前世の記憶を使って夏油傑を絶対に幸せにしようと思います! 作:秋元琶耶
いつものタイトルがあらすじシリーズ、件の彼氏の演奏会に行くの巻
普段はネームレス進行しているのですが、どうしても三人称視点で書きたかったので暫定で名前つけてます。多分この話だけなので深く考えず適当に読んでいただければ幸いです。
あとほんと本当今更なんですけど高校吹奏楽の大会日程完全に勘違いしてたんですけどもう勘弁してくれ~~~先輩とのデート回のときにちゃんと調べるべきだった…本当…昔の記憶に頼ってはいけない…文明の利器をもっと活用すべきでした…反省……
そして思ったより長くなったので前後編にしますすみません
※今回しか出番はないであろう先輩の名前: 小牧先輩
この日のために私は仕事を一生懸命頑張った。
同僚の補助監督の人たちに頭を下げまくって、この日だけは絶対に仕事を入れない綿密なスケジューリングをし、かくして確固たる休みを手に入れたのである。
そう、すべてはこの日のために。
「あれ、幸音どっか行くの?」
金曜日の授業後、辞書を貸してくれと部屋にやってきた硝子に電子辞書を渡すと、普段は置いていない大きめのボストンバッグが彼女の目に留まってしまったらしい。
己の迂闊さを悔やみながら何気さを装いつつ、答える。
「うん、ちょっと実家。たまには帰ってこいって云われててさ」
「あー、そっか。ずっと忙しかったもんね」
「今日と明日泊まって、日曜の夜には帰ってくるから」
「おっけ、気を付けてね」
硝子の気遣いにありがとうと返し、ドアを閉めてからちょっぴり罪悪感で胸が痛い。
いや、嘘は吐いていないのだ。
実際両親にいい加減顔を見せろと云われているのは本当のことだし。
高専に入ってから一度も帰っていなかった上に、すでに半年以上経っているとはいえ年明けから三か月音信不通になった事情もある程度説明しないといけないし。まさか死にかけてましたとは云えない。
まとまった休みさえ取れたら帰省しようと思っていたのも、本当なのだ。
が、あえてみんなには黙っていることもある。
次の日曜日は、9月第三週目の日曜日。
そう。
五条と夏油に邪魔されまくったデートの時に先輩が話していた、吹奏楽部としてはコンクールに次ぐ大きな催し。
高専に来るまで私が通っていた高校の吹奏楽部の、演奏会開催日なのである。
五条と夏油が今日は任務で出払っているので、勘の良いふたりが帰ってきて何か云われる前にさっさと高専を出て、電車を何度か乗り継いで実家に戻った。
そして朗らかにおかえりという言葉をもらい、なんだかちょっと照れくさくなってただいまと返せば、すぐにリビングに連れていかれて晩御飯までの数時間お説教を食らった。正座です。いや笑顔のおかえりからの切り替えしがエグい。
後半は足が痺れて説教を聞くどころじゃなかったんだけど、少しでも気を逸らすと更に圧の強い正論パンチを食らうので、SAN値がゴリゴリに減っていった。
実際ものすごい心配をかけた自覚があるので反論らしい反論も出来ず、説教が終わるころには私の足の感覚はなくなっていた。大丈夫? 私の足まだちゃんとついてる? ついてた。
父さんも母さんも怒鳴るタイプじゃなくて淡々と正論で殴るタイプだから、一周回って逆に怖いのだ。あと父さんは笑顔で母さんが真顔っていうのも余計怖い。圧がヤバイ。
しかし一通りのお説教が終わればふたりの気は済んだらしく、気を取り直して母さんが腕によりをかけて作ってくれたご飯を堪能した。
私が昔から小食なのを知っているので、小皿で少量をたくさんの種類のおかずが用意されている。こんなにたくさんの種類を作るのは絶対大変なのに、私のために作ってくれたのだ。本当にありがたい。
久しぶりに食べた母さんの料理はどれもこれも美味しくて、しかも家族そろっての食事はとても楽しいものだった。
寮生活も充実していて何も不満はない。
でも、こういう家族との時間も大切にしたいな、と改めて思った夜だった。
次の日は午前中は母さんの手伝いで家の家事をして、午後からは三人で買い物に出かけた。
メインは父さんの洋服で、接待でゴルフなんかも多いので新しいゴルフウェアやグローブ、普段着も少し。年甲斐もなく――といってもまだ四十手前だ。高校を卒業してすぐに結婚したので実はうちの両親はまだ若い――喜々として洋服を選び、あーでもないこーでもない、あれはどうだこれはどうだとはしゃぐ父さんをなんとなく遠い目で眺めるのはちょっと楽しかった。どれも似合うからちょっと落ち着いてほしい。
夜は出かけたその足で近所で付き合いのあるお店でうなぎを食べて、元気の充電をした。うなぎおいしいです。
そしていざ日曜日、時間にすると十三時。
私は区民ホールに足を運んでいた。
演奏会の開演時間は十四時からだけど、開場は十三時で少しだけなら開演前にも時間が取れると先輩に云われていたのだ。
駅前で注文していた花束を受け取り、玄関ロビー入り口に設置されていた受付に渡す。ささやかなお祝いだ。本当は金一封渡して新しい楽器買ってもらったりみんなで美味しいもの食べに行ってもらったりしてほしいんだけど、一応ただの高専生という立場で通っている私がいきなりそんなことしたら怪しいこと山の如し。不審に思われるのは本意ではないので、ちょっと豪華な花束で妥協した。
一度お手洗いで身だしなみを確認してから待ち合わせのロビーに向かうと、先輩はすぐに見つかった。途端、自分の顔がパァッと輝いたことを自覚する。
「小牧せんぱーい!」
「や、幸音ちゃん。いらっしゃい」
他にもちらほらと家族らしき人たちと談笑している部員たちがいたけれど、どんなにたくさん人がいたって私は先輩を見つけられる。
笑顔で控えめに手を振る小牧先輩の姿に胸がギュンッとなって、顔の筋肉が綻ぶのを止める術はない。
は~今日も先輩が格好いい。信じられます? この人私の彼氏なんですよ。
世界中にこの奇跡をお伝えしたい気持ちを一生懸命押さえつつ、なんとか気色悪くない程度に表情を取り繕って先輩の傍に小走りで駆け寄った。
「楽しみすぎて、今日は早起きしちゃいました」
「ふふ、満足してもらえる演奏、頑張るね」
はいこの笑顔。
まぶしっ。
太陽かな?
