ベスト4まで来てしまった。
爆豪が切島の速攻策を打ち破ったことで、全ての2回戦が終了。これにより、常闇、飯田、爆豪、そして出久の3回戦進出が決まった。
ここまでの試合で、出久はそれなりに消耗している。特に轟戦で指2本を犠牲にしたのが大きい。治癒のためにそれなりの体力を必要とされてしまった。
万全とは言えないコンディション。強力極まりないライバル。
「緊張するかい、少年」
「ししししません、ただただ、あ、あがります」
幼馴染の真似をしてみても、ドリンクボトルを握る手の震えは誤魔化せない。
3回戦の控室で、出久は緊張に身体を強張らせていた。
ここで勝てば、決勝。
応援に来てくれたクラスメイトたちも気を使って帰ってしまった今、出久は自分自身の緊張と向き合うしかなかった。
これまで緊張していなかったわけではない。しかし、それを上回る集中力がなんとか緊張を抑え込んでくれていた。轟戦でのエンデヴァーを見て、妙に気が抜けてしまったのだ。これは言い訳になってしまうだろうか。
今自分がこうして選手控室にいること自体が奇跡なように思えてくる。出久は震えを誤魔化すようにもう一口お手製のドリンクを呷った。
「うーん、やっぱ強く揉もうとするとすり抜けちゃうな。お姉さんにマッサージ師は向いてなさそうだ」
パイプ椅子に座り込んだ出久の肩を少しおどけた様子で揉む蓮華の表情は柔らかい。轟戦まで抱えていた揺らぎとは今のところおさらばしたようだった。
体育祭が終わったら、訊きたいことがたくさんある。
蓮華の過去について知るためにも、出久は自らの手で優勝を掴み取りたかった。そう示されたわけではないが、ここで勝てば胸を張って訊けると思ったからだ。
エンデヴァーと対面した時に蓮華が見せた、渦巻くような苦しみ。大切な人が言葉も発さずに苦しむ姿を全身で感じて、何も知らないままでいられるわけがなかった。
しかし、それはそれとして飯田が強敵なことに変わりはない。
勝たなければ何も始まらない。
「飯田くんはプロヒーローの家系だ。当然、ノウハウも共有されてると思ったほうがいい」
「そう、ですね……しまった、それならインゲニウムの分析ノートを持ってくればよかった……!」
「大丈夫だよ、少年」
蓮華の柔らかく冷たい腕が出久の頭を掻き抱く。
「おおお姉さん!?」
「今更焦らなくても、全部ここに入ってるんだから。君の武器はノートじゃなくて頭脳、そうだろ?」
後頭部に感じる柔らかな感触と、脳を直接くすぐられるような囁き。その両方に込められた優しい冷たさが、じわりと出久の緊張を奪っていく。
そうだ。出久はずっと準備してきた。
ノートがなくとも、出久の頭にはプロヒーローたちの、そしてライバルたちの個性や戦い方が叩き込まれている。
「少年の野蛮で物騒な幼馴染は、確かにすごいやつだよ。でも、観察眼と分析力で言えば、君は彼のずーっと上をいっている」
「ずーっと、上……」
「見て、考えて、答えを導き出す。その力が君にはある。そしてね、少年。導き出した答えに手を伸ばす勇気だって、君には備わっているだろう?」
存在しない幽霊の鼓動が、冷気を通じて伝わってくるようだった。半透明の肉体に呑まれ、きっとこの世の言葉では形容できない優しい柔らかさに揺蕩う。
静かな控室の中で、出久の意識はいつの間にかその冷たさだけに集中していた。
甘く爽やかな蓮の香りが、出久の脳を痺れさせる。余計なことばかり考えていた思考回路が機能を停止して、ただまっすぐな意思だけが残っていく。
「少年。無鉄砲なお馬鹿さん。可愛い可愛い、私のヒーロー。君の名前を言ってごらん」
「緑谷、出久です」
「そして、その個性になった、最高にお茶目で知的な幽霊のお姉さんは?」
「美珠蓮華さんです」
「私達はふたりでひとつ。最強のコンビだ。この試合で勝とうが負けようが、そこに何の変化もない。だからさ、教えてやろうよ、ヒーロー」
私たちが来た、ってね。
その囁きに、出久を縛っていた緊張の鎖はとうとう砕け散った。そうだ、出久は勝つためにここにいるのではない。世に知らしめるために勝つのだ。
目的と手段の逆転から解放された出久は、冷たい空気を目いっぱいに吸い込んで立ち上がった。
するりと蓮華が出久の内側に溶け込む。
「……ありがとうございます。教えにいきましょう、世界に」
――うん、新しい時代を叩きつけてやろう。気持ちいいくらい盛大にね。
入場を促すブザーが鳴った。
***
飯田天哉から見て、緑谷出久というクラスメイトは不思議な人物だった。
第一印象は決していいものではない。試験会場で彼の態度を飯田は妨害の意図ありと判断したし、そう思う程度には飯田の集中は乱されていた。もちろん、飯田がナイーブになっていたという点は考慮されるべきだが。
実技試験の終了後に、飯田は出久の評価を改めることになった。あの場で彼だけが試験の意図を理解していたからだ。
そして、入学後にその評価はさらに高められた。彼は試験の意図を理解していたのではない。試験とは関係なく、その心に従ってヒーローのあるべき姿を実践したのだ。
出久は尊敬すべき、そして見方によっては同情すべき級友となった。
「――緑谷くん」
ステージの上で向き合う出久の表情には、迷いも怯えもない。ただ自然体の彼がそこにいる。
