一対一のガチンコ勝負。ルールは簡単だ。相手を場外に落とすか、行動不能にするか、参ったと言わせれば勝ち。付け加えるならば、ドクターストップでも勝敗はつくだろうか。
怪我程度では止まらない、本気の戦闘。
本当のことを言えば、蓮華は出久が戦うことに乗り気ではない。この素直でまっすぐな少年が傷つく姿を見たいとは微塵も思わない。
ただ、彼が目指すところを知っているから、せめて少しでも負う傷が少ないよう手を貸す。あるいは魂を貸す。彼の個性になるとは、つまりそういうことだった。
『一回戦! 大人しそうな顔の割に大胆不敵な勝利宣言で会場は激アツだぜ! ヒーロー科、緑谷出久!』
スタンドから歓声が上がる。
ヘドロ事件で入学前から顔が売れていた爆豪、親にNo.2ヒーローを持つ轟。そのふたりを押さえて二度の1位通過を果たした出久に、今や会場中が期待の目を向けている。
緊張を少しでも収めようと深く呼吸する出久の内側で、蓮華は彼に寄り添った。
試合が始まれば、出久の内側はワン・フォー・オールの熱で満たされる。そのたびに蓮華は少しだけ、己の死を思い出す。だからこそ、蓮華は一度たりとも彼を衝き動かすその力の制御に失敗しなかった。
出久には言えない、ささやかな秘密。
『
気怠げに首を鳴らしながらステージに立つ心操。
決してだらしない身体というわけではないが、ヒーロー科の同級生と比べると一歩見劣りする仕上がりだ。素人の蓮華でも見てわかる。それでも彼はこの最終種目まで進んできた。
素の身体能力で言えば出久が上。それは誰よりも一番近くで見てきた蓮華が保証する。
問題は個性だ。尾白からもたらされた情報をもとに、蓮華は出久と彼の個性について対策を練った。それがどこまで通用するかは出久次第だ。
「『参った』か……わかるかい、緑谷出久。これは心の強さを問われる戦い。強く想う
『ごめんまだ目立つ活躍なし! 普通科、心操人使!』
「
心操の淡々とした、しかし嘲笑の色が垣間見える声。
強く握られた拳が出久の憤りを示している。
ただ勝てばいいわけではない。理念、覚悟、そういったものと勝ち進むことで得られるメリットを天秤にかけて、尾白は辞退を選んだのだ。
出久が尾白の判断に尊敬の目を向けていたのは蓮華も知っている。同時に、心操の言葉が所詮は個性を発動するための挑発に過ぎないということも理解している。
『レディィィィィイ――』
「チャンスをドブに捨てるなんて……バカだと思わないか?」
心操の嘲るような言葉に、出久の足が一歩前に動いた。
怒っている。
『――STARTォ!』
しかし、出久は反論よりも個性の発動を選んだ。
奥底から火が熾るように、地平線から日が昇るように、出久の内側を熱が満たしていく。蓮華が冷気で示した輪郭をぴったりなぞる塗り絵のようにして、彼の肉体は力で染まっていく。
「そうだよな、お前はこれくらいじゃ動揺しない。だって、
衝撃波を放とうと蹴りの姿勢に入った出久の脚が止まった。
耳を貸すべきではない。
心操の個性:洗脳は問いかけに応答した相手を支配下に置く、シンプルで強力なものだ。その個性に対抗するためには何を言われようとも反応しない心積もりでいなくてはならない。
出久は純粋だ。まっすぐに正義を目指し、まっすぐに誰かを想う。それは美徳と言っていい。しかし――
「幽霊の力を借りる個性……噂は普通科にまで流れてきたぜ。
「ッ! 僕は……!」
まっすぐだからこそ、出久は自分の過ちを許せない。
熱で満たされていた出久の肉体が急に醒めていく。地面を強く踏み、蹴り出そうとしていた身体がぴくりとも動かない。
きっと図星だったのだろう。出久はまんまと心操の術中――洗脳の個性によって支配されてしまった。