顔だけのイケメンを毎日学校で拝んでいるけど、先輩の笑顔は心が洗われるようだ。あいつらの笑顔からは少なくとも癒しは得られない。むしろ揃ってニコニコしているときはたいてい良くないことが起きるので心臓に悪い。
それに対して浄化作用のあるこの笑顔、最高です。あれ、もしかして先輩術師でした? その輝く笑顔で呪霊を祓えたりしません? なんか低級なら余裕で祓えそうな気がしてるんですけど、気のせいですかね。よかったら私、術式名考えましょうか? 戯言です。
他の人の邪魔にならないよう柱の傍に寄って話しながら、私はさっき受付でもらったパンフレットを開いた。演奏会のことは知っていても、楽しみにしたかったから今日まで一切曲目については教えてもらわなかったのだ。
なので、ざっと曲目に目を通してちょっとびっくりした。
「選曲すごいですね……誰の趣味ですか?」
「新部長だよ」
「え、部長って今は」
「真田くん。彼、和にハマってるらしくて」
「あー、なるほど」
今回の演奏会は、前半と後半で印象が大きく変わる構成だった。
前半は誰でも知っているようなポップな曲を数曲と、某新世紀アニメのエンディングで一部界隈に名を馳せたジャズの名曲【Fly Me To The Moon】、最後にクラシックながらこちらも日本人歌手が日本語の歌詞を付けて歌ったことで記憶に新しいホルストの【木星】。衣装や舞台もそれに合わせて、見た目も楽しめるような華やかな構成になっているそうだ。パンフレットがすでに浮かれている。楽しそうで何よりです。
そして休憩を挟んでからの後半、これが私が驚いた理由。
毎年夏のコンクールには自由曲のほかにいくつかの課題曲が用意されており、そのうち一曲を選び計二曲を演奏する。ちなみに今年の結果も文句なしの金賞だったそうだ。もし休みが取れたら行きたかったけど、がっつり任務だったので応援メールだけ先輩に送りました。
今日は先にコンクールで演奏した課題曲、続いて自由曲、更に自由曲選曲の段階で最後まで悩んだ二曲。合計四曲をアレンジありノーカットで演奏するらしいが、その自由曲が問題なのだ。
三年生が名目上引退して新部長に任命されたという真田くんは、名前がそうさせるのか前から確かに和テイストな曲が好きだった。わかるよ、吹奏楽で和の曲ってめちゃくちゃかっこいいよね。
わかるんだけど、思った以上に和推しでびっくりしたよ。
だって三曲とも伝統的な邦楽を基調とした日本的な作風で知られ、国内外で高い評価を得ているとある作曲家の曲で固めてるんだから。
私も中学時代にこの人の曲は演奏したことあるけど、そりゃもう和テイストでかっこよかった。
でも、当然演奏も楽しかったけど、それ以上にものすごく複雑で難しい曲なのだ。特に今回演奏する【元禄】、【火の伝説】、【飛鳥】はどれも一癖も二癖もある楽曲ばかり。それをコンクールが終わってから一か月弱で仕上げるって、ほとんど変態の域だ。
ここまで部長の趣味全開な選曲もすごいけど、これを是とした部員たちもなかなかイカれてる。ひと悶着くらいはあったと信じたい。元仲間たちがこんなにイカれてるとは思いたくないので。
っていうかよく考えたら【Fly Me To The Moon】も【木星】も編曲者同じじゃん。真田くん、さては信者か。怖い。
とまぁ、どうでもいいことをごちゃごちゃと考えたりもしたけれど、高専に転校して以来初めて触れる吹奏楽。
もう私が吹奏楽をやることはなくとも、このわくわくする気持ちは変わらない。
「楽しみです!」
そう、楽しみでないわけがないのだ。
例えイカれた演目でも、みんなの実力なら素晴らしい演奏が出来ると私は確信している。
それに、何より前半のジャズではドラム、後半の和縛りではティンパニーもしくは和太鼓と、先輩の見せ場が待っているわけで、ただでさえかっこいい先輩のドラムを叩く姿は想像だけで眼福だし、和太鼓なんてバチ持ってるだけで卒倒するかもしれない。心臓もつかな、今日。
しかし、そんな幸せ気分は長くは続かなかった。
まだ演奏会が始まっていないともいうのに、私には何もかもが終わる足音が聞こえた。
「おーい幸音~!」
唐突に呼ばれた名前。
驚くより先に反射的に声の方を振り返り。
「――は?」
絶句した。
デジャヴだった。
前にもこんなことがあったような気がする。
いや、は?
そんなことあります?
顎が外れて何も云えない私をよそに、先輩はたった今声を掛けてきた輩にほうに朗らかな笑顔を浮かべて手を振っている。
そして耳に飛び込んできた、予想外の言葉に、私は卒倒そうになった。
「やぁ五条くんに夏油くんに、家入さんは初めましてだね、待ってたよ」
待ってたんですか?
何で?
誰を?
私をじゃなくて?
え?
もっかい云うけど、なんで?
「どうも、家入です。幸音の電話で声は聞いたことあったから、なんか初めましてって気がしないけど」
「はは、そうだね。幸音ちゃんから話はよく聞いてるけど、想像以上に美人な子でびっくりしちゃった」
「……どうしよう、悪い気がしない」
「俺らが褒めると生ごみ見る目で睨むくせに」
「照れてる硝子が激レアすぎるけど、ちょっと複雑だなぁ」
「人徳の差ってやつでしょ。お前らに美人なんて云われても虫唾が走るだけだわ。小牧先輩の言葉には善意しか感じられないから全然気色悪くないし」
「ひでぇ」
「まぁまぁ、喧嘩しないで。今日はみんな来てくれてありがとうね」
周囲のざわめきとともにロビーに姿を見せたのは、五条、夏油、硝子の三人だった。
絶賛絶句中の私を放ったまま、四人は朗らかに談笑している。
みんな気軽な私服姿なのに、妙にきらめいているのは顔面が派手だからだろう。受付の人たちも、部員と談笑していた人たちも息を飲んでいきなり現れたとんでもない美形たちを見ている。そりゃ見ますよね、全員桁違いの美形だもん。わかる。
わかるけど、わからん。
なんでお前らがここにいる?
