放課後、リカバリーガールの治療を受けた出久は帰路についたという爆豪の背を追って校舎を飛び出した。
蓮華はいない。彼女の素性と個性についての聞き取りを行うため、出久抜きでの面談が行われている。雄英の敷地内程度の距離であれば、互いに独立した行動を取ることができそうだった。
ずっと追ってきた爆豪の背中が、今日はやけに小さい。
「かっちゃん!」
「……ああ?」
その冷たい視線に足がすくむ。
出久を衝き動かしていたのは二重の後ろめたさだ。借り物の個性、巻き込んでしまった他人の力。どちらも出久を支えてくれる、しかし出久自身のものではない力。
ずっとその背を見て育った。だからこそ勝ちたいと思った。その初めての勝利を、出久は自力では成し遂げられなかった。
「……これだけは、君には言わなきゃいけないと思って」
出久は必死に言葉を紡いだ。
母親にも明かしていない、オールマイトから口外を禁じられた大切な秘密。それを抱えたまま、出久は爆豪と対等になれるとは思えなかった。
これまで、爆豪の強さは出久の憧れだった。しかし、もう憧れていてはいけない。並び立ち、競い合うのなら、憧れは邪魔でしかない。
「人から……人から、授かった個性なんだ。誰からかは絶対言えないし、言わない……お姉さん、蓮華さんの力だって、本当は巻き込んじゃったようなもので……」
「ァ……!?」
「まだろくに扱えもしない、全然モノにできてない状態の借り物で……だから、本当はそれを使わないで君に勝ちたかった!」
思い出すのは、弾けるような腕の痛み。
出久は確かに「力の分散」に成功した。地面を踏みしめた両足をアンカーのようにして安定させ、振り抜いた腕は骨一本砕けることなく超パワーを発揮することができた。
しかし、それだけだ。実戦の格闘戦であのような停止時間を要求される技など撃っている暇がないことくらい、ヒーローオタクの出久はとっくに理解している。
まだ出久は発展途上だ。
未完成の、しかもリスクの大きい技を使わなければ勝てない。出久と爆豪の間にはまだそれだけの隔たりがある。
蓮華の冷気による爆発の不発も、爆豪が早々にガントレットの備蓄を使い切ってくれたからできたことだ。あれを止めに持ってこられていたら出久は負けていた。
では、負けを認めるのか?
君には敵いません、これからも子分で雑魚のデクですと頭を下げるのか?
「いつかちゃんと自分のモノにして、僕の力で君を超える。僕にとって君は、超えたい背中だから」
春の風にざわめいていた街路樹が、いつの間にか静まっていた。
校舎を出た時、出久は爆豪の勘違いを訂正するつもりだった。騙していたわけじゃない、君が知っていたとおり僕は無個性だったのだ、と。
しかし、言いたいことが波のように押し寄せてきて、結局できたのは中途半端な宣言だ。蓮華に言われるまでもなく、どうにも出久は口下手だった。
「何だそりゃ……借り物? わけわかんねえこと言って、これ以上コケにしてどうするつもりだ……なあ!?」
「違っ」
思わず訂正しようとした出久は、言葉を失った。
「だからなんだ!? 今日、俺はてめェに負けた! そんだけだろが!」
あれだけ勝てないと、恐ろしいとすら思っていた爆豪の瞳に、涙がにじんでいて。
「幽霊の女相手に油断しちまった……そのあと氷の奴見て、敵わねえんじゃって思っちまった! ポニーテールの奴の言うことにだって、納得しちまった……クソ、クソッ!」
こんなに苦しそうな彼を、出久は見たことがなかった。
いつも自信に満ちていて、誰よりも先頭を走る男だった。世界が退屈なのではないかといっそ心配になるほど、無限の全能感に浸っていた。それが許されるくらいに優秀で、そして停滞をよしとしない努力家でもあった。
出久は
オールマイトへの憧れがなければ目指さなかっただろう。蓮華の導きがなければもっと早くに道を違えたかもしれない。
しかし、絶対に諦めたくないと歯を食いしばる気になったのは、爆豪勝己という一人の幼馴染がいたからだ。彼がただの天才ではない、努力する天才であることを知っていたからだ。
