「禅城葵のことは忘れろ。そうすればお前は強くなる」 作:らくべえ09
そこは、まさに深山幽谷という場所だった。
まだ日本にこんなところがあったとは――
訪れる者の多くはそう思うだろう。
そんな場所に、広大な屋敷がある。
どうやって建てたのか。
電気や水道はあるのか。
その屋敷の中庭で、4人の人間が立っている。
ケイネス。
時臣。
そして、桜。
最後に――小柄な老婆が。
しかし、彼女は老人とか老婆という言葉が不似合いな、奇妙な活力と迫力があった。
年相応には見える。
だが、まるで老いぼれたという印象がなかった。
さながら。
年月を経た巨木のような、巨大なイメージ。
幻海。
日本でも最高クラスに位置するとされる、霊能者。
しかし。
そのまとう雰囲気は、一般にイメージされるそれとは大きく異なる。
まるで。
老練な武術家と同じものを、幻海はまとっていた。
「ま、いいだろ」
わずかに桜を見ただけで、彼女は即答した。
「え?」
あまりにも、あっさりとした対応に時臣は驚いた。
「事情はいくらか聞いた。ま、大変だったね」
幻海は、時臣ではなく桜を見てそう言った。
桜は、不思議そうに幻海を見ている。
おそらくは、彼女は初めて出会うタイプの大人だったのかもしれない。
「ずいぶんと、あっさりとしたものですな」
多忙である時臣が先に帰った後、ケイネスは屋敷周りの山を見ながら言った。
「自分から預けに来て、よく言うよ」
幻海は毒を吐くが、その表情に険はない。
「どっちみち、そろそろ跡目を探さにゃならんと思ってた頃だ」
「あの子は、見込みがあると?」
「さてね――ま、まずは傷を治すことが先さ。色々なね」
「……」
ケイネスは沈黙する。
魔道の修業とは苛烈なもの。
世俗の常識で言えば、拷問や虐待とさえいえる例も珍しくはない。
しかも。
桜が受けたものは、修業ではなく本物のそれだった。
傷は癒えても、その跡はずっと残るのだろう。
同じ魔道に生きる者として、考えることがないではなかった。
「……で。今日来たのは、付き添いだけかい?」
「いや――」
ケイネスは空になった茶器を置いて、幻海を見る。
「立会人の、お願いしたく」
「喧嘩かい」
あけすけな言葉に、ケイネスは思わず苦笑した。
魔術師なら、決闘というところだ。
しかし、彼女からすれば喧嘩の一言らしい。
「そうです」
「相手は?」
「秋葉 流」
「ふん。前にぼろ負けした相手じゃないか」
「――ええ」
ケイネスの目に、暗い炎が燃える。
光覇明宗。
日本仏教界でも上位に位置する巨大宗派である。
表の顔は、真言や天台に近い仏門だった。
だが、裏の顔は妖魔調伏を受け持つ退魔集団。
その大元は、鳥羽上皇を祟ったとされる九尾狐調伏から始まるという。
はるかな過去に倒された妖魔の存在。
それを彼らは今なお警戒しているという。
中でも妖魔調伏を任される法力僧は、その実力と実績の高さでもこちらの世界では有名だ。
秋葉 流は、法力僧でも五本の指に入るとされる。
実際に、
――恐ろしい男だった。
何度もケイネスは思う。
天才だとうぬぼれていた自分が、初めてその才能に嫉妬し、恐怖を抱いた相手だった。
これほどの男が、こんな東洋にいたのかと。
はじめは、数年後に起こる聖杯戦争の下調べ、そしてほんの様子見のつもりだったのだ。
それが、いつしか命がけの決闘となっていた。
武宝具を巧みに操り、強力な法術を駆使する流は、強すぎるほどに強かった。
ケイネスとて、自分でも限界以上の力を駆使したのだ。
しかし、それでも負けた。
完敗だった。
だが――
