野望も抱けずにひたすら生き残ろうとしてる畠山政頼さんの転生物語 作:区星
「将軍足利義栄から書状が来ている、あたしが織田信奈に味方するなら、東国は切り取り自由、畠山政頼に与えた管領の座を与える。くだらんが……心を動かされる家臣もすくなくない。
上杉謙信、貴様との決着をつけられる。その一点であたしを押し切ろうとしている……聡いな、さすがは足利家の将軍だけはあるか?」
「何が言いたい、武田信玄」
「貴様との決着は無意味かつ無駄だ、あたしも蘆名盛氏と貴様のぶつかり合いを見て思い知った。
蘆名盛氏は、あたしの想像を超えた天才だ、戦場において上杉謙信を上回る天才が居るとは想像が付かなかった」
あのまま、未完成だったあたしと、貴様で川中島を戦っていたら。どれほどの犠牲を出しただろうな。
「っ、信玄、お前が信濃を侵略しなければ何も起こらなかった。二人が戦場で争うこともなかった」
「謙信。あたしはお前と違って、ただの人間だ。毘沙門天でも不動明王でもない。人間の乱世を治めるものは、人間さ。神でも仏でもない。もうそんなものは人を救わない、とっくの昔に人を救う力など失っている。お前は毘沙門天を気取り、義を示すために無償の戦いを続けて、戦えばすなわち勝った。勝ち続けた。お前はいまだに、戦場での負けを知らない。だが、それでなにを得られた? 結局、関東は上野を除き北条氏康のものとなり、信濃はあたしのものになった。そして、蘆名盛氏はお前の仇敵となった。お前はいったいなにを得た? ただ人間であることをやめて、誰よりも孤独になっただけではないのか?」
「武田信玄。お前は、わたしのすべてをそうやって否定するのか」
「違うな。お前が、あたしのすべてを否定したんだろう。お前は、あたしと父との関係のなにを知っている。どこまで理解している? あたしが、嬉々として自分の父親を甲斐から追放したとでも思っているのか?」
「親不孝者め。武田信玄。お前はやはり、許しがたい悪だ。わたしは、お前が憎い。狂おしいほどに」
「気が合うな。あたしもそうだ、上杉謙信。毘沙門天を名乗る越後の小娘。戦の天才、軍神と呼ばれる最強の姫武将。しかし戦国の世に、最強は一人で充分だ。あたしは毘沙門堂の扉をこじ開けて、お前を天界から引きずり下ろしてやりたくてたまらない」
「できもしないことを。いちどでも、わたしが待ち受けている本陣へ一騎駆けしたことがあるか?」
「それを言うな謙信。あたしはお前のような神がかりではないぞ! 武田家の当主には、大勢の一族郎党、家臣団、領民に対する責任がある。そんな無謀なわがままが許されるか!」
「姉上、そこまでに。この度は宣戦布告をしに来たのではないはずよ!」
「待ちなさい! 二人とも! ここは宣戦布告の場じゃないのよ! 三国で同盟を結び、織田信奈を滅ぼすために集まっているのよ! 落ち着きなさい!」
武田信繁と北条氏康が、一触即発の信玄と謙信をけんめいに止めながら、話を本筋に戻した。
「私はこれまで、風魔から厳選した忍びの者を送り込むなどして、織田家家臣団に不和の種を蒔いてきたわ。戦わずして勝利を収めるのが北条の流儀だもの。でも、畠山政頼は風魔の不和の種が通じないし、本猫寺の降伏が私の予想よりも三年は早かったわ。このままでは不和の種が花として咲き誇るよりも早く、織田信奈は天下を盗ってしまう。それもこれも上杉謙信と武田信玄、あなたたち二人が意地を張り合って歩調を合わせないからよ。漁夫の利を攫われるとはこのことだわ」
北条氏康は息継ぎをしさらに続けた。
「今まで私たち三人は、東国を巡って戦い続けてきた。その隙に泥棒猫のように上洛を果たして畿内を着々と平定しているのが、あの憎い織田信奈よ。奥州の覇者・伊達政宗、麒麟の将・蘆名盛氏と天下人・織田信奈に東西から挟まれている私たちは今ここに甲相越三国同盟を結ぶべきよ。私は単身で伊達政宗と蘆名盛氏を食い止めるわ。小田原城の守りはさらに鉄壁となった。奥州軍が再度襲来しようとも、一年は持ちこたえられる。その間にあなたたちは上洛軍を興し、織田軍を粉砕するの」
