前世の記憶を使って夏油傑を絶対に幸せにしようと思います! 作:秋元琶耶
「ふざけてるの」
彼女の声はとても静かで、そしてとても冷たかった。
いつもへらへらと締まらない笑みを浮かべているその顔からは今は一切の感情が読み取れない。
やってしまった、と思ってももう手遅れだった。
許されると思っていた。
だって彼女は私の顔が好きだと云って憚らず、自惚れる暇もなく溺愛されているのはわかっていたから。まぁ、ただし本当に顔だけなので、彼女に絶賛片想い中の身としては若干複雑な気分ではあるのだけれど。
とにかく、自分が多少何かをやらかしても、彼女ならばいつものようにへらへらと笑って、仕方ないなと云ってくれると思っていた。
「いい加減にしなさいよ」
大したことはしていない。
と、思っている。思っていた。ついさっきまでは。
だからこそ行動に移したのだし、実際私の動きによって事態は好転したのだから、褒められこそすれこんな殺気にも似た感情をぶつけられるのは理不尽ではないだろうか。
「その頭は飾りなの? 中にはマシュマロでも詰まってるの?」
酷い云われようである。
これでも一応切れ者とされているのだけれど、そして彼女もそう認識してくれていると思っていたのだけれど。マシュマロ。まぁ似たようなものではあるかもしれない。
いや、確かに私も多少は悪かっただろう。
いくら彼女を守るためとはいえ、呪霊を出す暇もなかったので咄嗟に飛び出して彼女を庇った。そこで綺麗に攻撃を避けられたら一番かっこよかったかもしれないが、現実は腕に傷を負ってしまった。それなりに血も出たし小さくはない傷だし、見た目通りの痛みはある。
しかしこれは名誉の負傷だ。
彼女を守るための傷ならば、どんなものでも厭わない。例え傷跡が一生消えなくたって、勲章だと誇りにすら思うだろう。
愛しい彼女、優しい彼女、大切な彼女。
呪術師としての能力はほとんどなくて、だけど意地で術師であり続けながら補助監督としての立場を確立するすごい人。
戦えなくたって彼女の存在は大きい。私たち現場の術師が動きやすいように、裏でどれだけ苦労してくれているのか知っている人なんてほとんどいないだろう。まさに縁の下の力持ちなのだ。
彼女の変わりはどこにもいない。
もちろん、補助監督してだけではなく、私がこの世で一番大切にしたい人でもあるから。
そんな彼女を危険から守るのは私の使命で義務だと思う。
大切な人だから守りたいと思うのは人として、強者として当然だから。
だというのに、どうして。
「夏油が死んじゃうかと思った」
今彼女は、私の目の前で泣いていた。
綺麗な瞳からぼろぼろと大粒の涙が溢れて零れる。
頬を濡らして、それを拭うこともせず。
ただ私を見ながら、ただ、ただ、――泣く。
「し、死なないよこんな傷では。もう君が止血をしてくれたし、神経までいってない。高専に戻ったら硝子に看てもらえば元通りだよ」
しかし私の言葉に彼女はゆっくりと首を振った。
何が、と思えば、彼女は何度か浅く息をした後に震える声で云う。
「元通りじゃない。夏油が怪我をした事実はなくならない」
「そうかもしれないけど、君を守るためなら私は」
「だめ」
言葉を、遮られる。
思わず息を飲むと、彼女は悲し気に続けた。
「だめだよ夏油。私のために何かをしてはだめ。あなたは優しいけど、その優しさはちゃんと正しいことに使わなくちゃ」
はて、と思う。首を傾げた。
今すぐにでも彼女の涙を拭わなくては、と思う反面、冷や水を浴びせられたかのように頭の芯が冷えている。
正しいこととは、なんだろう。
私にとっては彼女を守ることが正しいことだ。そのほかもあるかもしれないけれど、まず第一に彼女が来る。
それを彼女は、否定するというのだろうか。
気付けば私は口を開いていた。
「私は私の力を私が思うように使う。君にすべてを指図される謂われはないよ」
「そうじゃない夏油、指図じゃなくて」
「守らなくていいと君は云うけれど、だって君は弱いじゃないか。私は強いから、弱い人を守るのは当然のことだよ。君だって非術師が危ない目に遭っていたら率先して助けに行くだろう? 私にとってはそれと同じことだ」
「違う。全然違うよ夏油。だって非術師は守るものだから。でも私は違う。実力差がどれだけあろうと呪術師なの。同僚に助けてもらう前提でここにいない。現場で私が負う傷の責任は私が持つ。だけど夏油が私を守って怪我をして、もし非術師を守り損ねたりしたらどうするの? 夏油が最優先すべきは非術師よ。私じゃないの」
思ったよりも冷たい声になってしまった、と反省する間もなく、彼女の言葉が私の頭を揺さぶった。
まるで金槌で思い切り殴られたような衝撃に、私は自分の言葉を留めることが出来なかった。
叫ぶように、云う。
「どうして君が、私の最優先を決めるんだ」
止まらない。
止められない。
云うなと、意識の隅で冷静な自分がそう叫んでいるのに、私は構わず云ってしまった。
「私は呪術師だ。でもその前に人間だ。好きな人を最優先に守りたいと思って、何が悪い?」
彼女が大きく目を見開き、固まった。
本気で驚いているらしい。
まったく酷い話だ。彼女は私が彼女を、恋人がいて、且つ偽物の婚約者がいるのをわかった上で好きだととっくの昔に知っているはずなのに、こんな反応をするのだから。
まるで予想外だと感じているようだけれど、予想外なものか。
私はいつだって彼女を守りたい。
傷付けたくないし、汚いものを見せたくもない。
どんなに手の届かない存在であっても、この気持ちはきっと一生なくならない。
けれど彼女は、いつか私が彼女に対する恋心を失くす日が来ると思っているのだろう。そうして他の誰かと幸せになってほしいと、そんな嘘みたいに幸せで拷問みたいな未来を願っているに違いない。
「私は謝らないよ」
そう云って私は彼女を置いて先に高専へ戻った。ここは高専から遠くない場所だし、電車一本で戻れるはずだから大丈夫だ、と自分に云い聞かせる。
よくないことだとはわかっていたけれど、どうしてもだめだった。
これ以上一緒にいたら、もっと彼女に酷いことを云ってしまいそうで怖かったのだ。
守りたい人から『守らなくていい』だなんて、だって、――あまりにも悲しすぎたから。
とはいえ、云いすぎたとは思う。
いくら頭に血が上ったからと云って、彼女にあんなことを云うなんて最低だ。
内容ではなく、云い方について謝りたい。
そう思うのになかなか踏ん切りがつかなくて、まごまごしている間に任務ですれ違っていつの間にかあの日から一週間が経っていた。
一年の年明けから三か月間意識不明になったあの事件以来、彼女と一週間も話さずにいたのは初めてのことだった。事あるごとに私が話しかけに行っていたし、彼女も私たちみんなと打ち解けようと積極的に話すようになってくれたから。
おはようもおやすみも、いってらっしゃいもおかえりなさいも云えないし云ってもらえないのは途轍もなく寂しい。隠し撮りしていた写メを見てなんとか精神を保っていたけれど、それもそろそろ限界だ。悟がなにやらごちゃごちゃ云っていたのは聞こえなかったことにした。だって彼女も私の写真を山ほど持っているのだから、おあいこだと思うから。
写真もいいけれど、やっぱり顔を見て話したい。
次に顔を合わせたら絶対に謝ろう。
そう、決めていた。
けれどそれは、もう遅かった。
彼女は――……。