犯罪と探偵の町にただの経理が紛れ込んだようです   作:平野析南

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人間には原点がある。

それは生誕の瞬間かもしれず、夢の自覚かもしれず、恋慕の沈没かもしれず、怨恨の始点かもしれない。

原点──現在の析南と、その人に連なる歴史そのものの出発点と定義される出来事は、一体何だったのだろうか。


#2 平野析南の原点

 殺人犯春辺雄三が目暮警部・高木刑事にパトカーに乗せられるのを見届けたのち、私は今、蘭さんたちと別れの言葉を交わし、宿を立ち去るところだ。

 思わず安堵のため息が出る。待ち望んでいたはずの休日のうち2日は、死神の如き一行が引き連れてやってきた殺人事件とともに砕け散った。羽を伸ばすはずが、余計にため息と隈が増えてしまいそうだ。

「やっぱり、この状況は──この世界はどうにかしなければいけない」

 

 

 現代のある時点から、私や彼らの住む町米花町を中心として日本、果てには世界全体での犯罪率が大幅に上昇している。そして、そのことに気づいているのは私の知る限りで私だけだ。否、正確には、米花町が犯罪率の高い町であるというデータは一般人も特別な手続きを踏む必要もなく見ることができるし、町民はそのことを実体験として知っているという人間も少なくない。だが、それを説得力のある"情報"として……すなわち噂ではなく統計的事実として提示することは、米花町史以来一度も試みられていないらしい。

 私も、「ある一件」があってから、あいまいにその現実を認識するようになっただけだった。まるで夢の中で決定的な予知を見ているような、そしてそれを決して覚えていられないような、そんな「日常の違和感」がそこにあった。

「最近はやたら爆発事故が多いなあ」

「この探偵、事件にかかわりすぎじゃないか」

 陰謀論にしても薄っぺらい、まったくばかげたこと。しかし、私はどうしても、自分で抱いた疑問に反論できなかったのだ。

 

 

 バス停についたとき、ちょうど最寄りの駅へ向かうバスが停車するところだった。私は小走りになり、同時に胸元を探って財布を取り出し、定期券を手にした。

「あっ、と」

 焦りからか、手帳が一緒に零れ落ちてしまった。金色の線で朝顔の絵が添えられた、ブラウンの装丁の手帳。私はほかの乗客にもたついてしまったことを謝罪し、一番後ろの座席に座った。

 身を落ち着けて、手元の手帳をしまおうと考えたところで、ふと、疑問に思った。

 ──私が最後にこれを開いたのはいつだっけ。

 私はこれを、日記みたいな使い方をしていたと思う。と言っても、仕事以外では──特に自分の身の回りに関することでは適当になりがちな私だから、ほんの数ページ、それも数日おきに思い立ったら書く……そんなことになっているだろう。

 最近の私は不幸なことに巻き込まれすぎる。その愚痴をここに書き連ねるのもいいだろう。そう思って、私は手帳の1ページ目を開いた

 

 

 

 

 

 

 私は、今自分が手にしている会社の資料の日付を目にして、これが夢だと気づいた。私にとって転機となった事務作業の日。それは決して好ましいものではなく、今すぐ忘れ去ってしまいたいほどだ。

 だが、私は自分に対してそれを許すことはできない。こうして夢に見ているのも、私の中の理性的な部分が、これを知っていなければならない、知り続けていなければならないと言っている証拠だろう。

 ならばよい。こんな悪夢にも少しだけ付き合ってやろう。どうせ忘れることなどできないのだから──

 

 

 

 

 

 私、平野析南がこの世界の異常性に気づいたのは半年前だ。

 ある大手自動車メーカーで経理を務めている私は、その冬、決算書とにらめっこをし、金の出入りに目を光らせていた。しかし、私は別に仕事熱心なわけではなかった。ただ人より統計に長け、グラフと数値が示す"真実の世界"を眺めるのを生きがいとする一女職員に過ぎなかった。

