プルスウルトラ。
今日の出久は昨日の出久を凌駕していなくてはならない。雄英高校ヒーロー科に入学したというのはつまり、そういうことなのだ。
初めての個性を使った対人戦、戦闘訓練はその成果を示すのに十分すぎる機会だった。
「Aコンビ、麗日少女と緑谷少年がヒーロー役! そしてDコンビ、爆豪少年と飯田少年がヴィラン役だ! ヴィランチームは先に入ってセッティングを!」
奇しくも対戦カードは爆豪との対面になった。
出久は震えていた。不安もある。緊張もある。しかしそれ以上に、武者震いが止まらない。
「爆豪くん……バカにしてくる人なんだっけ」
麗日の言葉に肯定も否定も返さず、出久は母お手製のオールマイトを意識したマスクを調整して大きく息を吸い込んだ。
爆豪は頭がいい。運動ができる。何をやらせても飲み込みが早く、失敗というものを知らない。それゆえにいつも自信に満ちていて、その自信と釣り合うだけの目標を目指し続けられる強さも持っている。
何度も憧れた。何度も立ち向かった。そして、何度も負けた。
「凄いんだよ。嫌なやつだけど……でも、だから
吐いた息に冷気が混じる。
内に宿した蓮華がいて、受け継いだワン・フォー・オールがある。単純な条件で言えば互角、いや、一人分のズルをしているとすら言えるだろう。
それでも、今日は勝つと決めた。
「男のインネンってヤツだね……!」
「あ、いや、ごめん。麗日さんには関係ないのに、その……!」
「あるよ、ある! コンビじゃん、頑張ろ!」
麗日の朗らかな笑みに不安感が抜けていく。
ほどよい緊張だけを残して、出久の拳がぐっと握られた。覚悟を示すように。
この屋内対人戦闘訓練は、ヴィランが核爆弾を手にして立てこもっているという想定で行われる。出久たちヒーロー役は先行して待ち構えているヴィラン役を制限時間の15分以内に捕縛するか、核爆弾を確保しなくてはならない。
屋内という限定されたロケーションに加えて、ヴィラン側には核というカードがある。実際の現場では、ヒーローは市民を守るため、ヴィランの自爆をも阻止しなくてはならないだろう。
条件設定は幾分ヴィラン役が有利だ。だからこそ、この苦難には乗り越える価値がある。
「潜入成功!」
「通路が入り組んでる……死角が多いから気をつけて進もう」
ビルの中は無数の壁でさながら迷路のようになっていた。
まず必要なのは情報。ヴィラン役の二人がどこにいて、核爆弾はどこに設置されているのかを把握することから始める必要がある。
出久は心の中で蓮華に合図をし、索敵を頼もうとした。幽霊である彼女は壁をすり抜けることができる上、攻撃を受けても負傷せず出久の元へ情報を持ち帰ることができるからだ。
しかし、出久の研ぎ澄まされた聴覚はそれよりも先に麗日を押し倒すことを選んだ。
「うわ!」
尻餅をついた麗日を庇える姿勢で立ち上がる。
咄嗟に反応したにも関わらず、ヴィラン役――爆豪の放った叩きつけるような爆発の余波は出久のマスクを半分以上消し飛ばしていた。
「デクこら、避けてんじゃねえよ……」
「かっちゃんが敵なら、まず僕を殴りに来ると思った!」
パラパラと砕けたコンクリートが雨となって降り注ぐ中、煙に巻かれてゆらりと爆豪が身を起こす。まるでファンタジー映画の悪魔のように。
耳慣れた着火音を聞き取った瞬間、出久は麗日を庇いながら倒れることを選択した。初手に来る大振りな攻撃の機動から回避するには、伏せるのが一番安全だと判断したからだ。
出久は信じていた。爆豪との凝り固まった確執を。彼が必ず、自分を狙うことを。
「テメエには聞かなきゃなんねえことが山ほどある……だがまあ、その前に処刑だ……中断されねえ程度にブッ飛ばしたらぁ!」
躊躇なく振り抜かれた右の拳。
出久はその重い拳を掴み取り、そのまま盛大に爆豪の身体を地面へと投げた。
体躯に恵まれなかった出久が執念で磨き上げた技のひとつ。爆豪の拳がどこまでも剛なら、出久はそれを柔で
「かっちゃんは、大抵最初に右の大振りなんだ。どれだけ見てきたと思ってる……!」
冷気に満たされた出久の肺が、覚悟を伴って言葉を吐く。
