聖園ミカの初恋   作:ずゆ

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それらとは別種の、無音の恐怖

 小屋は海の見える山のてっぺんに立っていて、西向きの二階の窓からは遠くに街も見えた。また小屋の中には椅子や机といった家具や、調味料と数日分はもつ量の食料もあった。そのみすぼらしい外見に比べれば、随分と立派な小屋に思えた。

 セイアはマッチ棒を箱から一本取り出して火をつけると、薪のくべられた暖炉に置いた。しばらくすると暖炉の火は十分な大きさで燃え始め、部屋の中は暖かくなった。

「まだ話さなければいけないことは沢山ある」とセイアは言った。

「うん」

「しかし急ぐ必要はない。正確には君は急ぐ必要はない。君が急いでどうにかなる話ではないということでもある」

「つまり?」

「紅茶でも淹れよう。茶葉は沢山あるようだ」

 彼女は暖炉の上で湧いたケトルからティーサーバーにお湯を注いだ。食器棚にある適当なティーカップに淹れられた赤い紅茶は、今まで飲んだ紅茶よりも味わい深く感じられた。色が見えるというのは豊かな体験だった。

「『白雪姫』、その物語は知っているね?」

「おそらくは」

「鏡の答えた最も美しい白雪姫に嫉妬した魔女が、あらゆる手を使って白雪姫を殺そうとする。最後には魔女によって毒林檎を食べさせられこと切れるが、王子によって救われる。そんな話だ」

 うん、と私は頷いた。記憶していた内容と相違なかった。

「本の世界から抜け出すには、その筋書きを一通り終えなければならない。仔細は帰られても、大筋から逃れることは出来ない」

「それで、私は毒林檎を食べないといけない。白雪姫みたいに」

「そう。君が主人公として読んでしまったからね」

「毒林檎はどこに」

「近く現れる」

 セイアはティーカップを器用に持って少し口をつけた。正式な持ち方は確かそんな感じだったな、とどこかで聞いた知識を思い出しながら、私はいつも通りの持ち方でまた少し紅茶を飲んだ。

「恋バナでもしよう」

 いきなりセイアがそんなことを言い出すものだから、飲んでいた紅茶が気管支に入り込んで私はむせてしまった。胸の辺りを叩いていると、彼女が申し訳なさそうにすまない、と言った。

「ごめん、意外で」

「確かに私には縁遠い話かもしれない。私が聞きたいのは、君のことだ」

「私の?」

「そう。とりわけある一人に対しての君の思いを」

 セイアはもう一度紅茶を飲んだ。

「不躾にも単刀直入に聞こう。ミカのことをどう思っている?」

「随分と単刀直入だね」

「お互いに苦手だろう、前置きのような会話は」

「まあね」

 彼女の座っている椅子がギイと音を立てて軋んだ。暖炉は相変わらずパチパチと音を立てながら燃えている。

「ミカに好意を寄せられていることに気付いていない訳ではないだろう?」

 詳しい事情を省くと、私は彼女から好意を寄せられている。それはかなり私のせいである部分が大きい(それはそうだ、年頃の少女を助けるときの決め台詞にお姫様と呼ぶのはどう考えても適切ではない)。

 彼女はあの一件で大切なものを得られた、と私は勝手に思っているけど、同時に色々なものを失ってしまったとも思う。時々思うのは、彼女が私との時間を求めるのは、失ってしまったものを埋めようとしているのではないか、ということだった。つまり人間には誰かと言葉を交換し合う時間が必要で、その選択肢が狭まってしまった彼女には私以外にあまり残されていないだけなのではないか、ということだ。年頃故の不安定な精神性が生んでしまった歪のような恋にすら思える。

「正直に言えば、私はミカにどうやって接すればいいのか分からない」

「今から先生には酷な話をすることになる」とセイアは言った。「この世界から抜け出すために、君はミカの気持ちにある程度答えを出さなければならない」

 私は唾を飲み込んで、彼女が言葉の続きを話すのを待った。

「ミカは今、君を探している。彼女が白馬の王子様にならなければ、この物語からは出られない」

「つまり?」と私は聞いた。

「ミカと口づけ出来るかい? それがどれだけ重い契りか、分かるだろう」

 

 私はセイアに色の名前を教えて貰いながらしばらくその小屋で暮らすことになった。しばらく、と言っても彼女の説明によれば今日を入れた三日間だけのことのようで、全ての物事はその三日間の内に集約されているということだった。

 パスタを茹でている間、私の心はその小屋でも現実でもない、どこか遠い所にあった。思考は断片的でまとまりがなく、空虚で冗長だった。ぼんやりとした死へのイメージを抱いていた。

 キヴォトスに来てから何度か死を予感する出来事はあった。しかし彼女の言う毒林檎によってもたらされる死には、それらとは別種の、無音の恐怖が備わっていた。血が流れるか否か、という違いではないかな、と私は思った。

「食べない、という選択肢もある」

 トマトソースのかかったパスタを食べ終えてから、彼女は私にそう言った。白い服をよく汚さずに器用に食べられるものだな、と私は思っていた。

「するとどうなるの?」

「死なない代わりに、出ることも叶わない。君はこの世界と生きていくことになる」

「なるほど」と私は答えた。

「ミカがここを見つけるのはまだかかるだろう。焦燥もあるが、僥倖でもある。悩む時間が必要だろうからね」

「うん」

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