「完璧だよ、弔」
甚大被災区域のさびれた街並みに潜む雑居ビルのフロアに、小さなバーがある。
小さなPCのモニターの向こう側には、弔たちの『先生』が座っている。
チュートリアルの成功程度では、直接労いには来ないか、と軽く失望する弔。
かつてAFOの勢力が全盛期であったころ、全国のいたるところでヒーローとヴィランの抗争が生じ、さまざま地域が抗争という『災害(※国家は内戦と認めるわけにはいかなかった)』に飲み込まれ、瓦礫の山と化すか、あるいは無人化と廃墟化が進んだ。
オールマイトの登場と、AFO勢力の衰退に伴い、それら甚大被災区域は様々な復興特措法に基づき、各種助成金などが投入され、再建の途上にある。
つまり、よくわからない資金が流れ込みやすい環境にあるのだ。
これを利用しないヴィランは、いない。
もちろん、その制度を作らせたのはAFOである。
政界というものは面白いもので、資金供与と票田を用意してやれば、なびく議員とて多い。
そもそも、民主主義というものは、そこに所属する様々な主義主張を持ち合わせた者たちの意見を、代議士が代弁するという構造なのだから――ヴィランの意見を代弁する代議士が混ざっていたとしても、民主主義そのものじゃないか、とAFOは宣う。
「先生、途中で余計な奴に邪魔されちまったけどよ、これで俺の『商材』ってのがそろったんだよな?」
弔は黒霧の用意したショットグラスを傾けながら、チュートリアルの報酬を確認する。
先生の事前説明によると、報酬は商売のタネだとか。
「その通り。脳無の『実戦証明』を君は手にしたんだ。トップ高の生徒たちを容易にねじ伏せ、オールマイトの足止めすらできるという実戦証明があれば、引く手数多さ」
AFOは、弔に組織の作り方を教育しようとしていた。
かつてAFOは全国に広がる犯罪ネットワークと武力集団を擁していたが、オールマイト他、ヒーロー連中の逆襲によってその勢力は衰退した。
これをヒーローの勝利、ととらえる解釈もあるが、AFOは解釈など興味がない。
AFOは、常に事実に注目する。
AFOの勢力がかつて伸長したのは、それを欲する人々がいたからだ。ヴィランの存在を望む、あるいは、その存在を許容する人々と世の中の仕組みが背景になければ、そもそもヴィランというものは居場所を失い、勝手に衰退するはずだ。
つまり、オールマイトらの活動は、対症療法に過ぎないということだ。
いつでも、世界はヴィランを待っている、といえよう。
『需要』さえあれば組織は何度でも蘇るのである。
「弔、商材を使って、活動資金を集めたまえ。世の中には、面白いほどに需要があるからね」
AFOが促すと、弔が首をかしげる。
「ンなこと言ったって先生よぉ、俺だって世間知らずってわけじゃねぇ。新参の若造が『おっす、暴力いかがっすか?』なんて挨拶かましても、まず信用されねぇだろ」
先生の言う通り、顧客はいるだろう。
だが、ヴィラン連合という新興暴力メーカーと取引をしてみようと思う顧客がすぐに湧くなどありえない、と考えた。
当の弔自身が、何も知らない奴と簡単に取引したいと思う性格をしていないように、相手も同じく、こちらを警戒するはずだ。
「すばらしいよ、弔」
ぱちぱちぱち、と乾いた拍手がスピーカー越しに響く。
所詮は御愛想だろうよ、と弔は真に受けない。
先生のことは信頼しているが、先生自身が弔に教えてくれたことがある。
言葉の裏には、意図がある、と。
「弔、信用されるなんてのは、ずっと先の話だ。そして、弔は資本主義と自由主義が合わさった経済というのものの仕組みを思い出すといい」
先生に促され、弔は先生の授業を思い出す。
すべての財やサービスは、需要と供給に分けて考えることができる。
そして、財やサービスは、破綻市場でない限り、大抵は何かしらの方法で手に入る。
「……ははぁん、わかったぜ、先生。信用ってサービスを扱っているやつを見つけりゃいいんだな?」
弔は、自分を包んでくれている家族が、そうだ、と肯定してくれているのを感じる。
父さんも、母さんも、よくできたね、とその手で撫でてくれている、と、まとった手に、弔自身の手を重ねる。
