さて、戦闘訓練後、初のイレイザーヘッドのHRが始まった。
イレイザーヘッドは例の如く二人の頓珍漢が集中していないのを悟ったが、放置しておくことにした。
緑谷出久は先日の戦闘訓練での己の至らなさを痛感し、脳内で戦闘計算を繰り返しており、やはり正面から殴り込んで出久がヴィランの注意を引いてからお茶子を侵入させるべきだった、などと考えているのが顔に出ている。
イレイザーヘッドは、そんな出久を放っておいて、爆豪のほうを見る。
相当なヴィランぶりをやらかしていたから、クラスで孤立しているのではないかと注視していたが、どうもそういう気配はない。
先日も、当事者たるウララカと飯田が二人を追いかけていったという話も漏れ聞いているゆえ、しばらくは経過観察か、と決める。
「ま、戦闘訓練の講評はあとで個人別に紙でくばる。それ見て各自反省。今日はそんなことより、学級委員長を決めてもらう」
『学校っぽいのきたっ!』
別のことを考え込んでいる二人を除いて、生徒たちが盛り上がる。
「時間内に決めてくれりゃなんでもいい」と、イレイザーヘッドは自主性に任せて、寝袋に入って昼寝を決める。
先日のA組の戦闘訓練のせいで思わず魂に火がついてしまったイレイザーヘッドは、ついつい夜中まで自己鍛錬をしてしまい、寝不足であった。
イレイザーヘッドが目を覚ますと、すでに投票での決着がついていた。
どうやら、爆豪と緑谷に票数が集中していたらしいが、二人が固辞したらしい。
票数を集めた二人が学級委員長を選ぶという、勉強のできる連中らしい間接民主制によって、委員長はヤオモモ。副委員長は飯田に決まっていた。
「よし、決まったな。じゃ、委員長と副委員長は、学年会議や生徒会などで仕事があるから、ちゃんとやるように。はい、解散」
起立、礼、とヤオモモが呼びかけ、HRが終わった。
午前の学科が終わる。
食堂たるランチラッシュのメシどころでは、各学年の様々な科の生徒たちが食事をとっていた。学費の中に食費が含まれているため、生徒は無料ということになっているが、その額はとても低いため、実態は卒業生たちの寄付金によって成り立っている。
1年A組の生徒たちは、ぞろぞろとテーブルを占拠し、それぞれが好みの飯を食らっていた。
『カラダ作りは食事から』
そう書かれた標語をじっと見ながら、ニヤリと女子たちを見るミネタ。
だが、ミネタを挟んで座っているサトウとオジロにより、物理的圧力をかけられて「
アッー!!」と相成っており、女子たちは成敗された愚か者を無視する。
端っこに座っている巨体(※真ん中は邪魔なので)たる出久は、正面に座るかっちゃんから説教されながら特盛のステーキを何枚もペロリと平らげている。
「作戦の失敗は、戦術レベルや戦技レベルで何とかできねぇんだよ。根本的に間違った状況を小手先で覆せるわけがねぇ。あんとき、テメェは真っ先に飛び込んで、俺ら二人を相手にすべきだったんだ」
爆豪に詰められている出久は、その巨体を小さくしながらうんうんと頷いている。
「もう……しません……」
「ったりめぇだっ! 次はやらかすなよっ? やりやがったら、腹を、斬れっ!」
「うん、ハラキリも仕方ないよね……」
「介錯もしてやんねぇからなっ! テメェは一回、ふわふわ女を殺したのと同じだっ! 猛省しろっ!」
おおんおおんと、大きな体を小さく丸めて悔し泣きする緑谷を不安そうに見守る周囲の生徒たち。
しかし、A組の生徒たちはむしろ朗らかに食事を楽しんでいた。
ガチ泣きするくらいじゃないと、訓練じゃない、という謎のクラスの合意が出来上がってしまったからだ。
真のブラッククラス、ここに誕生である。
さて、皆が食事を片づけ始めたころ、唐突に警報が鳴った。
「な、なんだっ!?」と慌てる生徒たち。
しかし、出久と爆豪は、練度が違う。
「セキュリティ3だね」
「不審者が侵入ってか。朝の報道陣がゲートくぐっただけは、こうはならねぇだろ」
マニュアル通りに食堂から避難していく生徒たちと違い、A組の生徒たちは緑谷と爆豪を中心としてテーブルに集まっていた。
食堂の窓からみるに、報道陣たちがオールマイトの教師就任に関してどかどか学校敷地内に侵入している様子。
しかし、その程度でこの警報はあり得ない。
「かっちゃん、もしヴィランがここを襲うことを考えているとしたら、情報収集くらい、するよね?」
天下の雄英高校を襲うとなれば、正面突破はあり得ない。
教職員らには一流であり、それらに迎撃されれば、それこそ勝ち筋などないからだ。
先日の緑谷VS爆豪のように、必ず主導権をとれる状態――例えば、生徒を人質状態にするなど、あの手この手で雄英側の手を縛ろうとするはずだ。
そう認識が一致した爆豪と緑谷は、たがいに頷く。
「おい、テメェら、ツラ貸せ」
爆豪が皆に呼びかける。
A組の面々が、爆豪の周りにあつまる。
「この学校は、狙われている」
爆豪が切り出すと、A組の面々が真剣に聞き入る。
ただし、ミネタが人気アニメSPTレ〇ズナーのセリフ風に茶化したため、爆豪にブドウ状の頭髪をもぎ取られて沈黙した。
「今日の騒ぎは、敵が何かを狙った下準備かもしれねぇ」
「雄英には様々なセキュリティシステムがあるけれど、それらも内部から操作されたらどうしようもないからね。たぶん、今日のこの騒ぎは、そういう工作活動をするための何かだよ。ついでに、学園内の内部データなんかをもちだせれば、儲けもの」