「ねぇ」
「あ、幸音今日のワンピース可愛いね、良く似合ってる」
「そりゃどうも。じゃないんだよ」
胡散臭い笑顔を浮かべておべっかを使う夏油に殴り掛からなかった私をどうか褒めてくれ。
「なんでお前らがここにいんの」
寝起きの熊の唸り声より低い声って人間から出るんですね。他人事みたいに思いつつ、その声はまさに私の喉から発せられている事実を忘れそうになる。
油断すると飛び出しそうになる拳を抑えていると、いつもとは違う形のおしゃれサングラス(ただし六眼仕様)の奥でにっこりと笑顔になった五条は、あっけらかんと云った。
「なんでって、そりゃ先輩に誘われたから」
「は!?」
今私どんな顔してる? 放送コード引っかからない?
何故今手元に屠坐魔がないのか私は心底悔やんだ。いやさすがに屠坐魔はまずいか、血が出るやつは駄目だ。掃除が大変になる。くそっ、游雲持ってくるんだった。
なんて物騒なことを考えていると、思わぬ方向から説明が飛んできた。にっこにこ上機嫌な先輩だった。
「この前この子たちに会った時に、ちょっと幸音ちゃんが電話で席外してた時間があったでしょ? そのとき今日のこと詳しく話しててさ、興味があるって云ってくれたから」
席用意するって約束したんだよね、とにこやかに話す先輩が楽しそうで何よりです。
何よりなんですけど、ちょっと私の理解が追い付きません。
「で、でも先輩、こいつらの連絡先なんて知りませんよね?」
「あ、私がメアド交換したんだ」
「はぁ!?」
挙手して報告してくる夏油を、勢いよく振り返る。
さすが手の早い男、夏油傑。男の先輩相手でも連絡先をゲットするのはお手の物ってか? 女遊びが鳴りを潜めたと思ったら今度は男か? え? 色男は両刀ですか?
「夏油お前……ほんと……いい加減にしなさいよ……」
「メールくらい別にいいじゃないか、減るもんじゃあるまいし」
「そうだよ、それにさすがに幸音ちゃんほど頻繁にやり取りしてるわけじゃないよ?」
「ほ、本当ですか? なんか先輩も夏油もお互い妙に気が合うみたいだし、ちょっと心配で……」
「確かに僕、夏油くんのこと好きだけど」
「ほらぁ!! やっぱり夏油がライバルじゃないですかぁ!!」
「なんで君が私をライバル認定するんだおかしいだろ」
「あのね、僕らがメールしてるときって、大抵君の話題だからね」
「えっ!」
やだ気になる何の話してたんですか?
とちょっとドキッとして訊いてみた、のが間違いだったと気付いたのは口を開いてからだった。
「幸音ちゃんが無茶してる報告を受けています」
「えっ」
先輩は笑顔のままだった。
ニコニコ、ニコニコ。
背後にそういう文字が見えそうなほどニコニコしているのに、何故だろう、背筋が冷たい。
笑顔もそのままに、先輩は続けた。
「つい先日も幸音ちゃんが怪我をしたって報告をもらいました」
「い、いやその」
「だけど君からそのことは一切聞いていません。これでも僕と夏油くんがメールしてるの、おかしいかな?」
やばい。
脂汗が止まらない。
その怪我、多分現場にいた子供を庇って脇腹を抉られたやつだ。
結構な大怪我になってしまったけど硝子に治してもらえたし、心配かけるだけだから先輩には云わないでおこうと思っていたのに。
夏油のやつ、なんてことをバラしてくれたんだ。
本当はこの場で夏油を締め上げたいところだけど、さすがに人目が多い。帰ったらみぞおちに一発かましてやろうと心に決めつつ、今は目の前の先輩だ。
「ご、ごめんなさい……」
「あ、誤解しないでね。僕、怒ってるわけじゃないから」
嘘だぁ。
「嘘だぁって思ったでしょ」
「心を読まないでください……!」
「顔に出てたよ」
マジすか。
思わず顔を触ると、先輩はちょっとだけ呆れたように息を吐いてから困ったように笑った。
それを見て、わかる。
怒ってるんじゃなくて、心配してくれているのだ、先輩は。
余計な心配かけたくないという私の気持ちもきっとわかってくれていて、だけどそれは先輩が心配をしない理由にはならない。
多分、そういうこと。
「ま、この件はまたあとで話し合おうね。多分夏油くんも全部が全部連絡くれてるわけじゃないだろうし、夏油くんも幸音ちゃんを心配してるからこそ僕に連絡くれたんだから、怒ったら駄目だよ」
「うう……」
帰ったら締め上げようと思ってました。
でも先輩にこんなこと云われたら、いくら私でも何もできないです。命拾いしたな、人誑し。
というかチクった件じゃなくてこんなにも先輩に頼りにされてることがあまりにも面白くないのでそっちの件ではキレてもいいと思うんだよね、私。夏油に彼氏を取られそうで怖いです。
今後はこれ以上先輩と夏油が仲良くならないように手を打たなければいけない、とちょっと憂鬱な気分になっていると、不意にガシッと誰かに肩を組まれて驚いた。
ぎょっとして誰何すると。
「ちょっとちょっとぉ幸音ちゃんよぉ、久しぶりのあたしには挨拶もなしとかマジなくない!?」
それは懐かしい顔だった。
まだ私が前世の記憶なんて持たず、呪術師でもなかった頃、中学校から高校を転校するまでずっと同じ部活で仲が良かった女友達・瑞樹が、昔と変わらぬ悪戯っぽい笑顔でそこにいたのだ。
「わーっ、瑞樹! 超久しぶり、元気だった!?」
「先輩と話してるから遠慮してたけど、全然終わる気配ないし! マジ待った!」
「ごめんごめん、会えて嬉しいよっ」
実はちょっと忘れてたとは死んでも云わない。
瑞樹はいわゆるギャル寄りのキャラクターで私とは正反対なんだけど、不思議と馬が合ってずっと仲良くしていた。見た目は派手だし言葉もやんちゃなのに、彼女のフルートは驚く透明感のある素晴らしい音を奏でる。そのギャップに初めて彼女の演奏を見た男子生徒が失神しかけるというのは笑っちゃう本当の話だ。
そんな彼女ときゃっきゃと再会を喜び合っていたんだけど、まぁ当然のようにこの場に固まっているイケメン・美女に興味を示す。そりゃそうだよね、気になるよね。
「んで、こっちのイケメンたちと美女は?」
興味津々という様子を隠しもしない瑞樹に、観念して一応簡単に紹介しておくことにした。
考えてみれば先輩も硝子に会うのは初めてだったし、丁度いいかもしれない。
「今の学校のクラスメイトの、胡散臭いグラサンの五条悟とおもしろ前髪の夏油傑とセクシー泣きボクロの家入硝子。男二人に関しては、顔の良さは保証するけど中身は結構本気でクズだから恋愛対象としてはお勧めしないことだけお伝えします。硝子は美人な上に可愛くて優しいだけじゃなく時には厳しいことも云ってくれる頼れる最高の友達で、その辺の男にはもったいないのでぽっと出は許しません」
「硝子はともかく私たちの紹介文句に悪意を感じるなぁ。……そんなに前髪面白いかい?」
「幸音はなんで絶対一回俺らをこき下ろすの?」
「真実を教えてるだけですぅ」
「確かに」
「硝子の同意を得られたので正義は我にあり」
「えー、でもさぁここまで顔が良ければ多少中身がクズでもプラマイゼロじゃない?」
「甘いね、クズさが外見を上回ってるからマイナスなんだよ」
「マジ? こんなに顔がいいのに?」
「顔がいいから余計にマイナスなの。顔に数値全振りされて、反比例振り切って中身がクズです」
「本人を前にしてここまで云うのもすごいよね」
だって本当のことだもん。
何か文句があるなら受けて立とうと拳を固めていたときだった。
「あ、夏油さーん、みなさーん!」
おやぁ?