「その通り。世の中では信用を扱っている連中の事を、商人という。モノを作るわけでもなく、サービスを提供するわけでもない。本物の商人というものは、モノとサービスの仲立ちとなって、金と信用を増やしてくれる」
先生に促された黒霧が、一枚のレポート紙を弔に手渡す。
そこには『義爛』なる男の簡単な紹介と、連絡手段が記されていた。
「お膳立てはしたよ、弔。あとは、君の自由だ」
「そうかよ」
通信が、終わる。
暗くなった画面に見切りをつけて、戸村は手元の紙きれに視線を落とす。
この義爛とかいうやつを使って、まずは金集めか。
「超常社会ってゲームは、キャラ集め、経験値集め、金集めばっかすんのか。とんだクソゲーだぜ」
とはいえ、ゲームなら、攻略できないはずがない。
むしろ、攻略しないと気持ちが苛立って仕方がないのだ。
「おい、黒霧、義爛とかいうのに連絡しろ。俺が直接挨拶に行くって伝えろ」
ヘッドらしく、丁寧にごあいさつと行こうじゃないか、と、弔は新しいゲームの攻略に熱中し始めた。
AFOは弔との通信を切り上げ、生命維持装置に囲まれた一室で、雄英高校を襲撃した映像記録を確認していた。
特に注目していたのは、1年A組の状況と、オールマイトの関係性である。
「OFAはいまだ譲渡していない、か」
AFOはかつての死闘により、オールマイトが長く戦えない体になっていることを当然知っている。
あの平和の象徴たらんと行動する男のことだから、早々に後を継げそうな存在を見出し、そのものにOFAを継承するだろうと予想していたのだが、どうもそうではないようだ。
画面上で脳無たちを一心不乱になぎ倒すオールマイトの姿は、さすがに全盛期ほどではないが、やはりいまだ充分に戦える技量と体力を残していた。
「情報収集にはコストをかけるべき、とはよく言ったものだよ」
何よりもAFOが知りたかったことは、オールマイトがすでにOFAを誰かに渡しているのかどうか、の一点であった。
これを知らねば、今後の計画の立てようがないのだ。
ゆえに、量産体制がようやく整いつつある脳無の初期ロットをすべて投じて、多方面に対する強行偵察を実施した。
生徒たちを徹底的になぶり、オールマイトには数をぶつけることで、OFAの所在を明らかにしたいという、欲があった。
誰かに渡しているならば、オールマイトは勝手に衰退していくので、機を見てハラスメントを仕掛けてやればいいだけの事。
しかし、だれにも渡していないとなると、活動時間は短かろうが、オールマイトは強敵として立ちはだかってくる。OFAの継承者が成長するまでの時間稼ぎ要員などというポジションではなく、十数年の経験と、無数のヴィランをなぎ倒してきた技量を備えたヒーロー界の怪物に備えるよう、準備せねばならない。
現時点で、オールマイトがOFAをだれにも渡していないと確定した以上、体も直ってきたことだし、オールマイトと遊んで体の出来を確認するか、というわけにはいかない。
普通に、死をデリバリーされる可能性が高い。
「厄介だなぁ、オールマイト。その力、早く誰かに手渡してくれないかな?」
AFOは一人、ため息をつく。
邪魔をしてくる奴は弱いほうがいい。
継承さえしてくれれば、オールマイトが弱くなり、受け手もまたその力を制御できない。
歴代のOFA継承者たちは、徹底的に力を引き継ぐことを重視し、いつの日かAFOを超えられる継承者が来ると信じて散っていったが、もう、それをさせるわけにはいかない。
「まだ、チャンスではない、か」
雄英に潜入させている青山からの報告では、1年A組にOFAを継承している可能性が高い人材が二人いる、と知らされていたが、それは青山少年の予断が差し挟まっていた報告だったようだ。
念には念を入れ、青山の報告よりも広い可能性を想定し、1年A組はすべてなぶっておくことにした。
だが、それらしい尻尾は明らかに、無かった。
確かに、緑谷と爆豪という二人は、よくできていた。
だが、長年OFAの継承者たるオールマイトと戦ってきたAFOだからこそわかる。
術理も、技も、体作りも、オールマイトとつながりが極めて薄いことを示している。
弔に成功体験を与えるための材料としては良くできていた、という程度だろうか。
