前世の記憶を使って夏油傑を絶対に幸せにしようと思います!   作:秋元琶耶

52 / 56
これでやっと、全部解決! ヨカッタネ!!!
ちなみに五条くんに怒られたので出発前にちゃんと着替えてます。


君を、救う為に生きてきた

ふと目を覚ます。

視線を少し動かすと時計の針が12時を指しており、カーテンの向こうの明るさから考えて恐らく昼だと見当をつける。天井、周囲の家具に目をやって、私は自分のベッドに寝ていることにホッとする。

昨日の夕方、共有スペースで仕事をしていたところからの記憶がない。ちょっと前から体調が悪かったのに無視して無理矢理仕事をしていたから、多分電池が切れたのだろう。最悪だ。

あの場には硝子もいたから、きっと硝子が看病してくれたのだと思う。あとでお礼を云わなければ。

 

頭がガンガンして、身体がだるい。どうやらまだ熱は下がっていないらしい。

かなり汗をかいたようでべっとりと寝間着がくっついていて気持ち悪くて、関節の痛みを我慢しながら起き上がる。するとぽとりと濡れたタオルが落ちた。冷やしタオルを置いてくれたらしいが、もうずいぶんと温くなっていた。

顔を洗って改めてタオルを濡らし、身体を拭く。今の体調でシャワーを浴びるのはさすがによくないことくらい私にもわかる。本当は水でも浴びたい気分だけれど、それで悪化させたら多分硝子にめちゃくちゃ怒られるし、さすがにそんな勇気はない。

汗だくの寝間着は洗濯カゴに放り込み、裸でいるわけにもいかないので適当なTシャツとハーフパンツを着た。うん、身体を拭いて着替えただけで結構気分はすっきりしている。風邪や病気ではなくただの寝不足と疲れから来ている体調不良だろうから、電池切れでほとんど気絶とはいえぐっすり眠ったおかげで少しはましになった。

夏油の村人大量虐殺を止めるためとはいえ、最近の私は無理をしすぎた。これで倒れていては本末転倒もいいところ。反省しなければ。

反省しつつ顔を洗い終わったタイミングで、がちゃりとドアが開く音がした。洗面所を出ると、硝子だった。起きて動いている私を見て、硝子はホッとしたように云う。

 

「あ、目ぇ覚めたね」

「しょう、げっほ」

「しばらくしゃべってなかったから。ほら、スポドリ」

 

お盆に載せていたコップは水ではなかったらしい。ありがたくお礼を云って受け取って、一気に煽る。一体どれほど寝ていたのかわからないけれど、喉がカラカラだった。

 

「ごめんね硝子、迷惑かけたみたいで」

「気にしないで。それが私の仕事だし、だいたいあんたは無理しすぎ。一週間くらいがっつり休めば?」

「人が足りな過ぎるんだって」

 

そらさっさとベッドに戻れと背中を押されながら謝ると、硝子は軽く笑ってくれた。

まぁ、それこそ例の任務さえ乗り切ってしまえばしばらくは何もないはずだから、一週間くらいなら休んでもいいのかもしれない。しばらく実家にも帰れていないし、大学に進学した先輩も春のうちは忙しくて全然会えなかったから。メールや電話のやり取りはしているけど、やっぱり直接会いたい。

そういえば両親にも、時間があったら帰って来てくれと云われていたんだった。なんでも直接私に知らせたいビッグニュースがあるらしく、絶対私も喜んでくれるはずだと電話で弾んだ声を聞かせてくれたのはひと月ほど前のこと。久しぶりに母さんの手料理も食べたいし、帰省の予定を立てるのは楽しみだ。

その為にも、例の任務をつつがなく終わらせなければ。

 

本当は先手を打ってあの子たちを助けに行けたらいいのかもしれないが、いくらあのクソみたいな村の中でクソみたいなことが行われているか知っていても、そこまで私が介入したらどうなるかわからない。

今でもすでに最悪だけれど、もっと最悪なことになる可能性だって捨てきれないのだ。

悔しいし、あの子たちには申し訳ないけれど、私は期を待つしかなかった。

ついでにいうと、夏場はやっぱり任務が多すぎて手が回らないというのが現状だった。それこそ猫の手も借りたいくらいに忙しくて、でも相変わらず人手は足りてなくて、結果私が死ぬ気で働くはめになっている。

給料は良いけど使う暇ないし、やっぱ呪術界ってブラックオブブラックよね。最近に趣味は貯金になりつつあるよ。桁が増えると嬉しい。

というわけで呪術師は呪力だとか術式だとかの問題があるから無理だとしても、せめて補助監督はもうちょっと採用枠を増やしてほしい。まじで。

 

なんて考えながら硝子にもらったゼリー飲料をちびちび飲みつつ、過保護と心配性の権化である夏油が突撃してこないことをちょっと不思議に思い、首を傾げた。

自惚れではなく、私が倒れたら夏油は間違いなく大騒ぎする。そうして専門外のくせに自分が看病するとかほざく。あいつはそういうやつ。

 

「夏油は? 任務リスケしないと」

「ああ、あいつなら単独で任務に行ってるよ」

 

あっけらかんと云われた言葉に、私の思考は停止した。

 

「――え?」

 

今、硝子はなんと云った?

夏油が、単独任務?

