「禅城葵のことは忘れろ。そうすればお前は強くなる」 作:らくべえ09
――やれやれ。やっと解放されたか。
雁夜はトランクスケースを車にしまい、買っておいた缶コーヒーを飲む。
アサシンから解放され、ついでに思わぬ大金を得た。
まあ、なかなかの結果であろう。
「ふう……」
雁夜は微糖の缶コーヒーを飲みほした後、
「ほいっ」
軽い口調でつぶやいて、闇夜に空き缶を放った。
バチュン。
宙で缶はねじれて潰れ、落下する。
「またお客さんか……」
少し疲れたような声で息を吐きだし、雁夜は闇から出てくる相手を見た。
美しい顔をした、18前後の若者……少年だった。
才気あふれる、同時に傲岸なものを隠そうとしない気配。
タイプは違うが、遠坂時臣とどこか似たものがあるかもしれない。
もっとも、アジア人でないことは確かな相手だったが。
「君、誰?」
「バーサーカーのマスター。そう言えばわかるか」
顔に似合った美声が、不機嫌さを隠そうともせずに言った。
「ああ」
あの黒い女騎士を操っていた魔術師らしい。
「しかし、こっちはもうマスターをやめたばかりだ。あんたもサーヴァントはいないんだろう? なら揉める理由はないんじゃあないか?」
穏やかに雁夜は述べる。
「そもそも、君のことぁ俺は知らないが……」
「お前に名乗る名はない!」
「ああ、そう……」
疲れそうな相手だな、と雁夜はうんざりする。
お話し合いをしようという雰囲気ではない。
まあ、貴族きどりの魔術師なら失敗した結果ぶちぎれて復讐を考えるのもわかりやすいが。
そして。
美少年が魔術を行使しようとするのがわかった。
年は若いが、かなりのものらしい。
――……こりゃ面倒ごとになりそうだな。
雁夜は身を低くして構えた時。
ぬう、と。
太い腕が美少年の首に巻き付いた。
「!?」
大柄で黒装束の男が、背後から美少年を締め上げている。
――なんだぁ!?
「ちょ、ま……!? 俺は……」
美少年が何か言いかける前に、
ビキリ。
嫌な音がして、美少年の首が折れ曲がった。
即死であろう。
「……礼を言うべきかな?」
「無用だ――」
構えたままの雁夜に、大男はにこりともせずに返す。
「蛇崩雁夜だな」
「そういうおたくは?」
「遠坂門下。言峰綺礼」
死体となった美少年を放り出し、大男は名乗った。
「立ち合いが望みだ――」
――こりゃあ。
少年とは、比較にならぬ経験と危険性を匂わせる男だった。
黒衣の下に鋼のような肉体が見て取れる。
「あんた、神父さんかい」
「……」
「あかんやん」
なんとなく、修行していた場所の方言が出る。
「神に仕える人が、【立ち合い】なんて物騒なこと言ったら。神様も悲しむで?」
「気にするな。私も気にしない。今はな」
綺礼は圧力をかけながら近づいてくる。
対峙する者二人を、姿を隠してみているも者があった。
ランサー。
「これからの仕合には、結果がどうなろうと手出し無用。忠義をつくしたいなら、何もするな」
マスターである綺礼はそう厳命していた。
ランサー……真名をディルムッド・オディナという。
「聖杯を望まず、ただ忠義を尽くしたいというのか」
彼を召喚したマスター・言峰綺礼はそう言った。
「ならば今回の聖杯戦争、一切の武勲も名誉も捨てろ。ただ我が命に従い敵を討て」
マスターである綺礼は、アーチャーのマスターである遠坂時臣と子弟の関係。
師の願いのため、お前の命を使い潰す。
自らも望みはないというマスターはそう宣言した。
名誉も誇りも捨て、ただ忠実なる駒となれ。
英霊の座までいった騎士には過酷であり、侮辱とも言えた。
だが。
――それも良い。
生前の不忠、不名誉を思えば最初からそのように望まれるのなら、是非もなかった。
ただ敵と戦い、情報を引き出し、可能ならば討つ。
その過程で敗れたとしても、それはそれで良し。
はなから覚悟が決まれば、苦ではない。
そして。
男二人の空気が沸騰し、歪み始めていた。
「俺はもう降りたんだがねえ。ほら、令呪もサーヴァントもないんだぜ?」
「関係ないな」
雁夜に対し、綺礼はゆっくり距離を詰める。
「あの少年にしろ、お前にしろ。新たなサーヴァントを手に入れる危険性が残る」