 私はその日、決算書の不一致に気づいてしまった。製造機械の点検・修理費、新車の研究開発費、広告費や人件費、事故車の取り扱い、その他さまざまな部署・目的での予算の割り振りが克明に記されていた。点検・修理費はその耐用年数に見合っていたし、研究開発費は不足も超過もなく、広告費・人件費は過去10年分の相関図によって的確に策定された計画表をもとに取り決められていたし、事故車は販売会社と丁寧な協力関係の下修理の後再販売されるか、廃車となった。普通なら、そこに何の矛盾も感じなければ偽証もないように思えた。

 しかし、一点。ある一点が私に些細な不和を覚えさせた。気のせいだと思いつつ、私は【研究開発費】の項目の一つ、【空間センサと自動ブレーキ機能】に再度目をやった。

 

「やっぱり、他機能に比べて増額度合が半端ではない……」

 パラパラと資料を捲ると、はらりと1枚の資料が零れ落ちた。私はそれを拾い上げ、内容を読み込む

 

 

【交通事故発生件数】

 

 決算書に付属して、どのようにその割り振りに至ったかを説明するために必要な予備的資料。それを見ると……。

「別段変わったことはない……。やっぱり私の気のし過ぎね」

 年々増大する交通事故の発生件数。過去10年分のデータが棒グラフとなり示されていた。小学生でもそのグラフの意味するところは理解できる。【空間センサと自動ブレーキ機能】の項目と照らし合わせても、「交通事故が増えているから、安全機能を充実させて他社に対する優位性を勝ち取ろう」という至極真っ当な策略を覗くことができただけだった。一切の瑕疵もない。

 ──否、違う。

 私の一部が叫んだ。私の脳の裏側で、私の理性的な部分が「それを逃すな」と告げていた。

 ──何かが違う。注目するべきところはそこではない。

 生まれて初めての感覚だった。生のデータが眼前にそろえられていて、長年の経験から来る計算、及び直感が、「このデータは何かおかしい」と叫んでいる。しかし、どうしてもそれが何か捉えることができない。まるで、知られてはいけない「秘密」が頭の中から必死に逃げ出そうとしているような感じだった。「数字は真実を語る」を信念としている私にとって、その感覚は侮辱とも思えた。

 少しでも思考を止めてしまったら、きっと二度とそれを捉えることはできない。そんな気がして、私は必至でデータを睨みつけた。

 

 ──見つけた。

 

 それは、3つの資料の掛け算によってのみ捉えることができた。【空間センサと自動ブレーキ機能】・【交通事故発生件数】……そして、【事故車の取り扱い】

 前2つのデータは言わずもがな、前述の通りの事実を示すのみだった。だが、【事故車の取り扱い】の資料は、私に異なった視点を与えた。

「15年以上前の事故車は、損傷の程度が小さければ修理され、再販売されていた。しかし……」

 思考のために閉ざしていた口を開き、私はアウトプットを開始する。

「近年では大半の事故車が再販売を迎えずに廃車となっている……。事故時の車体の損傷度合が年々酷くなっているの……? そうなる理由は何? そこに理屈がある?」

 私は続ける。

「いや、会社の修繕技術は年々進歩しているし、車の耐久性能も上がっている。そんなことは考えられない。──待って。そもそもこの"事故"とは何? 自動車同士の? それとも、自動車が歩行者を──」

 

 

 そのとき、私の頭の中でいくつかのバラバラな思考に橋がかけられた感覚があった。それと同時に、頭の中にある"違和感"を確実に捕らえんとする包囲網を完成させていた。

「心理的瑕疵」

 おそらくこれが答えね。私の声が一人きりの事務室に響いた。いつの間にか、同僚はみな帰宅する時刻になっていたらしい。

 車の損傷が大きすぎて修理できず、仕方なく廃車になるというのは、技術発展の側面から見て考えられない。となると、そこには別の理由がある。

 それは"交通事故"について細かく分類することで自然とたどり着くことができた。つまり、"車と車の事故"であるか、"車と歩行者の事故"であるかということだ。様々な安全装置がついている車内よりも、車に衝突される歩行者のほうが死亡率が高い。そういった一方的に命を害した記録のある車は、一般に「事故物件車」と呼ばれる。不動産における事故物件──厳密には「心理的瑕疵物件」とは違い、購入者への告知義務はない。だが、そのような車を再販売するということは、いずれそれがバレた時、会社へのイメージダウンとなる可能性がある。私が勤めるこの会社は所謂大手で、車を再販売することによる利益よりも、イメージダウンを避ける方を選んだのは頷けることだ。