それをさせないためにここ数か月私は走り回っていたのに?

夏油本人にも、伝えてあったのに?

職権乱用を覚悟でスケジュールを押さえ、絶対に単独任務は受けるなと口を酸っぱくして頼んだのに?

 

言葉が出てこない私の反応に気付かない硝子は、シガレットミントを苛立たし気にガリッと噛み砕きながら吐き捨てた。

 

「上層部がうるさくてね。今夏油のスケ管してるのは幸音だから、幸音が回復するまで待てって云ったんだけど」

 

代わりの補助監督が付けばいいとか、自己管理も出来ない役立たずに用はないとか、これを機にさっさと五条家に入って子作りしてろとか、ボロくそに云われたらしい。相変わらず発言が気持ち悪いな上層部。

実際私が今高専からいなくなったら大変なことになると云うのがわかっているのは現場の人間だけで、上から見ているだけの無能連中には人がいなくなったら足せばいい、とか馬鹿なことを考えているのだろう。馬鹿も間抜けもここまで来るといっそ立派だ。マジで一回ボイコットしてやろうかと思うけど、そうすると罪なき非術師が死ぬ可能性があるのでそうもいかないのがもどかしい。

上層部のクソ発言について、どうせあとから知るだろうから、と包み隠さず云ってくれたのは硝子の優しさだ。

けれど。

私は何を云われても構わないけれど。

夏油が今、一人で任務に行っている。

その事実だけが、私の脳を揺さぶった。

 

私が存在することで、本来の流れと変わっていることはいくつかある。

けれど大まかな日付に関してはそれほど変化がなかったこともあり、夏油が美々子と奈々子を虐げた村人を皆殺しにするのが9月なのは変わりないだろうと思っていた。

それでも確実ではないから、例の任務が舞い込むまでは常に私が夏油の任務に同行しようと思っていて、実際昨日までそうしていた。

熱を出したのは、昨夜。

それが、8月31日のこと。

つまり今日は、日付が変わって9月1日。

 

――2007年、9月。

 

原作で夏油が村人を皆殺しにした正確な日付はわからない。ただ、9月ということしか。

1日だろうがなんだろうがすでに9月。

いつ任務があってもおかしくはなかったのに!

体調不良以外の理由で吐き気がして、私は胃のあたりを抑えた。

多分夏油は、必要以上に上層部から私が悪く云われることを嫌がって、だったら一人で、と単独任務を承知したのだと思う。

それはきっと夏油なりの気遣いで優しさで、夏油らしい行動だ。

けれど、普段であればともかく今だけは、最悪の手で。

そうして私はなんとか声を絞り出す。自分の声なのに、醜くて酷く耳障りな声だった。

 

「どこに行ったの?」

「えっと、どこだったかな。ああ、一応データもらっといたんだった。はいこれ」

 

私は硝子の手から資料をひったくった。申し訳ないと頭の片隅では思ったけれど、今はそんなことより夏油だ。

何も9月にある任務があの一件だけなはずはない。もしかしたら私が恐れている事態とかではなく全然違う任務で、もう少ししたらあっさり返ってくる可能性だってある。いつもみたいに涼しい顔で任務を片付けて、ただいま、と笑って。

けれどそんな希望的観測は、目を走らせた書類に見事に打ち砕かれた。

 

「旧■■村……」

 

今、夏油がいる任務地だ。

私はこの土地名を知っている。

知っていた。

 

次の瞬間、私はベッドから飛び降りてドアに向かってダッシュした。突然の奇行ともいえる私の行動に、ベッドサイドにいた硝子が慌てて私をベッドに押し戻そうとする。それは医療従事者として友人として当然の行動だというのに、今の私には煩わしいものだった。

 

「ちょ、待ちな幸音、どこ行く気!?」

「離して、夏油のところに決まってる」

「何云ってんのまだ熱あるんだよ!? ていうか夏油なら大丈夫だって、強いんだから!」

 

だから落ち着け、と私を止める硝子に、けれど、私は振り返って云う。思わず掴んでしまった硝子の手は細いのに、力いっぱいに握ってしまって少し硝子の顔が痛みに歪む。

ごめん、と思いながら、どうしても私は、云わずにはいられなかった。

 

「違うの、夏油が強くても意味なんかない」

「……幸音?」

 

私が今にも泣き出しそうになっていることに気付いたようで、硝子は怪訝そうに眉間に皺を寄せた。ただ事ではないと思ったらしい。

 

次の瞬間、突然バンッ、とノックもなしにドアが開く。

私と硝子は一斉にそちらを見た。私の部屋にこんな入り方をするのは一人しかいない。普段なら手近にあるものをブン投げて怒るところだけれど、今の私には渡りに船だった。

私たちを見てちょっと首を傾げた五条は、揉めていることなど一目瞭然だろうにケラケラと笑いながら云う。

 

「お、幸音復活? んじゃこのプリン俺が食っちゃお」

「五条、お願い。私を夏油のところまで連れて行って」

 

