緑谷出久のことを少年と呼ぶ個性のお姉さん   作:海野波香

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二十五回忌 僕の二回戦で決意をみなぎらせるお姉さん

 炎が揺らめいていた。

 爆豪相手に健闘するも、麗日が敗退したあとのことだった。出久は麗日に背中を押されて、控室を後にした。

 そして、廊下を曲がった時、そこに炎がいた。

 

「え、エンデヴァー……!」

 

 何も言わず、その男は巨躯のあちこちから炎をちらつかせて、そこに立っていた。

 エンデヴァー。轟焦凍の父親であり、オールマイトに次ぐNo.2ヒーローとして知られる男だ。彼はじっと出久を見下ろしていた。

 その瞳は冷たく、しかし、どこか揺らいでいる。

 偉大な人物のはずだ。それなのにその輪郭はどこか、融けかけの傾いた蝋燭にも似ていた。

 

「……あ、あの、何か?」

「君の……個性は、今も一緒にいるのか」

 

 出久の内側で、冷気が拒むように脈打っている。

 蓮華は何も語らない。しかし、その冷気は過去にないほど吹雪いている。炎に顔を覆われたエンデヴァーがすぐ目の前にいるというのに、出久が寒さを感じるほどに蓮華は感情を荒ぶらせていた。

 

「……いや、そんなことはいい。俺にとっては()()()()()()()()()()だ」

 

 その言葉が聞こえた時、吹き荒んでいた冷気が一瞬だけ消えた。

 何かが抜け落ちたように、すとんと静まり返る蓮華。きっといいことではないというのは、出久にもすぐわかった。

 しかし、何をどうすればいいかわからない。

 出久はただ押し黙って、炎を揺らめかせるエンデヴァーを見上げていた。

 

「君の活躍は見せてもらった。興味深い個性だ。トータルスペックの高さと応用の幅、どちらも評価に値する。特に、まだキープしているパワー……そのポテンシャルはオールマイトにも匹敵するだろう」

「何を……言いたいんですか」

 

 とても称賛しているとは思えない冷たい瞳に睨み返す。

 エンデヴァーはオールマイト超えに執念を燃やしている。少しコアなところまで漁っているファンなら誰でも知っている事実だ。その彼から「オールマイトにも匹敵する」という評価を引きずり出したのは、とんでもないことだった。

 素直に受け止められないのは、出久の個性がオールマイトから継承したものだからというだけではない。彼から少しも褒めようという気を感じないのが、出久の違和感になっていた。

 

「僕、試合があるのでもう行かないと」

 

 隣を通り過ぎようとしたとき、エンデヴァーが低い声で囁いた。

 

「ウチの焦凍にはオールマイトを超える義務がある」

「ッ!」

「君との試合は変則的ながら有益なテストベッドだ。くれぐれも、みっともない試合はしないでくれたまえ」

 

 出久は思わず振り返った。

 試合のことも忘れて、出久はエンデヴァーを睨んだ。昼休憩に聞かされた轟の出生、個性婚の話を思い出したからだ。

 そして何より、今も内側で渦巻く蓮華の感情が出久の神経を刺激していた。

 

「僕は、オールマイトじゃありません」

「そんなものは当たりま――」

「当たり前のことですよね。轟くんも、あなたじゃない」

 

 エンデヴァーがかすかに目を細めた。

 言葉にできない苛立ち、不快感、そして悲しみ。それはきっと、奥底でつながった蓮華と共有している感情でもある。そして、プロヒーローとしてエンデヴァーを尊敬していた出久自身のものでもある。

 

「それが、あなたの正義なんですか」

「ッ……それ、を」

 

 自然と口をついて出たその言葉に、エンデヴァーははっきりと表情を歪ませた。

 もしかすると、これは蓮華の言葉だったのかもしれない。

 今や荒ぶる冷気は出久の全身から溢れ出ていた。狭い廊下に立ちはだかるエンデヴァーの巨体を押し潰すように、うねり、渦巻いている。

 つながった奥底で、出久は蓮華の決意を感じた。

 

