前世の記憶を使って夏油傑を絶対に幸せにしようと思います! 作:秋元琶耶
人手が足らないからと無理矢理詰め込んでいたはずの任務が、急遽バラシになった。
五条は単独、夏油と硝子は一緒に、後輩たちも揃って任務。つまり学校にいる生徒は私ひとりになっており、補助監督の仕事も急ぎのものは何もない。
ならば通常学科の授業になるのかと思いきや、夜蛾先生も教科担当の補助監督も何だかんだと忙しく、十分に授業が出来るほどの時間は取れないとのこと。
そういうわけで、いきなりぽんと湧いて出た休日、なんとなく私は街に買い物へ出てみることにした。
普段は任務のついでとか帰りとかの少しの時間で買い物しかできないので、たまにはいいかな、と思ったのだ。特に買いたいものはなかったけれど、ふらふらしていれば何か一つくらい欲しいものが浮かぶだろう、と考えていた。
実際はそんなことはなくて、ただ目的もなくぶらぶらしているだけの散歩と変わらない。まぁでもたまにはこういう日があってもいいでしょう。
雑貨やら本やらを適当に見て、そろそろ暑くなってきたのでコンビニで買ったアイスティーを飲みながら歩いていたら、ポンと肩を掴まれた。
不審者だ。
振り返らずにそう断じ、ちょっと考える。
ここは地元じゃないし、みんなの任務地も近くない。新宿のど真ん中で私に用がある人なんて、美容室のキャッチか不審者しかいないだろう。髪はそこまで酷いことにはなってないと信じたいので、消去法で不審者。偏見なのは重々承知。
それにしても随分逞しい手だなぁ、となんとなく振り返って、私は絶句した。
「よぉ」
「…………」
「なんだそのおもしれー面」
「素なんですけど!?」
にやにやと笑いながら私の肩を掴んでいたのは、伏黒さんだった。
つい先日星漿体の件でいざこざを起こし、一度は五条を半殺しにし、その後夏油の肩に銃で風穴を開け、ノリと流れで私が胸倉を掴みあげてしまったその人である。その節はどうも。黙っていればかなりのイケメンなのに、このにやにや顔のせいで認めたくなくなるのは気のせいではない。
というか、なんでこんな気さくな感じに話しかけられているのだろうか。一応、その、立場的にはまだ微妙なはずなんだけれど。細かいことは気にしないタイプだろうとは思ってたけど、さすがに軽率すぎませんかね。
この現場を高専関係者に見られたらまずいと思いつつ、まぁそんなタイミング目撃されることなんてないか、漫画じゃあるまいし、と思い直して居直ることにした。どのみち私ではこの人から逃げ切るなんて無理な話なのだから。あ、っていうかこれ漫画だったわ。
とにかく遊歩道のど真ん中にいるのは邪魔なので、適当に通行の邪魔にならなさそうな場所を選んで壁際に背を預ける。伏黒さんは思いのほか大人しくついてきてくれたのがちょっと意外。犬っぽいと思ってしまったのは内緒です。
「伏黒さん、どうしてここに?」
「べっつに。暇だったんだよ」
「……ニート」
「誰のせいだと思ってやがんだ」
えー、私かなぁ。
でもそもそも伏黒さんがまともな職に就いていればこんなことにはならなかったのでは?