爆豪と出久の説明を受けたA組の生徒たちは、なるほど、と同意する。
ヴィランの悪意は自由自在。
常に主導権はヴィランにある、と先日の戦闘訓練で学んでいたA組の理解は早かった。
「僕らは、悪意に狙われている立場なんだ」
出久が、雄英の生徒であるということは、常にヴィランから狙われる可能性があると語る。
ヴィランには、子どもを守るなどという常識は通用しない。
社会が定めたルールや倫理規範など、通じるはずがないのだ。
「でも、僕もかっちゃんも、この学校の皆を守れるほどには強くない。まだまだオールマイトにはなれないんだ。だから――」
出久が、爆豪をみる。
「選択と集中だ。今のオレらは『仕上がっていない』。だから、このクラスを団結して互いに守りあうことしかできねぇ。悔しいが、それがオレらの実力ってやつだ」
少なくとも爆豪と出久に関しては過小評価では? とA組の生徒は誰もが思ったが、それは誰も口にしない。
守られる立場であるよりも、守る立場でありたいと思うからこそ、この学び舎にやってきたのだから。
『警報は、解除されました。繰り返します、警報は、解除されました』
校内放送がかかる。
避難経路に殺到していた生徒たちが、なんだよぉ、と文句をいいながら、先ほどの混乱などなかったかのように、またばらばらと食堂へと戻ってきたり、教室へと散っていく。
だが、A組は違うのだ。
「放課後、そのまま教室で事態に備えるMTGをやります、でいいのでしょうか?」
ヤオモモが確認すると、緑谷も爆豪も、それでいいと答える。
A組の面々は、うむ、と頷きあい、食堂の食器を片づけ始める。
戦闘訓練の成果は、確かにあったのだ。
敵は、人質をとる自由がある。
敵は、どこを攻撃するか自由である。
敵は、誰を傷つけるかを決める自由がある。
あの演習は、A組全員の心を入れ替えさせる最高の授業であった。
課業終了のチャイムがなり、はい、お疲れさん、とイレイザーヘッドが退出する。
普通科やサポート科、経営科の生徒たちが部活動に熱心に取り組んでいるらしく、あちらこちらで放課後の熱気のようなものが感じられる。
さて、教室に残ったA組生徒一同は、青山を除き、熱心に襲撃シナリオを検討していた。
結論を述べるなら、どのシナリオであっても、オールマイトや教員、プロの助力なしでは勝ち筋が何一つない、というところに着地してしまう。
「下校シナリオ、課外授業シナリオなんかでも、結局さ、分断されてるとどうしようもないね」
ジロウが議事録をとりながら、検討に使ったホワイトボードにため息をつく。
「一人では限界があるからな。分断されたら、是が非でも誰かと合流しねぇと」
推薦入学組のトドロキが、積極的に発言する。
圧倒的な個性――盛大に氷を制御する轟には、クラス中の誰もが一目置いていた。
なんといっても、戦闘訓練の録画を見たあの出久と爆豪が『チートだろ……』と絶句するほどであるのだから、それはもう、ドンまーい、となるのである。
なお、凍結された相手であるオジロとハガクレは二度とやり会いたくない、と口にしている。
「そうなのよね。あたしたちが互いに分断されてしまうと、どうしようもなくなりかねないシナリオばかりだわ」
アスイの意見に、皆が同意する。
様々なパターンを検討したが、どうしてもそれぞれの個性には限界がある。
戦闘向きのものもあれば、仲間とチームアップすることで状況を覆すような能力の者もいる。それらが常に最適な組み合わせでそこに立っていられるか、と考えると非現実的であると結論せざるをえない。
「自衛戦闘って意味では、ミネタがヤバい」
異形型かつパワー系でもあるショウジが、隅っこで体育座りをして怯えているミネタを心配している。
「オ、オイラ、ドーテーのまま死にたくねぇ……」などと震えているミネタ。
憐れむべきか、軽蔑すべきか、女子たちは一瞬戸惑ったが、よく考えれば緑谷や爆豪などの精神年齢が高すぎるだけだ。
ミネタくらいが普通の男子かもしれない、と思うとなんだか哀れに思えてきたらしく、いい人に逢えたらいいね、などと励ましているのだか、このクラスに可能性は無い、という現実を突きつけているのか分からないことをやらかしている。
「ミネタの個性は行動制限を相手に強いる。アタッカー個性の者と組むしかあるまい」
トコヤミが個性たる影と戯れながら、ミネタに助言を与える。
じゃあ、オイラ、女子の誰かに必ずひっつくよ、などと言い出したので、ミネタが女子たちにドン引きされている。
「俺等で面倒見るしかねぇなぁ」
パワー物理近接格闘系であるサトウとオジロが、女子を追いかけまわしていたミネタを
とっつかまえる。
「オレらにホイホイついてきなっ」
「アッーーー!!」
ミネタの汚い叫びなど無視して、検討会が続く。
なお、騒ぐミネタを憐れんだコウダが手を合わせている。
「ねーねー、カミナリの電気をアタシの酸にエイッってやれば、水素に変えられるっしょ?」
「出来るけど、そん時オレはウェーイになっちまうだろ」
「そ、こ、で、バクゴーかトドロキが着火でどう?」
「大爆発っ、うぇーいっ!」
アシドとカミナリが盛り上がっているが、そのチームアップが常に実現するわけじゃないだろ、となぜかツンツンしたジロウが割り込んでいる。