「僕は僕として、轟くんと戦います。どっちが勝っても、あなたは部外者だ。……失礼します」

 

 立ち去る出久の背に視線が突き刺さる。

 振り返ることはしなかった。これ以上、沈黙したままの蓮華を苦しめたくなかったからだ。

 内側にいるときの蓮華は姿を持たない。だから、表情もないし、声を発さなければその冷気の揺らめき次第でしか感情を感じ取ることはできない。

 しかし、出久は不思議と蓮華が泣いたのを感じた。彼女の涙がその透き通った頬を伝うのを、感じ取ってしまった。

 

「……勝ちましょう、お姉さん。全力で」

――うん。……ごめんね、少年。

 

 その謝罪が何に向けられているのかは聞かなかった。

 廊下を抜け、ゲートを潜る。日は傾きはじめていたが、それでもなおスタジアムの熱気は最高潮に高まっていた。

 ステージにはすでに轟が立っていた。

 お互い何も言わずに向き合う。

 

『今回の体育祭で両者トップクラスの成績! まさしく両雄並び立ち、今!』

 

 プレゼント・マイクの口上もどこか遠い。

 出久は今、これまでにないほど集中していた。不思議な感覚だった。怒りや決意で腹の底は煮えたぎっているのに、全身の神経が感じ取れそうなほど世界が透き通っている。

 そしてその全身に、蓮華の冷気が浸透していく。

 

『緑谷バーサス轟! ――START!』

 

 エンデヴァーに言われるまでもなく、みっともない試合はしない。

 開始の宣言と同時に、出久は拳を振り抜いた。

 迫りくる氷壁が、寸前で砕け散る。日光の下に散る個性のダイヤモンドダスト。その無機質な冷たさを貫くように、出久はもう一発を叩き込む。

 

「ッ、俺に守りの択を押し付けてくんのか」

 

 出久が放った衝撃波は轟の氷に阻まれた。そしてそこから波及するように伸びる氷を出久の蹴りが砕く。

 持久戦。

 授業を含めても、轟の情報は少ない。それは彼が全ての戦いを速攻戦で片付けているからだ。彼の氷にはそれを可能にするだけの速度と威力がある。

 しかし、個性は身体機能だ。彼の父親であるエンデヴァーが排熱に問題を抱えているように、氷を操る彼にもまた必ず何かしらの反動がある。

 一度拘束されれば終わりの敵を相手に、出久は情報を取ることを選んだ。

 

「お前にばっか攻めさせる気はねえぞ、緑谷」

 

 轟の手と脚、両方から氷が放たれる。

 さながら氷の城壁となって迫りくるそれは、出久がこれまで使ってきたフルカウルのパワーでは砕けない。所詮は6%、力不足は否めなかった。

 だから、出久は躊躇せず指をつがえた。

 

「――SMASH!」

「ッ……!」

 

 右手の中指に走る激痛。内出血で変色している。骨がやられただろう。

 しかし、犠牲を払った甲斐はあった。

 完全にリセットされたステージの上で、轟がかすかに震えていた。恐怖ではないことは目を見ればわかる。

 

――攻略法が見えたかい、少年。

 

 出久は返事の代わりに笑った。

 オールマイトのように。誰かを勇気づける、憧れのヒーローのように笑って、痛む手を握りこぶしに変えた。

 

「震えてるぞ、轟くん」

「ッ……」

「僕が言っても説得力ないかもだけど……個性だって身体機能のひとつだ。君自身、冷気に耐えられる限度があるんだろ? でもそれは、左側を使えば解決できるもんなんじゃないのか」

 

 攻略法は見えた。

 千日手。出久がフルカウルで氷を防ぎ続ければ、先に轟がダウンする。最も当たり前で、最も普通の勝ち方だ。

 ()()()()()()()()()