何しているのかと問われるよりずっとよかった。だって今はそんなことを説明している時間さえも惜しいから。

少し前にも似たようなことをした記憶がある。あれは、灰原くんを助けに行った時だ。あのときは五条はいなくて、夏油に頼んだんだったっけ。

あのときは間に合った。

だからきっと今回も間に合う。

そう自分に云い聞かせて、五条に訴えた。

硝子の手を放し、私は五条の腕を掴む。我ながら尋常じゃない必死さだったというのに、五条はこれっぽっちも空気を読まない明るさで肩を竦めた。そのわざとらしさは、平時であれば私を気遣ってくれているものだとわかるのに、今の余裕のない私にはそんな五条の気遣いに気付くことは出来ず。

 

「おいおい目が覚めてまず傑の心配かよ? まず自分の体調整えるのが先だろ」

「そんなのどうでもいい!!!」

 

悲鳴のようだと、他人事のように思う。

だって、どうてっていいのだ。

自分のことなんてどうでもいい。

夏油をこのままにしておくくらいなら、体調不良なんて些細な問題だ。熱も引いていないはずだし頭痛も治まっていないけれど、動ければ問題ない。

もしも夏油を助けに行ったら代わりにそのあと自分が死んだとしても、それが運命ならば受け入れる。

 

「今夏油を放っておいたら、私がこの世界にいる意味がないの」

 

一度は死んでもいいと思っていた命は、何の因果か生かされた。

ならば私は、この世界に生きる意味を見出す必要があった。

ただ安穏と暮らすために私はここにいるわけじゃない。私が幸せになりたくて生きているだけじゃない。

 

私は、この世界に生まれ変わった意味を果たさなければ。

 

「お願い、五条。私を――夏油を、このまま放っておかないで」

 

夏油を救いたい。

あの優しい人を助けたい。

きっと私の命はそのためにある。

そうであればいいと、あのとき思った。

呪力もほとんどなく、碌に役に立たない術式しか持たない私のちっぽけな命にそこまでの価値がないというのなら、私の前世が対価だったのだ。

20年で幕を閉じた前世は、無駄ではなかった。

あの頃得た知識が、今夏油を救えるから。

そう考えたら、短くても悪くない人生だったと思う。

私は、今も昔も、夏油のために生きていた。

 

今度は五条は私を茶化したりはしなかった。

必死に訴える私をじっと見つめて、それから小さく呆れたように息を吐いて。

 

「硝子、幸音の薬は?」

「あ、ああ。あるよ」

「五条!!」

「点滴とかはしてる時間なさそうだし、多少しんどくても踏ん張れよ。んで薬は今飲め」

 

薬を飲んで寝てろ、とか云われるのかと思って食って掛かれば、予想外の言葉。

それは、まさか。

驚いて五条を見つめると、五条は茶目っ気たっぷりにウィンクした。

 

「行くんだろ、傑のとこ。連れてってやるよ」

 

多くを云わずとも、五条は私の気持ちを尊重してくれた。

ありがとう、ごめん。

全部終わったらちゃんと話すから。

だけど今は、一刻も早く、夏油のところへ行かなければ。

泣くのを我慢して頷いて、私は五条の腕を引いて部屋から飛び出そうとした。すると、幸音、と硝子に呼ばれる。

本当に申し訳ないけれど、私を止めるなら硝子と云えど容赦は出来ない。甚爾さん直伝の技で意識を奪ってでも、と箍の外れた頭で物騒なことを考えていた私に、硝子は静かに云った。

 

「私は? こっちで待ってたほうがいい? 一緒に行って邪魔になるならここにいるけど」

 

息を飲み、一瞬悩んで、答える。

 

「治療をしてほしい子が二人いるの。連れてくるから、ここで治療してほしい。小さい女の子が二人」

「わかった。じゃあ医務室で待ってる」

 

硝子も一緒に行けばすぐにあちらで治療出来るかもしれないけれど、あの子たちの心情を考えれば可能な限り素早く村から離れる方がいい。あの場所には良い思い出もないだろうし、未練や心残りもないだろう。さっさと離れて高専に連れてきてゆっくり治療する方が、きっと精神的にもいいはずだ。

 

ここで私は漸く少しだけ冷静さを取り戻した。

理由も説明せずに駄目だと騒いだ私を否定するでもなく話を聞いてくれた硝子に、明らかに冷静さを欠いた私を信用して夏油のところまで連れて行ってくれると云った五条。それから、酷い態度を取った私を責めもせずに、自分に出来ることを考えてくれた硝子。

私は確かに夏油を救いたくてここにいる。

でも、一人じゃ無理だ。

私だけでは夏油の傍に行くこともままならないし、傷付いたあの子たちを治してあげることも出来ない。

五条と硝子、二人もいなければ私は夏油を救えない。

それなのに、私は大切な二人に何をした?