弔にはこのまま成功体験を積み上げてもらい、増長し、慢心してもらわなければならない。ヴィランの王とでも勘違いしてくれるくらいまで育ったところで、その自信を砕いてやろうとAFOは考えていた。
人を操るときは、利益誘導と心理誘導が最も効率的なのだ。
たとえヒーローであろうとも、積み上げてきた努力が無意味であったことを自覚させられると、簡単に折れる。
ヴィランもまた、人である以上同じなのだ。
心を手折れば、おのずから自暴自棄となり、救いを求めるようになる。
もちろん、救いの手を差し伸べるのは、AFOである。
そうやって、AFOは欲しいものをすべて手に入れてきた。
これまでもそうしてきた。
これからもそうするだろう。
そこに、深い理由はない。
かつては、確かに理由もあったのかもしれない。
だが、数世紀に渡り、長らくAFOを演じてきた結果、意思、というものが想像以上にあいまいなものであることを実感している。
かつて、人類は外宇宙へと進もうとしていた。
しかし、超常黎明期へと突入した際、人々は団結ではなく、互いの違いを理由に争い始めた。
その頃のAFOは『異なる側』の立場に立って『普通』の人間たちに刃向かっていた。
自家用車感覚で宇宙に飛び出せるほどの科学力と資源は、互いの違いを争うことに費やされ、結局、人類はただ、逼塞した。
その逼塞のサイクルの延長が、現代である。
いまもまた、AFOは相変わらず『異なる側』に立っている。
だが、超常黎明期から百年以上を経て、個性が一般化し、社会制度は個性を前提としたものに成り代わっているにも関わらず――いまだに、AFOは『異なる側』に立ったままだ。
あの頃と、何が変わったのだろうか?
異なる側も、普通の側も、その内容はかつてとは様変わりだ。
個性があることが、異なる側だった。
今では、個性を悪用する側が異なる側になっている。
「博士、個性の悪用とはなにかね?」
唐突なAFOの質問に、背後に控えていた禿頭の小柄な老人が答える。
「多数派によって定められる規範を逸脱するものですな」
ならば、個性を悪用するものたちが多数派になれば、それは『普通』ということだろう。
相変わらず、世界の構造は『異なる者』たちと『普通』の対立構造は続くわけだ。
「退屈だなぁ」
AFOは、世界の変わらなさに失望する。
だからこそ、OFAに期待したい。
退屈な世界の構造を変える一撃を、あの弟の意思を継ぐ者たちがかましてくれるのか、楽しみで仕方なかった。
職員会議室に集合していた教職員たちは、耳を疑った。
根津校長の言葉に、どう返事をするべきか全くわからないまま、沈黙する。
「だからさ、体育祭を盛大にやろうと思うんだ。もとからマスコミも呼んで、広報戦略とか生徒の就職アピールなんかに使ってたけどさ、今回の体育祭は、そういうレベルにはしないよ」
各教職員の手元に配布された、総合個人戦技演習、と題された体育祭に関する資料には、根津校長の計画の委細が記されている。
曰く、今後、確実にヴィランはその勢力を再度拡大せんと、政財界から一般市民に至るまで様々な方法で、自らの存在を許容させようとしてくるだろう、と。
これはすなわち、ヴィランによる世論戦であり、世論戦で敗北すれば、軍事的には勝利を収めていたが撤退をせざるを得なくなってしまったヴェトナム戦争のごとく、ヒーローによる秩序社会は後退を迫られるであろう、とする。
「世論を、ヒーローに向けさせる。特に、ヒーローになろうとする若い世代を大衆に観てもらいたいんだ。かつて高校野球なんてのがあったり、オリンピックってものがあったけれど、あれと同じさ。自分の事じゃないのに、応援したくなる気持ちを、大衆に植え付けるんだ」
根津校長の言葉の筋は通っているのかもしれない、と、オールマイトは頭では理解した。
しかし、学校に侵入された挙句、生徒たちにケガをさせた事実は、当然、保護者に動揺を与えたのもまた事実。
生徒の保護者たちは、当然、盛大な体育祭よりも、子の安全を祈る。
根津校長とオールマイトは、襲撃事件の後、1年A組の生徒の家庭をすべて巡回訪問して、深く謝罪するとともに、保障と今後の対応について説明を行った。