「なるほど……」
「まして。お前は間桐関係者。厄介な協力者になりかねん」
「そうだな」
「能書きはこのへんにしよう」
綺礼の顔が、変わった。
いや表面上はまったく動いていないが――
内部から漏れる何かが、明らかに違う。
「いずれにしろ、この時刻にこんな場所で、武術家――勝負しかあるまい」
「そうらしいや」
雁夜もまた雰囲気を変えていく。
へらへらとした凡人の顔から、危険な猛毒蛇のそれに。
ぐにゃり。
空気がさらに歪んだ。
「しっ!」
「かっ!」
雁夜と綺礼。両者の足技がぶつかり合った。
瞬間、雁夜は弾き飛ばされるように後退した。
――へっ。力じゃやっぱ押されるな……。
一方で綺礼も動かない。
蹴りあった足が、衣服がはじけ皮が破れていた。
相当の激痛のはずだが、異形の聖職者はまるで動じていない。
――まるで鞭。
柔軟性に特化したような雁夜の蹴りは、打撃ではなく鞭打ちそのものだった。
修業時代、自らを戒めるため自身に行った鞭打ちの罰。
それをはるかに上回る罰ではなく、殺傷を目的とする技。
――面白い。
実に面白いと綺礼は思った。
両者はさらに打ち、蹴り、飛ぶ。
肉を叩き、裂く嫌な音が闇に響いていく。
――……面白い? 面白いだと?
五体に刻まれた技を、本能のままに振るいながら、綺礼は困惑していた。
自分は師である時臣のために、敵を排除している。
それだけのはずだ。
なのに、この打ち合いで、暴力の交換で。
――
代行者として活動していた時にも、こんなものはなかったはずだ。
暴力を振るうごとに、相手の攻撃で痛みを感じるたびに。
ぞくぞくと。
震えるような歓喜が満ちてくれる。
肉体は猛スピードで疲弊し、疲労の上に疲労が鉛のように重くなっていく。
だが、止まらない。
――もっとだ。もっと打ってこい。そして打たせろ!!
獣のような肉欲。
情報としてか知らないが、それに似ているのかもしれない。
そんなことを微かに思う。
「笑ってんのかよ」
蛇の構えを崩さず、雁夜が言った。
すでに、綺礼が与えたダメージが全身に見て取れる。
――なに?
思わず、綺礼は自分の口にてをやりそうになった。
「どうやら、そうらしい」
自覚しながら、さらに綺礼は笑った。
「変態」
「そうかもしれん」
特に否定する気も起らなかった。
――なんてバケモンだよ。
雁夜は内心で苦笑したくなっていた。
恐ろしいほどのタフネス。
以前にある因縁からプロレスラーとやった時を思い出す。
どれほど痛めつけても、何度も起き上がっていた。
凄まじい腕力。耐久力。
あの時は、師である保憲以来の恐怖を感じたものだ。
この男――言峰綺礼はそれ以上かもしれない。
「じゃあっ!!!」
綺礼の胸板に拳打をまともにぶちこんだ。
まるで、肉の岩。
素人な胸骨が粉砕しているであろう威力なのだが、綺礼がびくりともしない。
――こりゃ、死ぬかもな。
勝つことも、逃げることも難しいかもしれない。
――まあ、仕方ないかそれも。
死ぬのは、しょうがない。
もうすでにまともな生き方などしていないのだから。
だが、負けるのは嫌だった。
この強敵以上の強敵に、どうすれば勝てるか。
一気に攻められる技。
そんなものは――
――ある。
確かに、あった。
だが、それは師から禁じ手として言われている。
――獣人邪身変。
獣を摸するのではなく、自らを獣となす技。
西欧には人狼。アジアには人虎。
世界中にある獣人の伝承。
それの再来である狂った技。
一度完全に使えば、人に戻ることかわなぬという。
過去に。
その技を使って身を滅ぼした者も多い。
師からそう聞いていた。
そしてもう一つ。
今雁夜に扱える技の中で、もっとも殺傷に特化した技。
いや使えるということと、ものにしているとはイコールではない。
――しかし……選択の余地は、ない。
それもまた危険を伴う技だが、
――このままじゃ、ごり押しされるな。
体格差と、そして才能。
その違いは嫌でも理解させられてくる。
「ふんっ!!」
押し負けた雁夜に、綺礼の拳が迫った。
拳を、手のひらで受け止める雁夜。
その時、綺礼が動かずに、動いた。
――寸勁!!
