暗闇から抜けて、出久は自分が落下していることに気がついて悲鳴を上げた。
相澤単独での獅子奮迅の活躍に感嘆させられたのもつかの間、クラスの面々は散り散りになってしまったようだ。黒いもやのヴィランによって飛ばされてしまったのだ。おそらくはワープの個性だろう。
「うわあああ!」
幸運だったのは、下が水面だったこと。
不幸だったのは、水中にごまんとヴィランが配備されていたこと。
ざぶりと水に沈んだ出久は、真水が鼻に入る痛みをぐっとこらえながら目を開き、そしてくぐもった悲鳴を上げた。
サメ型のヴィランが大口を開けている。捕食を想像させるその鋭利な歯列を前に、出久は咄嗟に腕を振り上げようとした。しかし、踏ん張りが利かずすべての動作が緩慢になる水中は出久とあまりにも相性が悪い。
「来た来た! オメーに恨みはないけど――さいなグボベァ!」
めり込んだ両足がサメ型ヴィランの顎を歪ませる。
蛙の個性を持つ蛙吹がその水陸両用な肉体を駆使して出久を助けてくれたのだ。感謝を示すハンドサインを送ると、蛙吹は「気にするな」と言わんばかりに小さく手を振ってそのまま出久を舌で巻き取り、放り上げた。
「げほっ……やられた」
飲んでしまった水を咳き込むように吐き出していると、身体に馴染んだ冷気が戻ってくるのを感じた。
「お姉さん、いますか?」
呼びかけると、ふわりと香る蓮の甘く爽やかな香り。激しく脈打っていた出久の心臓が、少しだけ落ち着いていく。
現れた蓮華はいつもより真剣な表情をしていて、水中を鋭い目つきで見やっていた。
「ただいま、限界距離超えて戻されたみたい。厄介なことになったね」
「広場の、状況は」
「飯田くんが救援呼びにいったはず。大半は飛ばされちゃったけど、残った子は13号と一緒だ。私はこの船の中を確認してくる、少年はここにいて」
返事をする間もなく、蓮華は限界まで身体を透明にして船内へと消えていった。
その直後、激しい水音に目を向けると、半ば叩きつけるように打ち上げられた峰田の姿があった。
「峰田くん!」
「げほ、ごほ……み、みどりゃー……オイラ、もう……」
「大丈夫!? ヴィランにやられたの!?」
「せめて死ぬ前に……蓮華さんから生まれたかったぜ……」
「うん、元気そうでよかった」
介助しようとしていた峰田を放り出して濡れてしまった手を拭く。トリアージはグリーン、自力でなんとかしてもらおう。
出久の考えが正しければ、悠長にしている暇はない。
クラスメイトたちを散らした黒いもやのヴィランは「オールマイトを殺す」と言っていた。ただの大言壮語と片付けるには計画性がありすぎる。つまり、オールマイトを殺す算段がついているということだ。
しかし、あのオールマイトを殺せるほどの用意とは一体なんなのか? そして、もしそれが彼らの誇大妄想でないのなら、誰がどうやって用意したのか?
二度目の水音に出久が考えるのをやめて顔を上げると、蛙吹が水中から飛び出してきたところだった。
「蛙吹さん! さっきはありがとう、助かったよ」
「梅雨ちゃんと呼んで。一通り見て回ったけど、もう水中にはヴィランしか残ってないわね」
「じゃあ、ここには僕と峰田くん、あとつ、つ、梅雨ちゃんだけか」
「とんでもないことになったわね……」
蛙吹の表情は読みにくいが、それでも彼女が不安そうにしているのはわかった。
こういうときに勇気づける一言が出てこないのが自分でももどかしい。今が危険な状況だとわかっているからこそ、出久には何も言えなかった。
「でもよでもよ! オールマイトを殺すなんてできっこねえさ! オールマイトが来たらあんなやつら……」
「殺せる算段が整っているから連中はこんな無茶をしてるんじゃないのかしら? そこまでできる連中に私たち嫐り殺すって言われたのよ? オールマイトが来たとして……私たちもオールマイトも、無事で済むかしら」
「みみみ緑谷ァ!」
怯えた様子で腕を掴む峰田は震えている。
彼の恐怖は出久にもわかる。しかし、今は恐怖で思考を鈍らせている場合ではない。
船室に続く壁からぬるりと姿を現した蓮華は、渋い顔をしていた。収穫はなかったようだ。
「――船内を見てきたよ、少年。これは訓練用のはりぼてみたいだ、無線機どころか動力すら備わってない。救命胴衣も脱出艇もなし」
