◆◇◆
ソルは、再び立った。
背には、五匹の獣。
黒い鬣を揺らす獅子が、低く喉を鳴らしている。
影の猫が、音もなくソルの足元に寄り添っている。
呪印を纏った痩せた獣が、震えながらも前を見ている。
目端の利く盗獣が、笑うように牙を覗かせている。
老いた角を持つ獣が、静かに戦場を見据えている。
それは、魂ではない。
死者が蘇ったわけではない。
だが、確かにそこにいる。
ソルが忘れなかったもの。
ソルの魂に焼き付いた生き様。
空無き大地で共に生き、共に戦い、共に死んだ者たちの残影。
瘴気に記憶を与え、不忘で形を結んだ、ソルだけの仲間たち。
レムの影が、わずかに後退した。
黒い救済の魔女は、血のような瞳でソルを見ている。
その顔に、理解の色はない。
ただ、妬ましいものを見るように。
ただ、欲しいものを見るように。
黒い角を揺らし、レムは微笑んでいた。
「お兄ちゃん……」
甘い声だった。
壊れた声だった。
ソルは歯を食いしばる。
胸の奥では、六つの魔女因子が軋んでいる。
そして、背後から流れ込んだ四百年分の瘴気が、今も肉体を内側から削り続けている。
立っているだけで、全身が裂けそうだった。
魂の器が悲鳴を上げている。
それでも、倒れない。
倒れている暇などなかった。
ソルは視線を横へ飛ばす。
黒龍ジズが、神龍ボルカニカの龍殻へ牙を突き立てている。
白銀の龍殻はなお抗っているが、先ほどまでより明らかに動きが鈍い。
フェルトの祈りを奪われた影響か、王統の血に応じた光が弱まりつつある。
ラインハルトはその間を縫うようにジズの爪を斬り、黒い息吹を裂き、パンドラへ斬撃を飛ばしている。
だが、白い魔女は死なない。
剣聖がジズの首を裂いても、パンドラが微笑めば傷は戻る。
ラインハルトがパンドラの胸を貫いても、次の瞬間には「貫かれていなかった」ことになる。
英雄がいる。
世界の希望がいる。
それでも、戦場は終わらない。
終わらせるべき相手が、まだ笑っているからだ。
「ラインハルト!」
ソルが叫ぶ。
剣聖が、ジズの爪を斬り払いながらこちらを見る。
赤い髪が、黒い瘴気の風に揺れていた。
龍剣を握るその姿に、迷いはない。
だが、消耗はある。
剣聖であっても、虚飾で戻る災厄を相手にし続けるのは、終わりのない水を斬るようなものだった。
「こっちは持ち直した」
ソルは言った。
声は掠れている。
だが、通った。
「レムとジズ……両方いけるか!?」
ラインハルトの目が細くなる。
「両方か」
「ああ……」
ソルは五匹の獣を背負い、黒い瘴気を纏ったまま、真っ直ぐに言った。
「お前にしか任せられねぇ」
その言葉は、敗北ではなかった。
丸投げでもない。
これは、信頼だ。
世界最強の剣聖へ、世界を守れと頼むのではない。
レムを救うために、時間を作れと頼む。
ソルが一人では届かない場所へ行くために、外側の世界を支えてくれと頼む。
「できるか?」
問いは短かった。
ラインハルトは、わずかに笑った。
それは誇示ではない。
傲慢でもない。
ただ、任された者の顔だった。
「やってみせよう」
その一言で、十分だった。
「……頼む。借りるぜ、お前の力」
ラインハルトは龍剣を構え直す。
ジズが吠える。
黒い救済の魔女が影を広げる。
その二つの災厄の前に、剣聖は立った。
「――その為に、僕がいる」
その言葉を聞いて、ソルは頷いた。
世界を守る剣聖が。
今、この一瞬だけ。
ソルの、レムを救う戦いのために剣を振るう。
それで十分だった。
ラインハルトが踏み込む。
龍剣が閃く。
ジズの黒い爪が斬り落とされる。
同時に、レムの影がソルへ伸びる寸前で、白い斬撃に断たれる。