衝撃が走り、雁夜は吹き飛ばされ転がっていった。
――ははは。骨が完全にやられたな……。
ダメージを自覚しながら、雁夜を仰向けに倒れた。
夜空が、妙にきれいだと思った。
一方で。
打ち勝った綺礼は、自分の拳を見つめている。
拳に痣のような青紫のものが広がり、感覚がおかしくなっている。
次第に、拳が、腕が死んでいくのがわかった。
――これは……!?
「毒手」
仰向けのまま、雁夜は綺礼の疑問に応える。
毒手。
中国拳法に伝わる、特殊な修練によって自らの手を毒の塊とする技。
――しかし?
そんなものは、さっきまで感じ取れなかった。
毒手などを持っていたなら、すぐに気づけたはずだ。
「うちの流派は、他の毒手とはちょっと違ってね」
雁夜が転がったまま。
綺礼は動かない。
「即席の毒だが、けっこう効くだろう?」
「……」
雁夜は力なく笑う。
余裕はない。まだ立つことさえできなかった。
車の運転も危ないだろう。
「で。まだやるかい?」
これ以上続けば、負けるだろう。
そう感じながら、雁夜は言った。
「いや……」
綺礼は首を振って、ふらふらと後ずさる。
「なかなかの座興だった――」
いきなり、上から声がした。
ふわり。
両者の間に、黄金の男が降り立つ。
「アーチャー……」
綺礼がつぶやく。
「毒蛇と破綻者の死合。少しは楽しめたぞ。誉めてやろう」
「……お前を楽しませるためにやったのではない」
「かまわぬ。我は楽しんだ。それが全てだ」
「……」
雁夜は、この突然の乱入者にどう対処していいかわからない。
今の状態では、できることはごくわずかだが。
「でだ……。楽しませた貴様らに褒美をやろう」
いきなり、黄金の渦から取り出された二つの小瓶。
アーチャーはそれを一つずつ、雁夜と綺礼に振るった。
何か液体が飛んで、二人の顔面を濡らす。
――うおっ!?
途端に、雁夜は全身に針で刺されるような痛みを覚えた。
しかしそれも一瞬。
直後には、受けたダメージが嘘のように消えている。
綺礼もまた。
毒の受けた拳を開いたり、閉じたりしながら姿勢を正していた。
どうも、毒が消えているらしい。
「ええと、ありがとうございます……? そう言うべきなんですかね?」
「くくく。感謝の念を示すとは殊勝だな。毒蛇よ」
――俺、一応まだ人間なんだけどねえ……。
「一応、礼は言っておこう。アーチャーよ、感謝する……」
綺礼もまた小さく頭を下げた。
そして。
不意に、別の方向に視線を落とした。
さっき、綺礼が絞殺した魔術師の少年が転がっている。
この死体も、早急に始末せねばならなかった。
いや、魔術師としては絶好の標本であろう。
あるいは魔道の素材か。
「最後までよくわからん奴だったな……」
綺礼は、自分が殺した少年に対してつぶやく。
「わからぬか。まあそうであろうなあ」
アーチャーは薄く笑い、空を見上げる。
「見物しているのか、上位者どもめ」
「……何を言ってる?」
いつの間にか横に立ったランサーに支えられ、綺礼は不審げな顔となる。
「なぁに。こいつを弄んだどこぞの悪趣味な連中よ」
「…まさか、神だというのか」
「違うなあ。崇め奉るものでもなければ、恐れ敬うべきものどもでもない。ただ、下位の者を見物し、時に弄ぶ愚昧どもよ。全知でも全能でもないわ」
「ならば悪魔か」
「それも違うのだが……まあ、お前にはそういうほうがわかりやすいか」
「わからん」
「理解する必要もない。上位者を見物するさらにその上、さらに上。さらに上。あるいは我らの下位、さらに下、さらに下。やれやれ、どこまでいくのか――」
――哲学の話か???
