ゼロカラワカツイセカイセイカツ   作:萎える伸える

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第二十二話『兄と妹』

◆◇◆

 

 

『お兄ちゃん! お兄ちゃん!』

 

 声が聞こえる。

 幼く、無邪気で、世界を知らず、恐れを知らない小さな少女の声。

 

 何が楽しいのか、満面の笑みでこちらを呼ぶ少女。

 

『何してるの?何してるの? ご本読んで!』

 

 支離滅裂で、論理的じゃなくて、我儘な子供だ。

 

 俺の嫌いなガキ。

 

 当然、俺は無視した。

 

 なのに、

 

『お兄ちゃん! ご本!』

 

 何度も、何度も、鬱陶しいくらいそいつは言ってきた。

 

『だぁもう、うるせぇ! 俺に近づくなって言ってんだよ!』

 

『──?』

 

『──ッ』

 

 そう言ったってまるで理解しやがらねぇ。

 きょとんとしたアホ面でこっちを見やがる。

 

 次の日も、次の日も、話しかけて、兄と呼んで、気味悪い笑みを浮かべやがる。

 

 だから言ったのだ。

 

『──あんま舐めたこと言ってっとぶん殴るぞ』

 

 そうドスを利かせて、クソ親父みたいに。

 

『……お兄ちゃん。──苦しい?』

 

『は、ぁ?』

 

『お父さん、嫌い?』

 

『ッ、何言って』

 

 

『──どうして、一人になろうとするの?』

 

 

 まるで何もかも知った気で、分かった気で、土足でこちらの心に踏み込んでくる。

 

 本当に、ガキは嫌いだ。

 

 

◆◇◆

 

 

「ぐ、あがっ……」

 

 全身を針を刺すような()()が苛んでいた。

 

 額から爪先まで、ひどく不快な脂汗が浮かんでくる。

 

 ──気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 

 それは重度の二日酔いと睡眠不足を合併したような倦怠感、吐き気、発熱に不整脈。

 

 明らかに異常をきたす己の肉体に、ソルは起き上がることもままならない。

 

 意識が朦朧として視点が定まらず、ソルは堪らず意識を投げやった。

 

 

◆◇◆

 

 

『おうソル! 今日は何すんだ!? 喧嘩か!盗みか!?』

 

 頭に響く大声だった。

 

 しかし不快感はない。

 

 賑やかなのは、嫌いじゃあなかったから。

 

『アンタまた妹ちゃんのこといじめてたの? 大人げないと思わないわけ? 偶には本でも読んであげたらいいじゃない』

 

 高飛車な女の声だった。

 

 されど嫌悪感は湧かなかった。

 

 妹が欲しかったのだろう。

 あいつらの中でも一際あいつを可愛がっていた。

 

『……呪術を教わりたい、ですか……? ……いいですよ。……先生ですか? 柄じゃありません。……そんなに褒めても何も出ませんよ……今日は宿題はなしにしておきます』

 

 控えめで少し根暗な少女だった。

 

 俺たちの中でも歳が低かったが、誰よりも呪術に精通してた。

 

 俺の呪術の先生だ。

 

 

 

 仲間だ。俺の大事な、大切な仲間。唯一無二の仲間だ。

 

 虚無しかなかったあの場所で、唯一の価値あるもの。

 

 俺のような陰険だけが取り柄の男に付いてきてくれた、得難い仲間だ。

 

 

 ──みんな、死んだ。

 

 

 死んだ。死んだ。死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ。死んだ。

 

 ──いいや、俺が殺したも同然だ。

 

 あいつらは弱くなんかなかった。

 

 俺よりもずっと強い奴らだった。

 

 なのに、“あいつ”は、赤子の手を捻るように俺たちを蹴散らした。

 

 何回挑んでも、手段を変えても、仲間が増えても、仲間を強くしても、勝てない。勝てない。勝てなかった。

 

 ──無暗に挑んだところで、無駄にあいつらを殺させるだけ。あいつらを殺すだけ。

 

 仲間が死ぬだけ。仲間が死ぬところを見るだけ。それも死ねば生き返る。

 