襲撃を許した事実をどの家庭も重く受け止めていて、時には罵倒され、時には追い返された。謝罪のために頭を下げるしかないオールマイトだが、敵に足止めされてしまったことをひどく叱責されると、情けなさのあまり胸が苦しくなる。
ナンバーワンヒーローにも、不可能というものがあるのだ。
だが、人々はそう考えない。
オールマイトは、希望であり、正義の象徴なのだ。
悪に追い詰められた人々が、最後にすがる希望の星。
それが、近くにいるにもかかわらずこなかった、という事実。
平和の象徴になりきれなかったことを、オールマイトは深く後悔していた。
「校長先生、体育祭をやるよりも、雄英の警備の強化と、教育体制の充実に力を注ぐべきなのではないか、と私は思うのです」
オールマイトが、胸中を大人の論理で隠しながら、根津に訴える。
「違う、それは違うよ」
根津校長が、小柄な体をそらして、言い切った。
「僕の説明が悪かったね。ついつい大人相手の説明になってしまって、申し訳ない。僕の本当の気持ちを伝えようか。僕はね――1年A組の生徒たちが、再び立ち上がる場を用意したい。それ以外の事は、正直、申し訳ないがどうでもいいんだ」
ヴィランと戦い、敗れた1年A組の事は、教職員他、生徒一同もだれもが心配していた。
メディア経由での報道しか知らない生徒たちは、一方的に蹂躙された生徒たちを憐れむ同情の気持ちが強いが、事実を知っている教職員は違う。
彼ら、彼女らは、本物のヒーローだったのだ。
最後まで抵抗を続け、オールマイトやヒーローたちが助けに来る、と信じて戦い続けたのだ。
だが、教職員一同のふがいなさゆえに、1年A組は敗れた。
オールマイトや他のヒーローが苦戦した脳無なる複数個性を有する個体を、複数体、生徒だけで仕留めた事実は、文字通り驚嘆に値する成果であった。
もしこれがプロヒーローの世界であったなら、直ちにトップ50入り間違いなしである。
そのような、本物たちに、もう一度闘志を取り戻してもらいたいと願うのは、数多のヒーローを輩出してきた雄英に努める教師たちとしては、当然の欲であった。
危険なことはさせたくないという、保護者たちの想い。
もう一度、立ち上がり、ともに危険に立ち向かう存在になってほしいという教職員たちの祈り。
形式の上では対立するこの思いの落としどころは、どこなのか――それは、当事者である1年A組の生徒たち自身の、本音である。
「保護者たちの意思も、僕らの意思も押し付けない。僕らにできることは、彼らがもう一度立ち直りたいと思ったとき、それにふさわしい場を準備しておくことさ。たとえ、世論にあれこれ言われようとも、どうでもいい」
根津校長の言葉に、オールマイトもようやく納得する。
大人になると、勝手に責任感を覚えて、若者にあれこれと口をはさんでしまう。
それもまた大人の社会の仕組みだが、若者たちには関係のない話だ。
彼ら、彼女らが、もう一度立ちたい、といったときに、その場はないからあきらめろ、や、しばらく休んでいろなどというのは、責任を取っているのではなく、責任を回避しているだけなのだと分かった。
その日、教職員会議の全会一致で、雄英体育祭の開催が決定された。
日が沈まんとする頃、入院先の病院の中庭にて、一人の男が木刀を振るっていた。
片腕を失ったものの、利き手が残ったことを、緑谷出久は神仏に感謝していた。
まだ、戦える、と。
左腕を失ったことで、生活は多少不便になるだろう。
だが、戦いようは、あるという希望が、緑谷出久を突き動かしていた。
一方で、深い後悔が残ったのも事実である。
五体満足で産んでくれた、母に、申し訳が立たなかった。
意識を取り戻し、涙にあふれた母親の姿を見たとき、出久は腹を切っても取り返しのつかぬことをしでかしてしまったのだと、悟った。
片腕がないことを受け入れることは、容易であった。
ただ、母を泣かせてしまったことは、どうにもつらく、悲しかった。
「出久……まだ本調子じゃないんだから、無理しちゃだめよ」
母が、ホットコーヒーの紙カップを持って、立っていた。
心底、出久は母に愛されているのだな、と感じ入る。
