◆◇◆
「おにい、さ──」
血が、舞った。
視界を鮮烈な赤が埋め尽くし、水色の髪が紅に染まる。
──自身を抱きしめるお兄さんの腹が抉られ、首筋が削られ、血が噴き出した。
「がはっ」
お兄さんが、血を吐いた。
どうして。
なんで、お兄さんが血を吐いているのか。
レムは咄嗟に理解できなかった。
しかし、すぐに気づく。
自分は、また、お兄さんに庇われてしまったのだと。
突き飛ばしたはずのお兄さんがレムを庇い、大量の血を吐いた。
「あ、ああ……」
思考にノイズが走る。
お兄さんに庇われる。
その光景が、知らない光景と重なった。
何かが見える。
赤い。
赤い、赤い。
あれは、何。
頭が疼き、気づけば──ああ、これはお兄さんの血だ。
顔の半分を覆った温いその熱を、レムは感じ取った。
「……おにいさん?」
「──嗚呼、愛の信徒よ。ああ、嗚呼、あああああッ! なぜ、それほどまでに愛されていながら! 寵愛に応えず! 偽愛に殉じて怠惰な終焉を迎えるのか! 福音に背き、運命に逆らい、愛に報いず! 憎悪などという一時の感情に身を委ねてしまったのデスか!? 中途半端な覚悟が! 半端な愛が! 勤勉足り得ぬ性根が! 貴方を殺すのデス!」
狂笑が。
嘲笑が。
絶叫が。
演劇がかった口ぶりの悪魔が、愛を嘯き、運命を嘆く。
どこまでも相容れず、他者を許容せず、己を憚らない狂人。
与えられた愛を疑わず、愛に殉じることを怠惰と蔑む、勤勉なる怠惰の指先。
「嗚呼、愛に殉じることもまた愛の成果。死にゆく貴方に冥土の土産として名乗るとしましょう。それが私が貴方に示す、勤勉なる礼節なのデス」
否。
「──はじめまして。私は魔女教大罪司教『怠惰』担当、ペテルギウス・ロマネコンティ……デス‼」
それは、指先へと乗り移ったペテルギウス本人であった。
首を九十度に曲げ、礼節を唱える、勤勉なる愛の凶人。
「──黙れよ、イカれ野郎。──クソ精霊」
重傷を負いながら、それでも青年は猛く吠える。
「……おや、おやおやおや、おやおやおや? 貴方、私をご存知なのですか? ──いえいえ、それはおかしい。私は貴方のことを少しも存じ上げないのデスから。勤勉に尽くす私が、貴方のような資格ある者を覚えていないはずがない。──となれば、もしや貴方……『傲慢』、ではありませんデスか? ええ、ええ、その傲岸不遜な態度! それほどまでに魔女に愛されていながら! それに気づきもしない怠惰な心根! それこそ傲慢の有り様そのものではありませんデスか!? そうであれば納得の至りなのデス!」
狂人は会話を成さない。
一方的に言葉を語る。
「しかしならば、何故我らの勤勉なる勤めの邪魔をするの、デス、か!? 貴方から香る魔女の寵愛は一介の信徒の比ではなく、更になにやら不可解な技も使っている様子。怪しい、怪しいのデス! 何故、愛に、愛に報いないのデスか!? それほどの寵愛! いくら鈍感と言えど気づかぬ道理はなく、魔女が放置するはずもなし! ──福音、そう! 福音なのデス! 貴方が選ばれし適合者だというのであれば、──福音の提示を!」
「ぺらぺらと無駄口を叩くな……狂人め。一丁前に人間のフリしてんじゃねぇよ、邪精霊が。──御託はいいから、かかってこい」
「……あぁぁ、これもまた試練ということなのデスね! ──魔女よ! 嗚呼、魔女よ! 畏愛に敬愛に純愛に親愛に慈愛に悲哀に友愛に! 愛に愛にあいアイ愛ァァァァァァァァイィィィィ!!」
一人勝手に盛り上がり、感情を膨れ上がらせていた怠惰は、唐突に急降下する。
糸が切れた操り人形のように、立ったままぐったりとその身を弛緩させた。
そして、先ほどまでの熱はどこへ消えたのか。
冷静に、状況を観察する。