「やべぇ、やべぇぞ。オレ、特にいる意味なくね?」
キリシマが、一人焦っている。
硬化という個性は確かに攻撃的ではなく、どちらかと言えば何かを守るための盾にふさわしい。
「焦んなくていいだろ。テープ出す俺だって、あんま攻撃的じゃねぇし」
「はーいっ、わたしも、とくに必殺技は、ないでっす!」
悩めるキリシマを、セロとハガクレが応援する。
そもそも個性がすべてではないし、孤立した時はとにかく粘って仲間との合流を目指す、という耐久力があるだけでも、すごいだろ、とセロとハガクレに励まされたキリシマ。
三人は互いに抱き合って、マブダチ……と相成った。
「えー、皆さんの個性を把握させていただいたうえで、私たちが取れる最低限の行動基準、というのをお二人が考えてくださいました」
静粛に、とヤオモモが皆に呼びかけ、A組一同がホワイトボードに注目する。
そこに書かれているのは『バディ』の三文字。
「やおもも、ナイス・バディ……なんちゃって?」
ミネタがくだらないことを言ったので、オジロとハガクレに処断が委ねられる。
打擲十回っ! とオジロ。
ハガクレによって机に縛り付けられたミネタが、オジロの強力な尻尾で打擲される。
古代中国の英雄、曹操が腐敗した権力者を打擲したアレと同じである。
なお、ミネタは三回で意識を失った。
「えー、ミネタさんがお亡くなりになったので、一名余ってしまいますが……基本的に、A組はバディを基本単位とするチームアップを志向します」
個人の戦闘力は個々人で勝手に修行すれば解決である。
むしろ、誰かと組んだ時に1+1=2という算数のルールに縛られない数字をたたき出すほうが重要である、とヤオモモが力説する。
「固定の誰かと組んだときだけ、強いなどというのはヒーローとしてあまりにも未熟ですわ。誰と組んでも、必ず生き残り、ヴィランに一泡吹かせられる存在になる――それが、半人前の我々が最初に目指すステップだ、と」
ヤオモモがトドロキをじっとみる。
実力こそ突出しているが、クラスの中で最も一人で行動しがちな男だからだ。
その才能ゆえに、何事も一人で解決しようとする悪癖があるようにヤオモモには思えた。
「……睨むなよ。自覚はしてる。半人前なのもな」
トドロキとて、分かっているのだ。クソ親父によってデザインされた自分は、ここにいる誰よりも優秀な個性を持っているだろう。
中学生まではそう確信していたし、腹の立つ親父の意見でもそうだと言われていた。
クソ親父の事務所の連中も、ショウトをサラブレッド扱いしていたし、正直、クラスメイト達をナメているところがあったことを自覚している。
ところが、だ。
いざ入学してみて、初めての戦闘訓練で、アレである。
まさか腕一本差し出す覚悟でヴィラン役をやるバカがいるとは思ってもいなかった。
そして、腕どころか首を刎ねるつもりで、幼馴染のダチに刃物を振るう気狂いサムライがいるなどとは、到底予想していなかった。
トドロキは、己が小さな世界で完結していたことをその時、初めて知ったのだ。
だから、もっと世界を広げないとな、と猛省していた。
良くも悪くも、トドロキは影響されやすい少年なのである。
「ということで、自主練の場を用意し、皆で鍛錬することといたします」
ヤオモモが飯田を促す。
「放課後は自主練用にグラウンドβ(※市街地)を借りられる申請をしておいた。他の学年の生徒たちもいるので、迷惑を掛けぬ程度に、本気でやること。僕からは以上だっ」
飯田が、放課後自主練に関する注意、と書かれたペーパーを皆に配る。
それを見たクラスメイト達は、あまり派手に壊すと一定期間利用ペナルティが課されるという項目を見て、爆豪のほうに視線を向ける。
「こっちみんなっ! クソモブどもっ!」
切れ散らかしているかっちゃんをみて、出久は感動する。
かっちゃんがいじられている、という事実。
今までは取り巻きのような連中や、因縁付ける不良くらいしか寄ってこなかった、あのかっちゃんが、イジリ倒されているっ! と興奮した出久が、分身とも思える反復横跳びをしながら四方八方から爆豪の写真を撮る。
「自主練かぁ。がんばらなくちゃ」
お茶子は、反復横跳びを右ストレートで邪魔されてひっくり返っているデク君をみる。
追いつかなくちゃ、と転がったままでもスマホを手放さないデク君の姿は滑稽だったけれど、やはり、遠かった。
「ということで、今日は解散。明日から自主練ですので、準備しておくように」
ヤオモモがMTGの終了を宣言する。
帰路は、人通りが多いところとヒーローが巡回しているところを選ぶこと、と自衛の心得を皆に復唱させて、解散である。
以後、放課後に演習場で一年が暴れている、という噂が広まる。
A組担任のイレイザーヘッドは、その噂を聞いて、自分の指導方針が間違っていなかったことを確信した。
さて、出久と爆豪は常識から逸脱したところがあるものの、休日という概念を知らぬわけではない。
週休二日。
つまり、一週間に二日間は学校で授業が行われないことを意味する。
しかし、出久と爆豪にとって、それは別の意味をもっていた。
爆豪と出久は、土曜日の日の出とともに合流し、雄英高校へと向かう。
二人とも淡々とパルクールで移動するが、少々爆豪のほうが遅れ気味である。いかんせん、体力お化けである出久と違い、爆豪はまだまだ成長期の少年(※当人の主観)でしかない。
