「禅城葵のことは忘れろ。そうすればお前は強くなる」 作:らくべえ09
白く、赤い部屋だった。
天井や壁は白く、下は血のように赤い。
そのような床であるのか、絨毯でも敷き詰めているのか。
大きい。
どこまでも、大きい――
ドイツの、アインツベルン城に似ている気がした。
――夢なのか。
と、黒い男は思う。
衛宮切嗣。
男の名前だった。
アハハハハハハハハハハ
何かが、笑っている。
赤い床の下を、巨大な何が蠢いていた。
おかしな表現だが――それはさしずめ、どす黒い黄金。
その何かが、湖面から浮き上がるように切嗣の前に出た。
蛇。
いや、角があり、獅子を思わせる
ドラゴン。
――いや、
「お前は誰だ」
「俺様はお前だ、キリツグ」
ワイアームが
――違う。
「違う……お前は、アサシンだ」
龍であり蛇。
蛇崩雁夜。
間桐桜。
マスターごとに姿を、在り様を変えたアサシン。
「いいや。俺様はお前だ」
ワイアームはさらに笑う。
そして。
「私はお前よ」
女の声で笑う。
「アサシンはおまえだ」
2つ目、3つ目のワイアームが現れる。
否。
切嗣は下を見た。
違っていた。
3体なのではない、巨大な複数の首を持つドラゴン。
巨大な翼と2つの尾。
「俺様は鏡だ。鏡に映ったお前自身だ」
これが、自分か。
衛宮切嗣という者の姿は、このような異形の怪物なのか。
「お前のことは全てわかるぞ――?」
「バカな……」
「なら、何だと思っていたのかしら? 正義の味方? 平和の守護神? お前が?」
「バカなやつだ。バカなやつだ。おまえ、じぶんをなんだとおもっていたんだ?」
「人殺しだぞ?」
切嗣にその巨大な
「……ああ。ああ、その通りだ! だからこそ!!」
「世界平和か? 恒久的世界平和? そいつは愉快だな?」
「でも? どうやって? 聖杯で? 具体的には? 何のビジョンもないの? ただ奇跡に、神様にすがってお願いするだけ? そんなの、赤ん坊でもできるわ」
「おまえ、なにもないよね。へいわだって、すくいだっていってるけど、そのためにアイリをころしたよね? イリヤをすてたよね? ひどいやつだ、わるいやつだ!」
「違う!!!」
「違わないねえ!! お前の目指す先はなんだ? そうとも平和だ! だが、そいつは何もない。からっぽの死んでるのと同じ平和だ。無気力と怠惰と、衰退が待っているだけの死の世界だ!!」
「世界を救う? 平和? お前が? 人殺ししかできないくせに! 妻も子供も守れないロクデナシがたいそうを夢を語るじゃないの?」
「そのおくさんも、こどもも、あいじんちゃんも、にんぎょうだけどねwwww」
「――なに!?」
顔を上げると、アイリスフィールが、イリヤが、舞弥が――倒れている。
「……!!」
――違う。これは、本物じゃない。
どこかで理解していながらも、駆け出さずにはいられなかった。
抱き上げると――
アイリスフィール。
白い、美しい女は不格好な人形になっていた。
イリヤも。舞弥も。
いや最初からみんな人形だったのか。
「正義の味方を気取っているが、所詮は〝パパ!〟、〝ママ〟と泣きながらヒーローごっこをしているガキじゃあないか!!」
「そのくせ、だぁれも信じられないのね? だから妻も愛人も、みんな人形なのね? あなたの言うことに従う可愛い可愛いお人形ちゃん! キャハハハハハ!!」
「かわいそうなケリィ、かわいそ、かわいそ!!」
「黙れ!! 黙れ、黙れええええええええええええええ!!!!」
耳をふさいでも。逃げ出しても。
アサシンの笑い声は追いかけてきた。
「殺すなら、さっさと殺せ! 喰うつもりならさっさとしろおおおおおおおおお!!」
苦しみに耐えかね、切嗣は叫んだ。
血を吐くような叫びだった。
「ああ、喰ってやるとも。だが――」
「一口では喰わない。お前が死ぬまで、死んでも永久にねぶり続けてあげる」
「おまえは、ずっとずっとずっとアサシンのあめだまだぞぉ? アハハハハハハwwwwww」
――こいつは、アサシンは悪魔だ。
いや。
鏡に映った自分こそが悪魔なのか。
絶望という底なし沼に、衛宮切嗣はどこまでも、どこまでも沈んでいった。
――死にたい。
――誰でもいい、殺してくれ。
黒く濁った汚泥の中で、そんなことを考えた。
――でも、やらなきゃいけないことがある。
――本当に?