流は、敗北したケイネスにとどめをさすでもなく、嘲るでもなく――無言で去った。
殺さなかったのは、仏教の戒律ゆえか。
しかし、無言の勝者にケイネスに屈辱の涙を流させた。
だからこそ、今こうしている。
「リベンジマッチってとこかね」
「そうなります」
「負けたやつは、死ぬまで挑んでくる……か」
自分でも思い当たることがあるのか、幻海はどこか遠い目で言った。
振り返ると、座敷には布団の上で桜が眠っている。
子供の身でここまで上がってくるのは、かなり疲労したのだろう。
「ふう。バカだね、お前さんは」
「バカはバカですが、本気です」
「そうかい。なら、部外者のババァがコレ以上言うこともないね」
やれやれ、と幻海は立ち上がり――
「立会人は引き受けてやるよ」
「感謝します」
そして、ケイネスは礼を述べてから屋敷を去った。
桜が幻海のもと預けた後――
時臣は多忙な日々を送っていた。
聖杯戦争の、準備以上に後始末に奔走させられる日々である。
それがある程度落ち着いたかという頃。
時臣はランプだけをともした自室で、闇を見つめていた。
結果的として――
時臣自身は生き残り、まさかという時に気づかされた聖杯の欠陥……それもどうにかなった。
しかし、その中で時臣自身に何ができたのか。
聖杯の暴走と除染をどうにかしたのは、結局綺礼である。
過程をみれば、最低だった。
そして、弟子である綺礼ももうそばにはいない。
聖杯戦争が終わった夜明けだった。
全身がボロボロになった弟子は、ふらりと時臣のもとに来た。
その段階で、さすがにわかっていた聖杯の汚染。
綺礼はことの次第を説明した後、
「師よ、今日で子弟の縁は切らせていただきます」
「……なぜだね?」
「あの後、色々調べてみましたが、私が手にかけたバーサーカーのマスター」
「む……」
「彼はアメリカ魔術会でも有数の名家であり、才能を称賛されていた人物です。いかに魔術儀式とはいえ、極東のアジア人に殺されたとなれば、向こうは業腹でしょう」
確かにその通りではある。
「なので、言峰綺礼は師を裏切り、聖杯を奪わんと画策した。そういうことにしていただきたい」
「……バカな」
あまりの提案に、時臣は声を出すのもやっとだった。
そんなことをして、綺礼に何の得があるのか。
「師よ、かの家や系列を敵に回せば、色々面倒になるでしょう。納得するかはわかりませんが、表向きでも、そういうことにしてしておくべきです」
「……しかし、君は」
「狙われるでしょうな。懸賞首になるやもしれません」
「ああ、そうだ。それがわかっているのなら」
「ですが、それこそが私の望みなのです」
「な、何を言うのかね……?!」
「ご理解は無用。師よ、いえ、遠坂時臣どの、さらばです」
そして、綺礼はどこへともなく消えてしまった。
詳細はその後まったくわからない。
時臣としても、合理的判断からして、綺礼の言う通りにするしかなかった。
暗い部屋で、赤い魔術師は頭を抱える。
どうにもしがたい、燃え盛る火を半端なまま消されたような気持ち悪さ。
根源への道も失って、弟子も去り、娘にはどうしようもない傷を負わせてしまった。
やりきれないものが、いつまでも泥のように煮立っていた。
幻海のもとを辞してから、ケイネスは東京にきていた。
夜である。
声をかけられたのは、駅に向かっている途中だった。
「ケイネス・エルメロイ・アートボルトさん、ですかな?」
誰かにつけられているのは、わかっていた。
顔を見る。
白髪だが、老人という年ではなかった。
一見痩せているようだが、衣服の下に鍛えられた肉の臭いがする。
にこやかで、柔和な印象を与えるがまるで隙がない。