 

「皆、本気でやってる。勝って一番になりたい。僕だってそうだ。半分の力で勝つ?」

 

 見せつけるように拳を掲げる。

 轟に、そしてエンデヴァーに見せつけるように、この勝負で負った唯一の傷を高々と掲げて、出久は宣言した。

 

()()でかかってこい! 僕はまだ、君に傷ひとつつけられちゃいないぞ!」

 

 会場がわっと沸き立った。

 青臭いのが好みと宣言しているミッドナイトの歓声が聞こえる。同時に、解説席に引っ張り出されている相澤の呆れた声も。

 幾度も氷を砕いたステージの上は湿り気を帯び、そしてうっすらと冷たい。スタジアムの熱気と隔絶された世界で、轟が怒りを剥き出しにして出久を睨んでいる。

 

「何のつもりだ……全力……? クソ親父に金でも握らされたか? イラつくな……!」

 

 飛び込んでくる轟。

 個性だけでなく、身体能力も高い彼にはインファイトという選択肢がある。出久の反応速度を超えて凍りつかせることができれば彼の勝ち。その代わりに、出久が当てれば彼の負け。

 リスキーだが、正しい選択だ。拮抗状態を打破できる唯一の選択だっただろう。

 出久が超火力のインファイター(爆豪勝己)を仮想敵としての特訓を積んでいなければ、の話だが。

 

「ぐっ……」

 

 出久の拳が轟の腹にめり込む。砕けた指が軋んでいる。

 吹き飛ばされた轟はなんとか場外に出ずに留まったが、苦しげに呻いて腹を押さえていた。

 それでも攻勢を緩めないのは怒りゆえだろうか。迫る氷壁を出久は蹴り砕く。氷の密度が下がり、砕けやすくなっている。

 蹴り飛ばされた氷の破片が、動きの鈍った轟の頬を斬る。

 出久は勝ちたかった。

 全力の轟焦凍に、勝ちたかった。

 

「なんで、そこまで」

「痛いよね。僕も痛い。でも、笑って期待に応えられるようなカッコイイ人になりたいから、僕はここまできた」

 

 出久は拳を突き出した。

 

「君の境遇も、君の決心も、僕なんかに計り知れるもんじゃない。でも……全力も出さないで一番になって完全否定なんて、ふざけるなって今は思ってる!」

 

 つがえた薬指が特大の氷壁を破砕する。

 轟の体にはもはや見てわかるほどの霜が降りていた。通常なら低体温症でダウンしていてもおかしくないところを、彼自身の個性が生かしている。

 そう、彼自身の個性が。

 借り物ではない、彼だけが持つ、彼が生まれ持った力が。

 

「僕が勝つ。超えていくよ、君を」

「俺は――俺は、親父を……!」

「僕を見ろ、轟焦凍!」

 

 砕けた氷壁が生み出した氷点下の霧、その中で崩れ落ちようとしている身体を必死に立たせている轟に向かって、出久は叫んだ。

 

「――君の、力じゃないか!」

 

 出久の力は借り物だ。どこまでいってもそれは変わらない。きっと、この罪悪感が消えることはないのだろう。

 それでも勝ちたい。

 幼馴染の使いそうな言葉を借りるのなら、出久は「完膚なきまでの一位」になりたい。それ以外の順位に興味はないのだ。

 だからこそ、自分だけの力を出し惜しみするようなやり方でライバルが負けることは、絶対に認めない。

 轟焦凍が下に見ていようと、出久にとっては対等なライバルなのだから。

 

『これは――!?』

 

 ごう、と熱風が吹いた。

 それは冷え切った世界が上げた、荒々しい産声だった。

 

「――勝ちてえくせに……ちくしょう……敵に塩送るなんて、どっちがふざけてるって話だ」

 

