前世の記憶を使って夏油傑を絶対に幸せにしようと思います! 作:秋元琶耶
「夏油様っ」
――ゴンッ
すごい音がしたので振り返ると、壁に頭をぶつけて固まっている不審人物がそこにいた。
「お、お姉ちゃんだいじょうぶ!?」
美々子と奈々子が慌てて駆け寄れば幸音は力ない笑顔を浮かべ、大丈夫、と呟いて。
気を取り直した様子で頭を軽く振り、彼女は何故か慎重に美々子と奈々子の肩を掴んで口を開く。
「どうして、夏油『様』?」
その問いに、幼女二人はきょとんとした。
彼女の問いの意味がいまいちわからなかったのだ。
「夏油様は、夏油様だから……」
「ね……」
顔を見合わせてそう云うと、少々口元を引くつかせた幸音がまた云った。
「傑くんとかじゃ駄目なの? ほら、だって五条のことは悟くんだし、硝子のことは硝子ちゃんって呼ぶでしょう?」
そういう感じで行こうよ、と妙に必死な様子だが、まだまだ人の機微を察する能力が育っていない幼女二人は、自分たちが『夏油様』と呼ぶその人を見上げて嬉しそうに云ったのだ。
「でもね、夏油様は、私たちのこと、助けてくれたから」
「あのときね、本当に神様みたいに見えたんだよ」
だから、と興奮気味に云う美々子と奈々子は大変愛らしいのだけれど。
幸音はこの場で頭を抱えて転げまわりたい気分だった。
夏油様。
夏油様!
原作でこの子たちが確かに夏油をそう呼び慕っていたのは覚えていたが、あれはその後の環境の影響だと思っていた。
何故なら、夏油は原作では村人を皆殺しにした後すぐに盤星教を基盤に宗教団体を立ち上げ、多くの人間を従えていた。その中には夏油を『夏油様』と呼ぶものもいただろうし、そうでなくとも一種崇拝されていたから、そのすぐそばにいた美々子と奈々子が『夏油様』呼びになるのは自然なこととも思える。
が、今はそんな非現実的な環境ではないはずなのに。
「……どうしても、夏油様?」
一縷の希望に縋って恐る恐る云えば、力強い頷きがふたつ返ってきた。
がっくりと幸音が肩を落としたのも致し方ないことである。
その様子を笑いながら眺めていた硝子は、ふと気付く。
「そういえば幸音は?」
「あー、確かに。幸音だけ『お姉ちゃん』?」
悟くん、硝子ちゃん、夏油様、ときて幸音お姉ちゃん。
決して幸音様と呼ばれたいわけではないしお姉ちゃん呼びがあまりに自然でスルーしていたが、確かになぜお姉ちゃんなのか。
首を傾げた硝子と五条だったが、すると双子は、ちょっと頬をピンク色に染めて恥ずかしそうに云った。
「あの、ね。みみことはなしたの」
「うん」
「いままで、みみことななこ、ずっとふたりだったの」
「うん、うん」
「だからね、お姉ちゃんみたいなひとがお姉ちゃんだったら、嬉しいなって」
「……お姉ちゃんって呼んだら、だめ?」
涙に潤んだ、可愛らしい4つの目。上目遣い。
これに抗える精神力など幸音にはなかった。
「私がふたりのお姉ちゃんです!!!!!!!!」
うわうるさ、と五条が耳を塞いだのなんて気にならない。
ちなみに幸音の名誉のためにいっておくと、幸音はロリコンではない。
「それじゃあお姉ちゃん張り切ってご飯作っちゃおうかな! 二人とも、何食べたい?」
「厚揚げの生姜焼き!!」
「茄子田楽!!」
「生ハムユッケ」
「あんたらのリクエストは訊いてないんだよなぁ! 美々子、奈々子、気にしないで云いな」
大人げない高校生たちが遠慮なく自分が食べたいものをリクエストする中、美々子と奈々子は幸音に促されて遠慮がちに口を開く。
「……おむらいす」
「ケチャップで、うさぎさんの絵がかいてあるやつ!」
「オッケー、用意するからちょっと待っててね」
幸音が指で丸を作りにっこりと笑顔になると、幼女たちはパァッと表情を明るくして幸音に飛びついた。
高専で保護してすぐの美々子と奈々子は、栄養状態がかなり悪かった。
あの村は、不衛生な場所に二人を閉じ込めていたばかりか、まともな食事も与えていなかったのだ。だから同年代の子供たちに比べて二人の身体はかなり華奢だった。
そんな状態ではいくら栄養価が高くとも通常の食事を食べると内臓がびっくりしてしまう、ということで、しばらくは硝子監修の栄養食を用意してもらっていた。
