緑谷出久のことを少年と呼ぶ個性のお姉さん   作:海野波香

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十九回忌 僕とともに第一種目を駆け抜けるお姉さん

 体操服の襟を整え、裾を揃え、靴紐を結びなおす。

 呼吸はゆっくりと、回転するように。出久の臓腑を震わせるような緊張は、今も全身を包んでいる冷気によって和らいでいく。

 

――この体育祭が、私たちのスタートだ。全身全霊を尽くすよ、少年。

 

 出久は黙ったまま、胸中で肯定の意思だけを返した。

 雄英体育祭が始まる。

 

『――どうせてめーらあれだろ、こいつらだろ!? ヴィランの襲撃を受けたにもかかわらず鋼の精神で乗り越えた期待の新星!』

 

 プレゼント・マイクの煽るようなアナウンスが入場ゲートまでの仄暗いトンネルに木霊する。

 見知った1年A組の全員がライバルだ。それだけでも強敵だというのに、交流の浅いB組や宣戦布告を受けた普通科など、まだ見ぬ強敵は数知れず。どこにも勝利の確証などありはしない。

 それでも今日、出久は頂点(てっぺん)を獲りにきた。

 

『ヒーロー科! 1年! A組だろおおお!?』

 

 大歓声の上がるスタジアムへ歩みを進める。

 一瞬、眩しさに目が眩んだ。そして視界の晴れた先に見えたのは、数えきれないほどの観客たち。すでにバインダー片手に難しそうな顔をしているプロヒーローから、横断幕とメガホンを手にした応援団まで勢揃いだ。

 

「大人数に見られる中で最大のパフォーマンスを発揮できるか……! これもまた、ヒーローとしての素養を身につける一環なんだな!」

 

 飯田の言葉に頷きを返して、出久は早まる鼓動を体操服の上からぐっと押さえた。

 緊張しないわけがない。

 それでも、出久は笑みを浮かべた。多少引きつっていようと構わない、己を鼓舞するなにかが必要だった。

 

「めっちゃ持ち上げられてんな……なんか緊張すんな、なあ爆豪」

「しねえよ、ただただアガるわ」

 

 闊歩する暴君を見習うように、出久も胸を張った。

 雄英体育祭はかつてのオリンピックに取って代わった国民の祭典だ。この国の平和を守る次代のヒーローとして、出久たちはすでに期待の視線を向けられている。

 

「どした緑谷、今日いい感じじゃん!」

「そうかな、なんだろう……頑張るぞ、って感じだからかも」

 

 出久の返事に芦戸が驚いたような笑みを浮かべた。

 ヒーロー科の入場が終わり、普通科、サポート科、経営科と続く。スタジアムのグラウンドは生徒たちでひしめき合っていた。

 壇上に上がったミッドナイトが鞭を鳴らす。後ろの方で常闇が「18禁ヒーローが高校にいてもいいものか」とこぼし、峰田が「いい」と答えた。声だけで彼のサムズアップが目に浮かぶ。

 

「選手宣誓! 1年A組、爆豪勝己!」

 

 入試一位通過の爆豪が呼ばれ、ミッドナイトの前に立つ。

 

「せんせー」

 

 やる気のない声と長年の付き合いから、出久はこれから爆豪がやろうとしていることを先読みして苦笑いした。

 

「俺が一位になる」

「絶対やると思った!」

「調子のんなよA組オラァ!」

「ヘドロヤロー!」

 

 自身を除く生徒全員を見下すように睨んで親指で首を掻っ切るポーズまで披露し、爆豪は「せめて跳ねのいい踏み台になってくれ」と締めくくって壇を降りた。

 生徒たちの中からだけで収まらず、観客からも野次が飛んでいる。

 しかし、彼らの考えに反して、爆豪は自信過剰なわけでも、慢心しているわけでもない。爆豪勝己という男は、暴君である以前に狂気的なまでにストイックな男なのだ。

 選手宣誓の場すら自分を追い詰めコンディションを高める場に使ってしまった。

 幼馴染の出久からしてみれば、よくも悪くも彼らしい自分勝手さに安心すらこみあげてくる。彼の本気を感じられるからだ。

 

――でも、一位は譲れない。だよね、少年?