と思いつつ、正直に云ったら何されるかわからないのでお口ミッフィー。
するとごく自然な流れで手に持っていたアイスティーを奪われ、一瞬で飲み干され、空の容器を近くのゴミ箱に捨てられる。あっという間の出来事すぎて、抗議の声を上げる間もなかった。
残り少しだったのに、という気持ちと、この人ちゃんとゴミはゴミ箱に捨てられるタイプの人なんだ、という感心のせいで微妙な表情になってしまった。決して図らずも間接キスになってしまったなぁと思って照れたわけではない。
「誰かと待ち合わせですか?」
「まーな。孔のやつ遅ぇな」
「じゃ、私はこれで」
「待て待て待て」
そういえば今、駅ビルの特設会場で北海道グルメフェアをやっていたはず。みんな仕事で疲れて帰ってくるだろうから、たまにはちょっとお高いデリパーティーなんていいかもしれない。早く行かないと売り切れちゃうかも! そうと決まれば見たいお店ももうないしさっさと買って帰って寮でみんなを待とう。何も休みだからって一日中外に居なければならない理由はないのだ。
そういうわけで伏黒さんから離れようとして、残念ながらそれは出来なかった。物理的な問題である。思いっきり肩を組まれて抜けられない。
これは普通恋人の距離、ぎりぎり相当親しい友人同士の距離だ。間違っても伏黒さんと私の立場の距離感ではない。別に嫌いとかそういうことではなく、微妙な立場であるのは事実なのだ。
が、表情でそれを伝えても、伏黒さんは無駄にキラついた笑顔を浮かべるだけだった。や、やめてその邪気のなさそうな禪院フェイスは心臓に来る。
「こんな平日の昼間に私服でぶらついてるってことは、お前も暇なんだろ」
「いーえ、忙しいです。呪いの温床になりそうな場所の調査中だったんで。嘘だけど」
「無意味な嘘つくな。いいから付き合えよ」
「なんでですか! 孔さんに会うってことは仕事の話するんでしょう? 私部外者ですよ、ご一緒出来ません」
「固いこと云うなって、俺とお前の仲だろ?」
「どんな仲だってんですか」
「殺し合いした仲?」
「私は伏黒さんと戦った覚えないんですけど」
「似たようなもんだろ」
全然違うと思う。
だいたい、私が伏黒さんと戦ったら秒で負ける自信がある。勝負にもならない。ただ私はちょーっと結果的には喧嘩腰になっちゃっただけで、戦いというほどのものは繰り広げていないのだ。そこんとこ勘違いしないでほしい。あくまで私、ほぼ一般人です。
このままでいると平日の真昼間から援助交際をしている組み合わせに見られかねないので、どうにかしてこの拘束から抜け出そうと丸太のように太く存在感のある腕を引っぺがそうとしていると、ふと私たちのすぐ近くで立ち止まった足音があることに気が付いた。
警察だったらどうしよう。悪いことはしていないけど、悪い顔をしている大人が傍にいるせいで気が気じゃない。
違うんです援交でもヤのつく自由業の方でもないんです!
慌てて振り向くと、そこにいたのは。
「……ナンパか?」
「ふざけんな俺がこんなちんちくりんナンパなんかするかよ」
「はー!? そのちんちくりんに一発どうだとか云ったのはどこのどなたですかね!?」
「待てこらそれは黙っとけ」
「ま、丁重にお断りさせていただきましたけどね!! 私伏黒さんは全ッ然タイプじゃないんで!!」
「おいブス調子乗んなよ」
「そのブスに一発どうかって誘ったの伏黒さんですよ」
「ほーぉ」
初めて会う、だけどつい先日電話突撃した相手であり、前世の知識のおかげで一方的に私は彼の顔を知っていた。
流暢な日本語、だけど日本人よりも少し細めで、どことなく韓流ドラマで見たことがありそうな顔。ちょっと説明難しいけど、同じ東洋人なのはわかるけど出身国は違いそうだなって感覚。一応云っておくけど別に偏見とかではない。私は今客観的事実の話をしています。
会いたくないわけではなかった。
