ゼロカラワカツイセカイセイカツ   作:萎える伸える

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第十九話『勇気の羽化』

◆◇◆

 

 

「アンナ! どうしてお前がここにいるッ! ……メリアは、どうした」

 

「──ふるふる」

 

 その目尻に目一杯の涙を浮かべて、少女は首を横に振った。

 メリア。それは少女の母親であり、老人の娘の名だった。

 

「わた、わたしをかばって、お母さまは……っ」

 

「……そうか」

 

 まだ幼いだろうに、母の死を悲しみとともに受け入れる少女。

 それを沈痛な面持ちで抱き寄せる老人。

 

 ……大切な者だったのだろう。

 大切な者が今日、今、突然に奪われたのだ。

 認められないだろう。憎いだろう。許せないだろう。今にも復讐したいだろう。

 

 当たり前だ。

 なのに、少女も、老人も、怒りでも憎しみでもなく、ただ悲しみを堪えている。

 

 貴族だからか?

 それとも、本当は大切でも何でもなかった?

 

 違う。

 違うのだ。

 根本から、ソルとは違う。

 何が違う。どこが違う。どうして、こうも違う。

 大切な者を奪われた人の想いは、永劫不滅だ。

 

 ──憎悪。不赦。復讐心。

 

 それらが心を満たし、魂を濁す。

 なら、何故、目の前の老人と子供は、そのどれも感じさせることなく抱き合っているのだろう。

 

 ──死ねるからか?

 

 もう、死ぬしかないとわかっているから。

 だから諦められるのだろうか。復讐も憎悪も捨てて、まだ残っている大切を想い、抱き寄せる。

 

 ……ああ。

 俺とは、何もかもが大違いだ。

 相容れない。

 認められない。

 筋違いの忌避感を、この状況を作り出した性悪女へ向けて、ソルは問う。

 

「……殺したのか?」

 

「ええ。抵抗してきたから仕方なく。そう、仕方なくね。──ふふ、とっても綺麗な中身だったわ」

 

 ──相容れない。

 人は得てして相容れないのだ。

 こいつも、貴族も、あのガキも。

 

 だから、すべては利用すればいい。

 結局は分かり合えず、いつかは死ぬのだから。

 せめて、俺の役に立って死ねばいい。

 

「そうかよ」

 

「──お兄さんったらぁ、何をそんなに怒っているのぉ?」

 

 そこへ、闖入者が現れる。

 性悪女の陰から現れたのは、紺色の髪をした背の低い、黒尽くめの少女だった。

 

「お前の姉が仕事をトチったからだよ。妹ならちゃんと見とけよ」

 

「そんなこと言われたってぇ、わたしにエルザを止めるなんてできるわけないじゃなぁい? それにぃ、今から『オトモダチ』になれば失敗にはならないわぁ」

 

「……お前もだ」

 

「? 何か言ったぁ、お兄さん」

 

「何でもねぇよ」

 

 そんな戯言を交わして、黒一色の三人と、貴族の二人は対峙する。

 

「お爺様……この人たちは……」

 

「しっ、アンナ。儂の後ろへ下がりなさい」

 

「おいおい、さっきまでの威勢はどうしたんだよ。死ぬ覚悟はできてんだろ?」

 

「……お主らの標的は儂であろう。儂の首は差し出す。好きにせい。……だが、孫は、見逃してほしい。──この通りだ」

 

「………」

 

 老人は、その場で頭を垂れ、懇願した。

 地に額をつけ、首を差し出し、孫の命を乞う。

 矜持だの、覚悟だの、己を曲げぬ気高さだの。そういったものを捨てなかった老人が、今、この場でプライドを捨てて命を乞う。

 

「えぇー、どうするのぉ、お兄さん?」

 

「お、お爺様を殺さないで……っ!」

 

「きゃー、可愛いわぁ! 食べちゃいたいくらぁい」

 

「ひっ」

 

「ねぇねぇ、ならぁ、わたしとオトモダチになってくれるぅ?」

 

「お、お友達……っ?」

 

「そうよぉ、オ・ト・モ・ダ・チ。わたしぃ、あなたと仲良くなりたいわぁ」

 

 紺色の少女──メィリィ・ポートルートはそう言って手を差し伸べる。

 

「……っ、そ、それで、お爺様を、殺さないでくれる、なら……わたしは……」

 

 少女らしからぬ妖艶な笑みを浮かべた彼女に、アンナはゆっくりと近づき、その手を取ろうとする。

 

「いかん! 近寄ってはならん!」

 

「えっ」

 

「……あらぁ? がぶりといったと思ったんだけどぉ」

 

 すると、どこからともなく獣が現れ、彼女の眼前を通り過ぎた。

 ──老人の掛け声があと少し遅ければ、アンナの頭部は獣の餌になっていたことだろう。

 

「「「ぐるるるる……」」」

 

「へ、あっ……」

 

 見えていなかったが、この場には他にも多くの犬型の獣──魔獣がいた。

 アンナは驚きに腰を抜かし、尻もちをつく。

 

「な、なんで……」

 

 友達といったのに。

 やはり、嘘だったのか。

 

「言ったでしょぉ。──食べちゃいたいくらい可愛いってぇ」

 

 怪しげな笑みでそんなことを言う少女は、もはやアンナにとって理解の及ばぬ狂気だった。

 猟奇的で、狂気的で、同い年くらいなのに、その精神性は比較にならない。

 

