イレイザーヘッドはバスの車内の異様な空気感をいぶかしんでいた。
ロボット運転手が運転するバスは、いまUSJへと向かっている。
例年、新入生たちのUSJにおける災害救助訓練は、もっとこう、遠足のような雰囲気のはずであった。
ところが、バスの中は戦線へと運ばれる兵員輸送車ではないかと思えるほどに、生徒たちが緊張した様子を見せていた。
互いに沈黙し、ただ肩を寄せ合って座っている。
常識を水平線の向こう側に置き去りにしてきた緑谷と爆豪ですら、明らかにその面持ちに攻撃的な笑顔がはみ出してしまっている。常日頃の授業中はぼーっとしているか仏頂面であり、戦闘訓練の時は仁王像となっている二人――しかし、いまは『破顔一笑』という言葉そのものである。
笑顔とは、本来攻撃的なものである――という古来からの格言を不意に思いだした。
いや、例外ばかり注視しても仕方あるまい、とイレイザーヘッドは他の生徒たちに目を向ける。一様に緊張している者の、血色は良いように思え……
「(――戦化粧!?)」
生徒たちは皆、唇に紅をさし、頬に薄く朱をいれ、眉を流麗に描いていた。
あのミネタですら、竹を割って生まれ出でた姫の如き、いとうつくしき玉のほまれ。
イレイザーヘッドは、生徒たちに見られぬよう、座席に背を預けた。
そして、目を閉じて、深く呼吸する。
己が指導してきたヒーローになるための厳しい指導。
それがまさか、ここまで生徒たちに覚悟を強いていたとは思ってもいなかった。
災害があれば、不幸にして亡くなる人々も出る。
瓦礫に挟まれ、意識も朦朧としている中、青白く不安そうなヒーローが来たらどう思うだろうか? 助からない、と絶望し、失われる命も増えるかもしれない。
しかし、凛とした面構えのヒーローたちが現れ、颯爽と救助活動に従事したならば――人々は気力を取り戻し、今一度、生きようと思い至らしめるかもしれない。
「(こいつらは、玉鋼だな)」
イレイザーヘッドは心に決める。
もっと厳しく、もっと苛烈に、修行の炎で叩いてやらねばならぬ、と。
そうして鍛えあげられた1年A組の生徒たちは、卒業するころには、徳川美術館に並ぶ名刀たちのように、真善美を備えた悪を断つ刃となるだろう。
バスが、止まる。
USJの施設前で停車したバスの車内で、飯田が号令する。
「降車用意」
全員が、自らの装備を上から点検する。
出久もまた、鎧兜を確認し、小太刀、太刀、薙刀に弓矢を確認する。
すべての準備が整ったものから、左手を頭の上に載せる。
全員の左手が上がったことを確認した八百万が、息をのむ。
ここから先は、文字通り、委員長たる八百万の責任ですべてが進む。
「全員、降車っ」
八百万が下命すると、切島がドアを開放。
「Go! Go! Go!」と声を張る切島。
真っ先に駆け抜けるはもちろん、爆豪勝己。
いつも背中の飾りとなっていた、多種多様な弾頭を発射するライフルを頬付けしながら、素早く遮蔽物へと移動する。
「クリアっ!」と爆豪。
次いで上鳴を筆頭に、クラスメイト達がぞろぞろと降り立ち、手早く散開。
上鳴らに護衛されるように囲まれている耳郎が、長く伸びたイヤホンジャックを地面に突き立て、音響探査を行う。
仮にヴィランが身を潜めていたとしても、心音を止めることなど出来はしない。
ゆえに、敵戦力を明快に把握するためには、耳郎の個性が重要であった。
A組の、ソナー手と言っても過言ではない。
「施設内には、数、1」
さっとイヤホンジャックを地面から抜いた耳郎が、口田の肩を叩く。
「お行きなさい、潜むものたちよ」
口田が話しかけていたネズミたちが、排水溝を経由して施設内へと進入。
しばらくの後、ネズミたちが返ってきた。
異常なし、のハンドサイン。
突入経路にトラップはない、と。
『こちら葉隠、13号先生を現認。あくびをしている模様』
さらに、単独潜入している葉隠から八百万の無線に連絡がはいる。
「了解。予備通信装置の設営にかかれ――全員、前へ」と八百万。
「了解。硬化、よしっ!」
切島が全身を個性で頑なにして、先頭を進む。それを援護するかのように傘型に散開したA組の生徒たち。
施設内に突入し、13号先生を静かに包囲。
「ほわぁ……今日も頑張るかぁ」とリラックスしている13号先生の背後に音もなく忍び寄る四つ足の存在。
蛙吸である。
彼女は授業に慣れきったベテラン教員の背後をとり、告げる。
「1年A組、蛙吸以下20名、集合しました」
「あひゃあぁぁっ!?」
ヘルメットをとってくつろいでいた女性教員は、慌ててヘルメットをかぶりながら振り返る。
振り返ると、そこにはどう考えても殺意の塊でしかない、組織戦集団の姿。
