結局誰も除籍にならず、これから何度も振り回されることになる「合理的虚偽」に度肝を抜かれた後のこと。
出久は保険医のリカバリーガールから治療を受け、それから呼び出しに従って職員室を訪れた。理由はわかっている。個性のことだ。
ずらりと並んだ教員用の机。このひとつひとつがプロヒーローに割り当てられているのだと思うと、出久のオタク魂が疼く。文房具のチョイス、事務椅子にかけられた上着からだけでも誰がどの机を使っているのか予想が付きそうだ。
「……おい、緑谷」
「は、はい、ごめんなさい!」
「別に謝ることじゃないが、一応他クラスの個人情報とかもある。あんまりじろじろ見るな。……それで、
相澤の表情は読めない。あるいは出久の緊張が観察眼を濁らせているのか。個性に秘密を抱える出久にとって、この簡易的な面談は尋問にも等しかった。
緊張に手を震わせる出久を窘めるようにして、冷たい手が肩に置かれた。
「あいつなんて、随分な呼び方。お姉さん、傷ついちゃいます」
「出たか。ふざけたやつだな」
見上げれば、蓮華はいつもどおり微笑んでいる。しかし、長い付き合いの出久にはわかった。彼女がひどく機嫌を損ねていることを。
その証拠に、出久の肩に置かれた手はいつもよりずっと冷たい。
蓮華は意思のある個性だ。彼女の感情は生きた人間のそれよりもずっと深く個性と直結している。今日はめったにない、彼女の感情が荒ぶる日のようだった。
「ふざけているのは先生のほうでは?」
「ほう」
「最下位は除籍。それってつまり、
思わず出久は息を呑んだ。
誰かを最下位にしなくてはならない。それはつまり、除籍を回避するために誰かを蹴落として生存しなくてはならないということだ。
今になって実感が追いついてくる。出久は自分が雄英に残りたい一心で個性を使った。
「記録、取る気なんてなかったんでしょう。自己犠牲では解決しない問題をぶつけたかった、違いますか?」
蓮華の糾弾するような言葉に、相澤が初めて深い笑みを浮かべた。
「鋭いな。お前、ヒーロー向きだよ。ま、データを取るつもりがなかったわけじゃない。どっちに転んでもいいような選択が最も合理的だっただけだ」
「過分な評価を受けたところで幽霊からはなんにも出てきません。当事者だったら私だって怖くて蹴落とす方にいっちゃうと思いますし」
「それでもいい。お前が危なっかしい緑谷に憑いてるなら俺としても多少は安心できる。調べたぞ、お前のこと」
机からバインダーを取り上げた相澤が、中から一枚のクリアファイルを引き抜いた。
そこにあったのは、もう23年前になる火事について書かれた新聞記事の切り抜きだ。他にも出久が通い詰めていたあの神社について調べたらしい文書や、そして犠牲者の追悼式典が催されたときの古ぼけた写真も挟まれている。
どうやら出久が治療を受けていたわずかな時間にここまで調べ上げたらしい。出久はプロヒーローの実力を見せつけられたような衝撃すら感じた。
「美珠蓮華、享年22歳。個性届は無個性になっていたそうだが」
「そこまで調べられるんですか?」
「そう簡単に請求できる資料じゃない。だが緑谷、さっきも言ったとおりここにはヒーローやその卵の個人情報が山積みなんだ。不審な人間を出入りさせる理由はないんだよ」
淡々と、しかし諭すようにそう言って、相澤は机に置かれたミネラルウォーターのボトルを手に取り喉を潤わせる。初対面で植え付けられた「不審者」という印象と乖離する、あまりにも真っ当な教師らしい発言だった。
意外なところで蓮華の年齢を知ってしまった。
享年22歳。出久は何度か蓮華から大学生活の話を聞かされたことがあった。浪人や留年をしたとは言っていなかったから、大学卒業したてのころに亡くなったことになるのだろうか。
それから今年の春まで23年間、蓮華は神社の見えざる主だった。
「本当の個性は死霊、端的に言えば死後に幽霊になって留まる個性です。私が受けた個性の検査は体育館で一斉にやるやつだったので、漏れがあったんでしょうね。実際死ぬまで自分でも気づかなかったわけですし」
「まあ、その世代ならよくある話だ。俺の世代でもいなかったわけじゃない。最近は滅多になかったんだがな」
「う……」
相澤がじろりと出久を睨んだ。本人には睨んでいる気はないのかもしれないが、彼の無愛想な仏頂面で目を向けられると思わず謝りたくなってしまう。
