前世の記憶を使って夏油傑を絶対に幸せにしようと思います! 作:秋元琶耶
主『最低かよ』
浮気は駄目だよって夏油が云う話です
話がある、と呼び止められたので、何事かと思いつつも拒否する理由もなかったから大人しく夏油の目の前に腰を下ろした。
くだらない話ならば無視して逃げればいいし、共有スペースで一応五条や硝子も近くにいるから助けを求めることは出来るだろう。実際に助けてくれるかどうかは別として。
「話って?」
しかし、腰を下ろして数分経つ現在まで夏油は無言のままだった。
両手を口の前で組んで膝に肘をつき、難しい顔をして沈黙。いわゆるゲンドウのポーズだけれど、そういえばこの世界で某新世紀アニメを観たことがないことを思い出す。前世の記憶を取り戻して久しいけれど、その辺のサブカルチャー関連の世界観がどうなってるのか検証するのは楽しいかもしれない。まぁ、そんな暇があれば。
あまりに夏油がだんまりなので、一度断ってコーヒーを淹れに行った。
話があると云ったからには何か話したいのだろうけど、もしかしたらまだどういうふうに云うのか決めていないのかもしれない。思慮深いようで意外と突発的な行動をしがちな夏油だから、ありうる。
なので気を遣って一度席をはずしてゆっくりコーヒーを用意して戻ってきたのだけれど、夏油の分のコーヒーを差し出してお礼を云われてまただんまり。
何、なんなの。
仕上げなければならない報告書も数件残っているし、明日の予定も確認したいから暇を持て余しているわけではないので、まだ言葉がまとまらないのならば後日改めてでもいいだろうか。
そうやんわりと提案すると、夏油は意を決したように顔を上げた。その表情は酷く硬い。
「君は、先輩と付き合っているよね」
「そうだね。世界一かっちょいいマイスウィートダーリン先輩と付き合ってますね」
「うん。そうだ、そうなんだよね」
重く納得するように頷く夏油に、思わず私が首を傾げた。
会ったことがないならまだしも、夏油は先輩と面識がある。それどころか私の知らないところでいつの間にかメル友にまでなっていた。
初対面では久しぶりのデートに乱入してきたし、二度目に会ったときも私に内緒で演奏会に来る約束を取り付けており、もはや知人の域を越した関係になっている、先輩と夏油。
積極的に先輩の話題を出してのろけることはしなくとも、私が先輩のことが大好きで、先輩の包容力の高さのおかげでちょっとやそっとのトラブルが起きても破局には至らない絆の強さもそれなりに知られているはずだ。
そんなことは夏油も嫌というほどわかっているだろうに、何故今さらそんなことを確認してくるのか。
自虐か、はたまた趣向を変えた私への新しい嫌がらせか。
何にせよ、質問の意図は確認すべきだろう。
「改めて話ってそれのこと?」
「いいや。違う、そうじゃない」
「鈴木雅……いや待って真面目に話そうか」
「ふざけようとしたのは君だよね」
「悪かったよ。で、なんでそんなこと今さら話題にするわけ?」
いつものくせで悪ふざけしようとしたのをなんとか堪え、軌道修正。わざわざこうして機会を設けるということは、それなりに夏油的には大切な話なのだろう。
何度も云うけど私は夏油を振ったけど彼自身を嫌ったり苦手としているわけではなく、先輩という彼氏がいる身で他の男に現を抜かすわけにはいかない、という純然たる事実のもとに振ったのだ。
それだけが理由かと問われると困るけど、今のところ問われてないので問題ない。どっちみち、私が夏油と付き合うなんて未来はないのだ。
だから、夏油が困っているなら助けたいし、悩んでいるなら話を聞いて解決させてあげたいと思うのは当然の友情だと思う。
私への恋愛感情を隠さなくなって久しい今でこそ一定の壁を築いてはいても、結局のところ私は夏油という存在に甘い。
尚も話しにくそうにしている夏油の言葉を辛抱強く待つこと、およそ一分。
「君が」
そうして目が合って、夏油が酷く動揺していることに気付いた。
え、何?