 

 蓮華の言葉に出久は小さな頷きを返した。

 第一種目が発表される。障害物競走、スタジアムの外周4kmを走破することだけが条件だ。コースさえ守れば何をしてもいい。

 スターティングゲートに向かいながら、出久は大きく息を吸った。

 当然雄英はプルス・ウルトラを求めてくる。障害物も並大抵のものではないだろう。手段は選ばず、その全てを乗り越えて他よりも早くゴールすること。

 3つ並んだ赤ランプの1つ目が消灯する。

 

――ゲートが狭い。すし詰めになる前に抜けたほうがよさそうだ。

 

 蓮華の言葉に従って、出久は体勢を整えた。

 ただでさえ出久はスタートダッシュに弱い。フルカウルの発動には一瞬の間を必要とするし、素の身体能力で勝負するには体格が不利だ。

 2つ目が消灯する。

 個性を発動していいのはスタートしてからだ。しかし、位置取りに必要な観察をすることまでは禁止されていない。ゲートの向こう、外周に続く壁面との距離を出久は脳内で計算した。

 

――最初はお姉さんの力は温存する、全力でアピールしておいで。

 

 最後の赤ランプが消灯し、そして――

 

「スタート!」

 

 グリーンランプのゴーサイン。

 押し寄せる人波に揺らがされることなく、出久は全身に力を巡らせた。

 緑の稲妻が体表に走る。ワン・フォー・オール、フルカウル6%。蓮華とともに特訓した出久の新たな、そして自爆を必要としない力だ。

 出久は勢いよく足元を蹴った。目指すのは斜め上、ゲート奥の壁面だ。

 三角跳びの要領で空中を駆けていく。

 出久の下で足場が凍っていく。先頭を走る轟の個性だ。かなりの生徒が氷に足止めを食らう中、1年A組の面々をはじめとして素早い対応を取った者たちが先頭集団を形成していく。

 先頭集団の後方につけた出久は、油断することなく前方を見やった。

 

『さあいきなり障害物だ! まずは手始め――』

 

 立ち上がる影。

 

『第一関門、ロボ・インフェルノ!』

 

 入試以来の対面だった。出久が腕一本を犠牲に破壊した巨大ロボだ。何台も立ち並ぶ巨体の下をよく見れば、足元には他にも小型の仮想ヴィランが生徒たちを待ち構えている。

 初めて見た時は思わず恐怖を覚え逃げそうになった。他の生徒達もきっとそうだっただろう。

 しかし、皆前に進んでいる。入試などというはるか昔に乗り越えた障害は、出久たちにとって容易い壁でしかない。

 前方でまずは1台、氷に覆われた巨大ロボが崩れ落ちた。

 爆豪を始めとする機動力を有する者は頭上を越えていく。切島のような頑丈さを売りにする者は正面から突破していく。それぞれがそれぞれの強みで活路を開く。

 足元の小型ヴィランを破壊しながら切り抜けた出久は、轟が凍らせて倒したロボの装甲を拾い上げた。

 

――いい選択だ。()()()()()

 

 霜の降りた金属板に質の異なる冷気が充填されていく。

 霊体化。蓮華が幽霊として有する、無機物を自分の一部として格納する力だ。

 出久はこれで盾にも矛にもなる武器をひとつ手に入れた。短い手足で放つ打撃よりもいくらかリーチを稼ぎやすい。そのうえ、フルカウルのパワーを手に入れた今の出久なら投擲も視野に入れられる。

 遠距離攻撃の手札は限られている。まだ第一種目ですべての手札を晒したくはない。蓮華との合わせ技、オーバー・ポゼッションはまだ封印だ。

 

『オイオイ、第一関門チョロいってよ! んじゃ第二はどうさ!? 落ちればアウト、それが嫌なら這いずりな! ザ・フォール!』

 

 コーナーを抜けた先に待ち受けていたのは、底の見えない奈落と乱立する石柱、そしてそれらを繋ぐ頼りないロープたち。

 ただ戦闘力や機動力があればいいというわけではない。バランス感覚のない者はここで泣きを見ることになる。

 出久はおもむろに装甲板をロープの手前に置き、その上に足をかけた。

 

「……お姉さん、任せます」

――おっけー、少年は前だけ見てなさい。

 

 思いきって蹴り出す。

 轟の凍結によって表面の滑らかさに磨きがかかった装甲板は、ロープの上をスケートボードのようにして走りはじめた。

 奈落の底から吹き上げる風に板は煽られるが、しかし揺らがない。

 

『A組緑谷、ゼツミョーなバランス感覚でスケボー! COOLな魅せプだぜ!』

『ただのパフォーマンスじゃないな。機動力を維持しつつ後続への牽制を狙えるように足場を用意した。合理的な判断だ』

 

 相澤の解説通りだ。

 推進力を得るために出久が片足で後ろに蹴りを放つ。フルカウルのパワーで放たれた衝撃波は、出久の滑るロープから後続を排除する壁にもなっている。

 そして、このスケートボードは見えない蓮華の自動制御付きだ。軽い妨害程度では揺らがない。

 先頭集団の中ほどを維持し、出久は最終関門を迎えた。

 

『そして早くも先頭組は最終関門! 一見ただの荒野だが、かくしてその実態は――! 一面地雷原! 怒りのアフガンだ!』

 