すると村と村人というストレスから解放された二人はみるみるうちに健康を取り戻し、今ではすっかり元気いっぱいの健康児だ。
硝子が小まめに様子を見ているが、経過は順調だそう。
もう食事も幸音たちと同じようなものを食べることが出来、夜蛾の人形と外で楽しそうに遊ぶ毎日を送っている。
リクエスト通り作られた美味しいオムライスを食べてお腹いっぱいになった二人は、お風呂に入ってすぐに幸音の部屋に戻り、ぐっすりと眠ってしまった。
今日は珍しく幸音も夏油もいたし、硝子と五条も夕方には戻って来て全員が揃っていたから、ずっと興奮気味だったので疲れたのだろう。
二人を寝かしつけた幸音は、少しだけ仕事を片付けようと静かに共有スペースに戻った。
そこには各々自由に過ごしている同級生たちがいて、戻ってきた幸音に最初に声をかけたのは夏油だった。
「二人は?」
「寝たよ。天使の寝顔でした……」
ほう、と息を吐く。
ソファに腰を下ろしながら、でも、と幸音は続けた。
「いつまでも、ここに置いておくわけにはいかないんだよね」
「まぁ……そうだろうね」
「俺らもずっと一緒にいられねーしな」
そう。
今日はたまたまみんなで夕ご飯を食べられたけれど、こんなことは本来かなり珍しいのだ。
ここにいる全員は、それぞれに唯一無二の能力がある。
万年人材不足の呪術界には仕事がいつでも山盛りだ。事務仕事だけなら高専で片付けられるけれど、結局現場仕事が多い世界だから、ずっと高専にいるわけにもいかない。
そうなると、美々子や奈々子に構ってやることが出来なくなる。当然、夜蛾たち教師陣も忙しいし、補助監督はそもそも暇がない。その他事務員ももちろんそれぞれに仕事があるから、やはり美々子や奈々子を見ていることは出来ない。
いくら元気になった二人がしっかり者であっても、まだ保護者が必要な年齢だ。放っておくのはいろいろとまずいだろう。
「……うーん」
「何?」
幸音の思案気な声に、硝子は首を傾げた。
そうして、三人の注目を集めた幸音が真剣な顔で云う。
「あの二人、うちで引き取れないかなって」
それはとても衝撃的な言葉だった。
「は!?」
「うちって、幸音の実家ってこと?」
「そう」
こんなこと、間違っても冗談では云わないだろう。
現に幸音の顔は真剣そのものだ。
呆気に取られる三人をよそに、幸音は続けた。
「親に相談してみないとわかんないけど、ほら、うちって両親が学生結婚で私を生んでるから、まだ結構若いのね。父さんはそれなりに仕事してるし、母さんは専業主婦だし、ちょっと古いけど持ち家だし、空き部屋もある。しかも二人とも子供大好きなんだよね。お金は私も援助できると思うし」
そこまで一気に云って幸音は俯く。
「施設に入れるのは、ちょっとなぁって」
別に施設というものに偏見があるわけではない。
けれど、やはりあの二人は普通の子供として生きていくには呪力がありすぎる。
非術師には見えないものを見、触れられるというのは、非術師の子供からしたらあまりに異質で異様だろう。
そうなると、子供は残酷だ。時には、下手したら大人よりもえげつない迫害をする可能性がある。
そんなことには、させたくない。
これ以上あの二人を悲しい目に合わせたくない。
そう思っての発言だったのだが、難しい顔で腕を組んでいた硝子が重い口を開いた。
「ねぇ幸音。あんたちょっとあの子たちに肩入れしすぎてない?」
「やっぱそう思う~!?」
はっきりと指摘され、自覚があっただけに幸音は頭を抱えた。ごつん、とテーブルに額をぶつけた鈍い音が響く。
わかっている。
いくら二人が大変な目に遭っていたのを自分の目で見ているとはいえ、自分はあまりに二人に肩入れしすぎているというのは幸音もわかっているのだ。
けれど。
「美々子も奈々子もすごく強い子たちだよ。多分私があれこれ世話なんて焼かなくたって、立派に成長してくれる。でも」
前世の記憶で知識として知っていただけだったあの二人の悲惨さを、幸音は見てしまった。感じてしまった。
そうしたらもう、あの場から助けたのだからあとはご自由に、とは云えなくなってしまった。