最高で最悪な、出久が目指した背中。
「こっからだ! 俺は……こっから、ここで一番になってやる!」
泣いている。
だからこそ、ずっと見てきた出久にはわかった。今日、爆豪の導火線に火がついたのだ。
勝ちたい、負けないという勝負が本当に始まるのは今日、ここからだ。だから出久は丸まった爆豪の背を見送った。どんな言葉も陳腐になるような、そんな気がして。
「――爆・豪・少・年!」
突風が吹き抜けた。その風がオールマイトのダッシュだと理解するのに、それほど時間はいらなかった。
慰めの言葉をかけるオールマイトに、爆豪は気丈にも「俺はあんたをも超えるヒーローになる」と宣言してみせた。彼はもう歩きだしているのだ。
当然だが、そのあと出久はオールマイトから秘密を漏らしたことについてのお叱りを食らった。
「知れ渡れば力を奪わんとする輩が溢れかえることは自明の理! 今回は大目に見るが、君のためにも社会のためにもしっかりと責任を自覚してくれ!」
「本当にすみません……」
仮にワン・フォー・オールのことが世に知れ渡れば、出久から個性を奪おうという者は当然現れるだろう。
そして、誰でもワン・フォー・オールを継承できるわけではない。器のキャパシティがなければ爆発四散してしまうというのがオールマイトの予想だ。だからオールマイトは出久が蓮華を吸収してしまったときに「パンクするはず」と考えた。
幸いにして今のところ出久はパンクしていないが、ワン・フォー・オールという強力な個性に加えて蓮華を個性として身に宿している状況は本来異常なのだ。
無個性の出久が無個性のオールマイトから継承できたのは奇跡の巡り合わせだった。しかし、この無個性の連鎖を明かすことは、同時にオールマイトという絶対にして唯一の平和の象徴が揺らぐことと同義だ。
「美珠少女がストッパーとしていなくとも、ヒーローとして正しい判断が下せるよう精進したまえ。さらばだ、緑谷少年!」
白い歯を煌めかせて親指を立てたオールマイトは、突風を伴って空の彼方へと消えていった。退勤ついでにヒーロー活動をするのだろう。
彼の抱える秘密――深い傷に蝕まれた身体と活動限界について知っている身としては、単なる憧れだけでその姿を見送ることはできない。それでも今はまだ、彼がこの国の平和そのものだ。
すっ、と蓮の甘く爽やかな香りが出久を包み、ついで身体に心地よい冷たさが滑り込む。
「聞き取り調査、終わったんですね。お疲れ様です」
――少年もお疲れ様。途中から見てたよ。オールマイトと一緒にね。
「そうだったんですか!?」
――出ていこうとするの足止めしてたんだから、感謝してよ? あの人、ちょっと空気読めないとこあるよね。
「あはは……ちょっとそうかもです」
――あ、そうそう、クラスの子から伝言預かってるよ。駅前のファミレスで反省会やってるからよければ来てって。
「わ、ありがとうございます。行きます!」
放課後にファストフードで駄弁るような高校生活は送れないかもしれない。
それでも、こうして支え、導いてくれる人がいて、ともに競う仲間がいる。今はそれで十分で、贅沢すぎるくらいだと出久は沈みかけた西の太陽に思った。
***
蓮華の扱いについて、校長たちは頭を悩ませているらしい。
ひとしきり反省会が片付き、それぞれが頼んだメニューもほとんどは完食したころ。余ったポテトをつまむ段階に入って、蓮華がぽつりとこぼした。
「扱いって? 常闇くんの黒影と一緒じゃだめなん?」
「んー、ほら、お姉さんある程度独立して動けるでしょ? それにかっこよくて強い黒影ちゃんと違って鍛えてないからねー」
「ヨセヤイ、テレルゼ」
常闇の肩に顎を乗せて隣の障子にポテトを食べさせられていた黒影がくねくねと身を捩る。照れているようだ。
実際、蓮華は個性として見るとかなりピーキーな性能をしている。索敵と補助、そして妨害には長けている一方、個人の戦闘力は野良猫にも劣ると言っていい。