爆豪は強い。それはそうだ。しかし、その右は
「凄いと思ったヒーローの分析は全部ノートにまとめてる。君が爆破して、捨てたノートに……!」
「ッ……!」
「いつまでも ”雑魚で出来損ないのデク” じゃないぞ、かっちゃん……僕は――」
これは宣戦布告だ。
対等な、ヒーローを目指す者としての。
「 ”『頑張れ!』って感じのデク” だ!」
身体は震える。強者に平然と立ち向かえるだけの強心臓を出久は持っていない。
それでも、麗日がくれた「新しいデク」は頑張るデクだ。
爆豪の狂気的に鋭い眼光が出久を睨みつける。出久はそれにたじろぐことなく、毅然とした態度で拳を構えた。
「ビビりながらよお……そういうところがムカつくなあッ!」
爆豪が吠えた。
挑発は十分だ。爆風を推進力に飛び込んでくる爆豪を前に、出久は叫んだ。
「麗日さん、行って!」
勝利条件を考えれば、ここで出久が爆豪を足止めしている間に麗日が核を押さえたほうが効率的だ。時間も人手も限られている。
駆けていく麗日に爆豪は目もくれない。
空中で放たれた鋭い蹴りを流すように受けながら、出久は手の内に隠していた確保テープをその足に巻き付けようとする。空中で逃れるには個性を使うしかない。
そして、個性を使わざるをえないほどに追い詰められれば、爆豪は焦る。
「クソがぁ!」
右の大振り。癖で放たれるそれを受けて往なす程度のことは、最早出久にとってできて当たり前のことになりつつあった。
ここで、出久はあえて引く。
「ッ、待てやデクゥ!」
出久はまだワン・フォー・オールの制御ができていない。人に向ければ殺してしまうだろう。だから、出久は蓮華が貸してくれる力と自分が培ってきた地力だけで戦わねばならない。
そのためには乱打戦を避ける必要がある。爆豪の恐るべき点は何よりもそのタフネスだ。手汗を爆発に変換する彼は長期戦になればなるほど発汗し、力を増す。
「なァオイ! 俺を騙してたんだろォ!? 楽しかったかずっとぉ! 随分と派手な個性じゃねえか! 女連れで通学たあいいご身分だなぁ!?」
策はある。
明らかに爆豪は暴走している。斥候役を担うなら破壊音を立てずに機動力を出せる飯田のほうが適任だ。適切な采配ができないほど、連携が取れていない。
それに、出久はこの組み合わせが発表された時に覚悟を決めたのだ。
――男の子だねえ、少年。
今日、出久は爆豪に勝つ。
決意を新たに出久は走り抜け、爆豪と距離を取りすぎないように気をつけながら4階の中央までやってきた。
その時、無線が入った。核と飯田を押さえに向かった麗日からのものだ。
『デクくんごめん! 飯田くんに見つかっちゃった!』
「場所は!?」
『5階の真ん中フロア!』
出久は天井を見上げた。一枚隔てた真上に核がある。
天井をも通り抜けられる蓮華であれば核を押さえることはできるが、蓮華に無力化する技術がない以上確保にはならないと先んじて言われてしまっている。わずかな残り時間で爆豪に対処しつつ、真上の核を確保せねばならない。
負けたくない。個性把握テストのときのような後ろ向きの覚悟ではなく、爆豪に勝ちたいという前向きな意志。
「使えよ、デク……舐めてんのか? なあ?」
「かっちゃん!」
「てめえのストーキングならもう知ってんだろうがよお、俺の爆破は掌の汗腺から
爆豪が篭手を構えて出久に向けた。
彼のコスチュームは全体的に爆発物を模している。特にその大きく嵩張った篭手はまるで不格好なパイナップルのようで、手榴弾にそっくりだ。
嫌な予感に、出久は咄嗟に姿勢を低くした。どんな攻撃が来てもすぐに膝のバネを使って回避を取れるように。
これが功を奏した。
「な、あ……ッ!」
光が弾けた。
爆風という言葉では生ぬるい。悪夢と呼ぶには熱がある。その地獄めいた炸裂は、腕を交差させて身を守った出久ごと壁を3枚ぶちぬいた。
「――個性使えよ、デク。全力のてめェを、ねじふせる」
篭手にストックした汗を一度に爆発させたのだ。単なる爆破ですら重いというのに、その壮絶な火力は出久の脳裏にオールマイトの一撃をちらつかせるほどだった。