影は悲鳴のように震え、すぐに再生しようとする。
だが、その度にラインハルトの剣が走った。
殺すためではない。
止めるための剣。
世界を守る剣聖が、いま初めて、誰か一人を救うためだけに剣を振るっていた。
ソルは振り返る。
パンドラがいた。
白い魔女は、変わらず微笑んでいる。
まるで、全てが予定通りであるかのように。
まるで、ソルが立ち上がったことすら、この祭りの余興に過ぎないとでも言うように。
「妹さんを救うことは、諦めてしまったのですか?」
柔らかな声だった。
だが、その言葉は刃より鋭い。
パンドラは知っている。
ソルが何を失い、何を背負い、何を捨てられないのかを。
知った上で、微笑んでいる。
ソルは歩き出した。
背後に五匹の獣を従えながら。
「いいや」
黒い瘴気が、ソルの右手へ集まる。
大樹から取り込んだ四百年分の澱みが、彼の腕に黒い紋様を刻んでいく。
「その前準備ってやつだ」
パンドラの笑みが、ほんの少しだけ深くなる。
ソルは告げた。
「――お前を殺す」
◆◇◆
パンドラを殺す。
それは簡単な言葉で、最も困難な行為だった。
ソルは右手を振るう。
「――〝バン〟!」
不可視の砲撃が、白い魔女の胸を貫く。
確かに貫いた。
肉を裂いた手応えも、魂へ届いた感覚もあった。
だが、次の瞬間には外れている。
パンドラは何事もなかったように、少し横に立っていた。
「――もし」
「チッ」
ソルの背後で、黒獅子が唸る。
ノインの生き様を宿した黒い獣が、大地を蹴った。
牙が白い魔女の上半身を噛み砕く。
骨が砕ける音がした。
だが、その顎は空を噛んでいた。
影猫が走る。
ツヴァイを象徴する影が、パンドラの背後を取る。
音もなく迫り、首筋へ爪を立てる。
だが、そこにパンドラはいない。
呪獣が地面に呪印を刻む。
フューリーの慎重で臆病な優しさを帯びた呪いが、白い魔女の足元を縛る。
しかし、パンドラは最初から縛られていなかったことになる。
盗獣が笑うように跳ねる。
ズィーヴァの素早さを宿した獣が、パンドラの逃げ道を盗む。
彼女の背後を閉ざし、左右を塞ぎ、前へ出るしかない状況を作る。
だが、パンドラは逃げる必要などなかったことにされる。
老獣が低く唸る。
アインツの叡智を模した獣が、戦場の理を読む。
虚飾がどこで現実をずらすのか。
どの瞬間に事実を書き換えるのか。
その綻びを見抜こうとする。
それでも、パンドラは微笑んでいた。
「無駄です」
彼女は言った。
声は穏やかだった。
戦っているというより、理解できない子どもに教え諭すような声だった。
「私は、そういう存在ではありません」
「知ってるよ」
ソルは血を吐きながら答える。
大樹の瘴気を取り込んだ反動で、体の内側がずっと焼けている。
足元に落ちた血は赤黒く濁り、地面に触れた瞬間に煙を上げた。
「だから、ただ殺すんじゃねぇ」
パンドラの目が、わずかに細くなる。
その表情に、初めて観察する側の興味が滲んだ。
ソルは歩く。
一歩。
また一歩。
五匹の獣が、その後ろに並ぶ。
ソルは未来を知っている。
ロストブルーの未来を。
救済の魔女が世界を滅ぼした果てを。
三大神獣が国々を滅ぼした未来を。
ラインハルトが勝っても救えなかった未来を。
国が沈み、人が追いやられ、空のない地獄が生まれた未来を。
その未来に――パンドラはいなかった。
救済の魔女の隣にも。
世界の終わりにも。
ロストブルーの地獄にも。
叡智の書が示した未来のどこにも。
ソルが何度も死に、何度も戻り、何度も救済の魔女に敗北した記憶の中にも。
パンドラはいなかった。