対人戦闘訓練では爆豪への対策として機能した冷気も、言ってみれば彼が汗を原動力とするという知識があったからこその人読みメタだ。実戦で刺さる場面は少ないだろう。
「これから鍛えるんじゃ駄目なんすか?」
「幽霊の身体って筋肉とかつかないんだよね。完全に不変って感じでさ。何年か前の夏に一ヶ月ラジオ体操しても全身硬いまんまだったし」
「えー何それ! 画的にはめっちゃエモいのにー!」
ドリンクバーからメロンソーダを注いできた芦戸が座りながら笑う。彼女の言うとおり、夏の神社でちらつく木漏れ日に照らされながらラジオ体操をする蓮華にはえもいわれぬ美しさのようなものがあった。
「いいよな……いい……オイラ、そういうジブリ的なエモに弱いんだよな……」
「すげえよな蓮華さんって、存在が夏のアニメ映画じゃん。スクリーンから飛び出てきた感じすらするわ」
「よせやい、照れるぜー」
上鳴のなんとも言えない、しかし共感できる褒め言葉に蓮華が黒影のモノマネで返すと、テーブルがどっと沸いた。
「……めっちゃノリいいし、マジに幽霊なのかだんだんわかんなくなってきたわ。上鳴、ケチャップ取って」
「うい。ビビリ損だな、耳郎」
「び、ビビってないし! ただちょっと、こう、幽霊って勝ち方がわかんないっつうか……おい、そういう目で見るな!」
幽霊という自己紹介に躊躇いを見せていたクラスメイトも何人かいたが、この様子なら大丈夫そうだ。
年上のお姉さん、しかも幽霊である蓮華を伴っての学生生活に不安がなかったと言えば嘘になる。それを理由に諦めるほど出久は軟弱ではないが、うまくいくに越したことはない。
「それで、蓮華ちゃんはどういう扱いになるのかしら?」
「当面は座学の授業中、特に英語とか数学とかの普通科でもやるような科目の間に先生たちと色々試すことになりそう。合理的な分担、ってやつ」
「ケロ、相澤先生が言いそうなことね」
「消太ちゃんじゃないんだ」
「先生は流石に恐れ多いわ。本当は蓮華ちゃんだって年上だし、ちょっと申し訳ないとは思っているのよ?」
「お友達でしょ、気にしない気にしない」
表情の変化がわかりづらいながらもうっすらとしょぼくれた蛙吹の頬に蓮華の指が突き立てられた。半ば無理矢理に作られた笑顔を見て、芦戸と葉隠が同じポーズを取る。葉隠は透明だが、きっと笑っているのだろう。
いいクラスだ。出久は素直にそう思った。
皆がヒーローを目指しているからか、根っこの部分で人を尊重できる立派な人物が揃っている。まだ出会って日が浅いながらも、出久は彼らを尊敬できる人たちにカテゴライズしていた。
その証拠に、誰も蓮華が幽霊になった経緯について聞こうとしない。
幽霊。それはつまり、故人であるということだ。蓮華の死について、出久はあまり多くを知らない。相澤から受け取った資料も蓮華の妨害に遭ってまだ読めていないのだ。
死んだころの蓮華には家族がいた。そして、彼女を殺したヴィランがいた。
そういったことを根掘り葉掘り聞こうとせず、クラスの一員として自然に打ち解けてくれたことを、出久は心の底から感謝していた。
「オイラもお友達として、そのひんやりハンドを堪能させていただきたい……! そして願わくば、そのひんやりでたわわなふべっ」
「びっくりするくらい最低よ、峰田ちゃん」
「お前好感度の下げ方音速かよ、ホークスの飛行でももう少し遅えぞ」
蛙吹に音速の舌でビンタされ、砂藤にダメ出しされる峰田もまあ、これはこれできっと愛嬌なのだろう。素直になれない人間だと自覚している出久にとって、彼のあり方は少しだけ羨ましくすらある。
出久は聖人ではない。小学生のころからずっと一緒だった美人で素敵なお姉さんに何も思っていないなどと、口が裂けても言えない。
ただ、そんな我儘を考える余裕など微塵もありはしないというだけだ。
「割り勘いくらだった? あ、いいよ、お姉さんも少し出すから。遠慮するな若人、甘えとけ甘えとけ」
ずっとひとりだった初恋の人がこうして楽しそうに誰かと喋っている、そんな奇跡を目にすることができただけでも、出久は満足なのだから。