 一度終わってしまえばまた始まる。

 

 何度も何度も何度も、終わらない挑戦を繰り返して。

 

 いつしか、仲間の顔が見れなくなった。

 

 いつから、俺は仲間を駒みたいに利用するクズになったのだろう。

 

 いつから、俺は、一人で戦うと決めたのだろう。

 

 

 いつから、自分で自分がわからなくなったんだろう。

 

 

◆◇◆

 

 

「………はッ」

 

 熱い。熱い。熱い。

 

 胸が焼けるように熱い。

 

 脳が疲弊し、精神が摩耗し、魂が焼き焦がされるような焦燥。病熱。灼熱。

 

「がッあ゛ァァァァッ!!」

 

 腹が痛い。喉が渇く。指を噛まねば耐えられない。

 

 涎が際限なく溢れて、指の肉を噛み切っても痛みはなく、それどころか刹那の安らぎすら感じられた。

 

 舌が渇き、心が飢え、自分の手がご馳走に見える幻覚。空腹。飢餓。

 

「お、お兄さん、ダメ……!」

 

 何かが邪魔をする。誰だ。何だ。

 

 ──邪魔をするな。殺すぞ。

 

 目が血走り、思考が黒く染まり、どうしようもない衝動が腕を突き動かす。

 

「──“ビッグ──」

 

「──はーい、そこまで。大人しくおねんねしてなさい」

 

「──ぁ、が」

 

「……お兄さん」

 

 意識が遠のく。

 

 

 もう、嫌な夢を見たくないというのに。

 

 

◆◇◆

 

 

『きゃーッ! ……なんなのよ……なんなのよ、これ。こんなのと戦わせる為に私たちを仲間にしたの……? どうかしてるッ、アンタ、異常者よ! ──ぁ』

 

『強ェ奴は好きだぜェ! おう!かかってこいやァ! ウチの王サマんところには行かせねェぞ!』

 

『……あなたは、簡単に死なないでくださいね。……これは恨み節です。……生きて、ください』

 

 

『アンタをソルのところへは行かせないわ! 絶対、あの子を殺させたりしないんだから!』

 

『強ェ、強ェなァ。だがよ、お前よりオレたちの方が強ェ! がはははは! 死ぬまで喧嘩しようぜ!』

 

『絶対、赦しません。あの人にあんな悲しい顔をさせるあなたを、わたしは呪います』

 

 

『ごめんね……よわくて、あたし、おねえちゃんなのに……守ってあげられなくて、ごめんね……』

 

『ぐひっ、あァ、弱ェなァ……オレは弱ェ、でもよォ、お前なら、あいつに勝てるって、オレァ信じてるぜ……』

 

『……禁忌の術です。きっと、碌な末路にはなりません……それでも、やるんですか? ……答えなんて決まってますよね。妹さんのことは、わたしたちに任せてください。……また、会えますよね』

 

 

 

『きゃァッ』『うがっ』『──』『ソルっ』『ソルッ』『ソル』『あの子をッ』『あのガキを』『妹さんを』『救いなさい』『救ってみせろよ』『救ってあげてください』

 

 

 

 止められない。止められるはずがない。

 

 俺だけの、願いじゃねぇんだ。

 

 あいつらの願いを、あいつらの死を、あいつらがこれから生きていく時間を、なかったことにするわけにはいかねぇんだよ。

 

 

 ──どれだけクズだと罵られようと、どれだけ畜生に堕ちようと……俺は止まらない。

 

 

 そうだ。

 

 そうだよ。

 

 そうなんだ。

 

 

 ──だから、言うことを聞けッ

 

 ──俺がどうなったっていい!

 

 ──目的に必要なもの以外、何を持ってったっていいッ!

 

 ──だからッ

 

 ──俺に、力を寄越しやがれッ!