ただ、どういう顔をして会えばいいのかわからなかったので、少なくとも今は会いたくなかった、その人。
煙草をふかしながら彼は小さく首を傾げた。
「で、こちらはどちらさん?」
のんびりとした口調だけれど、その目はこちらの挙動を見逃さない鋭さを持っていた。
そうだ、この人はこういう人だ。
飄々としていて、一見親しみやすそうに見えて、だけど抜け目がない。良くも悪くも自分にとって有用であるかを見極める冷静さと冷徹さを持ち合わせている人。なるほど、仲介人という仕事は適任なのかもしれない。
個人的にはこういう人のほうが信頼できるので結構好きだったりする。
とにかく、こうなってしまってはもう遅い。私は腹を括った。
「お会いするのは初めまして、孔時雨さん。先日はお世話になりました」
私はにっこりと笑って小さくお辞儀をした。
すると孔さんは驚いたようにぱちくりと目を瞬き、少し考えるように顎に手をやる。
そうして数秒後、ぱちんと指を鳴らし声を上げた。
「……あのお嬢さんか!」
思い出していただけたようで何より。
私が頷くと、孔さんは感心したように云った。
「いきなりあんな電話寄越すようなやつ、どんなふてぶてしい面してるのかと思えば……こんな可愛らしいお嬢さんだったとはな」
「…………。」
「ん、どうした?」
「おい、何してんだ」
「ときめきそうになったので自重してます」
「あ? お前俺相手に一度もそんな風になったことねーくせに、時雨相手でなるってどういうことだ」
「誤作動、誤作動です!! 周りにこんなこと云ってくれる人いなかったから心臓が誤作動起こしただけです!!」
「わっはっは、こんなおっさんにときめくなんてもったいねーことするもんじゃねぇよ」
「っはー! それ以上は駄目です孔さん、私彼氏いるんで彼氏以外にときめきたくない……!」
「彼氏って五条の坊か前髪のガキのどっちか?」
「違いますぅ絶対嫌ですあいつらが彼氏とか。破滅しそう。私の彼氏は菩薩のような人です」
「頭大丈夫か?」
「キィィィィ!!」
なんだその気の毒そうな顔。私を可哀そうな子扱いするのはやめてもらいたい。だって先輩は本当に菩薩みたいな人なんだから正直にそう云ったっていいじゃないか。多分先輩の前世は菩薩だ。そうに違いない。
少なくとも定職にも就かず平日の昼間から博打のためにぶらぶらしているような人に頭を心配されるのは心外だ。
戦って勝てないのはわかってるけど、いつかこの日のことを後悔させてやりたい。
そう心に誓っていると、こほん、と孔さんがひとつ咳をした。
「ところで俺はこいつと仕事の話がしたいわけだが」
なんですか、改まって。
孔さんと伏黒さんが顔を合わせてボーイズトークなんて気色悪いだけだし、伏黒さんの場合仕事してないとろくなことしなさそうだし、じゃんじゃか仕事の話してください。
「場所、変えねぇか?」
云われてハッとする。気付けば結構目立ってたらしい。
確かに、とてもじゃないが堅気には見えない男二人と、どう見ても成人はしていなさそうな女の組み合わせは目立たないはずがない。
これ以上注目される前に、私たちはそそくさとその場をあとにした。
◇◆◇◆
場所は変わって、孔さん御用達だという個室のお店。いかがわしい場所ではない。秘密の相談をする時によく使うだけで、一応ちゃんとレストランとして営業しているお店らしい。
このお店のお客さんみんながみんなヤバめの人ということではなく、一部の方に特別な個室をご用意しております、という感じ。
お昼時だったこともあり混んでいたら私は遠慮しようと思っていたのに、孔さんの顔見た瞬間、お店の一番偉い人(多分)が出てきてあっさりと個室に通されてしまって逃げられなかった。あ、逃げるって云っちゃった。
もうここまで来たらなるようになっちゃえ。
ちょっとやけくそ気味になった私は、孔さんの奢りだと云うので遠慮なくランチを注文した。値段は見なかった。
