八咫ノ忘レ戌 作:いーるるーい
「ヤッチン、牙」
少年が呟くと共に、目の前空間凡そ数十メートルが見えない顎によって喰い千切られる。
何が起きているのか理解できるのは、少年だけだ。
年の頃は、五歳か六歳か。幼い身空そのものであるものの、彼は一人でこの場に現れた。
場所は、山村。人里離れた閉鎖的な場所であると同時に、因習が未だに残る時代に取り残された村でもあった。
「ひ、ひぃ……!」
「ば、化物じゃ!化物が子供の皮を被って現れおった!」
「ろ、牢に入れろ!あの忌み子と同じじゃ!」
唾を飛ばして、或いは恐怖に錯乱しながら村人たちは口々にそんな事を宣う。
だが、最初の一人は進み出る事は無い。
何が起きているのか理解できないが、しかしその根本的原因は少年にあると理解しているから。口々に喧しかろうとも率先して動こうとするほど彼らに勇気は無かった。
一方で、少年はというと頭を掻いてから周りを見渡した。
とある理由から一年ほど前から日本全国津々浦々の旅に出ていた彼にとって、周りの視線などなれたもの。
歩き出せば、自然とその方向の人垣が割れた。向かうのは、一軒の家。
引き戸を蹴破って中へと乗り込めばまた周りが騒がしくなるが、少年にとってそんな物は蚊の羽搏きの方が耳障りになる程度の事でしかない。
土足で踏み入り、途中で電話の子機を手に取って奥へ奥へ。
そして、
「やあ、こんにちは」
部屋の奥にあった座敷牢に閉じ込められた二人の幼女を見つける。
幼女、といって少年とそう歳は変わらないだろう。ただ、その頬には殴られたような痕があり、その目に宿った怯えが今までどんな目に遭わされてきたのかよく分かるというもの。
少年の小さな両手が動いた。押すボタンは、1、1、0。
「…………もしもし警察ですか?虐待されてる子が居るの」
運命が、今変わる。
*
夏油傑は疲れ切っていた。
現実と理想のギャップ。己の術式の味の悪さ。親友が一人だけ先に進み続けているという事実。
様々な要因が折り重なり、しかしそれら全てを投げ出せるだけの踏ん切りも付かない。
今回の任務は、山奥の村で呪霊討伐。何の事は無い、いつも通りの任務でしかない。
その筈だった。
「……え?」
山道を歩いてきた夏油が目にしたのは、紅いパトランプ。それから、喚きながらパトカーに押し込められていく何人もの村人たち。
規制線も張られており、見張りをする警官は何処か怒りを滲ませているように見えた。
その内一人に、夏油は近付く。
「あの、すみません」
「何だい」
「この村で、何かあったんでしょうか?」
「何だい君。観光でも来たのか?何も無いところだよ、ここ」
そう言って、警官は一つ息を吐き出す。
「ここだけの話、村ぐるみで子供を虐待していた様なんだよ、ここ」
「そ、れは……」
「酷い話もあったもんだ。まだ四歳とか五歳とかそれ位の女の子を座敷牢に閉じ込めていただけじゃなく、暴力まで振るってたんだからさ」
「……どうして、発覚したんです?」
「通報があったのさ。たまたまこの村に来ていた子が通報してくれたんだ」
口の軽い警官の言葉を受けて、夏油は思考する。
そんな事があり得るのか。考え、しかし疲れた頭では答えは出ない。
ふと視界の端に小さな影が三つ過る。
目で追えば、そこに居たのは三人の小さな子供たち。
一人は、ベージュの髪色の少女。もう一人はその少女と瓜二つの黒髪の少女。
そして、もう一人。
「ッ……」
すさまじいまでの呪力量に夏油は目を剥いた。
年の頃は少女たちと同じころだろうか。あどけなく、しかしどこか大人びた雰囲気のある茶髪の少年だ。
Tシャツに短パンと残暑の九月らしい格好。パッと見ではどこにでもいる子供にしか見えない。
だが、遠目だが今この瞬間――――
つッと流れた冷や汗。
その汗を見咎めたのは警官だった。
「倒れそうな顔色だな。少し待ってな、何か冷たい物を持って来よう」
「ッ、いえ、私は……」
「遠慮するなって」
お喋りだけでなく、お節介でもあるらしい。離れていく警官を見送って、大人しく夏油は日陰中へと入り込む。
