第十六話『腐れ縁』
◆◇◆
「………」
目が覚めると、煩わしい頭痛はなく、いつもより思考がクリアであると感じた。
眠ったのなんていつぶりだろうか。
爽やかな朝を迎えたソルはふと、起き上がろうとして違和感を、というより物理的な抵抗を感じ取った。
「───」
ベッドの横を見れば、そこには腕を枕にソルの胸に身を寄せる小さな体があった。
レムだ。
彼女はすやすやと眠っていて、起こすのは少しばかり憚られる。
しかし、このまま起きるのを待つわけにもいかず、ソルはその綺麗な水色の髪に手を添えて声をかけた。
「ほら、起きろ」
「みぅ………」
軽く撫でると、彼女は小さく呻き、少しすると寝ぼけ眼を擦りながら目を覚ました。
「……お兄さん? ──お兄さん‼」
「うおっ」
こちらに気づいた直後、勢いよくレムはソルに突進する。
起き上がったソルに抱き着き、強く目をつぶった。
「……よかった、生きてる……っ」
突然の突貫に思考が追い付かないソルに、別の方向から声がかかった。
「──なんだ、もう起きたの?」
声は病室の入り口の方から聞こえてきた。
そこには不機嫌そうに亜麻色の尻尾を揺らしながら、壁に背中を預け腕を組んだ美少女──の格好をした男、フェリックス・アーガイルがいた。
それを見てソルはすべてを察した。
『あいつ』がここまで自分たちを運んでくれたのだと。
──借りができちまったな。
それは目前の男に対しても同じことだ。
「ああ……また世話になったみたいだな、フェリス」
「フェリスって呼ばないで。アンタに呼ばれると怖気が走るの」
「そうかよ、フェリス」
「……ほんっと嫌な奴」
開幕早々に険悪なムードが部屋を満たす。
バチバチと視線がかち合い、穏やかに笑うソルとあからさまに不機嫌なフェリス。
彼ら二人がこうして顔を合わすのはこれが初めてではない。
二人の出会いは一年前まで遡る。
初めて関わったのは今回のように大怪我をしたソルが病院に運び込まれてきた時だ。
カルステン公爵家に仕える彼は、治癒魔術の勉強と騎士になる為に軍医としての経験を積む必要があってこの王都の中央治癒病棟で研修を行っていた。
治癒魔法は得意でも医師として未熟な彼は初めて見た死に瀕した人間に恐れを抱いた。
『──まだ……まだ……足りない』
その時のことは今でも覚えている。運ばれてきたそれは全身ボロボロ、内臓にも酷く損害を負っていて、生きているのが奇跡な状態だった。ここに努めている並居る凄腕の医師たちでもお手上げな重傷者。
──それでも、男はまだ生きようとしていた。
重傷で、動けるはずなんかないのに、動こうとして暴れていた。
彼は何事か、不確かな意識で呟きながら、細身の体で重傷とは思えない怪力を発揮した。
そんな彼を治したのは、この病院の院長でありフェリスの師匠──ルグニカ王国の誇る水系統魔法の最高位の称号『青』の保持者だ。
治療後、治せるだけの力があったのに手を施さなかったことにお叱りを受けたことも記憶に新しい。
初めはフェリスも彼を一人の患者として適切に扱っていた。しかし、彼は怪我が治ると金だけ置いて勝手に病院を抜け出し退院し、事後検診にも来ず、そのまま姿を現さなかった。
それで終わったはずの関係が、彼はそれから度々重傷患者としてここへ運ばれることになった。
その数一年で三十五回。一月に二回のペースだ。
そうなれば嫌でも顔を合わせ、言葉を交わす。人柄も分かってくる。
──この男が、どうしようもないクズなのだと。
だからこそ、フェリスはこうも辛辣に彼に当たるのだ。
「院長もひどいよね。私が勉強しに来てるのをいいことに扱き使ってくれちゃってさ。アンタなんかに私の魔法は勿体ないってのに」
「えらく辛辣だな。何か嫌なことでもあったか?」
「………」
いつもの調子で軽薄な笑みを浮かべて一見穏やかに問うてくるソルに、フェリスは黙り、そうして間をあけてから口を開いた。
「……その子、どうしたのさ」
「拾ってきた」
「………」
軽い返答に、もう一度フェリスは黙る。
その眼光はその度に鋭さを増していく。
「知ってるでしょ、私は命を粗末にする人が嫌いだって」
「……ああ」
「またこんな怪我してきて。──重度のゲート汚染にオドの欠損、呪いに毒にマナ阻害。アンタ、一体何してきたわけ?」
「………」
「言えないんだ。じゃあ、何? その子も酷いマナ欠乏症だったけど。まさか、その場にその子もいたんじゃないでしょうね」
「………」
「あのねっ! なんとか言ったらどうなの!?」