あの子たちこれからを見届けたい。
何か困ったら助けてあげたいし、いつでも頼ってほしい。
単なる自己満足の押し付けだと云われたらそれまでだが、あんなに懐いてくれている二人を、自分の目の届かない施設やら里親やらに預けたくない、というのが幸音の本音だった。
「まぁ、幸音の気持ちもわかるよ」
そう呟いたのは夏油だった。
ストーリー通りにシナリオが進めば二人を引き取っていたのは夏油だ。幸音の意見に賛同するのは納得できる。
「でも、この先もああいう子供はいると思うぜ」
しかしここで現実的なことを云うのは五条だった。
今度は全員の目が五条に向かう。
いろんな感情が入り混じった視線を受けて、それでも五条は続けた。
「そのたんびに引き取ってって育てるわけ? さすがに無理だろ」
「う……」
「特別扱いはどうかと思うけどー」
「悟」
「ホントのことだろー」
案の定、夏油に咎めるように声をかけられたが、五条はどこ吹く風だ。ケロリと云って、砂糖ジャリジャリのミルクコーヒーを一気に煽った。
五条の云うことはもっともだ。
頭を抱えて項垂れながら、幸音は納得した。
そんなことは百も承知で云っている。
石油王で不動産王で大企業の大株主ならともかく、一介の補助監督ごときに苦しんでいる子供すべてを助け養い育てるなんて土台無理な話だ。
わかってる。
でも。
グッと奥歯を噛み締めた幸音は、ゆっくりと顔を上げて云った。
「……冷たいように聞こえるかもしれないけど、私は誰も彼も助けたいってわけじゃないんだよね」
幸音は自分が聖人君子でないことを知っている。
自分の存在が理から外れた存在であることもわかっている。
だから、これは夏油を助けたい気持ちと同じ、ただの我が儘だった。
可哀想な子供だからではない。
美々子と奈々子だから助けたい。
「私は、自分の手の届くところにいる、自分にとって大切な人を助けたい。そのせいで他の誰かを助けられなくても、多分、あんまり心は痛まない」
こんなこと、思っていても口にするべきではないのだろう。
少なくとも、高専の意向からは外れている。
しかしそんなことは今さらだ。
確かに幸音は補助監督で高専所属ではあるけれど、従属しているわけではない。意見は云うし、必要とあらば逆らうこともする。現に、これまで何度も上層部とぶつかってはなんとか条件を付けて譲歩して、あっぷあっぷしながらやっている。
きっと自分は、そういうふうにしかこの二度目の人生を生きられない。
「美々子と奈々子にはね、この先ずっと幸せになってもらいたいの。辛いことがあっても乗り越える強さを持ってほしい。その為に必要なことなら、私はきっと何でもできる」
幸音は、それが夏油の幸せになるということも知っていた。
一番最初にあの惨状を目撃してしまった夏油は、美々子と奈々子に深い同情をし、同じくらい愛情を持って接そうとしている。
だからというわけではなく、夏油を幸せにしたい、美々子と奈々子も助けたい、が結果的に同じ方向を向いているから、幸音は迷わずその道を進もうと思えた。
幸音の笑顔に強い意志を読み取ったらしい三人は、一度顔を見合わせてから、ややあって肩を竦めて笑った。
こうなった幸音には何を云っても無駄だとわかっているのである。
ならば、あと自分たちに出来ることは、幸音のサポートをするだけだ。
普段仕事でもプライベートでもサポートしてもらいっぱなしの幸音に、恩返しをするチャンスでもある。
「とにかく、親の前に一旦夜蛾先生に話してみないとね。大人の意見は参考にしないと」
「云うことを聞くとは云わないのが幸音らしいよな」
「やだ照れるぅ」
両手を頬に染めてわざとらしくキャッと照れる仕草をした幸音は、友人たちが自分の意見を尊重してくれることにこれ以上ないほど感謝した。
話を聞いた上で考えて、背中を押してくれる存在のなんとありがたいことか。
また自分はシナリオから大きく外れた道を進むことになるけれど、これがみんなにとって最良の道であればいいと幸音は願う。
「まず美々子と奈々子に嫌がられないといいね」
「やめてなんでそういうこと云うの」