人間には限界がある。
それは肉体面だけでなく、精神面、経済面、仕事面など様々な分野において、である。
人はその限界に至るまでの時間を伸ばすことはできるが、しかしどうあがいても逆立ちしても、限界という箍を消すことは終ぞできなかった。
例えコーディネイターであっても、人の枠から出てきていない以上勝機はその『限界』にある、とサクヤは確信した。
「これ今何戦目……?」
「もう忘れた……」
「吐きそう」
「もう出た」
限界に至る時間を延ばすため、特に肉体的限界と精神的限界を伸ばすにはこの耐久訓練こそが原始的ではあるが一番だなとサクヤ・サイジョウ少尉は再認識する。
士官学校を卒業し、部隊に配属されてからしばらくの月日が経った。
着隊歓迎行事、古参の軍曹にシバかれる恒例行事、モビルアーマー操縦MOS習得のための促成課程への入校、そこでの士官学校とは違った地獄の日々……同じことを延々と、長時間反復して自身の身体に染み付かせる訓練は、一つのミスで死に直結する戦場で限りなくミスを減らすために最も効果的な訓練であった。
そして今、プトレマイオス基地から出航した艦隊内で行われている8時間耐久基本戦闘訓練の終盤で身体も脳も限界まで酷使したサクヤとその部隊の同僚たちは、母艦たるルーズベルトに戻るべく着艦シークエンスの最中であった。
C.E.70、2月。
考え得る限り最悪の状況に放り込まれ、どうにかそこから脱しようかとあがき続けた男の顔はそこそこにやつれ、士官学校の同期だけでなく艦のクルー達からも痩せた? ちゃんと飯食べてる? と心配されるレベルにまで達していた。
現在プトレマイオス駐留艦隊を含む地球連合軍の一大艦隊は、宣戦布告もそこそこにプラントへ侵攻を開始。
再編された地球連合宇宙軍の艦隊の半分近くを動員するこの作戦に、結末を知っているサクヤは乗り気でないどころか参加すらしたくなかったが、税金を食む軍人である以上その職責から逃げる訳にもいかなかった。
士官学校を卒業してからもMSに関する論文を暇を見つけては書き上げ、公式非公式アングラ雑誌問わず投稿し続けるもそれが誰かの目に留まることはなく、やたら高い郵送料を無為に払い続けるだけの消費行動と化して数か月。
この間にもザフトはMSを生産して配備し、MSの運用に関するノウハウを築き上げているのにもかかわらず、相変わらず既存の兵器の運用体系でコーディネイターの殲滅を成し遂げられると考えていた。
結局のところこのプトレマイオス基地駐留艦隊から異動する方法は正規の手段では存在せず、コネによる引き抜きもただの士官候補生であったサクヤにはあるはずもなく、ただの士官学校出のボンにしてはやけにこなれた態度で無難に勤務する士官、といったのが上司及び部下からの評価であった。
「R032、着艦する」
半ば自動化された着艦シークエンスをこなし、サクヤは自身に与えられたオレンジ色の機体……『TS-MA2mod.00 メビウス・ゼロ』をルーズベルトに着艦させる。
最悪の状況の中で唯一彼の心を慰撫したのは、航宙適性検査で判明した非常に卓越した空間認識能力、操縦技術、そしてそれにより自身の機体として与えられたこのメビウス・ゼロであった。
いわゆる転生特典ってやつ? と感謝しこれでただのメビウスに乗って核のトリガーを引かずに済む、むしろ誤射を装って阻止すらできるのでは? いや、稀有な能力持ちだから後方に下げてもらえるのではとも考えられるようになったサクヤは若干の元気を取り戻したが、しかしそれもすぐに打ち砕かれることになる。
現状の艦隊及びモビルアーマー運用の計画においてメビウス・ゼロ部隊は艦隊内の遊撃部隊として運用されることになっており、戦線を抜けて直接攻撃を仕掛けるメビウスの飛行隊からは若干離れることになる上に、貴重な能力持ちとして戦果を挙げられるようにそのまま配置換えなく前線配置が確定したからだ。
そして、正史ではこのルーズベルトに持ち込まれた1発の核弾頭の在処すら分からない。そもそも存在するのかどうか。
ルーズベルトの艦長は正史と変わらずウィリアム・サザーランド大佐であり、彼が核弾頭を持ち込んでいるのは間違いないというのが
この時期において、軍内の大派閥であるブルーコスモス派に睨まれて滅茶苦茶に痛い腹を探られては今後にも影響するという認識が、サクヤの行動を慎重にさせていた。
艦内の対人関係の掌握、それに伴う各人が属する派閥の確認、そして無害そうな人物、特に
慢性的な金欠に悩むサクヤにとってはどの携行食も奇貨ではあったが。
「お疲れっす、後は自分が」
「頼みます」
機体を格納庫に固定した後、コクピットから出れば機付整備員が入れ替わりでコクピットに入っていく。
彼に機体を任せ、訓練成果を纏めて飛行隊長に提出するべく待機室に備え付けられている自身のPC端末に飛びついた。
いつの時代も、士官のやることは変わらない。付与された任務を分析し、隊の現状を掌握。部隊長の示す方針と課題として列挙された事項を、制限された訓練基盤の中で効率的に効果を得られる訓練計画を各種部署と調整した後作成して上司に指導を戴き
