中学進学後も、緑谷出久の修行は続く。
内容は大きく変わり、鎧のサイズもまた少しずつ大きくなった。
射法は森の中を駆け回り的を射抜く実戦形式に変わった。
時には将門師匠に獲物の如く追い回され、頭の上に縛り付けた風船を射抜かれないよう逃げ回るなどという狂気じみたことまでやらされた。
ビュンっ、とほほを掠める神速の矢。
外れたその矢が大木を打ち砕いたのを見て、緑谷出久はとんでもないことになってきたぞと、滝のような汗を背に感じた。
さて、撃剣術もより過酷になり、掛かり稽古を中心とした体術と技のぶつけ合いを繰り返すようになった。将門から一本を取ることなど出来そうもないのだが、毎日あの手この手で攻め立てて、自らの剣の術理を磨いていく。
くわえて、禅も導入された。
とはいえ、これはメイドカフェでお姉さんが刺激的なポーズをとっても動じない心を身に着けるという苦行の中の苦行であり、何度も屈してしまった。
「うんむ。スケベ心を抑えねば、強くなれんでござるよ」
そういう師匠は、なんでメイ姉さんといつもパフェをあーん、し合っているのか、そこら辺を小一時間問い詰めたいと出久は思うのだが、他のお姉さんたちにかわいがられて、屈してしまうため何も言えなかった。
もちろん、学校の勉強も少しずつ高度になり、その習熟には注意を払う必要があった。
出久にとって、雄英高校に進学するというのは、よきヒーローになるための環境を手に入れることを意味する。
自らを伸ばす環境を手に入れるために一意専心することは、将門からも大事なことだと言われている。
「ふむ。イズク殿」
夏のある日のこと、出久が炎天下の中の修行を終えて水浴びをしているところを将門師匠に声をかけられた。
「なんでしょう、師匠」
「──身の丈がだいぶ伸びたでござるな」
中学一年生の平均身長は152㎝ほど。しかし、すでに緑谷出久は170に迫っていた。
肩幅は武人のそれであり、背中には鬼が棲み始めている。
大胸筋から腹直筋にいたる大きな筋肉群は、いまかいまかと活躍の時を待っているかのようだ。
「そうかもしれません。クラスでも一番大きいですし。かっちゃんより10㎝は大きいですね」
落ち着いた受け答えをする様に、将門は頷く。
かつてはとにかく早口であれこれとまくし立てるところがあったが、今や心身の鍛錬により閃光のように思考を巡らせ、唇を強く引き結んで戦を組み立てる益荒男に育ちつつある。
そろそろだな、と将門は感慨を覚える。
心身が調和をとり始め、宿命を受け入れる土壌が育ちつつある。
いずれ来るべき日には、今の師である将門を離れ、新たなる師を迎え入れることだろう。
「イズク殿、ジャァジに着替えたら本殿に来るでござる」
将門が鎧を鳴らしながら社殿のほうへと去っていく。
出久は身を清め、手拭いで体を拭いてから学校指定のジャージに着替える。
将門の指導というのは神仏への作法だけは厳しいので、本殿に入る前に礼式をこなしてから朱塗りの階段を上る。
扉を押し開き、本殿の中に入ると畳の間があるばかり。
敷かれた座布団があり、将門が上座に胡坐で座っている。
人たる将門師匠がなぜ神の座に座っているのかは分からないが、社殿に住まうとされるこの神域の式神が怒りを見せている気配はない。
むしろ、普段より穏やかな空気があるように出久には感じられた。
「イズク殿、式神の気配がわかるようになってきたでござるな」
「はい、師匠」
出久は将門師匠に進められるままに、座布団に胡坐で座る。
かつてこの神域で修行を始めたころは正座していたものだけれども、なにやら不穏な気配を感じるようになり、胡坐へと座り方を変えたのだ。
将門師匠に訊いたところ、正座とは旧来では懲罰の姿勢であり、神が裁きを下す前にかような姿勢をとるなど不届き千万とのこと。信託の後に膝を折り正座を組むのは構わないが、そうでないときは崩さねばならぬそうだ。
なかなか現代文化の伝統と実態が違い、出久も当初は混乱したものだ。
「イズク殿、これを」
将門師匠がどこからともなく取り出したのは、一本の太刀であった。
出久の胸が高鳴る。
これは何か特別な意味があるぞ、と。
マンガでよくある、秘伝の武器の授与ではないか、とワクワクが止まらなかった。