物陰や遮蔽物を利用し、身を隠ぺいしている生徒たちの姿を把握するのは困難だ。
「え、あ、え?」
災害救助を専門とするヒーローたる13号は、実戦経験が浅い。
人を傷付けるためではなく、人を助けるために個性を使うという信念は素晴らしく、1年A組の生徒たちは尊敬しているが――命が懸かっている今は、尊敬こそすれども信頼はしていない。
「おい、そこまで、そこまでだ」
やってきたイレイザーヘッドに救いを見出したのか、13号が駆け寄ろうとするが――その場で転倒する。
何事かとおもい、彼女が足元を確認すると、謎の粘着質のボールが設置されていた。
あまりにも取れないので、仕方なく個性たるブラックホールを使ってそれを抹消する。
「お前ら、気合入れすぎだ。13号先生は敵じゃないぞ」
イレイザーヘッドが呼びかけるが、A組の生徒たちは「はい」と口だけの返事をして、物陰から出てくることはない。
気が付けば、蛙吸の姿も消えている。音もなく、何処かに移動して隠れたらしい。
「はぁ……、すんません、先生。生徒たちに悪気はないんだと思います」
イレイザーヘッドが13号先生に頭を下げる。
事態を理解できていない13号先生は、首をかしげる。
「生徒? どこに?」
「あいつらです」
「え?」
「え、え?」
イレイザーヘッドの生徒観と、13号先生の生徒観は、ずれていた。
いい感じに温まってきた教え子たちのタクティカルな動きを満足げに見守るイレイザーヘッドに対して、13号先生をみて『わぁっ! 災害救助ヒーロー13号だっ!』『本物だぁっ!』とキャッキャと騒ぐ新入生のことを生徒だと考えている13号先生。
「……え?」
「え、えぇっ!?」
コミュニケーションの基礎たる現状認識について、二人の間に乖離がありすぎるため、え、しか言えないポンコツと化してしまった。
ポンコツと化した先生たちのやり取りを見ていた八百万は、やはり、と出久と爆豪から進言を受けていた『13号先生は戦闘に向かない』という評価を受け入れた。
プロヒーローなのだから、さすがに生徒ごときに背後をとられるなど……と思っていたが、そうではなかった。
頼れる災害救助ヒーローが、頼れる戦闘ヒーローというわけではない、という事実は、八百万の心に強く影を落とす。
「まったくもう、相澤先生の教育はいきすぎなんですっ」
「す、すみません……」
「ほんと、変な汗でちゃいましたよ。じゃ、皆さん授業をするから、集――」
13号先生からの呼びかけに、割り込む通信。
『こちら葉隠。V号案件。繰り返す、V号案件。2時方向っ』
全裸=完全隠蔽である葉隠に示された方向には、黒い靄。
そこから、誰かが身を出そうとしている。
八百万の心臓が跳ねる。
ドクン、と、背中が痛くなるほどに。
「――A組、状況を開始」と八百万が決断を下す。
その決断よりほんのコンマ数秒遅れての、イレイザーヘッドの声。
「ひと固まりになって動くなっ!!」
イレイザーヘッドは歴戦のヒーローである。
戦いの空気を素早く嗅ぎ取り、直ちに生徒を守る最善手を打とうとする。
しかし、イレイザーヘッドは口に出した後に、それは間違った命令であったと気づく。
命じるべきは、動くな、ではなく、逃げろっ、であった。
しかも、それはA組の生徒たちにかけるべき言葉ではない。
黒い霧を使って飛び込んできたヴィランたちに『逃げろっ!』というべきだったのだ、と。
緑谷出久の兜には、二種類の通信機が装備されている。
一つは照明光通信デバイス、もう一つは短波無線である。
『状――開始…よ』
少しかすれた、八百万の命令。
ヴィランの中に、ジャミング系の個性がいる。
ならば短波無線は使えぬか、と出久は通信デバイスを切り替える。
これは事前に潜入していた葉隠が高所に設置した可視光LED通信ホスト装置を経由するものであり、電波妨害など関係がない。
「ぎゃぁぁぁあっ!」
絶叫、である。
始まったか、と出久は眼前に広がる透明で壮大な氷原を目に焼き付ける。
これぞ、初めての戦場よ。
『こちら轟。最大出力でザコを仕留めた』
すでに黒い霧から飛び出してきた有象無象は氷結されていた。
極低温の氷に拘束されたヴィランたちは、体温の低下により死ぬ可能性があるため、いざとなれば尾白、砂藤、障子及び、爆豪、緑谷のパワー系で破砕することになっている。
此度の戦、過剰防衛は避けねばならぬのだ。
出久はあたりを見渡し、飯田が無事、脱出に成功していることを確認する。
飯田は1年A組最速の伝令兵であり、通信が断絶した状況の場合、真っ先に連絡線を確保する仕事を請け負っている。
すなわち、状況開始と同時に、個性たるエンジンの発動による超高速離脱を実行。