 

 

 それが大罪であると知っていて、それでも俺は迷わない。

 

 あいつが平穏無事に生きていくことが罪だというのなら。

 

 その罪も、大罪も、全部俺が背負ってやる。

 

 

 ──俺は、あいつの兄なのだから。

 

 

◆◇◆

 

 

「……っ」

 

 三度目の目覚め。

 

 天井はよく知っているものだった。

 

 痛みはなくなったが、まだひどい倦怠感に覆われている。

 

「ま、まだ動いちゃだめですよ」

 

 横には、濡れ布を絞るレムがいた。

 

 レムは起き上がろうとする俺を押さえ、横たわらせる。

 

 そうして額に布を乗せてきた。

 

「……これ、お前が?」

 

「えっと、師匠に習って……」

 

「……師匠?」

 

「フェリスさんです。その、お兄さんの役に立てたらって、そう思って……」

 

「そうか」

 

 それ以上にかけてやれる言葉なんてなかったから。

 

 それっきり会話はなく。 

 無言の時間を二人は過ごす。

 

 しかし、身動きも取れず寝れもしないソルは、暫くして耐えきれなくなったように話しかけた。

 

「俺は、どれくらい眠ってた?」

 

「三日です。三日、ずっと眠って、その……」

 

「起きては暴れてを繰り返してた、か?」

 

「覚えてるんですか……?」

 

「朧げにな」

 

 やはり夢ではなかったのだろう。

 

 こいつもちゃんと覚えてるはずだ。

 

 俺が狂ったように奇行と暴走を繰り返していたところを。

 

 俺が、こいつを殺そうとしたことを。

 

 なのに何故、こいつはここにいるのだろう。

 

「怖くなかったのか?」

 

「……怖くなんて、ありませんでしたよ。お兄さんは、お兄さんですから」

 

「おかしな奴からは離れた方が身の為だぞ、覚えとけ」

 

「おかしくなんてないです! お兄さんは、おかしくなんて……」

 

 それが自分で自分を誤魔化すだけの言葉だと気づいたのだろう。

 

 レムは俯いて黙りこくった。

 

「どうして、ああなってしまったんですか? フェリスさんも原因が分からない、って」

 

「………」

 

「教えてくれません、か?」

 

 最近はずっと黙ってばっかりだったのに。

 

 今日はどうにも積極的だ。

 

 何か心境の変化でもあったのだろうか。

 

「……お前が知る必要はない」

 

「必要はない、ですか」

 

「ああ」

 

 どうにも歯切れが悪い。俺もこいつも。

 

 おかしいな。前はもっと気楽に話せていたはずなのに。

 

 今は、沈黙よりも会話している方が、辛い。

 

 俺に不純物が混じったからか。

 あるいは。

 終わりが、近づいてきているからか。

 

「お兄さんは……」

 

「なんだ?」

 

「──どうして、一人になろうとするんですか?」

『どうして一人になろうとするの?』

 

「──ッ」

 

 その瞬間脳裏をよぎる刹那の記憶。

 

 感じないはずの痛みが走る。

 

 急に何を言い出すんだ、こいつは。

 

「寂しくないんですか?」

『寂しくないの?』

 

「──やめろ」

 

 重なる。重ねてはならない存在が。

 

 この世で一番重ねてはならない相手に。

 

「お兄さんが強いことも、一人でいたいことも知ってます。でも、それでも、レムは……お兄さんを一人にはしたくないんです。だから……私は──お兄さんといたいです」 

 

『私が一緒にいてあげる!』

 

「───。」

 

 黙れ。その言葉が、出なくて。

 

 胸が、苦しくて。

 

「……お兄さん、寂しいですか? 悲しいですか? 辛いですか? 大丈夫です。レムがいます。苦しい時も、辛いときも、お兄さんは一人じゃありません。お兄さんが何も言ってくれなくても、お兄さんがどんなことを隠していても、レムは、お兄さんの傍にいます。──お兄さんを信じています」

 

 ソルの手を掴み、真剣に一生懸命に、励ましとも慰めとも取れない言葉を吐くレム。

 

「……お兄さんがどんなに自分が嫌いでも、自分を悪く言っても、レムは知っています。お兄さんが本当に優しい人だってことを。レムは知っています。お兄さんが不器用な人だってことを。知っているんです。お兄さんが時々レムを見てする悲しい目を。それでも、レムは、お兄さんが、大好きです。……大好きなんです」