「クッソ……デクのくせに……」
眼前を悠々と飛んでいく出久に、なんとか追いすがる爆豪。
朝の体力トレーニングを土日も休まずつつける二人を見かけた、とあるプロヒーローが合流する。
「やぁ、君たち」
シンリンカムイである。
ヒーロービルボードチャートJP七位というトップヒーローの登場であるにも関わらず、二人は「おはようございます」とあいさつするだけで、駆け抜けるのを止めない。
シンリンカムイもまた、二人を追いかけるようにして、自らの個性を使わずにパルクールをして追従していく。
新人でトップランクを維持するためには日々の鍛錬が必須と理解しているシンリンカムイは、誰からも学ぶ姿勢で挑む。赤子を見れば無垢であることの強さを学び、老人を見れば積み重ねた経験の重要さと、若者の邪魔をしないようにふるまう謙虚さを学ぶ。
同じように、爆豪と出久からは、肉体の練磨によって高みに至る術を学んでいた。
「シンリンカムイさん、なんか嫌な気配がします」
出久が示した先には、早朝にもかかわらず堂々と全裸で歩いているおじさんがいた。
「まったく、軽犯罪か……失礼するよ」
シンリンカムイがヒーローとしての仕事を始める。
文字通り、10秒も経たずに全裸おじさんを縛り上げたシンリンカムイは、スマホで警察を呼ぶ。
「まったく、鍛錬を邪魔されたな」
ぺちぺち、とぐったりとしている全裸のおじさんの意識を確かめるべく、頬を叩くシンリンカムイ。
興奮の個性によって常人を超える身体能力を発揮するおじさんは中々手ごわかったものの、それでも訓練されていない動きへの対処は簡単であり、あっさりと制圧できた。
「しょ、触手プレイ……イイッ!」
突如興奮する全裸おじさんが、モリモリパワーを発揮して、シンリンカムイのウルシ鎖牢を引きちぎろうとする。
とくに、フルパワーのおじさんのムスコさんが大変だ。
「くそっ、これだから興奮個性はっ!」
プロヒーローに土日はない。
時には全裸のおっさんを握るタスクを強いられたりもする。
そんなプロヒーローたちの苦労の上に今日も日本の平和は成り立っている。
「やっぱり、ヒーローって大変だね」
遠くのビルの屋上から、シンリンカムイの活躍を観察しながら分析ノートを作成する出久が、スクワットをしながら隣でへこたれているかっちゃんに声をかける。
「……楽なわけ、ねぇだろ」
爆豪は荒れた息を整えながら、立ち上がる。
ついていくだけでもやはり精一杯か、と出久との差を実感する。
だが、いつか追いつく、とシンリンカムイの活躍をノートにメモする出久を睨みつけながら、心に誓った。
雄英の体育館に隣接しているトレーニングハウスで、ウェイトトレーニングを終えた二人は、シャワーを浴びて解散。
出久はランチラッシュ(※土日は有料)にたんぱく質を摂取に。
爆豪は図書館に知識を得るために向かう。
学校における学科などは、二人にとってもはや些事である。
将門の門下においては、コンカフェの賢い御姉さま方に学科と特殊な教養を習うため、そこいらの高校生などと比べて、100歩も200歩もオトナなのである。
そんな爆豪であるから、途中ですれ違う先輩方に「お疲れ様ですっ!」とプロヒーローと勘違いされて挨拶をされてしまうが、爆豪は「ッス!」とそれらしく返事をする。
さて、図書館に来た爆豪は、物理の本をいくつか手に取る。高校物理というニュートン的世界観は既に理解したので、個人的に興味があったビッグバンに関する理論を中心に読み進める。
ビッグバンに関する理論本のほとんどは、読む者の学力が試される数式で武装したそれであったが、爆豪は難なく読み進め、必要があれば持ち込んでいるノートPCでプログラムを書いて仮想空間で実験を行うなど、学習に余念がない。
使えるな、と思える理論を自作の『オレ様wiki』に記述する。
「チッ、またかよ」
レンタルサーバーを借りてそこに環境を用意しているのだが、時折、得体のしれぬアクセスログがある。
つまり、爆豪の手には負えぬクラッカーに入り込まれていることを意味する。
このクラッカー、あの手この手を使っても常にこちらのルート権限を奪おうとし、時には……訂正、今回『も』ルート権限を奪わていた。
間違いなく情報犯罪に身を染めたヴィランなのだろうが――爆豪が人生において、もっとも接触回数が多いヴィランでありながら、その被害が最も少ない相手でもあり、何とも言えぬ関係を長らく続けてきた。
大抵、この情報系ヴィランは、ジェントルクリミナルとかいう男の動画を置いていき、講評をしなければデータを消すと脅してくる。
爆豪は毎回仕方なく、その動画を真面目に視聴する。
真面目にみているのが馬鹿らしくなるような支離滅裂な軽犯罪ばかりなので、爆豪は呆れてどうにも言葉に詰まる。
「かっちゃーん、ビッグマックのパティ十倍食べに行かない?」
ランチラッシュでたらふく食った後、またさらにウェイトトレーニングをしてきたらしいデクがやってきて、動画をみていた爆豪にからむ。
シャワーを浴びたばかりらしく、デクが子供のころから使っているオールマイトシャンプーの匂いが鼻についた。
ヘッドホンを外した爆豪が、ひっこんでろ、とデクに言葉をぶつける。
「あ、ジェントルの動画。相変わらずかっちゃんのサーバーはザルなんだね」
