緑谷出久のことを少年と呼ぶ個性のお姉さん   作:海野波香

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少しずつ復活です。


三十回忌 僕のことを着せ替え人形にして楽しむお姉さん

 散々からかわれながらも出久が大きな書店で数冊の入門書と小説を買ったあとのこと。

 日が落ちはじめてきた東京で、出久は悲鳴を上げていた。

 

「お姉さん、これ以上はもう……」

「何言ってるのさ、お楽しみはこれからだよ?」

 

 ぐったりと垂れ下がった出久の腕を蓮華が絡め取る。

 空調の効いた室内だというのにやけに暑い。それでいて、感じる疲労は日頃の厳しいトレーニングに勝るとも劣らない。肉体の消耗を遥かに上回る、精神的な摩耗。

 出久は今、蓮華の着せ替え人形になっていた。

 

「うーん……やっぱり鍛えてるだけあって意外とがっしりしてるんだよね。せっかくいい身体してるんだから、オーバーサイズはもったいないよ。はい、次これね」

 

 言われるままに試着室で新しい服を着る。

 出久にはおしゃれがわからない。動きやすさと安全性を考えてスニーカーだけはいいものを買っているが、あとは夏場など適当なTシャツとナイロン生地の短パンで済ませるのがほとんどだ。

 しかし、これからは蓮華が出久の身体を使うこともある。出久の恥は蓮華の恥だ。今までどおりというわけにはいかない。

 

「お姉さんのセンスが疑われるのはちょっと癪だからね。少年のファッションセンスはこの際もう諦めてるけど」

「あ、諦め……ひどくないですか?」

「オールマイトの顔面プリントTシャツを普段着にしてるやつの文句は受け付けませーん。着替え終わった?」

 

 出久がカーテンを開くと、蓮華は脳天から爪先まで出久をじっくりと観察して、それから満足気に頷いた。

 スリムなシルエットのヘンリーネックTシャツに、灰がかった紺のサマーカーディガン。ボトムスは黒のストレッチチノで、アンクル丈のものを合わせてスニーカーを強調している、らしい。

 専門用語の嵐に出久の脳はパンクしそうだったが、とにかく蓮華が満足するコーディネートにはなったようだ。

 

「うん、いいね。アクティブだけど落ち着いてて頼れる感じだ」

「そう、ですかね」

「そうだとも。ヒーローのコスチュームと同じさ、人にどういう印象を与えたいかで選ぶ服って変わってくるもんだよ。もちろん、着たい服を着るのが一番だけどね」

 

 そう言われてから改めて姿見で自分の姿を見ると、そういうものかという納得が出久の内に生じた。確かに落ち着いて見える。大人っぽいと言ったほうがいいかもしれない。

 出久は同世代と比べると少し背が低いほうだ。ただでさえ個性の関係で大柄な人が多い中、出久の対格は決していいとは言えない。それなのに、そう思わせないだけの余裕、安心感のようなものを感じる。

 これをプロヒーローのコスチュームとして考えるなら、市民を安心させるために騎士甲冑をモチーフにしたデザインを採用しているインゲニウムのコンセプトと近いかもしれない。

 

「服ってこういう風に選ぶんですね……」

「まだ背も伸びるだろうし、卒業したら選び方も変わってくるよ。意外とトラッド寄りなのも似合いそうだ」

「トラッド?」

「スーツみたいなカチッとしたやつ。秋になったらお姉さんがジャケットを見立ててあげよう」

「……またやるんですか!?」

「おいおい、当たり前のことを聞かないでよ。これはお姉さんへのご褒美なんだろう? なら、これからもあるに決まってるじゃないか」

 

 そう、出久の服を選びたいと言い出したのは蓮華だ。

 たかが服選びにここまで疲労するとは思っていなかった出久としては遠慮したいところだった。雑に選んだTシャツだけで過ごしてきた人間にとっては軽めの拷問ですらあった。

 しかし、言外にこれからも力を貸してくれることを匂わされて、出久は結局喜んでしまう。自分でもちょろいとわかっていながら。

 