もしくは、嘘をついているという罪悪感が出久にそうさせているのかもしれないが。
「幽霊になる個性と、幽霊を取り憑かせて力を借りる個性。二人揃ってようやく一人前ってところか。励めよ緑谷、お前に求められる覚悟は一人分じゃ足りない」
「ッ、はい!」
「美珠については俺から報告書を上げておく。前例のないことだから何度か聞き取りで来てもらうことになる」
「それで出久に降りかかる火の粉が払えるなら、ご協力しますよ」
微笑む蓮華と無表情な相澤の視線がぶつかる。
少しの間、職員室には時計の針が刻む均等な音だけが響いていた。
「……最後にこれだけ聞かせろ、美珠。お前にとって緑谷は何だ」
相澤の表情は変わらない。ただ、その眼は今日会ったばかりの出久でもわかるくらいに真っ直ぐで、真剣だった。
無精髭と倦怠感に満ちたオーラで惑わされたが、プロヒーローらしい芯のある人なのかもしれない。彼の問いかけに、出久は確かな熱のようなものを感じた。
「本人の前で言わせるんですか? ……守ってあげたくて、でも背を押してあげたい。そんな可愛くて大切な少年ですよ」
「そうか。いや、個性としてどういう関係かって話だが」
「あなた嫌いです」
わざとらしくむくれながら蓮華が出久の背に隠れた。
普段は出久をからかってばかりの蓮華が強く出られない相手というのはかなり珍しい。一瞬だけ見えた羞恥に顔を赤らめた蓮華の表情に、出久の胸中に少しだけ「いいものを見た」というよくない感情がこみ上げた。
「まあ、詳しくは今後聞かせてもらう。今日はもう帰っていいぞ」
「え、いいんですか?」
「俺にも色々仕事があるんだよ。危険がなくて緑谷から離れないなら急ぎの案件じゃなくなった。ほら、さっさと帰れ」
しっしと手で追い払うような仕草を取りながら、相澤はバインダーを片手で閉じた。
「あの、先生」
「何だ」
「その資料……コピー、もらえませんか」
出久は蓮華のことをほとんど知らない。過去のことを尋ねてもほとんどははぐらかされてしまうし、とりたてて有名でもない故人の過去について調べるのは片手間でというわけにはいかない。
その点、相澤が集めたであろう資料は蓮華の過去について書かれた客観的な事実だ。
「ちょっと……少年?」
「僕だって、お姉さんのこともっと知りたいです」
「聞きたければ話すから、別にコピーなんてもらわなくても……」
「ほれ。いちゃついてないでそれ持ってさっさと帰れ」
「ありがとうございます!」
「ありがたがるなそんなものー!」
むくれて何度もぽすぽすと出久の頭を叩く蓮華に呆れたような視線を向けながら、相澤はクリアファイルごと資料を渡してくれた。
長い付き合いの出久だからわかる。蓮華は今、本気で恥ずかしがっている。
蓮華は完璧な超人というわけではない。人並みの失敗もそこそこにする。最後にここまで恥ずかしがっていたのは、寝言でモンブランを1ダース注文していたのを出久が指摘した3年前の秋だろうか。
職員室を後にして足早に昇降口へと向かっている間もずっと、蓮華は出久の傍を漂って不満げな態度を全身で示していた。
「むー、後で覚えてろよ少年」
「だって、お姉さん昔のこと全然話してくれないですし……」
「恥じらいってものがあるんだよ、恥じらい! 永遠の22歳を23年もやってみれば少年だってこの気持ちがわかるさ!」
「足したらよんじゅ……」
「永遠の22歳!」
そんな他愛もないやり取りで気力を回復し、帰り道のためになんとか諌めて体内に潜ってもらって、出久は帰路についた。
立派な正面玄関を出て、正門へと向かう道の途中。そこに二人の人影があった。その二人は出久の姿を目視するや否や、手を振って駆け寄ってきた。
「やっと来た!」
「やあ、指は治ったのかい?」
「飯田くんと、えっと……」
「麗日お茶子です!」
眼鏡の真面目男子、飯田。そして試験会場から何かと縁のある麗日。ふたりはどうやら出久を待っていてくれたようだった。
「駅までだよね? 一緒に帰ろー! えっと、緑谷……デクくん!」
「デク!?」
「あれ、爆豪って人がそう呼んでたからてっきり……」
デク。それは爆豪が出久に付けた蔑称だ。名前の読みを少しもじっただけのシンプルな、しかし木偶の坊を意味するこのあだ名が出久はあまり好きではなかった。
ただ、そう呼ばれるようになってもう長いこと経ち、付けた爆豪自身がもはや由来を意識せずに使っている節がある。今さらやめてと言うほどのこととも思えず、惰性で放置していたあだ名だ。