「んだと? テメェ一回死んで来い」
「毎日筋肉を鍛えていると分かるんだけど、全身が古い筋肉から新しい筋肉に入れ替わるって、つまり毎日ちょっとずつ死んで、ちょっとずつ生き返ってるってことにならない?」
売り言葉に買い言葉ではないが、出久が独特の屁理屈をこねながら、勝手に爆豪のPCを操作してジェントルの動画を3倍速で再生する。
時折、戻したり、一時停止をしたりと動画を検証し、二人ともうーん、と首をひねる。
「覚悟が足りてないよ、やっぱり」
出久の言葉に、爆豪も同意する。
やはり、ジェントルの動画を見れば見るほど、覚悟が完了していないと感じる。
将門流の教えにある覚悟完了という概念は、将門師匠がとある書物より啓示を得たものであり、比較的新しい概念であるともいえる。
師匠曰く、覚悟完了すれば、いかなる不条理が現れようとも心胆乱れることなし、とか。
それはコンカフェにおける禅とは違うのか、と二人が問うと、全く違う、という。
『――例えばでござる。いまこの瞬間にサプライズニンジャが現れ、突然襲い掛かってきたとしても、かような状況に冷静に対処できる心境こそ、覚悟完了でござる』
それからしばらく、二人で修行しているときのみならず、風呂に入っているときやクソをひり出しているときに、突然、NARUT〇の格好をした将門師匠が乱入し、襲い掛かってくるという理不尽な日々が始まった。
これに対処しているうちに、いつしか二人は突如背後から『螺旋〇』などといいながら物理的掌底をかましてくる師匠に遭遇しても動じなくなった。
将門師匠、覚悟完了の試しの儀、またやってくれないかな、と二人は口には出さぬが、その思いが二人の間に走ってしまい、爆豪も緑谷も、何とも言えぬ沈黙に支配されてしまう。
「と、とにかくっ! こいつはまず覚悟完了からだっ!」
「そ、そうだねっ! もう、いっそのこと直接話したほうが早いよ」
おい莫迦、常識をわきまえろっ!? と爆豪が止めようとするが、筋繊維の量が根本的に違うため、爆豪が個性を使わずに緑谷の巨体を止められることなどなく――緑谷出久は、クラッカーたるラブラバ宛のメッセージを堂々と書き込む。
『明日、ここにこいっ!』と〇oogle MAPの位置リンク。
もちろん、爆豪がそれを消そうとするが、管理者権限をラブラバに取られてしまっているために打つ手がない。
「て、てめぇ、ネットに住所晒すなって常識だろうガッ!」
「ぬ、ぬるぽっ……でもかっちゃんの家、電話帳にも載ってるし」
二人がどたばたと暴れていると、図書委員の先輩から静粛にっ! と注意を受ける。
「す、すんません」と二人で平謝りをして、片づけをして図書館から退出した。
日曜の早朝、爆豪は自宅の庭に、以前将門師匠とキャンプ(※山籠もり)に使った折りたたみテーブルとイス、そしてキンキンに冷えた水出しアイスティ―のポットを用意。
遅ればせながら砂塵も少なく庭に着地した出久が、アルミカップと簡単な茶菓子をさささっとテーブルに並べる。
「よしっ、ヴィランを迎え討つ準備はできたなっ!」
家庭的な面をもつ爆豪が満足げに、セッティングされた庭のティーサイトを見渡す。
緑谷出久は、そんなかっちゃんを手伝ったわけだが、先日、ちょっとした寂寥感をごまかすために勢いでヴィランを招待してしまうという愚行をやらかしたことを後悔しないわけでもない。
ジェントルの動画を見る限り、いきなり人の家を焼き討ちにする狼藉もののようには思えなかったので、そこに賭けるしかない。
もし……万が一にも、かっちゃんの家族なんかに被害が出たら、出久はジェントルとラブラバを胴斬(※上半身と下半身に人間を分別してしまう斬り方)にした後、責任をとって切腹するしかない、と思いつめていた。
「おはようございまーす。お招きいただきましたラブラバですっ」
玄関前から女性の声。
爆豪と緑谷出久は、縮地にて移動し、来訪者を挟む。
出久の手には木の枝、爆豪はゴム手袋(※ご存じの通り、ゴム手袋は汗が溜まる)。
いざとなれば組討ちにて仕留めん、と殺気をみなぎらせていたのだが……。
「ふっ、お初にお目にかかる。現代の義賊、ジェントルクリミナルである」
「パートナーのラブラバです!」
動画でおなじみのジェントルクリミナルと、背丈の低い、愛嬌のある女性が洋菓子屋の箱をもって無警戒に立っていた。
その二人に、ペコリ、とお辞儀をされてしまう。
礼には礼を、武力には武力を、という将門流の教えに忠実な二人は、直ちに手にしていた得物を放り捨てて、腰を折る。
「緑谷ですっ」
「爆豪っス」
筋肉勢が頭を上げると、あ、これつまらないものなんですけど……とラブラバが差し出してきた洋菓子の箱を受け取る。
爆豪が、出久をみる。
出久の野生動物級の嗅覚が、毒などないことを検出する。
「あ、シャンダルマのシュークリームですよね。おいしいやつだ」
出久が間を作らぬように、簡単な会話を始める。
コンカフェの御姉さま方に仕込まれた社交術は、今もこうして出久を支えているのだ。
「あら、御存じでしたのね」
「お招きいただいたからには、いいものを、と思いましてな」
二人がにこやかに応対しているので、爆豪もいまのところ害意はないか、と判断し、油断はしないものの、庭へと案内することを決める。
「ッス、こちらに、簡単な茶席を用意シャシタっ」