そうしてオーダーを取りに来た店員さんがいなくなって個室のドアが閉まったのを確認すると、孔さんはさっと鞄から封筒を取り出して伏黒さんに放り投げる。難なくキャッチした伏黒さんが封筒の中身を確認したところで、孔さんは口を開いた。
「対象はそいつ。方法は自由。期限は一週間以内」
「報酬は?」
「基本五百であとは仕事次第。五体満足ならプラス百で首から上がなかったらマイナス百だそうだ」
「ほー。りょーかい」
「で、お嬢さんは何してんだ」
「聞いちゃいけないこと話してそうなので、耳を塞いでます」
「聞こえてんだろ」
「関わりたくないって意思表示ですよ」
手で耳を押さえた程度じゃ耳栓代わりにはなりゃしない。そんなこと百も承知しているけれど、ただじっと耳を澄ませているのは違う気がしたのでせめてもの抵抗だ。でもまぁ普通に聞こえてました。伏黒さん、五百円で仕事受けてるの? 小学生のお小遣いじゃん。
「絶対私連れてくる必要なかったじゃないですか……」
「お前が困るかと思って」
「せ、性格悪いですね伏黒さん」
「あ?」
「ところで孔さん、折角なのでこの場をお借りしてお礼を云わせてください」
なんだかちょっと失言した気がするけど、隣に座っている伏黒さんからの圧がすごいことになっているけれど、努めて気にしないようにしながら向かい側に座って面白そうにこちらを見ていた孔さんに向き直る。
すると、このタイミングで自分に振られるとは思っていなかったらしい孔さんはきょとんとしながら首を傾げた。
「お礼?」
さっきから思ってたけど、この人なんか可愛いな。
そんなことを思っているとは億尾にも出さず、続ける。
「『時の器の会』を潰せたのは、あなたの情報のおかげですから」
星漿体・天内理子を助けるための最後の仕上げとして私が電話をかけたのは孔さんだった。
表側から集めた情報だけでは、彼らの逃げ道を完全に塞ぎきることは出来ないと私はわかっていた。正攻法で行けば、あの手この手を使って逃げられるだろう。何せ悪いことをしでかしまくっていた団体だから、もしもの時のために逃げ道は周到に用意しているのは当然だからだ。
さすがの私も、いくら多少未来を知っていても裏社会にまで関与できるような力はない。
しかし私はどうしてもここで『時の器の会』を潰しておきたかった。
そのために、孔さんを利用したのだ。
「お前も一枚噛んでたのかよ」
「というか、まぁ、脅しました」
「そうだなぁ、ありゃ立派な脅しだったな」
「あの時は一時を争ってたんです。すみません。でも、ありがとうございました」
要するに、あなたのことは見逃すから『時の器の会』を潰すのに手を貸してくれないかと孔さんに持ち掛けた。
当然いきなり見知らぬ小娘から電話が来たと思ったらそんなことを云われて、すぐに了承されるとは思っていない。
しかし彼は、ここ数日で急激に『時の器の会』の情報が集められて徐々に包囲網が作られていることに気付いていた。情報が動くとき、わかる人にはわかるものなのだ。だから、子供の妄言と切り捨てずにひとまず大人しく私の話を聴いてくれたのである。
そうして最初は甘さを見せれば逆にこっちを利用してやろうと思っていただろうけど、私がすべての話を終える頃には、孔さんは完全に『時の器の会』を切り捨てる方向に頭を切り替えてくれていた。おそらく、私が掴んでいた情報が小娘だと侮れないほどしっかりとしたものだったからだろう。
このままではどっちみち『時の器の会』は潰される。ならばさっさと自分に被害が少なく済みそうな方に付くのが賢い大人のやり方というものだ。
共倒れするとわかっているのに『時の器の会』に尽くすほど、孔さんは間抜けでも彼らに恩義もなかったわけだ。
あの時、考えていたよりもずっとあっさり協力してもらえることになって、ちょっとだけ拍子抜けしたのを覚えている。