「着て帰ろっか。お義母さん、きっと驚くぞー」

「それはちょっと、いいかもですね」

 

 息子の垢抜けた姿を見て驚く母の姿を想像して、出久はくすりと笑った。

 それから会計を済ませ、着てきた服を紙袋に詰めて、出久と蓮華は駅のホームで新幹線を待っていた。

 こんなに遊んだのはいつぶりだろうか。

 ヒーローを目指すため本格的なトレーニングを積むようになってから、遊びとは無縁の生活を送ってきた。充実して、しかし、張り詰めたような日々だった。

 西の空、帰るべき我が家の方角に夕日が沈んでいく。

 

「ね、少年」

「なんですか?」

 

 真っ赤な空に横顔を照らされながら、正面を向いたまま、蓮華が穏やかに微笑んだ。

 

「今日はありがとう、楽しかったよ」

「いや、お礼を言うのは僕のほうっていうか、その……」

 

 あれこれ浮かんだ言い訳の言葉を、全部かき消して。

 

「僕も……楽しかったです」

 

 その言葉に満足気に頷いて、蓮華は出久の空いている手を取った。

 柔らかで、冷たくて、自分の手とは正反対の手。掴もうとしても掴めない幽霊の手が、出久の手を握っている。じわり、と体温がうつっていく。

 いつか蓮華は「幽霊は寒くてたまらない」と言っていた。もし、出久の手がこうして少しでも彼女の暖になっているのなら、それはとても嬉しいことだ。

 

***

 

 出前の寿司桶をふたつも空にした、その晩のこと。

 蓮華は緑谷家の自室として貸し与えられたその部屋で、ベッドに腰掛けてノートパソコンを操作していた。

 タッチパネルが主体のスマートフォンは幽霊の肉体では扱えない。キーボードとマウスだけで操作が完結する廉価なモデルのノートパソコンは今日の戦利品のひとつだ。

 

「んー……意外だな」

 

 思わず独り言が漏れる。

 蓮華が調べていたのは雄英体育祭絡みのニュースだ。出久の個性としてとはいえ、やや派手すぎるくらいに動いてしまった。

 純真な出久にはマスコミとやりあうのは荷が重いだろう。それは蓮華の仕事だ。

 特に、轟家とのあれこれは醜聞と言って差し支えない。これからどう動くべきか考えるためにも、まずはどう報じられているかを確認するつもりだった。

 しかし、蓮華とエンデヴァーの関係に言及している記事はほとんど見当たらない。

 

「……はーあ、やだやだ」

 

 思い当たる可能性にため息をついて、蓮華はノートパソコンをパタリと閉じた。

 雄英体育祭はかつてのオリンピックに取って代わる一大イベントだ。その最中に繰り広げられたやり取りは、たとえ些細なものであっても値千金と言っていい。

 その報道を封殺できる人物など、この世にどれだけいるだろうか。

 

「権力の使い方ばっかうまくなって、まったく」

 

 エンデヴァーが圧力をかけたのだ。

 彼の妻、冷が入院していることについても記事はないに等しかった。明らかに目立つ焦凍の火傷痕も、話題として取り上げているものはない。

 もちろん、メディア側の忖度もあるのだろう。サイドキックを持たないオールマイトを除けば、エンデヴァーは国内トップのヒーロー事務所と言える。敵に回していい相手ではない。

 しかし、かつての友人が暴君になっているのを見るのは、少し堪える。

 寝る前に買った画集でも開こうかと本棚に向けた視線を彷徨わせていたそのとき、控えめなノックが転がり込んだ。

 

「お姉さん、起きてますか?」

「ん、入っていいよ」

「失礼します。あ、早速使ってたんですね、パソコン」

 