最低だ。

最悪だ。

いくら二人が優しくても、これでは愛想を尽かされても文句は云えない。

 

――ああ、だけど。

 

後悔は、帰ってきてから。

今私がすべきことは、優先すべきことは何か忘れてはいけない。

 

「ごめん、ふたりとも」

 

深く頭を下げた私に、二人は驚いたように顔を見合わせた。

それから何故か、意地悪気に笑って。

 

「こういうときは」

「謝るんじゃなくて?」

 

その反応に今度はこっちが面食らう。

謝罪ではなく、他の何か。

そうしてすぐに思い至り、私は思わず二人に抱き着いた。

 

「――ありがとう」

 

さぁ、行こう。

私がこの世界で生きる意味を果たすために。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

「夏油!!!」

「――幸音?」

 

振り返った夏油の目が驚いたように瞬かれる。

その目はまだ絶望に染まりきってはいなくて、ほんの少しホッとする。

私は今にも村人に呪霊をけしかけようとしていた夏油と、何も見えないながらも自分たちによからぬことが起きることを察して青くなっている村人たちの間に身体を滑り込ませ、夏油を正面から見つめて首を横に振る。

 

「駄目だよ夏油、殺しちゃ駄目」

 

そんな私の言葉に、夏油はさらに驚いたように目を大きく見開き、徐々に眉間に皺を寄せた。初めて自分に向けられた嫌悪の表情に心臓が冷たくなるけれど、ここで引けない。

 

「どうして? こいつらは殺されても仕方のないクズだよ」

 

余計なことは云わなくとも、夏油は私がの村の中で起きていたことを知っていると思ったのだろう。その通りなので説明も何もなしに続ける。

 

「わかってる。許してやるつもりなんて私もない」

「だったら!!」

「でも、殺したらそれで終わっちゃう」

 

どういう意味かと夏油は視線で私に問う。

それでいいじゃないかと、終わらせるために殺すのだと、多分そう云いたいのだろう。

夏油の気持ちは痛いほどよくわかる。

実際に夏油の後ろで震えてボロボロな美々子と奈々子の様子を見てしまった今、私も正直云えば村人を殺してやりたい気持ちになった。

こんな山の中のド田舎まで呼び出された挙句、小さな女の子を村中で寄ってたかって攻撃するクソみたいな人間に『こいつらを始末してくれ』なんて依頼された夏油の腸が煮えくり返るのも無理はない。今ここで殺しておいた方が世のため人のためなのではとも思う。

だけどそれじゃ、駄目なのだ。

 

「この村の連中がその子たちにしたことは、死ねば許されるようなことじゃないよ。生かして、罪を償わせる。命は取らずに、社会的に殺す方がずっと重い罰になる。自分が正しいと信じ込んでいる馬鹿や、体裁ばかりを気にする能無しには、その方が死ぬより辛いはずだよ」

「…………。」

「私だってこんなやつら死ねばいいと思う。死んでも全然悲しくないし、どうでもいい。でも死んで終わらせるなんてもったいないよ。この子たちはこいつらが死んだところで楽にならない。この子たちがされたことは、こんなゴミみたいな命がいくつ死んだところで、贖えない」

 

夏油は後ろを振り返り、美々子と奈々子を見た。

辛うじて服は着ていてもところどころ破れており、泥とも血ともわからないほど黒く汚れている。身体中が傷だらけで、治るそばからまた怪我をするからカサブタもなくならない様子だし、鞭で打ったような痛々しい痣もあった。靴は履いていなくて、足は可哀想なくらいにボロボロだ。

村人全員は同じ目に遭わせてやりたい。実際に手を下したかどうかはもはや問題ではなく、この行いを看過していた時点で全員が同罪だ。

でもきっと、同じことをしたらこいつらは途中で死んでしまうだろう。我慢も出来ず忍耐力もないやつらばかりだろうから、誰かを傷付けることに躊躇はなくとも、自分が傷付いたら大声を上げて被害者面をするのが目に見える。美々子と奈々子が泣いてもやめてくれと叫んでもやめないどころかもっと酷いことをしただろうに、自分たちの言葉は通ると思っている、頭の出来がおめでたいやつらばかり。

どうしようもないクズだと思う。

それでも。

 

「何より、こいつらの血で夏油を穢したくない」

 

私にとっては、これがすべてだ。

必要ならば仕方がないと思う。

呪術師である以上、呪詛師との戦いで相手を手にかけることがないとは云いきれない。私も必要となれば呪詛師と戦うし、これまでだって半殺し程度になら割としている。約一名、半分私怨で殺した呪詛師もいる。

でも、こいつらは違う。

殺してやりたくたって、殺すわけにはいかない。

何故なら彼らは呪術師でも呪詛師でもない、非術師の一般人。法的には一応犯罪者ではないただのクズ人間だ。

いくら殺してやりたくても、それを許される国に私たちは生きていない。

だから私は、怒りで震える夏油の手を両手で包むように握った。

 

「どうしても殺したいなら、私がやるよ。そう云って。殺せって。私に、絶対に許せないから今すぐこいつらを殺せって、そう云って」

 

祈るように額を押し付けて、云う。

 

「云えないなら、私のお願いをきいて」

 

賭けだった。

夏油は、私を押しのけて村人を皆殺しにすることも出来る。そうなったとき多分五条は、夏油を止めない。

だって私はこれ以上、夏油を止める言葉を持っていなかった。

夏油の気持ちもわかるのに、私自身が嫌だからという理由で村人を殺さないでくれと頼む私は、滑稽なのかもしれない。

それとも、夏油の私への好意で情に訴える私を軽蔑するだろうか。

どちらでもいい。

なんでもいい。

ただ私は、夏油にこんな奴らを殺して自分の価値を下げないでほしかった。

 

「……君はズルいな」

 

顔を上げると、そんなこと云えるはずがない、と夏油は悲し気に笑った。夏油にズルいと云われるのは一体何度目だろうか。

ふいに、夏油握り締めていた拳から力が抜ける。

 

「君の、望む通りに」

 