――それを目指して、やろうとして、結局自分は……。
「………」
視界が、まぶしかった。
左手が柔らかく、温かい。
誰かが自分の手を握っている。
――舞弥。
手を握り、ベッドに顔をうずめた女を見て切嗣はぼんやり思った。
「――気が付いたのですね」
すぐに顔を上げた舞弥は、微笑したようだった。
しかし、顔には疲労の色が濃い。
そして、右手。
――ない……。
治療されているが、そこが失われているのはわかった。
――令呪を奪われたのか。
アサシンと契約して以降、記憶がない。
いや。
現実の記憶がないのだ。
おぼえているのは、おぞましいアサシンの――黄金龍の嘲笑だけである。
「聖杯戦争は……」
「終わったようです。勝者は、わかりません。サーヴァントたちはほぼ相打ち、全滅だったとのこと」
「そうか……」
あれほど願った聖杯は、もう届かない。
なのに、心はまるで揺れなかった。
――アイリ。
もう会えない妻の顔や声だけが思い出される。
「舞弥」
「切嗣、今は傷を癒すことを優先してください。全ては、その後です」
女は優しく、同時に厳しい声で言って、また切嗣の手を握った。
冬木で起こった火災は多くの被害をもたらした。
幸いというべきか。
迅速な消火活動が功を奏して、大規模に広がることはなかった。
しかし、それでも多くの死傷者を出したことには変わらない。
巨大な怪物を見たという噂も、巷に流れた。
それは、有毒ガスによって生み出された幻覚だと、発表されている。
街の有力者である遠坂家は、私財を投入して復興と、被害者の支援にあたっている。
後年。
その功績によって市からは名誉市民に選ばれたが――遠坂家は丁重に辞退している。
蛇崩雁夜は、まだ冬木にいた。
ゴタゴタに巻き込まれる前に、さっさと逃げてもよかったのだが。
――悪縁ってやつかねえ……。
雁夜は病院の前でため息を吐き出して、頭をかいた。
「元気そう……には、見えねえな」
病室で、雁夜は言った。
「ああ……」
答えた男の頬は、ひどくこけていた。
衛宮切嗣。
セイバーのマスターであった男。
そして、男のそばに女が控えていた。
久宇舞弥。
見えないように、銃器を用意しているのが分かった。
「生きているのが不思議だと言われたよ」
「俺もそう思うわ」
雁夜はドアのほぼ前で、距離を置いたまま答えた。
「まさか、あんたに助けられるとは思わなかった……」
「ほとんど言峰が助けたようなもんだがね。俺は、まあ成り行きだよ」
「そうか……」
「聖杯は――」
「消えたそうだよ」
「……そうだったな。そう聞いてる」
「だが、今回の騒動でまともに機能するようにはなった、らしい」
「そうか」
「なんだ。あんた、死ぬほど欲しかったんじゃないのかい、聖杯が」
「ああ……」
「なんか、死人と話してるみてえだなあ」
雁夜はわけの疲労を感じて、窓の外を見た。
青い空。白い雲。
とてもあんな怪獣騒ぎがあったとは思えなかった。
「これからどうする気だ。また60年後を待つか?」
「いや。他にもやることがある」
「そうかい」
「間桐はどうするつもりだ」
「どうもこうも、遠坂がどうにかするんだろ。兄貴は今酒を抜いてるところだ。アル中じゃ、子供の世話もできないからな。ま、俺には関係ない話さ。縁を切られた人間だからな」
「……」
「とはいえ、これも縁だ。何かあれば報酬と待遇次第で手伝ってやるぜ」
「考えておく…」
「ま、せっかく拾った命だ。せいぜい大事にするんだな。って言っても、無理か……」
雁夜は振り返って切嗣を見ながら、苦笑を残して去った。
夜の街である。
若干の混乱があるとは、いえ。
聖杯戦争後の冬木は徐々に日常を取り戻しつつある。
目撃されたアサシンの姿も、都市伝説として消化されようとした。
その男の歩く街並み。
被害のなかった地域とはいえ、市民はもう普通に暮らしている。
男は、人の波の中でも目を引いた。
白人――外国人ということもある。
しかし、別に奇異な格好をしているわけでもない。
男の放つ、ある種独特の臭気のせいかもしれなかった。
体臭という意味ではない。
とりわけ裕福そうではないが、清潔感があった。
無造作に後ろを撫でつけた金髪も、粗雑な印象はない。
品の良さ、育ちの良さみたいなものがうっすらと感じさせるのだが――
男には、恵まれた育った人間にありがちな、ひ弱さとか浮世離れしたものがない。
それは反社会的な人間と似た、怖いものだった。
夜の街をぬけて、男はあるバーに入っていく。
何気ない動きにも、見るものが見ればわかるが隙がなかった。
客は、ほとんどいない。
そんなボックス席に一人座る赤い背広の男。
金髪の男――ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは迷いもなく近づいていた。
「待たせたかな」
「いえ」
ケイネスへ、赤い服の男――遠坂時臣は応えた。
「話と言うのは、養子のことか」
「ええ」
両者には、すでに話が通っていた。
間桐から戻った次女・桜。