それにこたえる方法は、ヴィランをすべてなぎ倒し、愛する母の周りに悪党が寄らぬようにすることしか閃かぬ出久は、おのれの頭の悪さに辟易する。
直ちに木刀を、芝生を傷めぬよう、枯はてた花壇に突き立てる。
リハビリ用の空間として、正式に病院から借り受けた場所であるので、遠慮はしない。
「母さん、日も暮れてきたし、体が冷えたら大変だ。中に入ろう」
出久が、母の手を取ろうとして左手を差し出そうとする。
空を切るその様に、母がこらえきれずに、涙をこぼす。
「……もう、危ないことはしないで、出久」
母の願いに、出久は言葉がない。
思いの丈は、痛いほどに伝わっている。
しかし、出久の心はすでに決まっていて、それに応えることができないのだ。
葛藤、とはまさにこれである。
「ごめん」
改めて、右手を差し出して母の手を取る。
もし、もっと自分が強かったら、こうはならなかったはずだ。
慢心していなければ――ヴィランを倒せているという思い込みが、慢心につながり、おのれの体力配分や戦術の組み立てについて綻びを生んだ事実を、厳しく受け止める。
失われた左腕は、その戒めだ。
だが、失った分だけ、得たものもある。
次は、間違わぬ、と、思いは一層強くなる。
「母さん、僕、そろそろ学校に通うよ。訓練場やトレーニングハウスも使いたいしさ」
我儘、であるとこは百も承知である。
母を不安にさせる言葉を垂れている大バカ者のふるまいをしているのもわかる。
だが、ヴィランはまた、襲ってくる、という確信がある以上、鍛錬を怠るわけにはいかないのだ。
このまま病室で通信授業を受けて学科の単位だけをとっても、ただのペーパーヒーローになるだけだ。
出久はそのようなものになるつもりは毛頭なかった。
力を身に着け、技を収め――母が心配せぬともよいヒーローに、なりたかった。
「母さん、不孝者の僕を許してください。なさねばならぬことが、あるんです」
出久は、病院内の自販機前のテーブルを母と囲む。
出てくる言葉が、謝罪しかなかった。
「それは……出久がやらなくちゃダメなの? お母さんね、本当に心配なの。出久じゃなくて、ほかの人がそんな危険な仕事やってくれたらいいって、思っちゃうの。ひどいと思うかもしれないけれど、お母さんは、お母さんとして、そう思ってしまうのよ」
率直な母の言葉に、出久は打ち震える。
情愛に応えたい、という思いも、心の奥底にはあるのだ。
雄英からどこかのヒーロー科のある学校に転入して、ローカル免許でもとって、母と身の回りを守りながら生きていく未来を、望まぬはずがない。
飛田と相場に教えたローカルヒーローになるプランは、実のところ、出久自身の願望の投影でもあったのだ。愛する人と、自分の周りの幸せだけを守って生きる。
分相応で、想像しただけで心が揺れる。
「次は……僕らの番なんだ」
出久は、言葉を探りながら続ける。
平和の象徴オールマイトだって、いつまでのずっとナンバーワンでいられるわけじゃない。そのあとは、誰かが継がなくちゃいけないんだ。
だけど、あんな巨大な才能はもう二度と現れないだろうから、僕は、いや、僕と、かっちゃんと、A組のみんなで、その後を継ぐって決めたんだ。
僕ら一人だけじゃ、オールマイトになれない。
だけど、皆の力を合わせて、オールマイト一人くらいの活躍ができるようになろう、と皆で約束したんだ――
出久は、幼き頃のように、とつとつと、その気持ちを言葉にした。
「約束は、守るよ。だから、母さんにも約束する。僕は、絶対に母さんより先には死なないから、安心してほしい」
母をじっとみつめる出久。
母は、紙カップにしばらく視線を落としていた。
母もまた、葛藤があるのだろうと出久は察する。
「本当に、約束してくれる? もし約束を破ったら……母も、後を追って死にます」
母の覚悟。
出久は思わず、席を立ち、母に駆け寄った。
サイズの違いが著しいものの、出久は、なんとか母の身を砕かぬように抱き寄せた。
「そのような不孝、決して、決して……」
言葉に、ならなかった。
どうしようもない思いが、あふれてしまい、それを伝える言葉を出久は見つけることができなかった。
爆豪家を訪れている元ジェントルたる飛田と、元ラブラバの相場は、リビングで濃いめのアイスミルクティーを振舞われていた。