諦めたような、けれどどこかホッとしたような夏油の声に、私は賭けに勝ったことを確信した。

よかった、よかった。

夏油の手を包み込む私の手に更に重ねられた夏油の手は冷たくて、夏油が本当に我慢してくれた居たのだと知る。優しい人だ。本当に頭が上がらない。

私は一度ありがとう、と夏油にお礼を云い、視線をその後ろの美々子と奈々子に移した。

 

ちなみに、後ろでごちゃごちゃ云っている村人は通してガン無視だ。

というか私がここに来た時点で帳を下ろしているから、あいつらの声はこちらに届かない。美々子と奈々子に不要な暴言とかもう聞かせたくないし。ちなみに逃げられては困るので、村全体と、私たちと村人の間に二重に帳を下ろして外には念のために五条に用意してもらった式神に待機してもらっている。抜かりはない。

私は美々子と奈々子、二人の前に私は膝をついて目線を合わせた。少し後退られたのはちょっと悲しいけれど、今は仕方ない。二人からしたら私は突然現れただけの人間だから。

ふたりは、お互いを支えるように手を握り合って寄り添っている。きっと今までもずっとそうだったのだ。酷いことを云われても、酷いことをされても、二人で支え合いながら一生懸命生きてきた。

まだこんなに小さいのに。

守られて愛されて生きるべき命なのに。

思わず目頭が熱くなって涙が出そうになるのをぐっと堪え、私は出来るだけ穏やかに見えるよう笑顔を浮かべて静かに云った。

 

「来るのが遅くなって、ごめんね」

「っ」

「ぁ……」

「私は花森幸音。夏油……このお兄ちゃんの仲間で、あなたたちを助けに来たの」

 

こんなふうに話しかけられたことなどなかったに違いない。

戸惑いがちに顔を見合わせた二人は、おずおずと上目遣いに夏油と私と、静かに隅に立っていた五条を見た。

周囲の人間が全員自分たちを害するような環境にいた二人に、いきなり現れた私を信じてくれというのは難しいだろう。

けれど、この子たちの本質は優しく賢い。

どうかわかってほしいと願いを込めて、ゆっくりと私は口を開いた。

 

「私たちと一緒に行こう? この白いお兄ちゃんがいれば移動なんてすぐだし、向こうではどんな怪我でもすぐに治せる優しいお姉ちゃんが待ってる。怪我が治ったらまずお風呂に入ってすっきりして、美味しいごはんをたくさん食べよう。少し休んだら可愛いお洋服も買いに行こう。二人ともとってもかわいいから、きっと何を着ても似合うよ。向こうにいろんなゲームもあるし、高専の敷地は広いから鬼ごっこもかくれんぼもやり放題だよ。夜は柔らかいベッドでぐっすり眠れば、きっと気持ちも明るくなるから」

 

一度言葉を切り、続ける。

 

「大丈夫。何があっても夏油が守ってくれる。私たちがあなたたちを守る」

 

両手を、差し出す。

手のひらを上に向け、二人を待つ。

すると二人は顔を見合わせた。そうしてじっと私を見つめ、私の後ろの夏油と五条を見、さらに後ろの村人たちを見る。

この時二人が何を考えたのかはわからないけれど、結果として二人は私の手にその小さな手を乗せてくれた。小さくて、傷だらけで、ガサガサで、鶏がらみたいに肉のない手。とてもじゃないがこの年頃の子供の手とは思えない手を、私は優しく握りしめた。

 

「これから先は、楽しいことをしよう。あなたたちには、その権利があるんだよ」

 

美々子と奈々子は、泣き出しそうに顔を歪めて、飛びつくように私に抱き着いた。

泣いてもいいのに、大声を上げてわんわんと泣いても誰も責めないのに、二人は押し殺した声で私の腕の中で泣いていた。

二人が落ち着いてから、私は夏油と五条に声をかける。

 

「行って、夏油、五条」

「……マジでいいの? こいつらほっといて」

 

不愉快そうに村人たちを顎でしゃくった五条に、私ははっきりと云う。

 

「こういうのは、二人よりも私の方が得意分野だよ」

 

にこりと笑い、みんなには先に行ってもらう。どうせ全員一緒に移動は無理だから、まず治療が必要な美々子と奈々子を先に高専に送ってもらうのだ。夏油が一緒じゃないと不安だろうから、五条にはちょっと無理してもらって4人で先行してもらう。

夏油と五条は一人でこの村に残る私に若干不安そうな顔をしていた。やだな、大丈夫だよ。これでも私も術師の端くれだし甚爾さん仕込みの体術もあるんだから、もし一人になった途端に一般人に寄ってたかって襲われたとしても問題ないし。もしもの時は帳下ろして立てこもるし。

だから安心して、と笑顔でサムズアップしたのに、何故か二人は更に不安そうに顔を見合わせていた。失礼な。まぁのちに聞いた話だと、一人残った私が村人を死なない程度に痛めつけるんじゃないかと思ったらしい。私の心配はされていなかった。友達甲斐のあるやつらだよ、本当に。

 