「そう、ですか。ありがとうございます」
「蓮華さぁぁぁん! オイラも死んだら幽霊になれるかなあああ!」
「大丈夫大丈夫。なれないし、ならないから。生き残ることが最優先だよ、そうでしょ?」
峰田をあやす蓮華を傍目に、出久は必死に考えた。
生き残る。それはそうだ。しかし、水中にいるヴィランたちは別に水中でなければ生きられないというわけではない。彼らは船上に上がってくることだってできる。
もし船上で多数のヴィランに囲まれれば、勝ち目があるとは言えないだろう。
その時、出久はひとつの疑問にたどり着いた。
「……上がってこない?」
「ケロ。警戒してるのかしら」
「警戒……そうか、そうだ! 連中は僕たちを
首を傾げる蛙吹を見て、出久は確信した。
「ここにいるヴィランは水中戦を想定してる、つまり連中はUSJの設計を把握して配置してる。でも、それならおかしいことがある。つ、梅雨ちゃん! 君がここに移動させられてるってことだ!」
「だから何なんだよみどりゃー!」
「
水中にちらりと視線をやる。
何人ものヴィランが水面から顔を出し、出久たちを睨んでいる。異形型は海洋生物の姿をしている者ばかりだし、発動型や変身型でもきっと水中での活動に特化しているのだろう。
彼らは有利なフィールドに留まって、数でリンチすることを選択した。つまり、自分たちの質が劣っていることを自覚していて、それでもなお勝つために協同することを指示されているということだ。
なめてかかっていない。これは出久たちにとって不利ですらある。
しかし、個性を知られていないというハンデはここから唯一の勝ち筋につながりうる。手札がバレていないというのはそれだけで圧倒的に有利だ。
出久の意図を理解したのか、蛙吹が自分の個性を説明しはじめた。
「私は跳躍と、壁に張りつけるのと、舌を伸ばせるわ。最長で20mほどね。あとは胃袋を外に出して洗ったり、毒性の粘液……といっても、多少ピリッとする程度のを分泌できる」
「分……泌……!」
「峰田くんって本当になんでもいいんだねえ」
「後半ふたつは今は役に立ちそうにないわね、忘れて頂戴」
「薄々思ってたけど、強いね……。僕はなんていうか、説明が難しいけど……僕単体でできることは超パワー、ただ踏ん張りが利かない場所だと自爆しちゃう諸刃の剣的なあれです」
基本的には索敵に特化している蓮華は残念ながら今は出番がなさそうだ。
峰田に視線を向けると、彼はおもむろにお団子になった頭髪の一部をもぎ取って壁に貼り付けた。
「超くっつく。体調によっちゃ一日経ってもくっついたまま。モギったそばから生えてくるけどモギりすぎると血が出る。オイラ自身にはくっつかずにブニブニ跳ねる」
言葉どおり、峰田が押すと弾むように変形しながらも壁からは全く剥がれない。
扱いが難しそうだが、とても強い個性だ。サポートアイテムを使わずにヴィランを捕縛、あるいは無力化することができる。粘着力を活かして吸着爆弾のような運用をすれば攻撃にも転用できるだろう。
応用力のありそうな個性に思わず出久が唸ると、何を勘違いしたのか峰田が号泣しはじめた。
「だから言ってんだろ、大人しく救けを待とうってよお! オイラの個性はバリバリ戦闘に不向きなんだよお!」
「ち、違うってば、すごい個性だなって思って活用法を考えてて」
「その慰め文はこの人生で10回以上食らってんだよ馬鹿ぁ! オイラ側みてえな雰囲気のくせしてリア充しやがってえ!」
「ケロ、支離滅裂ね」
「不思議な子だね。性格のひねくれ方が髪の丸まり方に出てるのかな。うーん、鶏と卵だ」
「言っちゃいけないこと言ったァー!」
峰田が悲鳴を上げた瞬間、船体に強い衝撃が走った。
咄嗟に吹き飛ばされないようしがみつく。揺れが収まったとき、船は無惨にも真っ二つに亀裂が入っていた。
「ッ、みんな大丈夫?」
「大丈夫よ。でも、このままじゃまずいわね」
「はりぼての船だったからね、じきに沈む。持って1分ってとこかな」
「うわああ!」
半狂乱になった峰田がもぎもぎを水中に投げ込みはじめた。
その勢いはすさまじく、みるみるうちに水上を彼の投げたもぎもぎが漂いはじめる。
