◆◇◆
「アンナ! どうしてお前がここにいるッ! ……メリアは、どうした」
「──ふるふる」
その目尻に目一杯の涙を浮かべて、少女は首を横に振った。
メリア。それは少女の母親であり、老人の娘の名だった。
「わた、わたしをかばって、お母さまは……っ」
「……そうか」
まだ幼いだろうに、母の死を悲しみとともに受け入れる少女。
それを沈痛な面持ちで抱き寄せる老人。
……大切な者だったのだろう。
大切な者が今日、今、突然に奪われたのだ。
認められないだろう。憎いだろう。許せないだろう。今にも復讐したいだろう。
当たり前だ。
なのに、少女も、老人も、怒りでも憎しみでもなく、ただ悲しみを堪えている。
貴族だからか?
それとも、本当は大切でも何でもなかった?
違う。
違うのだ。
根本から、ソルとは違う。
何が違う。どこが違う。どうして、こうも違う。
大切な者を奪われた人の想いは、永劫不滅だ。
──憎悪。不赦。復讐心。
それらが心を満たし、魂を濁す。
なら、何故、目の前の老人と子供は、そのどれも感じさせることなく抱き合っているのだろう。
──死ねるからか?
もう、死ぬしかないとわかっているから。
だから諦められるのだろうか。復讐も憎悪も捨てて、まだ残っている大切を想い、抱き寄せる。
……ああ。
俺とは、何もかもが大違いだ。
相容れない。
認められない。
筋違いの忌避感を、この状況を作り出した性悪女へ向けて、ソルは問う。
「……殺したのか?」
「ええ。抵抗してきたから仕方なく。そう、仕方なくね。──ふふ、とっても綺麗な中身だったわ」
──相容れない。
人は得てして相容れないのだ。
こいつも、貴族も、あのガキも。
だから、すべては利用すればいい。
結局は分かり合えず、いつかは死ぬのだから。
せめて、俺の役に立って死ねばいい。
「そうかよ」
「──お兄さんったらぁ、何をそんなに怒っているのぉ?」
そこへ、闖入者が現れる。
性悪女の陰から現れたのは、紺色の髪をした背の低い、黒尽くめの少女だった。
「お前の姉が仕事をトチったからだよ。妹ならちゃんと見とけよ」
「そんなこと言われたってぇ、わたしにエルザを止めるなんてできるわけないじゃなぁい? それにぃ、今から『オトモダチ』になれば失敗にはならないわぁ」
「……お前もだ」
「? 何か言ったぁ、お兄さん」
「何でもねぇよ」
そんな戯言を交わして、黒一色の三人と、貴族の二人は対峙する。
「お爺様……この人たちは……」
「しっ、アンナ。儂の後ろへ下がりなさい」
「おいおい、さっきまでの威勢はどうしたんだよ。死ぬ覚悟はできてんだろ?」
「……お主らの標的は儂であろう。儂の首は差し出す。好きにせい。……だが、孫は、見逃してほしい。──この通りだ」
「………」
老人は、その場で頭を垂れ、懇願した。
地に額をつけ、首を差し出し、孫の命を乞う。
矜持だの、覚悟だの、己を曲げぬ気高さだの。そういったものを捨てなかった老人が、今、この場でプライドを捨てて命を乞う。
「えぇー、どうするのぉ、お兄さん?」
「お、お爺様を殺さないで……っ!」
「きゃー、可愛いわぁ! 食べちゃいたいくらぁい」
「ひっ」
「ねぇねぇ、ならぁ、わたしとオトモダチになってくれるぅ?」
「お、お友達……っ?」
「そうよぉ、オ・ト・モ・ダ・チ。わたしぃ、あなたと仲良くなりたいわぁ」
紺色の少女──メィリィ・ポートルートはそう言って手を差し伸べる。
「……っ、そ、それで、お爺様を、殺さないでくれる、なら……わたしは……」
少女らしからぬ妖艶な笑みを浮かべた彼女に、アンナはゆっくりと近づき、その手を取ろうとする。
「いかん! 近寄ってはならん!」
「えっ」
「……あらぁ? がぶりといったと思ったんだけどぉ」
すると、どこからともなく獣が現れ、彼女の眼前を通り過ぎた。
──老人の掛け声があと少し遅ければ、アンナの頭部は獣の餌になっていたことだろう。
「「「ぐるるるる……」」」
「へ、あっ……」
見えていなかったが、この場には他にも多くの犬型の獣──魔獣がいた。
アンナは驚きに腰を抜かし、尻もちをつく。
「な、なんで……」
友達といったのに。
やはり、嘘だったのか。
「言ったでしょぉ。──食べちゃいたいくらい可愛いってぇ」
怪しげな笑みでそんなことを言う少女は、もはやアンナにとって理解の及ばぬ狂気だった。
猟奇的で、狂気的で、同い年くらいなのに、その精神性は比較にならない。
「う、うぅ……」