夏油の足にしっかり捕まった美々子と奈々子は、私も一緒に行かないのかと見上げてきた。私はしゃがんで二人と目を合わせ、頭に手を乗せてまたあとで、と笑う。するとおずおずと頷いて、ぜったいね、と云うので、私は思わず二人の頬にキスをした。いやだって可愛すぎる。よくもまぁここのやつらはこんな可愛い女の子に酷いことが出来たものだ。多分人の皮を被った呪霊に違いない。あれ、じゃあ殺していいのか? いや落ち着け私。

守るなんて云った手前、五条に更に無理させてでも私もこの子たちと帰った方がいいのかもしれないけれど、ちょっとね、やることがあるから。あ、村人を痛めつけるとかじゃないよ。ただね、ちょっとね。釘を、刺しておかないと。

照れたようにはにかんだ二人に手を振って見送って、私は村人と私たちの間に下ろしていた帳だけを消した。

途端、耳がキンとなるような金切り声が聞こえてきて思わず顔を顰める。

ちょっとは訛りがキツすぎて全部を理解するのは困難だったけど、おおよそこういうことを云っていたと思う。

 

『なんであのバケモノたちを殺さなかった』

『生かして逃がすなんてありえない』

『もしかしてお前もあのバケモノと同類なのか』

『高い金を要求しておきながら、役立たずが』

 

思わず私は笑ってしまった。

うちの上層部もクソ野郎だと思ってたけど、こいつらもなかなかだ。

やっぱり術師だろうが非術師だろうが、クソ野郎ってのはどこにでも発生するもんだなぁと感心する。

一切悪びれない態度の私に、辛うじて人語と理解できる言葉を発した一人が、『何がおかしい』と憤った。唾が飛ぶから黙ってほしい。

あ、そうか、黙らせればいいのか。

私はポケットに入れていた呪符を取り出し、式神を一体呼び出した。

もちろん村人たちには式神は見えない。けれど、村を覆う帳の中に出現した式神の存在感と威圧感は、いくら呪力がほとんどない人間であってもそれなりに生命の危機を覚えるようだ。まぁ、術師の私に明確な殺意があるのだから、そのつもりがなくたって式神が殺気を纏うのは当然だろう。仕方ないね。

ややあって、ぴたり、と声が止まる。息を飲み、きょろきょろとあたりを見回して挙動不審になるやつも数人いた。

素晴らしい。みなさんが静かになるまで1秒かかりました。

少しだけ気分を良くした私は、にっこりと笑顔を浮かべて、云った。

 

「生まれてきたのを後悔して、死にたくても死ねない苦しみを味合わせてやる」

 

悪魔、とか細い声が聞こえた。

どの口が云うんだか。

 

 

 

 

◇◆◇◆

 

 

 

 

迎えに来てくれた五条と一緒に高専に戻ると、美々子と奈々子は硝子の治療を終えて眠っているところだった。本当は軽く食事をして栄養を補給した方がいいんじゃないかと思ったけれど、それ以上に肉体的にも精神的にも休養が必要だと硝子が判断したらしい。

一先ず硝子が用意してくれていたTシャツに着替えさせて、食事は起きてからでいいから、とベッドに寝かせると、二人は意識を失うようにぐっすりと眠ったそうだ。知らない場所では緊張して眠れないかもしれないと思ったけど、ちゃんと眠れたようでよかった。

一つのベッドで小さくなって眠る二人の横顔は穏やかだけど顔色は悪い。すべての傷が癒えるのは時間がかかるかもしれないけど、いつか二人が心からの平穏を得られたらいいと思う。

 

医務室に残るという硝子に二人のことを頼み、夏油と五条、私は教室に場所を移した。どうせもう少ししたらもう一度二人の様子を見に行くつもりだし、わざわざ寮に戻ることもないだろうと私が云った。二人も大人しく従ってくれた。

 

「幸音、教えてくれないか」

 

教室に入り、扉を閉めるなり夏油が云う。

盗み聞き防止のための結界もいつの間にか五条が張っていて、ああなんだかんだ云っても天才なんだなぁと他人事のように考えた。まぁ実際他人だし。

夏油と五条は、まっすぐに私を見た。この場の会話の主導権は夏油にあって、おそらく五条は夏油と私が暴走しないためのストッパー代わりなのだろう。思いつめた人間がすることなんて碌でもないので、五条の判断は正しい。

夏油の問いは、核心だった。

 

「君は何を知っているんだ?」

 

目を、閉じる。

それからゆっくりと、私は口を開いた。

 

「夏油が、あの村人たちを皆殺しにする未来が視えてた」

「!」

「それから美々子と奈々子を連れて逃げて、……非術師である自分の両親を殺して、そのまま高専から離反するのも」

 

もう終わったことだ。隠す必要もないだろうと、私は洗いざらい話した。

私が視えていた未来。

最悪の結末。

どうしても、守りたかったこと。

 

「夏油が、今回のことで非術師に絶望したのはわかるよ。私だって、仕方ないことだなんて云えない。美々子と奈々子の置かれた状況を目の当たりにしたら、夏油が……あいつらを殺してやろうって思う気持ちも、わかるの。非術師は術師を平気で虐げる。怖いから、わからないから、説明できないから。そんな理由で傷付けられる術師を、仕方ないとは思わない。でも」

 

言葉を切って、目を開く。

今の私は窓を背にして立っていて、二人からは――いや五条は六眼があるから関係ないかもしれない――私の表情がよく見えないはずだ。見えなければいいと思った。

 