愚かだとは思う。蓮華はもう出久の個性なのだから、そんなことをいつまでも気にしている場合ではないのだ。彼はどうやって蓮華を使うかだけ考えていればそれでいい。
「……肝が冷えたぜ。だが、俺の勝ちだ」
心操の勝利宣言と微動だにしない出久に会場がざわめく。
通常の対戦相手であれば心操の勝ちが決まったと言っていい。これであとは、参ったと言わせるなり自ら場外へと歩かせるなりすればいいのだから。
問題は、彼の相手が
「――ああ、まったくもってまっすぐなお馬鹿さん。でもね、少年。君のそういう堪え性のない馬鹿正直なところ、意外と嫌いじゃないぞ」
ぬるい空気が体操服を揺らす。肉体に感じるのは化学繊維のしなやかな感触と、こもった熱に伝う汗、会場から突き刺さる視線。
口の中が緊張でねばついている。小さく息を吸えば、混じった砂埃が口の中でじゃり、と鳴る。
「だから……特別サービスだ。いや、むしろ私へのご褒美なのかな」
久しぶりに感じる肌を、肉を、神経を。すべてを総動員して、脈打つこの肉体に命令を送る。
機械人形が再起動するように、力を失った手が再び握られる。
背筋が伸び、視線がまっすぐ心操へと向く。
勝利を確信していた心操の表情が、さっと色を失った。
「……なんだ、お前?」
「なるほど、面白いね。問いかけへの応答をすれば内容は問わずに支配下に置けるのか。強い個性だ。訓練より実戦で輝くタイプだね、君は」
「ッ……なんなんだよ、洗脳は確かにかかったはず!」
「君は今疑問に思っているだろう。会話しているにも関わらず、私が沈黙しないのはなぜか。理由は簡単だ、私は君と会話をしていない。私は君の問いかけに反応を返していないんだよ」
「なんなんだ……なんなんだよ、お前は!」
「個性一本でやっていくのには限界がある。もっと身体を鍛えなさい。理性があるように見えて独り言を喋っているだけのヴィランも世の中にはいるものだ」
一歩踏み出した
出久は洗脳にかかっている。彼の意識は今深くに沈んでいるところだ。蓮華は漠然と彼がワン・フォー・オールの内側に引き込まれたことを知覚していた。
つまり、この身体は明け渡されている。
『心操の個性は強力だ。あの入試はつくづく非合理の極みだよ、ああいうやつを落としちまう。緑谷じゃなきゃ刺さってただろうよ』
『HEYHEYHEY、緑谷の個性ってのが俺にはまだよくわかってねーぜ! 騎馬戦のときに超COOLな美人侍らせてたよな?』
『言い方……まあいい。緑谷の個性は死霊憑き、幽霊を憑依させて力を借りる。あのときのあいつは緑谷に憑いてる幽霊だよ』
『緑谷はレーバイ体質ってやつか! 俺らも昔あったよな、林間合宿の肝試し終わった後、俺が金縛りに遭ってよ!』
『覚えてねえよ。つまり緑谷にとって洗脳は、選手交代だ。そうなんだろ?』
相澤の解説に小さく手を挙げてみせると、会場はさらにどよめいた。
出久が自我を奪われる。それはつまり、この肉体の所有者が制御権を手放すということだ。放棄された肉体を取り憑いて操作するなんて幽霊らしいことを蓮華ができないはずがない。
今、蓮華は23年ぶりに肉体を得ていた。
「個性の正体は割れた。幽霊が正体見たり、とでも言うべきかな。私は少年と違って、君の問いかけに応えるほど優しくない。さあ、どうする?」
「幽霊を憑かせる……はは、そんなのありかよ。ただ力を借りてるのとはわけが違うじゃねえか。最初からひとり分じゃない、実力に下駄履いてるってわけか?」
拳を構える。
出久ならきっと今の言葉にも反応してしまっただろう。しかし、蓮華はそこまで純粋ではない。
第一種目と第二種目での活躍を知っているからか、心操は仕掛けてこない。フルカウルの高機動から放たれる衝撃波を伴った打撃は、心操相手なら十分に決定打となりうる。
