雄英体育祭は必ずしも頂点を決めるだけを目的としたイベントではない。
祭りなのだ。日々に汗水垂らしてきた人々がその鬱憤を解放し、明るい笑顔で迎える特別な日。それはある意味市民の笑顔を守るヒーローの本懐でもあるのかもしれない。
経営科が営むたこ焼きやチョコバナナの屋台が立ち並び、サポート科謹製のアイテムが並ぶ露店では一般客がどれを買うべきか吟味している。
そんな明るい空気の中、最終種目に備えた出久は――
「ふぁい、おー!」
チアリーダーの姿ではしゃぐ蓮華を前に、頭を抱えていた。
最終種目前に用意されたレクリエーション、その一環として女子はチアリーダーで応援をしなくてはならない。……という、嘘をついた者がいた。上鳴と峰田、A組きっての煩悩コンビである。
彼らの口車にまんまと乗せられた八百万は女子全員分のチアユニフォームを創造し、そして彼女たちは着用してしまった。
そして蓮華は「私もA組の一員だからね」と自ら参加を申し出たのだ。
「少年、見てるかー!」
「見てますけど……その、なんていうか……」
非常によろしくない。
いつも黒く艶のある髪を背に流している蓮華がそれを束ねたことで垣間見える、透き通った白いうなじであるとか。
健康的な範囲で露出の多いチアユニフォームから覗く、普段は隠された肌であるとか。
クラスの女子達に交じってはしゃぐ蓮華の、無邪気で溌剌とした笑顔であるとか。
「ケロ、ノリノリね蓮華ちゃん」
「ふっふっふ。何を隠そう、お姉さんは高校時代に応援団長もやってたからね。こういうのはお手の物なのさ」
「そうなん!? なんか意外やわ、蓮華さん文化部っぽいし」
「部活入ってなかったから押し付けられたの。でも楽しかったからよし! 今日も楽しければよし!」
談笑しながらポンポンを振る蓮華を遠目に見ながら、出久は昨晩作って冷やしておいた自作のドリンクで栄養補給をしていた。
もちろん、蓮華もふざけているわけではない。
轟から聞かされた話に何か思うところがあったらしく、彼女はしばらく思い詰めたように冷気だけを漂わせていた。その気持ちを発散できるのなら、出久としても止める理由はない。
ただ、それとは別に意図があるような気もして、出久はなんとなく胸中をざわつかせていた。
幽霊として23年間漂い続けた蓮華。外界と切り離された彼女がわざわざ大衆の前に姿を現してはしゃいだ理由は、ただお祭りだからというだけではないような気がするのだ。
「せっかくかわいい格好したんだし、みんなで写真撮ろー! 私写んないけど!」
「お姉さん写ると心霊写真になっちゃうけどいい?」
「めっちゃいい!」
「いやすごいノリノリじゃん……マジであの馬鹿ども覚えとけよ」
やる気なさげに屈んで頬杖をついていた耳郎がぼやく。騙されて巻き込まれた彼女に応援パフォーマンスをする義理などありはしない。
ただ、結局は恥ずかしかっただけなのか、芦戸と葉隠に促されると渋々といった様子で写真を撮る輪に加わった。
「少年、カメラ係ー!」
「僕ですか!?」
「まあ、緑谷なら普通に撮ってくれそうだしいいか……」
「峰田とかに頼むとアングルやばそうだもんねー」
手渡された芦戸のスマートフォンを操作し、カメラを向ける。
一人は透明、一人は幽霊。それでも彼女たちにとっては青春の一コマなのだろう、笑顔でポーズの相談をしてはしゃいでいる。眩しくて出久は思わず目を細めた。
しばらくしてポーズを決めた6人。笑顔の彼女たちが画角に収まるように立ち位置を変え、シャッターボタンに指を添える。
「撮りまーす! はい、チーズ!」
「チーズー!」
画像フォルダに刻まれたその瞬間は、きっと一生ものの思い出になるのだろう。
返されたスマートフォンを操作してはしゃぐ芦戸たちを眺めていると、出久は意図せず自分の緊張がほぐされていることに気がついた。
最終種目への出場を辞退した尾白から聞かされた、心操の個性。その対策を考えて出久はすっかり頭が茹だっていた。緊張と不安で手の震えが止まらなくなるほどに。
しかし、仕上がった写真に手ブレはなかった。
「……ふふ、少しは力が抜けたかな。リラックスだよ、少年」
「お姉さん……」
いつもどおり浮遊して近づいてきた蓮華に目をやった出久は、視界に入った形のいいへそと引き締まった腰に思わず顔を赤らめた。
一緒に暮らす我が家でのちょっとした油断にすらドギマギさせられるというのに、こんな健康的で華やかな姿を見せられてしまったら出久はどうすればいいのか。
「少年にはちょっと刺激強すぎたかな?」
「な、なんのことか……わぷっ」
顔面をポンポンで叩かれる。
漂う甘く爽やかな香りが、今日はことさら出久の脳を揺らす。
「大丈夫、お姉さんが応援してるのは少年だけだよ」
囁かれたその一言に、出久のなかの何かが危うくこぼれそうになった。