「ごめん。私は夏油が遠くに行っちゃうのが嫌だった」

 

夏油を救いたいのだと云いながら、結局私は自分が望む未来に進むよう足掻いただけだったのだ。

夏油を救いたい気持ちに嘘はない。

世界で一番幸せになってほしくて、笑っていてほしい。

でも今回のことは、私の勝手な願いを無理矢理押し通したようなものだった。

もしかしたら、あの村人たちを皆殺しにするのが夏油に取っての幸せだった可能性もある。美々子と奈々子を救って、三人で生きていくのが最良だったかもしれない。

そんなわけはないと、私は否定したかっただけなのだ。

 

「あいつらを殺した夏油が高専から離れて、五条とも硝子とも灰原くんともナナミンとも伊地知くんとも離別して、呪術界から追放されて私たちと敵対するなんて絶対に嫌だった」

 

彼らが死んだところで私の良心は一ミリも痛まないが、非術師を手にかけたその上で夏油が高専に帰ってくることはあり得ない。だから、殺さないでほしい。

私の、我が儘だった。

 

「私は夏油に幸せになってほしい。みんなと一緒に笑っていてほしい。全部一人で背負わないでほしい」

 

呻くように吐き出す。

 

「あの日、生きると決めた時。夏油に『ここで生きて』と云われた時、きっと私はこの日のために生かされたんだと思ったの」

 

もちろんそんなのは私の思い込みに過ぎない。そう思いたくて、そうして生きてきた。

出来ることが少ない私の、数少ない私にしか出来ないこと。

気合いを入れすぎて前日に熱を出し倒れて肝心の日に倒れていたというのはものすごく情けないけれど、結果的にはなんとかできたのではないかと思う。

私の目標の、最低段階はクリアだ。

しばらくの間考えるように黙り込んでいた夏油は、しかしハッとしたように首を傾げた。

 

「……君の未来視は、ほんの数秒あとの未来が視えるものだったはずだろう? なのにあの時にはもうこの未来が視えていたのかい?」

 

そこを突っ込まれるとは思わなかった私は、思わず言葉に詰まってしまった。余計なことを云った自覚はあるけれど、もう遅い。

やばい、なんて云えば誤魔化せる?

ぐるぐると考えていたら、思わぬところで助け舟があった。

 

「多分、死にかけてたからだろ。死ぬ間際って思いもよらない力が出たりすんじゃん。火事場の馬鹿力の呪術バージョン、みたいな」

「ああ……」

 

なるほど、と夏油が納得したように頷いた。五条、ナイスフォロー。今日の五条は私のヒーローだ。あとできっちり労わなければ。

視線でお礼を伝えれば、五条はにやりと笑う。これはおそらく、あとで死ぬほどお菓子を作らされる予感。

 

というわけで、私はすっかり全部を話してしまった。

今までは云いたくても云えないこともあったし、わざと知らないふりをしないといけないこともあったから、随分と肩の荷が下りたような気がする。隠し事があるってやっぱりストレスだよね。

夏油も五条も私の話を信じてくれたようで、今回無茶をしたことは怒られたけれど、許してくれた。

 

「で?」

 

それじゃあ気を取り直してもう一度美々子と奈々子の様子を見に医務室に戻ろうか、と提案しようとした言葉は、腕を組んで首を傾げた夏油の迫力の前に飲み込んでしまった。

で、とは?

 

「え?」

「あとは?」

「はい?」

 

笑顔の夏油に、本気でわからなくて首を傾げる。五条を見ても肩を竦めるだけで、助けてくれなさそうだ。今日は八面六臂の働きっぷりだっただけにがっかりがすごい。やっぱそういうやつだよね五条って。知ってた。

というか、あとはって?

 

「他にまだ黙ってることがあるなら、今云ってくれないか」

「ほ、他?」

「幸音が思ったより隠していることが多いのはわかってたけど、今回のことだって事前に教えてくれていたら君が無理をして身体を壊すこともなかっただろう。だから全部吐いて」

 

笑顔がめちゃくちゃ怖かった。

あれー、私ったら夏油の顔ならなんでもかっこいいキャッハーってなれると思ってたんだけどおかしいなぁ。かっこいいのに怖いなぁ夏油くん。五条も全然庇ってくれる気配ないし、どうしよう。

とにかく吐けと云われたなら吐くまでだ。だってこれでもう私が知っている未来は何もない。私の自分勝手で独りよがりな願いで夏油をここにしばりつけた以上、もう原作とは全く違う未来が待っているはずなのだ。

 

「も、もうないよ! もうない、……はず。多分」

「多分?」

「ないないない、ないです!!」

「本当に?」

「マジでないよ!! ほ、他に思い出したらその時ちゃんと云うから……!」

「よし。聞いたね悟?」

「聞いたぜ」

「ってことで言質取ったから。忘れないでね幸音。いつも君が云っている報連相だよ」

 

迫力のある笑顔で至近距離で迫られて、私は赤べこのように首を縦に振るしか出来なかった。やめてください顔面宝具のその距離は死んでしまいます。五条は爆笑してるんじゃないよ助けてよ。

 

絶対云う嘘吐かない夏油の顔に誓います、と念押すと漸く夏油は納得したようだった。私の信用なさすぎじゃないか、と思ったけれど、前科がありすぎたので反省した。

五条は寮に帰って寝ると云うので途中で別れ、美々子と奈々子の様子を見に医務室に戻る道すがら、私は夏油の隣を歩きつつ口を開く。

 