「──はて、その重傷で勝算はあるのデスかねー? 策略はあるのデスか? 計略は? 策謀は? あるのデスか? はて、はてはてはて……もしや勝算もなしに大口を叩いているのですか? それはそれは……あまりに怠惰というものデス。私がこうして問い、話しかけ、返答を待っているというのに、貴方は戦い、殺し合い、命を奪い合うことしか考えていない。それはあまりに失礼というものデス。貴方の考えがわからないの、デスッ! ぁぁ、ぁぁぁぁ、不明、不鮮明! 不明瞭! 不分明! ──ああ、脳が震えるッ‼」
「───」
見えないナニカが迫ってくる。
──ソルはこの状況で、怠惰よりもなお冷静に物事を俯瞰していた。
重傷など関係なく。
突然、角の生えた連れを気にすることもなく。
怠惰の狂気に飲まれることもない。
冷静に。
冷静に。
いっそ恐ろしいまでの冷静さで、思考する。
──俺と似たような力か。相殺できるか? いや……。
「──遅すぎるのデスッ!!」
血が流れ、血の足りぬ脳は思考を愚鈍にしていく。
どれだけ冷静であっても、血が足らねば脳は働かない。
──見えざる手が、青年の周囲を囲っていた。
「───」
黒の魔の手が、青年のいた場所を──握り潰した。
「──手応えがないのデス」
怠惰が呟く。
その背後に、『空間の亀裂』が現れた。
そこから、ソルとレムが姿を現す。
「危ない危ない。やっぱり俺と同じ類の力か。骨が折れるな」
「またその訳の分からない移動術デスか。はて、その傷で、しかし動きに淀みがない。貴方──もしや痛みを感じないのでは? 怠惰な感情に振り回されているのかと思いきや、貴方、なんと勤勉なのデスか!?」
「勤勉もクソもあるかよ。ないもんはないだけさ」
腹を抉られているにも関わらず、ソルの思考にも動きにも変化はない。
あるいはもう治ったのかと言えば、そういうわけでもなかった。
血は止まらず流れ続けている。
思考するための血も足りず、動けるのはせいぜいあと十分弱だろう。
そんな死に際にも関わらず、彼が平然としている理由は二つ。
彼には──痛覚がない。
そして──作戦なら、すでに終わっている。
「勿体無いが、背に腹は変えられないからな。獣の餌にでもなってろよ。それが、お前らクソッタレ共の一番の活用方法だろ?」
途端に、ソルが持ち出した袋の一つが凄まじい瘴気を放つ。
「──む!? なんデス!?」
「──腹ペコな魔女嫌い共の祭りだ」
黒く、黒く。
闇より黒い瘴気が、吹き荒れる。
周囲の数多の生物が逃げ去り、代わりに尋常ならざる獣の足音が近づいてくる。
魔女の残り香。
魔瘴石から解き放たれた瘴気によって、森中の魔の物が集まってくる。
それは、獣の饗宴。
並み居る魔女教徒は、もれなく魔獣の格好の餌食だ。
「害虫は害虫と戦わせるに限るな」
ここは未だルグニカ王国領。
またの名を、魔獣の国。
これだけの瘴気を放てば、周辺数キロにくだらない魔獣が集まってくる。
「「「ガウガァァァア!!!」」」
既に近くにいた魔獣が姿を現し、興奮したように獲物へ襲い掛かる。
「おおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!?」
幾人もの魔女教徒が押し倒され、一際強い瘴気を放つペテルギウスにも襲い掛かる。
犬型の魔獣。
獅子の魔獣。
岩豚。
猿の魔獣。
山と森に潜んでいた魔獣が、次々と現れて奴らを襲う。
魔女教徒が魔獣に応戦し、殺し殺される混沌の中。
ソルはレムを抱え、〝空間を跳躍する〟。
空間が割れ、その中に身を隠し、二人は危機を脱した。
◆◇◆
ソル
跳躍者ドルケルのような空間跳躍を扱える。それなりに瘴気を消費する。基本的には視界の範囲内に跳躍する為に用いるが、方向を指定して長距離移動も可能。どうやら痛覚がない模様。
ペテルギウス・ロマネコンティ
かれこれ一年ほどリゼロの二次小説を書いてきて作者が今まで書いたことのなかった存在。何故かペテさんを書く機会がなかった。故にまだ描き慣れていなかったりする。おかしなところがあったら教えてほしい。
感想、評価、お待ちしてます。