 炎を纏い、絡みつく霜を溶かして。

 霧を晴らした轟が、笑った。

 

「俺だって、ヒーローに……!」

 

 ようやく出久と轟の試合が始まる。

 そのとき、スタジアムの観客席から大きな声が響いた。

 

「――焦凍ォオオオ!」

 

 その無粋な歓声は、轟の父親であるエンデヴァーのものだった。

 霧が晴れた今、ステージからでもわかるその歪な笑み。狂ったような熱気を帯びた眼差し。エンデヴァーの炎がなぜだか悍ましく思えて、出久は目を逸らした。

 

「やっと己を受け入れたか! そうだ! いいぞ! ここからが――」

 

 しかし、彼の言葉は続かなかった。

 出久の身体から抜け出した蓮華が、腰に手を当ててエンデヴァーを睨みつけた。

 その視線はまっすぐで、揺らがない。漂う冷気は波打っているが、それでも落ち着いている。

 そして、彼女は出久が知る限りで初めて、怒鳴り声を上げた。

 

「――()()!」

 

 この人はこんな声で怒るのか、とか。

 炎司というのはエンデヴァーの本名なのだろうか、とか。

 やはりエンデヴァーのことを知っていたのか、とか。

 いくつもの納得と不思議がないまぜになった気持ちの向こう側で、この世のものとは思えない蓮華の美しい横顔が凛々しくエンデヴァーを射抜いている。

 

「……そうなのか、お前は、やはり」

「君の……君の野望は、君のものでしょうが! 諦めたんならさっさと引退すれば!? この意気地なし!」

 

 会場の困惑と沈黙するエンデヴァーをよそに、蓮華は振り返って轟に視線を向けた。

 

「焦凍くん。あいつぶん殴るときはお姉さんも手伝うから」

「あんた……親父と知り合いだったのか」

「うん、知り合い()()()。でも、今は関係ない。お姉さんはただのおちゃめで知的な幽霊で、そして君のライバルの個性さ」

 

 そうか、と轟は笑って、炎を纏った左拳を構えた。

 蓮華が出久の内側に戻り、静まり返ったスタジアムの中で、いよいよ両雄並び立つ。

 勝負は一瞬で決まる。出久の中には奇妙な確信があった。

 氷を足場に、そして炎を推進力に翔ける轟。

 フルカウルの出力を限界まで高め、指を犠牲にすることも覚悟の上で立ち向かう出久。

 

「緑谷――」

 

 轟の唇が、「ありがとな」と掠れた声で囁いた。

 爆風に包まれるステージ。

 出久は瞬時に何が起きたかを理解した。限界まで冷やされた空気が急激に熱されて膨張したのだ。そこに出久のスマッシュが加わって嵐が生まれてしまった。

 乱気流に吹き飛ばされ、あたり一帯は霧に包まれている。このまま着地すれば場外になるかもしれない。

 しかし――

 

――これくらいの暴れ馬、乗りこなしてみせるよ!

「お願いします、お姉さん――オーバー・ポゼッション!」

 

 全身に満ちる力の制御を蓮華に委ねる。

 渦巻く熱風の内側で、出久はまるで波に乗るように漂っていた。流れを読み、腕と脚を駆使してその渦を己のものへと変えていく。

 そして、高熱の爆風が過ぎ去ったそのとき――

 

「――轟くん、場外! 緑谷くん……三回戦、進出!」

 

 ステージに降り立った出久に、スタジアム中から歓声が浴びせられる。

 暴風に追いやられた轟は、それでもギリギリまで氷で抗ったのだろう、足元がまだ溶けた氷の跡でぐっしょりと湿っている。しかし、そこはラインの外だ。

 出久が握りこぶしを向けてみせると、呆れたように笑って同じポーズを取った。

 万感の思いで交わしたフィスト・バンプ。

 清々しい表情の轟を見て、きっと自分も同じような顔をしているのだろうと出久は思った。

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