元気に聞こえた聞き覚えのある声に、またもや私は固まった。
が、さっきよりは早めの復活を遂げると、急いで玄関ロビーを振り返る。
「……灰原くんにナナミン?」
「あ、俺が呼んだ」
悪びれることなく云った五条の脛を蹴ったのは反射だったので許してほしい。悪気はありませんでした。あ、まだオートで無下限張れないんだね。ごめんね。無言で蹲った五条に無感情に謝ると、ものすごい顔で睨まれた。まぁ怖い。
そんなことをやっている間に、これまた私服姿で現れた可愛い後輩二人が合流する。
「こっちのほう来るの初めてだったんで、ちょっと迷っちゃって。間に合ってよかったー!」
「勘で歩くのやめてくださいよ、まったく」
「ごめんごめん、行ける気がしてさぁ」
後輩二人のやり取りはいつ見てもほっこりする。
灰原くんは術師には珍しい根明で、天真爛漫な子だ。対してナナミンはいつも沈着冷静で一見冷たい人に見えるけど、付き合っていると実は結構ノリがいいし冗談も云うし優しい子である。そんな二人の掛け合いは見ているだけで癒されるのだ。
場所がここじゃなければもっとよかったんだけど。
ここにきて、高身長特級クズの影になってしまっていた小牧先輩にやっとふたりは気付いたらしい。
「あ、もしかして先輩の彼氏の先輩さんですか!?」
わかりにくい。
そうなんだけど、改めて言葉にされるとものすごくわかりにくいのはどうしてだろう。
灰原くんは人見知りしないタイプだし、おそらく夏油たちから先輩の話は聞いていたらしく、いつも通りの人懐っこい笑顔を浮かべて先輩に手を差し出した。ナナミンはそんな灰原くんを呆れたように見つつ、小さく会釈をしている。ナナミンっぽい。
「うん、そうだよ。幸音ちゃんの彼氏の小牧です。ふたりはみんなの後輩くんたちかな? よろしくね」
「幸音先輩にはいつもお世話になってます! 灰原です、こっちこそよろしくお願いします!」
「ふふ、元気がいい子だね」
「初めまして七海です。今日はお招きいただきありがとうございます。いきなりやかましくて申し訳ありません」
「あはは、いいよいいよ、気にしないで。今日は楽しんでいってくれたら嬉しいな」
「はい、ありがとうございます」
礼儀正しく挨拶が出来るのはいいことです。
もう一回云うけど、この場じゃなければもっとよかったです。
あの子たちは悪くない。多分五条が何も考えずに誘って断れなかっただけだろうし、しれっと追加の席を先輩の頼んだのは夏油に違いない。
悪いのは五条と夏油である。
やはり帰ったら説教だな、と改めて心に決めていると、さっきから無言になっていた瑞樹に肩を掴まれた。何、どうしたの。
「あたしさぁ、急に転校とかわけわかんないことになって幸音も大変だなって思ってたんだよ」
「いやほんっと大変だったよ? 即日転校手続きさせられて引っ越しだったんだから」
「でもさぁ」
聞いてない。
別に私の苦労話には興味がないらしく、この中学校以来の友人は何故か静かにブチ切れていた。
「こんなイケメンと美女に囲まれたバラ色の学生生活送ってるとか、今はちょームカついてるわ」
「瑞樹らしい素な感想で結構ですけど、いいことばっかりじゃないんだからね!?」
「右見ても左見ても美形しかいない生活のどこに悪いことがあるってのさ!! クラスメイトは国宝級イケメンと美女、後輩は元気溌剌ワンコ系イケメンと外国人風スタイリッシュイケメンだと!? いつから幸音はときメモの世界の住人になったんだっつーの!!」
「じゃあ訊くけど、どう考えても普通以下の自分がこの美形の中に放り込まれたら自尊心の欠片もなくなると思わない?」
「学校中の鏡という鏡を叩き割って自分の顔見えないようにすればよくない?」
「発想が怖すぎる……!」
「幸音の友達、めちゃくちゃ面白いね」
「あざっす! 家入さんマジちょー美人、あとで一緒に写真撮ろ!」
「これを面白いで済ませられる硝子がすごい」
なんてくだらなすぎる話をしているうちに、開場時間三十分前となった。
ふたりは準備があるため楽屋に戻り、私たちもはやめに席に着くことにする。
席はもらったパンフレットに振り分けられていて、おそらく先輩の気遣いだろう、私たちは全員固まった席になっていた。
舞台を正面にして中央の後ろ寄り、録音機材から数席離れた場所に三人ずつ前後で座る。ライブなんかだと前にいた方が楽しいかもしれないけれど、殊ホールでの音楽鑑賞ならば実は後ろの席の方がよく音が飛んできたりするのだ。まぁホールの仕様にもよるんだけど、少なくともこの区民ホールではこの辺りが一番いい場所だ。
さすが先輩です、ありがとうございます。
「……もうさ、ここまで来ちゃってるんだし今更帰れとは云わないけどさ」
前の席は私の両サイドに夏油と五条、後ろの席は硝子の両サイドに灰原くんとナナミン。図らずも両手に花のような形になってしまう男女比、どうにかしたい。
舞台の上にはすでに楽器が並んでいる。オープニングは某夢の国で有名なパレード曲だから、エレキギターが置いてあるのがちょっと新鮮な感じだ。誰が弾くんだろう。