夏油の動揺の理由は、おそらく私だろう。
しかしあまりに心当たりがなさ過ぎて、こっちが戸惑うばかりだ。
ここ最近は忙しくて、わざわざ避けるまでもなく夏油と任務はおろかどこかに出かけたり一緒に過ごすことは少なかったし、隠れて無茶をして大怪我をしたとかもなかったので、本当にやらかした心当たりが何もない。
しかしやっと何かを云う気になった夏油に水を差すわけにもいかず、まだ考えるように視線を動かしながら、夏油は漸くその重たい口を開いた。
「君が、先輩でも、高専関係者でもなさそうな男と歩いているところを見たんだ」
…………。
「えええええええええ!?!?!?」
これは呆気に取られて言葉も出ない私の悲鳴ではない。
共有スペースにいた五条と灰原くんの悲鳴、というか驚きの声だった。硝子もナナミンもこの場にはいるけれど、二人の声はしなかった。しかし、この声にハッとして思わず振り返ると、さっきまで各々勉強したりご飯を作ったり雑誌を読んだりと好きなことをしていたはずのみんなが、全員こちらに注目していた。え、何。暇なの?
いろんな意味で言葉を失っていた私を置いてきぼりにして、何故か珍しく鼻息荒い硝子が夏油に食って掛かる。
「おい夏油。それ間違いないのか。本当にこの子だったのか?」
「私がこの子の姿を見間違えるわけないだろう。一キロ先に居たって服装から髪型まで当ててみせるよ」
「それもそうか……」
「なんで硝子は納得してんの? 怖いんですけど」
というか夏油の視力どうなってんの? 現代日本に生きる日本人の視力じゃないよそれ、頼むから呪霊使って確認したって云ってくれよ。
「嘘だろ傑!! 先輩以外の男なんか書き損じ年賀はがき以下だと思ってるようなこいつが、先輩以外の男と!?」
「こんなことで嘘なんて吐かない。私はこの目で確かに見たんだよ、この子が男と親しそうに歩いているところをね」
「人聞き悪いこと云わないでくんない……?」
「でも実際、先輩以外の男に興味はないでしょう」
そしてこちらは妙に演技がかったような大袈裟な表情をする五条と、冷静に呟いたナナミン。
「いやまぁそうだけど云い方ってもんがあると思うよね」
「大丈夫です先輩、書き損じ年賀はがき以下と思われてても僕は先輩のこと好きですから!!」
「フォローしてるようで全然フォローになってない気がするけど一応ありがとう、灰原くん」
何故誰も私が先輩以外の男を書き損じ年賀はがき以下だと思っているということ自体は否定してくれないのかわからない。私、普段そんな冷たい態度とってましたかね。
そんなつもりはなかったのだけれど、全員にそう思われているということは、そういうことなのだろう。反省するとともにちょっぴり凹んだ。
若干遠い目になってしまったのは仕方ないと思います。
とはいえ、みんながこんな話真に受けるはずはない。ナナミンは私の反応を見て白だと判断してくれたらしく傍観の構えだし、硝子も似たり寄ったり。灰原くんはいまいち読めないけど、私が違うと否定すればすんなり信じてくれそうだ。五条はどう考えても楽しんでるし。
が、どうにも夏油の様子は真剣だ。
実際に見た、というのがネックになっているのだろう。
笑い話にしようという雰囲気でもなく、五条に乗っかって大袈裟に云うでもなく、むしろ動揺していることを私に覚られたことを恥ずかしがるようですらある。
普段よりも気持ち落ち着かないまばたきを繰り返しつつ、恐る恐る続けた。
「浮気は良くないと思うんだ」
「ふざけんな誰が浮気なんかするか私は先輩一筋だ!!!」
というか複数人と付き合ってた過去がある夏油にだけは絶対に云われたくないんですけど。
なけなしの気遣いの心でその言葉は我慢したのに、私の代わりに硝子がズバッと云ってくれてた。ありがとう、ちょっとすっきりしたよ。
っていうかそもそもの話ですよ。
「いやちょっと本当に心当たりがないんだけど、それいつの話?」
「昨日」
「昨日? 昨日って私一日走り回って仕事して――……あっ」
あった。
昨日の自分の動きを思い返してみて気付いた、浮気の事実ではなく、云われてみればの心当たり。
なるほど。
あれが、夏油には浮気現場に見えたわけだ。
「あー、わかった。そういうことか」
「どういうこと?」
身を乗り出してきた夏油に、私は肩を竦めた。
私は何も嘘はついていない。
実際昨日は朝から晩まで仕事仕事仕事で授業を受ける暇もなく、一日のうち半分以上は外出していた。関係各所に提出する書類があったから、外出ついでに回れる場所を全部回っていたからだ。
そして外回りの間のほんの数十分、確かに私は人に会っていた。