「それを抜くでござる」
言われた通りに、柄をとり、鞘を払う。
二尺五寸(75㎝ほど)の刃長を持つ刀身がぬらりと光る。
これはもしや、というより、やはり将門師匠の秘伝武器なのではと興奮した。
「この刀は……もしや」
「うむ。E-Bay通販で買ったカタナでござる」
「え?」
「え? とはよくないでござるよ。現代のカタナは50万円くらいでござる」
「高いっ!?」
いろいろな意味で驚いた出久。
将門師匠が揃えている太刀の一振りでも伝授されるのかと思いきや、そうではなかったことも驚きであるが、なによりもその値段である。
なんの謝礼も払っていないのに、そんなもの受け取れるはずもなく、出久は固辞した。
「う、受け取れませんよ、師匠」
「いんや、それは困るでござる。これは練習刀。すなわち、使い潰す刀でござる」
将門師匠がこれからの訓練を説明する。
曰く、これからは将門師匠が生み出した木人たちと実戦形式で修行を行うことになるとのこと。
大鎧着用の上、弓と刀、時には槍や鉄砲など、使えるものはすべて使って戦うそうだ。
「鉄砲、というのは銃ですか?」と出久。
「そうでござるよ? イズク殿、さては時代劇の見過ぎでござるな? 武士たるもの、戦道具はすべて精通しておくもの。体力をあまり使わずに敵を倒せる銃火器も当然嗜むべきでござる」
出久の中学生的ファンタジーが崩れていく。
確かに、最後に勝っていたものが勝者、というのは将門師匠の大事な教えだ。
手段にこだわるのではなく、とにかく勝って生き延びよ、である。
「しかし師匠、銃なんて街中だと持ち歩けませんよ」
「そう。ヒィロォになるまではお預けでござるが、この神域ではいくらでも練習できるでござる」
そこから将門師匠の銃火器講習が始まった。
どうやらこれは将門師匠の見つけた新たな楽しみらしい。人類は石器時代から積み上げてきた弓や剣の技術とは別に、当たればOKな武器である銃にもそれ相応のロマンというものを感じるらしい。
まったく、サムライ系ヒーローにはイメージってものがあるのになぁ、と出久は呆れながらも将門師匠の新たな趣味の開陳に付き合い──すっかり自身も銃火器に魅入られてしまった。
*
マンションのダイニングキッチンで、出久は母親と食事をとっていた。
母親が作る食事が大好きな出久は、相変わらずモリモリとがっついている。
「ねぇ出久」
「なに、母さん」
出久の母、緑谷引子は健啖な息子の姿を見ながら、意を決して尋ねる。
「出久は、進路とか……考えているの?」
母親として当然の質問であるが、引子にとってはとても慎重にならざるを得ない質問だった。
幼いころに無個性であると診断され、出久が泣きながらオールマイトをみて「ヒーローになれるよね?」と問うてきたときのことを思いだすからだ。
いまでこそ、勉強をしっかりやりながら、爆豪くんと登山をしたり、一人で近所の山登りに熱中するアクティブな子になっているけれど──だからこそ心配だった。
もしかしたら、夢をなんとか諦めようとしているのかもしれない、などと息子の心中を慮るだけで、引子は身を切られるような辛さを覚えるのだ。
「うん。考えているよ」
「そう。それって、お母さんも聞いてもいい?」
「もちろん。僕、雄英高を受けるよ」
その言葉を聞いて、引子はどう次の言葉を紡いでいいのか悩んだ。
雄英高校、その名を届かせるヒーロー科のトップ。
入試難易度は高く、十分に磨かれた個性と学力を持つ子たちがしのぎを競い合うところに、心の優しい出久が飛び込んでいこうとすることに、不安が先行する。
「そ、そうなのね」
「うん。ヒーロー科とサポート科。ほら、ヒーローに挑戦しておくのは自分のケジメみたいなものだし……大丈夫、サポート科には絶対受かるから」
出久に励まされるように言われてしまい、引子は息子の心がちゃんと成長しているんだと実感する。
夢をあきらめない、という心と、現実に折り合いをつけてサポート科でヒーローを助けられるようになろう、という気持ちを知り、引子はとてもうれしかった。
夢を持ちながら、現実に足をつけている頼もしい息子に、母としてうれし涙がこぼれる。
「な、なんで泣いちゃうの、母さんっ」