 先頭に見える爆豪と轟が荒野に足を踏み入れる。

 地雷原、つまり埋没した地雷を避けながら進まなければならない。これは地雷が見つかっていない先頭ほど不利な障害だ。エンタメ要素か、それとも優秀な生徒により多くの課題を与えるプルスウルトラ精神か。

 このまま進んでも上位は堅い。しかし、出久は1位が、1位だけがほしかった。

 なにか策はないか。そう考えている時、爆豪が爆発を推進力に先頭を奪うのが目に入った。

 これだ。

 地面に手を当てる。傍からは出久が地面に個性を使っているように見せかけつつ、実際に動くのは蓮華だ。

 

「……地雷の密集地点を」

――了解、最速で見つけるね。

 

 蓮華の索敵能力を活かす時間だ。

 地面に潜り込んだ蓮華が起爆させることなく地雷を見つけていく。その中から最も地雷が密集している地点が出久の目的地――ショートカット地点だ。

 数秒の間を置いて、蓮華が戻ってきた。

 

――前方2時の方向、ここから大股で10歩だ。

 

 出久は駆け出した。

 先頭を奪いあう爆豪と轟の背は見えている。ここで博打を打たず、走って10位圏内を狙うのが世間的には賢い選択なのかもしれない。

 しかし、それでは「僕が来た」とは示せない。

 出久は担いでいた装甲板を地面に叩きつけた。

 

『おおっと緑谷ここで自爆! ぶっ飛んでいくー!』

『いや、これは……あいつ、やりやがった』

 

 恐怖はない。クラスで一番と言っていいほど、自爆には慣れている。

 爆風を装甲板で受けて空へと舞い上がりつつ、空中で姿勢を変えていつでも装甲板を叩きつけられるように持ちかえる。

 風に乗って、出久が爆豪と轟の頭上を越えた。

 

「ッ、デクァ! 俺の前を、行くんじゃねえ!」

 

 爆豪が腕を構える。爆発を撃つつもりだろう。その少し後ろでは轟が足で個性を発動し、地面を凍らせて足場を作っている。

 地雷原に突入したときから、出久はずっと考えていた。

 1位でゴールしたい。そのためにはふたつの方法がある。誰よりも早く進むか、自分より早い者全員を足止めするかだ。

 今の出久に爆豪を越える速度は出ないし、轟の妨害を避けきれる自信もない。だから、ふたりをまとめて足止めする必要がある。

 

――向かって10時の方向! すぐ目の前だ!

 

 蓮華の索敵に従って、出久は装甲板を投げた。

 一瞬の後、盛大な爆発が上がる。

 轟と爆豪の両名を巻き込んだ連鎖的な大爆発。出久を妨害することにだけ意識を割いていたふたりは、思わぬ反撃に対応できない。

 出久は一瞬のチャンスを手にした。

 身体に冷気が戻る。最初に地雷の密集地点を見つけた後、()()()()()()()()()()蓮華が戻ってきたのだ。

 

――あとは君の力を見せるだけだ、少年!

 

 走る。

 胸を張って、堂々と。しかし、後続に決して追い抜かれないよう全力で地面を蹴って。

 

『緑谷間髪入れず後続妨害! なんと地雷原即クリア! イレイザーお前のクラスすげえな! どういう教育してんだ!』

『俺は何もしてねえよ、奴らが勝手に火ィ付けあってんだろ』

 

 相澤の指導があったから、出久は自爆せず個性を発動する手段を模索するようになった。彼もまた出久にとっては恩師の一人だ。

 オールマイトから継承し、蓮華とともに磨き、雄英で育った。

 そして、今。第一競技が終わる。

 

『さァさァ、誰が予想できた!? 今一番にスタジアムへ還ってきたその男――』

 

 外周を抜け、ゲートを潜ってスタジアムへ。

 息を切らしながらも、出久はなんとか笑みを浮かべてみせた。

 

――少年、やるなら今だよ。

 

 本当にやるのか、傲慢に思われるのではないかと最後まで葛藤しながらも出久は拳を掲げ、そして天に突き立つようにして人差し指を立てた。

 1位ではない。まずは1勝目。

 これからあと2勝するという、端的な宣言。

 

『緑谷出久の存在を!』

 

 次代のヒーロー、僕が来た。それを示すために出久は蓮華と相談し、少しだけ強気なアピールをすることに決めていた。出久からすれば過剰とも思えるパフォーマンスだったが、蓮華の強い押しに出久は折れた。

 勇気づけるように、誇るように。出久が高く掲げた人差し指に、スタジアムには割れるような歓声が響き渡った。

 

――ナイスラン、少年。

「お姉さんのおかげです」

 

 小声で返事をしながら、教員席のほうに目をやる。

 そこに座ったトゥルーフォームのオールマイトと視線を合わせて、出久は今度こそしっかりと笑った。

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