彼は、高専関係者ではなく、役所関係の人でもない、今のところ高専内には私以外誰も繋がりのないとある人物。
「確かにあの人は厳密には高専関係者じゃないから、夏油は知らなくて当然だわ」
だからと云って浮気だと云われるとは思ってもいなかったけれど、諸々の事情は置いといて、これなら不名誉極まりない誤解はすぐに解けそうだ。
何故か真剣に私を見つめる同輩と後輩たちの視線に、私は苦笑を返す。
「安心してよ、もちろん浮気じゃないし、あの人は悪い人でもない。非公式の情報屋ってところかな」
「その割には随分親し気だったようだけど」
「まぁ、仲は良いかなぁ」
私たちにはある種の連帯感のようなものがあるので、見ようによってはかなり親し気に見えたかもしれない。信頼しているからこそ情報を買っているし、まぁ実際お互いそれなりに気を許している部分はあるし、仲が良いと云っても過言ではないだろう。え、あれ、いいよね? ちょっと不安になったので今度会うときそれとなく訊いてみよう。
などと考えていると、これまで以上に真剣な夏油の目と目が合った。
バチ、と音が合いそうなほどの強い視線に、なんだか少しだけ気圧される。
そうして、夏油は云った。
「私たちよりも、仲が良い?」
一瞬息を飲んで。
首を傾げる。
「……拗ねてんの?」
「茶化さないで」
思ったよりも真面目に云われたので、もちろん茶化す気はない。
ないけど、だって、まるで夏油の言い分が子供の我が儘のようだったから。
気付けばこの場にいるみんなが私の発言に注目しており、下手なことは云えそうにもない。
さっきまでふざけてた五条は面白くなさそうに私を睨んでいるし、硝子は夏油と同じような顔で黙っているし。後輩二人はそれぞれ沈黙を守っているけれど、どこか寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。
いつの頃だろう。
みんなが、私に物言いたげな視線を送るようになってきたのは。
はっきりと言葉にされたことは未だにない。
だけど、何を云いたいのかはなんとなくわかる。
――どこにもいかないよね?
五条の、硝子の、灰原くんの、ナナミンの、そして夏油の視線が、そう私に訴える。
そんな意味ありげな視線に気付くたび、けれど私は笑ってやり過ごした。
だって、何も云われていないのに言い訳するなんて、あんまりにも自意識過剰がすぎるじゃないか。
何も云われていないのだから、なんでもないのだ。
何も云わないのだから、なんでもないのだ。
それに、みんながどんな理由で何を危惧しているのかわからないけれど、私は今ここにいる。
目標と目的を持って、この場にいるのだ。
云われなくてもどこにも行かない。
頼まれたって出て行かない。
私は私の目的を果たすためなら何でもするし、まぁ、そのためにここにいられないのならどこにでも行く覚悟もあるけれど、少なくとも今の私の居場所は高専で、みんなの傍だ。
だから、大丈夫。
「そんなわけないでしょ。みんなの方が仲良いよ」
当たり前だと呆れたように云えば、みんなあからさまにホッとしたのがよくわかってむずがゆい。
呪術界をしょって立つような人たちが、揃いも揃って私みたいな小物に気を取られすぎじゃないですかね。しっかりしてくださいよ。
なんだかみんなが幼い子供のように見えてしまって小さく噴き出すと、ハッとした五条がわざとらしく腕を組んで云う。
「はー? そんなんわざわざ云うまでもねーし!」
「ですよね、だって先輩は僕たちの先輩ですもんねっ!」
「僕たちの、というのは語弊があると思いますが」
「とかいって、七海も嬉しそうに見えるけど?」
まさかの硝子につっこまれたナナミンは、気まずそうに顔ごと逸らして『嬉しくないとは云ってません』と呟いた。うわ何この微ツンデレ、かわい。
おかげで場も和んだので少しみんなと談笑してから、それぞれやっていたことの続きに戻って行った。
報告書を書いていたナナミンの質問に答えつつ残ったコーヒーを飲んでいると、しばらく気配が薄くなっていた夏油がぽつりと零した。
「変な疑いかけて、ごめん」
「いやほんとだよ。名誉棄損だ、名誉棄損」
「ごめん」
どうやらへこんでいるらしい。
なんで浮気が誤解だったことがわかったのにへこむのかいまいちわからないけど、夏油って本当たまにわけわからんところで気にしぃだから、おそらく浮気の嫌疑をかけたこと自体にへこんでいるのだろう。
普通こういう場合、へこみたいのはこっちなんだけど。
が、私は目に見えてへこんでいる友人に追い打ちをかけるほど鬼でもないし、夏油を書き損じ年賀はがき以下だとも思っていないので、笑って許してあげることにした。