私たちが常識が通じない世界で生きているのは否定しない。
常識がすべて正しいとも云わないし、そもそも常識ってなんだって訊かれたら困ると思う。
でも今日は。
ずっと楽しみにしていた今日の演奏会だけは、世間一般通念での常識を守っていただきたい。
「演奏中、一言でもしゃべったら、へし折るから」
特に五条。
誰からも返事はなかったけれど、私はそれを肯定として受け取った。
数秒後、後ろからか細い声で、
「何を……?」
と聞こえたのは、聞こえないふりをした。
◇◆◇◆
あっという間の時間だった。
プログラムは順調に進み、アンコール曲も大いに盛り上がり、大喝采で演奏会は幕を閉じた。
「最高だった……」
ほう、と息を吐く。
高揚感がまだ抜けず、身体が熱い。
レベルの高い部なのは知っていたけれど、記憶にあるよりもずっと上手になっていた。新体制になっているからか音も洗練されたように感じるし、以前よりも力強い演奏になった気がする。
まだ私がいた頃のメンバーではちょっと今日の演目は力強さが足りなかったかもしれない。多分部長の和への思いの強さが現れているんだろう、今日の演奏は本当に素晴らしかった。
ちなみに先輩は今回はティンパニーをメインで演奏していたんだけど、もう、もう、【飛鳥】の最後なんて鳥肌が止まらなかった。瑞樹のフルートのソロも超絶綺麗で思わずため息が出たし、あとでメール送らなきゃ。
どうやらそう感じていたのは私だけではなかったようで、みんなもなんだか気の抜けた息を吐きながら口々に感想を呟いた。
「俺、吹奏楽の演奏会は初めてだったけど、結構すげーんだな」
「そりゃそうよ、だってこの高校、コンクールで金賞常連校なんだからね!」
「へー、すごいんだね」
「オーケストラとは全然違ったね。迫力あってびっくりしたし、素人耳にも上手だってわかったよ」
「俺も楽しかったです! 正直最初は演奏会って寝ちゃわないか心配だったんですけど、ずっとワクワクしっぱなしで寝る暇なんてありませんでしたよ!」
「灰原、少しは本音を隠しなさい」
「あはは、いいよナナミン、楽しんでくれたなら十分!」
「そうですか……でも、本当に素晴らしい音楽だったと思います」
控えめなナナミンの感想もお世辞ではないのがわかるので、自分が演奏したわけでもないのになんだか妙に誇らしかった。
すでに客席に人はまばらで、私たちもいつまでもここにいるわけにはいかない。
またしばらく忙しくなるのは確定でなかなか会えなくなるので、私は最後に先輩に挨拶だけしてから帰るつもりだった。
あ~それにしても本当にいい演奏だったし先輩かっこよかったし、心の充電が出来て大満足。いい休日でした。
「さて、それじゃ」
「あ、帰る? 私一回荷物取りに実家に行ってから帰るから、また学校でね!」
んじゃ、と立ち上がろうとすると、両側から肩を押されてもう一度席に座る羽目に。
え、何?
私先輩のところ行きたいんだけど。
すると、二人はなんとも云えず腹立たしい笑みを浮かべた。
「いやいや」
「え?」
「いやいやいや」
いわゆる、ワタシニホンゴワカリマセンーンのジェスチャーをする特級クズども。
喧嘩売ってるなら買うが?
云いたいことがあるならさっさと云え、と視線で促すと、二人で短いアイコンタクトを取った五条と夏油は、夏油が頷いてから口を開いた。
「幸音はさ、ただ演奏会のためだけに特級二人と反転術式使いと、準2級二人の五人が休み取って集まったと思ってるの?」
…………。
にこやかな夏油の言葉に、息が詰まる。
え。
えっ?
だって先輩に誘われたって云ったじゃん。
ちゃっかりメアドまで交換してさ、連絡し合って日付確認して、そんで興味本位なのか私の邪魔したいからなのか知らないけど休み取ったんじゃないの?
「……違うの?」
「さすがの私らも、そこまで暇じゃないよ」
「え、え。じゃあなんで」
わかんないです。
夏油の一見爽やかな笑顔の意味も、反対側でにやにやする五条の笑顔の意味も、思わず振り返って目に入ったなんとなく同情的な硝子のため息も、呆れたようなナナミンの視線も、状況がわかってるんだかわかっていないのかわからない灰原くんのニコニコ笑顔も。
いや怖い。
誰も何も云ってくれないの、怖いです。
思わず引き攣った笑みを浮かべてしまった私の肩に、ぽんと乗ったのは五条の手だった。
何すんだ。
そうしてにやにやと厭らしい笑顔を浮かべた五条がポケットから取り出した、一枚の紙。
押し付けるように目の前に差し出されたそれを、私は反射的に受け取っていた。
――○●区民ホールにおける除霊依頼書
「ここから先は、お仕事の時間でーす!」
一気に全身から血の気が引く音がした。
「……や、やだああああああああ!!!!」
ホールに木霊した私の悲鳴は、空しく響くだけだった。
つまり一生懸命仕事してこの日の休みをもぎ取った私の苦労は無意味だったわけだ。
最悪だよ。
私、今から任務ですって!!