「やだぁ、泣いてる姿もかわいいわぁ。お人形さんみたぁい」
「──茶番はいい」
それを止めたのはソルだった。
ソルはメィリィを下がらせ、老人に目を向ける。
「覚悟を、決めたんじゃなかったのか?」
「……儂のことはどう扱っても構わん。だが……」
「王国の矜持を、そんなんで示せるのか?」
「…………」
「俺もアンタのことは少し調べたんだ。愛国心が強く、亜人戦役前からこの国に尽くし、王国を繁栄に導いてきた王国の重鎮。亜人差別の撤廃に尽力し、軍事力の増強に貢献し、他の腐った貴族を叩きのめした栄えある大貴族だそうじゃないか」
「…………」
「その過程で、たくさんの人間を潰してきたはずだ。邪魔な人間を消してきた。汚い手段だって使っただろう。お前が殺してきた奴らにも家族がいたはずだ。恋人も、友人も、孫だっていたに違いない。そのお前が、そいつらから家族を奪ってきたお前が、今更自分の家族だけは助けてくれなんて……──都合がよすぎるんじゃないか?」
「…………重々、承知している」
「なら」
「それでも、孫だけは。この子だけは見逃してほしい。頼む」
「……矜持はないのか?」
「……この通りだ」
「恥ずかしくないのか?」
「……頼む」
「娘を殺した俺たちに頭を下げてまで、それは叶えたい望みなのか?」
「…………ああ、そうだ。この子だけは、どうか……」
「おじいさま……」
「………はぁ」
何故、こんな無駄な問答をしたのか。
何故、こんな意味のない問いかけをしたのか。
何故、俺は上げた腕を下げたのか。
重く、重く、溜息を吐いた。
その結果、ゆっくりとソルは腕を下げた。
それは、いったいどんな感情から来たものだったのだろう。
ソルの胸中は、今、ソル自身にしか分からない。
しかし結果として、ソルは決断したのだ。
「──やっぱり、殺せないのね。──残念だわ」
その結果を受けて、背後で黙っていた女がナイフを持ち上げる。
瞬間、ナイフが──ソルの首元へと迫った。
「死んでくれるかしら」
「──悪いが、ずっと警戒してたんでな」
その刃を、ソルは腕に闇を纏わせて弾いた。
不意の凶刃。
されど、ソルは冷静に対処してみせた。
「……警戒、ね。信用されていなかったのかしら? 今までうまくやれていたと思っていたのだけれど」
「信用? 馬鹿言うんじゃねぇよ。──俺は誰も信用なんかしちゃいない。そもそもがおかしかったんだ。これだけの護衛しかいない暗殺依頼に俺を呼び、更にそこのガキまで連れてくる理由がねぇ」
「そう。相変わらず臆病なのね。そういうところ、嫌いじゃないけれど」
「ああ、俺もこんな自分が大好きさ。前々から試してくるような節はあったが、俺はお眼鏡に叶わなかったか?」
「嘘つきね。わかっているくせに女に言わせるなんて、男としてどうなのかしら?」
「俺は男女平等主義者なんでね。そんな偏見は持ち合わせちゃいない。……何故、俺を殺そうとする」
「人を殺すことに理由が必要なのかしら。ならお生憎ね。私が刃を振るう理由は、今も昔も何一つ変わっていないの。貴方の腸、私に見せてくれる?」
「お生憎様。俺の腹なんざ、何にも入っていやしねぇよ。残念だったな」
「残念? いいえ。空っぽな中身も愛でてあげるわ。それが私の主義なの」
流暢に会話しながらも、互いに狭い屋内で牽制し合っていた。
エルザは刃を振るい、ソルが弾く。
衝撃が部屋を浸透し、アンナをバルバトス老が抱えて伏せさせる。メィリィは一人、あたふたとしていた。
しばらくそうしてエルザの猛攻を凌いでいると、不意に、彼女は言った。
「貴方は私を信用していなかったと言っていたけれど、──私は貴方のこと、信じていたわ」
続けて、
「だから、こうするしかないの」
ダガァァン、と音を立てて、壁が外側から破壊された。
外からの、異なる刺客。
「──あはっ、あははっ! やっと会えた! ぼくの救世主!」
歪な笑い声。
ぼく、という一人称に似合わぬ、鍛え上げられ引き締められた筋肉質な肉体。
長く伸びた藍色の髪。
そして、叫ばれる意味の分からぬ妄言。
男は満面の笑みで、──その手に持った十字架のような『剣』をこちらへと振るった。
「──ハッピーバースデー、ソル」
完全に不意を突かれたソル。
力量も何もわからぬ新たな敵。
──触れてはならぬ剣が、ソルの眼前へと迫り、切られ──。
──どいつも、こいつも、相容れない。
「──『不信』〝ペテルギウス〟」
その刹那、ソルは新たなる力を解き放った。
◆◇◆