 

 

 

 私の疑問は、そののちの調査をもって9割が氷解した。あとで調べると、「自動車が歩行者を轢いた事故」とされていたもののうち、何割かは「事故を装った殺人事件」であったことがのちに"名探偵"ともてはやされる数名の探偵により明らかになったらしい。あの資料は、そのような探偵がかかわっていない部分──すなわち「完全犯罪」となってしまったものも含めて「事故件数」として示していたのだろう。

 事故物件車の多くを廃車処分としていたのにも真に納得がいった。「殺意をもって人を轢いた」事例がいくつも公になっているのなら、会社としてもおいそれと「疑わしい車両」を販売するわけにはいかなかったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 だが、それだけが真実ではない。

 私の疑問の残り1割は、依然として重く私の脳内に鎮座していた。

「どうして、こんなにも犯罪が増えているの?」

 

 

 

 暗くなった事務室には、その声にこたえる者は居なかった。

 

 

 

 

 

 

 窓からさす太陽光が瞼の裏を赤く染め、私の意識は覚醒した。

「そうだ、夢を見ていたんだった」

 いつの間に寝てしまったのか、せっかくの温泉旅行帰りにこんなに疲れているなんて最悪だ。そう心の中で愚痴をこぼしながら、私は起き上がろうと努力する。

 ──しかし。

「あれ」

 私はいつも寝ているベッドではなく、仕事机に向かっていることに気づいた。まさかこんなところで寝てしまったのか、と自問自答するも、どうにもその前のことが思い出せない。

「蘭さんたちと別れて、バスに乗って、そのあとは──」

 のどが詰まる。記憶にもやがかかっている。まだ寝ぼけているらしい。

 ふと、視界に手帳が目に入った。金色の線で朝顔の絵が添えられた、ブラウンの装丁の手帳。目の裏がちくりと痛んだが、頭を振れば何事もなかったかのように消え去った。

「結局、昨日は()()()()()()()()()なあ」

 

 まずは気分をリフレッシュさせよう。シャワーでも浴びて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Was vernünftig ist, das ist wirklich; und was wirklich ist, das ist vernünftig.

 

理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である。

 

ヘーゲルが『法哲学原理』において語った結論である。世界のあらゆる現象の集合は、必ずしも現実とは一致せず、真に理解されるべきはそれを理性的に記述する形而上学的記述であり、それを捉えた時こそ真に現実を捉えたといえる。

 たとえ、現実がのらりくらりと認知を避ける不可知の怪物だったとしても、忘れるなかれ、「数字はすべてを語る」のだ。




長らく期間が空きましたが、ようやく更新です。
今回の話は読者様の解釈によって賛否両論が出るかもしれませんが、どうか私なりの解釈として受け入れてくださいませ。

作者によるコナン世界の解釈

・犯罪はコナンの生活圏を中心に起こっている
・コナンや他の探偵が解決するような、難解なトリック等を用いた犯罪は、彼ら探偵がいない場所でも起こっている
・探偵によって解決されていない事件は相当数あり、完全犯罪も多くある


重要なのは後ろ2つの部分です。こうしないと、コナン一行と接触する前の析南が「世界全体の犯罪率の高さ」に気づけなくなってしまうので……。私の頭がもっと良ければ、析南をさらに有能キャラとしてかけるのですが……。

あと、感想は読ませていただいています。とても励みになっておりますが、あまり返せないかもしれません。

こんな作者ですが、本作をどうぞよろしくお願いします。
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