 

「………やめろ」

 

 そう言っても、レムは止まらない。

 

 その幼い瞳に悲しみを宿して涙を流しながら。

 

 こちらを見ようとせず、下を向いて、雫を落として。

 

「一緒に、いて欲しいんです。いつかお別れすることになっても、レムが邪魔になって、お兄さんがレムを置いていく日が来ても、レムは、それまでずっと一緒に居たいんです。いつか、捨てられる日がもう一度来ようと、レムはお兄さんと居たいんです。……お兄さんが、大好きだから」

 

「──ッ」

 

「……だか、ら……だからっ!」

 

「──やめろォ!もういいッ! これ以上俺を……ッ」

 

 苦しめるな、そう言おうとして、そんなことを言う資格がこれっぽっちもないことに気づく。

 

 胸が痛くて。心が痛くて。それでも諦められない自分に心の底から反吐が出る。

 

「聞かせてください……っ! どうして、お兄さんはレムを拾ったんですか?」

 

「……ッ」

 

「私には、言えない理由ですか?」

 

 ああ、言えばきっと楽になるのだろう。

 

 ありもしない罪悪感を胸に溜め込んでこのまま心を腐らせていくぐらいなら、もう、ここで終わってしまった方がいい。

 

 きっと、こいつに否定されたら、俺はもう進めない。

 

 これ以上、俺は俺の為に、俺の望みの為に、他者を犠牲にして進む非道を歩めなくなる。

 

 言ってしまえば終わりだ。

 

 それが分かっていて、これまでずっと黙って来たのに、でも、もう、いいんじゃないかと心の奥底の弱気な自分が囁く。

 

 それを必死に叫び続ける幼い自分が否定する。拒絶する。許さない。

 

 

『──仲間の願いをなかったことにするのか。人でなしのお前が、なんでまだ楽しようとしてやがる。楽になんてなっていいわけがねぇ。苦しまなきゃフェアじゃねぇ。あいつらを苦しませて、悲しませて、それでも諦められない復讐心に執着して、できもしない理想を掲げて、ありもしない希望に縋って、最後に残された妹への想いすらなかったことにするのなら、お前は何の為にここまで歩いてきた。何の為に、今生きている。何の為。何の為。何の為だ。すべてはただ一つの願いの為だろ。──力をやったんだ。最後までやり通せよ、畜生以下の人でなし』

 

 

 俺は……

 

 どす黒い瘴気が溢れ出す。心を犯し、魂を穢し、自分の存在すべてを否定する負の集塊。

 

 力があった。それの言う通りにすれば、力を得られる。

 

 凶悪な力だ。あいつにだって通じるほどの。

 

 

「……あぁ、くそ……いつから俺は……ガキに頼るようなクズになったんだ」

 

 

 小声が口をついて出た。

 

「そんな楽するような真似、していいはずがねぇだろ」

 

 それはともすれば言い訳に過ぎなかった。

 

 でも、それもまた事実だった。

 

 俺はもう、手段を選んでいられない。

 それでも、越えてはならない一線がある。

 

 一度決断してしまえば、もう止まらない。

 

 ソルの、隠してきた、本当の目的。

 

 復讐に憑りつかれた男が、何の関係もない子供を拾った理由。

 

 あの日、あの場所に、──ソルがいた理由。

 

 お兄さんとレムが出会えた理由。

 

 それは。

 

 

「……お前を生贄にして……殺したい奴がいる」

 

 

「え……?」

 

 

 そう、ソルがレムに特別優しく接していたのも、危険な行為から身を挺して守ったのも、こうして罪悪感を募らせていたのも、すべては、その為だ。

 

「いけ、にえ……」

 

 あれだけ好きと言ったレムは言いよどむ。

 

 当然だ。レムが感じたもの、見てきたもの、聞いてきたもの、すべてがまやかしでしかなかったのだから。

 

 それが、子供には過ぎた絶望だと分かっていたのに。

 

「……理解したか。俺はお前を利用する為に連れてきただけだ。道具としてな。わかったらそら、部屋から出てけ。……誘拐犯の介抱なんてしたかねぇだろ」

 