グラウンドではレクリエーションの障害物競走が佳境を迎え、観客たちからも声援が飛んでいる。その全てがどこか遠くにあって、今は蓮華の纏う冷たさだけがそばにある。
高鳴る鼓動は止めようにも止まらず、脳の奥からこみあげてくる熱が脈打って騒々しいことこの上ない。
それなのに、蓮華の声だけははっきり聞こえるのだからたちが悪い。
「一緒に頑張ろう、少年」
「……ふぁい」
ようやく顔からポンポンを外された出久は、逃げるように思い切り息を吸った。肺いっぱいに満ちる新鮮な空気に思考が晴れ、そしてそこに混じる蓮華の冷気をつい意識してしまう。
危うく出久の何かが駄目になるところだった。
いつもの静かな美しさをたたえた蓮華なら大丈夫というわけではないが、チアリーダー姿はだめだ。先ほどまでの緊張とは違うドキドキで出久の心臓が痛いほどに弾む。
「なになに緑谷ー、アオハルしてんねえ!」
「ち、ちが、そんなんじゃ」
「実際、デクくんって何歳くらいから蓮華さんと一緒なん?」
「えっと、小学2年だから……8歳?」
「あのときはまだ7歳だったよ、7月の頭だったから」
「ガチの少年じゃん。へー、だから少年とお姉さんなんだ……」
わちゃわちゃと女子たちに取り囲まれて、出久は赤面した。
どうにも彼女たちは出久を警戒しない節がある。年下の男の子にでも見えているのだろうか。確かに出久は小柄だが、子ども扱いを受けるほどではないと物申したいところだ。
グラウンドから「みどりゃーあとで覚えとけよおまえー!」という峰田の絶叫が聞こえた気がする。障害物競走は最終盤、借り物競走に突入している。
出久からすれば峰田と上鳴のせいで散々ドギマギさせられるような状況に追い込まれたのだから、覚えとけよはこちらの台詞だった。ただ、少しも嬉しくないと断言できるほど出久は男を捨ててはいない。
邪な思いよ消え去れ、そう念じていると救いの声がかかった。
『最終種目の1回戦が間もなくだ、盛り上がってこうぜリスナー! 第1試合の緑谷と心操は控室で待機だ、ギア上げとけよー!?』
ついに最終種目が始まる。
一対一のガチンコバトル、シンプルゆえに実力が試される最後の難関だ。対人戦闘技術だけでなく、初見の個性にどこまで対応できるかの応用力も測られる。
出久はすでに二度勝った。あと一度勝てば、頂点に立つことができる。
オールマイトに誓った約束を果たすのだ。僕が来た、そう示すために全力を尽くす。たとえその相手がどんな重荷を背負っていようとも。
「デクくん、蓮華さん、ファイト!」
「ここから応援してるわ」
「みんな……ありがとう! 行ってくる!」
蓮華が空中でかき消え、そのまま出久の内側に冷気が満たされる。リラックスの時間は終わり、ここからは本気の勝負に向けてほどよく緊張を高めていく番だ。
声援を一身に受けながら、出久は控室に向かって早足で歩き出した。
スタンドを抜け、清潔な通路を通って控室へ。遠くから木霊するプレゼント・マイクの実況が、レクリエーションの決着を告げている。
――ここからは個人戦だね、少年。
「はい。でも、僕はひとりじゃありませんから」
――お、なかなか言うようになったじゃないか。
控室の扉を閉めると、いよいよ静寂がやってきた。
呼び出しのベルが鳴るまではここで待機しなくてはならない。備品を壊さない範囲であればウォームアップのために使うことも認められている。
しかし、出久はこの時間を思考することに充てた。
「洗脳の個性、どう思いますか」
――んー、私たちが同時にかからなければ大丈夫だと思う。解除条件は衝撃だっけ?
「尾白くんはたぶんそうだろうって言ってました」
第二種目の騎馬戦で、尾白は心操の洗脳によって無理やり騎馬を務めさせられた。結果として勝ち上がりはしたが、彼は自身のプライドを理由に辞退を決めた。
ストイックな男だ。実力を示す場だからこそ、実力で勝ち上がることを望んでいたのだろう。
その尾白から預かった「心操の個性」というバトンには、少なからず彼自身の悔しさも籠められている。勝ってくれ、彼の瞳はそう言っていた。
――あまり鍛えてる体つきじゃなかったよね、心操くん。
「それでも彼はここまで来た……個性が強いってだけじゃないと思います。心操くんも勝ちに来てる」
――うん。油断大敵、お姉さんが言うまでもなかったね。
2週間ほど前、心操はわざわざ宣戦布告のために1年A組の扉を叩いた。
それはきっと爆豪の宣誓と同じだ。彼は本気でヒーロー科への編入を目指している。本気で勝ちを狙う、そのために使えるものをすべて使って自分を追い込んだ。
その彼に出久はこれから勝つ。
控室の無機質な置き時計から響く秒針の音が、刻一刻と迫る第1試合の気配を感じさせる。最終種目が始まるのはここからだ。
――ふたりで一緒に勝とう、少年。
「もちろんです」
入場を促すベルが鳴った。