腹の底から震えがこみ上げる。
頬を吊り上げて笑う爆豪を前に、出久の決意は一瞬だけ揺らいだ。
しかし、瓦礫の中から出久は立ち上がった。その身に満ちた冷気が出久を鼓舞する。立ち上がれ、負けるなと。
「すげえだろ、すげえよなデク? 来いよ、まだ動けんだろ?」
「麗日さん、状況は!?」
無線に応答はない。どうやら麗日もまた戦っているようだ。
出久は構えた。乱打戦は避けたかったが、ここで立ち向かわなければいよいよ勝ち目がなくなる。万が一にも先ほどの長距離攻撃を5階に向けられて自爆されれば、問答無用で出久たちの負けだ。
後ろ手に構えた爆豪が掌で爆発を起こし、飛び込んでくる。出久は反撃を選択した。
しかし、一日の長はそうたやすくは覆らない。
「ぎッ……!」
爆豪は衝突する直前になって空中で機動を変え、出久の背に爆発を直撃させた。
背骨が軋む。涙がこぼれそうだ。
「ホォラ行くぞ、てめェの大好きな――右の大振り!」
咄嗟に受ける腕を出すことができたのは、爆豪を仮想敵とした反復練習の賜物だろう。
軋んだが、それでも確かに受けきれた。
安堵するのはまだ早いと嘲笑うように、爆豪はその腕を強く掴む。まるで受けることがわかりきっていたかのような動きで、今度は出久が硬い床に叩きつけられた。
「生意気なんだよデク、俺に予想なんてさせるんじゃねえ……てめェは俺より下だ!」
受け身は取った。それでも激しい痛みが骨を、肺を、脳を揺さぶる。
出久は転げるように立ち上がり、爆豪に背を向けた。
「なんで個性使わねえんだデク、俺を舐めてんのか!? ガキの頃からずっと、そうやって! あのアマともグルで! 俺を舐めてたんかてめェはッ!」
「違うよ……!」
ポジションは
「君が凄い人だから、勝ちたいんじゃないか……!」
拳を構えた爆豪の頬から汗が伝う。
何度も打ち合って、
「勝って、超えたいんじゃないかバカヤロー!」
出久は拳を振りかぶった。
力の分散。ぶっつけ本番になる。それでも出久は試したい。その
下半身を支えるように力を分配させ、さらに拳を引き絞るために体幹、肩、肘と回していく。回路に次々と電流が流れ込むように、出久の体内がパチパチと弾ける。
「ッ、てめェ、何を」
爆豪の掌で
汗腺から分泌されるニトロのようなものは、あくまで爆豪の汗だ。不純物が混じればその分燃焼効率は落ち、爆発に至るほどの劇的な着火は見込めなくなる。
不純物。それはたとえば、幽霊の冷気に侵されてかく冷や汗であるとか。
「デクゥ!」
爆豪はあの日、出久を置いて神社から逃げ帰った。それは気絶した出久よりも爆豪が強かったからだ。腰を抜かさなかったから走って逃げることができた。
そして、出久は弱さゆえにこの力を手に入れた。
――やれ、少年!
「麗日さん、行くぞ! デトロイト・スマーッシュッ!」
出久の放ったアッパーが、寸分狂わず麗日と核の間にある地面を貫く。
極限まで透明化した蓮華が密かに持ち帰った情報を元に、出久は麗日へとパスを回したのだ。無重力状態を操る彼女にとって最大の武器、無数の瓦礫というパスを。
激痛が出久の腕を砕く。
しかし、
「ハナっからてめェ……!」
目を見開く爆豪を前に、内出血の疼く腕をなおも構えたまま、出久は立つ。
「やっぱ舐めてんじゃねえか……!」
「舐めてないよ、かっちゃん……君に勝つ手は、これしかなかった……!」
ヒーローチームの勝利。
オールマイトが無線で宣言したその声を聞いてようやく、出久は安堵とともに崩れ落ちた。
勝ったのだ。
授業だからできる勝ち方でしかない。これが本物の核なら明らかにご法度な動きだ。ましてや、最後の一撃はぶっつけ本番だった。もし余波が核や麗日に当たっていれば危険だっただろう。
それでも、出久は今日、爆豪勝己という憧れに打ち勝った。
「――っと、いけないいけない。このまま倒れさせちゃ傷に響くからね」
「ありがとうございます、お姉さん……」
「こちらこそ。いい作戦だったよ、少年」
蓮華の柔らかな香りに抱かれて、出久は大きく息を吐いた。
呼吸に混じる冷たさが、たまらなく心地いい。