爆豪に案内され、庭に通されたジェントルとラブラバは「おお」と感心する。
ちょっとしたラグジュアリーなキャンプを意識したそれは、野点のもてなしを感じさせる十分なセンスのものだったからだ。
席にうながされたゲストたちが着席すると、すぐに出久からひんやりとした手拭きタオルが渡される。
「どうぞ」
「あら、お気遣いありがとうございます」
「これはこれはご丁寧に」
ゲストらが手を拭いているうちに、さっとテーブルに頂き物のシュークリームを皿にのせて配膳する出久。
その間に、爆豪が用意しておいた水出しアイスティーのポットを、氷バケツと共に机に置く。
「わりぃが、こっからはセルフサービスだ。ヴィランに茶を注いだら、買収になりかねねぇ」
「なるほどね」
「では遠慮なく」
ジェントルがラブラバのカップに注いだ後、自らのアルミカップにアイスティーを注ぐ。
筋肉勢もジェントルからポットを回収し、注ぐ。
全員のカップに注がれたのを確認し、ホストである爆豪が挨拶をする。
「本来では、交わらぬ出会いに」
「乾杯」
全員は軽くカップを掲げて、一口飲む。
「で、ラブラバさんよ、いい加減、ルート権限返してくれ」
「あら。先にうちのジェントルの講評を頂けるんではなくて?」
大人ぶった語り口のラブラバだが、コンカフェで修行を積んだ二人には『普通の御姉さまだな』という共通認識が芽生える。
同伴出勤だのチェキやらで売り上げを競い合うコンカフェ御姉さま方の海千山千の手練手管とは無縁の、良くも悪くも純朴な御姉さまの気配を濃厚に感じ取る。
「……じゃあ、ちゃっちゃと始めるか、デク」
「あ、はい。じゃあさっそくプレゼンを始めさせていただきます」
出久は用意してきたノートPCを、プロジェクターへとつなぐ。
野外に設置されたスクリーンに表示されたPPスライドシートに表題が写る。
『ジェントルクリミナル様へのご提案』
と題されたそれは、出久がヴィランを招いてしまった責任感ゆえに造り上げた、生真面目な一品であった。
「さて――」
緑谷がスライドの解説を始めていく。
まず将門流の敵を知り、己を知らば百戦危うからずの精神に基づき、ジェントルの内面分析から始まる。
出久の分析は、ジェントルは義賊になりたいのではなく、本当はヒーローになりたいのではないか、という着眼から始まる。
本来の自分を隠して、義賊などと覚悟が完了せぬ言い訳を纏っているからこそ、小悪党に成り下がり、再生数も伸びないのではないか、と。
自分を偽っているがゆえに、敵すらも見誤り、戦うべき相手ではないものと戦っているのではないか、と締めくくる。
そして、将門流の教えである、未だ戦わずして廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり、に基づいて、数字化した分析が始まる。
動画に投稿されているジェントルの挙措を、モーション解析AIに流し込んで、似たような個性でプロヒーローをやっている者との身体操作の差を数字で割り出す。
結論から言えば、その操作はプロヒーローとしても通用する、とする。
「えー、従いまして、ジェントルクリミナルは早期にヴィラン業(?)を廃業し、直ちにヒーロー免許を取得する、というのがベストな結論となります」
そして、出久は元々ヒーロー及びヒーロー制度に関するオタクであったので、様々なシナリオを記述する。
特に注力したのが、ヒーロー科のある高校に進学したものの、中途退学してしまった中卒シナリオである。
この中卒パターンは義賊指向のヴィランに多く見られることが統計上判明しており、治安政策上も問題であるので、普段は無能のそしりを受けがちな文部科学省とヒーロー公安委員会がタッグを組んで、メイクチャンスルートが整備されている。
1 高卒認定試験(ヒーロー科)を受験し、合格する
2 地方公安委員会の地方ヒーローの仮免許を受け、地方自治体警察の嘱託職員となる
3 功績ポイントを貯めて、地方ヒーローの本免許を取得
4 さらに功績を貯めて、地方限定解除を申請し、全国免許に更新
「えー、この1~4のルートで、ジェントルクリミナルのヒーロー転生(?)プロジェクトを成し遂げられるのではないかと、弊社は考えております。ご清聴ありがとうございました」
出久がぺこりと頭をさげると、会場から『おー』と、拍手。
「……うーむ、どうやらジェントルクリミナルは暴かれてしまっているようだね」
ジェントルが、はぁ、とため息をつく。
どうしようもなくて詰んだおじさんが暴れてるだけ説を最初に提唱したのは爆豪だが、それを詳細に検討して親近感をもってしまったのは出久のほうであった。
もし将門師匠に出会わなかったら、こういう人生もあったかもしれない、と思うと夜も8時間しか眠れず、隙間時間をすべて投入してプレゼンを完成させた次第である。
「ただ、自分でいうのも恥ずかしい話だが、私はヒーロー科を落第し、退学した男だ」
最初の関門たる高卒認定試験(ヒーロー科)について、ジェントルが不安を示す。
そして、地方ヒーローの仮免試験にも、ダメかもしれないと諦めの色を示す。
そこに、爆豪が口を挟む。
動画をAIに解析させた数字を見る限り、実技試験で落ちるようには思えないからだ。
「テメェ、まさかとは思うが、ヒーロー科の仮免試験とかで『全問回答』したりしてないよな?」
