土砂降りの雨の中で師は消えた。私の目の前ですらなく。どこか遠く、戦場の片隅で消えたのだ。
◇
結論から言って師はマーリンのことをお許しになった。そのご寛恕には果たして、どこまでの判断材料があったのか私には疑問だったが、それでも私は師さえよければそれで好かった。
思えば、私は今を愛していたのだ。この、なんとも愉快な野郎べらと共に、埃の拭きのこしが目立つ古城の宮廷を営む今を。そこには同輩への共感や依存もあっただろう。乱世に首までどっぷり浸かった生活は、結局のところ私に内向きの強さ、逞しさを植え付けた。何か家族の為とか、国の為とか、正義の為とかそういうものの、大きなもののために戦っていたわけではなかった。
それは最早反射だった。私は自分の居場所を守るために必死だった。全ては師の、あの人の隣に侍るため…私は現状を壊すことの方が余程不安だった。今を変えるくらいならば、私は私を殺せた。いいや、それは少し図々しい言い方だ。
私は寧ろより一層生き生きとするために、その自由を、不確かで曖昧な今を自ら創出してしまったのだ。
そうだ。そうだったんだ。全て私が選んだことだった。
モルガンの結婚も、モードレッドの養子入りも、マーリンの恋も…仕向けたのも仕組んだのも、私の粘着質な恋慕が、ありありと隙を晒すことで誘い受けたことに違いなかった。
だから彼らは悪くない…とは言わない。私はそれでも師を独り占めにしてしまいたかったし、マーリンの復帰後に輿入れした私の妻であるギネヴィアが、あのランスロットからの詩に見向きもせず師から私が頼まれた夕飯の注文を、私に代わって厨房長に言伝たことにだって許しがたい憤怒を感じた。
だが、だが、一方で私は愉快に思っている。そんなふうに、喜劇的に腹を立て、お決まりのように踊る自分の今を。
嗚呼、師よ。愛しい貴方。貴方がいればこそ、私は踊っていられる。剣を振るう犬にもなれる。従順に尻尾を振り、綺麗ごとを宣い、表裏乖離の道もなんのその。私は貴方が隣にいてくれれば王でも、道化でも好い。貴方が好いてくれるなら…怖くて、唯々怖くて、貴方に想いを伝えられないだけだとしても…浅ましい、迂遠な、全ては私の照れ隠しだったとしても。
◇
マーリンの復帰、ギネヴィアの宮廷参加、ギャラハッドの活躍。
私の宮廷はますます頼もしく、そして愉快になった。この極彩色の日常に「秋」は来ない。そう、確信し始めていたころだった。南方でピクト人が最後の攻勢に出ると耳にしたのだ。私は騎士たちを集めて言った。
「我々は今日までよく戦った。だからこそ、この一戦を最後の一戦にしよう。これ以上の血を見るのは忍びない。この戦いはピクト人にとってもブリトン人にとってもこれまでで最も過酷な戦いになるだろう。そう、心せよ。」
「しかし幸い、此処にいる騎士たちは皆頼もしく、勇敢で、何より騎士の何たるかを体現してきた者たちだ。私の同胞であり、また戦友である。皆には是非とも、全員が勝利の栄光と平和の恩賞を受け取って欲しい。立って、最期まで生き抜くように。生きて戦い抜くように。よいな?」
「私に大事あらば…などとは言わない。モードレッドも共に行く。私の傍で戦場を見聞きし、その何たるかを知り、行く行くは来る……」
来る…
私は自分の最期…つまりは王権の移譲の瞬間を想像し、幻視し、耐え切れず俯いた。
あぁ、そ、そうだな。そうなのだ、終わりが、何れ終わりが…師との別れが…。
それも必定であろう。だが…だが、それでも私は、受け入れ難い。
「来る…王権の継承の為にも多くを学ぶように。」
モードレッドは怪訝そうな表情を浮かべたが、私が言葉を切り視線を向けるとすぐさま眼光鋭くも言った。
「はい!父上のように騎士の誉厚き君主を目指します!」
騎士の誉、か…。
決戦を前にして、私はどんよりと重たい気持ちを抱えていた。鉛のようなそれは、生乾きの洗濯物のような、肺に溜まる不愉快な臭いがした。
◇
戦場は山あいの狭い地形だった。森と川に挟まれて、或いは山が聳えて壁となっていた。
私は山を決戦の場と決め、数的形勢不利を打開するために散兵的に部隊を配置し、布陣初日には待機を命じ、小競り合いと挑発行動を行い、被害の最小化を徹底させた。そして明くる早朝、焦れた敵軍の全軍突撃と共に決戦の狼煙が上がったのだ。
緒戦は順調に敵の数を減らし、また部隊間の連携を散兵が阻害する効果がありありと発揮されていた。予想よりも優勢な運びとなったが、次第に雲行きが怪しくなり、敵の攻勢が強まり第一線から山岳拠点への漸次撤退を命じたところで雨が降り始めた。
山の頂上付近は痛いほどの勢いで雨粒が叩きつけるように降った。そこにいたから覚えている。そこから動かずに、私たちはじっと遠くで微かに聞こえる剣戟と喚声に耳を澄ませていた。
雨脚がさらに強まると、いよいよ何も聞こえなくなった。全ての音が、雨雫の礫が騎士の鎧を打つ甲高く鈍るような悲鳴に置き換えられたのだ。
戦場はしかし、指揮系統が麻痺したところで順当に推移した。それは幸運であり、同時に不幸でもあった。
頼もしい騎士たちの活躍により、その粘り強い戦いと、土砂降りが敵を押し流したことによる偶然の采配もあって、各所でピクト人が潰走し始めたのである。しかしそれは、その一戦では終わらない、彼らに余力を残すことを意味した。
最後の戦いは翌日未明と決まり、その日は勝利の美酒に酔うこともなく皆が泥のように眠った。
師は最後まで私のそばにいた。そのままで、そのままでいてほしかった。客分の貴方が我々の存亡を賭けた戦いに出る必要はないし、そのために私の前から消えるなどあってはならないことだった。
だが、結末は私の願いとは裏腹に、最愛の師を遠く何処かへと連れ去っていってしまった。
◇
翌日、我々は勝利した。しかし、私の隣にあの人は帰ってこなかった。
少し前までそこにいたのに。戦場に出ると、そう言ったっきり戻ってこなかったのだという。
眼下には昼まで続いた大雨で増水した川が氾濫し、泥濘の川が流れている。捜索に兵を送り出すわけにもいかず…いいや、送り出さなかったんじゃない。もう、理解していたのだ。どこかで理解していたのだ。
午後からは一段と高い青空が広がり、私たちちっぽけなお仲間を見下ろしていた。きっと頬杖でもついて、退屈そうに、或いは愉快そうに見ているのだろうなぁ。やっとるやっとる。またやっとる、と。
私が騎士たちから師が、逃げ遅れた兵士の為に殿に向かった切り戻ってこない、という話を聞いたのはそれから三日も後のことだった。
私はマーリンに言った。
「聖杯を創ってくれ。」と。