「どなたですかな?」
「蒼月と言います。こんななりですが、光覇明宗の僧侶です」
男は着古した背広をつまんで見せた。
――光覇明宗。
秋葉と同じ宗派。
――法力僧か。
「同じ宗門の、秋葉 流に決闘状を出されたそうで」
「そうです」
「困りましたなあ」
本当に困った顔で、蒼月は頭をかいた。
「やめませんか?」
「やめる?」
「決闘ですよ。今時、物騒じゃないですか。大体うちら仏門には不殺生戒というものがあります」
「承知の上です」
「そこをなんとか、中止にできませんか」
「できませんな」
「そうですか。まいったなあ……」
「道化芝居はやめたらどうですかな」
「はて?」
「――あんたの実力がわからないほど、ボンクラじゃあない」
ケイネスは怖い目で言った。
「ここじゃ、なんなので少し場所を変えて話しませんか?」
「――」
そして。
二人は、近くの公園に入った。
「おあつらえの場所だ」
「いやいや」
と、蒼月は手を振って、
「喧嘩はいけませんよ。腹が減るだけじゃないですか」
「そういう腹減らしのバカを、好んでする人間もいる――」
言ったと同時に、ケイネスはノーモーションで拳を打ち込んでいた。
風のように放たれたそれは、蒼月の鼻先で止まっている。
「何故だ。よけれないはずがない」
「ミスターも、あてる気はなかっただろう?」
蒼月は紳士的な物腰から、怖いものを含んだ目に変わっていた。
だが、殺気はない。
「やりにくい相手だ」
「無理にやらんでもいいだろう」
離れるケイネスに、蒼月は笑いかける。
「止めに来たのだろう?」
「そうだったんが……あんた、例え大ケガしてもやめんでしょう?」
「ああ」
「だったら、喧嘩するだけお互い損だなあ」
「ふん」
「――秋葉だが……本山に袈裟と錫杖を返しにきたよ」
蒼月は公園のブランコに腰かけ、言った。
「どういう意味かな」
「破門覚悟ということらしい。決闘状のことは、他にも知られたんだが、まあみんなやめろと言ったな。上の者は、そんなもの無視しろと説教をしたが、聞き入れなかった」
「……」
「できるなら、本人に知られる前に手紙を処分すればとも言ってたが、無駄だったろうな」
「そうだな」
「うん。あんた、無視されたら闇討ちでもなんでも仕掛けるだろう?」
「……否定はせん」
「困ったもんだ」
蒼月は軽く息を吐き、一歩さがった。
張り詰めた空気は、徐々に緩んでいく。
その時――
「!」
「……!」
両者は、同時に気づく。
近くで攻撃的な、危険な気配が増大したことに。
「……うわああああ!!」
弱弱しい子供の、悲鳴。
先に、蒼月が動いた。
「ちっ…」
舌打ちをして、ケイネスも続く。
見えてきたのは、まるで半透明の内臓が集まったような姿。
――ナックラヴィー?
ケイネスは一瞬そう考えたが、違うとすぐにわかった。
ナックラヴィーとは、スコットランド伝承の水妖の一種だ。
筋肉は欠陥がむぎ出しの姿が、それを連想させたのである。
――低級な妖魔か……。
妖魔は、子供を追って走っている。
金やるよ~~~~~~
だから喰わせろ~~~~~~~~………!
周りの空気もおかしい。
人払いの結界……ではないが、似たようなもので覆われている。
それで、魔物にも追われる子供にも気づく者がない。
蒼月が子供の前に立った。
「喝っっ!!!」
気合が
小規模な結界が張られ、妖魔を弾き飛ばす。
喰わせろおおおおおお~~~~~~~~~~~!!
妖魔が巨大な口を開き、再度迫る。
「ふんっ!!!!」
ケイネスは呼吸をすばやく繰り返した後、横から妖魔へ掌底を叩きこんだ。
ボムっ!!!