雁夜には理解不能な会話だった。
と、アーチャーは雁夜を見る。
「あるいは、お前の合わせ鏡だったのかもなあ。己の視野のみにとらわれ、勝手に暴走し、自滅する。ま、それまで恵まれた人生だったのなら、つり合いがとれておるのかもな」
「……???」
「***・***………」
困惑する雁夜。誰かの名前をつぶやく綺礼。
「――アメリカの魔術会で天才児と知られた若者だ。才能においてはロード・エルメロイも凌駕すると噂されていた。急遽、今回の聖杯戦争に加わったはずだが……」
綺礼にすれば、いずれにしろ敵対する存在ではあった。
だから。
「だから、殺したか綺礼?」
心を読むようにアーチャーは笑う。
「どういう意味だ」
「なに、お前はせっかくの獲物を横取りされたくはなかった。なので殺したのだ。始末するならこの蛇と戦わせ、漁夫の利を狙ったほうが筋が通っている」
「……それは、そうかもしれぬ」
「ほう、認めるか」
「私は……まともではないらしいのでな」
「認めたか。それもまた良し。せいぜいあがくがいい、破綻者よ」
笑い声を残し、アーチャーは消えた。
「――蛇崩雁夜。いずれまた会おう」
ランサーと共に、綺礼も背を向ける。
「……二度と会いたくねえよ」
雁夜は地面に倒れたまま、息を吐く。
不思議な気分だった。
幼い少年時代にもなかった、高揚感。
ようやく息を整えた後、雁夜は車に戻りエンジンをかけた。
ともかく、今は宿に帰って眠りたい。
翌朝――
いきなりかかってきた電話に、雁夜は夢すら見ない眠りからたたき起こされた。
「……ジジィが、臓硯が死んだ」
兄からの、いきなりの連絡。
「今日は4月1日じゃねーぞ?」
思わず、雁夜はそう怒鳴り返したが。
この報せは、虚言ではなかった。
厳然たる事実だと、雁夜はすぐに知ることとなる。
ある場所。
ある時刻。
イタイイタイタイ。
クルシイ、イヤダ、イヤダ。
アアアアアアア……。
「やはりこんな結果になってしまった……」
「……我々は、永遠にこの声を聴き続けなければいけないんですか?」
「彼が再び生まれ変わるまでね。でも、それもいつのことか……」
「……」
「彼には気の毒な事をしてしまった。やはり前世の記憶なんてものは……ないほうが良い」
「でも、彼が望んだことではないですか?」
「そうかもしれない…。しかしなまじ記憶だの知識があったばかりに、ひどい結果になってしまった。そんなものがなければ、いや我々が余計なことをしなければ良かったのだ」
「……」
「うまくいくケースも何百とあるが、その陰には悲惨な結末が数えきれないほどにある。これもその一つだった」
「じゃあ、この事業は中止ですか」
「そうだ――罪なことだ」
「他ではこういう事業は盛んなようですが…。ええと、そうなんとかグラン……」
「デザイアグランプリか? ああ、他はどうか知らないが、ここでは中止だ」
「――――」
「結局我々はどんな悲劇であっても喜劇でもあっても、見ていることだけが許されるのかもしれない」
「こんなことになった報いは、あるんでしょうか?」
「あるかもしれない。ちょうど人間が弄んでつくったものに牙をむかれるように……――」