爆豪の質問の意図を、ジェントルは理解できなかった。
「どういうことかね? 曲がりなりにもヒーローを志す者、試験問題ごときに恐れをなすわけにはいかん。当然、全問回答だ。正答かは存じ上げないがね」
「きゃっ、さすがジェントル」とラブラバの相槌。
爆豪と緑谷は目を見開いて、驚きを隠さない。
「全問――」
「回答、だと……!?」
ダメだ、全然わかってないんだこいつは、と出久と勝己が視線で理解し合う。
説明すると切れてしまいそうな爆豪は、緑谷に丸投げする。
「えーあー、まず、ヒーロー科で課される公的試験では、全問回答はリスキーなため厳禁ですっ!」
え? っとなぜか驚くラブラバとジェントルに、受験エリートたる緑谷と爆豪は、所詮クイズに過ぎないペーパーテストに翻弄されてヴィランサイドに片足を突っ込んでしまった二人を、何とか助けねばならぬ、といらぬヒーローおせっかいを発揮してしまう。
「ヒーロー科で課される公的試験には、常に『禁忌肢』が含まれていますっ!」
カタカタッ、と出久は自らのノートPCに仕込んである、学習用の参考過去問をひっぱりだして、スクリーンに投影する。
問 妊娠20週のヴィランが市中のマーケットで暴れている。マーケットの被害を最小限にしつつ、母体と胎児の保護を図らなければならない。以下の戦技選択にて、適切なものを選択せよ(※なお、すべての選択肢はチームアップにより使用可能であるとする)。
1 睡眠ガス個性を使用し、眠らせる
2 格闘術によって慎重に制圧する
3 電気系の個性によってショックを与え、気絶させる
4 捕縛布などのサポートアイテムを使って、拘束する
問題文が提示され、緑谷はジェントルを指名する。
「はいっ、どう答えますかっ!?」
出久にうながされたジェントルがうなる。
「んむぅ、1、かな」
「え、そうなのかしら? 4じゃないの?」
二人が答えたときの雄英生らの顔は、まさに驚天動地であった。
普段は金剛力士像の如く、相対する者をにらみつけるかのように立っているものだが――いまその顔は、完全に驚きに満ちており、太陽を初めて目にしたアリとてここまで驚かぬであろう、というほどに、表情が崩れていた。
「いや、あの……」
「この中に答えはないから、この問題は無回答が正解だぞ」
爆豪が目元を手で覆いながら、青空を仰ぐ。
なんということだろう、こいつら、問題を読んでねぇ、と。
「まさかっ!?」
「そんなのありっ!?」
ジェントルとラブラバもまた、二人の解説に驚きを隠せない。
このまま驚いていても何も進まないので、出久が解説を続ける。
「えっと、こういう禁忌肢という問題がヒーロー科の試験では結構あって、これに回答してしまうと、問答無用で不合格、ですっ!」
出久が鍛造された金属彫刻のような両腕を大きく交差させて、バツ印を作る。
その迫力に、ジェントルはひるむ。
「プロヒーローってのは、よくわかんねぇけどエイヤ、ってわけにはいかねぇんだよ。今の問題だって、1~4すべてで流産の危険や、母体の危険があるだろうが」
爆豪が解説すると、ラブラバが、はい先生質問っ! と手を上げる。
御姉さまに弱い爆豪は、舌打ちもせず「どぞ」と応える。
「適切なものを選択せよって書いてあったんですけど……」
「その通りだろうが。適切なものがないなら、選択したらダメだろ?」
「え?」
「あん? どっかにこの中に適切な選択肢がある、って書いてあるか?」
ラブラバが試験問題と爆豪を交互にみやる。
「こ、こんなのズルいわっ!?」
「ヴィランにいうのもアレだけどよ、こんな試験問題よりヴィランのほうがずっと狡猾でズルいだろうが……」
そして、茶会兼プレゼンの場に出席していた二人のエリートと、一人のレディは、完全にうなだれてしまっているオジサンを気の毒そうに見る。
「私は……もしかして、こんなくだらないことで、すべてを失っていたのか……」
別にくだらなくはないだろ、と言いそうになる爆豪は、何とか言葉を飲み込む。
もしここで余計なことをいってこのジェントルが再起不能になり、文字通り本物のヴィランにでもなろうものなら、本末転倒だからである。
「――ということで、今後の方針なんだけど」
緑谷が沈黙を破る。
「ジェントルさん、じゃない、えっと、御本名は?」
「――飛田です」
「えっと、飛田さん、一緒に勉強しません? たぶん、普通に飛田さんなら高認試験受かりますよ。仮免もいけるかと。地方ヒーローから、まずは始めてみませんか?」
雄英や士傑などのトップ高たるヒーロー科が目指しているヒーロー免許は何の限定もない全国免許である。全国津々浦々どこでも悪を断つ、という広範な活動範囲を有している。
とはいえ、ローカルにはローカルの事情とヴィランがいて、それらは新聞にも載らない事件を引き起こし続けている。
それを取り締まるには、単なる警察だけでは力不足であり、かといっていちいち全国レベルで活躍するヒーローを呼びつけているほど時間に余裕があるわけでもない。
そこで、ローカルヒーローの出番である。その都道府県でしか活動できない、という管轄の縛りはあるものの、警察にとっては使い勝手のいいヒーローであり、ヒーローにとっては地元で細々と暮らしていく分には困らない、持ちつ持たれつの田舎らしい関係が構築されるのである。