◇◆◇◆
「ようこそお待ちしていました、館長の飯田です」
楽器も人も掃けた舞台の上で、うだつの上がらないスーツ姿の男が軽く会釈をした。
館長は、高専から術師が派遣されるのを今か今かと心待ちにしていた。ところが現れたのは私服だしどうも見ても高校生の男女数人で、多少の戸惑いは隠せない様子だったが、学生証を見せられては納得するしかない。
しかし、依頼をこなしてくれるならもう誰でもいいと藁にも縋る思いなのだろう、額に浮かんだ脂汗をしきりに拭いながら、館長は早口に続けた。
「実はここ最近、館内で不可解なことが連続して起こっていまして」
「はいはい、依頼書にあった通りっすね。機材が爆発したり倒壊したり紛失したり、風もないのに吹っ飛んだり」
「そうです。幸い大怪我を負うほどの事態にはなっていないものの、職員は気味悪がってしまって困っているんです。脅迫状が届いたりとかそういうこともないし、そもそも区営のホールに嫌がらせなんてして得するようなことも思い浮かびませんし。……ところで」
最初から視界には入っていたが、なんとなく触れないままでいたソレを、いい加減無視出来なくなったらしい。
館長は遠慮がちに視線を向けた。
「あの、大丈夫ですか? そちらの方……」
「だいじょーぶっす。ただ情緒不安定なだけなんで」
「五条お前ほんとあとで覚えてなさいよ」
舞台袖にまとめられていたオペラカーテンにぐるぐる巻きになっていた幸音が、やっと姿を現した。静電気のおかげで髪が酷いことになっているが、そんなことも気にならないほど心にダメージを負っているようだ。
幸音は任務が嫌なのではない。
休みだと思っていたのに実は仕組まれた仮初の休みだったのが辛い。
「ってわけで今日のお仕事はホールにいる呪霊の特定あーんど可能ならば除霊! 頑張ろうな、補助監督!」
「最初からこれが本来の目的だったのね……」
考えてみれば、おかしな話だったのだ。
繁忙期を過ぎたとはいえ、呪術界は常に人手不足で学生まで馬車馬の如く働かせるブラック業界。それなのに、能力だけはお墨付きな特級二人と前途有望な準2級の後輩二人、加えて現状呪術界で唯一の反転術式遣いが一気に休みを取れるなんて。
疑うべきだった、と幸音は猛省する。
後輩二人が、しかも七海に至っては愛用の呪具の入った鞄を隠さず持ってきていたのに、何故気が付かなかったのか。
「いや、ごめん。私てっきり幸音も知ってて実家戻って来てるのかと思ってた」
「や、何も云わなかった私も悪いから、硝子は気にしないで。特級クズ二人は気にしろ」
「名前すら呼んでくれないとは酷いなぁ」
「なー。演奏会は楽しめるようにタイミング見計らったことを褒めろよなー」
「上げて落とすという点では満点だよクズども」
おかげでうきうき上機嫌だった幸音の気分は、奈落の底に更に穴を掘って落ちる程度には沈んでいた。今なら軽く頭を小突かれただけでも号泣出来そうである。
しかし、正式に依頼書があるのなら仕方がない。半べそで依頼書を読み、切々と被害を訴える館長の話も聞いてしまって、自分は休みだからあとよろしく、と五条たちに丸投げできるほど幸音は無責任ではいられなかった。
こうなれば自棄である。
何度か利用したこともあったし、何より今日の演奏会を開催した素晴らしいホールのために、さっさと除霊しよう。
素早く仕事モードに切り替えたそう幸音が意気込んでいた、その時。
「あれ、みんなどうしたの?」
振り返ると、そこにいたのは小牧だった。
「え、先輩!?」
舞台袖のドアから現れたということは、先ほどまで控室にいたのだろう。
一瞬呆然とした幸音は、しかし我に返って鋭く館長を問い詰める。
「館長、関係者以外は全員帰したって話だったのでは?」
「そのはずなんですが……おかしいな、どういうことだ?」
確認してきます、と青い顔をした館長は事務局に向かって行った。あの様子ではおそらく館長にとっても予想外の出来事なのだろう。
学生たちに非はないが、状況は最悪だった。
「さっき楽器の搬出が終わったところで、ホールの責任者に挨拶をと思ったんだけど……」
「先輩、もしかしてまだ学生みんな控室にいたりします?」
「ああ、いるよ。学校までバス移動だから、控室で待ってる。何かまずいことでもあった?」
まずいことしかない。
あの館長実は仕事出来ないタイプだなと冷静に分析しつつ、今はこの状況を何とかするのが先決だ。
とりあえず、学生たちが館内に残っているのは良くない。早急に出て行ってもらわなければ。
とはいえ単に追い出すにも理由がいるわけで、今から呪霊を祓うから危ないので出てってくださいとは云えない。それらしい理由をでっちあげるのは、残念なことに幸音の得意分野である。
「じゃあ本当に申し訳ないんですけど、今から館内の非常装置の一斉点検があるんです。私たちも高専の実習で立ち会わなきゃならなくて、控室のほうも含めてなので、バスは駐車場で待ってもらえるように伝えてもらえませんか?」
如才ない幸音の言葉に少し呆気に取られていた小牧は、何か引っかかることがありそうな顔をしつつも頷いた。呪術界のことは何も知らない一般人だが、正しく空気は読める男なのである。
「わかった。すぐに荷物まとめるね。先に出られる子たちはすぐに駐車場に行ってもらえるようにするから」
「すみません、ありがとうござ――……」
います。
そう続けようとした幸音は、言葉を飲み込んだ。
――帳が下りた気配がしたのだ。
呆気に取られている暇はなかった。
「五条」
「ん。駄目っぽいな」
幸音が云うまでもなく、五条は帳に気付いている。サングラスをずらして六眼で観察し、すでに帳が降り切っていることを確認したようだ。
幸音は思わず舌打ちがこぼれそうになったのを、寸でのところで抑え込むことに成功した。危ない、先輩の前である。
しかしこれは嫌な感じだ。
館長の話では、何があるかわからないので早急に学生は帰ってもらって、館内には最低限の職員のみを残した状態で除霊にはいるということだった。
ところが、何の手違いかまだ学生たちは館内に滞在しており、そしてこのタイミングで、帳。