しかし呆けている暇はなかった。すでに五条と夏油が天内理子を連れて高専に戻っている途中だったから、すぐにでも行動を起こす必要があったのである。
必要な情報を孔さんからもらい、彼自身にはなるべく火の粉がかからないよう細工もしつつ、然るべき場所に報告し、それからやっと私は物語に介入した。
つまり、私が私のやりたいことを貫けたのは、ほとんど孔さんのおかげと云っても過言ではないわけだ。
直接会えたならお礼の一つや二つを云って、頭の一つや二つ下げて然るべきである。
「お前、俺と時雨で大分態度が違うな」
「そりゃ、ちゃんとしてる大人とちゃんとしてない大人に対する態度は変わりますよ」
「どういう意味だ」
「…………」
「おいこっち見ろよ」
やめて首もげる。
頑なに伏黒さんに顔を向けないようにしているのに、この人遠慮なくがっつり顔掴んで無理矢理伏黒さんの方向かせようとしてくんの。ねぇあなた本当に成人男性なんですか? 小学生みたいなことはしないでほしい。
そんなことをしているうちに、オーダーしていたものが運ばれてきた。
ランチだしパッと見イタリアンレストランっぽかったので、実はろくにメニューの内容も確認せずにAセットを頼んだのだけど、これがまたすごい。
いや、確かにね、こういうヤバげな人たちが御用達にしているお店なんだからそこそこ良いもの出すだろうなーとは思ってましたよ。しかも孔さんも偉い人に接客されるってことはそれなりのお客様ってことだろうし。
前菜にミニサラダとスープ、メインのパスタ、食後にミニケーキとコーヒーか紅茶。これだけ聞いたらまぁその辺のファミレスでもありそうなセットなんだけど、問題はその内容だ。
作り置きなんて絶対にしてなさそうなほどシャキシャキ新鮮な野菜と、既製品なんて使ってません感バリバリの手作りドレッシングに、何日かけて作ったんですかと聞きたくなる透明で香り高いコンソメスープ。もうこれだけですでにファミレスとは比べ物にならないほどの高級感が溢れているというのに、メインのパスタがまたやばい。だって平日ランチでトリュフパスタってやりすぎじゃない? 私人生二度目ですけど、前世でもちょっといいお店に行ったときに一回食べただけだっていうのに。しかも贅沢に白と黒どっちもスライスが乗っている。値段見なくてよかったと思うけどちょっと今は値段気になります。
ちなみに小食な私はサラダとスープ、パスタを三分の一食べたところでギブアップ。こんな滅多にお目にかかれないものを残すのは大変心苦しい、と思っていたら、あっさり伏黒さんのお腹の中に消えていった。ありがとうございます。でもせめて何か一言いってからお皿を取ってほしいと思ったのは決して我が儘ではないはずです。
ケーキも伏黒さんに進呈し、これまた良い豆で且つ挽きたてであろう素晴らしいコーヒーで一服してから、煙草に火をつけた孔さんと、上品なケーキを一口でいった伏黒さんに改めて向き直る。
急に居住まいをただした私に、二人は不思議そうな顔をしたので、にっこりと私は営業用のスマイルを浮かべて両手を打ち合わせた。
「本当はちゃんと全部片付けてから、と思ってたんですけど、折角こうしてお会い出来たので私から一つ提案してもいいですか?」
一度目を見合わせたふたりは、少しの沈黙の後揃って視線で私の言葉の続きを促した。一応話は聞いてくれるらしい。受け入れるかどうかは別問題として、最初から突っぱねられるよりはずっとましだ。
軽く頭を下げてから、私は続けた。
「まず孔さん、高専の協力者になりませんか?」
「……俺が?」
