それは、本当に存在する物なのか。
すべての生物の存在を許さないこの真空の地獄で、翼を持った巨大生物の痕跡等を見つけて数日。
その事実は発達したテクノロジーにより、直ちに我々の母星―――地球へと伝えられた。
人類が宇宙に出るようになってから―――自ら生み出した神という存在に縛られ、自らが定義したその領域に至ることがなかった
まことしやかにその存在が信じられていた地球外生命物体を、宇宙に携わる者の一つの夢であるそれを遂に発見できたというのに、なぜ私の心はこうも晴れないのだろうか。
あれを見つけてから、ずっと同じ夢を見る。
どれも、自分でない誰かが目の前で死んでいく夢。
母星から離れて、ナイーブになっているのだろうか。しかし、1人を除いて皆が私と同じ夢を見たという。
これ以上、同じ夢を見続けていればいつか私は……私たちは壊れてしまうかもしれない。
恐らくこの夢の原因……私の心に引っ掛かり続けるそれは、しかし私たちの心を惹きつけてやまない。
地球から、連邦航空宇宙局からそれを持ち帰り帰還するよう命令が出た。
本当にこの遺物を地球圏へ持ち帰ってもいいのだろうか。もしかするとこの遺物は何かの神で、この場から動かせば何かの呪いを受けてしまうのではないか―――と船員間のブリーフィングで発言してみれば、この発見こそが神の存在を否定するものであり、人が自ら生み出した軛から抜け出せる契機となり得ると反論する同僚がいた。
しかし彼は、血塗れの夢を見ていなかった。
―――■■・■■■■『ツィオルコフスキー航海記』
◇◆◇
宇宙には人類の新たな褥たるスペース・コロニーが多く立ち並び、そしてかつて木星に旅立った男、ジョージ・グレンが提唱した遺伝子の操作による新たな人類の形……『コーディネイター』と原生人類たる『ナチュラル』の対立構造が顕在化してから何年の月日が経ったのだろうか。
対立の溝を最も深くさせたS2型インフルエンザの終息から10数年経過した今であっても、溝は埋まることなくむしろ広がり続けている。
宇宙に浮かぶコロニー群のうち、最も遅く建造されたL5宙域に存在するコロニー群は住人のほとんどがコーディネイターで構成されており、そしてこの問題の重要地点であった。
『プラント』と総称されるこのコロニー群では、度重なる地球からの過大な要求及びノルマに起因する反感から独立の志向が高まっていた。
プラントへの食糧輸出制限、自治権の完全放棄を要求する地球、これらに対抗すべく彼らは秘密裡に軍事組織たる『
激化する対立、市井の人々が戦争を意識し始めて数年が経過したC.E.69。
睨み合いを続ける宇宙から離れた地球で、大西洋連邦軍士官学校の4年次の学生の中に、その男はいた。
「金がない……」
大西洋連邦軍の制服に身を包み、肩を落として校内喫煙所のベンチに座り込む男……傍から見ればその落ち込みようは何らかの試験に落第した学生のようであったが、しかし自らの財布を逆さに振っている姿は落胆した姿が学業や実技に関連したものではないことを証明している。
校内の奥まった場所にある喫煙所は昨今の禁煙ブームと相まって人気のない場所となっていて、学生内でも少なくなった喫煙者である彼が一人になりたい時によく行く場所第1位でもあった。ちなみに、第2位は乾燥室で第3位はトイレの個室である。
クレジットカードと近くのレストランの割引券、そして多少の小銭が入った財布を制服のポケットにしまいながら、大西洋連邦軍士官候補生のサクヤ・サイジョウ候補生は深く深く、余りにも深くため息をついた。
「そして、運もない……」
1年前、気が付いたら、この身体と財布に入れ変わっていた。
どうしてこうなった、と思っていたのも昔の話。入れ替わる前の職業経験が無ければ、今頃ここに座って思い悩むことすらできなかっただろう。
彼にとって幸運であったのは入れ替わった先の名前が前と同じものであったこと、本来いたはずの世界線での知識を持って入れ替わることができたこと、そして最も大きいのは入れ替わり前……このC.E.を生きていたサクヤ・サイジョウの記憶がトコロテンの如く押し出されずにそのまま残っていたことであろう。
入れ替わった直後はさすがに混乱したものの、これまでの記憶が残っていたためにすぐに平静を取り戻すことができた。
しかし、状況を整理すべく脳内の整理を行っていた彼はすぐ取り乱すことになる。
―――開戦直前じゃねーか!