当然幸音が降ろしたものではない。
別に幸音たちだけなら想定内とも云えなくはないが、非術師の学生が多数残っている以上悠長には構えていられなくなってしまった。
まだ効果は確認していないが、きっとこの帳は内外の行き来を不可能にする類のものだろう。漫画の中では交流戦のときには確立していた嘱託式も、この時点ではまだ確立していないだろうし。そもそも、そうホイホイ嘱託式が扱える輩がいても困る。
帳の中に閉じ込めた学生は人質のつもりだろうか。なんにせよ、彼らを放っておくことはできない。
幸音と五条から少し遅れて帳に気付いた夏油たちも、一気に表情を険しくする。
「えっと、どうかした?」
場の空気が緊迫したものに変わったことを敏感に察知した小牧は、少し控えめに首を傾げた。
彼は知らない。
今この瞬間、彼ら一般人が巻き込まれた非現実的な、けれど紛れもない現実を。
彼らを巻き込む結果になってしまったのは憤懣やるかたないが、くよくよしている場合でもない。こうなった以上、幸音たちは学生を保護しつつ早急に任務に当たる必要があった。
「ごめんなさい先輩、やっぱり今のなしでお願いします」
「外に出なくていいってこと?」
「はい。代わりに誰も控室から出ないでください」
通常、帳は一般人の目に呪霊やそれに準ずる出来事を見せないように張るものだ。
したがって、たいていの場合一般人は帳の中に入ることはない。少なくとも基本的に術師が一般人を保護目的以外で帳の中に入れることはない。
が、これは違う。
保護目的などではない。それなら先に幸音が下ろしている。
もし今彼らが外に出ようとしても、帳が邪魔して出られない。見えない壁に阻まれて、すぐそこが駐車場なのに、こちらの声も届かない、あちらからは見えもしない、という異常な状況を目の当たりにしてしまう。
それは駄目だ。パニックになられたら相手の思う壺になる。
だったらいっそ、文句を云われようがなんだろうが、こちらの仕事が終わるまで一か所に固まって動かないでいてもらった方がやりやすい。苦情は後日館長に云ってくれればいい。
「夏油、そっち頼んでいい?」
「了解。硝子もこっちだね」
「おっけー」
「灰原くんは五条と一緒に館長のところ。ナナミンは私と一緒に館内を回ろう。あ、でも私たちも一回事務局に顔出そうね」
「わかった。いくぞー灰原ぁ」
「え、あ、はいっ!」
「幸音先輩、これを」
七海が差し出したのは、幸音が好んで使っている呪具、屠坐魔だった。
それを受け取りながら軽く笑う。
「一緒に持ってきてくれたの? ナナミン、準備がいいねぇ」
「五条さんに持たされました」
「いやほんと申し訳ない。ありがとうございます」
流れるように動き始めた幸音たちに戸惑いを隠せない小牧に気付くと、幸音は七海に少し待つよう断ってから一度小牧のもとに行く。
不安げな視線を正面から受けた幸音は、安心させるように両手でぎゅっと小牧の手を握り、にっこりと笑った。
「先輩、大丈夫です。夏油がいれば何があっても絶対安心ですから」
「うん、だけど」
それぞれに細かい指示などはしていないが、幸音は特に心配はしていない。そんなことしなくとも、彼らはみな自分のすべきことは理解しているから。
幸音は術師としては半端もいいところだ。おそらく今後どれだけ身体を鍛えても、幸音の術式では3級に上がるのが精々だろう。
しかし、補助監督して考えると、彼女は非常に優秀なのである。
まずよく人を見ているから、適材適所に人を振り分けるのがうまい。しかもそれを瞬時に判断できるから無駄もない。
そして、そんな幸音のことをこの場にいる全員が信頼しているから、指示された次の瞬間にはもう自分の仕事を理解している。
特に、夏油が学生の保護に回されたのは、この場にいる誰よりも手数が多い呪霊操術の使い手だからだ。五十人ほどの学生を同時に守るには、近距離型の七海や灰原では厳しい。五条の場合はまだ術式の暴発不発がゼロではないし、狭い場所での戦闘も向いていない。当然、家入は学生に何かあったときの看護要員である。
しかし、幸音たちには当たり前のことも、小牧にはわからない。
何かよくないことが起こっているのはわかるのに、こんなふうに幸音がへらへらと笑っているのが理解できないのだ。
つい一年前までは幸音もそちら側だった。
だから、小牧の不安もよくわかる。
だからこそ、小牧の目をしっかりと見て胸を張った。
「私の心配は無用です。みんなと違ってポンコツなので、危なくなったらナナミンに頑張ってもらって私は逃げるんで!」
「それが先輩の言葉ですか」
「ナナミンを信頼してるんですぅ。ま、とにかく」
ため息を零した七海に悪戯っぽい笑みを向けて、もう一度改めて幸音は小牧に向き直る。
七海も、小牧の前でこうした軽口を叩くのが今は彼の安心に繋がることを気付いているので、律儀に口を挟むのだ。まったく出来た後輩である。
そうして。
「行ってきます!」
可愛らしく、いつものように、弾ける太陽のように、幸音は笑って敬礼のポーズを見せた。
それからすぐに離れたところで待っていたらしく痺れを切らした五条に呼ばれて、七海と共に今度こそ扉の向こうに消えていった。
小牧は、そんな彼女を引き留める言葉など持っていなかった。
行かないでと云うのは簡単だけれど、同時に幸音が困るのもわかる。彼女は、とても優しい子だから。
だから、強く手を握って、気を付けて、とだけ云った。
彼女の背中を見送り、夏油たちと学生たちが集まっているという控室に向かいながら、ぽつりと小牧は零す。
「……びっくりした」
「何がですか?」
「幸音ちゃんが指示する側なんだね。てっきりそういうのは、五条くんか夏油くんだと思ってたよ」
まぁその感想は無理もない。オフの幸音を知っているなら、間違っても彼女が集団の先頭に立って率いるようなタイプではないことくらいわかる。
夏油は笑いをかみ殺したが、後ろを歩いていた家入は噴き出していた。つられるからやめてほしい。
ゴホンと一度咳払いをした夏油は、途中途中で監視と護衛用の呪霊を配置しつつ小牧の疑問に答えることにした。