「……」

 

「……」

 

 レムは、俺から離れるだろう。

 

 前までとは違う。レムにも頼れる人間が何人かいる。

 

 フェリスもいるし、クロムウェルの爺さんだって見捨てるような真似はしないだろう。

 

 ……これでよかったんだ。

 

 端から誰も頼らねぇと決めてたんだ。

 

 たまたま見つけた出会いに一握りの可能性を感じてしまっただけ。

 

 何もなかった。

 俺たちは出会わなかった。

 はじめっから、こうすればよかったんだ。

 

 俺は、一人でいい。

 一人で、何回でも何十年でも何百年でも、繰り返せばいつか、どうにかなるだろ。

 

「………。」

 

 レムは黙ったままだった。

 

 当たり前だ。すべてはまやかしで、幻想で、ありもしない妄想だったのだ。

 二人の間に情などなく、あるのはただ合理的な打算だけ。それだけだったのだ。

 二人で食べ歩きをしたのも、本を読んだのも、文字を教えたのも、過ごした時間のなにもかも。

 

「……初めからいけにえにするつもりだったなら、どうして……レムに優しくしてくれたんですか?」

 

 レムは、それでも希望に縋りたいのだろう。

 

「……俺の都合で死んで貰うんだ。せめて生きてる間くらいは幸せにしてやろうと思っただけさ。それが俺の最低限の責任だと思った。いや……ただの自己満足か」

 

「………」

 

 希望なんて、ない。

 ただ罪悪感を解消しようとしただけだ。

 くだらない願望だ。

 

 

 

「……でも、お兄さんは、レムに──ピーマルを食べさせました」

 

 

 

 突然、レムは呟いた。小さく、か細い声で。

 

 

「……どうしてですか? レムがいつか死ななければならなかったのなら、どうして、お兄さんは未来のない私に、将来を語ったんですか?」

 

「……そんなの、俺が性根の腐ったクズ……人でなしだからだろ」

 

「いいえ、お兄さんはそんな人じゃありません。お兄さんは、そんなに強い人じゃない」

 

「お前に俺の何が分かるんだよ。俺とお前はまだ出会って一年もない。赤の他人だ」

 

「──時間なんて、関係ありませんっ! お兄さんがくれたもの、お兄さんがレムを拾ってくれたこと! お兄さんがレムの傍にいてくれたこと! 一緒にご飯を食べてくれたこと!頭を撫でてくれたこと!手を繋いでくれたこと! ぜんぶぜんぶ、ぜんぶ! お兄さんがくれたものです!お兄さんがレムを拾ってくれたこと! あの夜の日に、お兄さんと出会うまで、レムは死ぬしかなかったんです。生きる気力なんてこれっぽっちもありませんでした。幸せになれるかもしれないなんて、夢にも思いませんでした。レムの心は、あの日にもう終わっていたんです。……終わった、はずだったんです。それをお兄さんが──見つけてくれた。お兄さんと過ごして、一緒にいて、フェルトちゃんと出会って、ロム爺さんと出会って、師匠と出会って、すごく、すごく、幸せでした……!」

 

 泣いて、叫んで、泣き喚いて、一生懸命、学んだ言葉を尽くす。

 

「……この命は、お兄さんのものです。お兄さんが救ってくれた命なんです。だから、お兄さんのしたいことの為に……レムの命が必要なら、私は……お兄さんの役に立ちたいんです。役立たずなレムが、お兄さんの役に立てるなら、恩返しが少しでもできるなら、──レムの命を使ってください」

 

 ……ガキは嫌いだ。

 

「……死ぬんだぞ」

 

「……お兄さんの為なら、死んでもいいです」

 

 いいわけが、あるものか。

 

「俺は、お前を愛していない」

 

 

「レムはお兄さんを、──愛しています」

 

 

 平行線だ。

 

 ……理解できない。理解できない。理解できない。

 

 ああ、いつから俺は理解できないものを理解することを諦めてしまったのだろう。

 

 あの頃は、もっと、好奇心旺盛で、どうでもいいことの探究に全霊を尽くしていたのに。

 