「はい。あ、わかってます、怪しいですよねいきなりこんなこと云われても。でも一度懐に入れて油断したところを叩こうとしてるとかそういうことじゃないですよ。確かに今まであなたがやって来た仕事は褒められるものじゃないかもしれないけど、私はそこは気にしないというかどうでもいいと思っているので、もし協力者になってもらえるなら全力でフォローします。あと私、小賢しい小細工だとか裏を掻くだとか苦手です。もしあなたを利用したり騙すつもりだったら、そういうのがうまい同僚に任せます」
「まぁ、そいつぁなんとなくわかるぜ。お嬢さん、馬鹿正直っぽいもんな」
「ありが……ありがとうでいいのかこれ? まぁいいや、とにかく私、あなたの仕事は信頼できると思ってるんですよね。何より伏黒さんをうまく制御できるような人物って貴重だし、別に孔さん、呪術師が嫌いとか呪詛師の味方がしたいとかいうわけじゃなさそうじゃないですか。単に安定して儲けられるって点が重要なら、圧倒的にこっち側についてくれたほうがいろいろと保障できますよ。あと、ある程度ならこれまで通り呪詛師の仲介をしてもらって構いません」
孔さんは有能で合理的だ。
呪詛師の仲介役をやっていたのは、そっちのほうが実入りがいいからだろう。あとはまぁ、正義の味方が柄じゃない、とか、言葉にしてしまえばくだらなかったり馬鹿らしいかもしれない、だけど自分の魂に恥じなく生きるためには譲れなかった理由。
呪術師にどうしようもない恨みがあって敵対していたというのなら交渉の余地はないけれど、そうでないのなら望みはあるはずだ。
それにそもそも私、呪術師を正義の味方だとは思っていないので、別に高専側についたところで偉いとかそういうこともないと思っている。まぁ呪詛師よりかは人助けをしてるだろうけど、それだってボランティアなわけじゃないから当然利益という概念は発生するわけで、人は感謝の言葉だけでは生きていけないわけで、金銭が発生するのは当たり前だ。
短くなった煙草を灰皿に押し付け、孔さんは長めに息を吐き出した。
私は孔さんの顔から目を離さないまま、じっと孔さんの言葉を待つ。
「……随分と俺を買ってくれてるみてぇだが、お嬢ちゃん、本当に何者だ?」
「その質問、伏黒さんにもされました。私はただのしがない高専生ですよ」
「呪詛師の仲介を続けていい理由は?」
「これまでの関係があるでしょうから、いきなり全部の繋がりを切るのは現実的に無理だというのが一つ。あと、呪詛師の根絶は根本的に無理だと私は思っています。だったら、少しでも動きを把握出来てコントロール出来る状況に持って行った方がいろいろと都合がいいですから」
別に孔さんにスパイをやれというのではない。
呪詛師をこの世から消し去るというのは、この世から戦争を無くすのと同じくらい無理な話だと思う。
人間という生き物がいる以上諍いは生じるし、争いもある。この世界で一番たくさんのお金が動くのは結局は争いごとが起きるときだ。お金という概念が人間社会にある限り、戦争は絶対になくならない。
幸いなことに私は誰かを呪いたいと思ったことはない人生を歩めているけれど、そうではない人も大勢いることはわかる。世の中がそんなにハッピーエンドに溢れているなんて、幻想は抱いていない。
そういう人が手を伸ばすのはきっと呪詛師のような存在なのだろうし、ある意味では例え一時でも呪詛師も人の心を救っていると云えるだろう。
まぁいろんなところから怒られそうなので大きい声では云わないが、死なない程度なら別にそういうのもアリだと思っていたりします。
もちろん、褒められたことじゃないけどさ、誰かに誰かを呪ってもらわないと自分の心が死んじゃうっていうくらい苦しんでるなら、それを悪だと断じるのはあまりに無慈悲なんじゃないかなぁと、思うわけだ。
まぁ、私がそんなことを考えているのは別問題として、孔さんに云ったことも事実だ。
孔さんが呪詛師の仲介役を継続することである程度呪詛師をコントロール出来るはず。当然孔さんが術師側のスパイだと思われないよう細工はするから、万が一にも孔さんに被害が及ぶことはないよう調節するのはこっちの仕事。というか私の仕事。腕が鳴ります。