全身で高密度に練り上げられたモノが、一瞬で妖魔を微塵に変えた。
――他愛無い。
そう思う反面、
――強くなったな、私も……。
ケイネスは静かに実感していた。
自分は確かに成長したと、実感できている。
数年前、魔術礼装・
「お見事――」
蒼月は笑顔でケイネスを称賛した。
「あんたなら、自力でもどうにかなったろう」
「かもしれんが……余人に危険があったかもしれない」
「……」
ケイネスは、蒼月の後ろで震えてる子供を見た。
目が合う。
「う……ん」
途端に子供はがくりとうなだれたが、
「あ、あれ???」
驚いた顔でキョロキョロしている。
「お化けは……?」
「そんなもの、いないよ」
蒼月は肩をすくめて、子供の背中を軽く叩く。
ケイネスはため息をついた。
ごく簡単な暗示だった。
下手に記憶を消すより、悪夢と思い込ませたほうがいいと思ったのだ。
妖魔に襲われる。
凡俗――世間一般的常識からすれば、夢か妄想としか思われない経験だ。
「どっちにしろ、秋葉 流とはやらせてもらう」
「仕方ありませんな」
蒼月はそう言いながら、子供をおぶった。
「この子は警察に連れていきますよ」
「常識的判断だな」
そして。
ケイネスは無言で歩き去るのだった。
「まいったね……」
冬木から最も近い空港である。
『間桐慎二くん』
そう書いたボール紙をかかげながら、蛇崩雁夜は待っていた。
聖杯戦争の終了後。
遺産相続を含めた事後処理に追われる兄に頼まれたのだ。
「息子を迎えに行ってくれ」
他を当たれとすげなく言ったが、どうもダメらしい。
しつこく、かたくなに頼まれ続け、やむなく引き受けた仕事だが――
「あんたが、雁夜おじさん?」
自分を見上げる兄と似た美少年はませた態度で言った。
「そうだよ。シンジクン――」
雁夜は、わざと幼児に対するように、視線を同じ高さにして応えた。
「ふーん。なんか、さえないな。モブキャラって感じ」
「子供は素直が一番というやつはいるが、そういうんは真に受けないほうがいいぞ。余計なこと言って、人に嫌われるってのは結局損だからな」
と、雁夜はこまっしゃくれた子供に、肩をすくめて言った。
――確かに兄貴の子だ。しかし、ま……兄貴よりはもいい男だな。
まだ幼いながら、女受けの良さそうな甘いマスクをしている。
成長すればさぞ
車を飛ばして冬木へ戻る頃には、すっかり夜になっていた。
交通量の少ない夜の道を走っていく間――
雁夜はずっと慎二のへらず口を利く羽目になる。
実際、利発なのはすぐわかった。
要領もいいのだろう。
それだけに始末が悪い
だが、途中で……。
「――おい、慎二くん。そのよく動く口を閉じてろ。舌噛むぞ?」
言いながら、雁夜は車のスピードを上げた。
「なっ……! なんだよう……!!」
後部座席であたふたする慎二に、
「後で嫌な夢見てもいいなら、窓から外でも見るんだな」
いつの間にか――
車道を走っているのは、雁夜たちの車だけだった。
そして、車を囲むようにして並走している影。
人に似た形をした、赤黒い何か。
「……へ?」
慎二は、そのまま絶句する。
ありえない速度で追ってくる異形の者たち。
――そこそこ手の込んだ使い魔か……。何にしろ、似たようなもんだな。
兄が雁夜にしつこく頼んだのは、これが理由らしい。
臓硯が消え、自由の代わりに守る壁もなくなった間桐。
まだ遠坂の手が制しきる前に、狙った連中がいる。
そういうことらしかった。
「やれやれ……!」
雁夜は前に回った影をそのまま跳ね飛ばすと、急遽停められそうな場所へ急停車する。
そして、窓を開いて蛇のように飛び出し、車のボンネットに。
影は、人間から全身の皮膚をはぎ取り、歪めたような醜悪な姿。
雁夜はそのまま臨気を練り上げ、片手でボンネットを叩いた。
すると――
手のひらから淡く紫に光る蛇の群れが湧き出て、車を覆っていく。
「な、なにこれ、なんだよ、なんなんだよ!!」
叫んでいる慎二を無視して、雁夜は車から飛び降りた。
何かを外敵から守ることに長けた技である。
そして雁夜は、コートを脱ぎながら迫ってくる異形と対峙した――