「……ラブラバ、もし、ジェントルクリミナルが居なくなり、飛田という男がヒーローになると言い出したら、君は、どう思うかね?」
もう手に入らない、と思い込んでいたことに、小さな希望の光が差したとき、人というのはこれほどに、眼差しに力が戻るのか、と出久は感心しながらジェントルを見守る。
「そうね、わたし、寂しいけれど、ジェントルと別れるわ」
ラブラバがあっさりと断言する。
やばっ、と爆豪が説得の言葉を探すが、出久は爆豪に何も言うなと大胸筋の振動で伝える。
「……そうか」
「私、就活するわ。そうね、どこかの不器用なおじさんが開いた、小さなヒーロー事務所に」
ラブラバが飛田の手を取る。
いま、愛が一人のくたびれた男を立ち直らせようとしている、と気づいた爆豪は息をのむ。
緑谷もまた、ヒーローが泣くわけにはいかないので、顔面の筋肉を振動させて涙を汗に変換していた。
「その事務所は、ちょうど空きがあるけれど、給与は出せないかもしれないよ?」
「いいわ。わたし、これでバイトするから」
持ち込んでいたノートPCが収まっているバッグを、ラブラバが誇らしげに見せつける。
爆豪は、二人に背を向けて、むせび泣いた。
出久もまた、我慢しきれずに涙をこぼす。
やったのだ。
ついに、やったのだ。
将門派の教えの中でも免許皆伝の神髄とされる兵法がある。
戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。
つまり、戦って勝つよりも素晴らしいことがある、ということである。
「――ということで、ラブラバさん、デジタルタトゥーになっちゃうんで、ジェントル関係の動画消しといてください」
「任せておいてっ! こう見えてわたし、スーパーハッカーなんだから」
スーパーハッカー? と爆豪と緑谷は首をかしげるが、何がともあれ、一時間もしないうちにネット上からジェントルの姿は消えた。
どこかにコピーされた動画があって、それがスキャンダラスに将来出てくるかも、という可能性を出久が指摘すると、ラブラバが堂々と答えた。
「その時は、スーパーハッカーヴィラン、ラブラバが現れて何とかするわ。そして、冴えないおじさんヒーローに自首するの」
これ以上、ノロケ話を聞いていては筋肉が溶けてしまう、と出久は後ずさる。
「おーい、あんたたちっ! お昼たべてくんでしょっ?」
突如、爆豪の母が乱入する。
年上の友人なる怪しげな存在も何のその。
爆豪の母は息子が連れてきた二人を簡単に信用して家に上げる。
「母ちゃん、もうちょっとこう、警戒心とかさぁ」
たじたじになった爆豪が、母に小言をいう。
「なぁに言ってんのよ! 息子がつれてきた人たちが、悪い連中なわけないじゃない? 私のスーパーヒーロー、勝己っ!」
べしべし、と叩かれる爆豪の姿をみて、二人の元ヴィランと幼馴染のビッグボーイが笑う。
夕暮れ時、玄関で見送られる二人の元ヴィラン。
昼食のカレーを御馳走になってしまったので、何かお返ししたいということで庭の草むしりや、投資信託予測アプリの作成などをしていたら遅くなってしまったのだ。
「こんな遅くまでお邪魔してしまいまして、すみません」
と、飛田ダンジュウロウと相場マナミが頭を下げる。
「いいっていいって。また遊びに来なさいな」
がっはっはと笑って見送る爆豪の母。
もちろん、爆豪と出久もまた見送りに出ているのだが、顔色はさえない。
今日の御礼、とラブラバから渡された情報に気をとられているのだ。
雄英高校襲撃ゲーム、と題されたそれは、あちこちの小物ヴィランにバラまかれている代物であった。
どこに集合するかは当日にならないと知らされないため、手掛かりとしては弱すぎる。
誰が、どんなどんな理由でバラまいているのかは不明だが、確実に発生するであろう事態に、出久と爆豪は備えることを強いられているのだ。
「今日は本当にありがとうございました。また連絡します」と飛田と相場。
「おうっ、またな」
「またいつでも連絡してね」
最後に握手をして、解散である。
爆豪と出久は、元ヴィランの二人が見えなくなるまで手を振って、そのまま立ち尽くした。
初めての実戦が、来る。
夕日を一身に浴びる二人は、前進に覇気をみなぎらせる。
今日は、戦わずに勝った。
素晴らしい成果だと、将門師匠も喜ぶであろう。
だが、次は、戦って勝たねばなるまい。
「出久、覚えてるよな」
「うん」
将門流の教えには、道場破りに関するものがある。
「命奪うことなかれ――」と爆豪。
「伊達にして返すべし」と出久。
雄英とは、今の二人にとって道場である。
これに乗り込んでくるということは、道場やぶりであると判断する。
命は、とってはならない。
名誉を与えて追い返せ。
名誉、すなわち、戦傷、というのは古武士にとって誉の証。
それを与えよ、というのである。
古来の戦傷とは、砕かれた顎や頬骨、削がれた鼻、失われた耳などを指す。
手足や眼球をもいでしまうと角が立つ故、ほどほどに留めよ、という優しさでもある。
そうすることで、痛々しい戦傷姿を見たものたちに対して、将門門下に手を出すということがどういうことかを『わからせる』のである。
かような苛烈さによって得られる悪名こそが、結果として同門の士を守ることに繋がるのだ。
二人は、覚悟を完了する。
当方に、迎撃の用意あり、と。