「それでね、勝己が部屋に引きこもっちゃってねぇ。すんごく怖い目にあったんだって先生たちも言ってたのよ」
爆豪の母が怒りとため息の双方を器用に混ぜながら、二人の元ヴィランにあれこれと事情を事細かに説明する。
実に、大変、申し訳ない……と、自分たちがやったわけでもないことを申し訳なく思ってしまう飛田と相場は、その本性において、善性がきわめて強いのである。
「そりゃね、あたしたちもすんごく、腹が立ったわけで。先生たちにも文句を言ってやったし、勝己を襲ったヴィランたちにはグーパンしてやりたくてもう、イライラして体重が1キロ増えちゃったのよ?」
そういって個包装のクッキーを開けて、パリッと口にする爆豪の母。
飛田と相場は、すみません、すみません、と心の中で思いながら、爆豪の母の気が済むまで話を聞く。
「とはいえ、このまま挫折しちゃうってのも、あの子の選択とはいえ絶対後悔するわけよ。ってことで、お二人の力を借りたくて」
我々が、頼られている? と飛田と相場が顔を見合わせる。
呼び出されたのは、かつての動画をどこかで見つけたか何かで、うちの勝己に二度と近づかないで頂戴、的な説教を受けるものだと勘違いしていた二人は、安堵するとともに、頼られたという事実に、責任を感じた。
もしかしたら、これがヒーローの第一歩なのかもしれない、と二人は思う。
「承りましたぞ、奥様。不肖、この飛田、全力で爆豪君を説得してみせよう」
「あ、わたしも頑張りますっ」
よしきたっ! と爆豪の母がパンッ、と手を鳴らす。
そんじゃ、いっちょ引っ張り出すから手伝いな、と爆豪の母に連れられて、階段を上る二人。
2階奥にある扉の前に立った3人。
爆豪の母が、どんどん、と扉をノックする。
「こらーっ! いい加減出てこいっ! ヒーローの癖に母ちゃんが怖いのかいっ!?」
どすどすどすと扉を乱打する爆豪の母。
飛田は、焦った。
事情を聴く限り、爆豪君は強いストレスを受けた結果、心を守るためにすべてを閉ざしている状態になっているはず――と、ヒーローが受ける精神的なダメージの類型が載っている、応急診断の手引きを思いだす。
「お、奥様、ちょっと、ここはこの飛田めに任せていただけないでしょうか?」
おずおずと飛田が申し出ると、爆豪の母が「飛田さんがあんたと話したいって!」と扉の向こうに声をかける。
扉の向こうに、がたり、と物音。
「よし、読み通りッと。じゃ、あとは飛田さん、相場さん、任せたわよ」
「え?」「はい?」
ぽんぽん、と二人の肩を叩く爆豪の母。
そのまなざしには、息子を愛する気遣いが浮かんでいて、飛田も相場も任せてください、と返事をしてしまう。
爆豪の母の姿が階下に消える。
飛田は、扉の前に立ち、何を話そうかを考える。
だが、考えても言葉は出ない。
「爆豪君、聞こえているかね? 飛田だ。君たちに再生計画をもらった、ジェントルと言えば、思いだせるかね?」
先週まで高卒認定試験の話などで質問のやり取りをメッセージアプリでやっていた間柄なので、忘れられているわけがないだろう、と飛田は言葉のチョイスを誤ったことに焦る。
「……バカ野郎、こんなとこで油売ってねぇで、さっさと帰って勉強しろ。相場さんに養ってもらってんだろ?」
「うぐっ……」
確かにその通りなのだ。
飛田は中卒のため、選べる仕事に制約がある。
勉強の時間を捻出しながら、生活の糧を稼がねばならぬ事情があるため、貯金を原資に中古の小型バイクを買って、フードデリバリーの仕事をしながら日銭を稼いでいる。
だが、フルタイムで働けるわけではないため、家賃と水道光熱費、ネット関係費用を払ったら残るものは少ない。参考書を買うにしても、夕食を諦めるかどうかという悩ましき選択を強いられる。
だが、腹は減っても、学びたいという気持ちはなくならなかった。
ゆえに、時折夕食を抜いて勉強していたのだが――ラブラバ、つまり、相場にビンタされてしまった。
愛しているなら、頼って! と追加の腹パンを食らった飛田は、正直に現状を話した。
勉強は進んでいるが、金はない、と。