色々と混乱している。だが、少なくともこの村に討伐予定であった呪霊は見受けられない。
代わりに居たのは、呪慮感じ取れる程度には有した子供たち。となれば、
『――――夏油か』
「すみません、夜蛾先生。少し、報告を上げておきたい事が出来たので」
『どうした』
「私の任務で、山村に来てるんですが呪霊が居ないんです。代わりに、呪霊を討伐したであろう子供が三人見つかりました」
『……成程。だが、勧誘は本人とその肉親の説得が必須だ。攫うような真似は――――』
「…………村ぐるみで、虐待を受けていても?」
『なに?』
「そっちから情報を回して保護できるようにしてもらえますか?」
『ハァ……いや、分かった。少し待て、こちらからかけ直す』
「お願いします」
通話が途切れた携帯電話をポケットへとねじ込み、夏油は一つ息を吐く。
もう、どうしていいのか分からない。胸の内に溜まった淀みは、最早どうしようもないほどに歪み切っているのだから。
*
少女たちにとって、少年は救いの神だった。
「ちょっとずつ食べな」
久方ぶりの食事をのどに詰まらせそうな勢いで食べようとする二人を制しつつ、ジュースを与えてくる少年。
甘酸っぱいリンゴジュースは、もうそれだけで涙が出そうなほどに美味しかった。
「オレは
「……美々子」
「……菜々子」
「美々子と菜々子ね。はいこれ、食べな?」
警察から渡された柔らかなパンを手渡しながら、丈瑠は微笑んだ。
直接助けられたから、そして年が近いからか双子の警戒心は彼には向けられていない。それどころか、彼が少しでもその場を離れようとするとすべて放り出して縋りついてくるほど。
丈瑠としては、少し困ってしまう。
そもそも彼が彼方此方旅をしているのは、自分が得意な能力に生まれた時から目覚めていたから。
彼にしか見えず、聞こえず、触れない“犬”が居たのだ。
だが、人は自分とは違う存在をそう簡単には受け入れられない。それも、何もいない空間に話しかけて、剰え空気を撫でる様な動きを見せれば猶の事。
兄が居た丈瑠だが、自分がおかしい事、そしてそんな自分を家族が持て余している事に気が付いた。
だから、逃げ出した。ここに居てもどちらも幸せになれない、と。
幸いだったのが、丈瑠の精神が早熟すぎるほどに早熟だったこと。そして自分の絶対的な味方が居るという一つの安心感。
だからこそ、このままこの場に居続ける事は宜しくないというのが正直な所。出来れば、サラリと去ってしまいたいのだが、
(…………流石に、見捨てるのもなぁ)
泣きそうな女の子を捨て置けるほど、丈瑠は鬼畜ではない。いや、自分の幼さを利用してチンピラなどから金を巻き上げたりする外道ではあれども、そのターゲットもちゃんと選んでいる。
それからもう一つ気になるのが、
(あの前髪の人は、なんだ?)
警察が来た後にやって来た若い男性。
細い切れ長の目が少々人相を悪くしているせいでどこか胡散臭い印象を覚える顔立ち。
しかし、丈瑠が注目したのは人相ではなく、その身に宿った力の方。
“犬”が僅かに警戒を滲ませるような相手だったのだ。であるのなら、自身も警戒するに越した事はない。
先の事を考えていれば、一人の女性警官が近づいてきた。大柄な男性が近づくよりも良いだろう、という配慮だ。それでも、双子は慌てて丈瑠の後ろに隠れてしまったが。
「大丈夫?お話を、聞かせてもらえると嬉しいんだけど」
「あの人たちはどうなるんですか?」
「逮捕……悪い人たちが行く所に行くの。もう、二人を傷つけたりしないようにね」
「そっか」
「それでね。これからは、皆のお話なの」
「皆?………オレも?」
「ええ。だって君、迷子でしょ?」
女性警官の言葉に、参った、と丈瑠は内心で眉を顰める。
この警官が善人である事は分かった。今この瞬間も子供である自分達を心配している事も分かった。
だが、小さな親切大きなお世話、ではないが今この瞬間には必要のない世話である事は確か。
しかし、乗り切るには子供の舌と現状では難がある。
そして、救いの神は第三者。
「少し宜しいでしょうか」
現れたのは黒いスーツの一団。
事態は転がり落ちていく。