彼女の新たな養子先に悩んでいた時臣は、偶然日本に来ていたソラウ・ヌァザレ・ソフィアリに仲介を頼み、ケイネスとの交渉に至ったのだ。
半ば出奔に近い現状にあるケイネスだが、形としてはいまだアーチボルトの当主となっていた。
――これが、アーチボルトの。
その才能も家柄も、人となりも。
以前から知っているはずだった。
今回に至っても、かなりの調査に力を入れた。
――しかし。
・決闘での敗北と、その後の放浪。
情報においてそれらを予習していてもなお、
――違う……。
ケイネスの印象は、時臣の想定から外れていた。
落ちぶれた。
パッと見にはそのように思えないこともない。
だが、服の下から感じ取れる肉体も、魔力も。
恐ろしいの練度と密度を感じさせた。
しかし、その雰囲気は代を重ねた旧家の魔術師とは思い難い。
むしろ――
あの魔術殺し・衛宮切嗣。脱落者であった拝み屋・蛇崩雁夜。
彼らと通じるような暗いものがあった。
「正直、期待は捨ててもらいたい」
同じものを、と注文しながらケイネスは言った。
「……」
「ただ」
「ただ――?」
「アーチボルト系列ではないが、心当たりはある」
「それは……」
「イギリスではなく、日本の……だが」
「日本?」
思わぬ返事に、時臣は思わずケイネスの顔を見た。
グラスを傾けながら、仏頂面だが不機嫌というわけではない。
「あちこちを回っている間、知り合った相手もいる」
「失礼を承知でお尋ねするが、信用できる相手ですかな?」
「私よりはな」
「ほう」
返事に込められた静かな自信に、時臣は興味をそそられる。
「それで……」
「霊光波動拳というものを知っているかな」
「……!」
「知っているらしいな」
時臣のわずかな反応を見もしないで、ケイネスは言った。
「……ああ、高名な霊能者でもある。といっても、世俗ではほぼ無名だそうだね。いや、それはどうでもいい……」
「我々のうちでは、良く知られている、そうだな。ま、好かれているかというとNOだろうが」
霊光波動拳の幻海。
すでに60を優に超えているが、確かな実力と経験を兼ね備えている霊能者。
在り様としては魔術師に似ていなくもないが、魔道の人間と関係は良くない。
「たまたま嫌いな奴に悪党が多いだけだ」
そう嘯く彼女にとって、多くの魔術師は大小はあれど悪党らしかった。
同時に、幻海は拝み屋でもあった。
魔を祓い、魔を討つ。
「いや、しかし……」
「魔術師ではない、か? まあそうではあるが――聞いた情報だけでは、現状娘を引き取りたがる家は少ない。まして、間桐のことも情報は流れているようだからな」
「……む」
それは、時臣も危惧していることだった。
「まともでもない連中なら、笑顔で引き受けるかもしれんが、あんたの望む結果にはなるまい」
「……」
確かに、そうなのだった。
素のままであるなら、桜はその優秀な資質からして良縁もあったろう。
だが、間桐でのことで大きくケチが付いている。
ある種、〝キズモノ〟になったとも言えるのだ。
「だから霊光波動の……」
「少なくとも、身を守る手段は叩き込まれるな。ただ、こちらが良くても向こうがうなずくかまでは、わからんが」
「……」
苦しい選択だった。
できることなら、大家の養子となり魔道を継いでほしい。
しかし、それが困難であるのなら。
「……まあ、あのバァサンなら標本なんぞにすることはないさ。そこだけは、確実だ」
その夜、時臣は即答を避けた。
しばらく後、出した答えは……。
病院内を歩きながら、切嗣は思う。
――自分が生きて、歩いていられるのは。
体内にある〝鞘〟のなせるものだった。
それでもなお、肉体の完治にはほど遠い。
――アサシン。
あの邪悪なドラゴンの毒は、それほど強かったのだ。
「できるだけ早く退院したい」
そう言ったが、
「とんでもない」
と、医者は渋い顔だった。
焦燥はあるが、状況は良くない。
せいぜい最悪ではないと言える程度か。
そんな思いの中、ストレッチャーに運ばれる患者と、すれ違った。
「……!」
一瞬だが、切嗣は目を見開いた。
体格からして小さな子供のようだが、全身をミイラのように包帯で覆われている。
おそらく全身が重度の火傷であることは察しがついた。
しかし、その原因は――
ゾッとするものが、男の背中に走った。
そして、舞弥に調査を頼んだ結果、
――聖杯戦争……。
あの夜、聖杯によって開けられた空の
そこから降り注いだ泥によって多くの人間が死んだ。
あの子供も、その犠牲者の一人である。
家族は皆、死亡している。
運よくまだ生き延びてはいるが、助かる可能性は極めて低い。
――僕が。
自分がしてしまったことの、その結果だった。
罪の結果を突き付けられ、虚無の心に絶望と後悔が流れ込んだ。
苦悩した。
できるやら、全身を焼いてしまいたいほどの。
しかし。まだ。
――やらなきゃならないことがある。しかし……。
一度知って、見てしまった以上、顔をそむけることは不可能だった。
だから、男は――
〝鞘〟を捨てた。