以来、稼ぎのいいソフトウェア開発のバイトをしている相場に、飛田は足を向けては寝られない生活が始まった。
「愛美くんには、本当に世話になっている。いつか、責任をとらねばな」
「きゃっ、今すぐでもいいのよ?」
相場がうねうねと身をよじらせている。
「ノロケ話しにきたのか?」
爆豪の声に、かすかに湿り気が混じっていた。
飛田は、その声を知っていた。
十代、二十代とそんなふうに、自信を失って何をしていいかもわからないまま、言葉の折々に取り返しがつかなくなっていく自分の将来への悲嘆と嘆きを交えていた。
つい最近まで、そうやって生きてきたのだから、分らぬはずもない。
「爆豪君、私はね、前歴があるんだよ」
刑罰を受けた記録を前科、不起訴処分になるなど、捜査機関の捜査を受けた記録が残っていることを前歴という。
かつて、飛田はヒーロー科のある高校に通っていた。
さんざん落第したあげく、18歳の時、外窓清掃の高所作業員が転落しそうになっている現場に遭遇した。
ヒーローはまだ現着していない、ように当時の飛田には思えた。
実際は、単に飛田の死角に入っていただけで、すでに現着せんとしていたにもかかわらず、飛田は判断を誤った。
飛田はクッションになれば、と禁止されていた個性の公然使用を行い、結果、現着したヒーローのほうを弾き飛ばしてしまい、作業員は落下。
作業員はケガを負い、飛田は公務執行妨害と過失致傷で送検され、忙しい検察の都合と、民事和解が成立していたことを理由に不起訴となった。
「――この話の教訓は、周りをよく見ろ、かな。今思い返してみても、本当にそう思うよ。私はいつもそうやって、予断をもってあたりを見ていたのかもしれない。だから相場君が傍に現れたにも拘わらず、迷惑系配信者として愚かな行為を繰り返してしまった」
本当に誰かを愛するなら、正しいことをやるべきであった。
愛を理由に、かつての自分は、自分への言い訳を正当化することばかりに夢中になっていた、と反省の念を、爆豪に伝える。
「爆豪君、君は気づいていないかもしれないが……私は君たちに救われたよ。私にとって、本当に手を差し伸べてくれたヒーローは、君と緑谷君だけなんだ」
貧しいながらも、正しいことをできているという実感のある日々。
もはや、鬱屈した思いはない。
進むべき道を毎日、一歩進んでいくことが、いかに幸せなことかを、飛田は爆豪に伝えてやりたいと思った。
「本当に、ありがとう。君たちは、私のヒーローだ」
気が付けば、説得ではなく、ただ感謝の想いを伝えただけになっていた。
ヒーローというものは、武力だけでなく、説得や交渉で事件を解決しなければならないことがあると試験勉強の中で何度も出てきている。
知識としては知っているし、その問題の正答や禁忌を当てることはできる。
だが、実際にそれをやれ、といわれるとかくも難しく、とてもではないが、合格点とはいえないな、と飛田は自らの至らなさを自覚する。
「――同じことを、デクの野郎にも言っとけ」
向こう側から、返事があった。
多少は、なにか伝わったのかもしれない。
「高認、再来週だったよな?」
そう、実は時間の余裕は全くない。
十年近く、時間があれば昔の教科書をめくっていたのでほとんどの問題を解くことができるが、最新の法改正や、応急救護技術、災害科学あたりは、いま必死になって学びなおしているところだ。
知識が古すぎて、使い物にならない、というやつである。
「そうだが、なに、禁忌肢を踏まぬよう、しっかりやってみせるさ」
そう告げると、爆豪の部屋の扉が開いた。
「……心配だから、見てやるよ」
ジャージ姿の爆豪の姿は、思ったよりも血色がよかった。
部屋に引きこもって毛布でも抱えているのかと思えば――そうではなかったようだ。
壁一面に張られた、戦況遷移図。
なぜ、あのとき1年A組が敗北したのかを徹底的に分解し、対策を検討していた痕が見られる。
飛田は、爆豪勝己のことを勘違いしていた、と実感した。
まだ、少年らしく挫折の傷を疼かせているのだろう。
しかし、また立ち上がろうとしているのだと知り、ますます、よい友をもった、と確信する。
「ほら、入れよ。母ちゃんが来たら、勝手に部屋片づけやがるから、資料がわかんなくなんだよ」