というか、そもそも別に怒ってない。
「その場でどうこうしないで、ちゃんと冷静に確認しようとしただけ大人になったじゃん、夏油」
「本当は観た瞬間相手を殺してやろうかと思ったんだけど」
「はい物騒」
「でも君に怒られるかと思って」
「基準がおかしいけど、思いとどまったことは褒めてしんぜよう」
ぽん、と頭を撫でてやると、途端に表情に花が咲いた。ついでに犬のような耳と尻尾も見えた気がするのは幻覚だろう。あとナナミン、その冷めた視線はやめてね。
それから、私は資料を取りに一度事務所に行かなければならないので、部屋に上着だけ取りに戻った。
やっと蒸し暑い夏が終わったかと思えば、もう夕方は風が冷たくなってきた。ええい、秋はどこに行ったんだ。そんなことを独り言ちながら適当な上着を羽織る。
「ねぇ」
「ん?」
共有スペースには寄らずに直接玄関に向かうと、そこには夏油が立っていた。
みんなは上にいるのに、こんなところで何をしているのだろう。部屋着だから事務局に行くわけでもなさそうだし、玄関は日当たりや空調の関係で寒いのに。いやでも夏油は私と違って筋肉もりもりだから寒くないのかな。マッチョって冬でも薄着しがちだもんね。
「夏油、どうしたの? もう気にしないでいいんだからね?」
疑問は一先ず置いといて純粋に首を傾げると、夏油は壁に背を預けたまま自分の足元を見て固まっている。
寮と事務局の行き来で見送りなんてわけないし、浮気の誤解も解けた今、夏油がわざわざこんなところにいる理由も見当たらない。
「――いや」
とりあえず靴を履き替えて夏油の言葉を待っていると、上からひときわ大きな灰原くんの笑い声が聞こえたのと同じタイミングで夏油は顔を上げた。大方五条が何かやらかしたのだろう。やんちゃ坊主もびっくりな五条のおふざけに付き合ってあげてる灰原くん、本当にいい子だよね。
そうして、夏油は窺うように私の目を見つめてから、数秒。
諦めたように息を吐き、力なく笑う。
「空気が冷たくなってきたから、風邪引かないようにね」
多分、云いたいことは他にあったのだろう。
けれど何を考えたのか、少なくとも今私に云うのはやめたのだ。
ならば私も、無理に聞き出そうとは思わない。
労りの言葉をくれた夏油に、私は笑顔を返した。
「うん、ありがと。夏油もね」
手を振って別れると、私は寮を振り返ることなく歩きながらケータイを取り出した。
背中には痛いほどの視線が突き刺さっているのを、気付かないふりをして。
◇◆◇◆
「もしもーし、お疲れ様です」
『よぉお嬢さん。どうした? 昨日の件ならまだ調べてる最中だぜ』
「ああ、いえ、催促というわけではなくてですね」
『ふん?』
「実はですね、昨日会ってたところを、どうも夏油に見られてたらしくて」
『あー、なるほど』
「指摘されたときは肝が冷えましたけど、なんとか誤魔化しました」
『そりゃご苦労さん』
「念のため、今後会うときは都内はやめておきましょう。夏油、あなたの顔覚えちゃったみたいなんです」
『げ、マジでか。しっかし、近くにいたなら、お嬢さん気付かなかったのか?』
「殺気を向けられてるならまだしも、人ごみで気配消して観察されてたらいくらなんでも無理ですよ、甚爾さんじゃあるまいし」
『まー、あいつぁその辺人間離れしてるしなぁ』
「でしょ。と云うわけで、次のミーティングの場所は予定確認してもう一度場所連絡しますね」
『了解。こっちはあと二、三日もあればいい報告が出来ると思うぜ』
「相変わらず仕事が早くて助かります。じゃあまた今度、
――時雨さん」
主人公
定期的に情報交換のために高専外で時雨と会っている。いつも誰にも(特に夏油に)出くわさないよう調整しているのに、今回はたまたま夏油に目撃されてしまったらしく、ちょっと反省。
まさかの浮気疑惑をかけられて甚だ遺憾。ただし別に先輩以外の男を書き損じ年賀はがき屑以下だと思っているというのは完全に誤解なので勘違いしないでほしい
夏油傑
『浮気したのか、私以外の男と……』
『浮気じゃないし、私以外の男とってどういう意味だ』
現場を目撃した瞬間、相手の男を殺してやろうかと思ったけれど、夏油に残っていた一欠けらの常識的な心が『まずは事実確認』と訴えたので、なんとか踏みとどまることに成功した。顔は覚えたからな
援交かい? と口にしなかったのはあらゆる意味での自衛のため
孔時雨
目撃された男
個人的には誰かに見られても痛くもかゆくもないけど、主人公が嫌がるのでなるべく高専関係者とは関わらないようにしている気遣いの鬼。ただし優しい男なわけではなく単純に気に入った相手に対しては求められる行動が出来る大人オブ大人なだけ