今まで何を言われてもへらへらとしていたソルもその訴えに閉口する。
言っても仕方がないと説得を諦めていたフェリスがこうして感情を露わにしている理由、それは青年の傍らの少女の存在に他ならない。
「………お前には関係ないだろ」
「何それ……アンタ、あんまりふざけたこと言ってると──」
「ま、待って! あの、あの! お兄さんは悪くないんです! わたしが、わがまま言って、お兄さんを、困らせただけで……!」
それに口を挟んだのは件の少女、レムだった。
慌てたように声を大にする少女に、青年はばつが悪そうに目を逸らし、フェリスは少し冷静になりつつも、その眼光の厳しさは変わらなかった。いいや、更に増したと言ってもいい。
フェリスはその瞳に明確な軽蔑を乗せて青年を見た。
「……ねぇ、恥ずかしくないの?」
「……耳が痛いな」
さしものソルもその言葉には返す言葉がなかった。
自分の身のみならずこんな幼気な少女の身を危険に晒す愚かさを、理解できない青年ではない。
──ただ、それ以上の愚を知っているから、ソルは言い訳も反論もしない。
「ならなんでやめないの」
「必要なことだからだ」
「例え命を失うことになっても? 死んだら、終わりなんだよ」
「死ななくても、俺が諦めたなら終わったのと同じさ」
「本気で言ってるの? この子がどれだけアンタのこと心配してたか……!」
「……あ、あのっ、えっと」
レムは何か言いたげだが、自分が口を出せば、目の前のお姉さんが更に機嫌を悪くすることを理解して言葉が出せない。
「……俺のミスだ。もう危険なとこには連れてったりしないさ」
「っ」
「そ。そうやって反省した振りして。どうせ周りを危険に晒したことも、アンタを心配するこの子の気持ちも、全部どうでもいいと思ってるんでしょ。アンタ、後ろ向きな性格してる癖に前だけしか見てないから。──ほんと、気持ち悪い」
短くも濃い付き合いで内面を察したかのように口にし、どこまでも辛辣な言葉を吐く辛辣な猫。
「そこ、請求書置いといたから。ちゃんと払っておいてよね」
そう言い残して、彼女はこの場を去っていった。
「嫌われたもんだな」
それも仕方のないことか、と割り切って青年は起き上がった。
「お兄さん、もう動いて大丈夫なの、ですか?」
言葉遣いに迷うように取ってつけた丁寧語を話すレム。
「別に話しやすいように話せばいいぞ。俺は気にしない」
そう一言言葉を添えたソルはベッドを降り、壁にかかったコートを取り病衣の上に羽織った。
そのまま机の上に置かれた紙を拾う。
「……たっか、ぼったくりじゃねぇのか」
そうして、机にはもう一つ。
『あんたに生きていて欲しいって思ってる子がいるんだから。ちゃんと、大切にしなさいよ。わかった!?』
そう書かれた置手紙があった。
「……ツンデレってやつか? いや、ただお節介なだけだな。ご苦労なことだ」
そういって微笑み──。
「──とっくに手遅れなんだよ。もう止まれないんだ」
その紙を握りつぶし、黒い炎で燃やし尽くした。
塵も残らず紙は消え去った。
そうして二人、黒ずくめの青年とその後を続く少女は病院を後にした。
◆◇◆
ソル
月2の頻度で病院のお世話になっている。月2というと多そうだが、一月が五十日であることを考えるとそうでもない。毎回毎回大怪我を負っているわけではなく、骨折や内臓破裂、ある程度の負荷が身体に溜まってから検診を受けに来るため、いつも重傷判定を受けている。その原因は自己治癒能力の欠如にある。ソルは、自然に体が治癒することがなく、治す術がない。まるで死体でも動かしているようだが、他の機能は正常に働いている。フェリスにめっぽう嫌われている。
フェリス
現在15歳。若い。カルステン家に仕え、次期当主クルシュ・カルステンに忠誠を誓っている。今は王都最大の病院で治癒魔術を学んでいて軍医としての経験を積んでいる。すべては力のない身で騎士としての称号を得る為に。
年上のソルにも物怖じせずに接している。ソルが危険な稼業をしていることを知っているが、ソルが病院に対し多額の寄付をしてあることもあって見殺しにすることができない。する気もないが。自己治癒能力のない病弱な身で危険を冒す人間の気が知れない。睡眠もあまり取れていないことを知っていて、病院に訪れた時は魔法で強制的に眠らせている。根は悪い人間ではないのも知っている故に突き放すこともできず、お節介を焼いている。優しい。
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