ヴィランに個性がバレていないというアドバンテージを失いたくなかった出久は、峰田を制止しようとした。
「ヤケはダメだ! ヴィランに個性が……あれ?」
そして、気がついた。
峰田が投げ込んだもぎもぎをヴィランたちは必死になって避けている。彼らは何を投げつけられたかわかっていないのだ。個性を知っている出久から見れば粘着する髪の玉でも、彼らにとっては水中機雷と変わらない。
そのとき、出久にひとつの閃きがあった。
「峰田ちゃん本当にヒーロー志望で雄英来たの?」
「うっせー! 怖くないほうがおかしいだろーがよ! ついこないだまで中学生だったんだぞ!」
「それは本当にそうだよね、同情するよ」
「同情するならおっぱいくれよ! 入学してすぐ殺されそうになるなんて誰が思うかよ! ああ、せめて八百万のヤオヨロッパイに触れてからあ!」
振り返って、三人に向き合う。
出久の計算通りにいくとしても、チャンスは一度きりだ。
「僕に、考えがある」
「やるんだね、少年。いいよ、お姉さんの役割を教えて」
「……囮役を。できるだけ水中のヴィランが船の近くに集まるようにしてください」
「なるほど、わかった。行ってくるね」
蓮華がその場からすっと下に沈む。船を通り抜けてそのまま水中に行ったのだ。
残るふたりに出久が作戦を説明すると、蛙吹はわずかに顔をしかめ、峰田は「絶対に無理だ」と泣きわめいた。しかし、それしかないと説得し、そして出久は船体から身を乗り出した。
イメージするのは暴君、爆豪勝己。
この作戦では出久に視線が集まらなくてはならない。
「死ぃねえええ!」
拳を振りかぶりながら飛び降りると、ヴィランたちは出久に馬鹿を見る目を向けながら場所を空けた。
じれはじめていたところに飛び込む生徒が一人。彼らは出久が着水するのを待って襲うつもりだろう。蓮華の囮が上手くいっていれば、ほぼ全員が出久の自殺行為に気がついていることになる。
ちょうど出久の着水ポイントを囲むように、輪を描いてヴィランが集まっている。このまま着水すれば出久はあっという間に死ぬだろう。
これが勝ち筋だ。
「
手が震える。涙がこぼれそうだ。怖くてたまらない。
しかし、それでも出久は勝たねばならない。勝って、オールマイト殺害などという決して許せない悪事を阻止しに向かわなくてはならないのだ。
分散した力の放出先がない以上、空中で力を分散させることはできない。だから、指一本を犠牲にする。
「
出久が放った超パワーが、水面を穿った。
激痛に思わず右手で左手を強く押さえる。気を強く持たないと持っていかれそうだ。
「梅雨ちゃん! 峰田くん!」
出久の身体を蛙吹の舌が絡め取った。彼女の優れた脚力は、船体を蹴ってはるか彼方までの跳躍を可能にする。
そして、この作戦の主役は彼だ。
「うわあああ! くっそがよおおお! オイラだってえええ!」
叫びながら峰田が投げ入れる無数のもぎもぎ。最高で1日離れないほどの吸着力を持つという球体が、出久の生み出した激流に呑まれていく。
出久が利用したのは、流体の基本的な性質だ。
水面から強い衝撃を受けた液体は広がり、そして衝撃を受けた点を中心として再び収束する。オールマイト級の超パワーによって生み出された収束は、360度囲うような津波と言っていい。
ヴィランたちは津波に揉まれ、その最中で放り込まれたもぎもぎにくっついていく。
そして。
「――一網打尽、よ」
蛙吹の跳躍によって水場の端へと脱出しながら、出久たちはヴィランをひとまとめに捕縛することに成功した。
着水。同時に、出久の身体に冷気が戻る。
「ナイスショット、少年。漏れはなし、君が負傷したことを除けば最高の結果だ」
「はは……つ、梅雨ちゃんと峰田くんのおかげです」
「おやおや、お姉さんのことは褒めてくれないのかな?」
「も、もちろんお姉さんのおかげでもあります!」
「ケロ、尻に敷かれてるのね」
そんな、ふざけあう余裕すらあった。
つまりは油断。もしくは慢心。そう言っていい。自分たちの力がヴィランにも通用したのだと、そんな錯覚を抱いてしまっていたのだ。
力なく倒れる相澤と、その身体に馬乗りになる脳がむき出しになった巨体のヴィランを見るまでは。