◆◇◆
亜空間を出ると、そこは遠く離れた木陰だった。
着地したソルは、だんだんと不自由になる体を起こすこともできず、そのまま近くの木に身体を預ける。
「ぐっ、これはもう、ダメかもな……」
疼く傷に手を添え、服を捲る。
そこに肉はなく、腹部はかなり酷く抉られていた。
内臓の一部も、引き千切られていることがわかる。
それでも、痛みは感じない。
息苦しさはあれど、その傷の深さからすれば些細なものだ。
命の雫が零れていく。
その傷は決して塞がることなく、だくだくと血を吐き出し、贖罪のように地を濡らしていた。
「……また、失敗した。しかも今度はアイツに挑むまでもなく負けってか。笑えねぇな。──ああ、笑えねぇ」
苦渋を隠すこともなく、苦虫を噛み潰したように表情を歪める。
そこに、いつもの優しげな死んだ目はない。
あるのは、狂気と執着を孕んだ異常者の瞳だけだった。
「……おにい、さん」
しくじった。
油断、ではない。
選択を誤った。
なぜ──守ってしまったのか。
見捨てればよかった。
──こいつは次善策であって、最善手じゃない。
最善手なんかじゃなかったのに。
「……おにいさんっ」
ぬかった。
俺を庇おうとしたのは、こいつの決断だ。
それを尊重するのが最善だった。
そうだ。
そうすれば俺は生き残れた。
それが正解だ。
「……はっ。そんなこと、できるわけがねぇだろうが」
合理を嘯く防衛本能に、嫌気が差す。
それじゃ意味がねぇ。
こいつが死んじゃ意味がねぇんだ。
死なせるわけにはいかねぇ。
こいつは、可能性だ。
俺が、悲願を叶える為の、大事な……。
「……連れてきたのは、失敗だった」
「──っ」
情ではない。
確固たる目的の為に、まだ彼女を死なせるわけにはいかない。
死なせるわけにはいかなかった。
それで自分が死んでは、元の木阿弥だ。
ああ、本当に。
成長しないな。
──くそ、身体が、動かねぇ。
普段あれだけ不便な体なんだ。
こんな時くらい、動けよ。
祈り願えど、想いは叶わず、体から力が抜けていく。
意識が遠のき、そのまま――。
──連れてきたのは、失敗だった。
その言葉が耳を通り、脳へと至った瞬間。
レムの意識は愕然として、思考を停止した。
──だめ、だった。
青年を想っての行動は、結果として彼を邪魔し、妨げるだけに終わった。
──頭が、いたい。
ずきずき、ずきずきと痛む。
どくんどくんと、心臓が鳴る。
がくがくと、手が震える。
──恐怖。
失う恐怖。
嫌われる恐怖。
捨てられる恐怖。
──日が沈む恐怖。
終わる。
このままでは、失ってしまう。
お兄さんと、いられなくなる。
その事実を認識して――。
──だめ。
だめ、だめだめだめ、だめっ!
お兄さんの目から、光が消えていく。
熱が失われていく。
手が、冷たくなっていく。
いやだ。
嫌だ嫌だ嫌だ。
「──……しな、ないで……」
お願い。
死なないで。
私を一人にしないで、お兄さん……──。
一人を嫌う少女の怠惰が。
依存的な心が。
奇跡を生む。
その怠惰こそは、この世で最も無価値な──『優しさ』である。
──再び、レムの額から一本の眩い角が生えてくる。
角は白く発光し、周囲からマナを吸い上げる。
ぎゅんぎゅんと吸い上げられたマナが、少女の手を介してソルの体へと流れていく。
マナを吸収できないソルのゲートにマナが流され、体中に力が満ちていく。
抉られた腹部が。
削られた首筋が。
──急速に塞がれていく。
「──死なないで……!」
レムは祈る。
少女は祈る。
故に、怠惰な想いを糧に、純粋なる祈りを成就する。
それは、世界で最も尊ばれるべき人の想いである。
その祈りを、世界は聞き届けた。
──これは……。
遠のく意識が回帰する。
肉体が活性化し、感じたことのある熱を帯びる。
──これが、鬼の力か。
ソルは一瞬にして理解する。
忌々しくも強力な、鬼の力。
その力が今、己の体に流れ込んでいく。
──否。
それは鬼の力でも、ましてや忌々しい力でもない。
それは偏に、一人の少女の優しさによって齎されたものなのだから。
──あったけぇなぁ……。
それは身に染みる快さで。
あまりに心地良くて。
酷く、酷く──心地が悪かった。
しばらくすると、ソルの重傷は完全に治癒されていた。
「ぐすっ、おにい、さん……?」
「……ああ」
「いき、てる……?」
「ああ、生きてるよ。──お前のおかげだ」
その言葉に、少女は泣き笑いの表情を浮かべる。
「よかっ、た───……」
「………」
その言葉を最後に、レムは力尽きたように意識を失った。
限界以上にマナを取り込み、自分には一切残さず、余さずすべてを青年へ注いだ結果。
少女は、マナ枯渇によって気絶したのだった。
◆◇◆
レム
水の系統魔法に適性のある少女。治癒魔法の適性がある。何故か原作のエミリア陣営には治癒魔法を使える者が多くいるが、とても希少な魔法である。特にヴォラキア帝国なんかでは壊滅的である。
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