「北条氏康様、お言葉を返すようですが……蘆名盛氏が単身で離脱し、東山道を通り武田の後背を突かない保証は出来るのですか?」
武田信繁が冷静に腰を折る、彼女も武田の代理人の一人である。
「ぐっ……」
「わたしですら思いつくのですから、畠山政頼も当然のように思いつくはずです。北条氏康に関東諸将と伊達政宗を当てて、蘆名の最精鋭の騎馬を抽出し武田の後背を突く。これだけでも悪夢的なわけです」
「それを止めるためには……蘆名・伊達連合軍に決戦を挑んで貰わないといけないわけですが、その覚悟はあなたにありますか?あるというのならわたしから言うことはありません」
「あるわよ!」
氏康が懸命に話を本題に戻す。
「信玄。あなたは川中島で決着をつけられなかった。謙信と決着をつけたいという気持ちはわかるわ。でも、それは織田信奈を滅ぼしてからにしなさい」
「それはわたしの判断の結果だから、あのまま戦えば甚大な被害が出ると思った、だから蘆名盛氏を小山田に動かしてもらったの」
無限に続くとも思われた川中島での対戦の繰り返しで、両軍は倦んでいた。 「御館さまはただ上杉謙信と会いたい一心で川中島へ出兵しているのではないか」「もしや謙信さまは武田信玄と同じ戦場で時を過ごしたいだけではないか」と、両軍の家臣団が不満と疑念を抱き、爆発寸前となった。
生涯不犯を誓い男を寄せ付けない上杉謙信と、享楽的な性格でありながらなぜか男の噂がなく周囲に姫武将ばかりを集めている武田信玄とは、女同士ではあるが実はそういう関係──恋仲なのではないか、敵同士となった宿命ゆえに戦と称して川中島にお互い何度も足を運びひそかに逢瀬を繰り返しているのではないか、とどこからともなくまことしやかな風聞が伝わり、両軍の家臣たちを動揺させていた。
両者の力は完全に互角、正面から戦えばお互いに無事ではすまぬ、両軍ともに滅びるやもしれぬ、と信玄と謙信は不満を抱えた家臣団をなだめたが、越軍は「義のための戦と思えばこそ無報償の合戦に耐えてきたが、武田信玄との逢瀬などにはつきあえぬ」と納得せず、武田軍も「信濃の片隅にある猫の額のような土地・川中島などに何度出兵しても、領地など増えぬ。天下への道も見えてこぬ。これはいったいなんのための戦なのか」と憤った。
それでも、武田信繁と小山田信茂は諦めなかった、対陣中のギリギリまで蘆名盛氏の出兵の工作に勤しみ、啄木鳥の陣を発動するかという軍議のその日に蘆名盛氏の神速の進軍を引き出したのである。
蘆名盛氏の本隊の進軍は神速であり、上越を五千で強襲、新発田長敦が籠城を選択したために新発田城こそ落とせなかったが、ガラ空きの本庄城を陥落させるなど、大暴れに暴れた。
別働隊を担った金上盛備は一万の軍勢で箕輪城を強襲し、内応もあり陥落させた。
その為、上杉謙信は重い腰を上げて撤退し、上越の奪還をせざるを得ない状況になり、川中島での対陣は終わりを告げた。
両軍共に失うものは決して少なくは無かった。蘆名盛氏の介入のために上野方面への進出を武田家は断念したし、上杉謙信は初めて領土を失陥した。
しかし、莫大な犠牲を両家共に払わなかったと考えると、意外にも安くついたのかもしれない。
信玄と信繁、謙信が川中島に思いをはせている間に──。
北条氏康が足利義昭の「お手紙」を読み上げていた。
お手紙将軍とも、こども将軍とも揶揄される足利義昭。今は、西国の毛利家に居候している。
まだ幼女だが、足利家の人間らしく策謀に長けており、そして恩賞はとほうもなく気前がいい。空手形ともいう。