しかしながらこれが軍の中枢を担う士官の仕事の一つであるのならば、逃げることはしない。
それが市民から信任され、税金を禄として食む軍人の責任であった。
◇◆◇
宇宙に浮かぶ人類の褥、その一つであるL5コロニー群。
コーディネイターが集結するそのコロニーは、今や地球連合と対立する一大勢力『ザフト』の根拠地となっていた。
砂時計の如き巨大な鋼鉄のオブジェの近郊では、これもまた鋼鉄の艦が殺意の塊を吐き出し、様々な光芒を生み出していく。
「ザフトのMSを止められず、ルーズベルトの攻撃隊すら見失うとは……!」
爆散する味方の機体の爆発を切り裂き、メビウス・ゼロの機体が宇宙に踊る。
促成課程で乗らされたメビウスと違い、橙色の機体はパイロットの意識を前へ前へと拘束して突進させるような感覚を覚えさせた。
機体の上下左右に取り付けられたドラム缶のような寸胴の物体が射出され、周囲に展開。それが飛び出してザフトのジンを取り囲む。
「落ちろっ!」
牽制として展開した有線誘導式無人機『ガンバレル』の砲門を開き、ジンに発砲する。時間を置いて、この機体の主兵装たる対装甲リニアガンを発砲。
ガンバレルの嵐を抜けたジンであったが、回避機動を終えた先に待っていたのは主力艦船の装甲すら貫く砲弾であった。
爆散するジンの傍をすり抜け、ガンバレルを回収。一息つく間もなく新たなジンの小隊がサクヤの目の前に現れる。
既にメビウス・ゼロで構成された戦闘隊は壊滅、宙域では残ったメビウスが彼の指揮下のもと散発的な抵抗を行っていた。
「少尉! 助けてくださ―――」
リニアガンの弾が切れ、逃げ回っていたメビウスが遂にジンに捉えられ重斬刀に切り裂かれる。
乗っていた若いパイロットの断末魔が脳裏にこびりつき、サクヤを舌打ちさせる。メビウスを屠ったジンは、次なる獲物にサクヤを選んだらしい。
重突撃銃を撃ち散らしながら距離を詰めていくジンをガンバレルで牽制しながら、更に現れたジンからの攻撃をバレルロールで回避する。
ジンの1機をガンバレルの集中攻撃で撃墜、残るもう1機の右腕をリニアガンで吹き飛ばした。
「今だ! 仕留めろ!」
「了解!」
残存するメビウスに指示を出し、右腕を失ったことでバランスを崩したジンに殺到させる。
たとえ最新兵器であっても兵装を失い、かつバランスも立て直せないようなパイロットが操縦しているモビルスーツに、万全とは言えないものの不具合の起きていないモビルアーマーが勝てないはずがない。
次々と放たれるリニアガンがジンの装甲を削っていき、そして遂にコクピットに直撃してその機体を爆散させた。
既に戦闘が始まってから、数時間が経過していた。
地球連合艦隊は目標の一つも達成できず、その戦力を擦り減らし続け、遂には作戦の要たる攻撃隊にすら被害を出す始末であった。
そんな中でも、精鋭たるメビウス・ゼロ戦闘隊はトップの撃墜スコアを叩き出し善戦していたものの、その1コ部隊だけでは崩壊しつつある各戦線を支えられる訳もなく遂にはサクヤを残し全滅。
生き残り、指揮を継承して近傍宙域に残存するメビウスを纏め上げて抵抗を行っていたものの、肉体的にも精神的にも限界が来ていた。
一番のネックであったルーズベルトの攻撃隊はすでに見失い、核の在処など意識の外になってから久しい。
限界に至るまでの時間を歯を食いしばり、生存本能と気力で引き延ばしていく。
最早落とした数など覚えていない。自らの眼前の敵を捌きつつ、指揮下に入ったメビウスの現状を処理して指示を出して少しでも生存できる可能性を高める。
「025は後退しろ! 034もだ! 018と014はその地域のカバー!」
「りょ、了解!」
「少尉、すんません!」
消耗著しいメビウスの2機を後退させ、その穴埋めに別のメビウスが周囲をカバーする。
にわか仕込みの即席部隊であったが、戦場を何時間も生き残っているだけあって自分が何をすべきか、最適化できているようであった。
突撃銃を撃ち散らすジンをガンバレルの一斉射で沈黙させ、残ったメビウスがリニアガンでコクピットを貫く。
一生続くように思えたこの戦闘であったが、転機がついに訪れた。
訪れてしまった。
L5コロニーの一つが巨大な光芒に包まれ、崩壊していく。
まさか、と思うよりも早くその光が肥大化していき、そして消えていった。
意識の外に追い出していた核弾頭が使用された、という事実はサクヤを動揺させる。
そして、その動揺がまだわずかに残っていたはずの限界までの猶予をゼロにした。
それがこの戦闘間に一度も見せたことがなかった隙となる。
「……! うわっ!」
気づいた時にはもう遅く、周囲に展開していたガンバレルが全て破壊されると同時に、76mmの銃弾がメビウス・ゼロの機体を穿った。
けたたましく鳴る、異常を知らせつつスパークを起こすコクピット内の計器類。それを確認しようとするも、混濁する意識。
機体のコントロールを戻そうと、歯を食いしばり操縦桿を握り締め、意識を保とうとしたサクヤが目にしたのは、自身の機体を追い抜いていく白いジンと、脇腹に突き刺さるコクピットブロックの破片だった。
「死ぬほど、痛ぇ……」