緑谷出久のことを少年と呼ぶ個性のお姉さん   作:海野波香

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十五回忌 僕に「死」を教えてくれるお姉さん

 体が動かない。

 小枝でも折るかのように、相澤の腕がへし折られる。人体から決して鳴るべきではない軽く乾いた音が、出久の鼓膜を震わせる。

 出久の足は、前に進まない。

 

「――個性を消せる。素敵だけど、なんてことはないね。圧倒的な力の前ではつまり、ただの無個性だもの」

 

 全身に手を付けたヴィランがぶつぶつと、掠れた声で嘲けるように呟いた。

 その小さな声が聞こえるのは、あたりが静かだからではない。凄みが出久を捉えて離さないからだ。歩みはふらつき、とても戦闘ができるような体つきでもないのに、ぞっとするような凄みが岸辺から様子を伺う出久を縫い止めていた。

 相澤の頭部が地面に叩きつけられる。

 大きな果物を落としたような鈍い音。そして走る罅割れ。そのふたつがはっきりと、巨体のヴィランが相澤を殺す気で痛めつけていると示している。

 

「みどりゃーこれだめだ……さすがに考え改めただろ……?」

「ケロ……」

 

 蓮華は静かに、出久の肩を掴んでいた。

 押し止めるようにぐっと力を込めたその手が震えている。伝わる冷気は震えるほどに高まっているのに、蓮華は何も言わない。

 その時、手のヴィランの側に黒い渦が生まれた。もやのヴィランだ。

 

「死柄木弔」

「黒霧……13号はやったのか」

「行動不能にはできたものの、散らし損ねた生徒がおりまして……1名逃げられました」

「……は?」

 

 死柄木弔と呼ばれたそのヴィランは、苛立ったように唸りながら自分の首を掻きむしりはじめた。

 異常だ。

 

「はあ……黒霧お前……お前がワープゲートじゃなかったら粉々にしたよ……流石に何十人ものプロ相手じゃ敵わない、あーあ……()()()ゲームオーバーだ」

 

 今回は。

 その言葉が出久の耳にしつこく響いた。

 彼らは諦めたわけではない。もう一度機を伺う、そんな用意があるのだ。

 

「帰ろっか」

 

 死柄木がそう口にした。しばらくして理解が追いついたのか、出久の隣で峰田が歓喜の声を上げて蛙吹に飛びついた。

 しかし、おかしい。

 彼らは事前に潜入してカリキュラムを奪取し、計画を練り、これだけの数のヴィランを集めて襲撃に臨んだ。その言葉を信じるのなら、目的はオールマイトの殺害だ。

 そこまでしておいて、あっさり引き下がるだろうか。このまま帰れば雄英高校の危機意識を高めるだけに終わる。それを考えられない相手とは思えない。

 

「気味が悪いわ、蓮華ちゃん」

「油断しないようにね。いつでも水中に逃げられるようにしておいて」

 

 そして、蓮華の警告は正しかった。

 

「その前に、平和の象徴としての矜持を少しでも――」

 

 手が迫る。

 バレていたのだ。出久たちが、未熟な雛が呑気にも棒立ちで観戦していたのが。

 死柄木の手が相澤に与えたダメージを出久は目撃していた。まるで石膏像が風化するように、ボロボロと崩れていく様を。

 その崩壊を引き起こした手が、蛙吹に迫っている。

 

「へし折って帰ろう!」

 

 出久は動けなかった。

 しかし。

 

「――ゲームオーバーなのに無理やり操作するから、こういうバグに遭うんだよ。覚えておくといい。次はないだろうけどね」

「なんだ、お前」

 

 蓮華の手が、蛙吹の頭を突き抜けて死柄木の手を阻んでいた。

 崩れる気配はない。発動条件が整っていないのか、それとも蓮華のすでに朽ちた肉体――幽霊の身体には効果がないのか。

 白く細い指が、決して強くない力をめいっぱいに使っている。蛙吹に触れようとするその手を届かせまいと、必死に追いやっている。ダメージを受けないという確証などなかっただろうに。

 ヴィランが蓮華に触れている。

 その端的な事実が、出久の導火線に火を付けた。

 

「手を……放せ!」

 

 蓮華が危ない。そして、もし蓮華が崩されれば、次に危ないのは蛙吹だ。

 絶対に救けなくてはならない。その一心で出久は、個性を乗せた一撃を放った。

 

SMASH(スマッシュ)!」

「――脳無」

 

 炸裂する打撃音の向こうで、何かを呼ぶような声がした。

 こんな土壇場になって、出久は個性のコントロールに成功した。腕は折れていないし、指も壊れていない。

 成功を確信した出久は、舞い上がった土煙が晴れたことでその確信を捨て去った。

 ついさっきまで相澤を嬲っていたヴィランが出久の前に立っている。その巨体は微動だにしておらず、表情というものが存在しない顔で目だけを出久に向けていた。

 

「え……」

「いい動きするなあ……スマッシュって、オールマイトのフォロワーかい? まあ、いいや……君――」

「少年、離れろ!」

 