「う、うぅ……」

 

「やだぁ、泣いてる姿もかわいいわぁ。お人形さんみたぁい」

 

「──茶番はいい」

 

 それを止めたのはソルだった。

 ソルはメィリィを下がらせ、老人に目を向ける。

 

「覚悟を、決めたんじゃなかったのか?」

 

「……儂のことはどう扱っても構わん。だが……」

 

「王国の矜持を、そんなんで示せるのか?」

 

「…………」

 

「俺もアンタのことは少し調べたんだ。愛国心が強く、亜人戦役前からこの国に尽くし、王国を繁栄に導いてきた王国の重鎮。亜人差別の撤廃に尽力し、軍事力の増強に貢献し、他の腐った貴族を叩きのめした栄えある大貴族だそうじゃないか」

 

「…………」

 

「その過程で、たくさんの人間を潰してきたはずだ。邪魔な人間を消してきた。汚い手段だって使っただろう。お前が殺してきた奴らにも家族がいたはずだ。恋人も、友人も、孫だっていたに違いない。そのお前が、そいつらから家族を奪ってきたお前が、今更自分の家族だけは助けてくれなんて……──都合がよすぎるんじゃないか?」

 

「…………重々、承知している」

 

「なら」

 

「それでも、孫だけは。この子だけは見逃してほしい。頼む」

 

「……矜持はないのか?」

 

「……この通りだ」

 

「恥ずかしくないのか?」

 

「……頼む」

 

「娘を殺した俺たちに頭を下げてまで、それは叶えたい望みなのか?」

 

「…………ああ、そうだ。この子だけは、どうか……」

 

「おじいさま……」

 

「………はぁ」

 

 何故、こんな無駄な問答をしたのか。

 何故、こんな意味のない問いかけをしたのか。

 何故、俺は上げた腕を下げたのか。

 

 重く、重く、溜息を吐いた。

 

 その結果、ゆっくりとソルは腕を下げた。

 それは、いったいどんな感情から来たものだったのだろう。

 ソルの胸中は、今、ソル自身にしか分からない。

 

 しかし結果として、ソルは決断したのだ。

 

「──やっぱり、殺せないのね。──残念だわ」

 

 その結果を受けて、背後で黙っていた女がナイフを持ち上げる。

 瞬間、ナイフが──ソルの首元へと迫った。

 

「死んでくれるかしら」

 

「──悪いが、ずっと警戒してたんでな」

 

 その刃を、ソルは腕に闇を纏わせて弾いた。

 不意の凶刃。

 されど、ソルは冷静に対処してみせた。

 

「……警戒、ね。信用されていなかったのかしら? 今までうまくやれていたと思っていたのだけれど」

 

「信用? 馬鹿言うんじゃねぇよ。──俺は誰も信用なんかしちゃいない。そもそもがおかしかったんだ。これだけの護衛しかいない暗殺依頼に俺を呼び、更にそこのガキまで連れてくる理由がねぇ」

 

「そう。相変わらず臆病なのね。そういうところ、嫌いじゃないけれど」

 

「ああ、俺もこんな自分が大好きさ。前々から試してくるような節はあったが、俺はお眼鏡に叶わなかったか?」

 

「嘘つきね。わかっているくせに女に言わせるなんて、男としてどうなのかしら?」

 

「俺は男女平等主義者なんでね。そんな偏見は持ち合わせちゃいない。……何故、俺を殺そうとする」

 

「人を殺すことに理由が必要なのかしら。ならお生憎ね。私が刃を振るう理由は、今も昔も何一つ変わっていないの。貴方の腸、私に見せてくれる?」

 

「お生憎様。俺の腹なんざ、何にも入っていやしねぇよ。残念だったな」

 

「残念? いいえ。空っぽな中身も愛でてあげるわ。それが私の主義なの」

 

 流暢に会話しながらも、互いに狭い屋内で牽制し合っていた。

 エルザは刃を振るい、ソルが弾く。

 衝撃が部屋を浸透し、アンナをバルバトス老が抱えて伏せさせる。メィリィは一人、あたふたとしていた。

 しばらくそうしてエルザの猛攻を凌いでいると、不意に、彼女は言った。

 

「貴方は私を信用していなかったと言っていたけれど、──私は貴方のこと、信じていたわ」

 

 続けて、

 

「だから、こうするしかないの」

 

 ダガァァン、と音を立てて、壁が外側から破壊された。

 外からの、異なる刺客。

 

「──あはっ、あははっ! やっと会えた! ぼくの救世主!」

 

 歪な笑い声。

 ぼく、という一人称に似合わぬ、鍛え上げられ引き締められた筋肉質な肉体。

 長く伸びた藍色の髪。

 そして、叫ばれる意味の分からぬ妄言。

 

 男は満面の笑みで、──その手に持った十字架のような『剣』をこちらへと振るった。

 

「──ハッピーバースデー、ソル」

 

 完全に不意を突かれたソル。

 力量も何もわからぬ新たな敵。

 

 ──触れてはならぬ剣が、ソルの眼前へと迫り、切られ──。

 

 ──どいつも、こいつも、相容れない。

 

「──『不信』〝ペテルギウス〟」

 

 その刹那、ソルは新たなる力を解き放った。

 

 

◆◇◆

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