きっと、出久の個性――美珠蓮華の導きがあったのだろう。クラスの一員として接するなかで、飯田は度々彼女の「先達らしさ」に感嘆させられていた。
蓮華はどこか飯田の兄、インゲニウムとして知られる天晴に似ている。
朗らかで、人の心を掴むのがうまく、頼ったり任せたりすることに躊躇しない勇気がある。チームの総合力で勝負するインゲニウムの要とされる、集団の強さがそこにある。
飯田にはない、真似の仕方もわからない強さだ。
「君に……君たちに挑戦する機会をもう一度得られたこと、とても嬉しく思う」
「僕も、飯田くんと戦えて嬉しいよ」
その言葉にいつも出久が見せる躊躇いはない。
飯田に出久を舐めてかかるという選択肢はなかった。機動力では当然飯田が上回る。しかし、総合的に見れば出久には飯田ができないことをやってのけるポテンシャルがある。
傾きはじめた陽射しが、飯田の首筋に汗を伝わせる。今か、今かと開始の合図を待つ神経がひりついて、脈拍を加速させている。
飯田の策は必殺技、レシプロバーストでの速攻。開始と同時に出久の反応速度を超える蹴りで体勢を崩し、そのまま場外を狙いたい。
しかし、出久には蓮華というレーダーがある。
「君たちの快進撃をここで止める」
「僕はまだ止まらないよ」
不気味なほど落ち着いていて、そして自信に満ちあふれている。決して天狗になっているわけではない。慢心しているわけでもない。
普段の出久なら、とっくに緊張で顔を青くしているところだ。彼が飯田とまた違った形でナイーブな面を持つことは、この数ヶ月の付き合いで理解している。
では、なぜこうも落ち着いていられるのか。
それはきっと、蓮華がいるからだ。出久には高い志がある。そして、蓮華は初志を貫徹させるための盾として出久を支えている。
鋭利な槍と、鉄壁の盾。さながら出久はヒーローの原型、古代の英雄と言ったところか。
『準決! サクサクいくぜ! ヒーロー家はこいつの快進撃を止められるのか!? 飯田天哉バーサス緑谷出久!』
飯田には意地がある。
プロヒーローの一族として、尊敬する兄の名を汚したくないという意地が。いつか兄と肩を並べて戦うのだという夢が。
『――START!』
先手を取ったのは飯田だった。
空中機動では出久に一歩及ばない。ベタ足のインファイトでは超パワーの一撃がすべてを終わらせてしまう。
しかし、地上での機動戦なら飯田のフィールドだ。
「レシプロバースト!」
まるで動きを予測していたかのように、出久は斜め後方の空中へと飛び退いた。
轟戦での出久の挙動を飯田はしっかり観察していた。彼は地上戦での動き方にまだ慣れていない。しかし、空中ではまるで幽霊のように掴みどころのない動きをする。
1回戦で起きた入れ替わり現象と併せて考えれば、彼の空中機動は蓮華が担っていると考えるのが妥当だろう。
蓮華は20年以上幽霊をやっていた。それはつまり、20年以上
「空中には、逃げさせない!」
エンジンが止まるまでの10秒間、飯田の脚力は大幅に増幅される。
飯田が勢いよく空中へと跳び上がり、舞い上がった出久の胴に
脚力の増幅は瞬発的な跳躍力にも当てはまる。まだ、出久には見せていなかった動きだ。
速度。瞬発力。
飯田は最大限に自分の強みを活かして出久をステージへと引きずり降ろした。
残り8秒。
「決める!」
受け身を取る間もなくステージに叩きつけられた出久のジャージを掴む。
このまま走って場外へ放り出せば、そこで飯田の勝利だ。飯田の機動力を持ってすれば、エンジンが止まるころには出久の敗北は確定している。
残り7秒。
「――させ、ない!」
ごう、と吹き荒れた突風に、飯田の身体が揺らがされた。
その突風は足を掬うようにして立ち上がった。まるで飯田と出久を切り離すように。重みがすり抜ける感触に振り返った飯田は、出久が立ち上がるのを目にした。
ジャージの背が破けている。超パワーで回転を生んで引きちぎったのだ。
引きずられている身体でここまでできるとは。
残り5秒。
「しかし……まだだ!」
咄嗟に放った蹴りを出久は受け止め、そのままの勢いで飯田を放り上げた。
空が青い。
制御を失ってただ空中を飛んでいく飯田に、つい先ほどまで目指していたはずの場外ラインが迫っている。本当なら、出久をそこに放り出していたはずの。
「オーバー・ポゼッション……!」
空中で体勢を整えて着地しようとしていた飯田は、視界に入った出久の表情に負けを悟った。
彼は笑っていた。
嘲りではない。勝ちを確信しているような素振りもない。ヴィランによくいるような、戦いに酔った笑みでもない。
拳を構えるその姿に、飯田はオールマイトを幻視した。
「SMASH!」
放たれた冷たい衝撃波が飯田を押し出す。
「……やはり、君はすごいやつだな」
衝撃波に支えられる形で場外に軟着陸させられながら、飯田は思わず笑っていた。
見せつけられた気分だ。心をひとつにして、互いが互いのできることを補いあって、目指すべきところへ着実に手を伸ばしていく。なんと美しい連携だろうか。
これはインゲニウムにあって、飯田天哉にないものだ。
『飯田くん、場外! 緑谷くん――決勝進出!』
なんだかひどく妬ましくなって、飯田は雲ひとつないスタジアムの空を見上げた。負けてしまった。模範としていた兄に似た、飯田が真似できなかった強みを見せつけられて。
無性に兄と話したい気分だった。