 蓮華の悲鳴のような指示に身体が追いつかず、出久は巨体のヴィランに腕を取られた。

 一瞬、出久は死を意識した。目の前で相澤に振るわれていた暴力が、これから己の肉体に刻まれるのか。

 死にたくない。

 その時、噴水広場の向こう、ゲートから破砕音が響いた。

 

「もう大丈夫――私が、来た」

 

 遠目にもわかる、その鍛え上げられた逞しい肉体。

 いつもは笑顔で輝く白い歯を威嚇するようにむき出しにして、オールマイトがそこに立っていた。

 

「あー……コンティニューだ」

 

 蓮華の手を振り払って、死柄木がそう呟いた。

 

***

 

 きっと、いつもなら出久は勇気づけられ、目を輝かせてオールマイトの活躍を見守る無邪気な一観客となったのだろう。

 あっという間に全員を救出し、オールマイトはヴィランとの戦闘に突入した。

 その直前、蓮華はオールマイトに何事かを囁いた。オールマイトは相澤よりもはっきりと驚いて悪態をついた後、「覚えておくよ、美珠少女」と息を吐きながら呟いた。

 その囁きのせいなのだろうか。

 

CAROLINA(カロライナ) SMASH(スマッシュ)!」

 

 相澤を背負って避難のために正面ゲートへと向かっていた出久は、どうしてもこらえきれず、ちらりと振り返ってしまった。オールマイトなら大丈夫、そうわかっていても出久の脳裏には彼の抱える傷のことがよぎるのだ。

 そして、見てしまった。

 オールマイトが放ったクロスチョップが、ヴィランの()()()()。ずっと見てきたファンだからわかる、オールマイトらしからぬ過激な一撃。

 

「――なんで」

 

 普段ならまず人間相手に使わないであろう、過剰な火力。

 人体を壊すような、殺してしまうような一撃を向けてもなお、ヴィランはオールマイトに立ち向かった。

 

「その個性……ショック吸収だけじゃないな!?」

「さすがオールマイトだなあ……そうだ、そいつには超再生も乗ってる。脳無はあんたのためだけに作られた超高性能のサンドバッグ人間、なのにそんな扱いしたら壊れちゃうぜ?」

「壊すために、やってるのさ! そうしても構わないってことはお見通しだからね! これは()()()()()()()()、違うかい!?」

「クソ、なんでバレてんだよ……あいつのせいか?」

 

 思わず出久は立ち止まってしまった。

 凄惨な打撃音に混じって聞こえる声がどこか遠い。

 気づかれにくいよう上手く動いているが、見る者が見れば明らかだ。オールマイトはそのヴィランを殺そうとしている。

 出久には理解ができなかった。

 ヒーローは不殺が基本。どんなに凶悪なヴィランでも殺すことなく捕らえなくてはならない。トップヒーローである彼がなぜそんな暴挙を働くのか。

 その疑問に答えたのは、相澤の頭を包んで冷やしていた蓮華だった。

 耳に寄り添う声が、誰にも知られないまま出久にだけ答えを囁いてくれる。

 

「気づいちゃったか。こうなっちゃったらもう隠しても意味ないよね。……あの黒いのには手加減する必要がないんだよ」

「それって、どういう」

「あれはある意味、お姉さんと同じ。ううん、逆かな。だからわかったんだ」

「同じ?」

「あれ、()()()()()()()

 

 出久の背筋に冷たいものが伝った。

 つまり、蓮華がずっと警戒していたのは、ヴィランに気づいたからでも、悪意を察知したからでもない。同類(死者)が攻めてきたことを見抜いたからだったのか。

 全身に走る怖気は蓮華の冷気でも、ヴィランへの恐怖でもない。もし自分が何も考えずにあの戦いに飛び込んでいたら、一体どうなっていたか。それを想像してしまったからだ。

 

「そ、それって……そんなことは」

「ありえない?」

「だって、それじゃあ……あのヴィランはオールマイトを、本当に……!」

 

 殺しうる。

 ずっとオールマイトを追いかけてきたファンだからこそわかる。彼はトップヒーローとして、人々の笑顔を壊すようなことは極力しない。死体だからといって殺しなおすような残虐な冒涜は、本来ならしないはずだ。

 ありえないと言いたかった。しかし、出久には言えなかった。出久は誰よりも死者の理不尽さを、現世の法則から解き放たれた存在の恐ろしさを知っているのだから。

 あの死体は、オールマイトにそうさせるだけの強さを持っている。

 

「たぶん個性で動かしてるか、もしくは何かを埋め込んであるんだと思う。死体を改造して手駒にしてる。ヴィランでもなんでもない、ただの道具だ」

「ま、待ってください。それって確証はあるんですか? もし間違いだったら、オールマイトが人殺しになっちゃいますよ!」

「あの身体にはもう魂が入ってない。わかるだろ、少年」

 