いまごろは既に職員室あたりに駆け込んでいることだろう。
通信が途絶し、多勢に無勢で、生徒たちは仕方なく自衛せざるを得なかった――そのような状況を利用して、緑谷出久は、為さねばならない。
まるで逃げ遅れたかの如く、ただぽつりと薙刀片手に立つ出久の前に、黒い影を操る何かが、ふわりと現れた。
「初めまして、我々はヴィラン連合。僭越ながら、この度ヒーローの巣窟、雄英高校に入らせていただいたのは――平和の象徴オールマイトに息絶えていただきたいと思ってのことでして」
口上、である。
将門流の教えでは、口合戦という。
言いたいことを、すべて言わせる儀式、といえよう。
だが、緑谷出久は、オールマイトを殺すとのたまう黒い霧の男に、激してしまった。
「その言葉、宣戦布告と判断するっ!」
出久が、ブンッと薙刀を一閃。
黒い影が慌てて散っていく。
「なっ……小僧、なにをするかっ!」
「我が名は緑谷出久っ! 正義の果てよりこの地に来た!」
薙刀を軽々と振り回し、堂々たる名乗りを上げる出久。
もちろん、その声の響きの逞しさにより過熱水蒸気が発生し、ヴィランたちの顔を温める。
「黒い霧を操るヴィランよっ! まだまだ手駒はあるのだろう!? 小細工無用っ! すべてを我らにぶつけるがよいっ!」
出久は察していた。
敵はこちらを分断し、なぶろうとするだろう。
ならば、その意思を挫くまでのこと。
「破っ!!」
将門流薙刀術における、先手たる『七つ刃』を披露する。
どうということは、ない。
まるで一振り、されど七度、薙ぐだけのことである。
旋風が巻き起こり、黒い霧のヴィランが己の肉体を維持できぬダメージを受ける。
「ぐぅ!! まずいっ! 数で囲んで潰さねばっ!」
影が、濃くなった。
出久の眼前にぞろぞろとやってくる三下のヴィランたち。
将門のもとで魂を磨いた出久にはわかる。
弱すぎる、と。
「――参られいっ!」
まるで破風の迫力。
迎え撃つ古武士の姿に三下のヴィランは怯むほかなし。
しかし、悪党にも悪党の意地がある。
出さぬともよい勇気を振り絞った愚か者たちが、必死の思いで出久に襲い掛かる。
無情なるかな。
力量差はいかんともなし。
一人、また一人と顎を砕かれ、耳を削がれ、鼻を潰され、血に汚れた床を這うように逃げるヴィランたちの姿。
「こらっ! そこまでにしなさいっ! 個性は人を傷つけるためにあるのではないですよ!?」
血相を変えた13号先生が、倒れ伏して泣いて許しを請うヴィランに薙刀を振るわんとしていた出久を、文字通り、物理的に止めた。
すなわち、薙刀をブラックホールにて吸いこんで処分してしまったのである。
「……13号先生」
「緑谷君でしたね? もっとこう、手心というものをですね」
13号先生がヒンヒンと泣きわめきながら千切れた鼻を押さえているヴィランに憐れみの目を向ける。
「痛くなければ、覚えませぬ」
たとえ教師相手といえども、引き下がるわけにはいかぬ出久。
ここで、覚え込ませねばならぬのである。
雄英に弓引くヴィランに、慈悲などは与えられぬということを。
「み、緑谷君……そこまで、そこまでよっ!」
黒い霧の中に逃げ延びようとするヴィランの背に向けて、大弓を引き、矢をつがえた出久を13号先生が必死になって止める。
「おい、加減しろ、莫迦」
ゴツン、とライフルの銃床で殴られた出久。
見下ろしてみると、爆豪が立っていた。
「先生、こいつのことは俺が面倒見ます。他の生徒をお願いシャス」
爆豪が頭を下げる。
しぶしぶ、といった体で13号先生がほかの過激派生徒(砂糖や尾白、常闇)を止めに行く。
「――ったく、実戦の気にあてられやがって」
爆豪がつまらなさそうに、出久に板チョコを差し出す。
受け取ったチョコを、パリッと一口。
濃厚な甘さが、血の匂いを、忘れさせてくれた。
「ごめん、かっちゃん。本気でいかないと、誰も守れないかもしれないと思って」
出久の言葉に、爆豪が失笑する。
「守る? 周りを見てから言えよ」
少し冷静になった頭で回りを見てみると、A組の生徒が一方的にヴィランたちを蹂躙していた。
13号先生や、イレイザーヘッド先生は、ヴィランよりも暴れる生徒たちを抑え込むほうに注力しているようにしかみえなかった。
「さぁて、オールマイトが来る前に、あの手マンを仕留める。行くぞ、デク」
「手マンって、いろいろ良くないような……」
二人は、勢いに乗っていた。
局地的な勝利を積みあげたA組の生徒たちも、同じである。
それゆえ、勝てると確信して前へと進む。
だが、初陣の高揚感に包まれていた二人は、将門の教えを失念していた。
勝って兜の緒を締めよ、という、本当に単純な教えを。