも知れぬ血が噴き出した。

 

まだだ。私は再び、今の再現を試みた。ただ、違うことは相手は深手を負い虫の息だということ、それから私が繰り出すのは突きではなく斬撃であるということだ。

 

足場の土は血が混じり泥と化した。汚穢の泥濘から糸を抜くような繊細さで足を抜き取り、固い地面を踏みしめて真横に一閃。そして間を置かずに、振り切る直前でさらにもう一閃。

 

ぱっくりと裂けた。ピクト人の腹が裂け、赤赤とした、或いはオレンジ色をした鮮烈な臓物が、私に降りかかった。

 

私はまた吐いた。

 

「ごえ"ぇッ……ぇッ…ぇッ…。」

 

今度は流石に何も出てこなかった。胃液ばかりが幾筋も口元を伝った。

 

「アルトリアッ!無事か!無事なんだな!」

 

師の声が聞こえて、急いで口元を拭い顔を上げた。へたり込みそうになる足腰に力を入れて。

 

「はぁッ…はぁッ…はぁッ…師よ、やり、ました…勝ちましたっ!師よ、私が、殺したんです!師よ!」

 

私はこの時の師の顔を忘れられない。忘れたくもない。

 

悲しそうな、空っぽになってしまったようなお顔。

 

可愛らしいお顔をしていた。

 

 

 

 

戦い熄んで、私は師に横に抱かれて陣地を後にした。戦後処理よりも、今は休ませるべきだと父エクターに詰め寄った師を直接見れなかったことだけが心残りだった。

 

戦場はあまりにも悲惨だった。兄も憔悴していた。だが、私は良くも悪くも変わり、好い意味で変わった。私は私を好きになれそうだった。

 

ピクト人の皮膚は固かった。弾力があって、脂肪と筋肉に阻まれて剣が上手く滑らなかった。習った通りにしたのだから、おそらくまだまだ私の技量が足りないのだと思う。あぁ、早く師に今よりももっと認められたい。私は師を独占したい。私は恋をしている。なにもかも知らなかったことだ。師が来てから、師と出会ってから知ったことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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