「ううん、なんでもないの。母さん、出久の成長がうれしくて……」
すると、出久が母親の手を取る。
山登りが趣味のせいか、随分と固くなった息子の掌に引子は驚いた。
「大丈夫だよ、母さん。僕はちゃんと前を見て進めるからね」
「出久……」
思わずぎゅっと息子を抱きしめてしまう引子。
出久が苦しいよ、といいながらも、そのまま母親に包まれていた。
よく晴れた土曜の日も登らぬ払暁に、緑谷出久は爆豪勝己こと、かっちゃんと登山に出掛けていた。
初心者向けの低山であり、しっかりとした登山道が整備されているところだ。
山頂への往復で約6時間、といったところ。
モン〇ルで調達した山岳ウェアに身を包み、バックパックを担いだ二人は黙々と登山道を上る。
途中で道を上級者向けに切り替え、崖や岩場を、ロープを使って横断するようなルートへと挑んだ。
「安全索、よし」
かっちゃんがカニ歩きの崖に挑む。張られたロープに安全確保のための命綱をつけて、たった10分の真剣勝負に挑む。
出久も彼の後に続く。
じりじりと二人で崖を進む。
パラパラと足場から小石が落ちていく。
「くそッ!」
かっちゃんが滑落し、宙づりになる。
出久が手を伸ばし、ザイルを引っ張り上げる。
汗が噴き出るが、日ごろの鍛錬の成果が出た。
何とかして引っ張り上げたころには、息が上がっていた。
「──ヤバかったね」
「……ありがとよ」
ぶっきらぼうな礼を言われるが、かっちゃんなりの誠意を感じた出久は、気にせずどんどんいこう、と言った。
二人で崖を渡り切ってしばしの休憩をとる。
心が落ち着いたところで、登山道をどんどん進んでいく。
時折、地図を開いて自分たちの位置を正確に測りながら、ルートを外れてけもの道に入っていないことを確認する。
次なる難所の急斜面のロープのぼりでは、今度は出久が滑落する。
ロープを巧みに操って滑り降りてきた爆豪が、出久の手をつかむ。
「バカ野郎っ、油断すんなっ!」
相変わらずの怒鳴り声だったが、出久はごめんとあやまり、二人でなんとか斜面をクリアした。
そこから先は岩場やガレ場を乗り越えるルートばかりで、なかなか二人で難儀したが、それでも予定時間よりもわずかに早くルートをクリアした。
残すは山頂までの登山道だけである。
「おい、デク」
かっちゃんが出久に話しかけてくる。
額には薄い汗が見える。
もちろん、出久とて同じだ。
「なに? かっちゃん」
「雄英、受けんだよな?」
かっちゃんの声は大まじめだった。
「うん。うけるよ、ヒーロー科」
「チッ、やっぱそうかよ」
そこには罵声も怒りもなかった。
ただあったのは、納得のような響きだけだった。
二人で山頂にたどり着き、やれやれとバックパックを降ろした。
まだこの時間だと人影は疎らで、ようやく太陽が昇ってきたころだった。
山頂にたどり着いたことの達成感は、それほどない。
ただ、二人でいくつかの難所を助け合えたことのほうが出久にとっては大事だった。
「デク」
「なに?」
「──こんな低い山でも、オレらはやらかした。もっと高い山なら、もっとリスキーだよな」
言わんとせんことはすぐに分かった。
「だと思うよ。けど協力すれば超えられるよ」
出久がかっちゃんを見て応える。
「デク、テメェ、勝手に降りんなよ。ちゃんとオレの踏み台やってから、降りやがれ」
いまのかっちゃんからそんな言葉が出てくるとは思っていなかった出久は、口角を緩めた。
「降りないよ、絶対」
「チッ」
舌打ちだけが返ってくる。
けれども、出久にとってはそれでよかった。
かっちゃんとの関係は、昔とは違うし、今までとも全然違うけれど──それが悪いことのようには思えなかった。
「高額納税者はオレに決まりだからな」
そんなことを言って、かっちゃんが立ち上がりバックパックを背負う。
出久もバックパックを背負いなおし、地図を広げる。
下りのルートは出久の責任だ。
体力の残り具合や、気象条件を考慮して、一番簡単な下山ルートをとるべきだと決断する。
「オラ、さっさと行け。下りはテメェのルートだろうが」
「はいはい。かっちゃん」
帰りは登り以上に口数が少なかった。
二人にとって、もうわざわざ口数を重ねて話すようなことは残っていなかったからだ。