新しい環境でまで愉快ではないあだ名を引き継ぐ必要はない。そう思って、出久は説明しようと口を開いた。
「あの、本名は出久で……読みを変えただけなんだけど、かっちゃんが馬鹿にして付けたあだ名で……」
「蔑称か」
「えー、そうなんだ! ごめん! でも『デク』って……こう、『頑張れ!』って感じで、なんか好きだ私!」
「デクです」
「緑谷くん!?」
思わず出久の口から「コペルニクス的転回」という言葉が漏れた。
――ちょろいなあ、少年は。
出久の内側で蓮華が呆れたように息を吐いたのが聞こえる。これまで好きになれなかったあだ名を「好き」と言ってもらえた、その衝撃は出久にとってすさまじいものだった。
二人の関係を知る者には誤解されがちだが、出久は決して爆豪が嫌いなわけではない。幼馴染として付き合いを続ける程度には親しみを抱いているし、実力には尊敬の念も抱いている。ただ、時々許せないような対立があるだけで。
そんな爆豪から付けられた一番古いあだ名に不快感を覚えながらも、愛着がなかったわけではないのだ。
そのあだ名を肯定的に見られる日が来るとは思っていなかった。今日はよき日だ。
「ところで、持久走の時に出ていたあの人は一体?」
「あ、うん。なんていうか、話すと長くなるんだけど……」
駅までの道のりを歩きながら、出久は蓮華とのつながりをかいつまんで語った。もちろん、ワン・フォー・オールやオールマイトについての事実は伏せた上で。
随分昔に亡くなって、個性で現世に留まっていた幽霊であること。
出久の個性が幽霊を憑依させて力を借りるものであり、個性で幽霊になった蓮華と出会うまでは無個性だと思われていたこと。
今は出久の個性として協力してもらっていること。
「え、じゃあ今もおるん?」
「うん。なんていうか、こう……僕の中に潜ってるというか、僕が纏ってるというか。学校では基本隠れててもらうことになってて」
「しかし、それでは彼女は窮屈ではないのか?」
飯田の紳士的な問いに答えたのは、蓮華自身だった。
リュックを背負った出久の背から冷気がふわりと立ち上る。突如現れた蓮華にふたりは一瞬歩みを止めて身を仰け反らせたが、出久が平然としているのを見て安心すると好奇の視線で蓮華を見上げた。
「全然平気だよ。家では自由にさせてもらってるし、外の世界は新鮮で退屈しないしね。お気遣いありがとう、眼鏡の似合うお兄さん」
「おお、なんかふわっと出てきた……」
「お茶子ちゃんだっけ、可愛い名前。本人の可愛さも名前負けしてないね」
「わっ、えへへ……お姉さんこそ、名前もスタイルもめっちゃ綺麗で羨ましいですー!」
あっという間に打ち解けてしまった。ある意味、これもヒーローの才能なのだろうか。
蓮華の手を握って「幽霊って初めて触ったー」と無邪気にはしゃぐ麗日の様子に蓮華もまんざらではないらしく、得意げな笑みを浮かべている。相性がいいのかもしれない。
その様子を見ながら、飯田が気難しそうな顔をますます強張らせて眉間を揉んだ。
「緑谷くん、なんというか……ぼ、俺の勝手な想像なんだが……君はこれからずっと三者面談状態で学校に通うわけか」
「うん、まあ、その……ズルかなって思うんだけど、個性柄……」
「いや、君を責めたいわけではない。というか、入試でもすまなかったな。ついピリついて」
「ううん、気にしないで」
「まあ、なんだ。俺に姉はいないんだが、中学の頃に授業参観で兄が来るたび気まずい思いをしたのを思い出してな。いや、兄とは良好な関係だし尊敬もしているんだが、そういう時に少々はしゃぐ人だから」
「あー……うん。ありがとう」
今日一日だけでも、出久のメンタルはそれなりに削られた。
ビル群に沈みゆく春の夕陽は眩しい。
「緑谷くん、頑張れよ。いつでも頼ってくれ」
「ありがとう、飯田くん……」
がっしりと交わした握手は、出久にとってとても心強いものだった。
気苦労は絶えない。これからの日々を思えば不安がちらつく。今日の反省だけで頭がパンクしそうなくらいだ。それでもこうして友達ができ、そして彼らが蓮華のことを受け入れてくれたことを思えば、その程度のことはなんでもなかった。
まして、気が遠くなるような年月を経て久しぶりに外界へ出た蓮華がこれだけ楽しそうにしているのだから、出久は嬉しさでため息をつく気にもならないのだ。