「彼女の指示は的確です。私たちよりずっと周囲のことが見えているし、先のことも考えていますね。だから割と、幸音がいるときは彼女が司令塔になることが多いのは事実です」
「そっかぁ、かっこいいなぁ」
「はい、頼りになります」
「でも、その幸音ちゃんが信頼してる夏油くんもかっこいいよ」
「……信頼ですか?」
念のため館内全体にサポート用の呪霊を放ちながら、小牧の言葉に首を傾げた。
確かに任務に当たっては信用されていると思う。それに足る結果を残しているし、夏油には実績があるから。
が、信頼、となるとどうだろう。
「だって、何があるのか僕にはよくわからないけどさ、夏油くんがいれば絶対安心だって云ってたじゃない? それってすごい信頼だと思うよ」
小牧は、初めて顔を合わせた時からずっと善人だった。
こんな人間がいるのかと夏油は驚いた。
どんな人間でも心の内には多少なりとも黒い部分があって、非術師の場合はその黒さがいつしか呪いへと変貌する。
しかし、小牧は信じられないくらいに真っ白で、彼から呪いが生まれることなどないように思えた。
それに、他の誰かの言葉であれば鼻で笑ってしまうようなことも、彼の口から出てくるとすんなりと受け入れられた。
嫌味の欠片もなく、小牧は夏油を褒める。
優しい笑顔と穏やかな口調に、柄にもなく夏油は照れてしまった。
「そうで、しょうか」
きっと幸音は、小牧のこういうところが好きなのだろう。
躊躇なく人を褒めることが出来るのは、美徳だ。そういう人はなかなかいない。
しかも、小牧は夏油が幸音に思いを寄せていることを知っている。はっきりと告げたわけではないが、前回会ったときに非常に朗らかな笑顔と共に事実上のライバル宣言をされたのは記憶に新しい。
にもかかわらず、ライバル――というか実際幸音と交際しているのは小牧なのだから、ただの夏油の横恋慕――相手にも嫌な顔ひとつせず慈愛に満ちたこの対応。
これだから夏油は小牧を嫌いになれないのだ。
小牧が嫌なヤツであれば、無理矢理にでも幸音を奪い取れるのに、と考えるあたりがクズ認定される所以なのだが、真性クズなので気付けない。
幸音に頼りにされているということに喜びつつ、反面一瞬でそれを見抜いた小牧の鋭さに複雑な気持ちになりつつ足を進めていると、小さく小牧が息を吐いた。
「うん。でもちょっと妬けちゃうなー」
「え!?」
「さっきもさ、僕の前じゃしない顔してたし。夏油くんはいつも幸音ちゃんと一緒にいられていいなぁ。あの子、表情がころころ変わるからずっと見ていても飽きないんだよね」
いいなぁ、ずるいなぁ。
まるで小さな子供が他人のおもちゃを羨ましがるような奔放さで口を尖らせる。
それは今までのどこか達観しているような大人びた小牧の雰囲気からは少し離れた表情だったので、夏油は虚を突かれる形で息を飲んだ。本気で羨ましがっているらしい。
任務で高専にいないこともあるが、確かに同じ学校に通っているだけちょっとだけ小牧よりはアドバンテージがあるのは事実だ。
が、素直に喜べないのは理由がある。
「……私たちといても、幸音はあなたのことばかりですよ」
それを聞いた小牧は、パッと嬉しそうに顔を輝かせた。
「え、本当? 照れるなぁ」
ふたりに続く形で歩き、黙ってふたりの会話を聞いていた家入は思う。
この男は大物だ、と。
普通、こんなわけのわからない状況に置かれたら取り乱すなりなんなりするのが人間というものなのに、最初こそ多少驚いてはいたものの、すっかりリラックスした様子で夏油と会話を弾ませている。
並の神経ではこうはいかない。
さすが三か月音信不通になった彼女を見捨てず現在まで付き合うほどのでっかい懐を持った男だ、と心底感心した。
「じゃあ、その信頼を裏切らないよう頑張って働くことにしますね」
いささかオーバーリアクション気味に肩を回した夏油に、小牧は穏やかに微笑んだ。
「ありがとう」
不安はあるだろう。
何せ、結局小牧は今何が起きているのかわからないままだ。
しかし、恐ろしくはなかった。
だって、幸音が大丈夫だと云った。
小牧は幸音をちゃんと理解している。
彼女が無茶をするのは自分一人のときで、誰かが一緒にいるときにはほとんど無茶なことはしない。むしろ過剰なまでに安全の確認をするタイプだ。
そんな彼女が大丈夫だと笑ったのだ。
だから、大丈夫なのだ。
そうなると、彼に出来ることは一つだけだった。
待っていてと云った彼女を、待つ。
ただ、それだけ。
花森 幸音
どうしても三人称視点で書きたかったので急遽名前を付けられた主人公。何となくでつけたので名前にも漢字にもあんまり意味はない
心穏やかにデートが出来ないし先輩に会いに行くと絶対おまけがついてくるし、そろそろ発狂しそう
五条とほぼ同時に帳の気配に気付いた理由は、呪力がほとんどない代わりに気配にだけは敏感になったから。一点特化で鋭いだけで、特殊能力ではない
小牧先輩
どうしても三人称視点で書きたかったので急遽名前を付けられた先輩。名前か苗字かも決めてない
吹奏楽部でパーカッション担当。でも曲によっては鍵盤系もやるので割とオールマイティ。大学は音大に打楽器専攻で進学予定
人誑しな夏油を誑しこんでいるので真の誑しはこの人なのかもしれない
夏油くん
やっぱり主人公にライバル認定されてしまう可哀そうな男子。壊れるほど愛しても三分の一も伝わらないので、多分伝え方を間違えている
先輩のこともっと好きになっちゃいそうで悔しい
五条くん
無下限をまだオートで張れないので時々主人公の蹴りを脛に食らう。とても痛い
演奏会が終わったタイミングで実は任務があることを知らせたのは五条なりの優しさだったのに、ブチギレられてちょっとスネちゃま
灰原と七海
先輩たちに振り回される可哀そうな後輩。文句も云わないのでとてもいい子たち
変だしめんどくさいしところどころクソだな、とは思っているけど、結局は信頼している先輩たちなのでおとなしくついてきてくれます
話には聞いてたけど初めて会った主人公の彼氏が思ったより普通で、でもなんか妙に雰囲気のある人でびっくりした。特級クズ二人が懐いてる感じからして、只者じゃないな、と思っている