ならば。
「お前はここで死ぬ」
ソルは言った。
「俺は、それを知っている」
「もし、それが貴方の見間違いだったら?」
パンドラが微笑む。
いつものように。
世界を飾ろうとする。
認識をずらそうとする。
記憶を柔らかく塗り替えようとする。
なかったことに。
そうではなかったことに。
見間違えたことに。
聞き間違えたことに。
思い違いだったことに。
現実を、白く飾ろうとする。
だが。
「――違う」
ソルの声が、それを拒んだ。
――不忘。
忘れない。
塗り替えさせない。
未来にパンドラがいなかったことを。
ロストブルーにパンドラがいなかったことを。
救済の魔女の隣に、虚飾の魔女が立っていなかったことを。
ソルだけは、絶対に忘れない。
「俺は見た」
ソルは言った。
「お前がいない未来を、俺は見た。俺は覚えてる。お前がどこにもいなかったことを、俺は忘れねぇ」
「記憶とは、不確かなものですよ」
パンドラは微笑む。
「痛みで歪む。願望で変わる。恐怖で曇る。貴方が見た未来も、本当にその通りだったと言えるのでしょうか?」
「言える」
ソルは即答した。
「俺は忘れねぇからだ」
胸の奥で、『暴食』の影が蠢く。
パンドラの名へ食らいつく。
存在の輪郭を噛む。
白い虚飾の皮を剥がすように。
そこにいるものの名前を、形を、逃げ場ごと喰らおうとする。
『色欲』の力が、それに重なる。
魂の形を固定する。
別のものだった。
そこにいなかった。
そうではなかった。
その逃げ道を塞ぐ。
虚飾が飾る前の輪郭を、無理やり世界へ縫い止める。
『不忘』が、虚飾の上書きを拒む。
忘れない。
忘れさせない。
ソルが覚えている限り、パンドラのいない未来は変えられない。
パンドラの笑みが、初めて止まった。
「……これは」
「逃がさねぇ」
ソルは踏み込む。
五匹の獣が同時に動く。
黒獅子が正面を砕く。
影猫が足元を縫い止める。
呪獣が魂へ呪印を刻む。
盗獣が未来への逃げ道を盗む。
老獣が虚飾の綻びを見抜く。
そして、ソルが右手を伸ばす。
「お前に未来は来ない」
パンドラの白い瞳が揺れる。
揺れた。
初めて。
そのことに、ソルは気づいた。
虚飾の魔女が、揺らいだ。
「だから」
ソルの手が、彼女の胸へ届く。
「ここで死ね」
黒い瘴気が、白を貫いた。
今度は逸れない。
今度は外れない。
今度は、そうではなかったとは言わせない。
虚飾の魔女が、崩れる。
白い衣が黒に染まる。
肌が罅割れ、髪がほどけ、彼女を形作っていた現実の飾りが剥がれていく。
今度は、戻らない。
見間違いではない。
聞き間違いではない。
そうではなかった、とは言えない。
ソルが覚えている。
ソルが忘れない。
その記憶が、虚飾を縫い止めている。
「……なるほど」
パンドラは、崩れながら微笑んだ。
死にゆく者の笑みとは思えないほど、静かだった。
「これが、不忘……美しい、ですね」
「黙って死ね」
「貴方は、やはり――」
最後の言葉は、黒に呑まれた。
白い魔女が消える。
その胸から、白く歪んだ小さな光が零れ落ちる。
――虚飾の魔女因子。
逃げ場を失ったそれは、吸い込まれるようにソルの胸へ入った。
「ぐ、あ……ッ!」
瞬間、ソルの魂が悲鳴を上げた。
七つ目。
怠惰。
色欲。
憤怒。
暴食。
強欲。
憂鬱。
そして、虚飾。
魂が軋む。
器が割れそうになる。
視界が白く染まり、黒く塗り潰される。
自分の記憶が、自分のものではなくなりそうになる。
いま見ている戦場すら、別の形に飾り直されそうになる。
誰かの声が聞こえた。
これは違う。
これはそうではない。
貴方は最初からここにいなかった。