 蓮華が出久の肩にもたれたまま、手の先にペンを生み出した。

 本当はわかっていた。

 洋服、本、文房具。蓮華は幽霊でありながら色々なものを持ち歩いている。出久はこれまでその法則性についてあまり気にしていなかったが、ひとつだけ知っていることがあった。蓮華は生き物を運べない。

 部屋に置かれたサボテンの鉢植えを、蓮華は自分の手で部屋まで運んだ。それは大切にしているからではない。霊体にして運ぶことができなかったからだ。

 

「お姉さんはちょっとしたものなら自分と一緒に幽霊化して運べる。でも、魂が入ってるものはどれだけ小さくても駄目なんだ。だからかな、見ただけで魂の有無はわかる。……あれはもう、少しも生きてないよ」

「……そう、なんですね」

 

 蓮華が相澤から手を離して前に進み、振り向いた。

 前を歩いていた蛙吹に「なんでもないよ」と手を振ってみせてから、改めて出久と向かい合う。呆然と立ち尽くしていた出久は、蓮華の視線に射抜かれた。

 ぞっとするほど静かな表情。

 今なら誰でも彼女を幽霊だと思えるだろう。それくらいに無機質で、そして冷たい。

 

「死ぬってそういうことなんだよ。死んだら人間はもう()()にしかなれない。だから間違っても、君はあの戦いに混じろうなんて思わないで」

 

 後ろで、粘質な音が響く。

 オールマイトの一撃がどこを穿ったのかは想像したくない。脳無と呼ばれたヴィランの巨躯で唯一剥き出しだった脳のことなど、考えたくもない。

 ヴィランにも自分たちの実力が通用したと、そう思い込んで出久は浮かれていた。勝てると、本気でそう思ってしまっていた。そのままあの戦場に飛び込んでいたら、一体どうなっていただろうか。死ぬような攻撃を食らう側が逆転するだけではないのか。

 そして、もしそうなったなら、オールマイトはきっと身を挺して出久を庇うだろう。彼はトップヒーローだ。

 オールマイトはそうなるのを避けるために全力を出しているのだろう。つまり、生徒たちが万が一にも戦闘に飛び込んでくることのないように。そうなってしまえば、彼は「生徒の前でできるような戦闘」しかできなくなる。

 今、オールマイトが万全でないことを知っているのは出久と蓮華だけだ。「ピンチになってもオールマイトがいるから大丈夫」が通らないことを知っているのも。

 

「君たちも私も、あの戦闘の役には立てない。できることとやりたいことの区別はつけなきゃ駄目だよ、少年」

「……でも、オールマイトは」

制限時間(あのこと)は私も知ってる。そのうえで考えてごらん……本気のオールマイトがあそこまでして勝てない相手、いると思うかい?」

 

 死柄木の罵声と、巨体が崩れ落ちる音。

 今、出久は後悔に包まれていた。それは自分の甘さへの後悔だ。

 ヒーローに憧れてきた出久が見てきたのは、当然不殺の戦いだった。ヒーローは誰しも、誰かを救けるために戦う。殺すために戦うわけではない。

 しかし、現実には殺す気でかかってくるヴィランがいて、それを打ち倒す必要がある。弱ければ、不殺という道を選ぶ権利すらない。今の出久はその手前、戦う権利すらないところにいる。

 ずっと死者が隣にいてくれたのに、出久はそんなことすら考えていなかった。

 

「……ごめんなさい、お姉さん」

「そうだね、君は浅はかだったかもしれない。でも、その浅はかさはお姉さんが教えるのを躊躇ったせいでもある」

「そんな、ことは」

「そんなことはあるのさ。お姉さんだって、好き好んで自分の死因について話そうとは思わない。でも、それを話してれば少年に考える機会をあげられた。責任ははんぶんこ、ね?」

 

 はんぶんこ、と呟いて、蓮華は無理やり笑みを浮かべた。見ているこちらが辛くなるような、痛々しい笑みだった。

 相澤は目を覚まさない。彼が深手を負ったのは、生徒を守ろうとしたからだ。出久は相澤に守られ、蓮華に支えられ、オールマイトに救われた。

 出久はのろのろと歩きはじめた。

 

「緑谷ちゃん、落ち込むことはないと思うわ。私たちは生き残った。一番の目標は達成したのよ」

 

 遠巻きに出久たちを待っていてくれた蛙吹が、出久の顔を見て励ますように言った。

 観戦するクラスメイトたちから上がる呑気な歓声。きっと彼らはオールマイトがしていることに気がついていない。彼がどれほど苦しんでいるかにも。

 オールマイトの抱える秘密を知る出久だけが、彼の余裕の無さを理解できる。

 あのオールマイトにそうさせるだけの難敵だったのだ、あれは。トップヒーローである彼に捕縛ではなく破壊を強要する、それだけの力を持っている。その戦いに出久は参加できない。

 到着したプロヒーローたちの攻撃が始まる。

 どこか現実が遠くにあるような、そんな気分で出久は相澤を背負いながら歩いていた。重い足を引きずり、手の痛みを誤魔化しながら。

 強くなりたい。

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