「どうしたんだい? かかってきたまえ」
拳法家の老師がするようにして、蓮華は挑発的にくい、と手招きをした。心操はそれに舌打ちをして、しかし、飛び込んでくる足取りはまだ腰が引けていた。
これは10割ハッタリだ。
蓮華には戦闘の心得がない。まるっきり、これっぽっちもありはしない。自己申告で「戦闘能力は野良猫にも劣る」と宣言しているとおり、蓮華個人の実力は入学前の出久にも及ばない。
幸いにして、無個性の娘を心配した両親のお陰で護身術は学んだ。様になる構えくらいはまだギリギリ覚えている。ただ、その先は何もない。
「……それでも、こんな個性でも夢見ちまったんだよ」
心操のテレフォンパンチを右腕で受けて、蓮華は23年ぶりに感じる痛みに頬を引きつらせた。
この衝撃で出久が目覚めてくれればよかったのだが、その気配はない。どうやら出久の意識は
「ッ……ああ、身体があるってこんな感じだったっけ」
踏み込んで蹴りを放とうとした心操の鼻先めがけて、指先から鬼火を放つ。
熱も痛みもないただの光源だが、そうと知らない心操は大げさに距離を取った。一見すれば炎を放ったように見えるだろう。
虚仮威しにハッタリ、口八丁。
観戦しているプロヒーローには通用しないだろうが、少なくとも目の前の心操を騙しきるくらいのことはできる。出久が目覚めるまで、蓮華は心操に警戒され続けなくてはならない。
いまだ意識を眠らせている出久を守るため、蓮華は無個性時代に培った技術の数々を全力で駆使していた。
「羨ましいよ。超パワーに超スピード、おまけに炎まで出せるなんて……さぞや期待されてきたんだろ、ここに」
個性を警戒して問いかけには答えない。
出久の身体を操作してはいるが、蓮華にワン・フォー・オールは応えてくれない。発動の権限は出久が握ったままのようだ。
そして、いくら鍛えた身体であっても蓮華が乗りこなせなければ意味がない。
鬼火を避けて心操が放った掬い上げるような蹴りをなんとか躱して、蓮華はため息をついた。新しい切り札が見つかったかと思えば、これはとんでもない大外れの札だ。
「……まったく、意外なところで課題が見つかるものだね」
「何を言ってる?」
「しかし、これは可能性でもある。君ならきっとそう思うだろう? だから――そろそろお目覚めの時間だ、少年」
蓮華は内側へと手を伸ばした。
幽霊だから見える、本来人間が知覚し得ない霊的な内側。魂の炉とでも呼ぶべきそこに立ち尽くす出久を、そっと撫でる。
ぐい、と蓮華は内側から引きずり降ろされた。
そして同時に、出久が踏み込んだ左足がステージに罅を入れた。
「――フルカウル」
再び出久の内側へと押し込められた蓮華は、その身体の隅々までみなぎる熱に目を焼かれた。
ワン・フォー・オールが胎動している。
蓮華は出久が継承したワン・フォー・オールの縁に間借りしている存在に過ぎない。だからこそ、その渦巻くような熱と、奥にきらめく九つの星を誰よりもはっきりと見ることができる。
これを見ていたのか。
巨大な炉で熱せられた鋳鉄のように、眩い銀河の恒星が発するエネルギーを一杯のコップに収めたように、その光は焼け付くほど眩しい。
どうやら出久は、ただのねぼすけというわけではなかったようだ。
「SMASH!」
波乱の1回戦。
勝利者として名を呼ばれた出久が心操と言葉を交わす裏側で、蓮華はありもしない心臓をぎゅっと押さえていた。
ひとつでも失敗していれば、蓮華は出久の目指す完全優勝を勝手に折ってしまっていたかもしれない。大切な誰かの夢を背負って戦うというのは、慣れない経験だった。
半透明の手が震える。まだ、緊張の余韻が身体を縛っているような気がして。