 理解できないなら研究すればいい。探究して、理論立てる。真理を得る。それが俺の信念じゃないか。

 

 哲学の目的は単純明快、己という存在の真理を解き明かすこと。

 

 俺がどうしたいのか、どうなりたいのか。

 

 

「……俺がどうしたいか、か……」

 

 

 ──熱かった。

 

 体を蝕む熱とは違う。

 

 心を燃やすような炎、魂を燃え上がらせるような焔。

 

 ……ガキは嫌いだ。女も、獣も。嫌いだ。

 

 そいつらはいつだって俺より強いから。

 

 俺より凄い奴らばっかで、俺より格好いい奴らばっかりだ。

 

「………!」

 

 どうしてそう目を輝かせられる。

 

 恩人の振りして自分を利用してただけの奴を、なんで好きだなんて嘯ける。

 

 ……死ねない俺とは違うだろ。一回だけの命だろ。なんで、どいつもこいつも、他人の為にそうやって命を賭けられるんだ。

 

 どうかしてる。

 

 ──一人で死ぬのは、怖ぇだろ。

 

 怖いはずだ。死への恐怖心がそんな簡単になくなることはねぇ。それは俺が一番よくわかってる。

 

 ああ、格好いいよ。

 

 そんで俺はすげぇダセぇ。

 

 

 俺より一回り幼いガキに、こんなこと言わせて、俺がダセぇままでいられるわけねぇよなァ……!

 

 

『『……妹に、格好悪いとこ見せるわけにはいかねぇよなぁ!』』

 

 

 混ざることのなかった熱が、因子が、混ざり合い、溶け合い、中和する。

 

 奇跡の化学反応。絶望の力の希望への昇華。

 

 生まれたソレが、適正のないはずのソルに力を与える。

 

 

 ──どうせ死んだら戻るんだ。

 

 なら、一回くらい俺の好きにやってみたって文句はねぇだろ。

 

 

 ──パシンッ! っと凄まじい威力で頬を叩いた。

 

 

「……お兄、さん?」

 

 

 涙を流し、呆然と少女は青年の突然の奇行を見つめる。

 

 

「……悪い。悪かった。今のぜんぶなし」

 

「え……?」

 

「全部、やめた」

 

 

 

「お前を生贄にはしない」

 

「でも、それじゃあ……」

 

「そもそもお前に頼るにはぽっと出の代案だ。……それに頼りきりになるなんて、俺がひよってただけだ」

 

「いいの……? わたし、死ななくて……っ」

 

「……悪かった、本当に。もう死ねだなんて言わない。お前は俺が拾ったんだ。俺が責任もって守ってやる。……俺なんかに言われても、嫌なだけかもしれねぇけど」

 

「そんなこと、あるはずないじゃないですか……っ」

 

 

 

「これからも、一緒にいていいんですか……?」

 

「お前がそうしたければ、な」

 

「──っ」

 

 

 自分でも、都合のいいこと言ってるのは分かってる。

 

 それでも、あいつらに顔向けできないことは、したくねぇんだ。

 

 

「お兄ちゃんっ!」

 

 

 そう言って、レムはソルに抱き着いた。

 

 ソルに抱き着いて、ソルの服で鼻をかんで。

 

 ふと、自分が言った言葉に気づいて赤面した。

 

 

「あ、ああっ、あのっ、そのっ、えっと!」

 

「好きに呼べよ。前にも言ったろ?」

 

「い、いいの? 本当に?」

 

「ああ、好きに呼べよ。俺みたいのでよければな」

 

「……お兄さんが、ううん、お兄ちゃんがいいんです」

 

「物好きだな。変わってるよ、お前」

 

「お兄ちゃん──大好き」

 

 

 ……今は応えられないその想い。

 

 だけど、まだ小さく、そしていつか大切に思えるかもしれないその背中に手を伸ばすくらいのことは、許して欲しい。

 

 静まり返った病室に、すすり泣く声と、同じくらい喜色を含んだ笑い声が響いた。

 

 

「……ほんと、素直じゃにゃいんだから、ふん」

 

 

◆◇◆

 





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