 曖昧に微笑んで、蓮華はベッドサイドのテーブルに置かれたマッチを擦り、アロマキャンドルに火を灯した。引子と一緒に作ったもののひとつだ。

 カモミールの優しい甘さが部屋に充満していく。揺らぐ光の中で出久の影が壁に立ち上がる。

 

「それで、どうしたんだい?」

「その……本、貸してもらおうと思って」

「本当に? 読む暇ある?」

「あります! なくても作ります!」

 

 あまりに張り切っているものだから、おかしくて蓮華はつい笑ってしまった。

 ヒーロー科は忙しい。一般科目だけでも必死に食らいつかねば置いていかれる。そこに科独自の座学と実技が加わり、自主トレーニングも欠かせない。

 それでも己の趣味に興味を持ってくれると言われれば、嬉しいよりも心配が勝つというものだ。

 しかし、こうなった出久が折れないことは蓮華もよく承知している。ベッドから立ち上がり、本棚の前に立って考えを巡らせた。

 

「読めないってわけじゃないもんね。現代文の成績はむしろいいほうだし」

「そうですね、受験科目の中では割と」

「教科書の作品で好きなのとかあった?」

「好きなの……あっ、『走れメロス』がけっこう好きでした。なんか、こう……大変だったけど、最後はうまくいってよかったなあって」

「なるほどね、わかるよ」

 

 悪戯心と良心が拮抗していた。

 苦労に苦労を重ねて何も成し遂げられないような不条理な作品を読ませてみようか。いや、せっかく興味を持ってくれたのだから似た傾向の楽しめる作品をすすめるべきではないか。

 戯曲は読みにくかろう、旧仮名遣いは避けたほうがよかろうと思いつつも、この作品を読んだら出久はどんな顔をするだろうかと気持ちがはやる。

 ややあって、蓮華の指先が一冊の古びた文庫本を取り出した。

 

「ちょっと難しいけど、頑張れるかい?」

「もう……僕、高校生ですよ」

「はは、ごめんごめん。じゃあ、これを貸してあげよう」

 

 出久は少しむくれていたが、感謝の言葉を口にして本を受け取った。

 選んだのはゲーテの『ファウスト』だ。向上心あるファウスト博士と、神と彼の魂を賭けて悪の道へと誘惑する悪魔メフィストーフェレス。その関係はふたりと似ていて、全く違う。

 

「長いお話だからさ、途中途中で感想聞かせてよ。それで、楽しめるようなら続きも貸してあげる。まずは第一部が合うかどうかからね」

「が、頑張ります……!」

「頑張らないで」

 

 ふいにこぼれた言葉が、部屋の静けさを取り戻した。

 蝋燭の火が揺れている。

 ラグの敷かれた部屋の床から少し浮いて漂う蓮華を、出久は少し驚いたように見上げていた。驚いているのは蓮華も同じだった。しかし、それは本心でもあった。

 

「……読書なんてさ、頑張ってするもんじゃないんだよ。たまには頑張らないほうがいいんじゃないかな。少年は頑張り屋さんだからね」

「じゃ、じゃあ……頑張らないよう、頑張ります」

「なんだそれ、不器用さんめ」

 

 半ば八つ当たりのように出久の髪をかき乱す。こそばゆそうに声を上げる出久は、借りた本を落とすまいとして抵抗できないでいる。

 ヒーローを目指す若者に、こんなことを願うのはわがままなのだろう。

 それでも、蓮華には彼に頑張らないでほしかった。出久はまっすぐだ。ひたむきに、どこまでもヒーローになれる。いつか本当にトップヒーローにだってなるかもしれない。

 そして、そうなって、出久のもとには何が残るのか。

 

「……しょうがないな、お姉さんが手伝ってあげる」

 

 顔が見えないように頭を押さえつけて、蓮華は独りよがりな笑みを浮かべた。

 どうかこの少年に、幽霊なんて曖昧なまがい物でない、本当の幸いがありますように。

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