しばらく私の目を見つめていた孔さんは、ややあって小さく笑って両手を上げた。いわゆる降参のポーズに見える。多分、私が言葉を撤回しないことに対して強情さに降参した、というか呆れたんだろう。いいんです、こういうときは強気じゃないと。
「考える。受けるにしろ断るにしろ、今この場でってのは無理な話だからな」
「はい、わかってます。番号変わりませんから、決めたら連絡ください。あ、念の為に云っておきますけど、断ったらあなたを警察に突き出すとかはしないですよ」
「了解。わかってるよ」
ニッと笑って孔さんはもう一本新しい煙草に火をつけた。
急にこんなこと云われて気分を害されないかちょっと心配だったけど、杞憂に終わったらしくてホッとする。
あのときは勢いと『時の器の会』を絶対に潰すという強い気持ちがあったから強気で電話が出来たけど、そもそも私はそこまで強心臓じゃない。人並みに緊張もするし、恐怖だって感じる。
今だって、この人たちが根っからの悪人じゃないってわかっているからこうして話せるだけで、知らない人だったら震えて泣いていただろう。
ホッとしたのも束の間だけど、まだ終わっていない。
「で、伏黒さん」
「俺もかよ?」
「そうですよ、何他人事みたいな顔してるんですか」
私と孔さんが話している間ずっとつまらさそうにコップに残った氷で遊んでいた伏黒さんは、自分にも話が回ってきたことに驚いたように目を見開いた。あ、もしかしてさっきまで放置されてたこと、拗ねてるんですかね? 可愛いところありますね。
犬みたいだったり猫みたいだったり忙しい人だなぁと思いつつ、私は兼ねてから考えていたことを提案してみた。
「伏黒さん、高専で非常勤で講師やりません?」
「……はぁー?」
「今、うちって結構近接型の術師が多いんですよね。それでなくとも術師って身体が資本だし、鍛えるに越したことはないと思うんです」
「お前鍛えててそれなわけ?」
「高専って教科によっては外部から講師を招いて授業してるんですけど、体術の先生はさすがにいなくて。事務局長が人材探してるって話をしてまして」
「腕も足も鶏ガラじゃん」
「その点伏黒さんは今暇人ニートでしょう? というか万年どうせ暇してるんでしょう? 毎日社畜のように働くのが正義とは云いませんけど、いい大人が仕事もしないで競馬だのパチンコだのしてるだけってのは恵くんと津美紀ちゃんの教育にも悪いと思うんですよね。ここらで多少固定の仕事入れといても罰はあたりませんよ」
「お前、もしかしてちょっと怒ってんのか。怒り方怖いな」
「損させませんから、考えてみてください」
ちょいちょい挟まれたコメントはノーコメントでスルーさせていただく。誰が鶏ガラだ。おいしくダシ取るんじゃない。人の手首掴んで笑うんじゃない。
たくさん話したのでちょっと疲れた。話した量もそうだけど、内容が内容なのでね。
すっかり冷めてしまったコーヒーで喉を潤してから、はた、と思い出す。
そうだ、孔さんに会ったらこれも云おうと思っていたのだった。
「あ、でも一つだけ孔さんにお願いが」
「うん?」
「あの、これは本当に私の個人的で自分勝手な我儘なんですけど」
自覚をしている。
こればっかりは誰かの為とかではない、単なる私の我儘。
それを自覚しているのに、孔さんを高専の協力者にしたいと考えたときから、同じくらい考えていたこと。
「夏油傑という男がいるんですけど」
私は鞄から手帳に挟んでいた一枚の写真を取り出し、テーブルに乗せた。
冥さんから買った夏油の隠し撮り写真の中で、一番のお気に入り。五条と何やら話しているときの、気が抜けたように困ったように、呆れたように笑う夏油の写真だった。
二人はその写真を覗き込み、伏黒さんは小さな声で『隠し撮り……』と呟いた。その通りなんだけど、別にそこを指摘してほしかったわけじゃなくてですね。