『最初に上洛した者を足利幕府の管領にするのじゃ』
上杉謙信、武田信玄、毛利のうち上洛一番乗りを果たした者を事実上の天下人とする、と義昭はいきなり途方もない恩賞をぶち上げた。
戦国の二大英傑・上杉謙信と武田信玄を休戦させ、上洛一番乗りを賭けて競わせれば織田信奈は防ぎきれずに遠からず滅びるだろう。
なにしろ、一歩でも遅れれば不倶戴天の敵が天下人になるのだ。謙信も信玄もこれまでとは違い目の色を変えて上洛軍を進めてくるだろう。
二番目の提案。
『北条氏康の妹を、生涯独身を貫く上杉謙信の養女とせよ。その姫が、謙信没後の関東管領となるのじゃ』
関東の支配権という実利を追う北条家と、関東管領上杉家の復興という義を貫こうとする上杉謙信。両者の名分をともに立てる、絶妙の奇策だった。
謙信はやまと御所や足利幕府の権威を重んじ、古いしきたりと秩序を守ろうとするが、「血」にはこだわらない。「家」という「器」さえ続けば、それで秩序は維持できると信じている。
だからこそ、本来は上杉家の家臣筋にすぎない長尾家の生まれである謙信自らが、関東管領上杉家を継いだのだ。
一方の北条は、関東の覇権という実利さえ得られればいい。もともと、北条という姓すら関東の名家から拝借したものにすぎない。「北条」が「上杉」になっても、関東の支配権を得られるのであればなんら問題はない。
しかし、三番目、足利義昭が繰り出してきた最後の提案が、問題だった。
『川中島はわが足利家の直轄地とし、緩衝地帯となすのじゃ』
上杉・武田間の禍根を、「川中島を両者から取り上げる」という奇策によって断ってしまおう、というのだった。
なにしろ、今の足利将軍には直轄領というものがない。立場は、毛利家の居候なのだ。
ゆえに信玄も謙信も、「足利家に土地など寄進しない」とは言えない。だが、これは信玄にも謙信にも、そう簡単に飲める条件ではなかった。
「どうかしら。実にいい提案をいただいたと思わない? 私は乗るわよ。これならば誰も損をすることなく、名分を失うこともないわ。ただ、上洛一番乗りを果たす者が上杉謙信か武田信玄か、という一点を除いてはね。一番乗りを果たした方が、川中島合戦の真の勝者というわけね」
川中島は今でこそ武田領になったものの、合戦で決着がついたわけではない。海津城の完成をもってほぼ決着がついたようなものであるが、武田信玄も上杉謙信も接点である川中島をそう易々と譲るわけには行かない。
「武田信玄。あなた宛てにもう一通、書状が届いているわ。差出人は足利義昭さまではないわよ。よくご覧なさい」
その書状をそっと手渡された信玄と横から署名を覗き見た信繁の表情が一変した。
「姉上……!?」
「……これは、本物なのか?」
「ええ。正真正銘の、ほんものよ。足利幕府の権威などなんとも思っていない武田信玄を立ち上がらせるためには、どうしてもこの書状が必要だったの。書かせるのにとても苦労したわ。さあ、どうするの武田信玄?」
「だが……」
「姉上、これ以上迷うつもりですか? わたしから夢、いや野心のために後継者の座を手放させて、姉上がついたのでしょう? であれば私情に惑わされることなく、必要な決断を下すべきです」
「次郎、だが……」
「しっかりしてください、今の姉上は勝千代ではなく武田信玄なのですから」
「これでも迷うと言うことは、つまり信玄。あなたは上杉謙信がそれほどまでに大切なのね」
「ふ、ふざけたことを言うな! 上杉謙信は、川中島という籠に閉じ込められた小鳥だ。龍でも毘沙門天でもない! だがあたしは違う。川中島の呪縛などもうあたしにはない。これから行動で証明してみせる」
…………
……
「上杉謙信さま、畠山政頼には気をつけてください。わたしと相似にして重なり合わない人、わたしの終生の好敵手にして、運命の人」
「そう、覚えておく」