貴方は誰も救おうとしていなかった。
全部、見間違いだった。
全部、思い違いだった。
「黙れ……ッ」
ソルは胸を押さえる。
七つの魔女因子が、魂の中でぶつかり合う。
大樹の瘴気が、それらを呑もうと暴れる。
五匹の獣が背後で唸る。
それでも、ソルは倒れない。
倒れるわけにはいかない。
時間がない。
彼は振り返る。
――地面に倒れるラムを見た。
砕けた白い角。
奪われた天稟。
血に濡れた姉。
黒い角の妹を見つめながら、なお手を伸ばそうとしている女。
「ラム」
ソルは手を伸ばす。
虚飾の権能を、初めて使う。
万能ではない。
パンドラのようには扱えない。
過去を好き勝手に改変することなどできない。
死をなかったことにするには遠すぎる。
壊れたものを完全に戻すには、ソルの魂が耐えられない。
せいぜい、直近の事象へ薄い布を被せる程度。
見間違いを、現実へ押しつける程度。
それも一度きりに近い。
使えば、さらに魂が削れる。
虚飾がソル自身を喰おうとする。
それでも、ここで使う。
「お前は」
ソルは言った。
「
世界が揺れる。
虚飾が、現実へ被さる。
砕けたはずの白い角が、ゆっくりと形を取り戻す。
完全な再生ではない。
本当の意味で治ったわけではない。
過去が完全に変わったわけでもない。
ただ、今この瞬間だけ。
まだ折れていなかったという虚飾が、ラムへ被さる。
――白い角が輝いた。
ラムの目が見開かれる。
奪われた天稟が、一時的に戻る。
世界のマナを取り込み、蓄積し、撃ち放つ器。
けれど、今そこに立ち上がるのは、傲慢の魔女ではない。
妹を救う姉だった。
「……貴方」
ラムが掠れた声で呼ぶ。
「手が足りねぇんだ。手ぇ貸せ」
ソルは言った。
「ジズを任せる」
ラムの目が細くなる。
血に濡れ、力を奪われ、虚飾でかろうじて立っているだけの体。
それでも、その目に、かつての辛辣さがほんのわずかに戻った。
「誰に命令しているの」
「お前以外の誰がいるんだよ」
「……いいわ。今は問答している時間はないもの。ラムの手を貸してあげる」
ラムは立ち上がる。
白い角が、大気を支配する。
ジズが吐こうとした黒い息吹を、風が喉元で押し戻した。
黒龍が苦しげに吠える。
ラムは片手を上げる。
大気が鎖となり、ジズの翼を縛る。
風が首へ巻きつき、黒龍を地へ伏せさせる。
倒すのではない。
殺すのでもない。
押さえ込む。
それでいい。
「ラインハルト!」
ソルが叫ぶ。
剣聖はレムの影を斬り裂きながら応じた。
その剣閃は美しい。
だが、いつものように全てを終わらせる一撃ではない。
殺さず、壊さず、影だけを断つ。
それは、剣聖にとっても難しい戦いだった。
「レムを殺さず、そのまま影だけを抑えられるか?」
「難しい注文だ」
ラインハルトは龍剣を構える。
黒い影が牙を剥く。
レムの血の瞳が剣聖を睨む。
「だが、やってみせよう」
ラムがジズを抑える。
ラインハルトがレムの影を抑える。
「立てる奴は立て! 倒れた奴は引っ張れ! 兄ちゃんたちの邪魔だけはさせんな!」
フェルトが倒れた者たちへ叫び続ける。
声は掠れている。
だが、まだ折れていない。
「穴を埋めろ! 前に出すぎるでない! 今は踏ん張ってでも耐えるんじゃ!」
ロム爺が再び人を動かす。
先ほど奪われた経験は完全には戻っていない。
それでも、フェルトを守るという一点だけは失っていなかった。
「お願い……あと少しだけ、力を貸してぇ……!」
メィリィは震えながらも残った魔獣を呼ぶ。
加護は奪われ、かつてのようにはいかない。
それでも、まだ彼女の声に反応する子たちがいる。