「――夏油にだけは、会わないで、ほしくて」
声が、震えた。
「……それまたどうして?」
当然の疑問だ。
この時点で孔さんはまったく夏油と接点がない。
会ったことも見たことも話にも聞いたことがなかったはずの男に会わないでほしいなんて云われて、はいそうですか、になんてなるはずはないだろう。
でも。
「い、云いたくありません」
正確には、云えない。
だって、冷静に考えてほしい。
『夏油と孔さんが手を組んで私たちの敵になる未来を阻止したいからです』
こんなこと云われたらどうだろう。
それこそ頭の心配をされて終わりだ。
私は、夏油に幸せになってほしい。
そのための努力を惜しまないと決めている。
でもこれは、多分、彼の為ではなく、私の心の弱さがさせた牽制。
理子ちゃんも黒井さんも伏黒さんも死なせず、灰原くんを死なせるつもりもなく、夏油に非術師の大量虐殺だってさせるつもりもないから、原作通りに夏油が教祖になる確率は限りなく低いといってもいいだろう。
だから、夏油と孔さんが顔を合わせたところで何の問題もないのかもしれない。
でも、怖い。
私は、怖いのだ。
ひとつの正しい未来として、ふたりが手を組んで高専の敵になっていることを知っているから、もしもふたりが心変わりをして手を組んでしまったら、と考えてしまう。
そんなことはない、少なくともこの世界線ではありえないのだと、弱い私は断じることが出来なくて、恐ろしい。
ないはずの未来を憂いてしまうこの愚かさは、とてもじゃないが言葉にできなかった。
孔さんは何も悪くないのにこんなことを云われて、今度こそ怒られるかもしれない。
というかこんなことを云ったせいで協力者になる気が失せるかもしれない。
顔を上げることが出来なくてテーブルの木目から視線を動かせずにいると、孔さんが椅子の背もたれに体重を預けて天井を仰いだのがわかった。隣の伏黒さんはとっくの昔に興味を失くしており、でっかい欠伸をしている。今だけはそのふてぶてしさに救われる気持ちだった。
「云いたくない、ね」
「ご、ごめんなさい、わかってるんですけど、こんなこと云うのはおかしいし孔さんには何のメリットもないんですけど、その」
もし孔さんが協力者になってくれたとして、彼と直接やり取りをするのは私や補助監督だ。そう考えてみたら、わざわざこんなことを云わなくたって夏油と孔さんが顔を合わせることなんてなかったかもしれない。
今更ながらそんなことに気付いて一気に背中から冷たい汗が流れた。
必死すぎて簡単なことに気付かないまま余計なことを云ってしまった。
やばい、私、痛すぎる。
何も知らない孔さんからしたら、私は夏油の何なんだって話だし、冷静に考えて気持ち悪いし重い。
あれ、私ってこんなに阿呆だったっけ。
普段はデリカシーの欠片もなく言葉を吐きだす五条に一言多いって説教してたけど、私は一言どころじゃなく余計なことしか云ってないじゃないか。これじゃもう五条に何も云えない。
ぐるぐると頭に後悔の念が回って、このまま失神してしまいたいと思っていると、コンとテーブルを叩く音がした。
反射的に顔を上げると、孔さんと目が合う。
「わかった」
「え」
「まだ協力者になるとは決めちゃいないが、もしそういう方向で話が進んだ場合は夏油くん? とやらとは会わないように気を付ける。ただ、状況によっては絶対とは約束出来ん。それでいいか?」
何のメリットもないのに。
まともな説明も拒否しているのに。
奇々怪々なお願いに対してこの対応は、破格と云って過言ではないだろう。
少し呆けてしまったのを自覚しつつ、私は孔さんという人の人間性に深く感謝した。
やっぱり私、孔さん結構好きだわ。
「――ありがとうございます」
数日後、孔さんから私に連絡があった。
この間の話を前向きに進めるという、朗報だった。