ナチュラルとコーディネイターの対立、預金の残高、モビルスーツの登場、今月のカード請求予定額、血のバレンタイン、行きつけのブロッセル……前後の知識がゴチャゴチャと入り交じり、エラーを吐き出す脳内をなんとか鎮めながら彼は天を仰ぎ、決意した。
どうにかしよう、と。
そして時は戻りC.E.69。どうにかしようとした結果か、それとも元々のサクヤの能力が高かったのか、学内での成績は校内でも上位で指導部からの評判も上々。
どうにかならなかったのは口座残高だけだった。
士官学校の総仕上げでもある総合訓練が終了して数か月、残るイベントは配属される部隊の発表と卒業式のみ。
乗り越えるべき壁が消失してから、4年次の学生は部隊配属への希望と不安が入り交じるぱやぱやとした浮かれた日々を過ごしていたが、サクヤを含む一部の学生はそうならず考え込む日々を送っていた。
年が明けすぐ、コロニー建造に出資していた各国により構成される理事会はプラントに対し威嚇行動を決定。L5宙域に駐留していた艦隊を動員するも、プラントが実戦投入した
この結果はニュースとなり、世界各国を震撼させた。
しかしながら軍部はモビルスーツに対しあまり危機感を抱いておらず、公式の声明として戦力損失を防ぐための撤退であり決して新型兵器によるものではない、と強調した。
士官学校内においても一時的にモビルスーツは学生間の注目の話題となり、各種議論を巻き起こしたが現状において一度の勝利しか得ていないこと、大西洋連邦軍を含む各国の現有装備で現状では十分に対処が可能であること、そして何より軍上層部が大きな脅威とみなしていないことからその熱は急速に冷めていき、ついには話題にすら挙げられなくなった。
「結局どうにもならなかったなあ」
話題に挙がらなくなったものの、それは全体的に見ればの話であって一部の学生は議論を深め、そして各人はそれに関するテーマの論文を書き上げるに至る。
卒業論文、という訳でもなくただ卒業式までの間を無為に過ごすのも勿体ないと考えた一部の学生たちによる半ばお遊び、もしくは時間潰しのようなものであったがサクヤは違った。
『MS運用論』と題したそれは彼の持つ様々な
ここで誰かに……特に軍上層部や兵器開発企業の誰かの目に留まれば現在の大西洋連邦の主要兵器であるモビルアーマーに乗らず、そのモビルスーツ開発の方面に引き抜かれるのではという、非常に甘い考えがサクヤの脳内にはあった。
しかしながら、論文に関するリアクションは今の今まで無し。まだかまだかと待っているうちに、遂に配置される部隊発表の日。
時間潰しでダラダラと座っていた喫煙所のベンチから立ち、発表場所である候補生隊の隊長室へと向かう。
ほぼ諦めの境地、ほんの少しだけ期待を抱きながらドアの傍で待機する。
しばらくすれば、同期が若干気落ちしたような声で退室を告げながら出てきた。
「聞いたこともないような田舎だったよ……」
「そりゃ、ドンマイだな」
「実家と真反対の場所だった……」
部隊配置において、兵科を第一とするか任地を第一とするかは各人の希望に委ねられる。出てきた同期は任地優先であったのだろう、サクヤ自身も聞いたことのない田舎部隊に配置されることになった事を残念がりながら、その場を離れていった。
同じような経験があるサクヤは彼の落胆具合が非常によく分かったが、しかし次は自分の番。
意識を彼の方から切り替えながら、隊長室のドアをノックする。
「入れ」
「入ります!」
入室要領を完璧にこなし、候補生隊隊長の机の前へ。
やはりこういう発表される場では緊張するな、どこになるんだろうなと考えつつ隊長からの言葉を待てば、すぐに辞令書を取り上げ読み始めた。
そして、叫んだ。心の中で。
「サクヤ・サイジョウ候補生。プトレマイオス基地駐留艦隊、アガメムノン級『ルーズベルト』航空団飛行隊勤務を命ずる」
―――考え得る限り最悪の艦じゃねーか!!