年相応の、へたくそな言い訳をする爆豪に、飛田と相場は顔を見合わせて、口の端を上げた。
すでに桜も散り果て、新緑が夏遠からじ、を伝えるころ、爆豪勝己と緑谷出久は、以前と同じように雄英高校を目指してパルクールで移動を開始していた。
片腕で器用に壁を上り、身を回転させる出久の姿。
そこに、繊細なバランス調整を行っていることを察した爆豪は、己の弱さが招いた結果を突きつけられているかのように感じ――ては、いなかった。
確かに、爆豪自身の至らなさもあろう。
だが、敵の力量に対して、我々全員が弱すぎたのが根本の原因なのだから、重荷を一人で背負うんじゃないと痛感させられた。
そう爆豪に思わせたのが、しばらく前のオンラインクラスMTGである。
『緑谷の腕の件さ、全員の責任だと思うんだよ、オレは。だからさ、オレたちはもう一度、やり直さなきゃダメなんだ。俺たちが緑谷の腕一本分にもなれねぇ、なんて話はないだろ?』
オンライン授業後、クラスの面々たちと会話をしているときに、切島がそう切り出した。爆豪がひどく責任を感じていることを、出久が心配して飯田に相談したのだ。
飯田は皆の知恵が必要だと判断し、切島ら、一人一人に、いかに爆豪が悩んでいるかを開陳した。
『同感。ヒーローになりたい、ってどういうことか、あたしもちゃんと考えた。あの時、結局、あたしらは爆豪と緑谷、轟頼みだった。上鳴があたしを庇って倒れた時、ようやくわかったよ。強くなるためには誰かの背中を追いかけてちゃダメなんだって』
耳郎の言葉に、女子たちが強く頷く。
『前に進むのは、我ら自身の足でなければならぬ』
常闇が、峰田にお前のことだぞ、とメッセージを送る。
『わぁったっ! わかりましたぁっ! オイラも心入れ替えて、逆モヒカンヒーローになりますっ、ならせていただきますっ!』
蛙吹と勝手バディを組んでいた峰田は、反省していた。
もし、もぎもぎをうまく使って脳無とかいう化物の足を止めたり、動きを緩慢化できれば、緑谷がやられることもなかったかもしれない、と。
『すまねぇ、すまねぇ、緑谷……』
おんおんと泣き散らかす峰田。
気にしてないよ、と優しく諭す緑谷の姿がモニタに映る。
『だからよ、爆豪っ、お前、背負いすぎんなよ?』
切島が、ただぼーっと話を聞いていた爆豪に、口調を強めて語った。
お前たちが強かったから、俺たちは勘違いして、甘えてしまった、と。
次は、俺たちが、お前たちを助ける番だから、覚悟して受け止めろ莫迦、と。
『――うっせぇ』
爆豪は、カメラをオフにした。
とても見せられる顔ではなかったからだ。
『ところで皆さんは、学校に再び通えそうなのでしょうか? わたくし、父も母も頑として譲らず、大変こまってしまいまして』
八百万の相談に対しての反応は、まちまちであった。
絶対にダメだ、と暴れているのは八百万家。
残りは不満全開であるものの、仕方なく、である。
家庭の事情ではあるので、踏み込んでいいのかどうか、多くの者は判断がつきかねた。
『なら、俺が言って話をしてもいいか? クソ親父同伴になるけどよ』
不意に轟が、父親の話を出してきたので場が騒然となる。
『頼んじまったんだ……俺たち、オールマイトを超えてぇって。そしたらなんか、クソ親父が超乗り気になって、なんでも協力するとかなんとか。八百万の両親も、うちのアレを知らねぇわけじゃないだろ』
社交界、というものが世の中にはあり、八百万の家の両親と、轟の父たるエンデヴァーは既知の仲ではあった。
『お願いいたしますわっ! 是非にっ!』
『よし、決まりだな。全員で行くぞ』
轟が宣言し、場が『え?』と疑問符で満ちる。
なぜかクラスメイト全員でエンデヴァー同伴の元、八百万の邸宅にお邪魔することになるのは、また別の話である。
時は戻り、出久の背中を追いかける爆豪の姿。
二人はようやく、久しぶりの雄英の校門をくぐる。
「よしっ、いこうか、かっちゃん」
「うるせっ! テメェが俺を追いかけろ、クソデクがよっ!」
ずんずんと進む爆豪に、緑谷がまってよぉー、と追いすがる。
二人が通り過ぎた、校門に掲げられている大型電子掲示板には、『雄英体育祭開催決定!』と宣伝動画が流れていた。