「ねぇ、夏油。今更だけど、私に任せてもらって本当によかった?」

 

気になっていたのだ。

いくら必死だったからとはいえ、強引なやり方だった自覚があったから。

すると夏油は、んー、と少し悩むように唸り声をあげ、けれど困ったように笑った。

 

「そりゃ、あの時は腹が立ったし、幸音を無視してあいつら全員殺してやろうとも思ったけどね」

 

笑って云う内容じゃなかった。

内心冷や汗を流しながら夏油の言葉の続きを待つ。

 

「でも、幸音が泣いたら、意味がないから」

「!」

「君が駄目だと云うなら、ちゃんと理由があると思う。それにあいつらを放っておくわけじゃなくて、死ぬより酷い目に遭わせてくれるんだろう?」

 

即答で頷く。すると、夏油は。

 

「だったら、いいよ」

 

そう云って屈託なく笑ってくれた夏油に嘘はなさそうだった。

それがありがたくて、私は嬉しくて、泣きたくなる。

 

殺さずに殺す方法は、いくらでもある。

ありがたいことに私にはそれなりに社会的地位のある方々とのパイプがあり、今回はそれを利用させてもらうつもりだ。

あの村の人間は、自分たちが正しいと信じ込んでいた。あの小さな村が絶対で、自分たちが絶対正義。井の中の蛙大海を知らずともいうけれど、あれでは井戸よりも小さな桶だ。

可哀想で気の毒で、愚かすぎて救いようがない。死んでも救われないどころか生ごみが大量発生するだけだ。人間って脂肪と水分が多いから、かなりの高温じゃないと燃えないんだよ。死んでも燃料の無駄遣いになるなんて本当無価値でびっくりする。

きっと明日の朝には山ほどの報道陣があの村に押し寄せるだろう。山奥の村で行われていた非人道的な行いと、それらをカルト宗教のように熱烈に信仰し続けてきた極悪非道の村人たち、という触れ込みだ。当然ソースは私。

然るべき機関に然るべき情報を流し、公にする。真っ当なマスコミならばまず食いつくだろう。それと同時に、時雨さんを通して裏社会にも満遍なく情報を流す。表でも裏でも、あの村の人間はまずお日様の下では生きていけなくなる。

自分たちは正しいはずなのに、正しいことをしてきたはずなのに、世間はそれを認めてくれないのだ。ああいうタイプの人間には、そういう罰が一番効く。

もちろん、国外に逃がすつもりもないし、戸籍を捨てて新しい人生なんて絶対に歩ませないし、もっと簡単そうなところで云うと身元を偽造させる行為全般を許さない。そのために裏にまで情報を回すのだ。あいつらはどこまでも世間から大注目される『自分』でしか生きていけず、逃げも隠れも出来ない。背中を丸めて縮こまっても、どこに行っても後ろ指をさされひそひそと噂話をされる。

余程のことがなければ彼らに手を貸す裏社会の人間もいないだろう。なんせ今後はまともに経済も回せないわけで、もとから碌に財産のないあの村の人間が大金を払えるわけがない。基本的に裏社会の人間は金払いの悪い人間なんて相手にしないし、よしんば臓器目当てにしたってあんな呪いの吹き溜まりみたいな村に長年生活していた人間の臓器がまともなわけがない。つまり、いろんな意味であの村の人間には価値がない。

ちなみにこの村は県からの地方自治体運営資金を上の方で着服しているというお手本のようなクソ運営っぷりなので、そのあたりは県のほうで丸ごと取り上げてもらう予定だ。

ついでに、いくらセンセーショナルに報道されても、世間が熱中するのはせいぜい一年かもしれない。が、そんなものは報道次第でどうにでもできる。幸い情報をうまく操ることに長けている知り合いがいるので、少なくとも美々子と奈々子が成人するまでは熱を持たせるつもり。そのあとは、二人とちゃんと話して考える。最悪、二人がやっぱりあいつらを殺したいっていうなら、それも考慮する。

ここまで説明すると、夏油は若干引き気味だった。は? 云えって云ったから正直に云ったのにその反応何?

まぁいいけど。私もやることやばいなって思ってるから。

 

 

 

 

 

ところで、夏油の離反ルートを回避できてホッとした私は、今とんでもない事態に直面していた。

現在、医務室の目の前に到着したところ。

 

「……あのね夏油。申し訳ないこと云っていい?」

「ん、何?」

 

夏油を見上げ、私は云う。

 

「吐きそう」

「は?」

 

「さっきまでは必死だったし緊張してたし忘れてたけど、実は私まだ熱も引いてなくて普通に体調悪かったのね。で、今全部終わってホッとした途端、その、胃がやばい」

「ちょま、待って、しょう、硝子ぉ!!!!」

 

突然だけど猫って毛玉吐き出すとき、結構な確率で絨毯とかソファとか、どうしようもないところに吐くじゃないですか。

翻って人間って、なんで吐きそうな時に限って近くの人の腕掴んじゃったりするんでしょうね。不思議ですね。

硝子が間に合ったかどうか、夏油がどうなったか、私の名誉のために黙っといていいですか?

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。