「ふふ、死に損なうのも、悪くないわね」
エルザは血を流しながらメィリィの前に立つ。
不死性は弱まり、傷は塞がらない。
それでも、刃を握る手は離さない。
◆◇◆
外側の障害は、整った。
完全ではない。
誰も万全ではない。
誰も余裕などない。
それでも、役割は揃った。
ジズを抑える姉。
影を留める剣聖。
戦場を支える仲間たち。
そして、レムと向かい合うソル。
残るは一つ。
レム本人。
黒い救済の魔女の奥にいる、本当のレム。
ソルは黒い影へ向かって歩く。
レムがこちらを見る。
「お兄ちゃん」
声が甘い。
影が手を伸ばす。
ラインハルトの剣が、その影を割る。
開いた隙間。
黒い救済の魔女の奥へ続く、ほんの一瞬の裂け目。
そこへ、ソルは手を伸ばした。
「兄ちゃん!」
背後から、フェルトの声が飛んだ。
振り返らない。
振り返れば、足が止まる気がした。
それでも、その声は確かに届いた。
「レムを、頼んだぞ!」
ソルは小さく息を吐いた。
「ああ」
短く答える。
その横で、ラムがジズを風で縛りながら、血の滲む唇を開いた。
「ラムの妹を、頼んだわよ!」
その声は、いつものように高慢だった。
けれど、ほんのわずかに震えていた。
姉としての声だった。
ソルは口元を歪める。
「命令すんなよ、お姉さま」
「命令よ……必ず連れ戻しなさい」
「……上等だ」
ラインハルトが、影を斬り続けながら言った。
「ソル」
「なんだ」
「世界を――」
その先は、言わなかった。
救え、とも。
託す、とも。
頼む、とも。
だが、それで十分だった。
ソルは黒いマフラーを握る。
「俺は世界なんざ救わねぇ」
「知っている」
ラインハルトは静かに答えた。
「だから、君に頼むんだ」
ソルは笑った。
苦く、短く、けれど確かに笑った。
「面倒なもん押しつけやがって」
「君ほどではないさ」
その一言に、ソルは背を向けたまま肩を揺らす。
精神へ潜る。
魂の奥へ落ちる。
一度きり。
失敗すれば、もう戻れない。
肉体は残っても、魂が嫉妬に呑まれるかもしれない。
レムを救えず、逆に全てを奪われるかもしれない。
それでも、行く。
五匹の獣が、背後で静かに彼を見送っている。
ノインが。
ツヴァイが。
フューリーが。
ズィーヴァが。
アインツが。
魂ではない。
本人ではない。
けれど、確かにソルの背を押していた。
ラインハルトが影を斬り続けている。
ラムがジズを縛っている。
フェルトたちが戦場を支えている。
全部が、ソルを送り出していた。
黒い影の向こうで、レムが微笑む。
「お兄ちゃん」
愛をねだる声。
嫉妬に濡れた声。
けれど、ソルには聞こえた気がした。
その奥で、泣いている小さな声が。
お兄ちゃん、と。
助けて、と。
レムは、言わない。
救済の魔女は、言わせない。
だから、ソルが言う。
「待ってろ、レム」
黒い影が、ソルの腕へ絡みつく。
冷たい。
重い。
深い。
それでも、ソルは退かない。
「今、会いに行く」
迎えに行くのではない。
救いに行くだけでもない。
会いに行く。
もう一度、ちゃんと向かい合うために。
そして、いつか別たなければならない因果を、その手で抱き締めるために。
黒い影が、彼を呑み込んだ。
◆◇◆
外では、ラムの白い風が黒龍を地へ縛っていた。
剣聖の刃が、嫉妬の影を斬り裂き続けていた。
仲間たちが、崩れた戦場を支えていた。
だが、勝負はもう外にはない。
黒い救済の魔女の内側。
嫉妬に呑まれた少女の心。
そこにいるはずの、本当のレムと、もう一度出会えるかどうか。
世界の命運は。
兄と妹の物語は。
たった一人、ソルの手に託された。
◆◇◆